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日経電子版Pro
Mon, 30 November 2020

小林恭子の
英国メディアを読み解く

小林恭子小林恭子 Ginko Kobayashi 在英ジャーナリスト。読売新聞の英字日刊紙「デイリー・ヨミウリ(現ジャパン・ニュース)」の記者・編集者を経て、2002年に来英。英国を始めとした欧州のメディア事情、政治、経済、社会現象を複数の媒体に寄稿。著書に「英国メディア史」(中央公論新社)、共著に「日本人が知らないウィキリークス」(洋泉社)など。

「We'll Meet Again」英軍の恋人、ヴェラ・リン死去 - 第2 次世界大戦中の活躍で生涯国民に愛された歌手

6月18日、「英軍の恋人」と呼ばれた国民的歌手ヴェラ・リンが103歳の生涯を閉じました。新聞やテレビが彼女の死と生前の貢献を大々的に報じたことでその名を知った方も多いでしょう。

リンは第2次世界大戦中、「We'll Meet Again」(「また会いましょう」)や「The White Cliffs of Dover」(「ドーバーの白い崖」)などの歌を通じて海外に派遣された英軍や銃後を支える国民を勇気づけ、希望を与える存在となりました。今年4月、エリザベス女王が新型コロナウイルスの感染措置対策でロックダウン状態にあった国民に向けたメッセージの最後を「また会いましょう」と言って締めくくっていました。リンの歌は、今でも多くの英国民にとって特別の響きがあるようです。

リンの本名はヴェラ・マーガレット・ウェルチ。1917年、ロンドン郊外イースト・ハムで生まれました。父は配管工、母はドレスメーカーです。7歳から公の場で歌い始め、11歳から芸名ヴェラ・リンを使うようになりました。「リン」は母方の祖母マーガレット・リンから取ったそうです。1930年代半ばにはソロ・アルバムを発表し、次第に人気を得ていきますが、39年、英国がドイツへ宣戦布告し第2次世界大戦に参戦したことで、リンの活動の舞台が変わっていきます。

リンはロンドンの地下鉄のプラットフォームを避難場所として使っていた人々に向けて歌うようになります。41年にはBBC ラジオの番組「シンシアリー・ユアーズ」のホスト役となり、歌の紹介とともに戦場に兵士を送った家族から届いた手紙を読み上げ、番組の終わりには「また会いましょう」が流れました。また、戦争で傷を負った人を収容する病院を訪問し、ビルマ(現ミャンマー)、エジプト、インドなどの前線を訪れ、慰問コンサートも行いました。軍の恋人と呼ばれたのも無理もありませんね。43年にはミュージカル映画「We'll Meet Again」に主演し、女優としての才能を披露しています。

戦後もリンは歌い続け、テレビ番組の司会者としても人気を博しました。52年には「アウフ・ビーダーゼン、スイートハート」で米国のビルボード・チャートの首位を達成し、2009年に英アルバム・チャートの首位に。また、1995年の欧州戦勝50周年記念式典、2005年の同60周年記念式典でも舞台で往年の歌声を聞かせました。今年は欧州戦勝75周年にあたりますが、BBCの番組の中でリンはオペラ歌手キャサリン・ジェンキンスとバーチャルで「共演」しました。ちょうどこのとき、英国は新型コロナのピークに見舞われていました。エリザベス女王が「また会いましょう」と呼びかけたとき、英国民はその意味をすぐに理解し、感染撲滅のためにみんなで頑張ろうという意味を込めた、力強いメッセージとして受け止めたのです。

リンは1969年には大英帝国勲位(OBE)を、75年には慈善事業への貢献を認められ大英勲章第2位(DBE)を授与しましたので、「デイム(Dame)」という尊称をつけて呼ばれています。

なぜこれほどまでにリンは国民を魅了したのでしょう? 「ガーディアン」紙のスティーブ・モス氏によれば、戦時中の英国はリンのような「若々しく、健全で、生来の謙虚さを持った女性歌手」を欲しており、リンが「厳粛で危険な時代にぴたりと合っていた」のではないかと書いています(6月18日付)。そしてリンの歌声は、「力強く、鈴の音を思わせた。ときには歌詞を朗唱するかのようにして歌い、ビブラートをたくさんかけて感情を込めた」、と分析。このような歌唱法はみんなで歌う際に適しており、だからこそリンの歌を一緒に歌うとき、私たちは「こみあげてくる」気持ちを持つのではないか、と述べています。リンの歌声が耳によみがえってきますね。

キーワード

We'll Meet Again(また会いましょう)

1939年、ロス・パーカーとヒュー・チャールズが作詞作曲した曲で、同年、ヴェラ・リンの歌で録音されたが、53年、英兵士がコーラスに参加したバージョンが著名になった。「また会いましょう、それがどこでいつかはわからないけれど/でもまた会えるでしょう、いつか晴れた日に」という部分がよく引用される。スタンリー・キューブリック監督の映画「博士の異常な愛情」(64年)はこの歌が人類滅亡を想起させる最後の場面で流れる仕掛けとなっている。

 
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