Jules Mazarin (1602-1661)
フランス絶対王政の絶頂期を象徴する太陽王ルイ14世の教育係であり、その宰相を務めた男、それがマザランである。ウェストファリア条約でオーストリアからアルザスなどを奪い、ピレネー条約でスペインからフランドルやアルトワ、南フランスのルーシヨン地方を獲得し、現在のフランスの形を作り上げたフランス史に欠くことができない人物である。だが、彼は元々フランス人ではない。本名をジュリオ・マザリーニというイタリア人である。
そもそもフランスを訪れたのはローマ教皇庁使節としてであった。その彼をフランスに迎えたのはルイ13世の宰相リシュリューだ。リシュリューはマザランを外交問題の補佐として登用、帰化してわずか3年後の1641年に枢機卿の地位を与える。そして、翌年1642年のリシュリューの死に際して、その後継をルイ13世より言い渡された。
当時、王権の強化に対する貴族たちの不満が渦巻いており、また三十年戦争への参戦による貴族や国民の負担はフロンドの乱と呼ばれる反乱を引き起こすことになった。だが、マザランは巧みな外交手腕を発揮、反乱勢力を内部分裂に導き反乱を治め、王権の礎を固めることに成功。マザラン自身に対しても「マザリナード」と呼ばれる誹謗文書 (ひぼうぶんしょう) が大量に出回っていたが、それこそ人々のねたみと反感を買うほどマザランの政治手腕が優れ、膨大な富を蓄え、王母との親密な関係を築いていたことを示していると言えよう。
またマザランはフランスにオペラを導入した音楽家リュリや劇作家モリエールを支援したことでも知られている。フランスの地理的、政治的、文化的拡大に貢献した人物がイタリアからやって来たことは覚えておいて良いだろう。

優れた政治手腕でフランスの
絶対王政を支えた枢機卿マザラン
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