
2006年にスタートした欧州運河の旅パート2として、パリからリヨンまでを漕ぐことにした。ルートはロワール運河、ニヴェルネー運河、ブルゴ―ニュ運河と3本あるが、ブルゴーニュ運河は風光明媚なグルメルートとのこと。難点はエクルーズが190カ所もあることだ。というわけで散々思い悩んでいたのだが、思わぬ話になった。昨年、パート1の旅で知り合ったベルギーのグランシャ・エチエンヌさんから手紙が届き、「新たな旅にはぜひ同行したい。出来ればブルゴーニュ運河がいいが、どうか」と言ってきたのである。願ってもない助け舟、それで決まった。
2007年6月25日
6月25日早朝、パリ東郊のセーヌ川とマルヌ川の合流点から漕ぎ出した。岸辺にはパリのクレテイユ大学の医療コンサルタント、マダム・ミレイユが見送りに来てくれた。昨晩出会ったばかりの彼女は、エチエンヌさんの友人のシーカヤッカー(海上のカヌー)である。後日パリに戻った折に、彼女のクラブのメンバーにも会う機会があり、地中海への旅が終わった後には、ぜひ一緒にノルマンディーの海へ漕ぎに行こうという約束まで出来てしまった。エトランゼーの独り旅と思っていたのが、なんともうれしい展開になった。
セーヌ川~ヨンヌ川の航路、2007年のフランスは天候が良くない。2006年の夏はTシャツ1枚で漕いでいたというのに、ウインドブレーカーの上にレインウエアーを重ねるという重装備。つかの間雲が切れても、日が照りながら雨が降る毎日が続いた。
行き交う船はほとんどが石材運搬のバージ(荷役船)ばかり。大型エクルーズを我が物顔に通過していく。昨年も体験したこだが、カヌーの通行は基本的に認められているのだろうか?ウエルカムとばかり招き入れてくれる所もあれば、両腕を振り回して追い返される所など、今回もエクルーズのキーパーとの駆け引きを繰り返した。上流に進む程に川幅は狭まり、屈曲した湖水のような雰囲気、水鳥や昆虫が乱舞する自然の楽園に変わった。この季節、水辺は日本でいう河骨(こうほね)だろうか、黄色のスイレンが満開、パリ滞在中に見物してきたオランジュリー美術館を再現する光景が続いた。

ミレイユさん(左)は後日行われる
ブルターニュ・シーカヤックツーリングの
打ち合わせ中だった(マルヌ川畔にて)

エチエンヌさんの愛艇はリバーカヤック(激流下り用)

スイレンは初夏の風物詩
2007年7月1日
7月1日正午、ブルゴーニュ運河入口のミジェンヌに到達。打ち合わせた通りの夕刻、ロワイヤル教会前にシーカヤックを積んだ車が到着した。前回ベルギーで知り合ったエチエンヌさんとレジーヌ夫妻だ。同行2人、いや3人の旅は楽チンだ。レジーヌの車に荷物一切を乗せてしまったから、エクルーズはためらうことなく担いで越えた。2つのカヌーの間に挟まって前後を両脇に抱え込むようにして運べば足取りも軽い。この運河は200年前にナポレオンの命令で造られたという年代物である。エクルーズの規模も小さいから、注排水の時間を待つよりも歩いた方が早い。エチエンヌさんたちのおかげで、わずか12キロの間に37カ所のエクルーズがある難関もやすやすと越えられた。しかも、キャンプ場もレストランも事前にレジーヌさんが見つけてくれている。おかげで名物のエスカルゴやブッフ・ブルギニョンを味わい、シャブリに酔いしれるという贅沢をさせてもらった。エチエンヌさんは現在古書店の主だが、もともとは歴史の先生だったという。途中寄り道をしてはミュージアムやシーザーの遠征の古跡等を案内してもらえたのもラッキーだった。
いろいろと体験したが、ブルゴーニュ運河のハイライトはプイユネの3.3キロトンネル越えだ。エクルーズ事務所で申告のサインをし、トランシーバーを渡されて交互一方通行の順番待ちで通行する。照明は全くないから、前照灯と自分を照らすペンダント灯を点けて闇の世界に進入し、歌声も高らかに抜けて行った。所要45分。

オランダから来たボート仲間たちと。
プレゼントの折り紙の鶴を喜んでくれた
(モンバールのレストランにて)

プイユネのトンネル入口で

エチエンヌさんの左にトンネル出口が針穴のように見えている
2007年7月9日
7月9日、ディジョンに着いた。エチエンヌさんとレジーヌ夫妻とはここまでだ。翌日はブルゴーニュ公国の名残をとどめる旧市街を見物して歩き、再会を約束して夫妻はベルギーのシャールロワに帰っていった。
第3ステージのソーヌ川の旅は、サン・ジュアン・ロヌが始点。ブルゴーニュ運河の残り30キロを消化した後の12日から始まった。水路は一転して自然の大河である。再び大型バージが白波を蹴立てて過ぎていく。横波を食らわぬよう慎重な歩みだが、流れが速いからマイレージは上がる。ローヌ・アルプ地方と言われるこの地は、東はジュラ山脈、西はマコン山地、ボージョレ山地の間に広がる農耕地帯だ。広大な麦畑、ヒマワリ畑、牧草地の彼方にうっすらとスカイラインが弧を引いて、漕いでも漕いでもさっぱりと景色が変わらない退屈な毎日。追い波以上に向かい風が強くパドルの重さがこたえた。

グランシャ夫妻はディジョンで帰っていった

ローヌ・アルプはヒマワリが満開だった

放牧の牛たちが水辺まで降りてきた
2007年7月16日
7月16日、無事リヨンに到着。エチエンヌさんとレジーヌ夫妻のサポートのおかげで、単独行で見込んでいた日程より5日も早く、21日間でパリからの630キロを漕ぎ切ることが出来た。
2007年7月18日
7月18日、次回のパート3の下見に行くことにした。終始頑張ってくれた愛艇サブロー号をペリカン便の国際宅配便に託し、手ぶらの列車旅に切り替えた。次回の最終ゴール地をどこにするか。アルビオン、アルル、マルセイユと車窓から偵察しながらニースに着いた。まずは念願の地中海でひと泳ぎ、エメラルドの水が心地良かった。
翌日はバカンスの雑踏を避け、バスでエズに向かった。切り立った丘の頂上に城壁を巡らした要塞村である。断崖を縫うようにして作られたつづら折りの石段道を、あえぎあえぎ登り詰めた眼下にコートダジュールの海が光っていた。
6 Septembre 2007 No 839
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