
| ウジェーヌ・イヨネスコ |
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Eugène Ionesco (1909-1994) カルチェ・ラタンの裏通り、喧騒の中にひっそりと佇むユシェット劇場では、いまでもイヨネスコの劇「禿の女歌手」と「授業」が上演され続けている。 1950年当時、パリの小劇場では、それ以前の演劇の観念を覆し合理性を廃した演劇が生まれ始めていた。不条理劇と呼ばれることになるこの新しい演劇を代表するひとりが、イヨネスコである。
ルーマニア人の父とフランス人の母の間に生まれた彼は、幼少時代をパリで過ごし、両親の離婚後はルーマニアに戻り、ブカレストの大学に学ぶ。その後、ファッショ化するルーマニアを離れ、博士論文を完成させるためにパリの石畳を再び踏んだのは1938年のことであった。第二次世界大戦中の激動する国際情勢のため、いったんはルーマニアに戻ることを強いられるが、1944年にはパリに舞い戻る。そして1994年にその生涯を閉じるまで、この街に留まった。(彼の墓はモンパルナス墓地にある。) パリの街では校正の仕事に就きながら、シュルレアリスムの巨人ブルトンや映画監督ブニュエル、ルーマニアからの友人であるシオランやエリアーデと交流を持っていた。彼の劇作家としての活動は1950年に始まる。「禿の女歌手」を皮切りに、数々の作品を生み出し、その功績はアカデミー会員にまで選出されるほどのものであった。こうしてみると、彼の生涯はパリ抜きには考えられない。だが同時に、パリという街だけでは彼を捕らえることもできない。彼は『瀕死の王』でこう書いている。「人生とは亡命である」。黒いユーモアに包まれた不条理劇によって人間を見つめたイヨネスコ。その言葉は文化や言語を超越し、亡命としての人生を我々に見せてくれるだろう。 |


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