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金子光晴

Kaneko Mitsuharu (1895-1975)

パリの持つ華やかさや知性、教養、文化を礼賛する者もあれば、そこにいかがわしさや淫蕩、さらには虚飾や狭量、下劣さ、残酷さを見る者もいる。詩人の金子光晴は間違いなく後者であり、彼は自伝「ねむれ巴里」で暗く、悲哀に満ちた、それでいて魅惑的なパリを記録している。

22 Rue
Daguerre
金子が住んでいたという22 Rue Daguerre。
現在はホテルになっており、一階は偶然にも金子の
巴里を思わせるCafé d’Enferになっている。

彼が一度ヨーロッパを旅した後、2度目に日本を離れたのは1928年。生活費、旅費を稼ぎながらの放浪の末にパリへと辿り着き、それから約2年間、貧窮の生活をこの街で送った。男娼の仕事は結局しなかったようだが、靴を直す金もなく、代金の取り立てや論文の手伝い、額縁作りなど、その日暮らしの金策の中で生きた彼のパリは、娼婦の街であり、欺瞞(ぎまん)の街であり、また自殺や病死で客死する日本人の街であった。

だが、経験によって綴(つづ)られる彼のパリは、決して単なる夢が破れた者の目に映る悲惨な街ではない。人間のありのままの姿を映し出す街であり、生きることに迫った街である。彼は、パリの生活を「すこしおもいあがった、すこし蓮っ葉な、でも、はなやかでいい香いのする薔薇の肌の、いつも小声で鼻歌をうたっている、かあいいおしゃまな町娘とくらしているような、それで、月日もうかうかと、浮き足立ってすぎてしまいそうなところである」と喩え、「かまととの手練女の媚」(「ねむれ巴里」より)と言う。パリという街自体とそこに生きる者との絶え間ないせめぎ合い、そして人間と人間の交錯が見られる金子のパリは、時に礼賛の言葉よりも真実味を帯びて我々にこの街の力を見せつけている。


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パリを彩った外国人
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