パリを彩った外国人
フランシスコ・ザビエル

| フランシスコ・ザビエル |
François Xavier (1506-1552)日本に初めてキリスト教を伝えた人物して歴史の教科書にも登場する日本人には馴染み深いフランシスコ・ザビエル。スペインのバスク地方出身の司祭であった彼は、ポルトガル王ジョアン3世の命により教皇使節として1541年インドに向けてリスボンから布教の旅に出発。日本にたどり着いたのは1549年のこと。鹿児島の島津貴久や山口の大内義隆、豊後(ぶんご/現在の大分県)の大友宗麟などに謁見し布教活動を行い、1551年には日本を発ってインドへ向かい、中国本土でのキリスト教布教を目指したところで熱病に冒され病死した。 日本でもこのように名が知られているザビエル。しかし、彼がフランスと関わりを持つことは意外と知られていないのではないだろうか。ナバーラ王国で要職を務めていたザビエル城城主を父に持ち、その他で少年時代を送ったフランシスコ・ザビエルがパリに来たのは1525年。パリ大学で学び、30年には修士号を取得。講師として教壇に立ちながらアリストテレス哲学を研究していたのである。 ザビエルが聖職の道へと入っていったのもパリでの生活によるところが大きい。かつてナバーラ王国の敵であったカスティリア軍に従事していたバスクの軍人イグナチオ・デ・ロヨラとの出会いである。軍人を退き宗教家となっていたロヨラがパリ大学の同志6名と共に1534年、モンマルトルで「貞潔、清貧の生活、聖地エルサレム巡礼」の誓願を立ててイエズス会を興したその時、6名の中にはザビエルの名前もあった。我々にとっては日本との関係で記憶に留めることが多いザビエルだが、彼はイエズス会の創始メンバーとしてパリの名所のひとつであるモンマルトルに名を残しているのである。
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塩谷祐人(ENYA Masato):明治学院大学大学院を経て、現在パリ第VII大学に在籍。亡命文学をテーマに博士論文を準備中。 |


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