
| ジャン=バティスト・リュリ |
Jean-Baptiste Lully (1632-1687)フランスに亡命していたロシア人の作家イリヤ・エレンブルグは著書「ふらんすノート」の中で外国人を自らの文化に引き入れるフランスの性質を指摘しながら、ルーブル宮の壁画を描いたイタリア人ロマネーリやドイツ人哲学者ドルバックなどをその例として挙げているが、その中にフランス・オペラを創建した人物であるリュリの名も登場する。 イタリアの貧しい粉屋の子として生まれたリュリが音楽家として最高権力の場所へ登り詰めるまでの物語は、彼がフランスに移った14歳の時に始まった。1652年頃からバレエダンサー、バイオリニストとしてルイ14世の宮廷に仕え、その寵愛(ちょうあい)を受け、やがて作曲家としても認められる。1661年には王立楽団の総監督に任じられフランス国籍を取得、翌年には楽長も務めるようになった。 リュリは王の好みに合うバレエ音楽を作り、舞台に王自身も上がったという。また劇作家モリエールとの共作でも知られ、「町人貴族」といったコメディ・バレエも彼の代表作として挙げられる。その彼がオペラに着手しフランス・オペラの伝統を作っていったのは1672年、王立音楽アカデミーでの上演が認められてからのこと。フランスの劇作家コルネイユやラシーヌの古典悲劇をモデルに叙情悲劇と呼ばれるオペラを作ったのである。彼のオペラは宮廷バレエを発展させたものであり、壮大な合唱や見せ場でのダンス、そして荘厳な音楽とフランス語の言葉の明晰さと抑揚を調和させた新しい試みであった。華々しい数多くの成功を収め「アルセスト」や「アルミード」、王のための「テ・デウム」などの代表作を残し、リュリはその生涯をパリで終えた。
|

EUR
JPY 







