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薩摩 治郎八

Satsuma Jirohachi (1901-1976)

華麗、豪奢(ごうしゃ)、ダンディ、エレガント、粋。パリ社交界でバロン(男爵)と称された薩摩治郎八を形容する言葉に華やかさと色気を欠くことはないだろう。彼の名はパリでの華々しい生活と数々のパトロンとしての活動で有名で、その人生は村上紀史郎著「『バロン・サツマ』と呼ばれた男 ̶ 薩摩治郎八とその時代」に詳しい。

生家は祖父の代から財を築いた木綿問屋、母方も繊維会社を経営する資産家。その大富豪の長男であった彼は18歳でオックスフォード大学に留学、その後1922年、自由を求めるフランス生活への憧れからパリに向かった。

パリでは画家マリー・ローランサンや詩人ジャン・コクトーと親交を結び、また社交界では「バロン・サツマ」と渾名(あだな)されその名をとどろかせた。同時に藤田嗣治を始め、当時パリで学んでいた日本人の芸術家への支援や文化活動の後援に惜しみなく私財を投じ、そのパトロンとして使った金額は現在の額にして200億円とも600億円とも言われており、実に豪胆にして文化教養に理解の深い大人物であるといえよう。さらに治郎八は西園寺公望(彼もまたフランスに学んだ人物であり、かのクレマンソーと友情を結んでいる)の要請を受け国際大学都市の日本館の建設に私財を投じ、その功績によりレジオン・ドヌール勲章を贈られている。

第二次大戦中もパリに滞在し、日本に帰国したのは1951年のこと。その時には家は没落しており、治郎八は薩摩家の財産を使い果たしていたが、その後も日仏文化交流に貢献した。1966年にはその活動により勲三等旭日中綬賞を受賞し、またフランス政府の招きで何度かフランスを訪れてもいる。晩年は妻の故郷である徳島で生活を送り、その地でその生涯を閉じたのであった。

薩摩 治郎八
薩摩治郎八が残したパリでの偉大な功績のひとつ
Cité Universitaireの日本館。
今もパリで学ぶ日本人がその恩恵を受けている。


塩谷祐人(ENYA Masato):明治学院大学大学院を経て、現在パリ第VII大学に在籍。亡命文学をテーマに博士論文を準備中。

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