
| フレデリック・ショパン |
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Frédéric François Chopin (1810〔通説〕-1849) ロシア支配に対する反乱の気運がくすぶる祖国ポーランドを離れ、ショパンがパリに着いたのは7月革命直後の1830年9月だった。信じられぬほどに魅惑的な景観と騒音や馬鹿騒ぎとが渦巻く街を「最高の華麗さと最低の卑猥、最大の美徳と最大の悪徳がある」とショパンは手紙に書いている。その後39歳で夭逝するこの天才は、社交界での名声、音楽家としての成功、作家バルザックや画家ドラクロワなど才気豊かな友人たちとの交流に恵まれながらも、その反面では内なる孤独と病とにあらがいながらニヒリズムを精神に宿しつつフランスに生き、愛するポーランドへ戻ることはなかった。
パリに残る彼の痕跡は少なくない。彼が住んだスクワール・ドルレアン9番地や最後の住居になったヴァンドーム広場12番地、彼の葬儀が執り行われたマドレーヌ寺院では彼自身の「ソナタ」やモーツァルトの「レクイエム」が演奏された。サル・プレイエル(現在はフォブール・サントノレにある)はショパンにとって縁の場所であろう。彼はフランスのプレイエル社のピアノを愛し、パリで最初のコンサートを行ったのがカデ通りにあったプレイエル社のサロンだった。その場にいたリストやメンデルスゾーンとは、その後も親しく付き合うことになる。後にロシュシュアール通りにより大きなサル・プレイエルが作られることになるが、そこがショパン最後のコンサート会場となったのであった。フランス人の父を持ち、人生の半分をフランスで過ごしたショパン。ポーランドとフランスの間に、そして華やかさと悲哀との間に生きたショパンの姿は、美徳と悪徳が織り成す街にひっそりと残っている。 |


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