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オスカー・ワイルド

Oscar Wilde (1854-1900)

パリで死を迎えることで、この街にその存在を根付かせる外国人もいる。オスカー・ワイルドもその1人であろう。1908年、ワイルドの遺骸はペール・ラシェーズ墓地に移され、今日に至るまでスフィンクスをかたどった霊廟(れいびょう)は文学者巡礼の旅行者にとっては欠くことのできない名所になっている。18人の監督がそれぞれのパリを描いたオムニバス映画「パリ・ジュテーム」でも、ウェス・クレイヴン監督はこの墓地を舞台に選び、ワイルドの霊廟を巡る作品を撮った。

オスカー・ワイルドの霊廟
ペール・ラシェーズ墓地にあるオスカー・ワイルドの霊廟

「ドリアングレイの肖像」や「幸福な王子」で有名なアイルランド出身のこの作家は、ダグラス卿との同性愛がきっかけとなり、刑務所での生活を余儀なくされた。失意の底に沈むワイルドは、刑期を終えた1897年にイギリスを後にした。セバスチャン・メルモスと名を変え、1900年11月30日、ボザール通り13番地にあったホテル・ダルザスで貧困のうちに息を引き取るまで3年余りをパリで過ごす。亡命以前から、ワイルドにとってパリは遠い地ではなかった。彼はフランス語で作品を残してさえいる。フランスの詩人マラルメとの出会いがワイルドをフランス語での執筆へと駆り立てたとも言われているが、そうして生まれた作品が、サラ・ベルナールの演じた戯曲「サロメ」であった。

ワイルドがパリで使っていた偽名≪メルモス≫は、血縁関係にある作家マチューリンの小説「放浪者メルモス」に由来している。その名をあえて選んだワイルドがパリの安宿で倒れたのは偶然ではなく、もしかしたら自らの人生を作品に昇華させるためには、パリが最もふさわしい場所と感じ取ったからかもしれない。


塩谷祐人(ENYA Masato):明治学院大学大学院を経て、現在パリ第VII大学に在籍。亡命文学をテーマに博士論文を準備中。

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