同時期に発生した日仏2つのジャーナリスト誘拐事件。
そこから見えてきたものは何か。(Text : Yukiko Kikuchi)
2つの誘拐事件
2010年4月1日、日本人ジャーナリストの常岡浩介さんがアフガニスタンで誘拐された。その後、反政府武装勢力の「タリバン」を名乗る犯行グループはカルザイ・アフガニスタン政権に捕まっている仲間の解放を要求し、在アフガニスタン日本大使館を脅迫する。

誘拐される6日前の3月26日、
アフガニスタンを取材中の
常岡浩介氏
同月11日、タリバンが2009年12月29日から人質として捕えている仏国営テレビのFrance3に所属するジャーナリスト2名の殺害を脅迫するビデオをインターネット上に公開した。翌日、France3はタリバンの要求に応じて、顔部分にぼかしを入れた状態でビデオを放映し、外務省とFrance3は2人の身元を明らかにする。続く13日、サルコジ大統領は「解放のために努力を惜しまない」と明言した。
フランスのマスコミや市民は支援委員会を作り、署名活動や集会などを通じて、仏政府に2人の解放交渉を進めるよう求めるキャンペーンを連日精力的に展開。一方日本では、常岡さんの誘拐に関しては当初の数日間だけ報道された後、全く報道されなくなり、常岡さんの事件に関する主だった動きは起こらなかった。国民からも忘れられつつある6月、カルザイ大統領が来日した直後の17日に「毎日新聞」が拘束されている常岡さん本人と犯行グループへの電話インタビューを行う。しかしながら、常岡さん解放への関心は再び薄れていき、9月4日に常岡さんが解放されて初めて誘拐されていたことを知った日本人も多かった。
一個人ができること
常岡さんが誘拐されていた当時パリに住んでいた私は、常岡さんのことを報道した日本の報道機関のパリ支局やパリに本部を置くNGO、国境なき記者団に何か手掛かりはないかを問い合わせた。そして、常岡さんの電話取材に成功した毎日新聞社ニューデリー支局長の栗田愼一記者を始め、常岡さんと一緒にアフガニスタンに渡航したジャーナリストやイスラム学者、常岡さんの実家に連絡を取り、情報収集と自分なりにできることを試みた。以前、チェチェンでの人道支援活動が原因となって、私がロシアで拘束、強制送還された際に、常岡さんはいち早く私に連絡を取り、マスコミへ情報を流し、可能な限り電話で話し、精神的に支えてくれた。その経験から、私は常岡さんが取ったであろうと思われることを行うことに躊躇しなかった。
「政府にはジャーナリストの解放交渉をする義務があるということを、常に国民やマスコミが政府に呼び掛けることは重要だ。しかし、常岡氏は所属する報道機関のないフリーのジャーナリストで、解放のために尽力する機関もなく、交渉に何らかの不利が生じては困るので沈黙するように日本政府が常岡さんの家族に説得している。そのため、とても複雑かつ常岡氏にとって悪条件だ」
こう指摘した国境なき記者団アジア・太平洋地域局長のヴァンサン・ブロッセルさんは、常岡さんの家族に余計な心配を掛けることなく、かつ後で交渉の邪魔をしたと日本政府に非難されないよう、私たち民間人にできることを考えた。そして、常岡さんがイスラム教徒であり、イスラム圏における戦争の悲劇を日本に伝えてきたジャーナリストであるということを犯行グループに理解させるために、イスラム教徒である犯行グループに対し常岡さんをラマダン開始前までに解放するよう手紙を書くことを私に提案した。8月、日本や外国に住むイスラム教徒94名の署名を集めた私は、国境なき記者団が翻訳した手紙と共に、現地で犯行グループと交渉を行う人たちに送った。
9月4日、常岡さんは解放された。犯行グループがタリバンではなく、カルザイ政権幹部の側近である地方軍閥であったことや、日本大使館との交渉に失敗した犯行グループがその次にはカルザイ政権にタリバンを装って脅迫していたことなどが、常岡さんによって語られた。
ジャーナリストと政府、国民の役割
解放後の常岡さんの発言によって、私たちは欧米諸国や日本などの国際社会が承認し支援しているカルザイ政権が腐敗している状況を知ることができた。常岡さんが人質に取られていた6月にはカルザイ大統領が日本に招かれ、日本政府はアフガニスタンに50億ドルの経済支援を約束している。これに対し、アフガニスタンを幾度も訪れ取材活動を続ける常岡さんは、「今やカルザイ政権の支配地域はアフガニスタンの1割強から2割弱と言われているが、日本政府はアフガニスタン政府としか対話していない。支援を受けられるのはその支配地域のみでしかない」と指摘する。フランスのように軍隊を送ってはいなくとも、カルザイ政権を承認する日本政府の経済援助が果たしてアフガニスタンの人々のために有効に使われているのか、私たちはきちんと監視し政府に働きかけていかなければならない。
9月6日、日本外務省は報道機関に退避勧告地域における取材活動を自粛するよう求める勧告を出した。常岡さんは、「外務省には邦人の保護という義務があるが、退避勧告地域で保護できないことは当然である。また自己責任ということも誘拐事件ではよく問われるが、これにも限界がある。どちらも努力目標であって、お互いが努力して補っていくべきだ」と言う。

支援委員会が作成による誘拐されたジャーナリスト、ステファン・タポニエ(左)、エルヴェ・ゲスキエール(右)両氏の解放を呼びかけるポスター。支持者は支援委員会WEBサイトよりダウンロードし、意思表示することができる。
フランス人ジャーナリストが誘拐されたのは、2005年1月にイラクでのフローランス・オブナ氏(当時「リベラシオン」紙所属)以来5年ぶりのことだ。当時、オブナ氏が誘拐される2週間前に2 人のフランス人記者が解放されたばかりだったこともあって、仏政府はジャーナリストたちにイ ラクへ行かないように忠告した。しかし、団結したジャーナリストの声明や支援委員会の設立、活発なPR 活動など、国民による熱心なオブナ氏支援に促されて、解放時にはオブナ氏をシラク大統領(当時)が軍事空港で出迎えた。仏政府は確実に国民に動かされ、姿勢を変えたのだった。
「一人は皆のために、皆は一人のために」というアレクサンドル・デュマの小説「三銃士」のダルタニアンの誓いを用いながら、ジャーナリストや政府、国民がアフガニスタンの平和のためにできることは相互努力なのだと常岡さんは説明した。アフガニスタンで最も大きな問題は「戦争が続いていることである」と言う常岡さんは、戦争を止めるために自分にできることは取材して戦争の事実を伝えることだと語る。
ジャーナリストの使命が伝えることであれば、国民にもまた知る権利や政治に参加する権利がある。イラクやアフガニスタンで仏政府や国際社会が何をしているのか、何をすべきなのかということを、国民は常に報道を通じて知ろうとしている。そして、その国民の目となり耳となって危険を冒して戦地へ赴いている伝え手であるジャーナリストの解放のために支援委員会を中心として支えているのだ。
2人のフランス人ジャーナリストが誘拐されて間もなく1年になる。11月19日にカルザイ大統領と会談したサルコジ大統領は、同月22日に人質の家族や支援委員会のメンバーと会い、今後アフガニスタンと共に開放に向けての交渉を続けていくことを伝えた。
「私たちは彼らを忘れない」というメッセージと2人の写真、入手でき得る限りの現状、そして彼らが誘拐されて何日経過したかについては支援委員会やマスコミによって毎日のようにフランス人に伝えられ、デモや支援コンサートなどのイベントは現在もフランス各地で行われている。

9月29日、フランス人ジャーナリスト2名の開放を求める集会がパリで行われ、仏国営テレビの社屋にメッセージが書かれた垂れ幕が掛けられた。

開放後の常岡浩介氏
● 常岡浩介
1969年、長崎県島原市生まれ。早稲田大学卒業後、1994年NBC長崎放送報道部記者に。1998年よりフリーランスとなる。アフガニスタン、チェチェン、イラクなどイスラム世界を中心とした戦争を取材している。著書に「ロシア 語られない戦争 チェチェン ゲリラ従軍記」(アスキー新書)がある。
2009年12月29日、France3のドキュメンタリー番組「Pièces à Conviction」の取材をしていた2人のフランス人ジャーナリストと現地アシスタントをしていた3人のアフガニスタン人およびドライバーが、アフガニスタン北東部カピサ地方で誘拐される。ドライバーは解放されたものの5人は現在も拘束中。犯行グループ、タリバンは仏政府に対して仲間である囚人の釈放を求めているが、11月23日現在、仏政府はこれに応じるという声明は出していない。5人が誘拐されてから330日を超えており、オブナ氏女史ら他のフランス人ジャーナリストが誘拐された事件に比べても長い。
有志による支援委員会WEBサイト
www.liberezles.net
● エルヴェ・ゲスキエール
(Hervé Ghesquière)1962年、リール生まれ。
● ステファン・タポニエ
(Stéphane Taponier)1962年、マルセイユ生まれ。









