第315回 高級の極み、ロンドン・メイフェアの通り(前篇)
ロンドン西部のメイフェア地区は碁盤目状の街づくりが大規模に成功した最初の例だといわれます。17世紀前半に建築家イニゴ・ジョーンズがイタリアの広場の美しさを訴えて導入しようとしても、1666年のロンドン大火の復興計画で科学者クリストファー・レンが碁盤目状の都市計画を発表しても、英国人は耳を傾けませんでした。建築家や学者が何を言っても、碁盤目状の街並みの利点を理解できていなかったからです。
メイフェアの荘厳で美しい街並み
ロンドン大火後、医者から建設業に転身して大成功したのがニコラス・バーボンです。バーボンは長らくオランダに住み、効率的な都市開発、規格化されて連続的な長屋を大量に素早く建設する手法を学びました。そして帰国後、ストランド、ソーホー、レッド・ライオン・スクエアなどに四角形の区画や直線を意識した道路網を導入し、土地利用の効率化と建設過程の簡素化を図りました。そのおかげで土地開発が急速に進みました。
ニコラス・バーボン氏
区画整理やインフラ整備が効率的という利点を、少し広いエリアに活用したのが18世紀初頭のハノーヴァー・スクエアでした。測量士のトーマス・バーロウがバーボンの手法をまねて美しい広場と邸宅街を完成させました。それを横目で見ていたのがグロヴナー家。グロヴナー家は相続と結婚によりロンドン西部に500エーカーもの土地を保有したものの、そこは近くを流れるタイバーン川がよく氾濫したために手付かずの湿地帯でした。
18世紀初頭のハノーヴァー・スクエア
そこでグロヴナー家はバーロウを所領測量士として任命し、1720年代にメイフェア地区を開拓させました。レンガで排水溝を碁盤目状に配備し、排水溝を暗渠化して道路にすると、四角形に区画化された大きな宅地がたくさんできます。この地区は当時の政治の中心地、聖ジェームズ宮殿に近かったので多くの貴族が、あるいはまた大西洋貿易で財を成した裕福な商人たちが移り住み、瞬く間にメイフェアは大邸宅街に変わりました。
湿地帯→排水溝→碁盤目の街
バーロウの街づくりが評判になったのは表通りの美しさだけではありません。華やかな高級テラス・ハウスの裏に、あえて細い裏通りを配置し、馬車小屋と馬を世話する使用人の住居を集中させたことも理由の一つでした。表通りは美しく保たれ、裏通りの物流や馬車小屋が表から姿を消しました。そして広場を四角形にして中央に円形の庭園を造ることで、視覚的な広がり、優雅な雰囲気を演出することにも成功しました。18世紀のメイフェアの一部はロンドンで最も美しい碁盤目状の街並みに変身したのです。
この通りに並んでいたのは馬小屋だった
寅七さんの動画チャンネル「ちょい深ロンドン」もお見逃しなく。



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