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Sun, 06 October 2024

インタビュー尾上菊之助
伝統の世界に生きる若き創造者

今月24日から5日間、ロンドンのバービカン劇場で歌舞伎公演が行われる。題材は、なんとシェイクスピアの喜劇「十二夜」。演出は日本の現代劇の第一人者、蜷川幸雄、演じるのは尾上菊五郎をはじめ第一線の歌舞伎俳優たち、何とも贅沢なコラボレーションだ。そしてその中核にいるのが尾上菊之助。発案者にして主役の三役を務める人気歌舞伎役者である。伝統の世界に新たな息吹を吹き込む若き挑戦者、菊之助に、歌舞伎版「十二夜」、そして歌舞伎の世界で生きることについて、聞いた。
(取材・文: 本誌編集部 村上祥子)

感じる役者に、なりたいと思います。

歌舞伎から心が離れかけていた自分

美声の持ち主である。耳の奥に心地良く響く低音が、日本と英国を結ぶ国際電話を通して、現代の若者には珍しい、礼儀正しく美しい言葉を運ぶ。自らのことを「わたくし」と呼び、「菊五郎家」「先祖」といった言葉が自然に出てくるあたり、まさしく育ちの良い、梨園(りえん)の御曹司*1である。5代目尾上(おのえ)菊之助。歌舞伎界の名跡、尾上菊五郎家の長男として誕生。6歳の初舞台以来、数々の作品を演じ続け、31歳となった現在では、若手の中でも有数の人気を誇る。歌舞伎というある意味、現代社会と隔絶された特殊な世界の中で生まれ育った彼に、2005年初演、今回のロンドン公演で3回目の上演となる歌舞伎版「十二夜」が生まれたきっかけを問うと、意外な言葉が返ってきた。

「歌舞伎というのは門閥というものが大切です。私は音羽屋*2という家に生まれ、恵まれた環境にいて、毎月良い役をいただいてはいたんですけれども、この『十二夜』をやる前、舞台に懸命になれない自分、惰性で舞台に立っている自分がいたんですね。そしてそういう自分を責め続ける時期があって。そのなかで演劇関係者の方とお話をしていくうえで、何か自分で新作をつくることができないかと思ったんです」。

ひたすらに伝統の芸を演じ続ける年月。伝統の世界に生きる現代の若者のなかに、恐らくは長い時間をかけて燻り続けた満たされない思い、それが「新作をやりたい」という形で表に出た。そして歌舞伎化するのに適した題材はないかと探しているうちに、シェイクスピアに行き着く。「歌舞伎には400年、そしてシェイクスピアにも同じく400年以上の歴史があります。色々な作品をあたっていくうちに、歌舞伎化するうえでシェイクスピアの持つ言葉の美しさであるとか、物語の持つ奥ゆかしさが、一番歌舞伎にしやすいのではないかと考えたんです」。そして数ある戯曲のなかで菊之助が最終的に選んだのが「十二夜」。海難事故に遭い、生き別れとなった双子の兄妹、セバスチャン(歌舞伎版では主膳之助)とヴァイオラ(琵琶姫)が再会するまでの道程を描いたこの作品では、自らの身を守るため、妹が男装しシザーリオ(獅子丸)と名乗り、小姓として公爵に仕える。その男女のとりかえばや物語が、女形を中心に活躍し、近年では立役(成年男子の役)もこなすようになった菊之助にとっては、何よりもしっくりくる作品だと感じたのだという。

そして04年、「十二夜」の歌舞伎化を決意した菊之助は、演出家、蜷川幸雄に話を持ち掛ける。通常、歌舞伎には演出家という役割は存在しない。先祖代々、受け継がれてきた芸を、役者たちが自らの手で練り直し、作品を完成させていくのだ。だがこのときばかりは脚本を始め、すべてがゼロからのスタートということで、「数多くのシェイクスピア作品を手掛け、古典の作品でも現代に通じるテーマを打ち出すことのできる」蜷川に作品づくりの舵取り役を託そうと考えたのだという。演出の依頼をしたのは、フランスでの歌舞伎海外公演に出演している最中。携帯電話で直接交渉を行った。しかし、そのときには一旦、答えを留保されている。

「蜷川先生は以前から、歌舞伎には手を出さない、と公言されていたんですね。ですから最初に電話したときには、『少し待ってくれ』とおっしゃいました。それから2日後に電話したんですけれども、そのときに「菊之助君と心中するつもりで歌舞伎国に留学する」とおっしゃっていただいたんです」。

やらない、と宣言していた蜷川の心を変えたものとは何だったのか。「どうなんでしょう……」と考え込んだ後、「歌舞伎が現代に生きていくためには蜷川先生のお力が必要である」と訴えた熱意が通じた結果なのではないか、と控えめな口調で自らの考えを口にした。「今まで観てくださっているお客様も大切にしつつ、新しく歌舞伎を観てくださるお客様を惹きつけるにはどうしたらよいのか」。そう考えたとき、菊之助の心に浮かんだのは「新作が必要である」という思いだった。歌舞伎から、そして演じることから心が離れ始めていた自分自身を取り戻すため、そして歌舞伎を現代に生きる芸能とするため、必死の思いで訴えた若き継承者のまっすぐな思いが、日本の現代演劇を支え続けた蜷川に届いたのだろう。

尾上菊之助

2つの伝統の融合

シェイクスピアを歌舞伎化する。それは「言語の演劇」とも言われる英国演劇の最高峰であるシェイクスピアの作品を、視覚的スペクタクルで観客を魅了する歌舞伎の世界に落とし込むという、対照的な2つの世界を融合させる難作業である。その過程では、どちらかの特徴を生かすためにもう一方の魅力を減じなければならないという苦渋の選択を迫られることもあるのではないだろうか。今回の「十二夜」制作においては何を一番重視したのか、そう尋ねると、「代表的な台詞、例えば『悲しみの柳の枝で小屋をつくり……』ですとか、欠かせないものは必ず残すようにしてシェイクスピアの原典を尊重しつつも『歌舞伎化』するということを意識しました」という応えがあった。例えば今回、菊之助は双子の兄妹の双方を一人で演じることになる。妹が男装し、別人になりすますのも含めれば、実に一人三役。また、菊之助の父、菊五郎もマルヴォーリオとフェステという、ストーリーにおいて重要な役割を担う二役を兼ねる。もちろん原作では別人として、同じ場に立つ瞬間もあるのだが、この点は歌舞伎ならではの魅力である「一人の役者が一つの作品においていくつもの役柄を演じること」「早変わり」を生かすことに重きを置いた。歌舞伎ならではのスペクタクル性をアピールするため、原作にはない場面も加えたという。

その一方で、05年の初演、07年の再演、そして今回のロンドン公演という長い月日を経たなかで、意識が変わった面もある。女形として多くの経験を積んできた菊之助ではあるが、今回演じるのは「男性を演じる女性」という、一筋縄ではいかない役だ。もともと歌舞伎の女形とは、女性の持つ女性らしさをデフォルメし、女性以上に女性の本質を体現する存在だと言われる。女形としての演じ方を重視するならば、そこにはシェイクスピアが本来意図する女性の男装とは、違った人物像が生まれることにもつながりかねない。

「05年の初演時には『歌舞伎化』するという意識が強かったんですね。なのでくっきりと区別をつけた演じ方をしていました。男と女がはっきりと分かるように。07年の再演の時には、公演の回数や経験から生まれてきたものなんでしょうけれども、はっきりとした区別というよりも、内面から出てくる心情で、時折、女が出てしまったりというように、いわば切り替えるというよりも、音量を変えるような感じで演じられるようになってきた気がするんですよね。で、今回のロンドン公演にいたっては、その部分をもっと洗練させて、男女の区別というよりも、シェイクスピアの原典に近い、思いを伝えられないヴァイオラの切なさであるとか、どんなに不遇な目に遭っても強く生きていくんだという気持ちを大事にして演じていきたいと思っています」。

今回は、シェイクスピアの魅力を再確認したうえで、これまで歌舞伎に引き付けて演じていた部分も含め、全体を再構築したという。シェイクスピア劇でもない、純粋な歌舞伎でもない。歌舞伎版「十二夜」は、そうした絶妙なバランスの上に成立する、古今日英の融合した新しい世界なのだ。

松竹歌舞伎 NINAGAWA 十二夜
男装する琵琶姫(菊之助、写真左)に恋する織笛姫(中村時蔵、同右)

「芸の伝承と、新作をつくる志」

歌舞伎の名門に生まれた役者たちは、「昔から歌舞伎が好きだったか」と尋ねられることが多いが、その答えが面白い。片や「小さな頃からとにかく芝居が好きだった」という者あり、片や「嫌で嫌で仕方がなかった」という者あり。とにかくその答えが二極化するのだ。そして子供のころは好きだった場合でも、成長するにつれ、このままで良いのか悩み、外の世界に飛び出していくケースもある。尾上菊五郎家の継承者である菊之助の場合はどうだったのだろう。

「祖父や父に対する憧れはありましたね。祖父のような役をやりたい、父のような役をやりたいと思って芝居ごっこをしたり、ビデオを観たりはしていました。でも思春期の頃は中途半端で、声変わりもあるし、お芝居に出たとしてもちょっとの役とか。そういったことで芝居に対する思いが薄れた時期もありました」。

外の世界にも目が向く思春期、やはり自分自身の境遇に悩むことがあったらしい。その時期を乗り越えるきっかけとなったのは、当時丑之助と呼ばれた彼の菊之助襲名公演だった。

「自分の転機となったのは、菊之助襲名です。学生を卒業して、全然歌舞伎の舞台に立っていなかったんですが、その際に『鏡獅子』と『弁天小僧』という大役をやらせていただいたんですね。そのときにけっこう挫折をしたんですよ(笑)。やはり歌舞伎座という舞台は歌舞伎役者にとっては特別で、2000人以上入る小屋の中、一人で主役を張るというのは、特別な力がないとできないことだなというのを感じました。あまりのできなさに、自分自身に対して嫌になったんですよね。それでこれはもっと勉強しなければならないと奮い立たされました」。

挫折した、という言葉の割に、笑いを含むその口調はあっけらかんとして、清々しささえ漂っている。約1カ月にわたる興行期間。その間、「毎日の舞台で」そうした思いを感じ続けた。そんな日々に彼を支え、歌舞伎役者として成長させたもの、それは「先祖の力」だった。役を守ってきた先祖への憧れ、そして満足な演技ができないときでも拍手を送り、励ましてくれた観客の存在と、その思い。ただ流されるように日々を過ごしていた名門の後継者が、大きな挫折を経験したことにより、芸や先達に対する尊敬の念と、観客への感謝の思いを、改めて感じることができたのだろう。

もともと幼い頃から現代劇などにも出演していた菊之助だが、最近では映画出演や声優など、さらにその活動の範囲を広げている。近年は菊之助のみならず、市川海老蔵や中村獅童など、さまざまな若手が他メディアに露出。その影響もあってか、歌舞伎が若い世代にとって身近な存在となりつつあるようだ。菊之助が積極的に歌舞伎以外のジャンルに取り組むのには、歌舞伎を一般に広めようという意図があるからなのだろうか。「若い方が観に来てくださる機会が増えているのは確か」、そう認めつつも、自分自身が映像に出るのは「俳優の勉強として」であり、あくまで「本業は歌舞伎役者」だと言う。菊之助にとって歌舞伎を世に広める手段、それは歌舞伎の世界の内側を変えることにあった。

「歌舞伎というのは確かに知識があれば深く理解することはできるんですけれども、そのために、知識がないと難しいとか、敷居が高いとか、思われがちなんですよね。だから今回のように知識がなくても楽しめる新作の歌舞伎をつくり、その結果、世の中の人に観ていただく機会が増えれば、より多くの若い世代の方にも歌舞伎に注目していただけると思うんです。芸の伝承と新作をつくる志、これらを持って日本の伝統である歌舞伎というものを知っていただく、観ていただく機会を少しでも増やしていくことが、これからの私の使命であると思っています」。

新作をつくる。簡単なことのように思えるが、伝統や家柄、礼節を重んじる歌舞伎の世界において、新たな作品を発案し、実現に至るまでの過程にはさまざまな苦労があるだろう。江戸と上方、東西で異なる演出法、化粧や衣裳により区別される様式化された役柄、そしてそれぞれの家に、細部にわたって伝えられる型 — 古く江戸時代から伝わる決まりごとを踏まえつつ、これまでも新作はつくられてきた。しかしその多くが古き日本に題材を求めたものだ。今回、一人の若手が新作を、それも国を越えた作品を生み出した。もちろん、菊之助が名門の後継だからこそ、可能になるという面もあるはずだ。しかし、自らの道に迷い、歌舞伎の行く末を憂えた若者が、新しい伝統の創造に新境地を見出し、進んでいくその姿はやはり頼もしく、こうした若者によって築かれる歌舞伎の将来に、希望を感じずにはいられない。

広い視野で歌舞伎を語り続けた菊之助に最後、一個の役者として、歌舞伎を演じるうえで何を一番大切にしているのか、聞いてみた。

「感じることですね。伝統のあるなかで、やはり決められた規定というのは継承していかなければならないし、やらなければならない台詞まわしもあるんです。ただそれは役に対するアプローチの仕方を先祖から教わっているのであって、アプローチをそのままやってはガワ(外見)だけの人間になってしまう。守りつつ、その役をどう感じて、自分のなかの言葉としてどう出せるか。感じる役者に、なりたいと思います」。

一拍置いた後、一気に言い切った。先祖代々、伝承された型を守り、後の世代に引き継ぐことを定められた者が求める、自分だけの表現方法。今を生きる若き歌舞伎役者の、何とも爽やかな決意表明だった。

*1 梨園の御曹司: 歌舞伎界の名門に生まれた子弟
*2 音羽屋: 尾上菊五郎家の屋号(歌舞伎役者が名字とは別に持つ家の称号)

5代目 尾上 菊之助
1977年8月1日生まれ、東京都出身。歌舞伎俳優の7代目尾上菊五郎を父に、女優、富司純子を母に持つ、歌舞伎界注目の若手。84年2月、6代目尾上丑之助として「絵本牛若丸」の牛若丸で初舞台を踏む。以降、数々の舞台を務め、96年5月には5代目尾上菊之助襲名公演を行い、『弁天娘女男白浪』の弁天小僧、『春輿鏡獅子』の小姓弥生などの大役を演じた。現代劇、映画など他分野への出演も多く、2005年に自らがプロデュースを手掛けた歌舞伎版「十二夜」初演において、朝日舞台芸術賞にて寺山修司賞受賞など、数々の賞を獲得した。

松竹歌舞伎
NINAGAWA 十二夜 ロンドン公演

あらすじ
琵琶姫と主膳之助という双子の兄妹が紀州沖で海難事故に遭い、琵琶姫のみが船長とともに岸にたどり着く。琵琶姫は、行方不明となった兄の身を案じつつ、自分の身を守るために「獅子丸」と名乗り、男装してその地域の領主、大篠左大臣に仕えることにする。

原作 ウィリアム・シェイクスピア
演出 蜷川幸雄
製作 松竹株式会社
日時 3月24日(火)~28日(土)19:00~
場所 Barbican Theatre
Silk Street London EC2Y 8DS
Box Office: 0845 120 7550
料金 10~40ポンド
  日本語公演(英語字幕付き)
キャスト 尾上菊五郎、尾上菊之助、ほか
 

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