日曜日には必ずお昼のミサに行く夫。
この日は17区にあるサント・マリ・デ・バティニョル教会へ行くというので、ついて行ってみました。

我が家から少し遠いこの教会にどうして行くのかと夫に尋ねると、祈るのにとてもいい雰囲気だからという返事。19世紀前半に国王シャルル10世の命で建てられたギリシャの寺院風建築の教会で、鐘楼がないのが特徴です。中に入ると、内陣と呼ばれる所にある聖母マリアの美しい像が目に飛び込んできました。

いつも遅れ気味に到着する夫は、この日もやはり遅刻。それでも恥じらいもなくズンズン前に進み、着席します。中央の祭壇に立つ神父さんはスポットライトを当てられ、一層聖なる存在に見えます。
旧約聖書から1つ、新約聖書から2つ、この選ばれた3つのテキストを基に、神父さんが魂や心が成長するような、哲学的で精神的なお説教をしてくれます。新約聖書から選ばれた2つめのマタイの福音書からの「地の塩、世の光」が、この日とても重要なお説教だったと語る夫。ミサにほとんど来たことがない私には、お説教は難しいものだという先入観があるため、そのうち教会の天井やミサに来ている人々に目移りし、注意力散漫に……。
その後、聖体拝領の儀式、コミュニオンが行われます。神父さんは象徴的にキリストの最後の晩餐を再現します。神父さんはワインとパンに祝別を与え、それを参加者に与えるのです。祝別を与えられたワイン、パン(hostie)は本物のキリストの体の一部……と言われてもピンときません。キリストの体を食べる行為は何のためか夫に問うと、「キリスト、その精神をも受け入れることなんだ。静かにしろ、シーッ!」と答えられました。

そのキリストの力、エスプリ、そして神の恩恵を与えてもらうために、夫もパンの列に並びます。神父さんの手から直接口に入れられるパンを、皆かむというより飲み込むようにしています。2ユーロコイン程の大きさのパンは無味だそうです。元の席に戻った人々は、数分思いを巡らせ、瞑想をします。普段ふざけてばかりの夫も、この瞬間は真剣な面持ち。ミサの終わりには、平和への祈りや感謝の気持ちが他のどの瞬間よりも増し、大切な時間を過ごせたと感じられるそうです。
この日の神父さんは出口でミサに参加した人々に挨拶をし、良い日曜日を過ごすようにと声を掛けていました。神父さんによれば、パリでは日曜日のミサには参加する人々はこのようにまだ多いが、田舎ではミサに参加するカトリックの人が著しく減少傾向にあるそう。この日のミサには60人くらいが来ていました。
「君と家族、そして世界中の人々のために祈った。物質的なことよりも精神的なことが大事なんだ」と語る夫。教会を出ながら「礼拝は心を清くするのだなー」と、感心していた矢先、「昼は何食べよう?」のセリフ。少し拍子抜けしましたが、一週間に一度、心をリセットすることは良いことだと思いました。









