フランス革命の進行により、パリからの脱出を試みたルイ16世は、1791年、ヴァレンヌで捕らえられ、1793年1月21日に革命広場(現コンコルド広場)でギロチンで斬首(ざんしゅ)刑に処されました。
その後、彼の胴体と首は、革命で斬首された者たちが眠るコンコルド広場近くのマドレーヌ墓地(現在のChapelle expiatoireの一角)に、特別な処置もされず無残に葬られたのです。
毎年この日、フランス各地のルイ16世にゆかりのある場所や王党派により、追悼ミサが行われます。
パリでは、革命前に王家の教会だった、ルーヴル美術館近くのSt Germain l'Auxerrois教会で、オルレアン朝支持者である王党派(オルレアニスト)によるミサが行われました。

私は王党派でもカトリックでもありませんが、毎年この行事に注目しています。
今年はフランス軍から来た司教がミサを執り行ったようです。ミサは例年のようにしめやかに進行。
しかし、ミサの後、オルレアン公、Comte de Parisの登場で様相が変わります。

カトリック信者のComte de Parisは、最初の結婚をキャンセル、つまり離婚をするためにカトリックの総本山、バチカンで大変複雑な手続きを経ました。まず、ここで多くのカトリック信者から批判が出ていました。17年間の結婚生活を無かったことにするとは、どういうことか……。夫妻が別れたのが1974年で、バチカンでキャンセルを認められたのが2009年というから、いかに難しい手続きだったかがうかがえます。
更に、同年、Comte de Parisは教会で再び結婚式を挙げたようですが、王党派は「結婚のキャンセル」と「再婚」という行為に猛反対し、再婚相手の女性がSt Germain l'Auxerrois教会の敷居をまたぐことを禁じたのです。
Comte de Paris が教会出入り禁止などに対して物申し、ミサの後教会は騒然。しかし、王党派は譲らず、結局Comte de Parisは肩を落とし、その場を立ち去りました。

王党派にとっても、オルレアン一族にとっても、今年の1月21日は特別な1日となったようです。
St Germain l'Auxerrois教会
2, pl du Louvre 75001 Paris
TEL:01 42 60 13 96
www.saintgermainauxerrois.cef.fr








