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ロンドンのゲストハウス
lun 30 mai 2016

夏のパリの公園へ行こう

夏のパリの公園へ行こう

チュイルリ-公園の大観覧車付き移動遊園地 Fête foraine des Tuileries(8月23日まで)やリュクサンブール公園を始めとする公園のキオスクイベントもお見逃しなく!公園での野外イベント情報はパリ市作成の総合パンフレットでご確認いただけます。
www.paris.fr/portail/loisirs/Portal.lut?page_id=5598

公園政策に力を入れたナポレオン三世のおかげで、パリには大小さまざまの素晴らしい公園がある。庶民的、貴族的、山野タイプと、それぞれの公園が個性的なのはさすがフランス!夏のパリ生活やパリ滞在をますます豊かに楽しく過ごすため、パリの公園5カ所とそこで行われる夏のイベントを紹介! (Texte et Photo : Akiko Grand)

parc
マリー・アントワネット御用達!麗しの庭園
Parc de Bagatelle (dans le Bois de Boulogne)

Parc de Bagatelle

ニューヨークのセントラルパークの2.5倍の広さを持つブローニュの森。この広い森の中にバガテル公園はある。義妹マリー・アントワネットとどれだけ早く作れるかを競争したアルトワ伯が、64日で建てた小さな城を持つこの庭園には、彼女も遊びに訪れた。19世紀には、トリアノン(離宮)とオランジュリー(オレンジ園)が加えられ、ナポレオン三世によって公園の面積は1.5倍に拡大。1905年にパリ市のものとなり、モネの「サンタドレスの庭」を見本とした庭園が造られた。現在は世界有数のバラ園を誇り、1907年に開始したバラ国際コンクールの開催地としても有名。

開園時間 3月1日~冬時間最終日
10月1日~夏時間最終日
9:30-18:30
夏時間開始日~ 9月30日 9:30-20:00
冬時間開始日~ 2月末日 9:30-1700
入園料 入園無料(展覧会開催期間中 5€)
住所 Bois de Boulogne 75016 Paris
(入園口 Route de Sèvres à Neuilly)
アクセス Pont de Neuilly ①、バス 43番 Bagatelle 下車
ウェブサイト www.jardins.paris.fr

Musique de Chambre à Bagatelle Orangerie :
Octuor de France

Musique de Chambre à Bagatelle 18年間バガテル公園のオランジュリーで森の室内楽コンサートを行なっている、フランス八重奏団(Octuor de France)。1988年から第一バイオリン奏者を長沼由里子が務め、クラシックから現代音楽まで、質の高い演奏を楽しめる。

16:30 の部:8月8日(日)、14日(土)、15日(日)
20:30 の部:8月12日(木)
入場料:20€ ~ 25€ 
TEL:01 42 29 07 83
www.octuordefrance.com

parc
家族ピクニックにも最適!癒やしのフラワーパーク
Parc floral de Paris (dans le Bois de Vincennes)

Parc floral de Paris

西のブローニュの森と共にパリのプモン(肺)と呼ばれる大緑地、ヴァンセンヌの森。代々王の狩り場だったパリ東部の広大な森の一角にフラワーパークはある。花々が咲き乱れ、木立と芝生の手入れが見事なこの公園は、家族ピクニックにも最適の場所。もちろん、子供向け遊具もそろっている。屋根付きのオープンイベント会場では夏の間の毎週末にクラシックコンサートが、また屋内会場では子供向けのスペクタクルが9月22日まで開催。

開園時間 1月1日~ 2月2日 9:30-17:00
2月3日~ 3月2日 9:30-18:00
3月3日~ 30日 9:30-19:00
3月31日~ 9月30日 9:30-20:00
10月1日~ 夏時間最終日 9:30-18:30
入園料 5€(7歳未満無料)
住所 Bois de Vincennes Av de la Pyramide 75021 Paris
Parc floral de Paris / Espace Delta
アクセス Château de Vincennes ①、RER A 線 Vincnnes
TEL 01 43 28 41 59
ウェブサイト www.jardins.paris.fr

Classique au vert

Classique au vertフラワーパークでの野外コンサート。牧歌的なクラシックミュージックを楽しもう!というコンセプトが年々人気を高めている。ショパンとシューマンの生誕200年を記念し、今年は才能ある若手音楽家たちによるこの2人の巨匠の作品を中心にコンサートを毎週末開催。

8月7日(土)~ 9月26日(日) 土日 16:00
入場無料(入園料のみ)
www.classiqueauvert.fr

parc
パリ最大! 科学と芸術の複合文化パーク
Parc de la Villette

Parc de la Villette

パリの北東19区にあるヴィレット公園は、パリで最も人気のあるイベント・スペースの1つでもある。かつては大規模屠殺場と肉市場だったこの土地は、ミッテラン大統領(当時)のもとに行われた「パリ大改造計画」の一環で、1984年イベントホールのオープンを皮切りに、自然と現代建築が一体となった、世界でもユニークな複合文化施設に大変身。55ヘクタールという広大な敷地に、科学博物館やコンサートホール、大展示会場などが散在。年間を通して盛りだくさんの催しは子供から大人までがたっぷり楽しめる。野外映画祭やジャズフェスティバルなど野外イベントの多くは、大展示会場の右手にある三角形の芝生広場で開催。

入園料 無料
住所 211, av Jean-Jaurès 75019 Paris
アクセス Porte de Pantin ⑤
TEL 01 40 03 75 75
ウェブサイト www.villette.com

Cinéma en plain Air

Cinéma en plain Air毎年恒例の野外映画祭。20年目を記念する今年のテーマは「20歳」。映画祭のゴッド・マザーに女優サンドリン・ボナールを迎え、新旧世界中の選りすぐりの青春映画を連夜星空の下上映する。ひんやりとした芝生、さわやかな夜気、ゆったりデッキチェアでの映画観賞はヴィレット公園ならでは。

8月22日(日)まで
日没後上映開始、月休
入場無料(デッキチェアと毛布貸し出し:7€)
TEL:01 40 03 75 89

parc
山あり谷あり! 都会の大自然パーク
Parc des Buttes-Chaumont

Parc des Buttes-Chaumont

パリの市内で、モンマルトルの丘と並ぶこの小高い土地は、フランス革命まで刑場があった所。ナポレオン三世の政策によって生まれた公園としてのビュット・ショ-モンの歴史は、1867年に始まる。24.7ヘクタールを有し、パリで最多種の野鳥が生息するこの大公園には、山あり、谷あり、つり橋やせせらぎもあり、パリ市内とは思えないほどのアミューズメント的な自然を味わえる。小さな子供用の遊具も備えており、都会に暮らす庶民の最高 の憩いの場の1つとなっている。

開園時間 5月1日~ 8月31日 7:00-22:00
9月 7:00-20:00
10月1日~ 4月30日 7:00-20:00
入園料 無料
住所 Pl Armand-Carrel,
le Parc des Buttes-Chaumont 75019 Paris
アクセス Botzaris ⑦ bis、Buttes Chaumont ⑦ bis、Laumière ⑤
TEL 09 53 94 75 67
ウェブサイト www.jardins.paris.fr

Festival Silhouette 2010

Festival Silhouette 20109回目を迎えるパリで唯一の野外短編映画祭。フィクション、アニメ、ドキュメンタリーなど、あらゆる国の個性あふれる短編映画を上映。上映に先立ち、ロックやシャンソン、サンバなど多彩なレパートリーの野外コンサートも行われる。

8月28日(土)~ 9月5日(日)
野外コンサート 19:30、短編映画上映 21:00(日没後)
入場無料
www.association-silhouette.com

parc
世界最大の気球が目印! 未来派パーク
Parc André Citroën

Parc André Citroën

パリ15区の西南、セ-ヌ川沿いに浮かぶ大気球。フランス大統領専用車や今もファンの絶えないドゥシュボーを作り続けた自動車メーカー、シトロエンの工場跡地が、1992年、アンドレ・シトロエン公園となった。典型的な1990年代の未来派様式の公園には、乗船できる大気球や水遊びできるモダンな噴水、総ガラス張りの温室植物園などがあり、科学技術に対する姿勢は工場時代と変わらず、大人にも子供にも新発見の楽しみがあふれている。

開園時間 冬時間開始日~ 2月末日 8:00-17:45
3月1日~冬時間最終日 8:00-19:00
夏時間開始日~ 4月30日・9月 8:00-20:30
5月1日~ 8月31日 8:00-21:30
10月1日~夏時間終了日 8:00-19:30
(いずれも土日祝 9:00-)  
入園料 無料
住所 Quai André Citroën 75015 Paris
アクセス Javel André Citroën ⑩、Balard ⑧

Ballon Air de Paris

Ballon Air de Paris2008年にこの地に固定された気球は、高さ32m、直径22mで世界最大。150mまで昇る空中テラスから見る360度方位のパリの眺望は一見の価値あり。大気球は赤、青、オレンジの色分けによって大気汚染度を知らせる観測船の役目も果たしている。

乗船料:平日 10€、土日祝 12€(3 ~11歳 半額)
*付き添いの大人1人(有料)につき子供2人(パリ在住12歳未満)まで無料(年令証明書・パリ住居証明書を提示)
*気球乗船時間:9時から閉園時間30分前まで。天候が良ければ20分ごとに乗船。滞空時間は10分間。(ただし、当日気球に乗船できるかどうかは天候次第。天候が不安定な時は要問い合せ)
TEL:01 44 26 20 00
www.ballondeparis.com

 

アムールの国の国際結婚・離婚

アムールの国の国際結婚・離婚

年々増加している日仏カップルの結婚と離婚。その実態に迫る。
(Texte : Kei Okishima)

「アムールの国」の背景

そもそも、なぜフランスは「アムール(愛)の国」なのだろう?フランスの歴史をたどっていくと、洗練された文化を築くのに恋愛が一役買っていた時代に行き当たる。12世紀、トゥルバドゥールと呼ばれた叙情詩人たちの時代だ。彼らの詩のテーマは、領主の妻など既婚女性へのかなわぬ恋。これは後に騎士道恋愛(宮廷風恋愛)と名付けられ、騎士は身分の高い女性に恋する中で、その婦人に値する人間になろうと内面を磨き、深い知性と高貴な立ち振る舞いを身に付けた。

その後17世紀の宮廷社会でも、既婚の貴婦人たちは夫以外の男性と恋に落ちるのが常であり、恋愛は宮廷文化の重要な位置を占めた。婦人たちをより美しくみせる装飾品、男女の会話をより豊かにする教養、社交の場に欠かせない豪華な食事など、すべて宮廷社会から生まれた。現在フランス文化としてもてはやされているおしゃれなものは、この時に生み出されたもの。アムールの国フランスには、日本では考えられない恋愛の歴史が根付いていたのだ。

「アムール」と「愛」は同じ?

では、現代フランス人はどんな恋愛観を持っているのか。フランス語のamour は、日本語に訳すと「愛」。しかし、この言葉の間に温度差があるような気がしてならない。

「昨日まで、人前でも『愛している』と言ってベタベタしていたカップルが、次の日には『もう好きじゃない』と言う姿をよく見る。日本人からすると、それは愛じゃないのではないか、と感じる」と語るのは、フランス人との離婚を経験した日本人女性。

特に夫婦や家族間において、日本の「愛」は情に似た貢献的な愛情であり、必ずしも「恋」の要素を必要としない。しかしフランスで「アムール」は相手を思う、燃えるような感情を持つ。この感覚が人生にとって大切であり、それによって自分を高めていく。中世の騎士道恋愛的要素が含まれているのだ。

離婚後子供を引き取った彼女は言う。「離婚後、元夫の兄弟に会うと、必ず新しい恋の状況を聞かれる。息子と一緒にいるだけで幸せだから、新しい恋をする気はないと言うと、けげんな顔をされる」。当然のごとく、元夫には新しい恋人ができているという。

フランス人は個人主義と言われるが、これは決して1人でいることを意味しない。他に流されない自分の意見を持ち、他人に依存せずに自立した生活のできる人であることが、個人主義の大前提。そしてその個人は、もう1人の自立した個人を常に必要としている。

子供に対する接し方も、日本とフランスでは大きく異なる。日本の子育ては、「川の字」になって寝る姿に象徴されるように、子供が夫婦の間に入り、家庭の中心となる。一方フランスでは、赤ん坊の頃から「自立」を求め、一人部屋で寝る練習をさせる。また、生まれたばかりの赤ん坊をベビーシッターに預けて2人で出掛けるなど、夫婦の時間を大切にする。逆にこの夫婦の時間が保たれなくなると、日本人が想像する以上にそれを苦痛に感じるのが現実のようだ。日本人女性と離婚したフランス人男性は、「子供が生まれてから、僕は妻の2番目の存在、給料を家に持ってくるだけの存在になった気がした」と語る。

主婦の座がないフランス

国際結婚子供がいてもパートナーであることを望むフランス文化の中で、なかなか理解されないのが「専業主婦」である。日本では家計を預かり、子供の教育も担当する「主婦」という座が確立されている。しかしフランス人を夫にもつ日本人女性は「初対面のフランス人女性に仕事を聞かれ、『主婦』と答えると必ず不満顔される」と言う。

フランスの恋愛論を説いた「フランスには、なぜ恋愛スキャンダルがないのか?」(棚沢直子、草野いづみ著)の中で、フランスで「母性」という言葉が日本のような意味を持たないことが指摘されている。それによると、父権的なキリスト教が支配権を握った西欧では、「母なる大地」たるものの権威が消し去られ、「母の権威が失墜している伝統のもとでは、母であることは女が生きる拠り所にはならない」としている。

以前、フランス人の友人が「(生後まもない)子供を実家に預けてだんなと旅行に行くために母乳を止めた」と言い、驚いたことがある。日本では可能な限り母乳で育てるように推進されていることを話すと、「だから出生率が上がらないのよ」と呆れられた。あくまでも自分の人生を効率的に生き、子供のために自分の楽しみを犠牲にしない。そんな母親の姿があった。

以心伝心はあり得ない

フランス人をパートナーに持つ日本人が口をそろえて言うのが「ここまで言わなくちゃ分からないのか」と思う瞬間と、「ここまで言うか」と傷つく回数の多さについて。逆にフランス人に言わせると、「フランス人はもっと素直で嘘をつかない。日本人のパートナーが怒りをため込んでいても、爆発するまで気が付けない」そうだ。

そもそも、日本語自体が相手の気持ちを考え、気持ちを察することを訓練させている。特別に意識せずとも幼い頃から言葉を選び、相手を傷つけないことが美徳と考える日本人。それに対しフランス人は、知的な議論の場であったサロンの文化を持ち、自分の意見をはっきりと持ち発言することが大切だと教え込まれている。互いを理解するには、相手の言語と文化を知り、理解する努力が必要だ。

もうひとつのフランス的結婚のかたち

連帯市民協約(PACS)とは、異性・同性問わず、共同生活をしようとする2人の成人が結ぶ契約のことで、1999年に施行された。それまでにも結婚をせずとも法律的に認知された形で共同生活を送ることができるConcubinage(同せい)という選択肢はあったが、これは同性のカップルには認められていなかった。そのためPACSによって、同性愛者にも法的に認められた共同生活の形が広がった。結婚との最大の違いは、離婚に当たる契約解消手続きの容易さにある。離婚と違い、理由を問わず一方からの契約解除申請が可能だ。他にも、カップルの子として養子縁組ができないという違いはあるが、社会保障や共有課税などの優遇処置は結婚と同様。手続きは簡単で、2人の署名が入った契約書、未婚証明書、出生証明書を裁判所に提出し、認められれば成立する。

フランス国立統計経済研究所(INSEE)によると、成立してからのこの10年間で交わされたPACSの件数は、約70万件にも及ぶ。結婚よりもPACSを選択するカップルは年々増加し、2008年は前年度比40%増、2009年はさらに20%増となっている。

どちらの国の法律で離婚するか

国際離婚の場合、基本的に夫婦が離婚時に住んでいる国の法律が適用される。一人息子をフランスで育てる日本人女性Aさんは、イギリスでフランス人男性と結婚し、フランス、日本での生活を経て日本で離婚した。手続きは、「日本式で離婚したので“紙一枚”」だった。しかしその後フランスに戻ったAさんは、フランスで裁判をする。養育費などの権利をきちんと定めておいた方が良い、という周囲のアドバイスを受けてのことだった。

フランスと日本の離婚手続きは異なる。日本の場合、両者が離婚に同意している協議離婚の場合は役所に離婚届を提出するだけで離婚が成立する。しかしフランスでは、協議離婚でさえも弁護士を立て、裁判官による審理が必要だ。「フィガロ」紙によれば、平均で約4カ月、費用が600~2000ユー ロ掛かるという。

メリットもある。裁判所が間に入るため、監視権や養育費の権利内容が離婚協議書内で確定しており、離婚後に養育費滞納などのトラブルが生じたときに解決を図りやすい。逆に日本で同様の問題が起きたとき、口約束で“紙一枚離婚”した場合には、家庭裁判所に調停を申し立て、裁判官関与の下、解決を図るしかない。Aさんが日本で離婚したにも関わらず、フランスで裁判を起こした理由はここにある。

親権に関する大きな違い

「日仏カップルで離婚するなら、フランスの法律で離婚することを勧める」と言うフランス人男性Bさんは、日本で結婚し、日本の法律で離婚した。Bさんが現在抱える最大の問題は、一人娘との面会権だ。

子供の親権問題は、フランスと日本の離婚で大きく異なる。親権を母親か父親の一方に定めなくてはならない日本に対し、フランスでは両親の共同親権が原則。片方の親が子供と共に住める監護権を持ち、もう片方が定期的に子供と会える面会権を得る。しかし日本で離婚したBさんには親権がない。親権を持った元妻は、毎回なんらかの理由をつけ娘を会わせようとせず、ある時からBさんの連絡を完全に無視するようになった。その後の働き掛けにより連絡は取れたものの、離婚時には自ら拒否した養育費の要求や、面会の条件を一方的に突き付けられた。フランスのように法的な効力を持つ離婚協定書がないため、「何を今さら」と思いながらも身動きが取れない日々を嘆く。「確かに良い夫ではなかったかもしれない。しかし良い父親であったことには間違いない」。

夫の暴力が原因で離婚した実の妹と比較し、「フランスでは妻に暴力を振るった夫でも、子供に危害を加えなければ、面会権が得られる。なぜ自分が娘に会えないのか、余計に辛くなる」と打ち明ける。Bさんは娘に会える可能性が少しでも高い日本を離れられず、1人日本で娘との再会できる日を待ち続ける。

国境を越えた離婚は、その後生じる問題をより複雑にする。国際離婚の場合には特に将来起こり得る問題を予測する必要があり、権利を法的に確定しておくことが重要だ。

子供を連れて帰れない日本人

親権フランスの法律で離婚した日本人はどうだろうか。子供の親権は両方の親が持ち、外国人である日本人でも監護権を得ることは十分可能だ。ただしそれは、子供を育てられるだけの十分な経済的保障を示せ、離婚後もフランスに留まる場合である。フランスの裁判所は、フランスで育った子供にとって最良の選択は、同じ環境で生活し続けることだという判断を下す傾向があり、子供を連れて日本へ帰ることを認めないケースが目立つ。しかし現実は、フランス人のパートナーを失った日本人にとって、1人海外で子供を育てるのは容易ではない。まして、それまで専業主婦だった人や、フランスでの経済基盤を築けない人にとって、子供を連れて日本へ帰り、母国で一からやり直したいと考えるのは当然とも言える。これが子供の「連れ去り問題」を引き起こし、現在「国際的な子の奪取の民事面に関するハーグ条約」への加盟要請が各国からなされている。この条約は、離婚した夫婦の一方が親権を持つ他方の親に無断で自国へ連れ帰った場合に、元の国へ戻す手続きを規定したもの。ほとんどの先進主要国で批准されているが、日本はしていない。日本人でも、外国人の配偶者に無断で子供を連れ去られる被害に遭い、ハーグ条約加盟を求める声がある一方で、家庭内暴力など、連れ去らざるを得ない状況にある人に対する解決策、支援策はあるのか、そんな声も無視できない。日本の外務省はハーグ条約締結の可能性について検討を進める中で、国境を越えた子供の移動に関する問題について意見を募集している。当事者にしか見えない問題があるはずなので、条約が終結される前に意見がある人は述べてみてはどうだろうか。

外務省「国際的な子の奪取の民事面に関する条約(ハーグ条約)」に関するアンケートの実施について
www.mofa.go.jp/mofaj/press/event/ko_haag.html

経済的基盤が保障され、フランスに留まり子育てをすることができたとしても、親権が両者にある以上、面会や子供の進路など、何かと元妻・元夫と連絡を取り合わなければならない。相手が別の交際相手を見つけることも、この国では当たり前のこと。異文化の問題を乗り越えて幸せになるには、これらの「起こり得る」問題を念頭に置き、解決策を事前に見出しておく必要がありそうだ。

離婚手続き・親権に関する日仏比較(協議離婚の場合)

  日本日本 フランスフランス
離婚成立にかかる時間(2人の意思が固まってから) 最短1日
(離婚届提出のみ)
平均4カ月
離婚費用 弁護士を雇わない場合、無料 600~2000€(平均)
離婚協議書の作成 弁護士と相談の上作成可能。証拠書類としてのみ法的効力を持つ。 作成が義務。法的効力を持ち、養育費滞納の場合は給料差し押さえなどの処置が可能。
親権 片親どちらか 両親

結婚・離婚にみる日仏比較

JAPAN日本の結婚総数における国際結婚率

日本の結婚総数における国際結婚率

Franceフランスの結婚総数における国際結婚率

フランスの結婚総数における国際結婚率

JAPAN日本の離婚総数における国際離婚率

日本の離婚総数における国際離婚率

Franceフランスにおける離婚件数

フランスにおける離婚件数

日本在仏日本大使館にて受理された婚姻・離婚件数 (2008年)

在仏日本大使館にて受理された婚姻・離婚件数

家族や夫婦間でのトラブルに関する相談所(無料、要予約)
Service de médiation et de consultation familiales
47, rue Archereau 75019 Paris
TEL : 01 40 38 63 95

権利に関する対応
PAD Les Point d'accès au droit
13, pl de Vénétie 75013 paris
TEL : 01 55 78 20 56
他、各都市にあり

法律に関する対応
Maison de la Justice et du Droit
vosdroits.service-public.fr/F1847.xhtml
最寄のセンターを検索できる

フランスでの結婚・離婚の手続きや必要書類については、在フランス日本国大使館ホームページに詳細が記載されています。
www.fr.emb-japan.go.jp

 

鉄道で巡るブリュッセル・ケルンの旅

鉄道で巡るブリュッセル・ケルンの旅

鉄道に揺られながら国境を越えて旅するのは、ヨーロッパに暮らすだいご味の1つ。フランス、ドイツの「ニュースダイジェスト」編集部が、ガイドブックには載っていない、地元目線のお薦めスポットを紹介します。より速く、より快適に生まれ変わった国際高速列車タリスを利用して、ちょっと隣りの国まで小旅行に出掛けてみませんか。

ブリュッセル・パリ・ケルンの地図

Thalysタリスで快適、列車の旅

タリス(Thalys)は、フランス、ベルギー、ドイツ、オランダの15の主要都市を結ぶ高速列車。印象的なワインレッドのボディーが時速300キロのスピードで各都市を駆け抜ける。2009年より、人体工学に基づいた座席の改良、電源の配備、食事サービスの改善、乗務員の新しいユニフォームなど、より快適で美しい列車を目指して完全リニューアルを進めている。

乗車時間

パリ・北駅―ケルン・中央駅:3時間14分
パリ・北駅―ブリュッセル駅:1時間20分

料 金

サマーキャンペーン実施中
期間中(7月5日~8月27日)は、パリからケルンまで29ユーロ~、ブリュッセルまでなら25ユーロ~で片道チケットを購入できる。

通常料金( HI - LIFE )

パリ―ケルン:165€(1等席)、105€(2等席)
パリ―ブリュッセル:138€(1等席)、88€(2 等席)

割引料金( Opti Way )

パリ―ケルン:91 ~ 124€(1等席)、53 ~ 87€(2等席)
パリ―ブリュッセル:76 ~ 104€(1等席)、44 ~ 73€(2等席)

早割り料金( Smoove )

パリ―ケルン:69€(1等席)、29 ~ 39€(2等席)
パリ―ブリュッセル:59€(1等席)、25 ~ 30€(2等席)

(2010年6月21日現在)

時刻表やチケットのオンライン予約などの詳細は、公式サイトにてご確認ください。
www.thalys.com

ブリュッセル

文化の融合で形成された、ユニークなベルギーを堪能

さまざまな国の支配を受けたベルギーは、他国の風習を取り込み、自国の文化と掛け合わせて進化を遂げてきた。そのため、伝統を守りつつも新しいものも取り入れる、これがベルギーのスタンス。こうして“品種改良”された文化の種は、シュルレアリスムの天才画家、ルネ・マグリットのような、一風変わった花を咲かせた。今日でもデザイナーがアトリエを構えるダンサール通りを散歩していると、一枚の服でさまざまな着こなしが楽しめそうなY-dress? など、斬新なデザインのブランドを見つけることができる。

ベルギー人のユニークさはビールにも見られる。スパイス、ハーブ、フルーツなどを使用し、自由な発想で造られるビールの銘柄は実に800種類。自然酵母で発酵させた酸味の強いランビック・ビールは、ブリュッセルのカフェやバーでよく飲まれる もの。中でもお薦めは「Mort Subite(突然死)」という銘柄を樽出しで飲めるカフェ・ バー、その名もA la Mort Subite。店名とは裏腹に、アールデコ調の美しい店内が、ビールを一層おいしくしてくれる。

グラン・プラスBelga Queen は、伝統とモダンを掛け合わせるのが上手なベルギーを象徴したレストラン。18世紀に建てられ、銀行として使われていたという厳格で豪華な建物は、モダンなレストランに変身。ベルギーの食材をおしゃれに調理した料理が楽しめる。

今年は、ブリュッセルの中心地グラン・プラス(写真右)に2年に一度、花のカー ペットが敷かれるTapis de fleurs の年。この夏、ブリュッセルは一段と華やかになりそうだ。

(Texte : Kei Okishima)

・Musée René Magritte (マグリット美術館) アート

マグリット美術館火~ 日 10:00-17:00(水20:00 まで)、月休 
入場料:8€
1, pl Royale 1000 Bruxelles
M: Gare Centrale ①⑤
TEL: +32(0) 02 508 32 11
www.musee-magritte-museum.be

・Y-dress? ファッション

Y-dress? 火~土 12:00-19:00、日月休
102, rue Antoine Dansaert 1000 Bruxelles
M: Bourse ③④
TEL: +32(0) 02 502 69 81
www.ydress.com

・A la Mort Subite カフェ・バー

A la Mort Subite 月~土 11:00-25:00、日12:00- 23:00
7, rue Montagne aux Herbes Potagères 1000 Bruxelles
M: Gare Centrale、De Brouckère ①⑤
TEL: +32(0) 02 513 13 18
www.alamortsubite.com

・Belga Queen レストラン

月~日 12:00-14:30 / 19:00-24:00
32, rue du Fossé aux Loups 1000 Bruxelles
M: De Brouckère ①⑤
TEL: 02 217 21 87
www.belgaqueen.be

・Boutique Neuhaus お土産(チョコレート)

Boutique Neuhaus月~土 9:00-23:00、 日10:00-23:00
27, Grand Place 1000 Bruxelles
M: Gare Centrale ①⑤
TEL: +32(0) 02 514 28 50
www.neuhaus.be

・Tapis de fleurs イベント

8月13日(金)~ 15日(日) 9:00-23:00 
入場料:3€
Grand Place 1000 Bruxelles
M: Gare Centrale ①⑤
www.flowercarpet.be

ベルギー観光局  www.belgium-travel.jp

ケルン

ライン川を望む文化の中心地

カーニバルとビールとサッカーの街。ゲルマン魂の熱い鼓動が聞こえてくるケルンから、ドイツらしさを存分に楽む旅のススメ。

Peters Brauhaus旧市街の息吹とケルンの味を
Peters Brauhaus

ケルン中央駅に到着したら、すぐに目に飛び込んでくるのが世界遺産の大聖堂。その南側には中世の面影を残す旧市街が。まずは1544年からビールを醸造し続けているペーター醸造所で1杯いただきましょう。もちろんケルンの地ビール、ケルシュ(Kölsch)で乾杯!

Mühlengasse 1, 50667 Köln
TEL: +49 (0)221 - 2573950
11:00-24:30( ラストオーダー24:00 )
www.peters-brauhaus.de

ビールと料理ソーセージ、豚肉、ジャガイモ料理など、定番のドイツ料理はもちろん、ケルンの伝統的な食文化を伝える当店は、他では食べられない郷土料理も充実しているよ。

(写真左)ペーター醸造所のオリジナル・ケルシュビール。(右)ケルンのキャビアと呼ばれている血のソーセージ。


ドイツのビアガーデン青空の下で飲むビール
Biergarten Aachener Weiher

ドイツには「何もしないぜいたく」を知っている人が多い。ビアガーデンでじっくり、のんびりビールを味わう。つまみは、照り付ける太陽と陽気な笑顔。これ以上の幸せってあるかい?そんなドイツの夏の何気ない日常を味わえる格好のスポットがビアガーデンだ。

Richard-Wagner-Straße, 50674 Köln
TEL: +49 (0)221-5000614
11:00-24:00
www.biergarten-aachenerweiher.de

ビールと料理ポメス(フライドポテト)やカリーヴルスト(カレー粉がかかったソーセージ)からシュニッツェルまで、お手頃価格で食事も楽しめます。

(写真左)ここでは、「Gaffel」というケルシュが飲める。(右)カリーヴルスト(3.20ユーロ)


Bäckerei Balkhausenドイツパンのうまみを実感
Bäckerei Balkhausen

パンの種類の豊富さは世界一!と言われるドイツ。腕利きのパン職人がしのぎを削るケルンで、味にうるさい地元っ子の信頼を集めているのがこのお店。噛み締めるほどに実感できる手作りならではの良質なパンのうまみが人気の秘訣。ケーキの美味しさにも定評がある。

Apostelnstraße 27, 50667 Köln
TEL: +49 (0)221-2570264
6:30-19:00、木-20:00、土-18:00 日曜定休日

パンレーズンパン(Rosinenbrötchen)や、ずっしりと重い全粒穀物パン(Vollkorn- Roggenbrot)が特に人気。迷ったときは店員さんに希望を伝えて。彼らはパンのプロフェッショナル。

パンの博物館のように、所狭しとパンが並んでいる。焼きたてを狙うなら午前中に買いに行こう。


Trippen体に良い靴、履いていますか?
Trippen

1992年にデザイナーのアンジェラ・シュピーツとミヒャエル・エーラーによって設立されたトリッペン。足の健康と靴作りが密接な関係を持つドイツの職人ならではの、履き心地へのこだわりと、ヴォルフガング・ヨープやクラウディア・スコダなどをうならせるデザイン性が特徴。

Flandrische Straße 10a, 50674 Köln
TEL: +49 (0)221-45318645
11:00-19:00 、日休
www.trippen.com

Trippenそれぞれのお客様の「お気に入りの一足」を作り出すことが Trippen の願い。長いお付き合いをしていただけるよう、素材には特にこだわっています。

試着の際は、かかと&つま先のフィット感に注目。同社のインソールへのこだわりが実感できるはず。


この夏のおすすめイベント!

・Kölner Lichter

ケルンの街を華麗に彩る花火と音楽の饗宴。ライン川沿いにはイベント用特設ステージや屋台が軒を連ねる。ライン川下りとセットのクルージング・プランがオススメ。水上から花火を楽しめば、感動も倍増するはず。

7月17日(土)
14:00 イベント開始
23:30花火の打ち上げ開始
am Kölner Rheinufer, 50679 Köln
入場無料
www.koelner-lichter.de


・Ballonfestival

60個の気球が一同に集まるバルーン・フェスティバル。今年、ケルンで初開催される同フェスティバルでは、家族みんなが楽しめる体験型のイベントが盛りだくさん。気球に乗って空からの景色を楽しんだり、夜は幻想的なライトアップも。

8月20日(金)~ 22日(日)
金14:00、土12:00、日11:00
Jahnwiesen, 50933 Köln
(サッカースタジアムRheinenergie-Stadion近く)
入場無料
www.koelner-ballonfestival.de

・Gamescom

ケルンで昨年から始まったゲームイベント。あまりの反響の大きさから一躍世界一の名を与えられた。今年も、ソニーや任天堂を始め世界各国から最新のゲーム機やソフトが集まり、いち早く体験できる。

8月19日(木)~ 22日(日)
Koelnmesse, 50679 Köln
1日券: 10 ~ 13.50€(割引6 ~ 9€)
www.gamescom.de

・Picknick im Schlosspark

ケルン郊外にたたずむ古城ホテル、レーバッハ。同ホテル自慢の三ツ星レストランが、各シーズンごとに企画するイベントの1つ。レストランと変わらぬ味を、ちょっと趣向を変えて古城ホテルでピクニックしながらいただける。

8月31日(火)まで
Schlosshotel Lerbach
Lerbacher Weg, 51465 Bergisch Gladbach
TEL: +49 (0) 2202-2040
料金: 52 ~ 72€
www.schlosshotel-lerbach.com

 

音楽祭 Fête de la Musique 2010

Fête de la Musique 2010

年に一度行われる、最大の音楽イベントFête de la Musique。1982年に誕生したこの音楽祭は、プロ・アマ、屋内・屋外関係なく、音楽を演奏する場を提供することを目的に生まれ、今や110ヵ国以上250もの都市で開催されている。29回目を迎える今年のテーマは「音楽と女性」。普段はコンサートなど行われることのない施設や美術館などでもさまざまな音楽イベントが目白押し。パリ市内で行われる中から編集部おすすめのイベントを地区ごとに紹介!
( 本誌編集部)

Fête de la Musique 2010 Map

※ 掲載データは6月10日現在のものです。予告無く内容が変更される場合がありますので、公式サイトにて詳細をご確認の上お出掛け下さい。

音楽祭公式サイト: www.fetedelamusique.culture.fr

交通情報
stif(イル・ド・フランス交通連合)は、6月21日17時から22日7時まで、イル・ド・フランス内のバス、電車に乗り放題のチケットを3€で発売する他、一部地下鉄、バス、RERは深夜運行を予定。
* 運行路線や運行状況などの詳細については、stif 公式サイトにてご確認下さい。 www.stif.info

map 1シャトレ〜レアール

ジャズのライブハウスがひしめくロンバール通りでは、女性ミュージシャンによるジャズコンサートが多数開催。一方、ルーブル美術館では22時からピラミッドの下でパリ交響楽団のコンサートが行われる。

jazzジャズ

Sweet System
Sweet Systemフランス人女性ジャズ・ボーカルトリオ、スイート・システムによるコンサートを楽しめる。

20:00/22:00
入場料:10€
Duc des Lombards
42, rue des Lombards, 75001 Paris
M:Châtelet ①④⑦⑪⑭、RER ABD 線 Châtelet-Les Halles
www.ducdeslombards.com

jazzジャズ

La nuit du Jazz au Féminin
2人の女性サックス奏者中心のコンサートを開催。地上階サンサイドでは、リサ・キャット・ベッロのカルテットが、地下サンセットでテュリラがジャズ演奏を披露。

20:30 (Lisa CAT-BERRO Quartet) / 21:30 (TULLIA Sex tet)
入場無料
Sunset-Sunside Jazz Club
60, rue des Lombards 75001 Paris
M:Châtelet ①④⑦⑪⑭、RER ABD 線 Châtelet-Les Halles
www.sunset-sunside.com

worldワールドミュージック(日本)

Jelly Beans, Asuka from Tenchigaraku
Jelly Beansドイツやフランス を中心に活躍する 日本人デュオ、ジェリービーンズの有希 と、雅楽や神楽を 取り入れたバンド、 天地雅楽の明日香によるジョイント・ コンサート。

18:00-22:00
入場無料
Place Sainte Opportune
Pl Sainte Oppor tune 75001 Paris
M:Châtelet ①④⑦⑪⑭、RER ABD 線 Châtelet-Les Halles

map 2マレ~パリ市庁舎

各国の文化施設が並ぶマレ地区。各文化施設で、その国の特色を生かした音楽イベントが多数予定。パリ3区区役所では19時からサンバ&レゲエコンサートや、メキシコ人ギタリスト、パコ・レンテリアの演奏も楽しめる。

worldワールドミュージック(スウェーデン)

Fête de la musique à l'Institut Suédois
スウェーデンの伝統ダンスや、同国出身の人気歌手、アンナ=ボン・ハウスウォルフのトリオによるコンサートなどを開催。

Fête de la musique à l'Institut Suédois18:30 /入場無料
Institut suédois
11, rue Payenne 75003 Paris
M:Saint-Paul ①
www.si.se/Paris/Français

worldワールドミュージック(セルビア)

Balkan Omnibus, E Play, Lutke, Zetod
セルビア出身のアーティストを始め計4組のアーティストを招待し、オムニバスコンサートを開催。ジャズやエレクトロ・ロックの演奏を楽しめる。

18:00 /入場無料
Centre Culturel de Serbie
123, rue Saint-Mar tin 75004 Paris
M:Rambuteau ⑪
www.ccserbie.com

Classicクラシック

Trio Estampe
今年の音楽祭のテーマである女性ミュージシャンに合わせて演奏はすべて女性アーティストによるもの。伊藤あさぎ、近藤ともこ、徳田麻里も参加。

20:00 /入場無料
Cité Internationale des Arts
18, rue de l'Hôtel de Ville 75004 Paris
M:Pont Marie ⑦

map 3カルチエ・ラタン

ワールドミュージックのイベントが多数開催。中でもリュクサンブール公園では、公園の西側と東側で2種類のコンサートが同時に行われる。東側ではコロンビア、ブラジル、アルゼンチンなどラテンアメリカ、カリブ各国の音楽を、西側ではフランスの地方音楽やダンス・ショーをそれぞれ14時半から開催。

worldワールドミュージック(アイルランド)

Kila
Kilaケルト音楽をベースにした曲をアイルランドの土着言語ゲール語で歌うアイルランド民族音楽グループ、キラによるコンサート。

19:30 /入場無料
Centre Culturel Irlandais
5, rue des Irlandais 75005 Paris
M:Place Monge ⑦
www.centreculturelirlandais.com

worldワールドミュージック(インド)

Ragâ du soir
Ragâ du soirインドラジット、スブラータ、スディプタら、インド人ミュージシャンによる、インド音楽の典型ともいわれるラーガを堪能できる。

20:00 /入場無料
Collège des Bernardins
18-24, rue de Poissy 75005 Paris
M:Cardinal Lemoine ⑩

map 4オデオン~サンジェルマン

ボンマルシェに近いシェルシュ・ミディ通りでは、17時から19時まで音楽学校Melodie 7による催しが予定されている。また、オルセー美術館では20時からラジオフランス聖歌隊とフィルハーモニーオーケストラによるコンサートも。

worldワールドミュージック(ハンガリー)

Fête de la musique Place Saint Sulpice
ハンガリー会館主催のコンサート。同国出身の歌手、タカーチュ・エステルやハンガリーの人気DJ、DJブースティーが出演。

18:30-00:00 /入場無料
Place Saint Sulpice
Pl Saint Sulpice 75006 Paris
M:Saint-Sulpice ④

worldジャズ/クラシック

Mário Bihári et Bachtale Apsa
Mário Bihári et Bachtale Apsaスロバキア出身の著名アコーディオン奏者、マリオ・ビハリ率いるバンド、バシュタル・アプサによるジャズ・クラシックコンサート。

20:00 /入場無料
Centre Culturel Tchèque
18, rue Bonapar te 75006 Paris
M:Saint- Germain- des-Prés ④、Mabillon ⑩
www.czechcenters.cz/paris

worldワールドミュージック(ラテン)

Fête de la musique à la Maison de l'Amérique Latine
アルゼンチン出身のミュージシャン、モニカ・アブラハムやルイス・アントニオら、4組のアーティストによるラテン音楽のコンサート。

20:00-23:59 /入場無料
La Maison de l'Amérique Latine
217, bd Saint-Germain 75007 Paris
M:Solférino ⑫
www.mal217.org

map 5バスティーユ〜ベルシー

jazzジャズ

Aurélien Trigo Trio - Jazz Manouche
ギタリスト、オルリアン・トリゴ率いるジプシー・ジャズバンド、キャラバン・パラスによるコンサート。

21h00 /入場無料
L'Atelier Charonne
21, rue de Charonne 75011 Paris
M:Bastille ①⑤、Ledru Rollin ⑧
www.ateliercharonne.com

worldワールドミュージック

Femmes du monde à Bercy Village
ジャズのカルメン・ソウザや、ブルガリア人歌手イレ、ブラジル音楽のナザレ・ぺレイラなど世界中の女性ミュージシャンたちによるオムニバスコンサート。

12:30-21:30 /入場無料
Bercy Village
28 rue François Truffaut 75012 Paris
M:Cour Saint -Emilion ⑭
www.bercyvillage.com

map 6レピュブリック広場〜サンマルタン運河

jazzジャズ

taca, Emi Nekozawa,Ugo Castro Alves
tacaパリで活躍する日本人アコーディオン奏者tacaによるコンサート。ゲストにシンガーソングライター、猫沢エミを迎え、カルテット、トリオで演奏。

6月19日(土)19:30
入場料:7€
Au cafe de Paris
158, rue Oberkampf 75011 Paris
M:Menilmontant ②、Parmentier ③
www.aucafedeparis.com

jazzジャズ

Fête de la musique au Point Ephémère
Fête de la musique au Point Ephémèreサン・マルタン運河沿いにある、文化センター、ポワン・エフェメールでは、イポノティックのライブを始め、さまざまな形のジャズコンサートがオールナイトで開催。

20:00 /入場無料
Point Ephémère
200, quai de Valmy 75010 Paris
M:Château-Landon ⑦
www.pointephemere.org


map 7モンマルトル

chansonシャンソン

Soirée KAKEHASHI le pont franconippon en chanson
シャンソンを通して日仏文化交流を拡げることを目的に2008年に始まった、KAKEHASHIのコンサート。日仏のシャンソン歌手が歌声を披露する。

20:30 /入場無料
Les Trois Baudets
64, bd de Clichy 75018 Paris
M:Blanche ②

map 8シャンゼリゼ

classicクラシック

Choeur de l'Orchestre de Paris
Choeur de l'Orchestre de Parisパリ・オーケストラ合唱団と、アレジア子供合唱団による合唱コンサート。

20:00 /入場無料
Salle Pleyel
252, rue du Faubourg Saint-Honoré 75008 Paris
M:Ternes ②
www.sallepleyel.fr

jazzジャズ

Improvisation d'Espagne !
若手即興音楽家集団レ・ルジッサンらによるビッグ・バンドショー。

18:00-20:00 /入場無料
Palais de la Découverte
Av. Frank lin D. Roosevelt 75008 Paris
M:Champs-Elysées Clémenceau ①⑬

map 9エッフェル塔

worldジャパニーズ・ポップ

Yui Makino
声優、ピアニスト、歌手として活躍する日本人アーティスト、牧野由依の無料コンサートを日仏文化会館で開催。

20:00 /入場無料
Maison de la Culture du Japon à Paris
101 bis, quai Branly 75015 Paris
M:Bir-Hakeim ⑥、RER C 線 Champ de Mars - Tour Eiffel
www.jpf.go.jp/mcjp/

map 10モンパルナス

rockロック他

Ricard S.A. Live Music
Ricard S.A. Live Music結成20年以上のロック・バンド、リカール・S.A・ライブミュージック主催の屋外コンサート。ポップ・ダンスグループ Curry & Coco 他数組のアーティストが参加予定。

19:00 /入場無料
Place Denfert Rochereau
Pl Denfert Rochereau 75014 Paris
M:Denfert-Rochereau ④⑥ RER B 線

rockエレクトロ

Planet Musicmix
Planet Musicmixエレクトロやディス・コミュージックのDJとパリ音楽学院でジャズやクラシックを学ぶ学生たちのジョイントコンサートを開催。

19:00 /入場無料
Marché Cervantes
Pl Kandinsky 75015 Paris
M:Volontaire ⑫

map 1113区中華街〜ミッテラン図書館

rockパンク/ロック

Concert rock à la Butte aux Cailles
ノック・ミー・アウトのポップ・パンクやザ・モジト・ロワイヤルのロックなど、パンクやロック中心のオムニバスコンサート。

18:30 /入場無料
La Butte aux Cailles
9, rue Jean-Marie Jégo 75013 Paris
M:Place d'Italie ⑤⑥⑦

bluesブルース

Nina Attal et Malted Milk en concert
Malted Milkブルースバンド、マルテッド・ミルクのコンサートや、フランス人ブルース歌手、ニナ・アタルらアーティストによるギター弾き語りなどブルースのコンサート。

20:30 /入場無料
Théâtre 13
103A, bd Auguste Blanqui 75013 Paris
M:Glacière ⑥
www.theatre13.com

その他

ヴィレット公園
worldワールドミュージック(カリブ)/ブルース

Fête de la musique à la Villette
ヴィレット公園ヴィレット公園で働く職員によるカリブ音楽、ブルースのコンサート。

19:00 /入場無料
Parc de la Villette
211, av Jean Jaurès 75019 Paris
M:Porte de Pantin ⑦
www.villette.com

ヴァンセンヌ
worldワールドミュージック(アフリカ)

Africa Pop au château
ヴァンセンヌの森ではアフリカポップ音楽をテーマにした屋外コンサートが開催。ラップやグルーヴ、ジャズ、ファンクからロックまでアフリカの現代音楽が楽しめる。

17:00 /入場無料
Château de Vincennes
Av de Paris 94300 Vincennes
M:Château de Vincennes ①
www.vincennes.fr

 

W杯特別インタビュー 松井大輔

松井大輔 ©GF38/ZOOMW杯特別インタビュー 松井大輔

現役の海外日本人プロ・サッカー選手として、
長く活躍を続ける松井大輔。
サッカー、海外生活、そしてワールドカップ(W杯)について、
フランスの1部リーグに所属する松井がW杯を目前に語った。
(Interview et texte : Ryoko Umemuro)

5月10日、サッカーW杯南アフリカ大会の代表選手発表日。フランス時間午前7時、フランス東部グルノーブルにある自宅で松井大輔は岡田武史代表監督が告げた自分の名を耳にした。この時の気持ちを「正直、ほっとした」と言う。

困難な道を選び続けてきたサッカー 選手はこの時、世界最高のピッチに立 つチャンスを手に入れた。

フランスのサッカー

松井がフランスに渡ったのは2004年9月、パリから南西へ200km程の場所に位置するプロサッカークラブチーム、ル・マンへの移籍によってだ。23歳だった。

欧州チャンピオンズリーグの結果などを通じフランスのサッカーを知る人にとって、イングランドやスペイン、イタリア、ドイツと比べフランスのリーグは格下と映るかもしれない。しかしだからといって、実力のある日本人選手がすぐに活躍できる場所であるかといえばそうではない。

フランス人を形容するとき、よく「個人主義」という言葉が使われる。サッカーでも同じようなところがあり、1対1で勝つことのできる技術と身体能力が要求される。フランス・リーグの試合を見ていると、スピーディーに駆け巡る試合展開の中で、まるで人生を賭けたかのような1対1の一瞬の死闘にゾクッと全身を緊張させることがある。特にアフリカ系の選手が多いため、フィジカルの強さは必須だ。結果を残すためにはまず、日本人選手が努力では克服できないような先天的な体格差を持つ選手がしかける激しい当たりに勝たなければならない。事実、これまで多くの日本人選手がフランスのクラブと契約を交わしているが、成功者としてフランス国内で評価を得ているのは、現在のところ松井大輔ただ一人だ。

松井は言う。「フランスのサッカーでは個人の能力が重視されます。一人一人が何でもできる、というのがフランスサッカーにおける能力なんです。その中でも1対1というものがものすごく厳しい。取るか取られるか、1対1で勝ってやる、もうそこしか見ていないですね」。2004年当時のル・マンが属していたフランス2部リーグは、技術的には見劣りする分、当たりがものすごく激しかった。それを目の当たりにした松井は、フィジカル面の強化に努める。こうして、激しい当たりに負けない肉体的な強さを身に付けた上で持ち前の技術を発揮、イマジネーション豊かなプレーを繰り広げ、松井は結果を生み出していく。松井の活躍によりル・マンは1部に昇格、松井は「ル・マンの太陽」と謳(うた)われた。長く険しい冬が明け春の青空が広がると、こんなにたくさんの人がいたのかと思うほど、多くの人々が太陽を求め外にあふれる。そんなフランスを経験した人にとって、この言葉がどれほどの意味をなしているか、想像に易いだろう。

©Picture by: Tony Marshall/EMPICS Sport
フランス・リーグ1部トゥールーズ - ル・マン

海外でプロとして居続ける

現在、海外のプロサッカーチームに50名以上の日本人選手が所属している(2部以上)が、その中でも松井は6シーズンと長くプロとして海外のグラウンドに立ち続けている。松井自身にとっても日本のJリーグよりも長いシーズンをフランスで送った。

しかしすべてが順風満帆だったわけではない。勝ち方を忘れてしまったかのようなチームの連敗やケガに苦しんだ時、試合に出られずベンチを温め続けた日々もある。言葉、生活習慣、価値観、さまざまなものが日本とは異なる海外でモチベーションを高く維持するために、松井は常に「何事もポジティブに」考えた。都度、ポジティブに考えながら現実を受け止め、その時々できる限りの努力を惜しまずにやってきた。また、「毎回プレーでストレスもたまったりするので、買い物や音楽を聴く」ことによって気持ちのバランスを維持する。海外でプロのアスリートで居続けるためには「サポーターに気に入られることが大事」とも言う。

現在、松井はさまざまなチームからオファーを受けているが、次の所属先は全く決めていない。W杯の後に、「自分を必要とし、自分が最も信頼できるチーム」に行きたいと考える。「うまい選手が集まるところで成長したい」と海外のリーグを望むが、特にフランスのチームというこだわりはない。

©GF38
グルノーブル・フット38に移籍後、監督と初対面

「フランスが僕を育てた」

15歳でフランスのクラブチーム、パリ・サンジェルマンの練習に参加し、21歳の時にはU-21の日本代表として戦ったトゥーロン国際大会で日本最高成績の3位、松井個人はベストエレガント賞を受賞した。その他日本代表選手として国際試合に参加する中でパリは比較的多く立ち寄る街だった。しかし、ル・マンと契約を交わす以前、松井にとってのフランスは「パリというイメージ」、ただそれだけ。フランス・リーグにもフランスにもさしたる思い入れはなく、言葉も話せなかった。

6年近くをフランスで過ごした松井に改めてこの国について聞くと、まっ先に返ってきたのは「不便に慣れましたね」という答え。「1カ月インターネットがつながらない。お湯が出ない」。松井や筆者だけでなく、フランスで生活したことがあれば、この「不便さ」を身にしみて感じる人も多いのではないか。何せ、「ガス、電気、水、どれが止まると一番困るか」という議論が、当たり前に起こり得る問題として日常会話の中に成り立つ国なのだから。松井は言う、「僕だけではなくて、フランス人も同じ環境なんですよね」。

サッカー選手としてだけでなく、人間として成長した。「どれだけ日本人が恵まれた環境で育っているかということを、改めて分かりました。それは僕にとってすごく良かったです。何でも人にやってもらうのではなく、一人の人間として自立心を持つということ。そういう意味では、僕を育ててくれたのはフランスという国です」。人生観という意味でも松井の考えはこの地で変化した。「何のために生きているのかという意味でも、例えば家族を大切にする、バカンスを大切にするフランス人はすごくいいと思います」。松井自身もバカンスを大切に過ごす。欧州ではいろいろな場所へ旅行で訪れた。フランスのおすすめの場所は「南ですね」とのこと。まだ訪れていないサントロペへはぜひとも行きたいという。

©GF38
グルノーブル・フット38の
オフィシャルブティックで開かれたサイン会

W杯にかける思い

2006年、W杯ドイツ大会では代表に選ばれなかった。月間MVPに選ばれるなど、ちょうどフランスで活躍し、代表入りを有力視されていた中で味わった悔しさ。4年の時を経て代表に選ばれた今年、異国で困難の道とも見られるような挑戦をし続けた松井はサッカー選手としても人間としても4年前よりも大きくなっていた。

「サッカー選手としては本当に出たい大会」と言う松井は、「(W杯の舞台で)サッカーで何か松井大輔という人間を表現できればと思っています」と意気込みを語る。

岡田監督は代表発表の記者会見で「日本人らしいサッカーをしたい」と語った。これまで代表選手としてプレーをしてきた松井は岡田監督の考える「日本人らしいサッカー」を「全員攻撃、全員守備という全員サッカー」と説明する。「(大会期間中南アフリカは)冬ですし寒いでしょうから、体力という意味でも走り勝つことができると思っています」。その日本代表における自身の役割については、「フランスでもやっている通り、自分の武器はドリブルや1対1、そして局面の打開。それらをしっかりとやり、最後は突破できるように。それと、しっかり守ることが大事」だと考える。だが先に述べたように、岡田監督の考える「日本人らしいサッカー」は個人の能力を重視するフランスのサッカーとはいくぶん異なるようにも思える。それについては「日本チームの団結力、皆で協力し合うチームワークの中に僕個人の能力をうまく取り入れたい」と言う。だからこそ試合までの残された期間では「コミュニケーションを取る」ことに重点を置きたいと考えている。「いろんな人としっかり話し合うことによってチームワークも上がってくるし、最終的に今はそういう段階だと思っ ています」。

各国の代表クラスの選手が名を連ねる1部リーグで、所属するグルノーブル・フット38の中心選手として昨シーズンを送った松井は自信をもって言う。「フランスのリーグにもいろんな国の人がいますし、いつも外国人とやっている。そういう意味では、日本でやっている人たちよりも臆することなくいつも通りのプレーができると思っています」。

©AP Photo/Shuji Kajiyama
アジア杯サッカー最終予選・日本-バーレーン

「苦労した分だけ返ってくる」

欧州に暮らす読者へのメッセージを聞くと、返ってきたのはスターとしてのそれではなく、海外で自ら戦いを続けそして夢をつかんだ青年の言葉だった。

「僕たちは海外という、言葉も違えば文化も違う場所にいて、それぞれ皆さん本当に苦しい思いもしていると思うんですね。これは、日本に居る人には分からない、海外に行った人にしか分からないことだと思います。でも、人間は苦労をすれば何かを得ていく、苦労した分だけ自分の中に返ってくると思うのです。いろんな大変なことはありますけれど、最終的な目標に向かって、みんなでがんばっていきましょう」

フランスに来て得たものの中で最も大きかったものは何か。穏やかな口調で、しかし確信を持って松井は言った「自信ですね」。

「ここまでやってきたという自信が一番大きいです」

異国の地で自ら厳しい道を選び続け、そのたびに成長を手に入れていった松井は6月、自信を胸にサッカー最高峰のグラウンドに立つ。

松井大輔
1981年5月11日、京都府生まれ。MF。鹿児島実業高校卒業後、2000年京都パープルサンガ入団。2004年フランスのル・マンにレンタル移籍。2005年完全移籍。2008年ACサンテティエンヌに移籍。2009年よりグルノーブル・フット38に所属。
www.matsuidaisuke.net
グルノーブル・フット38
1892年グルノーブル初のフットボールクラブとして創立。2004年以降日本企業インデックスがオーナーに。松井の他、伊藤翔が在籍。スタッフにも日本人がおり、松井いわく「家族的なチーム。チーム、サポーター、生活環境すべてに感謝している」。www.gf38.fr
 

先人に学ぶ。フランスに生きた日本人。

先人に学ぶ。フランスに生きた日本人。

1913年からフランスに滞在した島崎藤村は、海外に滞在する苦労を自書の中でこう語る。「否が応でも私達は自分等の生活方法をその土地に適応させるために、努めなければならない。これは旅を楽しくするというためばかりでなく、自分等を保護する上からも必要なことであっ て、その骨折なしには長期の旅も続けがたい。(中略)世界を旅するのは、自分等を見つけに行くようなものだ」(『エトランゼエ』より)。約100年前の滞在にも関わらず、今日の海外生活における苦労と変わらない藤村の視点。先輩方のフランス滞在を通じ、共感する点、勇気付けられる点はないだろうか。どうしてもフランスに馴染めずもがいた文学者、反対にこの国に溶け込み成功した画家、そしてどんな荒波にも立ち向かうたくましい女性、合計6人のフランス滞在を追う。 (Texte : Kei Okishima)

外へ出て思う祖国の美
西洋に馴染めぬ2人の男

「一体東洋の方で自分等の無常観を
そそるやうな外界の現象が
矢張ここにもあるだろうか」

島崎藤村
島崎藤村 
© 国立国会図書館

島崎藤村(1872 ~ 1943)
フランス滞在:1913 ~ 1916

姪こま子との関係を切るための“逃亡”だったからなのか、滞在中の藤村の目に映るフランスは明るいものではなかった。西洋人と異なる自分を深刻に意識し、ジロジロと見られているような気がして疲れると述べ、「こんな骨折りが、実際何の役に立つのでせう」と考える。7月14日の革命記念日も一人家にこもり、便りを綴った。そこでは、東洋にある「人の心を傷みやすくさせるもの、センチメンタルにさせるもの、あるひは深く浅く無常感をそそるやうなもの」が西洋に少ないことに触れている。石づくめの西洋には強い線・硬い質があり、「一切が実に頑固で永久的」なのだ。さらに、自分は一刻も早く家に帰り、「樹蔭のテントのやうに明るく楽しい屋根の下で足でも投げ出し、一坪の空地、一株の植木なりともそれを自分のものとして楽しみたい」と語る。

しかしこの経験の後、日本に戻った藤村は『夜明け前』を始め多数の作品を生み出した。フランス滞在が彼の人生にとってどれほど大きかったのか、名作は冗舌だ。

(文中カッコ内、島崎藤村著『仏蘭西だより』より引用)

先人の足跡

藤村の住んでいた宿

86, bd Port-Royal 75005 Paris
藤村がパリ滞在中に住んだ宿(写真右)。後に通りを挟んで斜め向かいには河上肇が住むようになり(写真左)、両者の交流はそれぞれの書物に度々登場する。

「『ああ、僕はやっぱり日本人だ。
JAPONAIS だ。MONGOLだ。LE JAUNE だ。』
と頭の中でバネの外れた様な声がした」

光太郎と智恵子。
光太郎と智恵子。
© 国立国会図書館

高村光太郎(1883 ~ 1956)
フランス滞在:1908 ~ 1909

海外生活の中で、突然現実を突き付けられたようなショックを受けた経験はないだろうか。先の一文は、高村光太郎がパリで「あをい眼」の女性と美しい一晩を過ごした翌朝、鏡を覗きこんだ時に突然襲われた、非常な不愉快と不安と驚愕の声だ。どうしても先に踏み込めない西洋人との隔たりを光太郎は幾度も感じた。西洋人のモデルを写生している時、虎 を見ているように思え、日本人モデルだったらもっと内部がつかめるだろうと感じる。“外”の世界を理解できない不安から「独りだ。僕は何の為に巴里に居るのだろう」という思いが巡る。

偉大な彫刻家の父、光雲の職人肌を嫌い、ロダンに憧れた光太郎。しかしパリでの生活を通し、自分が日本人の感覚を持ち、西洋的な精神を持てないことに気付かされる。パリで己が日本人であることに直面した光太郎だったが、帰国後は母国日本の古い体制になじめず、退廃した生活を送ることになった。そんな苦悩の日々から救い出したのが智恵子である。それだけに、妻となった智恵子と育んだ愛は深く、その想いが名作『智恵子抄』を生んだ。

(文中カッコ内、高村光太郎著『珈琲店より』より引用)

先人の足跡

高村光太郎のアトリエがあった場所 17, rue Campagne Première
75014 Paris

光太郎はモンパルナスにあるこの場所にアトリエを借りた。『出さずにしまつた手紙の一束』の中で、当時のこの場所の雰囲気を「だぶだぶの襟衣にづぼんを穿いただけの亭主や酒樽の様に太い女房が大口をあけていつも客と馬鹿話をしている」と描写している。

 

日本の型にはまらない
2人の画家が見つけた日本の宝

「徹底的に西洋を理解してしまえば、
却って東洋のいいところが
分かるようになるのである」

藤田の作品
パリ国際大学都市日本館内にある藤田の作品「Les Chevaux」

藤田嗣治(1886 ~ 1968)
フランス滞在:1913 ~ 1928、1930 ~ 1931、1939 ~ 1940、1950 ~ 1968

フランスで神秘的な「乳白色の肌」の裸婦像が絶賛を浴び、エコール・ド・パリの代表的画家となった藤田。彼はフランスで、「総皆の友人の成す事と正反対の行動をとった」。例えば、絵具をこてこて盛り上げる当時流行の方法に対し「つるつるの絵を画いてみよう」、マチスのように奇麗な色を使う方法に対し「白黒だけで油画でも作り上げてみせよう」という具合だ。

そんな藤田がフランスで成功したカギは「日本画の素養があったからだ」という。東洋の絵画を「線の画」と概評し、「細いながらも鋼鉄のような強靭の線」を引くことのできる墨や毛筆を謳歌し、油絵に取り入れた。実は黒田清輝が実権を握っていた当時の日本における西洋美術教育では、黒の絵具をパレットから取り除くように教えられていた。「吾々東洋人日本人、支那人が黒色の味わいを熟知している生命ともいうべき黒色を何故油画に取り入れ得ないのか」。藤田の考えは当たり、見事に独自の世界を切り開いた。

(文中カッコ内、藤田嗣治著『腕一本・巴里の横顔』より引用)

先人の足跡

藤田の住んでいたアパートのプレート

5, rue Delambre 75014 Paris
藤田がパリで成功し始めた1917~24年まで暮らし、仕事をしたアパート。芸術家が熱い討論を交わしたモンパルナスの有名なカフェ・ドーム(1897年開店)のすぐ傍にある。藤田もこのカフェの常客だった。藤田がここに暮したことは入口のプレートに記されている。

「ぼくはまったく逆のことをやって生きてきた。
ほんとうに自分を貫くために、
人に好かれない絵を描き、発言し続けてきた」

岡本太郎
パリ時代の岡本太郎
© 岡本太郎記念館

岡本太郎(1911 ~ 1996)
フランス滞在:1930 ~ 1940

太郎は18歳でパリに来た。『画文集 挑む』の中で太郎は、当時の日本人画家が全くフランス文化に溶け込もうとせずに日本人だけで固まり、フランス語も話せないくせにパリの街頭や風景、金髪の女性を描いていることに疑問を投げかけている。太郎は“パリ帰り”という肩書を持って日本で儲けようとたくらむ計算高い画家に意味を見いだせなかった。「ぼくが危険な道を運命として選び、賭ける決意をはっきり自覚したのは25歳のときだった」。以降、太郎は逆のことを試み、追い詰られて湧き上がるパッションを好むようになる。また、人間として生きるためには絵の技術だけを磨くのでは駄目だと悟り、世界で起こったことのすべてを知るためにマルセル・モースに師事し、民俗学を学ぶ。

こうして養われた目を持ち帰国した“パリ帰り”の太郎の目には、これまで誰も注目しなかった縄文土器にこそ日本の底力があると映り、1952年『縄文土器論』を発表。明らかに他の“パリ帰り”とは違う日本での生活が始まった。

(文中カッコ内、岡本太郎著『自分の中に毒を持て』より引用)

太郎の住んでいたアパート先人の足跡

31, rue Saint-Amand 75015 Paris
太郎はパリで幾度が住居を変えているが、パリ大学に通っていた1932年頃に住んでいたとされるアパート。18歳という若さで一人フランスに住み、パリで通用する画家になるための努力を惜しまなかった。

何度でも立ち上がる
2人の「ふみこ」

「来る日も来る日も
夜ばかりだといいたいような、巴里の暗い一日に
本当は呆としてしまった」

ダンフェール・ロシュロー広場のライオン像
芙美子はダンフェール・ロシュロー広場のライオン像を見て「三越のライオ ン」を思い出していた。

林芙美子(1903 ~ 1951)
フランス滞在:1931 ~ 1932

秋と冬のパリを知る日本人なら、この暗い空の色に見覚えがあるだろう。林芙美子が憧れのパリに着いたのは11月。あまりの空の暗さに最初の週数間は眠り続けたという。ベストセラーになった『放浪記』の印税で、夫を日本に残し、一人ヨーロッパ旅行に出た芙美子。慣れないパリ生活の日記には「やりきれない」「早く日本へかへりたい」「ああ、金がほしい」と泣き言が綴られるが、幼少時代から放浪を続けてきた女は強い。町を下駄でポクポクと歩き回り、たちまち近所の人で知らない人はいないほどなじんでしまう。

『放浪記』の冒頭に記されているように「宿命的に放浪者」だった芙美子は、金が出来れば、すぐに旅に出る。そもそも、パリへ行くのに帰る費用のあてがあったわけではないのだから、本物の放浪者だ。旅の途中で夫の生活費を心配しながらに出した手紙の中には、帰国後の「私の仕事にはキタイしてほしい」と書かれている。日本へ帰った芙美子はその言葉通り仕事を精力的にこなし、48歳という若さで急死するまで仕事を断ることがなかった。

(文中カッコ内、今川英子編『林芙美子 巴里の恋』 および立松和平編『下駄で歩いた巴里』より引用)

林芙美子が滞在していたホテル・フロリダ先人の足跡

28, pl Denfert Rochereau 75014 Paris
1932年2月22日から4月5日まで滞在したホテル・フロリダ。現在も同じ名前で営業している。芙美子はこのホテルがある地区を好んだ。パリ滞在中、他の宿にも泊まっているが、いずれも同地区にある。

「人妻が他に男をつくって、
その男が事業に失敗しかかると男を捨てようとし、
相手を嫉妬に狂わせ、短銃を打っ放なさせて、
運よく死ななかったが
自分の頬に一生消えない弾痕の片えくぼを残した ……
たしかに妖婦と肩書をつけられても文句はない」

宮田文子(1888 ~ 1966)
フランス滞在:1920 ~ 1921、1922 ~ 1932

これ!と思ったら手段を選ばず、使える男は色仕掛けで落とし、どんな分野のものでも手を出した文子。憧れのパリへ行くために、文士の武林無想庵と偽装結婚。不本意にも出来てしまった子供をパリで出産し、かわいい洋服を着せるために洋裁を始める。お金が尽きて日本へ帰るが、裁縫の技術を生かし、資生堂の子供服部の主任になり、その後独立。とにかく「辛抱が嫌い」なだけに、新たな活路を見つける行動力があるのだ。

関東大震災で自分の開いた学校を失い、再びパリへ戻る。お金に困った文子は、以前ロンドンで知り合った日本料理店経営者を魅了し、パリに支店を出す。しかし経営が行き詰まり閉店。経営者の男性と口論になり、ピストルでほおを撃たれた。一命を取り留めた後は日本舞踊を習い、舞踏家として再スタート、成功を収める。最終的には貿易会社社長と結婚し、生涯連れ添うのであった。妖婦・文子に振り回された無数の悲しい男の姿とは対照的に、本人は常に輝いていた。

(文中カッコ内、宮田文子著『わたしの白書』より引用)

日本料理店を開いた場所先人の足跡

8, rue Kepler 75116 Paris
文子が1924年11月に日本料理屋を開いた場所。山本夏彦著『無想庵物語』によれば、文子は「丹念な化粧をすますと寝室の大姿見の前で、さながら芸者の座敷着のようにありったけの着物をひろげ、それをとっかえひっかえ着かざって3階2階1階の客席に顔をだした」という。

 

映画特集 ギャスパー・ノエ インタビュー

映画特集 インタビュー

ギャスパー・ノエ Gaspar Noé

「Carne」「Seul contre tous(カノン)」「Irréversible(アレックス)」……作品を発表すれば論争が起き、今や「カンヌの問題児」、「フランス映画界の異端者」といった異名を持つ映画監督ギャスパー・ノエ。7年ぶりの長編「Enter the Void」は彼の愛する街・東京を舞台に描く、肉体から離れた魂の旅物語だ。(Interview et texte : Ryoko Umemuro)

ギャスパー・ノエ
1963年、ブエノスアイレス生まれ。12歳でパリに移住。91年「Carne」でカンヌ映画祭国際批評家週間賞受賞。98年、続編にあたる初長編映画「Seul contre tous(カノン)」をカンヌ国際映画祭出品。02年長編2作目「Irréversible(アレックス)」、09年長編3作目「Enter the Void」共にカンヌ映画祭コンペ部門出品。寡作ながら、作品を発表するごとに賛否の声と激しい議論を呼ぶ。
ギャスパー・ノエ
Photo : Ryoko Umemuro

作品ごとに独自の表現手法を用い、見る者に驚きの映像体験を与えてきた監督が「Enter the Void」で見せるのは現世をさまよう死者の魂。死のふちに見た世界、成仏できぬ魂は現世と内面を巡り、生の核を見い出す。

「死後について興味があり、10代の終わり頃にチベットの『死者の書』などたくさんの書物を読みあさったんだ。呼吸法を試してみたり、幽体離脱も試みたけど叶わなかったよ」。その時、監督はふと「これを映画化できないだろうか」と思いつく。「本はたくさんあるのに、そういった映画は今までなかったから、僕の出番だと思ったよ」。構想の出発点は、「死後霊になって旅をするものを映像にできないか」。約25年の年月を経て実現した。

映像化されたことのない世界の映画化。ノエ監督は映画を作る際、文字や絵、音楽、映像などを使いその映画に関する資料を作る。そして、人生の中で影響を受けたさまざまなものが監督自身の中で混ざり合い、発酵され、映画になって表れる。今回、特殊効果で「アバター」のピエール・ブファンが、音響効果で前作でもタッグを組んだダフト・パンクのトーマ・バンガルテルが監督の思い描く世界の映像化に加わる。映画の舞台は東京に決まった。

「住みたいと思える場所は2つ、パリと東京だけだよ」

故郷から遠く離れた新宿の小さな部屋に暮らす外国人兄妹。兄は麻薬ディーラー、妹はストリッパー。カラフルで猥雑な街に生きる、世にはぐれた若者たち。「特に男の子が多いけど、フランスの思春期の子たちは『日本は夢の国』というイメージを持っているんだ」。

これまでの来日歴は20回以上。訪れる度に日本の印象は良くなり、今では住みたいと思うのは現在暮らすパリと東京だけだという。

「日本は文化が豊富。映画、漫画、文学……いろいろな芸術が綿々と豊かに歴史の下に続いている国だ。フランスも芸術に対して非常に理解があり、たくさんの外国人が訪れて芸術的な交流をしてきたという歴史がある。そういう意味では、両国とも芸術面で評価できるよね」。日本映画に対する評価も高く、所有するDVDの約1/3が日本映画なのだとか。「日本の国土面積を考えれば、すごいことだよ」。

本撮影で多くの日本人に触れた監督は、日本人についてこう語る。

「料理人であるフランスの友人も言っていたのだけど、日本人は自分の良いところを最大限に仕事で発揮したいという気持ちがとても強い。例えば、今日の偉大な文学者の一人で、フランスでも多くの人に読まれている村上春樹も、仕事に対して完璧を求めるという気質があるように感じるよ。一方、フランス人は非常に個人主義的な傾向があるね。それぞれが自分のやりたいことを追求するんだ。でも、その原動力は立身出世や金が欲しいということではなく、性的な欲望や恋愛で、そういった部分を大切にしているのだと思う」。

©2010 FIDELITE FILMS - WILD BUNCH - LES FILM DE LA ZONE - ESSENTIAL FILMPRODUKTION - BIM DISTRIBUZIONE - BUF COMPAGNIE

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©2010 FIDELITE FILMS - WILD BUNCH
- LES FILM DE LA ZONE - ESSENTIAL FILMPRODUKTION
- BIM DISTRIBUZIONE - BUF COMPAGNIE

日本人とのコラボレート

自身の映画制作スタイルを「アマチュア的でフランス人の中でも変わっている」と言うノエ監督がフランス以外で長編映画を撮影するのは今回が初めて。

「フランスの監督には慣れていないだろうし、僕の映画の作り方は非常に感覚的なんでね。思いつくまま、その場ごとで方針を変えてしまったり。周囲を驚かせてしまうこともよくあったと思う」。撮影当日にキャストを変更したこともあったとか。「助監督が一番驚いただろうね。最後の最後まで何度も熟考を重ねているから、決断はいつも本当にギリギリで下すという具合。びっくりの連続だったと思うけど、『最後の決断がいつも一番良かった』と助監督が言ってくれたのでうれしかったな」。

日本でノエ映画のファンは多い。現場の日本人スタッフは驚かされながらも、監督への尊敬や共に作れる喜びを持ち参加したのだろう。「日本人とのコラボレートは非常にうまくいった」と言う監督は彼らの姿に感動も覚えた。

「ひとりの青年が自主映画を作るとする。その場合、スタッフはボランティアで、時間など関係なく生き生きとその映画に携わる。でも大人になって仕事として映画に携わるようになるといろいろな制約が生まれ、没頭できないこともあるんだ。今回は日本とカナダで撮影をしたけど、カナダではなんだか居心地が悪かった。労働組合がかなり力を持っていて、時間的な制約もあったしね。一方、日本での撮影はすごく気持ちが良かったんだ。スタッフはすごくモチベーションが高く一生懸命働いていた。自主映画ではなく商業映画として成立するものに対して、30代から50代の多岐にわたるプロのスタッフ一人一人が青年のように生き生きと情熱を持って取り組んでいた。感動したよ。もし今フランスで映画を撮ったら、同じように参加してくれるのかなとも思ってしまうし、また日本で撮影ができるとしたら、うれしくてすぐにでも飛んで来たいね」

ギャスパー・ノエが放つ衝撃的映像はイメージへの忠心さだけで生まれるものではない。逃げ道を潰していくかのような研ぎ澄まされた映画世界は彼の純粋さ故。その世界を最良のかたちで実現させるために努力を惜しまなかった日本人スタッフたち。日仏人がひたむきに取り組んだ本作は、我々に新たなイマジネーション体験を与える。

公開情報
フランス:Enter the Void(2H34)公開中
www.enterthevoid-lefilm.com
日本:「エンター・ザ・ボイド」(2H23、R-18)
5月15日(土)公開
www.enter-the-void.jp
監督:ギャスパー・ノエ
出演:ナサニエル・ブラウン、パス・デ・ラ・ウエルタ、シリル・ロイ

 

映画特集 映画でつながる日本とフランス

映画特集 コラム

映画でつながる日本とフランス

羅生門
Rashomon(羅生門)Akira Krosawa(1950) © DR
天井桟敷の人々
Les Enfants du paradis(天井桟敷の人々)Marcel Carné(1952) © DR

フランスで日本映画発見となったのは、1950年ベネチア映画祭で金獅子賞を受賞した黒澤明の「羅生門」であった。これに続き、1953年には衣笠貞之助の「地獄門」が日本映画初のカンヌ映画祭グランプリを受賞する。

1950年代前半は日仏両国にとって映画の黄金時代であった。フランスでは、ジャン・ルノワールの「大いなる幻影」(49)、アンリー・ジョルジョの「情婦マノン」(50)、J・コクトーの「オルフェ」(51)、マルセル・カルネの「天井桟敷の人々」(52)、ルネ・クレマンの「禁じられた遊び」(53)、アンリー・ジョルジョの「恐怖の報酬」(54)、ジャン・ルノワールの「フレンチ・カンカン」(55)など。全て映画史に残る名作である。

日本映画では、小津安二郎の「晩春」(49)、黒澤明の「羅生門」(50)、成瀬巳喜男の「めし」(51)、1952年は黒澤明の「生きる」と溝口健二の「西鶴一代女」。1953年は、今井正の「にごりえ」、小津安二郎の「東京物語」、溝口健二の「祇園囃子」。黒澤明の「七人の侍」(54)、成瀬巳喜男の「浮雲」(55)など。これらの日本映画は、当時敗戦直後の西高東低の状況下ではフランスで公開される機会を得なかったものの、1980年代頃から発見され高く評価されることになる。フランスでも多くの評論が出版されている小津安二郎や黒澤明、溝口健二の映画は、今でも頻繁にパリで上映されており、ここに挙げた他の監督にも熱烈なファンがいる。

勝手にしやがれ
À bout de souffle(勝手にしやがれ )Jean-Luc Godard(1959) © Ciné Classic

1960年代には、フランス映画界に全く新しい映画の波(ヌーベルバーグ)が起こった。ゴダールの傑作「勝手にしやがれ」は全て手持ちカメラで野外撮影され、その斬新な手法は映画の常識を変えた。日本映画界でも新たな波は起き、大島渚、吉田喜重、篠田正浩などの監督が登場、彼らは今日のフランスでも高い評価を受けている。日活退社後、やはり彼らと同じく独立プロを作って活動し始めた今村昌平は「楢山節考」(83)と「うなぎ」(97)で2度カンヌ映画祭パルムドールを獲得し、熱狂的なファンも多い。

新世代の日本映画に関してフランス人の目を開かせたのは是枝裕和監督の初映画監督作品「幻の光」(95)だ。ベネチア映画祭で久々に日本映画が賞(金のオゼッラ賞)を獲得し、注目された。それまでは新世代の日本映画監督は存在しないと日本映画通の間でさえ思われていただけに「幻の光」の登場は新鮮だった。新感覚の映像は評判で、新世代の日本映画が注目される機会となった。以降、世界の映画祭でも日本映画の出品本数は増え、1997年にはカンヌ映画祭で河瀬直美が「萌の朱雀」で新人監督賞を受賞。史上最年少の快挙だった。さらにアニメでも宮崎駿や押井守が国際映画祭で評価を得た。実写、アニメ問わず多くの日本映画がフランスで公開されるようになったが、その分出来の悪いものも公開される風潮も生まれ、ブームは終焉。現在では、旧作のDVDリリースは増えているものの、新作に至っては日本映画だからという理由だけで公開されることは少ない。

二十四時間の情事
Hiroshima Mon Amour(二十四時間の情事)Alain Resnais(1959) © DR

こうした映画の配給公開とは違い、日本とフランスをダイレクトに結び付けるものとして合作映画がある。戦後初めての日仏合作映画はイブ・シャンピ監督「忘れえぬ慕情」(56)。長崎を舞台にしたフランス人造船技師と健気な日本娘との悲恋物語だ。主演は岸恵子で、フランス側の共演者は大スター、ジャン・マレーとダニエル・ダリュウという豪華な顔ぶれであったが、「異国趣味」の内容で評価は低い。その3年後にはアラン・レネ監督の傑作「二十四時間の情事」(59)が作られる。これは原爆が投下された広島を背景にしたフランスの女優と日本人男性との不可能な愛の物語。日仏両国で評価は高く、今でもパリでよく上映されている。

愛のコリーダ
L'empire des Sens(愛のコリーダ)Nagisa Oshima(1976)

黒澤明の傑作「乱」(85)は、オール日本人キャストだが日仏合作映画だ。日本の敏腕プロデューサー原正人と共同で製作したセルジュ・シルベルマンはフランスの大プロデューサー。「乱」のプレミア上映会は、ポンピドー・センターの表一面に巨大スクリーンを作り、そうそうたるフランスの要人出席の下に大群衆も集まり、一大事件であった。性愛場面がスキャンダルとなった大島渚の「愛のコリーダ」(76)のプロデューサーはアラン・レネの「夜と霧」(55)や「二十四時間の情事」などの傑作を作ったアナトール・ドーマン。大島渚の「愛の亡霊」(78)、寺山修司の「上海娼婦館」(81)も同氏の企画だ。

陰獣
Inju, la bête dans l'ombre(陰獣)Barbet Schroeder(2008) © 2008 SBS FILMS – LA FABRIQUE DE FILMS – FRANCE 2 CINEMA
ユキとニナ
Yuki & Nina(ユキとニナ)Hippolyte Girardot et Nobuhiro Suwa(2009) © Yoshi OMORI

最近の映画に目を向けると、フランスに滞在歴を持つ諏訪敦彦は「不完全なふたり」(05)や昨年公開された「ユキとニナ」と2本の日仏合作映画を撮っている。フランス人監督が手掛ける最近の合作といえばJ・P・リモザン「TOKYO EYES」(98)が知られるが、近年は増え、バーベット・シュローダーが江戸川乱歩の小説を映画化した「陰獣」(08)、3監督のオムニバス「TOKYO!」(08)、ギャスパー・ノエが東京で撮影した「エンター・ザ・ボイド」(09)。製作中のものでは、トラン・アン・ユン監督が村上春樹の小説「ノルウェイの森」を、オドレイ・フーシュの「メモリーズ・コーナー」も最近撮影を終えた。

日仏合作映画が作られる背景にはさまざまな理由があるが、日仏の映画市場が米国程大きくなく手を組みやすい規模であること、また異文化でありつつも共有できる感覚があることが大きいものと思われる。交通手段や通信手段が発達し、現在の若者はますます外国を身近に感じるようになった。ボーダレスの時代、以前にも増して日仏合作映画のメリットは大きくなっているといえそうだ。

(Texte : Kiyomasa Kawakita)


お詫びと訂正(2010年5月6日)
本記事におきまして、《「マックス、モン・アムール」(86)のプレミア上映会は、ポンピドー・センター》とありましたが、正しくは「乱」のプレミア上映であり訂正いたしました。関係各位ならびに読者の皆様に深くお詫び申し上げます。
 

農業大国フランスの未来

農業大国フランスの未来

食糧自給率が120%を超える、
欧州連合(EU)一の農業生産国であるフランス。
しかし3年前から農産物の価格が下落し続け、
生産を断念する農家が急増。
農業従事者による抗議運動が各地で活発化するなど、
政府に対し、対策や支援を求める動きも増している。
フランスはこの危機にどう立ち向うのか。
フランス農業の現状と未来を探る。
(texte: Kei Okishima)

止まらない牛乳価格の下落

農業大国フランス仏食料農業水産省が発表した統計によると、2008年から2009年にかけて農家の平均所得は、34%減少、中でも酪農業は54%と減少率は最大だった。欧州全土で牛乳価格の下落が止まらず、生産断念に追い込まれる酪農家が続出。これに伴い2009年秋頃から欧州各地でEUや各国政府に対して牛乳の供給制限や支援を求める激しい抗議運動が盛んに行われ、各国政府、欧州委員会とも応策に頭を抱えた。

この問題と切り離せないのが、EUの共通農業政策(PAC)だ。これは、EU内の農家の生活水準を守り、消費者に公正価格で安全な食品を提供できるようにするための政策のこと。この中で酪農は、乳製品の過剰在庫を抑制するために、加盟国別に牛乳の生産上限を設定するクォータ制度によって保護されている。

しかし2008年、世界の牛乳需要増大を視野に入れた市場開放の動きと生産拡大などの理由から、2015年までにクォータ制度を撤廃することが決定。ところがこの決定直後、経済危機の影響で乳製品の売れ行きが急激に悪化。これに伴い在庫の増えた牛乳の価格は著しく下がり始めた。EUはこの危機に対し、輸出補助金の再導入や介入買い入れなどの対策を実施するも、市場回復の兆しは見られない。そして現在、酪農家らによる抗議運動が各地で広がっている。この事態を受け、小規模酪農家の多いフランス・ドイツ両政府が中心となり、介入買入価格と輸出補助金単価の一時的な引き上げ、クォータ拡大の凍結を柱とする案を欧州委員会に提出。しかし、酪農の大規模化が進むオランダなどは自由化に向けた生産拡大に意欲的で、クォータ制度に関する考え方は加盟国内で意見が分かれている。

フランスの酪農家は問題解決に向けて何が必要だと感じているのだろうか。仏酪農家団体(OPL)によると、牛乳1リットル1.9ユーロのうち、酪農家が適正水準で生活するためには最低40サンチーム必要であるのに対し、実際に生産者が得ているのは27サンチーム。自由化によって牛乳量が増し、さらに価格が下がることを懸念する同団体の酪農家はこう訴える。「我々はクォータ制度にこだわっているわけではない。しかし牛乳の過剰生産を防ぐ何らかの規制は必要だ」。また欧州14カ国の酪農団体が加盟する欧州ミルクボードは「常に量が固定された現行のクォータでは意味がない。牛乳の需要を半年ごとに調査し、それに合わせて生産量を決める、フレキシブルなクォータ制度が求められている」と主張、欧州委員会に理解を求めている。

収入が生産費用を下回るフランスの農家

野菜や果物の生産農家も収入の減少に頭を抱えている。最大の問題は、収入が生産費用を下回ることだ。果樹園を営むピリオレ氏が仏メディアに語ったところによると、1キロ当たり3ユーロで店頭販売される洋梨を作るために最低40サンチームの費用が掛かるのに対し、実際に生産者が得る金額は17サンチーム。しかし他に販売の手段がない農家は、この値段を受け入れるしかない。中国産のリンゴやチリ産のキウイなど国際競争が激化する中で市場価格の下落に対抗する術もなく、毎日8時間から14時間の労働に加え、週末も働くという過酷な労働に耐える農業従事者。それにも関わらず、定年後の年金はフランスの貧困層よりも低い。将来の不安を抱えたまま、今日を生き伸びるための金銭を得るために家を売らねばならない農家が急増している。

政府による対策

この深刻な事態を受け、政府は2009年10 月に農業特別支援プランを発表。これは農業従事者に対し、諸経費を一時的に国が補助し、低金利で融資を行う支援だ。EU諸国の中でもフランスは、雇用者に対して支払う社会保障費が高い。例えば収穫時に短期雇用する際の時給は、スペインやドイツが7~8ユーロなのに対し、フランスは11.26ユーロ。この負担を軽減させるための補助金を導入し、さらに環境税や借金の利息の一部に補助金を充て、農業従事者を支援する。また銀行から融資を受けらなかった農業従事者にとって、低金利で融資を受けられるこのプランはありがたい。しかし経営危機に瀕 (ひん)している場合には、一時的な運転資金の調達が必ずしも問題解決にはつながらない。利益が得られるめどが立たず借金が積もるばかりだと、借り入れを拒否する農家も多い。

抜本的対策として今年1月、ル・メール食料農業水産相は「農業・漁業近代化法案」を閣議に提出した。これはフランス農業の向かうべき方向を位置づけた法律であり、美食の国としての伝統を保ち、国際市場の中で競い合える安全で良質な食品の十分な量の生産がフランスにとって大切だとしている。現時点で生活苦にある農業従事者に対する解決策としては、①農作物の価格の透明化、②農業従事者と分配業者間における価格などの条件の契約化および、違反時の罰金義務化、③農家の天災保険加入のための資金援助などが盛り込まれている。

環境と食の安全

第二次世界大戦後深刻な食糧危機に陥ったフランスは、農作物生産増のために努力してきた。しかし、アメリカのような農業大国と競い合うために生産性至上主義農業を貫いたフランスは、水質・土壌汚染に悩まされるようになる。

経済協力開発機構(OECD)加盟国の2001年から2003年までの農薬使用量は、アメリカが全体の38%、一方のフランスは10%。しかし、1ヘクタール当たりの平均農薬使用量は、アメリカが1.8kgなのに対し、フランスは4.4kgと多い。ただし2000年から2006年にかけてフランスは農薬使用量を18%削減させており、2007年の環境グルネル会議では、危険性のある農薬の使用量を2018年までに半減させるという目標を掲げた。

2050年に90億人に達するといわれる世界人口に対応できるだけの生産物の確保や、年々深刻化する環境破壊を食い止めるために、フランス政府は昨年「土壌目標2020」を発表した。持続可能な農業を築くには、生物多様性の保全が不可欠だ。そのためには効率的な水の利用、良好な水域生体に戻すための努力、太陽エネルギーの利用促進などが求められる。再生可能エネルギーの使用が活発になれば、原油や肥料高騰時に重くのしかかる農業従事者への負担も軽減されるだろう。

有機農業は消費者の求める未来

食の安全に対する消費者意識が高まる中、有機農業は急速な拡大を見せている。政府も2012年までに農業全体における有機農業の割合を現状の2%から6%に、2020年までに20%に引き上げる目標を打ち出した。有機食料品の開発・振興を目的とするAgence BIOによると、2009年に有機農業への転向を約束した経営者数は3600件、前年度に比べて23%増加。フランスの有機農業面積は67万ヘクタール(うち転換中面積が15万4000ヘクタール)で、利用農地面積の2.5%となっている。

また意識調査によると、消費者の84%が 有機農業の更なる発展を望んでいる。利益が上がり永続性が見込める有機食料品は、大手スーパーでも独自ブランドとして開発を進めている。しかし、フランスにおける有機食料品は輸入に依存するところが大きい。2008年にフランスで販売された有機食料品のうち輸入品は30%そのうち3分の1はフランスでも十分生産可能な穀物や野菜であり、今後この分野での伸びが期待される。

有機食料品の認証マークである「AB」ラベルは消費者の認知度が高く、84%が購入する際にこのラベルを目安にしている。他にも家畜の健康管理や飼育環境、衛生面の管理などを保証する赤ラベル(Label Rouge)、特定の場所で条件を守って製造されたことを保証する原産地呼称統制制度(AOC)などがあり、品質を保証する商品に力を入れるのも、今後国際市場で生き残る知恵かもしれない。

国際競争が激しい今日、フランス農業が勝ち抜くにはリーズナブルな価格だけでなく、ブランド力が必要になる。そのために政府が打ち出した抜本的な改革は、現在生活苦にある農業従事者に対する解決策として、即効性はない。しかし、生産性を第一に考えてきたフランス農業が未来のために新たな課題に立ち向かい、農業大国としての新たな可能性を探っていることは確かだ。

欧州連合における農業生産

(単位:10億ユーロ)2008年 出典:Eurostat

フランス
  bar 66.8
ドイツ
  bar 48.2
イタリア
  bar 46.1
スペイン
  bar 40.5
イギリス
  bar 23.6
オランダ
  bar 23.5
ポーランド
  bar 21.6
ルーマニア
  bar 17.0
ギリシャ
  bar 10.4
デンマーク
  bar 9.5
他のEU 加盟国
  bar 60.1

利用農地面積における有機農業面積

(単位:%)2007年 出典:Eurostat

1位
オーストリア
11.7
 
13位
ドイツ
5.1
2位
スウェーデン
9.9
14位
ノルウェー
4.7
3位
ラトヴィア
9.8
15位
リトアニア
4.5
4位
イタリア
9.0
16位
イギリス
4.1
5位
エストニア
8.8
17位
スペイン
4.0
6位
チェコ
8.3
18位
ハンガリー
2.5
7位
ギリシャ
6.9
19位
オランダ
2.5
8位
ポルトガル
6.7
20位
ベルギー
2.4
9位
フィンランド
6.5
21位
ルクセンブルク
2.4
10位
スロバキア
6.1
22位
フランス
2.0
11位
スロベニア
6.0
23位
キプロス
1.6
12位
デンマーク
5.2
24位
アイルランド
1.0

牛国の支援なしで運営に成功するAMAP

国の援助に頼らずに生計を可能にした農業組織AMAPがある。現在フランスに1200以上あるAMAPは、生産者と周辺に住む消費者が契約を結ぶ提携システムで成り立つ。コミュニケーションを大切にし、消費者が求める安全な作物を育てるよう、生産者は最大限の努力を払う。消費者は生産者に6カ月から1年分の代金を前払いし、週に1度収穫物を取りに行く。こうして、生産者は資金繰りに困ることなく生産を続けられ、消費者自ら収穫物を引き取りに行くため、運送・梱包費用などのコスト削減にもなる。畑が忙しい時期には、時間のある消費者が無償で手伝うのも大きな特徴。畑に触れることで、食の安全や農業への理解は一層深まる。仮に悪天候が続き収穫がゼロだったとしても、払い戻しは一切ない。逆に豊作であれば、予定量よりも多くの農作物を消費者に提供する。また、消費者は野菜を選べない。その土地で、その季節に採れる野菜を農家から分けてもらうという考えだ。自分の食べるものを自分の目で確認し、好天を祈り、畑に従って献立を組む生活にリズムを変えることで、自然と農業に対して親しみや関心、感謝の念を抱くようになる。

実はこの仕組み、70年代に日本で始まった提携システムを模倣している。高度経済成長期の日本では公害病が多発し、安全な食べ物を手に入れる運動が起きた。これが海を越えアメリカで根付き、フランスの農業従事者ダニエル・ブイオン氏の目に触れた。2001年、ブイオン氏が南フランスで創設したAMAPは、メンバーを増やし続けている。

グローバリゼーションにより農業問題が複雑化し、解決策が見えにくい今日。だからこそ農業の基本に戻り、自分の目で事実を確認できる小規模なAMAPが、人々に受け入れられるのだろう。

AMAP 公式サイト
www.reseau-amap.org


牛乳価格下落2009年9月18日、牛乳価格下落への抗議として、フランス西部アルデヴォンの酪農家たちが350万リットルの牛乳を農地に放出した。
©AP Photo/David Vincent
酪農家のデモ2010年3月1日、国際農業見本市での酪農家1000人上によるデモ。
酪農工場のスト2009年9月21日、ストライキをするロデーズにある酪農工場。
有機食料品店有機食料品専門店に並ぶ、各国から集められた果物。
有機食品のプライベートブランド大型スーパーでは有機食品のプライベートブランドが展開されている。
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フランスで起業する!

2009年、フランスの起業数は前年比75.1%増と
驚異的な伸びを見せた。
さらに今年2月の起業数は5万7748社で、過去最高数を記録。
世界的不況の中にわき起こった起業ブーム。
日本人がフランスで起業する場合にはどうすればよいのか?
フランスにおける起業の実態を探る。
(texte: Kei Okishima)

起業ブームの背景にあるのが、2009年1月に施行された「個人事業主制度(auto-entrepreneur)」による起業者数の増加だ。これは個人企業の形態のひとつであり、手続きが簡単な上、職の有無を問わないこと、支払う社会保障費が収入の額によって決まり、最低支払額がないなどの特徴がある。Urssafによると、外国人であってもフランスでの滞在許可がある人であれば、ビザの種類は問わず登録できる。しかし年間売上額の上限が職種によって3万2000ユーロから8万ユーロと設定されており、あくまでも小規模なビジネス向きだ。

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フランス政府がこの制度を導入した狙いは、特技を活かした事業を興すことで失業者を減らし、経済活性化を図ること、また業務申告を怠る小規模な不正取引を減らすことなど。昨年個人事業主で起業した人の約半数が起業前に無職だったことを考えると、確かに政府のもくろみもうなずける。

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しかし一方で、新たな問題も生じている。例えば、企業が社会保険料などの負担を軽減するために、社員として雇う代わりに個人事業主として起業させ、その後業務契約を締結するようなケースだ。彼らは実際には社員と同じような仕事をしているにもかかわらず、正社員としての権利を持つことができない。そればかりではなく、たとえ個人事業主が不法労働者だったとしても、正社員ではないため、業務契約を交わした企業に法的責任を問うことができない。増加し続けるこれらの問題に、政府の対応が迫られる。

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空前の起業ブームの中、実際に日本人がフランスで起業するにはどんな手順を踏む必要があるのか。

フランスで最も多用されている起業形態は、株式会社(SA)、単純型株式資本会社(SAS)、そして有限会社(SARL)である。これらの形態は損失を出資額に限定できるため、他の形態に比べリスクが限定的だ。実際に、これまで日本人起業家が選んだ会社形態をみると、単純型株式資本会社と有限会社が多い。両者とも出資者が1名からでも可能な点、最低資本金の定めがない点などが株式会社と大きく異なる。まずは小さく事業を始めたい人に向いているだろう。反対に株式会社は7名以上の出資者が必要だが、株式の公開発行や社債公募を行うことができるという利点があるため、事業を拡大し、多額の運転資金を必要となる場合などに向いている。今回新たに個人事業主制度が導入されたことにより、よりリスクが低く、サイドビジネスにも適しているこの形態を利用する日本人起業家が増えるのかもしれない。

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なお、フランス非居住者でもフランス法人に出資できるが、フランスに居住してフランス法人の代表者となるためには、商業 ビザ(visa commerçant)および滞在許可証、または3年有効の滞在許可証「コンペタンス・エ・タロン」が必要になる。

さて、肝心のスタートアップだが、まず一番大切なのはしっかりとしたビジネスプランを練ること。これがその後の資金確保や取引先を見つける際の糧となる。次に必要資金の確保。自己資金で間に合わなければ、公的融資や、ベンチャー・キャピタル、ビジネス・エンジェルなどからの投融資の可能性を探る。主な会社設立手続きとしては、会社本拠地の確保、定款など規則の作成、商号・代表者の選定、会計監査人の選任、資本金の設定などが必要だ。最後に本社所在地の税務署への定款登記を済ませ、設立通知の法定公告掲載紙へ公示、商業登記をすることで、ようやく起業のスタートラインにたどりつく。一般的に起業の手続の審査に掛かる時間は、すべての書類がそろい申請後、1週間から3週間程度だ。

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しかし実際起業にこぎ着けても、その後予想外の問題に打ち当るのは万国共通の悩み。将来起こりうるリスクも踏まえ、法務面はもちろんのこと、税務、財務、労務面など多角的に専門家の指導を仰ぎながらビジネスプランを検討することが求められる。フランスでの起業を手掛けてきたコンタプリュス公認会計士事務所によると、実際に日本人が陥ったトラブルの多くに、言葉の問題が付随しているという。専門的な言葉の理解が100%でない上、法律、メンタリティ、商習慣などが異なるために大切なことが理解できず、さらに問題が大きくなるケースが後を絶たない。この点に十分注意し、必要であれば日本人向けサポート会社の助けを得てリスクを軽減する対策が望まれる。

(協力:コンタプリュス公認会計士事務所および續恵美子)

日本語可能なビジネスサポート企業

起業お役立ちサイト


日本人起業家インタビュー

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青木千映さん

青木千映さん

上智大学卒業後、パリ郊外の高校にてインターン講師として日本語を教える。その後、通訳・翻訳、コーディネーター、日仏系企業にて輸出入業、広告代理店にてイベント企画などに携り、2007年独立。
写真 ©Marc Michiels

本物の日本文化をフランス人に伝える

フランスに住んでいる日本人が一度は疑問に感じる、この国にはびこる偏った日本像。強烈な印象を与えるアニメやコスプレの文化は伝わりやすいが、わび・さびなどの“渋い”部分は伝わりにくい。そんなフラストレーションを解消すべく立ち上がったのが青木千映さんだ。「日本人としての誇りを何らかの形で発信したかった」という彼女は、日本のクリエーター・職人の作品を日本にいながら海外に発信する仕組みを提供し、フランスでPR活動を代行する。

海外で自分の才能を試したいと思う職人は数多い。しかし、実際にはどのような商品が好まれるのか、どのように海外に進出できるのかは分からずにいるのが現状。一方、インターン日本語講師として渡仏し、その後も通訳やコーディネート、輸出入業など、多方面から日仏に関わってきた青木さんは「本物の日本文化を知ってほしい」と考えていた。そんな両者が手を組んだ新しいビジネスが始まったのが2007年のこと。

社員は青木さんのみ。外部スタッフが数名いる。会社の形態は現在話題の個人事業主。とはいっても起業したのは新制度施行前の2007年なので「ぴったり当てはまる会社形態がなかなか見つからなく幾度も形態を変え、苦労しました」と語る。最終的に現在の形態に落ち着いた理由は、「資金面でのリスクがないこと」。個人事業主の法案が発表された時から動向を追い、内容を調べて検討。そして制度が施行された2009年の1月に申請した。そんな経験から得た教訓は「しつこいくらいに自分で調べることが大切。その過程で壁にぶつかることもあるが、それでも調べれば解決策は必ず見つかる」。

本物の日本文化を感じてもらうことは容易ではない。見せ方を工夫し、青木さんは日本の美意識を伝える努力をする。「リピート客の多さが、本物を理解してもらった証だと思います。またフランス人はストーリーのあるものを好む傾向にあるので、単純なものでも物が持つストーリー性を大切にしています」。そんな青木さんの考える、フランスで起業するのに必要なこと、それは「頑固さと忍耐、オーガナイズ力ですね」。

会社概要

émoi et moi
日本人クリエーターのフランス進出をサポート(Paris-Art-Debut)。また外国人へ向けたオンライン・ショップExpo Shop Japon を運営。

6, rue Devès 92200 Neuilly sur Seine
TEL: 06 16 77 73 17
このメールアドレスは、スパムロボットから保護されています。アドレスを確認するにはJavaScriptを有効にしてください
www.paris-art-debut.com
www.exposhop-japon.com

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佐藤大輔さん

佐藤大輔さん

1973年生まれ。慶應義塾大学大学院修士課程修了後、2001年渡仏。リヨン大学大学院博士予備課程(DEA)修了。在学中より商工会議所などでインターンシップを経て、2005年ALFELISを設立。リヨン政治学院、CSI リヨン国際学園講師。
写真 ©Nicolas Foray

フランスはビジネスチャンスにあふれている

「海外は初めてという日本人のオタクご一行様のアテンドで、早朝からステーキが食べたいという要望には頭を抱えました。駅前のブラッスリーの厨房に頼んで事なきを得ましたが」と笑う佐藤大輔さん。

佐藤さんが代表を務めるアルフェリスの仕事は、衣食住分野におけるフランスでのマーケティング、市場開拓のコンサルティングや調査、見本市でのパビリオンやイベントの企画、運営など多岐に及ぶ。冒頭のような要求にもそつなく応え、特別な宣伝をせずに口コミだけでここまで成長した。今や官公庁や大企業をクライアントに抱え、不可能な案件を成功させる特殊部隊と呼ばれている。

しかし、佐藤さんがかつて目指していたのは大学の研究職。フランスの大学院で18世紀のフランス料理やワインの研究をしていたという。けれど、実際に職を探すとなると、日本でもフランスでも厳しい現実が待っていた。そこで「起業」という2文字が頭に浮かぶ。

ここから起業に至るまでの道は実にスマート。まずは大学院生を続けながらインターンシップを複数掛け持ちし、同時に自由業者として登録。その2年間に市場をチェックし、3年目にそれまで貯めていた奨学金を資本金にして法人を設立した。法人化の理由は、「より大きなプロジェクトを実現し、新しい価値を創りたかったから」と言う。

無駄がなく順調に見えるアルフェリス誕生物語。だが、日本人がフランスでゼロから起業し、事業を拡大するには当然ぶつかる壁もある。「進出日系企業でもなく、フランス人の起業でもないので、滞在許可証の面を含めて何もサポートを受けられずに苦労しました。今後、事業を拡大するにあたって直面する問題としては、業種や許認可の種類によって国籍条件があることです」。

しかしフランスでのビジネスについては「チャンスがあふれていますよ。フランス人が働かないおかげで」とにっこり。日本人の勤勉な姿勢は、この国で起業するのに都合がいい。そんな佐藤さんが考える、フランスで起業するのに必要なこと、それは「決意、勇気、根気です」。

会社概要

ALFELIS
衣食住を中心とした市場開拓、マーケティングを専門とするコンサルタント業務を行う。

9, rue Fournet 69006 Lyon
TEL : 09 54 40 93 65
このメールアドレスは、スパムロボットから保護されています。アドレスを確認するにはJavaScriptを有効にしてください  
www.alfelis.com

 
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