FacebookツイッターRSS feed
バナー
sam 01 octobre 2016

のみの市パラダイス

のみの市パラダイス

骨董品は生きる上で不必要かもしれない。ガラクタはイラナイ物かもしれない。でもそんな物たちやそれらに情熱を注ぐ人たちとの出会いは、心を彩るかもしれない。のみの市楽園とも言えるパリで、人生を豊かにするムダ時間に迷い込んでみませんか? (Texte et Photo : Ren Izuta)

のみの市の楽しみ方

世界一の規模を誇るサントゥーアン(Marché aux Puces de St-Ouen) と典型的な古物商のいるヴァンヴ(Marché aux Puces de la Porte de Vanves)を歩いてみよう。サントゥーアンには1500人、ヴァンヴには400人のディーラーがいる。自分のペースで好奇心に身を任せて歩くのが一番だが、いくつかのポイントとなる店を紹介しよう。

antiques

見るサントゥーアン(別名クリニャンクールのみの市)には美術骨董品からガラクタまでさまざまなものが並ぶ。中でも専門家が多いのが特徴。どんな代物と出会えるか。物と同時に出会うのは、骨董品の陰からぬっと現れる店主。楽しみは尽きない。

30年前からジュークボックス専門店を営むのはアデルさん1とセルジュさん(ポール・ベール通り23番地)。自慢の品は1956年アメリカSeeburg 社製V200モデル2。スイッチを押す と一枚ずつレコードを選択する様子が見える。70年代製以降は中の機械仕掛けが見えなくなるため、それ以前の物の価値は非常に高い。60年前からジャン=ピエールさんが構える Docks de la radio(ジュール・ヴァレス通り34番地)は、アナログの音響機器と映像に関わるすべての部品、機械を扱う店だ3 。蓄音機やモーリス信号の機械、ミニテルなどが所狭しと並ぶ。マルシェ・ポール・ベールには有名な台所用品専門店Bachelier Antiquites がある。店主のフランソワさんお薦めは1900年前後に作られたブナ材の肉屋の肉切り台4。当時は仕事に誇りを持つ肉屋の大将が、他店と差をつけようと、とびきりの備品や家具をあつらえた。マルシェ・セルペットではライター専門店Stand très à l'Etroit。猫の毛を入れて静電気で火を付ける18世紀のライター、クルミ材の胴体にブロンズのカタツムリの装飾がついた見事なライター。火打石で火を付ける銀糸で編んだ19世紀の火打ち袋。子供の頃から収集していたというアランさん5は、奇妙奇天烈、もしくは美しい調度品のライターを扱う。

続いてフランス最大級の古書店Librarie d'avenue(ルキュイエ通り31番地)。600㎡の広さに15万冊の本が並ぶ店内では、トポールのイラスト本から17世紀の料理本、19世紀のスイス 人外交官の日本旅行記など珍しい本にたくさん出会える。「出版されたすべての本を救う」をモットーにベリエさん6 が営むこの巨大古本屋は、来年50周年を迎える。老舗中の老舗、サントゥーアンのパッサージュで祖母、母に続きヴィンテージの洋服を扱う3代目サラの店(Chez Sarah) では、1930年のBroderie de Lunéville と呼ばれるドレスを着た美人のマネキンが出迎える。

1 アデルさん 2 Seeburg 社製V200モデル 3 ジャン=ピエールさん
1 フランソワさん 5 アランさん 6 ベリエさん

ヴァンヴのマーク・サニエ通りにも専門家は多い。その昔、市場で果物やコーヒーなどを販売する時に使っていた袋を売るMissy。20世紀前半の大衆芸術と奇妙な骨董品を扱うモーリスさんの店では、1920、30年代に使われていた手錠を発見7!モーリスさんいわく「鎖部分の職 人技が最高」。他にも1920年代のビー玉の目が光る猫の形をした鳥よけや、同じく20年代の洗 濯道具などが並ぶ。インテリアデザイナーでもあるジェラールさんのデッサン原本専門店はエリザベス・アーデンのショーウインドー用デザイン原画などレアものがいっぱい。ヴァンヴのディーラーのまとめ役はこの道40年のジョスリンヌさん。テキスタイル専門店Amélie Textilesを営む彼女のお薦めは1940年代の毛糸の手編みのビキニ8

午前中が主体のヴァンヴでは、足しげく通うとコレクターとも顔なじみに。趣味が高じて展覧会まで開いたという、フランス随一のボタン収集家アリオさんもその1人。彼いわく「ボタンの中に宇宙がある」。

のみの市探訪は実に深い。人間の歴史をひも解く考古学や文化人類学のようだ。

7 モーリスさん 8 ジョスリンヌさん

食べる美しい物や人、奇妙な物や人を見た後にはうまいものが食べたくなる。カフェやレストランが多いサントゥーアンで、質、量と価格のバランスがいいのがレバノン料理屋Elissar。Formule Elissar 9は鳥、子羊、ひき肉の串焼き盛り合わせが気前のいい量で登場だ。タブレなどの前菜もおいしい。手早く済ませたい 人にはハンバーガーやクラブサンドイッチを出すAu roi du caféがお薦め(昼時は混み合うので注意)。骨董品同様、本物志向の人は、レストランLe Bironでポトフの骨髄添えをどうぞ。

一方、午前中にほとんどの店が閉まるヴァンヴでは行商人が活躍する。舞台女優でもあるダンさん10は、手作りのカヌレやサンドイッチなどを売って歩く。ピスタチオとフランボワーズのフィナンシエがお薦め。

9 Formule Elissar 10 ダンさん

photos ①〜⑩ : ©Ren Izuta

聴くサントゥーアンには音楽の伝統が生きている。ジャズ・マヌーシュとガンゲット(キャバレー音楽)だ。創業50年以上のカフェ・レストランLa chope des puces(ロジエ通り122番地)はジャズ・マヌーシュの殿堂。ジャズにロマ音楽を取り入れたマヌーシュ・スウィングの生みの親ジャンゴ・ラインハルトゆかりの場所でもある。親子3代、この店でジャズ・マヌーシュを演奏するガルシアさん11の演奏を聴こうと、土日は14時になると人でごった返す。スイングの次は、ディープなシャンソンを。レストランChez Louisette(マルシェ・ヴェルネゾン内)は1930年代から続く老舗。ここでピカソは店の紙ナプキンに鳩を描き、ジャン・マレーやゲンズブールなど多くの有名人も訪れた。50年代のシャンソンのレパートリーの数々を「生きるモニュメント」の異名を持つ看板歌手マヌエラさん(芸術文化勲章受章)がまったりと聴かせる12

11 Formule Elissar 12 Formule Elissar

ババさん
13

達人編かなり上級者の歩き方を挙げよう。まず、週末の早起きは必須。3時、4時に活動を開始する。 サントゥーアンならばジャン=アンリ・ファーブル通りからスタート。数件あるDebarras には相続の品や引っ越し、物置一掃などで回収さ れた中古の品が無造作に置かれてあり、とんでもない宝が出ることもあるという。ファーブル通りで28年間スタンドを開くババさん13はこのエリアで知らぬ者はいない人物。銀のフォークやナイフ、陶器などあらゆるものをテーブルに広げており、目利きが必ずチェックする場所だ。目利きの勝負は薄暗い週末の丑三つ時。週末の早起きは得することもあるらしい。

古物商とは過酷な仕事。平日は休みなしで必死に商品を探し回る。オークションや個人宅、古い家の売却などどこにでも飛んでいく。商品のメンテナンスや搬出・搬入など、体力勝負の仕事でもある。毎週のように収集家でにぎわうのも、彼らあってこそ。

ジャポニスムのドレス
14ポール・ベールのヴィンテージ洋服店Les ellesweilles de babellou はジャポニスムのドレスを展示。

達人編サントゥーアンでは「日本文化の影響と暮らしの 美学」と題し、さまざまなイベントが11月29日まで行われる。各店舗では日本にまつわる自慢の一品を展示。その他衣食住をテーマに、書や生け花や茶の湯などの実演、日本酒の試飲会な ども行われる。また、ピエール・カルダン氏のセレクションによるブティックも併設される。

www.paulbert-serpette.jp

Accès

Marché aux Puces de St-Ouen
M:Porte de Clignancourt④、Garibaldi⑬、Paul Bert BUS85, 95
開催日:土 9:00-18:00、日 10:00-18:00、月 11:00-17:00
www.parispuces.com

Marché aux Puces de la Porte de Vanves
Av Marc Sangnier / Av Georges Lafenestre 75014 Paris
M:Porte de Vanves⑬
開催日:土日 7:00-13:00
(Av Georges Lafenestreの一部店舗は15:00頃まで)
pucesdevanves.typepad.com

photos ⑪〜⑭ : ©Ren Izuta

のみの市の歴史

20世紀初頭のサントゥーアン
1520世紀初頭のサントゥーアン 提供 : Restaurent Le Paul Bert

フランスでは、14世紀からくず物屋(Chiffonnier, biffin)など 中古品を扱う商売が法統制化されていた。パリの随所にあったくず物屋や古物商(Brocanteur)によるボロ市も、17、18世紀と度重なる警察の検閲でパリを締め出され、郊外に避難する。今では世界一ののみの市サントゥーアンも20世紀初頭までは雑草に覆われた荒れ地だった。19世紀末より、個人宅から中古の家具や 古布やシーツなどのテキスタイルなどを買い付ける古物商や、古着など捨てられた廃品を回収するくず物屋がぞくぞくと集まる。19世紀末、誰が呼び始めたかは不明だが「のみの市」と呼ばれた市は「Marché à la ferraille(くず鉄の市)」とも呼ばれていた。

現在のサントゥーアン
16現在のサントゥーアン Photo: ©www.parispuces.com

20世紀最初に整備されたのはサントゥーアンのマルシェ・ヴェルネゾン。9000㎡の土地の地主、ロマン・ヴェルネゾンが古物商やくず物屋にバラック小屋を貸し出した。まもなくアルバニア人のカフェのオーナー、マリック・ハジュルラックが3000㎡の土地を購入し、100軒程のバラックを立て古物商に賃貸する。定着した場所を求める古物商たちは協同組織を作り、隣接する野菜 畑の地主と交渉し200軒の骨董商が誕生、マルシェ・ビロンとなる。一方、パリの南西の入り口、ポルト・ドゥ・ヴァンヴには 1920年頃からのみの市が始まった。

第二次世界大戦中のサントゥーアンは陶器のティーセットと引 き換えにジャガイモ1袋というように闇市と化し、物々交換が行 われていた。ユダヤ人商人はドイツ軍占領下で財産を没収され、迫害された。

ポール・ベールに仲間入り
172010年9月、ポール・ベールに仲間入りした24歳のエリーズさんと32歳のジャン=ノエルさん Photo: ©Ren Izuta

パリと同時期に開放されたサントゥーアンは戦後復興する。1946年にポール・ベール、70年代にセルペット、近年では89年にマラシ、91年にドーフィンヌが相次いで出来、世界最大の広さを誇るのみの市となった。

大規模になったのみの市は現在では管理会社が統括する場合が 多い。80年代の栄華を経た後、21世紀になるとアメリカ人顧客が減り、金融危機のあおりを受け不況で店を閉める人もちらほら。そんな中、救世主となるのは最近増え始めた20代、30代の若いディーラーだ。インターネットなど時代の手段を駆使し営業力を発揮しつつも、やはり大先輩たちのような膨大な知識の生き字引になりたいと修行の日々を送っている。

 

フランスの年金制度、高齢者生活を知る

フランスの年金制度、高齢者生活を知る

老いはいやなものだ。読書には老眼鏡が必要、肉体は弾力性を失い、人間としての機能が衰弱する。孤独になる。好奇心が低下する。冒険ができない。病気の確率も上がる。しかし、フランスには「C'est dans les vieux pots qu'on fait la meilleure soupe.(最高のスープは古い鍋で作老夫婦られる)」ということわざがある。年代がたつにつれ、ワインの価値は上がる。そして、老年時代は多くの束縛から解放される時でもある。老いをいかに生きるか。生きるならば必ず訪れる老後の人生に役立つよう、フランスの年金の仕組みや高齢者生活の現状を探る。
(Texte: Kiyomasa Kawakita)

フランスの年金制度

フランスでは、現行60歳の法定退職年齢を2018年までに段階的に62歳へ引き上げることを柱とした年金制度改革関連法案が今秋に可決される見込みだ。背景には、平均寿命が延びているだけでなく、60歳を過ぎても元気な人が増えていること、そして社会保障制度を改革することで国家財政の赤字を削減することがある。

フランスの年金制度は、民間企業、農業、公的機関、自営業と業種により4つに分けられている。さらに、例えば民間対象の年金制度は、「一般制度」と呼ばれる公 的年金(RGSSなど)と、強制加入の企業年金「補足制度」(ARRCO、AGIRCなど)、企業独自の企業年金制度(任意加入)である「追加補足制度」と3階建ての構造。このようにフランスの年金制度は複雑で、職業ごとさまざまに組み合わせると、そのパターンは200以上に上る。

現段階では、フランスの年金は60歳の誕生日の翌月分から受給可能だ。65歳以前だと一部減額はあるが、1カ月でも早く受給をした方が有利。請求手続きは60歳の誕生日の6カ月前から可能である。

日仏社会保障協定

日本とフランスは2007年6月1日に日仏社会保障協定を結んだ。これは両国の社会保障制度の違いから生じる年金保険料の掛け捨て、二重払いを是正したものだ。日本では年金受給資格を得るには最低25年間の社会保 障への加入が条件。一方、フランスの場合は社会保障制度加入期間(通算)に応じて年金を算出、加入期間1四 半期(3カ月)から年金の受給資格が発生する。日本人でも正規に3カ月以上働くと資格を得る。協定以前は日本から派遣された人の場合、滞在条件の1つとして、日本の社会保障に加えフランスの社会保障制度への加入が 義務付けられていた。この二重加入の弊害をなくすために日本とフランスの年金加入期間の加算をできるようにして、日本での加入期間が25年未満でも、フランスでの加入期間を足して25年以上となれば、日本でも年金を受けられるようにしたのだ。

仏社会保障の免除申請には以下の証明書が必要
  1. 日本の年金・医療保険制度の加入書
  2. 日本での雇用契約が継続している証明書
  3. 派遣期間5年以内の証明書
  4. 海外派遣労働者災害補償保険の特別加入書
    または、プライベートの労災保険

日本の年金は日本年金機構へ、フランスの年金は Assurence Retraite に問い合わせるのが一番。日仏の年金はこの協定に準拠し、特に外国人移住者向けの年金サービスなどもない。

日本年金機構 www.nenkin.go.jp
Assurence Retraite www.lassuranceretraite.fr

年金受給者の暮らし

「人類は子孫を育てるために生命設計されてきた。かつては老いるという観念はゼロ。ところが現在、寿命は毎年3カ月延び続けている。4年で1年は寿命が延びている計算だ」(「ルポワン」誌より)。WHOの発表によると、世界の平均寿命は68歳(男性66歳、女性70歳)。日本は平均83歳(男性79歳、女性86歳)、フランス は平均81歳(男性78歳、女性85歳)。退職し年金生活に入る年齢を62歳としても、残り20年近くの“余生”があることになる。2020年のフランスの人口は75歳以上が10%以上、85歳以上は3%以上と予測されている。

フランスでの年金生活者の暮らし方は退職前の職種、出身社会層、年金の額によって大きく異なる。年金の平均受給額は月当たり約2000ユーロだが、大手企業の役員や有力政治家などは、裕福な年金生活(年間100万ユーロ単位)を送る人もいる。中産階級以上の人は庭付きの一戸建てを購入し、豊かに暮らす人が多い。旧植民地との経済貧富の格差を利用し、退職後に豪華な生活をする人もいて、中でも環境が良くフランスの3分の1の生活費で暮らせるというモロッコは人気だ。一方で、年金を支払わずに仕事をしてきた人や失業者など、生活ができるだけの年金を受給できない人たちもいる。

しかし、フランスには65歳以上の高齢者保護を目的にした最低年金保障制度(Minimum Vieillesse) があり、独身者は8,507.49ユーロ、夫婦の場合は13,765.73ユーロを年間で受け取ることができる。日本人でも10年の滞在許可証所持者やフランス国籍を持つ子供の親であれば受給資格がある。

高齢者用施設

環境に恵まれなかったり介護が必要だったりする高齢者は高齢者用の施設に入る。フランスはこれらの施設も多様だ。まず保健施設(Les établissements hospitaliers)と福祉施設(Les établissements sociaux)の2つに分けられる。保健施設は国の管理下にある長期 滞在施設を指し、看護や療養が必要な高齢者が対象。福祉施設は県の管轄だが、最近は医療部門の設備が整った所も増えており、医療福祉施設(Les établissements medico-sociaux)とも呼ばれる。福祉施設は高齢者ホーム(Maison de retraite)、高齢者用アパート(Foyerslogements)、要介護高齢者受け入れホーム(MAPAD)に分けられるが、主要形態は高齢者ホームと高齢者用アパートの2つだ。

高齢者ホームは公営集合型住居(HLM) に当たり、利用料はひと月平均200ユーロ前後。利用料は宿泊・食事・諸サービス込みで共通の空間と居室で構成され集団生活が重視されている。生活保護を受ける高齢者用の施設は10㎡前後で50~150ユーロ/月。高齢者用アパートは各部屋にキッチン、バストイレがある賃貸アパートで、夫婦で住む高齢者が多い。長期医療設備のあるケア施設は日本円にすると月額平均13万~33万円程度で、本人に支払い能力がない場合、不足分は家族負担が義務付けられている。この他、痴ほう症の高齢者のための小規 模ホームなどの施設がある。施設に長期入居する高齢 者のうち、フランスでは16%が医療設備のある施設に、84%が福祉部門の施設に入居している。病院よりも福祉施設の方が生活環境面で優れているというのが理由だ(「FMP Mutualite」2002年1-2月号)。

富裕層の高齢者向けマンションもある。一例を挙げると、「その豪華さはまるで高級ホテル並み。24時間体制での看護婦常駐、昼・夕食や洗濯・清掃サービス、講演会やコンサートの会場、図書室、銀行、訪問美容院などの施設が整っている」(日本ケアワーク研究所)。こうした高級高齢者用マンションの利用料は月当たり平均30万円前後という。

日本人高齢者の会

マロニエの会パリにはマロニエの会というものがある。同会の発起人で代表の上野氏(73歳)は髪も黒くはつらつとして年齢を感じさせない。

「1993年頃から、不況で日本企業が大幅に減り、パリでは400人位の日本人が職を失いました。30代で現地採用され10年程働いていた日本人が多く、この人たちの老後の生活は大丈夫なのだろうかと思ったのが設立の動機です」。設立は2000年。現在の会費会員は約100人。会員になるための条件はない。平均年齢は60歳代後半で、例会や懇談会など、年に40回の集まりを通じて住まいや年金、病気の問題などの情報交換や心の交流を行っている。おしゃべりをするだけで元気が出るという。直接の経済援助はできないが、介護の必要な人には人を紹介したり、帰国の手助けをしたり、葬式を出したこともあるそうだ。日本人向けの高齢者施設を作るために基金を積み立てている。ちなみに、パリ在住の60歳以上の日本人は約1500人、70歳以上は約800人(在仏日本大使館統計)である。

マロニエの会
19, rue de Chaillot 75016 Paris
TEL: 01 47 23 33 58(在仏日本人会内)

フランスにおける老後の暮らし方(2001年)
  • 75歳以上の87%、85 歳以上の73%が在宅生活者
  • 有料ホームステイの高齢者数は6000人
  • 75歳以上の高齢者9%、85 歳以上の高齢者19%が各種老人ホームに入居
  • 85歳以上の高齢者の3%は長期滞在型入院施設に入居(DRESS-Direction de Recherche et d'Etude en Sanitaire et Sociale)

大筋ではこの割合は現在も変わらないという


一般的な老後の活動
  • 自然と共に田舎暮らし
  • 庭や家庭野菜園の世話
  • 社会奉仕事業( ボランティア)活動
  • 合唱など高齢者向けクラブ活動

カプセル年金受給者に話を聞く

ルグリュ夫妻ルグリュ夫妻は南仏の田舎ぺリゴールで年金生活を送る。快適な気候の下、広い庭には草木が豊かに茂る。老後をどうとらえているのか聞いた。

「57歳の時、妻の両親が重い病にかかり、高校教師の仕事を辞め、パリから引っ越ししました。先のことなど考えられませんでしたね。その後、当時300ユーロの月給で市長を引き受け、忙しく過ごしました。老後で大事なのは役に立てる役割があること、人生の意味があること、存在しているという実感があることです。趣味は読書。プルーストの『失われた時を求めて』全巻の2カ月読破に挑戦中です」。朝市で新鮮な食材を買い、家庭料理が抜群にうまく、食器や家具もよく選ばれ手抜きがない。まさにフランス語で言う「Art de vivre(生きる芸術)」 そのものの生活だ。

一方、奥さんはこう言う。「少女の頃から芸術に情熱を抱いていました。教員になったのも、そのための時間を取れると親に勧められたから。だから退職前も今も生き方 が変わったという気持ちはありません」。南仏ではピアノや絵描き、フラワーアートで 時を過ごし、パリのアパートに来ては芸術家との交流や芸術鑑賞を楽しむ。夫婦共に80歳に手が届く年齢である。

 

知って安心フランス薬局事情 - フランスの薬局に行こう!

知って安心フランス薬局事情 フランスの薬局に行こう!

Pharmacien一般用医薬品(市販薬)でさえ自由に手に取って選ぶことのできないフランスの薬局。慣れないと不便に感じるかもしれないが、健康保険の還付を受けられたり健康相談ができたりするなど、便利な一面もある。フランスの薬局事情を知り、上手に利用する方法を紹介する。

(Texte et photo: Ayumi Le Hoang)

協力:原美和子(日本で薬科大学卒業後、製薬会社、薬局勤務を経て渡仏。パリ大学薬学部修士課程)、アメリカンホスピタル日本人セクション

医薬分業が徹底しているフランス

ヨーロッパにおける医薬分業の歴史は中世にまでさかのぼる。陰謀に加担する医師によって王などの権力者が毒殺されることを防ぐため、診察するあるいは死亡診断書を書く「医師」と、薬を厳重に管理する「薬剤師」を分けたことが原点だ。フランスでも医薬分業の制度は中世の時代に取り入れられ、現在まで徹底して行われている。

フランスでは2002年から医師が商品名ではなく成分名で処方せんを書いてもよいことになり、同じ成分の商品の中から薬剤師が選んだ薬を患者に渡すことができるようになった。医師が指示した場合を除き、フランスの薬剤師は医師に許可を取ることなく医師の処方した薬を後発(ジェネリック)医薬品に替える権利も有している。

ギリシャ神話に登場する健康の維持や衛生を司る女神ヒュギエイアが携えている蛇と杯をモチーフにした「ヒュギエイアの杯」マークのバッジ。薬剤師の資格を持っていることを示す

ヒュギエイアの杯のバッジ

市販薬でも対面販売が一般的

市販薬
カウンター越しに陳列される市販薬

フランスの薬局に行きまず驚くのが、薬を自分で手に取って見ることができない対面式販売が一般的であること。鎮痛剤や胃腸薬でさえ、薬剤師に頼まないと箱を手に取ることができない薬局が多い。2008年7月の法改正により、処方せん不要の市販薬のうち政府が定めた一部の薬品は消費者が自由に手に取ってパッケージを見ることができるようになったものの、この販売方法はまだ浸透しているとはいえず、従来通りカウンター越しの薬剤師に出してもらう薬局が多いのが現状だ。

箱単位での販売

添付文書
箱入りの薬に入っている添付文書。分かりやすいフランス語で詳しく書かれている

例えば1日3包3日分の薬が処方された場合、日本であれば9包を渡されるのに対し、フランスでは15包入りの1箱が渡される。フランスの薬局では、処方薬でも箱単位での販売となるからだ。結果的に医師が書いた処方せんよりも多めの薬を渡されることもしばしば。

このように、箱単位での販売が常であるフランスでは購入した医薬品を余らせてしまうことが多い。そこで1990年代には、使用期限切れの薬や個別包装になっている不要な薬を薬局で回収し、貧しい国に寄付していたこともあった。しかし、未開封の薬をそのまま販売する薬局が出現し、さらにこの行為自体が違法と見なされ2008年に活動は終止した。医薬品を通常のゴミと一緒に処分すると有害物質が発生する可能性があるため、現在では使用期限の過ぎた薬や余った薬は薬局で回収し、環境に影響を与えない方法で処分されることが義務付けられている。

夜間・休日の割り増し料金

多くの店がシャッターを閉めるフランスの日曜日だが、フランスにはPharmacie de garde と呼ばれる当番制の夜間・休日薬局開店義務があり、各町や地区で最低1軒の薬局が夜間や休日も営業する。緊急当番薬局は、夜間・休日時間帯に薬を販売する場合、処方せん1枚につき4ユーロから6ユーロの割増料金を請求する権利を持ち、店によっては処方せんなしの薬にも割増料金を課すことがある。普段から休日も営業している薬局にはこの権利はなく、特に都市部では徴収しない薬局も多い一方、地方や個人経営の比較的小さな薬局では徴収することが多いようだ。※ 夜間・休日営業薬局コールセンター:3915(0.15€ TTC / min)

カプセル数字でみるフランスの薬局

35軒フランス国内在住10万人に対する薬局数。2008年の調査によればフランス全土にある薬局の数は 22,514軒で、2,856人につき薬局1軒の割合。ちなみに日本では、10万人対の薬局数は41.7軒で、2,395人につき薬局1軒。

  日本 フランス
人口 1億2769万人 6430万人
薬局 53,304軒 22,514軒

出典:厚生労働省、Ministère de la Santé et des Solidarités

5分フランス薬剤師会(Ordre des pharmaciens) が2009年に行ったアンケートによれば、自宅から最寄りの薬局へのアクセスに掛かる時間は5分。日本の約1.8倍の国土を考えると驚異的な数字ではあるが、薬局のカウンター越しでないと薬品を購入できないことが多いフランスの医薬品販売システムは、過疎地に暮らす人にも便利な医薬品のインターネット販売開始に大きな壁となっている。

30億箱薬フランスで2009年に販売された薬の箱数。1人 当たり1年間で47箱の薬を購入している計算。このうち処方せんなしで購入可能な市販薬の販売数は2億箱で、1人当たりの年間消費量は3.1箱。
出典:Ordre des pharmaciens

フランスの薬局を便利に使おう!

薬局コスメを使ってみよう

日本ではスキンケア=化粧品と捉えられることが 多いのに対し、フランスではスキンケア=医薬品と捉えられることが多い。フランスにはデルモ化粧品(Dermo-Cosmetique)と呼ばれる皮膚科医や薬剤師が 研究・開発したスキンケア製品があり、肌のトラブルを持つ人は、まず皮膚科医の診断を受け、処方せんをもらって化粧品を購入するか、薬剤師のアドバイスを受けながら購入するスタイルが定着している。スキンケアは楽しむための化粧品というより、肌トラブルの解消や乾燥や敏感肌対策のために使う医薬品、という認識が強いようだ。フランスの薬局にたくさんのスキンケア製品が並ぶのはこのような理由がある。

スキンケア商品
医師に処方されたスキンケア製品を求めに薬局に来る人も少なくない

乾燥した気候のフランスで日本にいる時と同じスキンケアをしていると、肌が乾燥し、乾燥性湿しんを患ってしまうこともあるという。フランスの気候に合わせ て開発され、安全で有効な効果が期待できるものが多 いデルモ化粧品を上手に利用することが望まれる。フランスに来てから肌のトラブルに悩むようになった人は、例えばシャンプーやせっけん、ボディークリーム は保湿性の高い製品を使い、こまめな保湿を心掛けるなど皮膚の乾燥を防ぐよう心掛けが必要だ。

処方せんを書いてもらおう

日本で使っていた薬がある場合、まず英語やフラン ス語での医薬品名を用意しよう。その際、商品名ではなく薬品名を調べておくとスムーズだ。どのような症状のためにその薬を服用しているのか、薬品の含有量、妊娠している場合はその旨もメモすることを忘れずに。処方せんが必要な薬の場合は、このメモを見せ、医師にフランス語の処方せんを作ってもらおう。これまで の服用期間や、どんな症状で服用しているかなど基本的な質問と診察で通常は処方せんを書いてもらうことができる。

処方せん
処方せんは2枚つづりが通常

アレルギーなどの慢性疾患で薬を服用している場合、最長で1年間有効の処方せんを書いてもらうこともできる。薬局では一度に数カ月分の医薬品をまとめて渡すことができないが、処方せんの有効期間内なら同じ 薬を保険適応価格で購入することができる。ただし、医師が処方せんを発行した日から3カ月以内に一度も薬を購入しない場合、処方せんは効力を失うので注意。

健康保険を利用しよう

薬の種類にもよるが、医師の処方せんによって処方される薬は、健康保険(Assurance Maladie)が適応されるものが多く、任意の医療保険、ミュチュエル(Mutuelle)に加入している場合は患者の負担なしで購入できる薬も少なくない。政府の定めるいくつかの例外品を除き、医師の処方せんがあれば健康保険が適応 される。処方せんを書いてもらう際、医師に保険の適 応可否を教えてもらうことも可能だ。医師の診察を受けるのは手間が掛かるが、処方せんを書いてもらうことで自己負担額が少なくなるのはありがたい。

フランス健康保険サイト: www.ameli.fr

バーコード
バーコードの色は、健康保険で賄われる率を示す。白は65%、青は35%、オレンジは15%、また×印が付いているものは100%の代金が健康保険でカバーされる

健康保険料の払い戻し方法

健康保険証(Carte Vitale)のICチップ付きカードを持っている場合、薬局で支払いの際にCarte Vitale を出せば、健康保険の還付額が差し引かれた料金で購入できる。Carte Vitale を持っていない場合は、一度自己負担で全額支払い、薬局で払い戻し請求用紙(Feuille de Soin)をもらおう。

薬局の名前と住所の入ったスタンプが請求用紙と処方せんに押してあることを確認し、薬の箱、バーコードシールの「vignette」と書かれてある部分をはがし請求用紙に貼る。氏名や住所などの必要事項を記入し、管轄の疾病保健初等金庫(CPAM:Caisse primaire d'assurance maladie)に送付、または直接持って行く。

フランスの薬剤師が選んだジェネリック薬品を患者が拒否し、先発医薬品を要求する場合、薬局によっては患者が一度全額を支払わなければならないことがある他、健康保険の還付額も低くなる。

Carte Vitale を持っていない場合は払い戻し請求用紙を記入の後CPAM に送付すると後日銀行口座に払戻金額が振り込まれる

Carte Vitale

かかりつけ薬局をつくろう

英語で対応してもらえる薬局や、自宅や職場に一番近い薬局、説明が丁寧など、利用しやすいかかりつけの薬局をつくっておくといざというときに安心だ。健康相談や薬の質問なども気軽にでき、家族構成やライフスタイルを薬剤師が把握することで処方せん不要の薬を購入する際はより体質に合った薬を提示してもら える可能性も高くなる。また、各地域や地区で営業している薬局は、その地域の医師や医療機関も熟知しているため、緊急時に対応してくれる医師、評判の良い医師や小児科、ホメオパシー治療をしてくれるなどの情報も教えてもらうこともできる。薬局で教えてくれる地域密着型“口コミ”情報は、情報化の進む現代でも容易に得られるものではなく、大きな価値がある。

常備薬を買おう

医師の処方せんがなくても購入可能な市販薬は簡単に使用することができるが、アレルギーや服用中の薬がある人、妊娠・授乳中の人、また2~3日使用しても症状に改善がみられない場合は薬剤師や医師に相談 しよう。市販薬とはいえ、慢性的に服用すると肝臓や 腎臓に支障をきたす恐れがあるので、長期間の服用は 控えること。またフランスの錠剤などは日本のものと 比べて大きいことが多いが、自己判断で規定の量を増減して服用せず、規定の服用量を厳守するか、不安な場合は薬剤師に相談しよう。

フランスでは大きい錠剤が多い。
1ユーロ硬貨と比較しても明らか

常備薬

あると便利!フランスの常備薬

鎮痛・解熱剤(Analgésique)
Doliprane……アセトアミノフェン配合の鎮痛解熱剤
Nurofen……イブプロフェン配合の鎮痛解熱薬

風邪薬・総合感冒薬
(Traitement au cours des rhumes)

Fervex……ぬるま湯で溶かして飲む風邪薬。子供用、大人用がある

下痢止め・整腸剤
(Traitement symptomatique d'appoint de la diarrhée)

Ultra Levure……自然由来の成分を配合した整腸剤

せき止め(Traitement symptomatique des toux)
Toplexil……大人、子供兼用のシロップ

胃腸薬(Traitement contre maux aux ventres)
Maalox……消化不良、胃痛、腹部の張りなど症状に合わせて3タイプある

消毒液(Solution antiseptique)
Diaseptyl……傷口などの消毒に使用

パリ市内年中無休営業の薬局

Pharmacie Les Champs
84, av des Champs Elysées 75008 Paris 【地図】
TEL: 01 45 62 02 41
M: George V①

Pharmacie européenne
6, pl de Clichy 75009 Paris‎ 【地図】
TEL: 01 48 74 65 18‎
M: Place de Clichy②⑬


 

戦後、オペラ日本人街形成の軌跡

戦後、オペラ日本人街形成の軌跡

オペラ座の近くに位置する通称「日本人街」は、在仏邦人にとってなくてはならない憩いの地。しかしなぜパリの中心であるこの場所に日本人街ができたのか。第二次世界大戦後、海を渡りパリの日本人社会を形成してきた先輩方の意見をもとに、パリの日本人社会の歴史をたどる。

(取材・執筆:沖島景、協力:芦部巧、芦部勲、岡本宏嗣、上野真紀子、高萩悦子、秋山勇志、管佳夫、在仏日本人会、パリ三越)

1950年代

戦後のパリの日本人

1958年にパリのパンテオンの近くに日本料理店たからを開いた芦部巧は、当時の様子をこう語る。「パリ市民にとって日本は遠い世界。日本がどこにあるのかさえ知らない人が多い時代です。もちろん日本人街なんて存在しませんでした」。

中国人経営の商店でしょうゆなどは購入できたが、それ以外のものは手に入らない。「豆腐は買えても硬くてとても日本料理には使えない。自分で大豆を購入して、薬局でにがりの代用品を探し、自家製豆腐やみそを作りました」。日本酒が売っていると聞き、チューリッヒまでスクーターで買いにいったこともあったという。 「税関が厳しく、大量に酒を運べないので、毎日違う税関を通って少しずつ運んだものです」。

ちょうどこの頃、日本人会が設立された。現在のようにインターネットもなく、情報も乏しい時代。日本人会によって結ばれるネットワー クの重要性は言うまでもない。日本人会前事務局長の岡本宏嗣によると、当時パリにいた日本人は500名程。内訳は大使館関係者、大手商社の駐在員、ジャーナリスト、アーティスト、そして研究者であったという。

*芦部氏は2005年にたからを手放し、現在は別の経営者が経営している。

日本料理店たから
戦後欧州初の日本料理店たから

店のカウンターで
店のカウンターでそろばんをはじく芦辺巧氏

1960年代

海外渡航者の増加

60年代に入ると、たからはオペラ大通り近くのモリエール通りに引っ越す。当時のオペラ地区にあったのは東京銀行(現、三菱東京 UFJ銀行)のみ。そもそも、日本では観光を目的とする海外渡航が戦時中から戦後にかけて禁止されていた。しかし64年4月から「1人年1回、金額は500ドル以内」という制限付きで観光目的でも海外渡航が可能になる。その後も依然として業務で渡航する者が多かったが、69年に観光目的での渡航数が全体の52%になり、初めて業務目的の者を上回った。世界的に見ても64年には海外旅行をする者が1億人を超え、パリにも観光客が増え始める。こうして、パリを代表する建物の1つであるオペラ座、そしてここからルーブル美術館へ行く道であるオペラ大通りに、観光客目当ての免税店が多数並び始めた。

1960年頃のオペラ座
1960年頃のオペラ座

日本航空、北回り欧州線
1961年、日本航空は北回り欧州線の自社便運航を開始した

1970年代

海外旅行ブームとパリ三越開店

1971年、免税店が立ち並ぶオペラ大通りに、三越が日本の百貨店としては初めて海外に進出する。以後、日本人が勤務し日本語でフランスの商品を購入できるパリ三越は、日本人観光客が必ず立ち寄る店として重要な役割を果たす存在になった。70年代から同店に勤める上野真紀子はこう振り返る。

「当時は日本円の価値がまだ低く、両替レートの一番良いのが東京銀行でした。日本からの送金も東京銀行で受け取れたので、パリに来てまず訪れるのが東京銀行、その帰りに三越に寄り、その後ちょっと日本食でも食べて帰る、というコースがお決まりでした。こうして日本料理屋が増えていったような気がします」

しかしサンタンヌ通りは、「『オカマ通り』と呼ばれていて、とても私たちが近づけるような雰囲気ではなかった」という。「当時、日本での百貨店の存在は、高級な商品を置き裕福な層が買い物に来る場所でしたが、フランスではむしろ一般的な市民が買い物をするお店というイメージ。裕福な人たちはお気に入りのブティックで買い物をするのが常でした」。パリ三越の周辺、免税店の立ち並ぶオペラ大通りから少し路地に入ると、フランス人向けの高級ブティックが立ち並んでいたという。

70年代に入ると、日本人の海外旅行者数は 年々飛躍的に増加し、一般市民にも海外旅行が 夢ではなくなる時代がやってきた。長年パリで航空関係の仕事に従事していた管佳夫はこの理由を説明する。「70年代、ジャンボジェット機が登場し、ツアー料金が格段に安くなったの です。また円の切り上げにより海外旅行費が低下したことも理由の1つです」。

実は、60年代の旅行は一部の裕福層に限られたものであった。大卒の初任給が2万5000円程度であった68年当時の旅行料金を参照してみると、「お正月ヨーロッパ17日間の旅」がなんと55万8000円。観光旅行が増えたとはいえ、一般市民にはとても支払えないような金額だったのだ。

こうして、72年には海外旅行者数が前年比45%増の139万2000人にも及んだ。74年には石油危機の影響、それによる物価上昇で消費節約の傾向が見られたが、76年以降は再び2ケタ台の伸び率を見せ、79年には日本人海外旅行者数が400万人台を達成する。前出の上野は、この頃の繁栄ぶりをこう語る。

「買い方が今では考えられないような派手なものでした。当時は海外旅行に行くとなると、お餞別をもらう時代。そのため、お土産にと、 口紅やネクタイを30本から50本、高価な貴金属でさえも、ガラスケースの内部を指差して 『ここからここまで頂戴』というような買い方をする方がほとんどでした」

パリ三越
1971年、オペラ大通りに開店したパリ三越

1980年代

日本経済の成長とオペラ日本人街の形成

80年代になると、フランスの電気店に日本製の電気製品が並ぶようになる。当時の日本製電気製品の人気ぶりを、前出の岡本はこう振り返る。「年末に日本人会のバザーが行われ、日本製の製品が多数出品されます。高級な日本の製品が安く買えるということで、午前10時開始のバザーに、早朝5時頃からフランス人が列をなしていました。警察がなんの騒ぎだ、と見に来たこともあります。結局その警察も商品を買っていきましたけどね」。

80年代後半のバブル経済期には、欧州連合(EU)になる前にフランスへ進出しようという意図も手伝い、日系企業の進出ラッシュが始まる。本格的に海外旅行が大衆化したのもこの頃だ。またアメリカから始まった健康食ブームがフランスに来たこともあり、オペラ地区に日本料理の店が増え始め、駐在員や日本人観光客、そしてフランス人が日本食を食べに来るようになる。日本人街が今のような姿を見せ始めたのは、この頃だ。

1990年代〜

駐在員の減少と フランスにおける日本ブーム

日本経済が傾き始める90年代。しかし、日本人会の法人登録数は93年にピークを記録し、パリ三越の売上も95年に最高に達していることからも分かるように、90年代前半はまだ80年代の華やかさを引きずっていた。90年代後半になると少しずつ日系企業が事務所をたたみ始め、日本からの出張者も減少する。たから創業者芦部の息子で、現在日本料理店ほたるを営む芦部勲は、当時の移り変わりをこう語る。「バブルの頃は、会社のお金で豪勢に食事をされていました。90年代後半からは、それまで6、7人で食べに来ていた出張者の数が、2、3人に減少する変化が見られ始めました」。

95年には親日派で知られるジャック・シラクが大統領に就任し、文化面での日仏交流が盛んになり、サブカルチャーの面でも新しいブームが始まる。2000年に始まったJAPAN EXPOが象徴するように、若い世代を中心に 漫画に人気が集まる。実はこの世代は日本のアニメを見ながら育った世代。「Goldorak」の名前で親しまれたアニメ「UFOロボグレンダイザー」は常に高視聴率を保ち、79年には雑誌「Paris Match」の表紙を飾っているほどだ。この世代が成長し、フランス人が自ら漫 画を自由に楽しむようになったのが、ちょうど90年代中頃。幼い頃に漫画を通して自然と 日本文化を吸収していたこの世代が、はしを自在に扱い、日本食やお茶などに親しみを持ち、日本人街を訪れるようになるのも、自然な流れだ。この傾向は2000年に入るとより強くなり、ここ5年程で日本人街には急激に日本料理関連の店が増えた。JAPAN EXPOの入場者は10年間で50倍以上にもなった。彼らは漫画の中の主人公と同じ格好をし、同じような生活スタイルに憧れ、パリの中の日本であるオペラ地区日本人街で夢の世界に浸る。

また、日本食の持つヘルシーでバランスの良いイメージがフランス人にも受け入れられ始めたのも、日本食がここまでメジャーになった理由に挙げられる。JAPAN EXPOを訪れる“日本オタク”の増加や健康食ブームと共に、日本食材店はもはや在仏邦人のためだけではなくなった。JETROの食品産業国際化可能性 調査によると、2000年から2008年までの日本からフランスへの食料品の輸出額は、在仏邦人の増加率以上に伸びており、フランス国民による日本食品の市場拡大を示している。

戦後間もない50年代には日本の位置さえも 知らなかったパリで、寿司や漫画という新しいツールでコミュニケーションが取れるようになった。在仏邦人も今や約3万人にも上る。時代の移り変わりと共に「日本人のための日本人街」からフランス人も異国情緒を楽しむことのできる「パリの日本人街」へとその役割も変化を遂げた。(文中敬称略)

Japan Expo 2010
2010年7月に開催されたJAPAN EXPOの入場者数は18万人を記録した

現在のサンタンヌ通り
日本人街の中心、現在のサンタンヌ通り

グラフ

 

夏のパリの公園へ行こう

夏のパリの公園へ行こう

チュイルリ-公園の大観覧車付き移動遊園地 Fête foraine des Tuileries(8月23日まで)やリュクサンブール公園を始めとする公園のキオスクイベントもお見逃しなく!公園での野外イベント情報はパリ市作成の総合パンフレットでご確認いただけます。
www.paris.fr/portail/loisirs/Portal.lut?page_id=5598

公園政策に力を入れたナポレオン三世のおかげで、パリには大小さまざまの素晴らしい公園がある。庶民的、貴族的、山野タイプと、それぞれの公園が個性的なのはさすがフランス!夏のパリ生活やパリ滞在をますます豊かに楽しく過ごすため、パリの公園5カ所とそこで行われる夏のイベントを紹介! (Texte et Photo : Akiko Grand)

parc
マリー・アントワネット御用達!麗しの庭園
Parc de Bagatelle (dans le Bois de Boulogne)

Parc de Bagatelle

ニューヨークのセントラルパークの2.5倍の広さを持つブローニュの森。この広い森の中にバガテル公園はある。義妹マリー・アントワネットとどれだけ早く作れるかを競争したアルトワ伯が、64日で建てた小さな城を持つこの庭園には、彼女も遊びに訪れた。19世紀には、トリアノン(離宮)とオランジュリー(オレンジ園)が加えられ、ナポレオン三世によって公園の面積は1.5倍に拡大。1905年にパリ市のものとなり、モネの「サンタドレスの庭」を見本とした庭園が造られた。現在は世界有数のバラ園を誇り、1907年に開始したバラ国際コンクールの開催地としても有名。

開園時間 3月1日~冬時間最終日
10月1日~夏時間最終日
9:30-18:30
夏時間開始日~ 9月30日 9:30-20:00
冬時間開始日~ 2月末日 9:30-1700
入園料 入園無料(展覧会開催期間中 5€)
住所 Bois de Boulogne 75016 Paris
(入園口 Route de Sèvres à Neuilly)
アクセス Pont de Neuilly ①、バス 43番 Bagatelle 下車
ウェブサイト www.jardins.paris.fr

Musique de Chambre à Bagatelle Orangerie :
Octuor de France

Musique de Chambre à Bagatelle 18年間バガテル公園のオランジュリーで森の室内楽コンサートを行なっている、フランス八重奏団(Octuor de France)。1988年から第一バイオリン奏者を長沼由里子が務め、クラシックから現代音楽まで、質の高い演奏を楽しめる。

16:30 の部:8月8日(日)、14日(土)、15日(日)
20:30 の部:8月12日(木)
入場料:20€ ~ 25€ 
TEL:01 42 29 07 83
www.octuordefrance.com

parc
家族ピクニックにも最適!癒やしのフラワーパーク
Parc floral de Paris (dans le Bois de Vincennes)

Parc floral de Paris

西のブローニュの森と共にパリのプモン(肺)と呼ばれる大緑地、ヴァンセンヌの森。代々王の狩り場だったパリ東部の広大な森の一角にフラワーパークはある。花々が咲き乱れ、木立と芝生の手入れが見事なこの公園は、家族ピクニックにも最適の場所。もちろん、子供向け遊具もそろっている。屋根付きのオープンイベント会場では夏の間の毎週末にクラシックコンサートが、また屋内会場では子供向けのスペクタクルが9月22日まで開催。

開園時間 1月1日~ 2月2日 9:30-17:00
2月3日~ 3月2日 9:30-18:00
3月3日~ 30日 9:30-19:00
3月31日~ 9月30日 9:30-20:00
10月1日~ 夏時間最終日 9:30-18:30
入園料 5€(7歳未満無料)
住所 Bois de Vincennes Av de la Pyramide 75021 Paris
Parc floral de Paris / Espace Delta
アクセス Château de Vincennes ①、RER A 線 Vincnnes
TEL 01 43 28 41 59
ウェブサイト www.jardins.paris.fr

Classique au vert

Classique au vertフラワーパークでの野外コンサート。牧歌的なクラシックミュージックを楽しもう!というコンセプトが年々人気を高めている。ショパンとシューマンの生誕200年を記念し、今年は才能ある若手音楽家たちによるこの2人の巨匠の作品を中心にコンサートを毎週末開催。

8月7日(土)~ 9月26日(日) 土日 16:00
入場無料(入園料のみ)
www.classiqueauvert.fr

parc
パリ最大! 科学と芸術の複合文化パーク
Parc de la Villette

Parc de la Villette

パリの北東19区にあるヴィレット公園は、パリで最も人気のあるイベント・スペースの1つでもある。かつては大規模屠殺場と肉市場だったこの土地は、ミッテラン大統領(当時)のもとに行われた「パリ大改造計画」の一環で、1984年イベントホールのオープンを皮切りに、自然と現代建築が一体となった、世界でもユニークな複合文化施設に大変身。55ヘクタールという広大な敷地に、科学博物館やコンサートホール、大展示会場などが散在。年間を通して盛りだくさんの催しは子供から大人までがたっぷり楽しめる。野外映画祭やジャズフェスティバルなど野外イベントの多くは、大展示会場の右手にある三角形の芝生広場で開催。

入園料 無料
住所 211, av Jean-Jaurès 75019 Paris
アクセス Porte de Pantin ⑤
TEL 01 40 03 75 75
ウェブサイト www.villette.com

Cinéma en plain Air

Cinéma en plain Air毎年恒例の野外映画祭。20年目を記念する今年のテーマは「20歳」。映画祭のゴッド・マザーに女優サンドリン・ボナールを迎え、新旧世界中の選りすぐりの青春映画を連夜星空の下上映する。ひんやりとした芝生、さわやかな夜気、ゆったりデッキチェアでの映画観賞はヴィレット公園ならでは。

8月22日(日)まで
日没後上映開始、月休
入場無料(デッキチェアと毛布貸し出し:7€)
TEL:01 40 03 75 89

parc
山あり谷あり! 都会の大自然パーク
Parc des Buttes-Chaumont

Parc des Buttes-Chaumont

パリの市内で、モンマルトルの丘と並ぶこの小高い土地は、フランス革命まで刑場があった所。ナポレオン三世の政策によって生まれた公園としてのビュット・ショ-モンの歴史は、1867年に始まる。24.7ヘクタールを有し、パリで最多種の野鳥が生息するこの大公園には、山あり、谷あり、つり橋やせせらぎもあり、パリ市内とは思えないほどのアミューズメント的な自然を味わえる。小さな子供用の遊具も備えており、都会に暮らす庶民の最高 の憩いの場の1つとなっている。

開園時間 5月1日~ 8月31日 7:00-22:00
9月 7:00-20:00
10月1日~ 4月30日 7:00-20:00
入園料 無料
住所 Pl Armand-Carrel,
le Parc des Buttes-Chaumont 75019 Paris
アクセス Botzaris ⑦ bis、Buttes Chaumont ⑦ bis、Laumière ⑤
TEL 09 53 94 75 67
ウェブサイト www.jardins.paris.fr

Festival Silhouette 2010

Festival Silhouette 20109回目を迎えるパリで唯一の野外短編映画祭。フィクション、アニメ、ドキュメンタリーなど、あらゆる国の個性あふれる短編映画を上映。上映に先立ち、ロックやシャンソン、サンバなど多彩なレパートリーの野外コンサートも行われる。

8月28日(土)~ 9月5日(日)
野外コンサート 19:30、短編映画上映 21:00(日没後)
入場無料
www.association-silhouette.com

parc
世界最大の気球が目印! 未来派パーク
Parc André Citroën

Parc André Citroën

パリ15区の西南、セ-ヌ川沿いに浮かぶ大気球。フランス大統領専用車や今もファンの絶えないドゥシュボーを作り続けた自動車メーカー、シトロエンの工場跡地が、1992年、アンドレ・シトロエン公園となった。典型的な1990年代の未来派様式の公園には、乗船できる大気球や水遊びできるモダンな噴水、総ガラス張りの温室植物園などがあり、科学技術に対する姿勢は工場時代と変わらず、大人にも子供にも新発見の楽しみがあふれている。

開園時間 冬時間開始日~ 2月末日 8:00-17:45
3月1日~冬時間最終日 8:00-19:00
夏時間開始日~ 4月30日・9月 8:00-20:30
5月1日~ 8月31日 8:00-21:30
10月1日~夏時間終了日 8:00-19:30
(いずれも土日祝 9:00-)  
入園料 無料
住所 Quai André Citroën 75015 Paris
アクセス Javel André Citroën ⑩、Balard ⑧

Ballon Air de Paris

Ballon Air de Paris2008年にこの地に固定された気球は、高さ32m、直径22mで世界最大。150mまで昇る空中テラスから見る360度方位のパリの眺望は一見の価値あり。大気球は赤、青、オレンジの色分けによって大気汚染度を知らせる観測船の役目も果たしている。

乗船料:平日 10€、土日祝 12€(3 ~11歳 半額)
*付き添いの大人1人(有料)につき子供2人(パリ在住12歳未満)まで無料(年令証明書・パリ住居証明書を提示)
*気球乗船時間:9時から閉園時間30分前まで。天候が良ければ20分ごとに乗船。滞空時間は10分間。(ただし、当日気球に乗船できるかどうかは天候次第。天候が不安定な時は要問い合せ)
TEL:01 44 26 20 00
www.ballondeparis.com

 

アムールの国の国際結婚・離婚

アムールの国の国際結婚・離婚

年々増加している日仏カップルの結婚と離婚。その実態に迫る。
(Texte : Kei Okishima)

「アムールの国」の背景

そもそも、なぜフランスは「アムール(愛)の国」なのだろう?フランスの歴史をたどっていくと、洗練された文化を築くのに恋愛が一役買っていた時代に行き当たる。12世紀、トゥルバドゥールと呼ばれた叙情詩人たちの時代だ。彼らの詩のテーマは、領主の妻など既婚女性へのかなわぬ恋。これは後に騎士道恋愛(宮廷風恋愛)と名付けられ、騎士は身分の高い女性に恋する中で、その婦人に値する人間になろうと内面を磨き、深い知性と高貴な立ち振る舞いを身に付けた。

その後17世紀の宮廷社会でも、既婚の貴婦人たちは夫以外の男性と恋に落ちるのが常であり、恋愛は宮廷文化の重要な位置を占めた。婦人たちをより美しくみせる装飾品、男女の会話をより豊かにする教養、社交の場に欠かせない豪華な食事など、すべて宮廷社会から生まれた。現在フランス文化としてもてはやされているおしゃれなものは、この時に生み出されたもの。アムールの国フランスには、日本では考えられない恋愛の歴史が根付いていたのだ。

「アムール」と「愛」は同じ?

では、現代フランス人はどんな恋愛観を持っているのか。フランス語のamour は、日本語に訳すと「愛」。しかし、この言葉の間に温度差があるような気がしてならない。

「昨日まで、人前でも『愛している』と言ってベタベタしていたカップルが、次の日には『もう好きじゃない』と言う姿をよく見る。日本人からすると、それは愛じゃないのではないか、と感じる」と語るのは、フランス人との離婚を経験した日本人女性。

特に夫婦や家族間において、日本の「愛」は情に似た貢献的な愛情であり、必ずしも「恋」の要素を必要としない。しかしフランスで「アムール」は相手を思う、燃えるような感情を持つ。この感覚が人生にとって大切であり、それによって自分を高めていく。中世の騎士道恋愛的要素が含まれているのだ。

離婚後子供を引き取った彼女は言う。「離婚後、元夫の兄弟に会うと、必ず新しい恋の状況を聞かれる。息子と一緒にいるだけで幸せだから、新しい恋をする気はないと言うと、けげんな顔をされる」。当然のごとく、元夫には新しい恋人ができているという。

フランス人は個人主義と言われるが、これは決して1人でいることを意味しない。他に流されない自分の意見を持ち、他人に依存せずに自立した生活のできる人であることが、個人主義の大前提。そしてその個人は、もう1人の自立した個人を常に必要としている。

子供に対する接し方も、日本とフランスでは大きく異なる。日本の子育ては、「川の字」になって寝る姿に象徴されるように、子供が夫婦の間に入り、家庭の中心となる。一方フランスでは、赤ん坊の頃から「自立」を求め、一人部屋で寝る練習をさせる。また、生まれたばかりの赤ん坊をベビーシッターに預けて2人で出掛けるなど、夫婦の時間を大切にする。逆にこの夫婦の時間が保たれなくなると、日本人が想像する以上にそれを苦痛に感じるのが現実のようだ。日本人女性と離婚したフランス人男性は、「子供が生まれてから、僕は妻の2番目の存在、給料を家に持ってくるだけの存在になった気がした」と語る。

主婦の座がないフランス

国際結婚子供がいてもパートナーであることを望むフランス文化の中で、なかなか理解されないのが「専業主婦」である。日本では家計を預かり、子供の教育も担当する「主婦」という座が確立されている。しかしフランス人を夫にもつ日本人女性は「初対面のフランス人女性に仕事を聞かれ、『主婦』と答えると必ず不満顔される」と言う。

フランスの恋愛論を説いた「フランスには、なぜ恋愛スキャンダルがないのか?」(棚沢直子、草野いづみ著)の中で、フランスで「母性」という言葉が日本のような意味を持たないことが指摘されている。それによると、父権的なキリスト教が支配権を握った西欧では、「母なる大地」たるものの権威が消し去られ、「母の権威が失墜している伝統のもとでは、母であることは女が生きる拠り所にはならない」としている。

以前、フランス人の友人が「(生後まもない)子供を実家に預けてだんなと旅行に行くために母乳を止めた」と言い、驚いたことがある。日本では可能な限り母乳で育てるように推進されていることを話すと、「だから出生率が上がらないのよ」と呆れられた。あくまでも自分の人生を効率的に生き、子供のために自分の楽しみを犠牲にしない。そんな母親の姿があった。

以心伝心はあり得ない

フランス人をパートナーに持つ日本人が口をそろえて言うのが「ここまで言わなくちゃ分からないのか」と思う瞬間と、「ここまで言うか」と傷つく回数の多さについて。逆にフランス人に言わせると、「フランス人はもっと素直で嘘をつかない。日本人のパートナーが怒りをため込んでいても、爆発するまで気が付けない」そうだ。

そもそも、日本語自体が相手の気持ちを考え、気持ちを察することを訓練させている。特別に意識せずとも幼い頃から言葉を選び、相手を傷つけないことが美徳と考える日本人。それに対しフランス人は、知的な議論の場であったサロンの文化を持ち、自分の意見をはっきりと持ち発言することが大切だと教え込まれている。互いを理解するには、相手の言語と文化を知り、理解する努力が必要だ。

もうひとつのフランス的結婚のかたち

連帯市民協約(PACS)とは、異性・同性問わず、共同生活をしようとする2人の成人が結ぶ契約のことで、1999年に施行された。それまでにも結婚をせずとも法律的に認知された形で共同生活を送ることができるConcubinage(同せい)という選択肢はあったが、これは同性のカップルには認められていなかった。そのためPACSによって、同性愛者にも法的に認められた共同生活の形が広がった。結婚との最大の違いは、離婚に当たる契約解消手続きの容易さにある。離婚と違い、理由を問わず一方からの契約解除申請が可能だ。他にも、カップルの子として養子縁組ができないという違いはあるが、社会保障や共有課税などの優遇処置は結婚と同様。手続きは簡単で、2人の署名が入った契約書、未婚証明書、出生証明書を裁判所に提出し、認められれば成立する。

フランス国立統計経済研究所(INSEE)によると、成立してからのこの10年間で交わされたPACSの件数は、約70万件にも及ぶ。結婚よりもPACSを選択するカップルは年々増加し、2008年は前年度比40%増、2009年はさらに20%増となっている。

どちらの国の法律で離婚するか

国際離婚の場合、基本的に夫婦が離婚時に住んでいる国の法律が適用される。一人息子をフランスで育てる日本人女性Aさんは、イギリスでフランス人男性と結婚し、フランス、日本での生活を経て日本で離婚した。手続きは、「日本式で離婚したので“紙一枚”」だった。しかしその後フランスに戻ったAさんは、フランスで裁判をする。養育費などの権利をきちんと定めておいた方が良い、という周囲のアドバイスを受けてのことだった。

フランスと日本の離婚手続きは異なる。日本の場合、両者が離婚に同意している協議離婚の場合は役所に離婚届を提出するだけで離婚が成立する。しかしフランスでは、協議離婚でさえも弁護士を立て、裁判官による審理が必要だ。「フィガロ」紙によれば、平均で約4カ月、費用が600~2000ユー ロ掛かるという。

メリットもある。裁判所が間に入るため、監視権や養育費の権利内容が離婚協議書内で確定しており、離婚後に養育費滞納などのトラブルが生じたときに解決を図りやすい。逆に日本で同様の問題が起きたとき、口約束で“紙一枚離婚”した場合には、家庭裁判所に調停を申し立て、裁判官関与の下、解決を図るしかない。Aさんが日本で離婚したにも関わらず、フランスで裁判を起こした理由はここにある。

親権に関する大きな違い

「日仏カップルで離婚するなら、フランスの法律で離婚することを勧める」と言うフランス人男性Bさんは、日本で結婚し、日本の法律で離婚した。Bさんが現在抱える最大の問題は、一人娘との面会権だ。

子供の親権問題は、フランスと日本の離婚で大きく異なる。親権を母親か父親の一方に定めなくてはならない日本に対し、フランスでは両親の共同親権が原則。片方の親が子供と共に住める監護権を持ち、もう片方が定期的に子供と会える面会権を得る。しかし日本で離婚したBさんには親権がない。親権を持った元妻は、毎回なんらかの理由をつけ娘を会わせようとせず、ある時からBさんの連絡を完全に無視するようになった。その後の働き掛けにより連絡は取れたものの、離婚時には自ら拒否した養育費の要求や、面会の条件を一方的に突き付けられた。フランスのように法的な効力を持つ離婚協定書がないため、「何を今さら」と思いながらも身動きが取れない日々を嘆く。「確かに良い夫ではなかったかもしれない。しかし良い父親であったことには間違いない」。

夫の暴力が原因で離婚した実の妹と比較し、「フランスでは妻に暴力を振るった夫でも、子供に危害を加えなければ、面会権が得られる。なぜ自分が娘に会えないのか、余計に辛くなる」と打ち明ける。Bさんは娘に会える可能性が少しでも高い日本を離れられず、1人日本で娘との再会できる日を待ち続ける。

国境を越えた離婚は、その後生じる問題をより複雑にする。国際離婚の場合には特に将来起こり得る問題を予測する必要があり、権利を法的に確定しておくことが重要だ。

子供を連れて帰れない日本人

親権フランスの法律で離婚した日本人はどうだろうか。子供の親権は両方の親が持ち、外国人である日本人でも監護権を得ることは十分可能だ。ただしそれは、子供を育てられるだけの十分な経済的保障を示せ、離婚後もフランスに留まる場合である。フランスの裁判所は、フランスで育った子供にとって最良の選択は、同じ環境で生活し続けることだという判断を下す傾向があり、子供を連れて日本へ帰ることを認めないケースが目立つ。しかし現実は、フランス人のパートナーを失った日本人にとって、1人海外で子供を育てるのは容易ではない。まして、それまで専業主婦だった人や、フランスでの経済基盤を築けない人にとって、子供を連れて日本へ帰り、母国で一からやり直したいと考えるのは当然とも言える。これが子供の「連れ去り問題」を引き起こし、現在「国際的な子の奪取の民事面に関するハーグ条約」への加盟要請が各国からなされている。この条約は、離婚した夫婦の一方が親権を持つ他方の親に無断で自国へ連れ帰った場合に、元の国へ戻す手続きを規定したもの。ほとんどの先進主要国で批准されているが、日本はしていない。日本人でも、外国人の配偶者に無断で子供を連れ去られる被害に遭い、ハーグ条約加盟を求める声がある一方で、家庭内暴力など、連れ去らざるを得ない状況にある人に対する解決策、支援策はあるのか、そんな声も無視できない。日本の外務省はハーグ条約締結の可能性について検討を進める中で、国境を越えた子供の移動に関する問題について意見を募集している。当事者にしか見えない問題があるはずなので、条約が終結される前に意見がある人は述べてみてはどうだろうか。

外務省「国際的な子の奪取の民事面に関する条約(ハーグ条約)」に関するアンケートの実施について
www.mofa.go.jp/mofaj/press/event/ko_haag.html

経済的基盤が保障され、フランスに留まり子育てをすることができたとしても、親権が両者にある以上、面会や子供の進路など、何かと元妻・元夫と連絡を取り合わなければならない。相手が別の交際相手を見つけることも、この国では当たり前のこと。異文化の問題を乗り越えて幸せになるには、これらの「起こり得る」問題を念頭に置き、解決策を事前に見出しておく必要がありそうだ。

離婚手続き・親権に関する日仏比較(協議離婚の場合)

  日本日本 フランスフランス
離婚成立にかかる時間(2人の意思が固まってから) 最短1日
(離婚届提出のみ)
平均4カ月
離婚費用 弁護士を雇わない場合、無料 600~2000€(平均)
離婚協議書の作成 弁護士と相談の上作成可能。証拠書類としてのみ法的効力を持つ。 作成が義務。法的効力を持ち、養育費滞納の場合は給料差し押さえなどの処置が可能。
親権 片親どちらか 両親

結婚・離婚にみる日仏比較

JAPAN日本の結婚総数における国際結婚率

日本の結婚総数における国際結婚率

Franceフランスの結婚総数における国際結婚率

フランスの結婚総数における国際結婚率

JAPAN日本の離婚総数における国際離婚率

日本の離婚総数における国際離婚率

Franceフランスにおける離婚件数

フランスにおける離婚件数

日本在仏日本大使館にて受理された婚姻・離婚件数 (2008年)

在仏日本大使館にて受理された婚姻・離婚件数

家族や夫婦間でのトラブルに関する相談所(無料、要予約)
Service de médiation et de consultation familiales
47, rue Archereau 75019 Paris
TEL : 01 40 38 63 95

権利に関する対応
PAD Les Point d'accès au droit
13, pl de Vénétie 75013 paris
TEL : 01 55 78 20 56
他、各都市にあり

法律に関する対応
Maison de la Justice et du Droit
vosdroits.service-public.fr/F1847.xhtml
最寄のセンターを検索できる

フランスでの結婚・離婚の手続きや必要書類については、在フランス日本国大使館ホームページに詳細が記載されています。
www.fr.emb-japan.go.jp

 

鉄道で巡るブリュッセル・ケルンの旅

鉄道で巡るブリュッセル・ケルンの旅

鉄道に揺られながら国境を越えて旅するのは、ヨーロッパに暮らすだいご味の1つ。フランス、ドイツの「ニュースダイジェスト」編集部が、ガイドブックには載っていない、地元目線のお薦めスポットを紹介します。より速く、より快適に生まれ変わった国際高速列車タリスを利用して、ちょっと隣りの国まで小旅行に出掛けてみませんか。

ブリュッセル・パリ・ケルンの地図

Thalysタリスで快適、列車の旅

タリス(Thalys)は、フランス、ベルギー、ドイツ、オランダの15の主要都市を結ぶ高速列車。印象的なワインレッドのボディーが時速300キロのスピードで各都市を駆け抜ける。2009年より、人体工学に基づいた座席の改良、電源の配備、食事サービスの改善、乗務員の新しいユニフォームなど、より快適で美しい列車を目指して完全リニューアルを進めている。

乗車時間

パリ・北駅―ケルン・中央駅:3時間14分
パリ・北駅―ブリュッセル駅:1時間20分

料 金

サマーキャンペーン実施中
期間中(7月5日~8月27日)は、パリからケルンまで29ユーロ~、ブリュッセルまでなら25ユーロ~で片道チケットを購入できる。

通常料金( HI - LIFE )

パリ―ケルン:165€(1等席)、105€(2等席)
パリ―ブリュッセル:138€(1等席)、88€(2 等席)

割引料金( Opti Way )

パリ―ケルン:91 ~ 124€(1等席)、53 ~ 87€(2等席)
パリ―ブリュッセル:76 ~ 104€(1等席)、44 ~ 73€(2等席)

早割り料金( Smoove )

パリ―ケルン:69€(1等席)、29 ~ 39€(2等席)
パリ―ブリュッセル:59€(1等席)、25 ~ 30€(2等席)

(2010年6月21日現在)

時刻表やチケットのオンライン予約などの詳細は、公式サイトにてご確認ください。
www.thalys.com

ブリュッセル

文化の融合で形成された、ユニークなベルギーを堪能

さまざまな国の支配を受けたベルギーは、他国の風習を取り込み、自国の文化と掛け合わせて進化を遂げてきた。そのため、伝統を守りつつも新しいものも取り入れる、これがベルギーのスタンス。こうして“品種改良”された文化の種は、シュルレアリスムの天才画家、ルネ・マグリットのような、一風変わった花を咲かせた。今日でもデザイナーがアトリエを構えるダンサール通りを散歩していると、一枚の服でさまざまな着こなしが楽しめそうなY-dress? など、斬新なデザインのブランドを見つけることができる。

ベルギー人のユニークさはビールにも見られる。スパイス、ハーブ、フルーツなどを使用し、自由な発想で造られるビールの銘柄は実に800種類。自然酵母で発酵させた酸味の強いランビック・ビールは、ブリュッセルのカフェやバーでよく飲まれる もの。中でもお薦めは「Mort Subite(突然死)」という銘柄を樽出しで飲めるカフェ・ バー、その名もA la Mort Subite。店名とは裏腹に、アールデコ調の美しい店内が、ビールを一層おいしくしてくれる。

グラン・プラスBelga Queen は、伝統とモダンを掛け合わせるのが上手なベルギーを象徴したレストラン。18世紀に建てられ、銀行として使われていたという厳格で豪華な建物は、モダンなレストランに変身。ベルギーの食材をおしゃれに調理した料理が楽しめる。

今年は、ブリュッセルの中心地グラン・プラス(写真右)に2年に一度、花のカー ペットが敷かれるTapis de fleurs の年。この夏、ブリュッセルは一段と華やかになりそうだ。

(Texte : Kei Okishima)

・Musée René Magritte (マグリット美術館) アート

マグリット美術館火~ 日 10:00-17:00(水20:00 まで)、月休 
入場料:8€
1, pl Royale 1000 Bruxelles
M: Gare Centrale ①⑤
TEL: +32(0) 02 508 32 11
www.musee-magritte-museum.be

・Y-dress? ファッション

Y-dress? 火~土 12:00-19:00、日月休
102, rue Antoine Dansaert 1000 Bruxelles
M: Bourse ③④
TEL: +32(0) 02 502 69 81
www.ydress.com

・A la Mort Subite カフェ・バー

A la Mort Subite 月~土 11:00-25:00、日12:00- 23:00
7, rue Montagne aux Herbes Potagères 1000 Bruxelles
M: Gare Centrale、De Brouckère ①⑤
TEL: +32(0) 02 513 13 18
www.alamortsubite.com

・Belga Queen レストラン

月~日 12:00-14:30 / 19:00-24:00
32, rue du Fossé aux Loups 1000 Bruxelles
M: De Brouckère ①⑤
TEL: 02 217 21 87
www.belgaqueen.be

・Boutique Neuhaus お土産(チョコレート)

Boutique Neuhaus月~土 9:00-23:00、 日10:00-23:00
27, Grand Place 1000 Bruxelles
M: Gare Centrale ①⑤
TEL: +32(0) 02 514 28 50
www.neuhaus.be

・Tapis de fleurs イベント

8月13日(金)~ 15日(日) 9:00-23:00 
入場料:3€
Grand Place 1000 Bruxelles
M: Gare Centrale ①⑤
www.flowercarpet.be

ベルギー観光局  www.belgium-travel.jp

ケルン

ライン川を望む文化の中心地

カーニバルとビールとサッカーの街。ゲルマン魂の熱い鼓動が聞こえてくるケルンから、ドイツらしさを存分に楽む旅のススメ。

Peters Brauhaus旧市街の息吹とケルンの味を
Peters Brauhaus

ケルン中央駅に到着したら、すぐに目に飛び込んでくるのが世界遺産の大聖堂。その南側には中世の面影を残す旧市街が。まずは1544年からビールを醸造し続けているペーター醸造所で1杯いただきましょう。もちろんケルンの地ビール、ケルシュ(Kölsch)で乾杯!

Mühlengasse 1, 50667 Köln
TEL: +49 (0)221 - 2573950
11:00-24:30( ラストオーダー24:00 )
www.peters-brauhaus.de

ビールと料理ソーセージ、豚肉、ジャガイモ料理など、定番のドイツ料理はもちろん、ケルンの伝統的な食文化を伝える当店は、他では食べられない郷土料理も充実しているよ。

(写真左)ペーター醸造所のオリジナル・ケルシュビール。(右)ケルンのキャビアと呼ばれている血のソーセージ。


ドイツのビアガーデン青空の下で飲むビール
Biergarten Aachener Weiher

ドイツには「何もしないぜいたく」を知っている人が多い。ビアガーデンでじっくり、のんびりビールを味わう。つまみは、照り付ける太陽と陽気な笑顔。これ以上の幸せってあるかい?そんなドイツの夏の何気ない日常を味わえる格好のスポットがビアガーデンだ。

Richard-Wagner-Straße, 50674 Köln
TEL: +49 (0)221-5000614
11:00-24:00
www.biergarten-aachenerweiher.de

ビールと料理ポメス(フライドポテト)やカリーヴルスト(カレー粉がかかったソーセージ)からシュニッツェルまで、お手頃価格で食事も楽しめます。

(写真左)ここでは、「Gaffel」というケルシュが飲める。(右)カリーヴルスト(3.20ユーロ)


Bäckerei Balkhausenドイツパンのうまみを実感
Bäckerei Balkhausen

パンの種類の豊富さは世界一!と言われるドイツ。腕利きのパン職人がしのぎを削るケルンで、味にうるさい地元っ子の信頼を集めているのがこのお店。噛み締めるほどに実感できる手作りならではの良質なパンのうまみが人気の秘訣。ケーキの美味しさにも定評がある。

Apostelnstraße 27, 50667 Köln
TEL: +49 (0)221-2570264
6:30-19:00、木-20:00、土-18:00 日曜定休日

パンレーズンパン(Rosinenbrötchen)や、ずっしりと重い全粒穀物パン(Vollkorn- Roggenbrot)が特に人気。迷ったときは店員さんに希望を伝えて。彼らはパンのプロフェッショナル。

パンの博物館のように、所狭しとパンが並んでいる。焼きたてを狙うなら午前中に買いに行こう。


Trippen体に良い靴、履いていますか?
Trippen

1992年にデザイナーのアンジェラ・シュピーツとミヒャエル・エーラーによって設立されたトリッペン。足の健康と靴作りが密接な関係を持つドイツの職人ならではの、履き心地へのこだわりと、ヴォルフガング・ヨープやクラウディア・スコダなどをうならせるデザイン性が特徴。

Flandrische Straße 10a, 50674 Köln
TEL: +49 (0)221-45318645
11:00-19:00 、日休
www.trippen.com

Trippenそれぞれのお客様の「お気に入りの一足」を作り出すことが Trippen の願い。長いお付き合いをしていただけるよう、素材には特にこだわっています。

試着の際は、かかと&つま先のフィット感に注目。同社のインソールへのこだわりが実感できるはず。


この夏のおすすめイベント!

・Kölner Lichter

ケルンの街を華麗に彩る花火と音楽の饗宴。ライン川沿いにはイベント用特設ステージや屋台が軒を連ねる。ライン川下りとセットのクルージング・プランがオススメ。水上から花火を楽しめば、感動も倍増するはず。

7月17日(土)
14:00 イベント開始
23:30花火の打ち上げ開始
am Kölner Rheinufer, 50679 Köln
入場無料
www.koelner-lichter.de


・Ballonfestival

60個の気球が一同に集まるバルーン・フェスティバル。今年、ケルンで初開催される同フェスティバルでは、家族みんなが楽しめる体験型のイベントが盛りだくさん。気球に乗って空からの景色を楽しんだり、夜は幻想的なライトアップも。

8月20日(金)~ 22日(日)
金14:00、土12:00、日11:00
Jahnwiesen, 50933 Köln
(サッカースタジアムRheinenergie-Stadion近く)
入場無料
www.koelner-ballonfestival.de

・Gamescom

ケルンで昨年から始まったゲームイベント。あまりの反響の大きさから一躍世界一の名を与えられた。今年も、ソニーや任天堂を始め世界各国から最新のゲーム機やソフトが集まり、いち早く体験できる。

8月19日(木)~ 22日(日)
Koelnmesse, 50679 Köln
1日券: 10 ~ 13.50€(割引6 ~ 9€)
www.gamescom.de

・Picknick im Schlosspark

ケルン郊外にたたずむ古城ホテル、レーバッハ。同ホテル自慢の三ツ星レストランが、各シーズンごとに企画するイベントの1つ。レストランと変わらぬ味を、ちょっと趣向を変えて古城ホテルでピクニックしながらいただける。

8月31日(火)まで
Schlosshotel Lerbach
Lerbacher Weg, 51465 Bergisch Gladbach
TEL: +49 (0) 2202-2040
料金: 52 ~ 72€
www.schlosshotel-lerbach.com

 

音楽祭 Fête de la Musique 2010

Fête de la Musique 2010

年に一度行われる、最大の音楽イベントFête de la Musique。1982年に誕生したこの音楽祭は、プロ・アマ、屋内・屋外関係なく、音楽を演奏する場を提供することを目的に生まれ、今や110ヵ国以上250もの都市で開催されている。29回目を迎える今年のテーマは「音楽と女性」。普段はコンサートなど行われることのない施設や美術館などでもさまざまな音楽イベントが目白押し。パリ市内で行われる中から編集部おすすめのイベントを地区ごとに紹介!
( 本誌編集部)

Fête de la Musique 2010 Map

※ 掲載データは6月10日現在のものです。予告無く内容が変更される場合がありますので、公式サイトにて詳細をご確認の上お出掛け下さい。

音楽祭公式サイト: www.fetedelamusique.culture.fr

交通情報
stif(イル・ド・フランス交通連合)は、6月21日17時から22日7時まで、イル・ド・フランス内のバス、電車に乗り放題のチケットを3€で発売する他、一部地下鉄、バス、RERは深夜運行を予定。
* 運行路線や運行状況などの詳細については、stif 公式サイトにてご確認下さい。 www.stif.info

map 1シャトレ〜レアール

ジャズのライブハウスがひしめくロンバール通りでは、女性ミュージシャンによるジャズコンサートが多数開催。一方、ルーブル美術館では22時からピラミッドの下でパリ交響楽団のコンサートが行われる。

jazzジャズ

Sweet System
Sweet Systemフランス人女性ジャズ・ボーカルトリオ、スイート・システムによるコンサートを楽しめる。

20:00/22:00
入場料:10€
Duc des Lombards
42, rue des Lombards, 75001 Paris
M:Châtelet ①④⑦⑪⑭、RER ABD 線 Châtelet-Les Halles
www.ducdeslombards.com

jazzジャズ

La nuit du Jazz au Féminin
2人の女性サックス奏者中心のコンサートを開催。地上階サンサイドでは、リサ・キャット・ベッロのカルテットが、地下サンセットでテュリラがジャズ演奏を披露。

20:30 (Lisa CAT-BERRO Quartet) / 21:30 (TULLIA Sex tet)
入場無料
Sunset-Sunside Jazz Club
60, rue des Lombards 75001 Paris
M:Châtelet ①④⑦⑪⑭、RER ABD 線 Châtelet-Les Halles
www.sunset-sunside.com

worldワールドミュージック(日本)

Jelly Beans, Asuka from Tenchigaraku
Jelly Beansドイツやフランス を中心に活躍する 日本人デュオ、ジェリービーンズの有希 と、雅楽や神楽を 取り入れたバンド、 天地雅楽の明日香によるジョイント・ コンサート。

18:00-22:00
入場無料
Place Sainte Opportune
Pl Sainte Oppor tune 75001 Paris
M:Châtelet ①④⑦⑪⑭、RER ABD 線 Châtelet-Les Halles

map 2マレ~パリ市庁舎

各国の文化施設が並ぶマレ地区。各文化施設で、その国の特色を生かした音楽イベントが多数予定。パリ3区区役所では19時からサンバ&レゲエコンサートや、メキシコ人ギタリスト、パコ・レンテリアの演奏も楽しめる。

worldワールドミュージック(スウェーデン)

Fête de la musique à l'Institut Suédois
スウェーデンの伝統ダンスや、同国出身の人気歌手、アンナ=ボン・ハウスウォルフのトリオによるコンサートなどを開催。

Fête de la musique à l'Institut Suédois18:30 /入場無料
Institut suédois
11, rue Payenne 75003 Paris
M:Saint-Paul ①
www.si.se/Paris/Français

worldワールドミュージック(セルビア)

Balkan Omnibus, E Play, Lutke, Zetod
セルビア出身のアーティストを始め計4組のアーティストを招待し、オムニバスコンサートを開催。ジャズやエレクトロ・ロックの演奏を楽しめる。

18:00 /入場無料
Centre Culturel de Serbie
123, rue Saint-Mar tin 75004 Paris
M:Rambuteau ⑪
www.ccserbie.com

Classicクラシック

Trio Estampe
今年の音楽祭のテーマである女性ミュージシャンに合わせて演奏はすべて女性アーティストによるもの。伊藤あさぎ、近藤ともこ、徳田麻里も参加。

20:00 /入場無料
Cité Internationale des Arts
18, rue de l'Hôtel de Ville 75004 Paris
M:Pont Marie ⑦

map 3カルチエ・ラタン

ワールドミュージックのイベントが多数開催。中でもリュクサンブール公園では、公園の西側と東側で2種類のコンサートが同時に行われる。東側ではコロンビア、ブラジル、アルゼンチンなどラテンアメリカ、カリブ各国の音楽を、西側ではフランスの地方音楽やダンス・ショーをそれぞれ14時半から開催。

worldワールドミュージック(アイルランド)

Kila
Kilaケルト音楽をベースにした曲をアイルランドの土着言語ゲール語で歌うアイルランド民族音楽グループ、キラによるコンサート。

19:30 /入場無料
Centre Culturel Irlandais
5, rue des Irlandais 75005 Paris
M:Place Monge ⑦
www.centreculturelirlandais.com

worldワールドミュージック(インド)

Ragâ du soir
Ragâ du soirインドラジット、スブラータ、スディプタら、インド人ミュージシャンによる、インド音楽の典型ともいわれるラーガを堪能できる。

20:00 /入場無料
Collège des Bernardins
18-24, rue de Poissy 75005 Paris
M:Cardinal Lemoine ⑩

map 4オデオン~サンジェルマン

ボンマルシェに近いシェルシュ・ミディ通りでは、17時から19時まで音楽学校Melodie 7による催しが予定されている。また、オルセー美術館では20時からラジオフランス聖歌隊とフィルハーモニーオーケストラによるコンサートも。

worldワールドミュージック(ハンガリー)

Fête de la musique Place Saint Sulpice
ハンガリー会館主催のコンサート。同国出身の歌手、タカーチュ・エステルやハンガリーの人気DJ、DJブースティーが出演。

18:30-00:00 /入場無料
Place Saint Sulpice
Pl Saint Sulpice 75006 Paris
M:Saint-Sulpice ④

worldジャズ/クラシック

Mário Bihári et Bachtale Apsa
Mário Bihári et Bachtale Apsaスロバキア出身の著名アコーディオン奏者、マリオ・ビハリ率いるバンド、バシュタル・アプサによるジャズ・クラシックコンサート。

20:00 /入場無料
Centre Culturel Tchèque
18, rue Bonapar te 75006 Paris
M:Saint- Germain- des-Prés ④、Mabillon ⑩
www.czechcenters.cz/paris

worldワールドミュージック(ラテン)

Fête de la musique à la Maison de l'Amérique Latine
アルゼンチン出身のミュージシャン、モニカ・アブラハムやルイス・アントニオら、4組のアーティストによるラテン音楽のコンサート。

20:00-23:59 /入場無料
La Maison de l'Amérique Latine
217, bd Saint-Germain 75007 Paris
M:Solférino ⑫
www.mal217.org

map 5バスティーユ〜ベルシー

jazzジャズ

Aurélien Trigo Trio - Jazz Manouche
ギタリスト、オルリアン・トリゴ率いるジプシー・ジャズバンド、キャラバン・パラスによるコンサート。

21h00 /入場無料
L'Atelier Charonne
21, rue de Charonne 75011 Paris
M:Bastille ①⑤、Ledru Rollin ⑧
www.ateliercharonne.com

worldワールドミュージック

Femmes du monde à Bercy Village
ジャズのカルメン・ソウザや、ブルガリア人歌手イレ、ブラジル音楽のナザレ・ぺレイラなど世界中の女性ミュージシャンたちによるオムニバスコンサート。

12:30-21:30 /入場無料
Bercy Village
28 rue François Truffaut 75012 Paris
M:Cour Saint -Emilion ⑭
www.bercyvillage.com

map 6レピュブリック広場〜サンマルタン運河

jazzジャズ

taca, Emi Nekozawa,Ugo Castro Alves
tacaパリで活躍する日本人アコーディオン奏者tacaによるコンサート。ゲストにシンガーソングライター、猫沢エミを迎え、カルテット、トリオで演奏。

6月19日(土)19:30
入場料:7€
Au cafe de Paris
158, rue Oberkampf 75011 Paris
M:Menilmontant ②、Parmentier ③
www.aucafedeparis.com

jazzジャズ

Fête de la musique au Point Ephémère
Fête de la musique au Point Ephémèreサン・マルタン運河沿いにある、文化センター、ポワン・エフェメールでは、イポノティックのライブを始め、さまざまな形のジャズコンサートがオールナイトで開催。

20:00 /入場無料
Point Ephémère
200, quai de Valmy 75010 Paris
M:Château-Landon ⑦
www.pointephemere.org


map 7モンマルトル

chansonシャンソン

Soirée KAKEHASHI le pont franconippon en chanson
シャンソンを通して日仏文化交流を拡げることを目的に2008年に始まった、KAKEHASHIのコンサート。日仏のシャンソン歌手が歌声を披露する。

20:30 /入場無料
Les Trois Baudets
64, bd de Clichy 75018 Paris
M:Blanche ②

map 8シャンゼリゼ

classicクラシック

Choeur de l'Orchestre de Paris
Choeur de l'Orchestre de Parisパリ・オーケストラ合唱団と、アレジア子供合唱団による合唱コンサート。

20:00 /入場無料
Salle Pleyel
252, rue du Faubourg Saint-Honoré 75008 Paris
M:Ternes ②
www.sallepleyel.fr

jazzジャズ

Improvisation d'Espagne !
若手即興音楽家集団レ・ルジッサンらによるビッグ・バンドショー。

18:00-20:00 /入場無料
Palais de la Découverte
Av. Frank lin D. Roosevelt 75008 Paris
M:Champs-Elysées Clémenceau ①⑬

map 9エッフェル塔

worldジャパニーズ・ポップ

Yui Makino
声優、ピアニスト、歌手として活躍する日本人アーティスト、牧野由依の無料コンサートを日仏文化会館で開催。

20:00 /入場無料
Maison de la Culture du Japon à Paris
101 bis, quai Branly 75015 Paris
M:Bir-Hakeim ⑥、RER C 線 Champ de Mars - Tour Eiffel
www.jpf.go.jp/mcjp/

map 10モンパルナス

rockロック他

Ricard S.A. Live Music
Ricard S.A. Live Music結成20年以上のロック・バンド、リカール・S.A・ライブミュージック主催の屋外コンサート。ポップ・ダンスグループ Curry & Coco 他数組のアーティストが参加予定。

19:00 /入場無料
Place Denfert Rochereau
Pl Denfert Rochereau 75014 Paris
M:Denfert-Rochereau ④⑥ RER B 線

rockエレクトロ

Planet Musicmix
Planet Musicmixエレクトロやディス・コミュージックのDJとパリ音楽学院でジャズやクラシックを学ぶ学生たちのジョイントコンサートを開催。

19:00 /入場無料
Marché Cervantes
Pl Kandinsky 75015 Paris
M:Volontaire ⑫

map 1113区中華街〜ミッテラン図書館

rockパンク/ロック

Concert rock à la Butte aux Cailles
ノック・ミー・アウトのポップ・パンクやザ・モジト・ロワイヤルのロックなど、パンクやロック中心のオムニバスコンサート。

18:30 /入場無料
La Butte aux Cailles
9, rue Jean-Marie Jégo 75013 Paris
M:Place d'Italie ⑤⑥⑦

bluesブルース

Nina Attal et Malted Milk en concert
Malted Milkブルースバンド、マルテッド・ミルクのコンサートや、フランス人ブルース歌手、ニナ・アタルらアーティストによるギター弾き語りなどブルースのコンサート。

20:30 /入場無料
Théâtre 13
103A, bd Auguste Blanqui 75013 Paris
M:Glacière ⑥
www.theatre13.com

その他

ヴィレット公園
worldワールドミュージック(カリブ)/ブルース

Fête de la musique à la Villette
ヴィレット公園ヴィレット公園で働く職員によるカリブ音楽、ブルースのコンサート。

19:00 /入場無料
Parc de la Villette
211, av Jean Jaurès 75019 Paris
M:Porte de Pantin ⑦
www.villette.com

ヴァンセンヌ
worldワールドミュージック(アフリカ)

Africa Pop au château
ヴァンセンヌの森ではアフリカポップ音楽をテーマにした屋外コンサートが開催。ラップやグルーヴ、ジャズ、ファンクからロックまでアフリカの現代音楽が楽しめる。

17:00 /入場無料
Château de Vincennes
Av de Paris 94300 Vincennes
M:Château de Vincennes ①
www.vincennes.fr

 

W杯特別インタビュー 松井大輔

松井大輔 ©GF38/ZOOMW杯特別インタビュー 松井大輔

現役の海外日本人プロ・サッカー選手として、
長く活躍を続ける松井大輔。
サッカー、海外生活、そしてワールドカップ(W杯)について、
フランスの1部リーグに所属する松井がW杯を目前に語った。
(Interview et texte : Ryoko Umemuro)

5月10日、サッカーW杯南アフリカ大会の代表選手発表日。フランス時間午前7時、フランス東部グルノーブルにある自宅で松井大輔は岡田武史代表監督が告げた自分の名を耳にした。この時の気持ちを「正直、ほっとした」と言う。

困難な道を選び続けてきたサッカー 選手はこの時、世界最高のピッチに立 つチャンスを手に入れた。

フランスのサッカー

松井がフランスに渡ったのは2004年9月、パリから南西へ200km程の場所に位置するプロサッカークラブチーム、ル・マンへの移籍によってだ。23歳だった。

欧州チャンピオンズリーグの結果などを通じフランスのサッカーを知る人にとって、イングランドやスペイン、イタリア、ドイツと比べフランスのリーグは格下と映るかもしれない。しかしだからといって、実力のある日本人選手がすぐに活躍できる場所であるかといえばそうではない。

フランス人を形容するとき、よく「個人主義」という言葉が使われる。サッカーでも同じようなところがあり、1対1で勝つことのできる技術と身体能力が要求される。フランス・リーグの試合を見ていると、スピーディーに駆け巡る試合展開の中で、まるで人生を賭けたかのような1対1の一瞬の死闘にゾクッと全身を緊張させることがある。特にアフリカ系の選手が多いため、フィジカルの強さは必須だ。結果を残すためにはまず、日本人選手が努力では克服できないような先天的な体格差を持つ選手がしかける激しい当たりに勝たなければならない。事実、これまで多くの日本人選手がフランスのクラブと契約を交わしているが、成功者としてフランス国内で評価を得ているのは、現在のところ松井大輔ただ一人だ。

松井は言う。「フランスのサッカーでは個人の能力が重視されます。一人一人が何でもできる、というのがフランスサッカーにおける能力なんです。その中でも1対1というものがものすごく厳しい。取るか取られるか、1対1で勝ってやる、もうそこしか見ていないですね」。2004年当時のル・マンが属していたフランス2部リーグは、技術的には見劣りする分、当たりがものすごく激しかった。それを目の当たりにした松井は、フィジカル面の強化に努める。こうして、激しい当たりに負けない肉体的な強さを身に付けた上で持ち前の技術を発揮、イマジネーション豊かなプレーを繰り広げ、松井は結果を生み出していく。松井の活躍によりル・マンは1部に昇格、松井は「ル・マンの太陽」と謳(うた)われた。長く険しい冬が明け春の青空が広がると、こんなにたくさんの人がいたのかと思うほど、多くの人々が太陽を求め外にあふれる。そんなフランスを経験した人にとって、この言葉がどれほどの意味をなしているか、想像に易いだろう。

©Picture by: Tony Marshall/EMPICS Sport
フランス・リーグ1部トゥールーズ - ル・マン

海外でプロとして居続ける

現在、海外のプロサッカーチームに50名以上の日本人選手が所属している(2部以上)が、その中でも松井は6シーズンと長くプロとして海外のグラウンドに立ち続けている。松井自身にとっても日本のJリーグよりも長いシーズンをフランスで送った。

しかしすべてが順風満帆だったわけではない。勝ち方を忘れてしまったかのようなチームの連敗やケガに苦しんだ時、試合に出られずベンチを温め続けた日々もある。言葉、生活習慣、価値観、さまざまなものが日本とは異なる海外でモチベーションを高く維持するために、松井は常に「何事もポジティブに」考えた。都度、ポジティブに考えながら現実を受け止め、その時々できる限りの努力を惜しまずにやってきた。また、「毎回プレーでストレスもたまったりするので、買い物や音楽を聴く」ことによって気持ちのバランスを維持する。海外でプロのアスリートで居続けるためには「サポーターに気に入られることが大事」とも言う。

現在、松井はさまざまなチームからオファーを受けているが、次の所属先は全く決めていない。W杯の後に、「自分を必要とし、自分が最も信頼できるチーム」に行きたいと考える。「うまい選手が集まるところで成長したい」と海外のリーグを望むが、特にフランスのチームというこだわりはない。

©GF38
グルノーブル・フット38に移籍後、監督と初対面

「フランスが僕を育てた」

15歳でフランスのクラブチーム、パリ・サンジェルマンの練習に参加し、21歳の時にはU-21の日本代表として戦ったトゥーロン国際大会で日本最高成績の3位、松井個人はベストエレガント賞を受賞した。その他日本代表選手として国際試合に参加する中でパリは比較的多く立ち寄る街だった。しかし、ル・マンと契約を交わす以前、松井にとってのフランスは「パリというイメージ」、ただそれだけ。フランス・リーグにもフランスにもさしたる思い入れはなく、言葉も話せなかった。

6年近くをフランスで過ごした松井に改めてこの国について聞くと、まっ先に返ってきたのは「不便に慣れましたね」という答え。「1カ月インターネットがつながらない。お湯が出ない」。松井や筆者だけでなく、フランスで生活したことがあれば、この「不便さ」を身にしみて感じる人も多いのではないか。何せ、「ガス、電気、水、どれが止まると一番困るか」という議論が、当たり前に起こり得る問題として日常会話の中に成り立つ国なのだから。松井は言う、「僕だけではなくて、フランス人も同じ環境なんですよね」。

サッカー選手としてだけでなく、人間として成長した。「どれだけ日本人が恵まれた環境で育っているかということを、改めて分かりました。それは僕にとってすごく良かったです。何でも人にやってもらうのではなく、一人の人間として自立心を持つということ。そういう意味では、僕を育ててくれたのはフランスという国です」。人生観という意味でも松井の考えはこの地で変化した。「何のために生きているのかという意味でも、例えば家族を大切にする、バカンスを大切にするフランス人はすごくいいと思います」。松井自身もバカンスを大切に過ごす。欧州ではいろいろな場所へ旅行で訪れた。フランスのおすすめの場所は「南ですね」とのこと。まだ訪れていないサントロペへはぜひとも行きたいという。

©GF38
グルノーブル・フット38の
オフィシャルブティックで開かれたサイン会

W杯にかける思い

2006年、W杯ドイツ大会では代表に選ばれなかった。月間MVPに選ばれるなど、ちょうどフランスで活躍し、代表入りを有力視されていた中で味わった悔しさ。4年の時を経て代表に選ばれた今年、異国で困難の道とも見られるような挑戦をし続けた松井はサッカー選手としても人間としても4年前よりも大きくなっていた。

「サッカー選手としては本当に出たい大会」と言う松井は、「(W杯の舞台で)サッカーで何か松井大輔という人間を表現できればと思っています」と意気込みを語る。

岡田監督は代表発表の記者会見で「日本人らしいサッカーをしたい」と語った。これまで代表選手としてプレーをしてきた松井は岡田監督の考える「日本人らしいサッカー」を「全員攻撃、全員守備という全員サッカー」と説明する。「(大会期間中南アフリカは)冬ですし寒いでしょうから、体力という意味でも走り勝つことができると思っています」。その日本代表における自身の役割については、「フランスでもやっている通り、自分の武器はドリブルや1対1、そして局面の打開。それらをしっかりとやり、最後は突破できるように。それと、しっかり守ることが大事」だと考える。だが先に述べたように、岡田監督の考える「日本人らしいサッカー」は個人の能力を重視するフランスのサッカーとはいくぶん異なるようにも思える。それについては「日本チームの団結力、皆で協力し合うチームワークの中に僕個人の能力をうまく取り入れたい」と言う。だからこそ試合までの残された期間では「コミュニケーションを取る」ことに重点を置きたいと考えている。「いろんな人としっかり話し合うことによってチームワークも上がってくるし、最終的に今はそういう段階だと思っ ています」。

各国の代表クラスの選手が名を連ねる1部リーグで、所属するグルノーブル・フット38の中心選手として昨シーズンを送った松井は自信をもって言う。「フランスのリーグにもいろんな国の人がいますし、いつも外国人とやっている。そういう意味では、日本でやっている人たちよりも臆することなくいつも通りのプレーができると思っています」。

©AP Photo/Shuji Kajiyama
アジア杯サッカー最終予選・日本-バーレーン

「苦労した分だけ返ってくる」

欧州に暮らす読者へのメッセージを聞くと、返ってきたのはスターとしてのそれではなく、海外で自ら戦いを続けそして夢をつかんだ青年の言葉だった。

「僕たちは海外という、言葉も違えば文化も違う場所にいて、それぞれ皆さん本当に苦しい思いもしていると思うんですね。これは、日本に居る人には分からない、海外に行った人にしか分からないことだと思います。でも、人間は苦労をすれば何かを得ていく、苦労した分だけ自分の中に返ってくると思うのです。いろんな大変なことはありますけれど、最終的な目標に向かって、みんなでがんばっていきましょう」

フランスに来て得たものの中で最も大きかったものは何か。穏やかな口調で、しかし確信を持って松井は言った「自信ですね」。

「ここまでやってきたという自信が一番大きいです」

異国の地で自ら厳しい道を選び続け、そのたびに成長を手に入れていった松井は6月、自信を胸にサッカー最高峰のグラウンドに立つ。

松井大輔
1981年5月11日、京都府生まれ。MF。鹿児島実業高校卒業後、2000年京都パープルサンガ入団。2004年フランスのル・マンにレンタル移籍。2005年完全移籍。2008年ACサンテティエンヌに移籍。2009年よりグルノーブル・フット38に所属。
www.matsuidaisuke.net
グルノーブル・フット38
1892年グルノーブル初のフットボールクラブとして創立。2004年以降日本企業インデックスがオーナーに。松井の他、伊藤翔が在籍。スタッフにも日本人がおり、松井いわく「家族的なチーム。チーム、サポーター、生活環境すべてに感謝している」。www.gf38.fr
 

先人に学ぶ。フランスに生きた日本人。

先人に学ぶ。フランスに生きた日本人。

1913年からフランスに滞在した島崎藤村は、海外に滞在する苦労を自書の中でこう語る。「否が応でも私達は自分等の生活方法をその土地に適応させるために、努めなければならない。これは旅を楽しくするというためばかりでなく、自分等を保護する上からも必要なことであっ て、その骨折なしには長期の旅も続けがたい。(中略)世界を旅するのは、自分等を見つけに行くようなものだ」(『エトランゼエ』より)。約100年前の滞在にも関わらず、今日の海外生活における苦労と変わらない藤村の視点。先輩方のフランス滞在を通じ、共感する点、勇気付けられる点はないだろうか。どうしてもフランスに馴染めずもがいた文学者、反対にこの国に溶け込み成功した画家、そしてどんな荒波にも立ち向かうたくましい女性、合計6人のフランス滞在を追う。 (Texte : Kei Okishima)

外へ出て思う祖国の美
西洋に馴染めぬ2人の男

「一体東洋の方で自分等の無常観を
そそるやうな外界の現象が
矢張ここにもあるだろうか」

島崎藤村
島崎藤村 
© 国立国会図書館

島崎藤村(1872 ~ 1943)
フランス滞在:1913 ~ 1916

姪こま子との関係を切るための“逃亡”だったからなのか、滞在中の藤村の目に映るフランスは明るいものではなかった。西洋人と異なる自分を深刻に意識し、ジロジロと見られているような気がして疲れると述べ、「こんな骨折りが、実際何の役に立つのでせう」と考える。7月14日の革命記念日も一人家にこもり、便りを綴った。そこでは、東洋にある「人の心を傷みやすくさせるもの、センチメンタルにさせるもの、あるひは深く浅く無常感をそそるやうなもの」が西洋に少ないことに触れている。石づくめの西洋には強い線・硬い質があり、「一切が実に頑固で永久的」なのだ。さらに、自分は一刻も早く家に帰り、「樹蔭のテントのやうに明るく楽しい屋根の下で足でも投げ出し、一坪の空地、一株の植木なりともそれを自分のものとして楽しみたい」と語る。

しかしこの経験の後、日本に戻った藤村は『夜明け前』を始め多数の作品を生み出した。フランス滞在が彼の人生にとってどれほど大きかったのか、名作は冗舌だ。

(文中カッコ内、島崎藤村著『仏蘭西だより』より引用)

先人の足跡

藤村の住んでいた宿

86, bd Port-Royal 75005 Paris
藤村がパリ滞在中に住んだ宿(写真右)。後に通りを挟んで斜め向かいには河上肇が住むようになり(写真左)、両者の交流はそれぞれの書物に度々登場する。

「『ああ、僕はやっぱり日本人だ。
JAPONAIS だ。MONGOLだ。LE JAUNE だ。』
と頭の中でバネの外れた様な声がした」

光太郎と智恵子。
光太郎と智恵子。
© 国立国会図書館

高村光太郎(1883 ~ 1956)
フランス滞在:1908 ~ 1909

海外生活の中で、突然現実を突き付けられたようなショックを受けた経験はないだろうか。先の一文は、高村光太郎がパリで「あをい眼」の女性と美しい一晩を過ごした翌朝、鏡を覗きこんだ時に突然襲われた、非常な不愉快と不安と驚愕の声だ。どうしても先に踏み込めない西洋人との隔たりを光太郎は幾度も感じた。西洋人のモデルを写生している時、虎 を見ているように思え、日本人モデルだったらもっと内部がつかめるだろうと感じる。“外”の世界を理解できない不安から「独りだ。僕は何の為に巴里に居るのだろう」という思いが巡る。

偉大な彫刻家の父、光雲の職人肌を嫌い、ロダンに憧れた光太郎。しかしパリでの生活を通し、自分が日本人の感覚を持ち、西洋的な精神を持てないことに気付かされる。パリで己が日本人であることに直面した光太郎だったが、帰国後は母国日本の古い体制になじめず、退廃した生活を送ることになった。そんな苦悩の日々から救い出したのが智恵子である。それだけに、妻となった智恵子と育んだ愛は深く、その想いが名作『智恵子抄』を生んだ。

(文中カッコ内、高村光太郎著『珈琲店より』より引用)

先人の足跡

高村光太郎のアトリエがあった場所 17, rue Campagne Première
75014 Paris

光太郎はモンパルナスにあるこの場所にアトリエを借りた。『出さずにしまつた手紙の一束』の中で、当時のこの場所の雰囲気を「だぶだぶの襟衣にづぼんを穿いただけの亭主や酒樽の様に太い女房が大口をあけていつも客と馬鹿話をしている」と描写している。

 

日本の型にはまらない
2人の画家が見つけた日本の宝

「徹底的に西洋を理解してしまえば、
却って東洋のいいところが
分かるようになるのである」

藤田の作品
パリ国際大学都市日本館内にある藤田の作品「Les Chevaux」

藤田嗣治(1886 ~ 1968)
フランス滞在:1913 ~ 1928、1930 ~ 1931、1939 ~ 1940、1950 ~ 1968

フランスで神秘的な「乳白色の肌」の裸婦像が絶賛を浴び、エコール・ド・パリの代表的画家となった藤田。彼はフランスで、「総皆の友人の成す事と正反対の行動をとった」。例えば、絵具をこてこて盛り上げる当時流行の方法に対し「つるつるの絵を画いてみよう」、マチスのように奇麗な色を使う方法に対し「白黒だけで油画でも作り上げてみせよう」という具合だ。

そんな藤田がフランスで成功したカギは「日本画の素養があったからだ」という。東洋の絵画を「線の画」と概評し、「細いながらも鋼鉄のような強靭の線」を引くことのできる墨や毛筆を謳歌し、油絵に取り入れた。実は黒田清輝が実権を握っていた当時の日本における西洋美術教育では、黒の絵具をパレットから取り除くように教えられていた。「吾々東洋人日本人、支那人が黒色の味わいを熟知している生命ともいうべき黒色を何故油画に取り入れ得ないのか」。藤田の考えは当たり、見事に独自の世界を切り開いた。

(文中カッコ内、藤田嗣治著『腕一本・巴里の横顔』より引用)

先人の足跡

藤田の住んでいたアパートのプレート

5, rue Delambre 75014 Paris
藤田がパリで成功し始めた1917~24年まで暮らし、仕事をしたアパート。芸術家が熱い討論を交わしたモンパルナスの有名なカフェ・ドーム(1897年開店)のすぐ傍にある。藤田もこのカフェの常客だった。藤田がここに暮したことは入口のプレートに記されている。

「ぼくはまったく逆のことをやって生きてきた。
ほんとうに自分を貫くために、
人に好かれない絵を描き、発言し続けてきた」

岡本太郎
パリ時代の岡本太郎
© 岡本太郎記念館

岡本太郎(1911 ~ 1996)
フランス滞在:1930 ~ 1940

太郎は18歳でパリに来た。『画文集 挑む』の中で太郎は、当時の日本人画家が全くフランス文化に溶け込もうとせずに日本人だけで固まり、フランス語も話せないくせにパリの街頭や風景、金髪の女性を描いていることに疑問を投げかけている。太郎は“パリ帰り”という肩書を持って日本で儲けようとたくらむ計算高い画家に意味を見いだせなかった。「ぼくが危険な道を運命として選び、賭ける決意をはっきり自覚したのは25歳のときだった」。以降、太郎は逆のことを試み、追い詰られて湧き上がるパッションを好むようになる。また、人間として生きるためには絵の技術だけを磨くのでは駄目だと悟り、世界で起こったことのすべてを知るためにマルセル・モースに師事し、民俗学を学ぶ。

こうして養われた目を持ち帰国した“パリ帰り”の太郎の目には、これまで誰も注目しなかった縄文土器にこそ日本の底力があると映り、1952年『縄文土器論』を発表。明らかに他の“パリ帰り”とは違う日本での生活が始まった。

(文中カッコ内、岡本太郎著『自分の中に毒を持て』より引用)

太郎の住んでいたアパート先人の足跡

31, rue Saint-Amand 75015 Paris
太郎はパリで幾度が住居を変えているが、パリ大学に通っていた1932年頃に住んでいたとされるアパート。18歳という若さで一人フランスに住み、パリで通用する画家になるための努力を惜しまなかった。

何度でも立ち上がる
2人の「ふみこ」

「来る日も来る日も
夜ばかりだといいたいような、巴里の暗い一日に
本当は呆としてしまった」

ダンフェール・ロシュロー広場のライオン像
芙美子はダンフェール・ロシュロー広場のライオン像を見て「三越のライオ ン」を思い出していた。

林芙美子(1903 ~ 1951)
フランス滞在:1931 ~ 1932

秋と冬のパリを知る日本人なら、この暗い空の色に見覚えがあるだろう。林芙美子が憧れのパリに着いたのは11月。あまりの空の暗さに最初の週数間は眠り続けたという。ベストセラーになった『放浪記』の印税で、夫を日本に残し、一人ヨーロッパ旅行に出た芙美子。慣れないパリ生活の日記には「やりきれない」「早く日本へかへりたい」「ああ、金がほしい」と泣き言が綴られるが、幼少時代から放浪を続けてきた女は強い。町を下駄でポクポクと歩き回り、たちまち近所の人で知らない人はいないほどなじんでしまう。

『放浪記』の冒頭に記されているように「宿命的に放浪者」だった芙美子は、金が出来れば、すぐに旅に出る。そもそも、パリへ行くのに帰る費用のあてがあったわけではないのだから、本物の放浪者だ。旅の途中で夫の生活費を心配しながらに出した手紙の中には、帰国後の「私の仕事にはキタイしてほしい」と書かれている。日本へ帰った芙美子はその言葉通り仕事を精力的にこなし、48歳という若さで急死するまで仕事を断ることがなかった。

(文中カッコ内、今川英子編『林芙美子 巴里の恋』 および立松和平編『下駄で歩いた巴里』より引用)

林芙美子が滞在していたホテル・フロリダ先人の足跡

28, pl Denfert Rochereau 75014 Paris
1932年2月22日から4月5日まで滞在したホテル・フロリダ。現在も同じ名前で営業している。芙美子はこのホテルがある地区を好んだ。パリ滞在中、他の宿にも泊まっているが、いずれも同地区にある。

「人妻が他に男をつくって、
その男が事業に失敗しかかると男を捨てようとし、
相手を嫉妬に狂わせ、短銃を打っ放なさせて、
運よく死ななかったが
自分の頬に一生消えない弾痕の片えくぼを残した ……
たしかに妖婦と肩書をつけられても文句はない」

宮田文子(1888 ~ 1966)
フランス滞在:1920 ~ 1921、1922 ~ 1932

これ!と思ったら手段を選ばず、使える男は色仕掛けで落とし、どんな分野のものでも手を出した文子。憧れのパリへ行くために、文士の武林無想庵と偽装結婚。不本意にも出来てしまった子供をパリで出産し、かわいい洋服を着せるために洋裁を始める。お金が尽きて日本へ帰るが、裁縫の技術を生かし、資生堂の子供服部の主任になり、その後独立。とにかく「辛抱が嫌い」なだけに、新たな活路を見つける行動力があるのだ。

関東大震災で自分の開いた学校を失い、再びパリへ戻る。お金に困った文子は、以前ロンドンで知り合った日本料理店経営者を魅了し、パリに支店を出す。しかし経営が行き詰まり閉店。経営者の男性と口論になり、ピストルでほおを撃たれた。一命を取り留めた後は日本舞踊を習い、舞踏家として再スタート、成功を収める。最終的には貿易会社社長と結婚し、生涯連れ添うのであった。妖婦・文子に振り回された無数の悲しい男の姿とは対照的に、本人は常に輝いていた。

(文中カッコ内、宮田文子著『わたしの白書』より引用)

日本料理店を開いた場所先人の足跡

8, rue Kepler 75116 Paris
文子が1924年11月に日本料理屋を開いた場所。山本夏彦著『無想庵物語』によれば、文子は「丹念な化粧をすますと寝室の大姿見の前で、さながら芸者の座敷着のようにありったけの着物をひろげ、それをとっかえひっかえ着かざって3階2階1階の客席に顔をだした」という。

 
<< 最初 < 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 > 最後 >>

17 / 28 ページ

  • Check


バナー
バナー バナー ヘアサロン・ガイド サロン&クリニック・ガイド フランスのラーメン、中華麺、うどん、そば - イギリス・フランス・ベルギー・ドイツの麺もの大特集! おすすめフランス語学校 パリのお弁当やさん バナー