「おフランス」ではない
フランス共和国を報道
山口 昌子さん
Shoko Yamaguchi
Journaliste
| 肩書き | ジャーナリスト |
| 経歴 | 東京生まれ。フランス政府給費留学生として新聞中央研究所(CFJ)で学ぶ。産経新聞入社後は、教養部、夕刊フジ、外信部、特集部編集委員を経て、1990年5月~2011年9月同社のパリ支局長を務める。1994年、ボーン・上田国際記念記者賞を受賞。ジャーナリストおよび作家としての任務に対し、2013年1月1日発布でレジョン・ドヌール章のシュバリエ章を受章する。著書に「大国フランスの不思議」(角川書店)、「シャネルの真実」(人文書院)など。 |
| 嗜好 | 映画鑑賞 |
フランス支局での生活は?
24時間体制ですね。また1人支局なので、全ての分野の記事を自分で書かなくてはいけないのも大変でした。日本の新聞は、米・中・露など、日本人にとって関心の強い国のニュースは大きく扱われるので、その国の大統領が何か発言すれば、そのまま記事として掲載されます。でも、フランスでオランド大統領が何か発言しても、それだけでは掲載されることはないでしょう? だから突発的な事件が起きれば別ですが、それ以外のときに仏ニュースを載せるスペースを確保してもらうためには、面白い分析記事などを書く必要がありました。それも、日本で朝刊に関する会議が開かれる午後3時に間に合うように、つまり仏時間の朝7~8時までに送っておかなくてはいけないのです。朝刊の最終締め切りは、仏時間の夜5~6時ごろになるので、朝早くから夕方まで取材に追われます。それがひと段落しても、次は夕刊作りが待っています。だから、大統領選挙の速報を伝えるときなどは、徹夜で仕事をすることになるわけです。
予期できない事件が発生したときも、それをすぐに伝えなくてはなりません。例えば、ダイアナ妃が事故に遭われたのは、土曜日の夜中でした。日本では日曜日、夕刊がないので、土曜日の夜は唯一ゆっくりとできる日なのですが、東京から夜中に電話で起こされました。すぐに支局へ飛んでいき、AFP通信から刻々と送られてくる情報をチェックし、事故の原因、状況、現場の詳細などを日本へ送りました。トンネルの長さや場所の説明など、結構細かい情報が必要なので、こういうときは特に1人支局は大変です。
印象に残っている事件は?
湾岸戦争のとき、戦争開始までの間にミッテラン大統領は9回ほどエリゼ宮で会見を行いました。私は毎回行っていたのですが、そのときに心に残ったのは、「フランスは常任理事国としての責務を果たす」と繰り返し語ったことです。それまでフランスというと、モードとかグルメとか、「おフランス」という軟弱な印象が強かったのですが、そうではないのだと分かったのです。国際的責務を果たすことに対して国民も同調し、あのときミッテラン大統領の支持率が一番上がりました。フランスは自由・平等・博愛という、革命に端を発した「フランス共和国」なのだと実感しました。
20年間フランスを報道してきましたが、世界におけるフランスの地位は残念ながら下がったと思います。それは湾岸戦争以降、アメリカが「超大国」となったため、ヨーロッパの地位が下がったことや、EUに東欧が加盟したことで、比重がドイツへ傾いたこと、そしてグローバル化の影響もあると思います。それでもフランスには注目していなくてはいけないと思うのです。国連常任理事国であるということは重いですし、フランスはアメリカほど自由競争主義ではないので、リーマンショックのように突然社会システムが崩壊することもありません。ですから日本が今後、社会保障制度や移民問題などに立ち向かうとき、とても参考になると思うのです。実際、日本が裁判員制度を導入したときも、フランスの参審制度を参考にしたので、当時は随分フランスの法学者が日本を訪れていました。こんな風に知られていないフランスも多いのです。「フランス共和国」としての一面を伝えることは、私の報道における基本的姿勢ですね。









