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dim 26 octobre 2014

村山 密さん 洋画家になるために
本場フランスへ渡った

村山 密さん
Shizuka Murayama

Peintre

肩書き 画家
経歴 1918年、茨城県生まれ。水彩画家の小堀進氏の指導で絵を描き始め、上京して川端画学校で学ぶ。その後、50年代後半に渡仏。62年、パリ16区の風景画コンクールでド・ゴール大統領賞受賞。その後も数々の絵画賞を受賞。91年にはヴェルメイユ勲章(パリ名誉市民賞)、95年フランス芸術院よりグラン・ド・メダイユ・ドール(栄誉大賞)、97年にはレジオン・ドヌール勲章(シュバリエ)を贈られている。
嗜好 芸術に関するすべてのことが好きです。また、日本のクラシックな舞台である能が好きです。

絵を描くのになぜフランスを選ばれたのですか?

子供の頃から絵を描いていました。どうしても洋画家になりたいという夢を持ち始め、洋画なら本場のフランスに行って鍛えなければならないと思いました。フランス、パリは私のあこがれでした。薫陶を受けていた岡鹿之助(おかしかのすけ)先生に渡仏を強く勧められたこともあり、何度かフランスへ渡るうちに、こうして長く暮らすことになりました。音楽が大好きな岡先生には、渡仏後もクラシック音楽のレコードをお送りしていましたね。

フランスでは藤田嗣治氏に師事されたそうですね 。

幸運だったのは、渡仏に当たり、同郷の徳川公爵が画家、藤田嗣治先生に紹介状をしたためてくれたこと。公爵と藤田先生は高等師範学校で一緒だったこともあり、これに藤田先生が大変喜ばれ、「いろんな方が来るけれど、徳川公爵の手紙を持って来た人は初めてだ。手ほどきしてやる」と、毎日のように昼食や夕食に呼んでくださり、お世話になりました。画家として名を馳せていた藤田先生の所には、夕食ともなるとフランス中から有名人が集まっていました。また、画家は普通、絵を描くところをあまり見せないものですが、そういった場面も見せてくださり、本当にありがたいことです。

フランスで苦労を知らず、来たいと思い続けていたこの地に来て本当に良かったと思えるのも、細かく、丁寧に指導してくださった藤田先生のお陰です。「まずルーブルに行け。ただし目的を持って」という藤田先生の言葉は忘れられません。「手を描くことは難しいから、有名画家の描いた手ばかりをルーブルでスケッチしろ」とおっしゃいました。

風景、特に教会をたくさん描かれています。宗教に引かれるところがあるのですか?

20代の頃、知り合いに付き添い、近くの教会に行っていたのがきっかけでカトリックというものに興味を持ちました。そこで初めて聖書を知り、聖書の言葉に「いいことを言うなー」と非常に感動したものです。そのうち自ら通うように。フランスに来てからも教会に行き、カトリックの教えに引かれていたため、たくさん描いたのかもしれません。

92歳の現在も創作を続けていらっしゃいますね。

油絵を描いています。感動することがあると筆を取り、少しずつ描くのです。窓から見えるセーヌ河岸に移り変わる四季が感じられるなど、フランスの風景は本当に素晴らしいです。

レジオン・ドヌール勲章(シュバリエ)もお持ちです。創作活動の場はフランスですが、日本を思い出されますか?

この名誉ある勲章をいただき、本当に感謝しております。フランスに来て良かったとつくづく思います。

一方、日本を離れて長いですが、フランスにいてフランスを知るほど、日本の良いところが見えてきます。私はフランス国籍を持っていますが、日本人ですから、やはり日本は忘れられません。

現在の日本人画家にフランスで絵を描くことを勧めますか?

師匠である岡鹿之助先生が勧められたように、特に洋画をなさる方は一度、本物の絵画作品を見にフランスに来られた方が良いと思います。想像だけでは限りがありますから。藤田先生のアトリエに大きな絵がありましたけれど、あのような絵もフランスに来ていなければ描けなかったでしょうね。

 

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*本文および情報欄の情報は、掲載当時の情報です。

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