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2006年6月上旬、日本からこんな手紙が届いた。
「前略……この度、北海から地中海までカヤックで横断することになりました。貴誌のご趣旨に沿えるなら一度フランスでお会いしたいと思います……」。
7月下旬およそ1カ月間の旅を終えた吉岡さんが、元気な姿でダイジェストに現れた。68歳(当時)という年齢もさることながら、彼の語る体験談は非常に興味をそそる内容。
「シニアの方に夢と元気を配達するのが今の私の仕事です。」と教えてくれた彼の旅行記を今回は紹介しよう。

2006年の夏、折り畳み式のカヌー(アルミパイプフレーム・キャンバス張り)を漕いで、パリからアムステルダムまでの旅をしてみようと考えた。
パリに着いて早々、まず頭をよぎったのは「セーヌ川でカヌーは漕げるのか?」。早速、河畔の水上警察を訪ねた所、答えは「ノン」。市内中心部でのチビ舟の航行は禁止されているらしい。ノートルダム寺院やルーブル美術館を見上げながらのスタートは断念することになってしまった。もう一つの心配事は、今回ルート750キロの中にある108カ所の水門(英語でロック、フランス語ではエクルーズ) を越えられるかどうかである。
エクルーズというのは日本の国語辞典では閘門(こうもん)。「船舶が高低差のある水面を上下出来るように作られた水門」と説明されている。因みにパリ市内ではアルセルナ港やサンマルタン運河で見ることが出来る。



組み立て式のカヤック、
アルミ製の骨組みなので持ち運びも安易
2006年6月22日
6月26日、パリ市内からのスタートが不可能となってしまったので、パリ郊外のシャトー・クロワジーからの出発となった。セーヌ川行程はわずか20キロだが、その後コンフランでオワーズ川に入り、ベルギー、オランダへと続く長い航海が始まった。
40年間の長いサラリーマン生活をリタイアして、こうした長旅が出来る身になったが、カヌーを始めたのは39歳の時である。会社勤務の合間を縫って週末や夏休みを利用して漕ぎ繋ぎ、23年をかけて日本一周9600キロを達成することが出来た。
日本制覇後の次なる目標は外国だ。そこでまず「北米5大湖から大西洋へ」の目標を掲げ、カナダのセントローレンス川1200キロを漕いだ。(2004、2005年の夏、所要35日)そして今年、舞台はヨーロッパへと移った。航路に運河を選んだのはカナダでの体験から、レジャー・ルート化した運河を多くのモーター・ヨットと交わりながらの旅をした時の経験からである。
ところが、ヨーロッパ運河は完全な産業ルート、言わば高速道路に三輪車で入り込んだようなものだ。オワーズ川に入って最初2つのエクルーズは大型船で満杯、やむなく愛艇を崖上まで担ぎ上げて運ぶことになった。先が思いやられたが、その次は3度目の正直とばかり大型船の後に隠れ、タイミングを見計らって強引に突入。結果はOK、ところがコンピエーニュ(コンフランより96キロ地点)から先は通行禁止になっていた。
オワーズ川に並行して走る側設運河は、およそ200年前にナポレオンの命令で建設されたもので、老朽化が進んで現在全面的に改修中だったのである。

ポプラ並木が延々と続くオワーズ側設運河を行く
いまさら引き返すことは出来ないが、カヌーならば担いでもエクルーズを迂回することも可能だ。ここで万一に備えて持ってきたカヌー運搬用のカートが威力を発揮してくれた。エクルーズに差し掛かる度に艇を降り、上陸ルートを探し、大小10数個の荷物を積み替えての探検ごっこになった。
最大の難所は7月5日、わずか7キロの間に12カ所のエクルーズが待ち受けていた。ならば一気に行こう。荷物を積み込んだカヌーをひきながら、側道を歩いて消化した。
2006年7月7日
7月7日、ジュールモント(270キロ地点)を過ぎてベルギーに入った。感激したのはシャールロワ(312キロ地点)の巨大なエクルーズ。大型バージ(水路運搬船)が何隻も入る函なのだが、カヌー1艇のために待ち時間なしで開けてくれ た。もちろん無料。

ベルギー最初のエクルーズ、人力で扉を開けてくれた
2006年7月10日
7月10日、ナミュール(360キロ地点)で、前々日に会った中年男性、ムッシュー・グランシャから地元の新聞を受け取った。「ザンブル川を行く日本人」の見出しで、大型船の後を漕いで行く私の写真が掲載されていた。彼の本業は古本屋の主と言っていたが、新聞社のレポーターでもあったのである。ムッシューもまたカヌー大好き人間で「レイジ、もっと綺麗な川を案内しよう」と誘ってきた。それで、アルデンヌ高原の奥深くまで連れて行ってくれ、その夜は彼の家のベッド、最高の中休みになった。

シャールロワの古書店主・グランシャ夫妻と共に
2006年7月13日
7月13日、リェージュ(423キロ地点)を過ぎてオランダに入った、と言っても標識などは何にもない。その先も連日、ヨーロッパ各国からやってきたモーター・ヨットとの交歓が続いた。ワール川を横切った所では、メルヴェール運河の入口が見付からずにいた所、またまた助け舟がきた。今度は水上警察の警備艇である。道を尋ねるだけのつもりで漕ぎ寄せたのだが、本船に乗り移れと言われ、そして運河入口まで曳航(えいこう)してくれたのである。お陰で超大型のバージが大波を蹴立てて航行するアムステルダム運河を避けて、ヨーロッパ運河の中で最も景色がよいというヴェヒト運河をたどって行くことが出来た。

古城を見上げながらバージの後を追っていったリェージュ
2006年7月21日
7月21日、アムステルダム着。トータルで26日の行程。思い返しても胸のすく旅だった。
2007年はパリから地中海へ向けて出発する予定でいる。前途は長い。アルプス越えだし、エクルーズの数も200以上になる。

エクルーズの底、前方の扉が開く直前

オランダならではの風車が健在だった

ヴェヒト運河ブリーランドで25日目のテント泊
7 Septembre 2006 No 815
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