
| モーリス・メーテルリンク |
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Maurice Maeterlinck (1862-1949) 象徴主義がヨーロッパ各地に浸透した19世紀末から20世紀初頭、その中心の1つであったベルギーでは、フランスとの交感の中で作品を洗練した芸術家も少なくない。「青い鳥」で有名なノーベル賞作家、詩人であり劇作家であるメーテルリンクもその1人である。
当時ベルギーのブルジョワ階級では、フランス式の教育は珍しくなく、裕福な家庭に生まれたメーテルリンクも幼少からフランス語に慣れ親しんでいた。詩を愛し、コレージュの生徒時から既にフランス語での詩作を行っていたが、彼は家の伝統に従って法律を学ぶ。しかし、その職は彼に向いているものではなかった。後に彼は暗い声でこう呟く「僕は顧客たちを否応なく刑務所に運びこんでいるみたいだ」。 そんな彼にパリ滞在は大きな影響をもたらした。学業を終えたメーテルリンクは、弁論術を学ぶという面目でパリに赴き、そこで象徴主義の詩人たちの影響を受けることになるのである。ドビュッシーがオペラに仕立てた「ペレアスとメリザンド」も、そうしたフランスとベルギーの結合から生まれたといえよう。とはいえ、彼はフランスに染まりきっていたわけではない。 詩作においては ドイツからの影響も強く受け、また帰化を条件にアカデミー・ フランセーズが彼を会員に迎える準備があったようだが、彼はそれを拒否したという。ノーベル賞受賞後はニースに住み、そこで生涯を閉じることになったが、彼はベルギーを愛し、フランスを通してその幻想的な作品と自らの哲学を発信していたのだった。 |

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