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音楽を愛し、音楽に愛された男 クロード・フランソワ

1978年に不慮の事故で他界したフランスの国民的アイドル歌手クロード・フランソワ。70年代フランスのディスコ・ブームに火を付け、没後30年たった現在でも彼の人気は衰えを知らぬ。クロード・フランソワの魅力の秘密を、ヴァリエテ・フランセーズ(フレンチ・ポップス)の生き字引といわれるファビアン・ルクーブルさんに伺う。(Texte par Hajime Yanagisawa, Archive Photo par Lecoeuvre Photothéque / Claude François)

クロード・フランソワ
写真)プロモーション撮影、写真スタジオにて。1975年
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クロード・フランソワClaude François
クロード・フランソワ

1939年、エジプトのイスマイラ生まれ。幼少よりピアノとバイオリンのレッスンを受け、1957年にルイ・フロジオ管弦楽団に入団。1962年より本格的に歌手活動をスタートする。フレンチ・ポ ップスを紹介する人気ラジオ番組「Salut les copains」のブームも手伝い、1964年9月にオリンピア劇場初公演を実現させる。 1967年以降は、シナトラの名曲「My Way」の原曲となる「Comme d’habitude 」の制作を始め、数々のヒットを生み出す。1978年、パリの自宅で感電死した。
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音楽雑誌
クロード・フランソワが所有していた音楽雑誌「ポディュム(Podium)」。当時人気だった音楽雑誌「サリュ・レ・コパン(Salut les copains)」に並ぶ2大音楽雑誌だった
ルクーブル氏
クロード・フランソワ・ジュニアとの合作 「Je soussigné」を手にするルクーブル氏
Fabien Lecoeuvre
ファビアン・ルクーブル
15歳でバカロレアを取得。その後大学生活と平行してパリ商業会議所へ勤務。この頃、商業会議所関連の仕事でテレビ出演し人脈を広げる。その後、彼の活躍がプロダクション会社の目に留まり、レコード会社の広報担当になる。1992年、独立しファビアン・ルクーブル・オーガニゼーションを設立。以降クロード・フランソワ、ジョニー・アリデー、ミレーヌ・ファルメールを始めとする著名アーティストのプロモーションを手掛ける。フランス音楽業界に精通していることから、関連書籍も多数執筆している。
ファビアン・ルクーブル・オーガニゼーションの活動内容
ルクーブル氏
クロード・フランソワが受賞した、数々の賞に囲まれるルクーブル氏。ファビアン・ルクーブル・オーガニゼーション事務所にて
私はフランスでヴァリエテ・フランセーズのスペシャリストとして知られており、テレビの音楽番組などで、フランスの音楽シーンの流れや歴史を紹介しています。そんな私の知識や人脈を使い発足させたのが、ファビアン・ルクーブル・オーガニゼーションです。活動内容は、歌手や芸能人のプロモーションやプレスリリースの作成などを主に行っています。クロード・フランソワに関しては、私が全権を持っていますので、没後30年となる今年は、3月にテレビ特番を組み、同時にクロード・フランソワの名曲をフランスの著名シンガーが歌う「Claude François autrement dit」というアルバムも発表しました。この他にも、豪華本の出版などいろいろと企画してます。

クロード・フランソワを一言で説明するなら?
フォレスト・ナショナルでのコンサート
1974年、フォレスト・ナショナルでのコンサート
彼がこの世を去ってから既に30年がたちましたが、人気は衰えを知りません。まさに伝説です。彼のCDはこれまでに累計6400万枚販売されました。もちろん、この記録はフランスでは1位、しかも記録は更新中です。多くのフランス人が彼を愛し、多くの作家が彼について書きました。それらの書物の言葉が口コミで広がり、クロード・フランソワの伝説は進化し続けています。フランスにディスコ旋風を巻き起こしたほど、アバンギャルドなアーティストだった彼の作品277曲は、いまだに古さを感じさせません。だから、現役の彼を知らない10~20代の若者にもファンがいるのです。

クロード・フランソワのデビュー当時は?
クロード・フランソワ2枚目のアルバム
1962年発売、クロード・フランソワ2枚目のアルバム。このアルバムに収録されている「Belles, belles, belles」は大ヒットとなった
彼の最初のアルバムは、1962年にKOKOという名前で発表した「Le nabout twist」です。ナブ(nabout)とは、アラブ人が踊るときに使う棒状の道具で、踊りもツイストに非常に似ています。そんなことから、彼はこのアルバムをフランス語とアラビア語で発表したのですが、当時は全く売れませんでした。しかし、そんな彼に機運をもたらした人物がいます。リュッキー・ブロンドのマネージャー、ポール・リダーマンです。1962年当時、フランス人歌手は皆アメリカや英国のヒット曲をフランス語にリメイクして歌っていました。もちろん、クロード・フランソワも例外ではありません。ある日彼は、エブリー・ブラザー作曲の「Girls, Girls, Girls」のフランス語リメイクをフォンタナ・レコード(フィリップス傘下)に持ちかけたのですが、この曲はすでにリュッキー・ブロンドが先約していました。しかし、クロード・フランソワの才能を見抜いたポール・リダーマンはフォンタナと交渉し、フランス語版の権利をクロード・フランソワに譲ったのです。こうして、クロード・フランソワ初のヒット曲「Belles, belles, belles」は誕生しました。これを機に、彼の人気はうなぎ登りとなります。

シナトラが歌い有名になった「My Way」誕生秘話は?
「My Way」の原曲「Comme d’habitude」
シナトラが広めた名曲「My Way」の原曲「Comme d’habitude」(1967)が収録 されているアルバム
この曲は1967年2月にジャック・ルヴォーが作曲した「For Me」(Sacem*登録番号300)がオリジナルですが、当初クロード・フランソワはこの曲にあまり興味を示していませんでした。しかし夏の全国ツアー中に、ジャック・ルヴォーが作曲した「Plante un arbre」という曲に出会ったことをきっかけに、クロード・フランソワは、最新アルバムに「For Me」のメロディーを使うことを決心します。そして作詞家ジル・チボーが、クロード・フランソワと恋人のフランス・ギャルの失恋のエピソードをベースに作詞し、歌の出だしをクロード・フランソワが「Je me lève, je te bouscule……」 とアレンジを加え「Comme d’habitude」は完成しました。この曲は、クロード・フランソワが立ち上げたレコード会社Flecheの最初のアルバム収録曲だったのですが、売り上げは芳しくありませんでした。しかし、自身のレーベルから発表する初めての曲という事もあって、音楽番組出演時にはクロード・フランソワは必ずこの曲を歌っていました。そんな偶然もあってか「Comme d’habitude」は、バカンスでフランスに訪れていたカナダ出身のシンガーソングライター、ポール・アンカの目に留まります。帰国後アンカは、詩を英語に書き換え「My Way」という曲を作り上げました。後はご存じの通り、名歌手シナトラが歌い、「My Way」は世界的なヒット曲となりました。ちなみに「Comme d’habitude」は、「My Way」も含めていまだにSacemでのトップ著作曲です。
* Sacem:フランス音楽著作権協会


ディスコ・ミュージックとは?
ディスコ・ミュージックはヨーロッパ北部が発祥で、リールを中心とするフランス北部も発信地のひとつと言われています。その証拠に、当時ディスコ・ミュージックのレコードは全てブリュッセル、アムステルダム、ベルリン、リールの4カ所で録音されていました。現在ではポップスの大御所となったマドンナも若い頃はリールに住んでおり、当時の人気歌手のバックコーラスをしていました。その時の経験が彼女のルーツと言われるほど、フランス北部は流行の発信地だったのです。フランス国内では、1976~78年にかけてクロード・フランソワが本格的にディスコ・ミュージックに火を付け、「Magnolia for ever」 「Alexandrie, Alexandra」などの名曲を残しました。
テレビの音楽番組
写真)1975年、テレビの音楽番組にて、クロード・フランソワとバックダンサーのクロデット
クロード・フランソワJr
Fleche Productions代表
現在クロード・フランソワの作品は、息子のクロード・フランソワJrが運営する Fleche Productionsによって管理されている。この会社は、クロード・フランソワが生前立ち上げたレコード・レーベルが会社名の由来となっているという。そんなこともあり、現在でも多くの新人歌手が売り込みに訪れるそうだ。他にも、国内外のテレビ局や映画制作会社から父親の功績を伝える伝記映画制作のオファーが来るそうだが、彼はかたくなにそれを断り続けている。「父は偉大な功績を残した。僕が今できることはそれを出来るだけ多くの人に伝えてゆくことです。だから、さまざまな企画のオファーが来ても軽はずみに受けることが出来ないのです」。クロード・フランソワが事故死した当時、息子のクロードさんはまだ9歳。生前の父親の思い出はつぎはぎでしか覚えていないそうだが、遺作を管理することで父の偉大さを感じているらしい。
クロード・フランソワjrとお墓 左)クロード・フランソワJrとファビアン・ルクーブルさん。クロード・フランソワ の生まれ故郷エジプトにて
右)クロード・フランソワの自宅のある、パリ南東のダヌモアの墓地

クロクロ・ジャポネサエキけんぞうさん
日本でフレンチ・ポップスといえば、サエキけんぞうさん。クロクロ(クロード・フランソワ)の魅力と功績をもっと多くの人に知ってもらおうと、12人の日本人アーチストに呼び掛けて出来上がったのが「Cloclo Made In Japan」。4月2日に日 本でリリース記念パーティーを終えたばかりのサエキけんぞうさんに伺いました。(Interview et texte par Toshiko Kawakane)

★クロード・フランソワをどのようにとらえてらっしゃいますか?

フランスに初めてディスコ・ミュージックを持ちこんで、定着させたり、歌手のフランス・ギャルと別れた直後に「My Way」として全世界で歌われている「Comme d’habitude」を作ったという、フランスの音楽シーンにとって重要な存在ですよね。

彼の曲は、日本で70年代に流行っていた曲にも似ているせいか懐かしさを伴ない、非常に親しみがわきます。「人なつっこい」という言葉がぴったりで、今回の「Cloclo Made In Japan」に参加したアーティストの中には、クロード・フランソワを聴くのは初めてという人もいたけど、すぐに入っていけたみたいです。セルジュ・ゲンズブールだと、しっかり聴きこんだ、ちょっとマニアな人でないと難しいと思いますが、彼のダンス・ナンバーは初めて聴く人でも楽しめます。日本で70年代の歌って踊るアイドルといえば、日本では郷ひろみさんや沢田研二さんですよね。でも、クロード・フランソワのデビューが1962年ってことは加山雄三さんと同期、いやーこれはすごいですよ。当時イエイエ・ロックンロールだった彼が、70年代にもクロデット*の女の子たちをバックに歌って踊る現役のアイドルだったんですから! *クロード・フランソワ専属のバックダンサー


日本盤 1965年、日本で発売されたクロード・フランソワのアルバム。A面にはフランス・ギャルが歌う「夢見るシャンソン人形(Poupée De Cire, Poupée De Son)」(セルジュ・ゲンズブール作詞・作曲)と、名曲「ドナ・ドナ・ドーナ(Donna Donna)」。2曲ともフランス語版と日本語版の両方が収録されている。

★「Cloclo Made In Japan」の日本リリースおめでとうございます。フランスでは2月末のリリース後、フランスのテレビ局TF1やFrance2などでも「クロクロ・ジャポネ!」と紹介されていましたよ。

大変うれしいですね。収録曲12曲中10曲はダンスナンバーで、参加アーティストはビデオを見て動きも大研究しました。「動くクロクロ」ということで、視覚でも大いに盛り上がって、楽しんでいただけるビデオ・クリップが出来上がっています。コスプレの要素もあるし、曲自体もテクノポップ調で、とても日本的なアレンジになっていますので、フランスでなじみのクロクロとは違ったものとして再発見してもらえたらうれしいですね。日仏交流のお役に立てたりしたら本望です。

★フレンチ・ポップスを今の日本に広めて定着させてらっしゃいますが、サエキさんにとってのフレンチ・ポップスとは?

子供の頃は映画を見ると聞こえてくる音楽でした。フランシス・レイなんかの……あ、エマニュエル夫人を見たりね(笑)。80-90年代になって改めて聴き始めたのですが、英米の音楽に比べて、非常にセンシティブな魅力があるんです。中でもゲンズブールは、僕にとってミック・ジャガーと同等にある本当に大きな存在なんですよ。

93年から歌いはじめたゲンズブールのレパートリーがたくさんたまって、10年間の集大成として作ったのが「L’homme A La Tête De Sushi(スシ頭の男)」 (03)です。

僕は日本にいながら、CDを聴いたりビデオを見て近づこうと探求していますが、いくら頑張ってもどうしても距離を感じてしまう。でも歌うと、すべてがとけるんです。例えば、ゲンズブールと僕だと、フランスと日本、生きた時代や時間の違いがありますが、歌うことですべてが“とける”。そんな素晴らしい体験が出来るのが音楽の良いところだなあ……と強く感じます。

★今秋にフランス・ツアーを行われるそうですが、「Cloclo Made In Japan」参加アーティストの皆さんといらっしゃるのですか?

それがクロクロとは全く別のライブなのです。主催者側から直接声が掛かったもので、ピアノ演奏で僕が1人で歌うんですよ。ゲンズブールの曲がほとんどで、ボリス・ヴィアンも1曲入れようと考えています。2人だけのステージなので、しっかり頑張らなくては。10月24日、会場はシテ・ド・ラ・ミュージックです。是非いらして ください。

コンサート
「La "Gainsbourgmania" japonaise 」
10月24日(金)20:00
Cité de la musique 211, av. Jean Jaurès 75019 Paris
M: Porte de Pantin ⑤
www.cite-musique.fr
サエキけんぞうサエキけんぞう
1980年「ハルメンズの近代体操」でデビュー後、パール兄弟を結成。「愛の種」(モーニング娘)など多数の作詞を手がけ、テレビ、ラジオ出演の他、エッセイスト、プロデューサーとして幅広く活動中。2003年にはフランスでソロアルバム「スシ頭の男」を発売。フランス・ツアーも行った。窪田晴男とのパール兄弟活動も再開し、2003年にはアルバム「宇宙旅行」やスタジオライブDVDを発売。


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