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新年特集:フランスのお笑い
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所変われば、笑いも変わる。いや、ユーモアのセンスにこそ、世界各国における文化の違いが最も如実に表れるという。そこでニュースダイジェスト新春第1号では、英国・フランス・ドイツの現地編集部が、それぞれの国ならではのお笑い事情に迫ります。まずは、フランスでは根強い人気のコメディー、バーレスク劇について。日本人にはなじみのないバーレスクとは一体どのような笑いだろうか? (Photo by Hajime Yanagisawa)
バーレスクはお色気に非ず世界にお笑いの種類は数あれど、オシャレに、そしてスマートに皮肉を込めるのがフランス流。ところがフランスのそんなあか抜けたお笑い文化の中で、異彩を放っているのが「バーレスク」と呼ばれるジャンルである。 「バーレスク(Burlesque)」という言葉は、イタリア語の「バーラ(Burla)」という、「いたずら」を意味する単語を元にしていると言われている。日本では一部「バーレスク=お色気ショー」と理解されている向きがあるが、本来のバーレスク劇とは、ドラマチックなシチュエーションをおどけながら表現する寸劇のこと。サーカスで言えばピエロの芸風に当たり、道化師のように派手に着飾ったコメディアンが、観客の前で面白おかしくおどけて見せる形式が一般的だ。各演目は短く、テーマも社会風刺から夫婦げんかまでと様々。スタンダップ・コメディーではコメディアンが言葉巧みに観客をからかったりするが、バーレスク劇では逆に舞台上の芸人が登場人物を滑稽に表現することで、そのドタバタぶりを目の当たりにした観客に、一種の優越感のようなものを持たせることを狙いとしている。 映画界では20世紀初頭のフランス人監督マックス・ランデがバーレスク映画の立役者とされており、サイレント映画時代にはチャーリー・チャップリン、ハロルド・ロイド、バスター・キートン、そしてフランス映画ではジャック・タチなどがバーレスク劇から大きな影響を受けた。現在フランスでは、シャルレー&ディノ、ヤン・ストッツ、レ・マンジュール・ド・ラパン、レ・フレール・タロッシュ、ピエール・オケーニュといった面々が、バーレスクの舞台で活躍中だ。 バーレスクと道化師の関係バーレスク劇は果たしてどのようにして生まれ、現在に至るまでフランス国民たちに愛されるようになったのか。その謎を探るために、まずは道化師の歴史からひもといてみよう。 中世ヨーロッパでは既に、国王や領主などの特権階級にある人物が、自身やその周囲の人たちを楽しませるために専用の従者を雇うようになり、その従者のことを「道化師」と呼ぶようになっていたという。君主への暴言は大罪とされていた時代に、道化師は唯一、君主や特権階級への無礼な発言を許されていた存在であった。 道化師がもてはやされた中世16世紀頃、イタリア北部では仮面を使用する演劇「コメディア・デラルテ」が誕生した。この演劇形態の大きな特徴は、登場人物の名前と個性があらかじめ固定されていたことだ。例えば、道化でペテン師のアルレッキーノ、偉そうな態度を取ってばかりだが、一方で騙されやすいという弱点を持つ年寄りの商人パンタローネ、戦争の自慢話ばかりしているが実は臆病者のカピターノなどといった登場人物が用意されているのである。演目によって若干設定が変えられることがあるものの、基本的には観客がストーリーを把握しやすいように、これらの人物の特徴は不変のままで配役されていた。つまり、どのような演目においても観客は即座に物語の状況設定が把握でき、純粋に俳優の演技に集中できるようにとの配慮がなされていたのである。 特定の劇場を持たないこの劇団は、イタリア国内を始め欧州各国で巡業を行い、フランスでは「人間嫌い」などの喜劇作品で知られる17世紀の劇作家モリエール、英国ではウィリアム・シェイクスピアといった巨匠たちの創作活動に影響を与えている。また巡業地によってはイタリア語が通じない場所も多くあったため、言葉を発せずに行った演目がパントマイムの発展につながっていった。 ただ18世紀に入ると、コメディア・デラルテのイタリア国内での人気は徐々に衰退していき、多くの役者が活動の場を求めて陸続きのフランスに流れてきたと伝えられている。そんな彼らが生活費を稼ぐために始めた路上劇が、フランスにおける道化芝居の発展につながり、これが後にバーレスク劇となったのだ。当時におけるフランスのバーレスク劇にイタリア人コメディアンが多かったのは、こうした背景に由来している。
お笑いの基本はグロテスクパリで活躍するお笑いコンビ、レ・マンジュール・ド・ラパンのシグリッドさんとピエールさんによれば、バーレスク劇の本質とは「グロテスクさ」にあるという。そのグロテスクな部分に「話のズレ」を組み合わせることで、独特の笑いが生まれるそうだ。 例えば、怪我で足を失った人に対して、子どもが「なぜあなたは足がないのですか」と問いかけたとする。一般常識のある大人では残酷すぎて口にすることもできないセリフだが、子どもが発することによってその無邪気さが残酷さを打ち消してくれるのだ。そういえば、特権階級への無礼な発言が許容されていた道化師の役割もこれに通じるものがある。バーレスク劇ではこうした道化師の特異なキャラクター像を最大限に活用し、タブーとされる話題も「笑い」へと変えてしまうのである。 社会的な側面を切り取るがゆえに、演じる者たちを取り巻く社会の様子をくっきりと映し出すというのもバーレスク劇の特徴の一つだ。例えば、現在のフランスにおけるバーレスク・スタイルの寸劇は日常のシチュエーションをテーマにしたものが多いが、社会情勢が不安定な南米コロンビアやアルゼンチンなどでは、昔の道化芝居のように辛辣な社会風刺がテーマになることが多いという。ちなみにシグリッドさんによれば、イタリア国民はローマ帝国時代から現代まで常に大きな社会的な圧力を受けてきており、そんな暗い日々を楽しく過ごそうとした結果、バーレスク劇の笑いが誕生するに至ったという。辛い日常が、上質のコメディーを生み出したとは何とも皮肉な話である。 容姿と演技力が決め手![]() レ・マンジュール・ ド・ラパンのパンフレット 一般に「喜劇」と呼ばれる演劇形態とバーレスク劇とでは、同じ舞台コメディーであっても笑いの質において大きな違いがある。「喜劇」の場合は物語の内容や台詞の言い回しに面白さがあり、それとは対照的にバーレスク劇では、台詞よりも登場人物の置かれた状況設定が笑いの対象となっている。米国のキートンやチャップリン、英国ではMr. ビーンなどが作り出す笑いが、その代表的な例と言えるだろう。次から次へと起こる身体を張ったドタバタ劇には、言語の枠を超えて観客席に機械的に笑いを呼び込む力があるのだ。 だからこそ、台詞よりも状況設定が重要なバーレスク劇のコメディアンには、ただ舞台に立っているだけでも笑いを誘えるような容姿が不可欠だという。この点で、やせっぽっちでハゲ頭のシグリッドさんと大柄で少し太めのピエールさんの凸凹コンビであるレ・マンジュール・ド・ラパンなどは、まさにバーレスク俳優の典型と言える。例えば主にマイムを担当するシグリッドさんは、演劇学校時代にどうしても及第点をもらえなかった科目があるという。それは「悲劇」。台詞も演技力も完璧なのに、なぜか観客から笑いを誘ってばかりいたのだそうだ。今でこそ、その容姿が彼らの芸に役立っているが、当時はどうしたものかと本気で悩んでいたそうだから、まさに喜劇である。 笑いを生む状況設定と笑いを誘う容姿が揃ったら、次に必要とされるのが演技力。フランスにもコメディアン養成学校がいくつかあるそうだが、人気が高いのはむしろ演劇学校だという。有名どころでは、パリ市内にあるジャック・ルコック演劇学校が名高い。この学校では、喜劇から悲劇までのあらゆる演技の他に、登場人物のキャラクター作りに必要な知識を徹底的に教え込まれることになる。 気になるコメディアンの待遇最後に、フランスでコメディアンとして成功するまでの道のりについて、今回の取材に協力してくれたレ・マンジュール・ド・ラパンの例を見てみよう。まずデビューしてから数年は、収入よりも支出が多いという状況が珍しくないという。だが、一度このハードルを乗り越えれば、華と芸術の都で活躍するコメディアンとなることができるわけだ。その成功をつかみ取るには、どうすればいいのか。レ・マンジュール・ド・ラパンの実例が示す教訓は、「実践あるのみ」だ。 今では彼らの人気演目の一つとなったインド人の奇術師「ファキール・グルジャック」というキャラクターは、偶然の産物であったという。当時はまだデビューしたてだったシグリッドさんとピエールさんの元へ、コメディー舞台出演のオファーが届いた。チャンスを生かさなければとオファーを受けたものの、何を演じて良いのか全く分からない。あれよこれよとしているうちに、やせっぽちのシグリッドさんが出した「インド人に扮したら面白いのではないか」というアイデアで落ち着いた。早速、衣装を買って準備を整えてから当日会場に行くと、周りは凄腕の芸人ばかり。正直インド人奇術師のギャグなんてバカにされるだろうとビクビクしていたらしいのだが、結果は大成功に終わった。以来改良を重ねたこの演目は、彼らの一番人気の演目となったそうだ。 シグリッドさんとピエールさん曰く、コメディアンなのだから笑われるのは当たり前。恥をかくことなど心配せずに、何事にもチャレンジしていくのが、フランスでコメディアンとして成功するための秘訣だそうだ。
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レ・マンジュール・ド・ラパンさん



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