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マリー・キュリー

Marie Curie (1867-1934)

放射能元素の発見により夫ピエールと共にノーベル物理学賞を受賞したマリー・キュリーの名はパリに多く残っている。かつては500フラン紙幣に肖像が描かれ、パリ第6大学はピエールと彼女の名を冠し、2人の名が付けられたパリ5区の通りにはキュリー研究所がある。さらに2人の遺体は1995年にパンテオンに移され、今もパリに眠っているのだ。

Institut Curie
5区11,Rue Pierre et Marie CurieにあるInstitut Curie。
1階はキュリー博物館になっており、
中ではかつての研究室の様子などを見ることができる。

彼女が祖国ポーランドからパリへと出てきたのは1891年。帝政ロシアの支配下では充分に勉学を積むことが出来ないと考えた彼女は、ポーランド名のマリア・スクロドフスカをマリーと変え、パリ第4大学ソルボンヌに入学。1893年には物理学、1894年には数学の学位を取得した後、1895年に、磁性の研究を行っていたピエールと結婚することになる。

彼女がパリで学んでいた時代は、フランスの物理学者ベクレルが放射線を発見し、レントゲンがX線を発見した頃であった。そこで放射線に関心を抱いたマリーは、ピエールと共に研究に打ち込み、新元素であるポロニウム(その名はポーランドに由来)とラジウムを発見しノーベル化学賞を受賞した。1906年に夫ピエールを事故で亡くした後も自らの研究を続け、1911年には史上初となる2度目のノーベル賞を化学の部門で受賞。1914年にはパリのラジウム研究所の所長に就任した。

だが、その研究は悲劇的にも彼女の命を奪うことになった。放射性物質の研究により被ばくし、白血病に侵された彼女は、1934年にフランスでその生涯を閉じたのである。遺族によって埋葬された彼女の墓には、ポーランドの土が一掴み共に埋められたという。


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