クリストフ・ジラール
「秋だ! 夜長だ! ニュイ・ブランシュだ! - 「新」を共有する都・パリ」

パリを歴史の眠りから覚ます 文化政策の立役者、 クリストフ・ジラール氏
©Ren Izuta
秋と言えば、食欲、スポーツ、読書、そして芸術。さまざまなイベントが新学期と共にパリで開催される。なかでも2002年秋から開催されているニュイ・ブランシュ(白夜祭)は首都の住民や観光客などに親しまれるパリの秋の恒例行事として定着しつつある。世界一の観光都市であるパリは2007年に2900万人の観光客を記録した。リピーター、初心者問わず観光客が随時パリの住民と混在するパリは、過去の文化遺産だけに頼らず、つねに文化政策に工夫を凝らしている。
そのキーパーソンがパリ市長助役文化担当のクリストフ・ジラール氏。同氏は2001年に現職に就任以来、市の文化政策に携わりながらさまざまな形でパリの文化活動を盛り上げてきた。パリ市は文化施設として60の図書館、12の美術館、15の劇場、18の音楽院を管轄しているが、それら既存の施設を改革することから始めた。パリ市立近代美術館やカルナヴァレ美術館などパリ市立美術館の常設コレクションを無料公開にしたり、32の市立図書館の改修工事をするなどし、住民の読書環境を整えた。また、Maison de Métallos (2007), 「104(Cent
quatre)」 (2008)のなどの文化施設を新設、長年閉まっていた施設Théâ tre de Trois Baudets(2009)をフランス語圏の歌を発信する場、La Gaîté Lyrique(2010年一般公開予定)をニューメディアを駆使した音楽やアートを専門とする拠点として蘇らせる計画に着手した。
ジラール氏の文化政治の核にあるのは「文化へのアクセス」だ。同氏が現職着任後、最初に直面したのは「眠れる美しい姫になってしまっていた」パリだった。歴史的な文化遺産の重みがのしかかり、パリには快適で庶民的な新しいエネルギーが欠けていた。それがニュイ・ブランシュと「104(Centquatre)」を作った動機になった。パリ市民や観光客、一人一人を動員するような文化の動き(働きかけ)が必要だった。そのためには庶民的で広く人気を招き、すべての人がアクセス可能というイベントや場所が重要だ。個人それぞれの文化との接触、体験が未来には実を結ぶ。観客を芸術愛好家か、もしくは芸術家に出来れば理想的だ。文化の中で、観客は共有することを学び、芸術家は共有するきっかけを与えてくれる。イベントや文化施設で人を動員し消費を動かし、パリ市全体が文化生涯教育の環境として住民を包み込む。

初年度2002年のニュイ・ブランシュには50万人の訪問者を動員、 その2年後には100万人を突破するほどの成功を収めた
©Ville de Paris
それらの文化政策を実現する経済活力において、公的機関と民間企業のタブーなどといっている場合ではない。むしろ公共と民間の相補性が力となる。ジラール氏は、パリ市長助役として活躍する一方で、民間企業LVMH社の服飾、革製品部門の市場戦略部長の顔も持つ。公・民の二足の草鞋を履くジラール氏ならではの発想だ。これまで、文化は国家が公的資金を使って保障するものであるとして文化政治は中央集権主義体制がしかれていた。そんなフランスの伝統であったお国文化経済も2008年8月、経済近代化の法律の条項で大きな転換期を迎えた。さらに2009年6月に、公共施設維持基金の法律が公布されたばかりで、この法律の施行の第一例がパリ市が管轄する「104(Cent
quatre)」だ。複数の民間企業が公共施設の運営のための基金と出資し、その基金団体が司法上の権限を持つ機関として制定された。
文化政治の新境地で成功を収めたジラール氏。パリ発ニュイ・ブランシュはブリュッセル、マドリッド、ブカレストにまで拡大し、今年5月末にはテル・アビブでも開催された。今後は、東京やニューヨークで定期化するという野望を抱く。第4次フィヨン内閣では、彼の8年間の功績を考慮しアルバネル文化相の後任として各メディアが取り上げていたほどだ(文化相にはフレデリック・ミッテラン氏が就任した)。世界に誇る文化観光都市を制したジラール氏、近い将来フランス国家全体の文化政治にその機知を活かす日が訪れるのだろうか。
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