Advertisement
newsdigest

title_tokushu.gif

5 Novembre 2009 No 891


野間文芸翻訳賞決定!

日本語の文学作品をフランス語に翻訳する。単に言葉を移し替えるというだけでなく、その作品の持つリズムや作品全体を覆う空気をも伝えるこの仕事が、困難極まるものであることは想像に難くない。だがそれだけに、優秀な翻訳者の精密な読み、大胆な言葉の選択、作品との極限までの付き合いから生まれたフランス語訳の文学作品は、原作とはまた別の傑作となりうる。フランス語で生まれ変わった日本文学を「名訳」で味わおう。
(Texte par Masato Enya, Coordination par Sayaka Nakagawa)

野間文芸翻訳賞

プレスリリース
講談社主催、第17回野間文芸翻訳賞のプレスリリース表紙 ©講談社

今回17回目を数える講談社主催の野間文芸翻訳賞。講談社が創業100年を迎えた記念すべきこの年、フランス語が対象言語として選ばれ、石田衣良作「池袋ウエストゲートパーク」を翻訳したアンヌ・バヤール=坂井氏と中上健次作「奇蹟」を翻訳したジャック・レヴィ氏が受賞した。

講談社は野間文芸賞や野間文芸新人賞、野間児童文芸賞など多くの賞を主催し、その他にも吉川英治文学賞や江戸川乱歩賞などを通じて日本の文芸の発展に貢献している。野間文芸翻訳賞もそのひとつ。日本現代文学(明治以降、ノンフィクションを含む)の優れた翻訳に与えられるこの賞は、講談社から出版された本に限らず、原作が他社から出版されているものも含めた多くの作品の中から、厳しい審査の結果選出される。

野間文芸翻訳賞は、日本文化の海外への紹介と国際相互理解の増進を目的に、講談社が創業80周年を記念して1989年に創設し、過去には日本文学を英語やドイツ語、イタリア語、スペイン語、スカンディナビア語、オランダ語、中国語、韓国語、ロシア語に翻訳した訳者が受賞している。フランス語が対象言語となるのは1991年、1998年に続き、今回が3回目。ちなみに、後の講談社となる大日本雄弁会を野間清治氏が設立したのが1909年で、今年はちょうど100周年。その記念の年にフランス語が対象言語として選ばれた。

今回は1998年1月1日から2007年12月31日までにフランス語に翻訳、出版された作品の中から選出された。選考委員には東京大学准教授で現代フランス文学の紹介者としても名高い野崎歓氏、学習院大学教授で大岡昇平などの作品を翻訳しているティエリ・マレ氏、東京大学教授で村上春樹の「羊をめぐる冒険」のフランス語翻訳者でもあるパトリック・ドゥ・ヴォス氏、そして早稲田大学教授で芥川賞・三島賞作家でもある堀江敏幸氏と豪華な顔ぶれが並ぶ。

石田衣良作「池袋ウエストゲートパーク」と中上健次作「奇蹟」という極端に作風が異なる2作が受賞という今回の結果は、日本文学の多様さと深さ、そしてフランスでの日本文化へと開かれている受容の広さを示していると言える。

野間文芸翻訳賞授賞式

斎藤駐フランス特命全権大使
野間文芸翻訳賞の授賞式にて祝辞を述べる斎藤駐フランス特命全権大使 ©講談社

10月12日、パリ15区のエッフェル塔近くに位置するパリ日本文化会館で野間文芸翻訳賞の贈呈式が行われた。当日、会場には日仏文化交流に携わる機関やメディア、文化人や翻訳家、学生など多くの人々が集まり、受賞者と日仏文芸文化交流の発展を祝った。

自身もフランス語を学んだ経験を持つ講談社の野間省伸副社長のフランス語による挨拶で開会した式では、アンヌ・バヤール=坂井氏とジャック・レヴィ氏それぞれに賞状と副賞である10,000米ドル、日本航空より日欧間往復航空券が贈られた。翻訳の難しさや、その成果が報われたひとつの結果ともいえる受賞への喜びを織り交ぜた各受賞者のスピーチなどに続き、フランス国立東洋言語文化大学(INALCO)が中心となって作る図書館BULAC(Bibliothèque universitaire des langues et civilisations、2011年末パリ左岸国立図書館近くに開館予定)とパリ日本文化会館(MCJP)という日仏文芸に関係が深い両機関に、今回のフランス語での野間文芸翻訳賞を祝う形で、100万円分の講談社の図書寄贈が発表された。

野間省伸代表取締役副社長より賞を受け取る受賞者
©講談社

受賞者

受賞者インタビュー アンヌ・バヤール=坂井

プロフィール1959年東京生まれ。1989年パリ第7大学大学院博士号取得。リール第3大学教授を経て、1998年からフランス国立東洋言語文化大学日本言語文化学部教授(専攻日本現代文学)。 代表翻訳作品:「L'ombre des fleurs」(「花影」大岡昇平著)、 「Une existence tranquille」(「静かな生活」大江健三郎著)、「La clef」(「鍵」谷崎潤一郎著)。

アンヌ・バヤール=坂井


バヤール=坂井さんがこれまで翻訳された作品の多くは、谷崎潤一郎、川端康成、大江健三郎、最近では堀江敏幸と純文学の作品でした。今回、石田衣良の「池袋ウエストゲートパーク」は大衆的な色合いの強いものです。この作品を翻訳されることになった経緯は、どのようなものだったのでしょうか?

大学で日本文学を教える者として、今日本で何が書かれているのかを知ることは重要ですので、文芸誌には、純文学系のものから中間小説系のものまで、出来るだけ目を通すようにしています。「池袋ウエストゲートパーク」を初めて読んだのは、確か「オール讀物」に掲載された時だと思います。その時に特に文章のリズム感が優れていると感じ、興味をそそられ、単行本を購入しました。そして、おそらくこれは、フランスに紹介されたことのないジャンルの日本文学として翻訳の価値があると思い、ピキエ社に話を持って行ったのです。

「池袋ウエストゲートパーク」は現代の若者の言葉や文化、考え方がちりばめられた小説です。翻訳では、バヤール=坂井さんの苦労と巧みさによってそれらが見事に表現されていますが、それ以外の部分で苦労された点や楽しみを感じた点はありますか?

これはいわゆる娯楽小説ですから、とにかくフランス語訳が読み辛かったり、読者が読んでいて退屈するようなものにしてしまっては意味がないので、出来る限り原文にもあるリズム感を失わないように注意して翻訳を進めて行きました。まず翻訳の第一基準をスピード感に置くこと。それ自体が、翻訳者としての作業をとても楽しいものにしてくれるものでもありました。

バヤール=坂井さんは翻訳のお仕事について、異文化の橋渡しをするというジキル的な側面と、翻訳者自身が作品と特権的な関係を結ぶという形容し難い快楽を持った、その文章の世界一の読者であるという誇大妄想的な幻想を抱くハイド的な側面があると仰っています。「池袋ウエストゲートパーク」と世界一密接な関係を築いた読者としてのバヤール=坂井さんにとって、この作品の一番の魅力はどこにあるのでしょうか?

文章の軽快さと、登場人物の個性ではないでしょうか。私は一読者として、推理小説なども含めたエンターテインメント文学を比較的多く読みますが、そのジャンルに属するものの欠点のひとつは、登場人物が類型的で奥行きのないところだと思っています。けれど「池袋ウエストゲートパーク」は、脇役をも含めた登場人物が意外に丁寧に描かれていて、読者を楽しませてくれるのです。

今年は「池袋ウエストゲートパーク2」もフランスで出版されました。日本では「池袋ウエストゲートパーク」はシリーズ化されています。今後もこのシリーズが翻訳されていく予定はすでにあるのでしょうか?

「さあ」としか言いようがありませんね。フランス語訳の「池袋ウエストゲートパーク2」は、実は「池袋ウエストゲートパーク」2と3所収(しょしゅう)の幾つかの短編から構成されているのです。「池袋ウエストゲートパーク3」所収の最後の短編は、すでに仏訳が出来上っており、出版社に渡してあるので、数カ月のうちに出版されるのではないでしょうか。その後の予定は今のところありませんが、考えているところです。

翻訳家になりたいという人からアドバイスを求められたら、何と答えられますか?

技術的には、良い翻訳者になりたかったら、出来るだけ多くの本を読むこと。そして現実的には、翻訳で生計を立てるのは非常に難しいので、覚悟すること。


原作者の石田衣良氏
石田衣良氏今回の受賞を祝う喜びのコメント

純文学ではなくエンターテイメント系の日本の作品がこのように翻訳され、権威ある賞をいただけることは喜ばしいことです。今、日本ではレベルの高い作品が増えているのでもっとフランスで読んでもらえるとうれしいです。

受賞者インタビュー ジャック・レヴィ

プロフィール1953年スリランカで生まれる。パリ、ハノイ、京都、香港で幼少期を過ごす。パリ第7大学で文学と日本語を専攻。現在は明治学院大学フランス文学科教授。
代表翻訳作品:「Amère volupté」(「ベッド・タイム・アイズ」山田詠美著)、「Le cap」(「岬」中上健次著)、「Hymne」(「讃歌」中上健次著)、「Miracle」(「奇蹟」中上健次著)、「Projection privé」(「インディヴィジュアル・プロジェクション」阿部和重著)、「シンセミア」(現在翻訳中、阿部和重著)他。

ジャック・レヴィ


レヴィさんは中上健次作品の翻訳で肝腎なのは「語りのいわば『今、ここにある』妙な悲しみと明るさに満ちた強度を表出すること」と仰っています。「奇蹟」を翻訳されるにあたって、最も気を使われたその点について詳しく教えていただけますか?

彼が持っている真似のできない表現というのがあって、それをどう翻訳するかが問題でした。その表現の特有性というのは一回きりの出来事であって、翻訳はある種の反復です。その反復の過程の中で、一度だけ起きるひとつの表現をどのように再生できるかが翻訳者の賭けでした。中上の作品では、どの作品でも最初の方に登場人物が、その体を何かに晒すという場面があります。それにより感傷的と言えるような感情が現れ、それがバックグラウンドとして小説に付き添っていくのです。「奇蹟」はそれが最も複雑で、高度で、紛らわしい形で表現されていく。「奇蹟」は中上が特有の表現を出し切って、それを書き切ってしまったような強度のある作品だと思います。そうした書き手の体から表出されるものに直面するようにして翻訳に取り掛かりました。また、その中で訳せなかったもの、失ってしまったものというのはあるのですが、その体験こそが最後の方では支えになりました。つまり、訳し損ねているものに形を与えていこう、それを切り抜いていこうとし、そうすることで、反復の中でかろうじて作品の「種」になっているものをテクストの中に見て取れるのではないかと考えながら翻訳を進めていったわけです。

レヴィさんは今回の「奇蹟」よりも以前に、「岬」、「讃歌」と中上の作品を翻訳されています。同じ作家の作品をいくつも翻訳されているうちに、その作家に近づいていけるようになるという感覚はありますか?

中上へのアプローチとして批評的なアプローチというものがあります。そこでは、中上はひとつの作品では語れない、お互いの作品が連携していると見られており、その見方は正しいのでしょう。しかし翻訳をしていると、もちろん同じ作家であるという意識はありますが、作品それぞれが全く異なるものであると感じました。それぞれの作品には何か異なった試み、異なる志が存在し、文体自体も共通するよりも異なるものが膨らんでいくという経験をしています。また別の観点から言うと、中上の作品には「未完成」という特徴があると言われますが、訳していると、実は作品は完成が遂げられ、閉じられているのだと実感しました。特に「奇蹟」はそうですね。これは皮肉に満ちた宗教論でもあって、誕生と終わり、人間の結びつきを鋭く小説家の観点で述べている試みだと思います。

レヴィさんは作品の「『声』に迫っていけばいくほどその正体が退き」、「その『声』が言語間の空洞の奥底へ消え去っていくのではないかという恐れ」の中で翻訳をされていたと語っておられます。その恐れの中にも翻訳者の「悦楽」や「快楽」というものはあるのでしょうか?

ここで得られる快楽というのは、言葉の表面にある煌(きらめ)きを味わっていく快楽とは異なっていると思います。まさしく声の問題で言うと、音や日本の語りの伝統や絶妙な旋律、あるいは幻視を見る声が作品にあり、そうした声は描かれれば描かれるほど幽霊化していく。声が声の無い声となっていき、その肉から離れていく声を追っていく試みがこの小説にはあります。翻訳者もテクストに引っ張られていき、そこでは快楽や悦楽というよりも、一種、離れたいというような、耳に唆(そそのか)されるような、こちらも幻視的な体験を強いられるような、そんな思いがありました。それは悦びのひとつの形でもあると思います。

レヴィさんは「文学作品の翻訳はもちろん完成しきれるものではない」とお考えですが、それはどういった意味でのことでしょうか?

翻訳が反復である以上、翻訳者によって違うものになってくる。それは当然のことです。翻訳はひとつの作品の可能性、脚色として現れてくるものです。ひとつの翻訳として完成されるものではなく、その未完成の形が、完成し切れない反復を露出することによって、つまり何が取り残されているのか痕跡をあらわにすることによって、言語自体が言語として生き残っていくものであると私は考えています。

選考委員長 野崎歓氏インタビュー

野崎歓氏趣を異にした2作品が翻訳賞を受賞したという事実。それは、今後フランスでさまざまなジャンルの日本文学が読まれ浸透していくのではないか、そしてフランス文学とは異なった味わいを持つ日本の作品が、現代フランス文学にも幅広く影響を与えていくのではないかと期待させるものでもあった。選考委員長を務めた野崎歓氏に今回の野間文芸翻訳賞の意義や翻訳の本質に関わる話を聴いてみた。


野崎さんはレヴィ氏の翻訳を「緻密にして難解な重要作品を驚くべき精確さで訳出した」と評され、バヤール=坂井氏の翻訳を「原作への忠実さを貫徹した」と仰っています。ここでの「精確な訳出」、「原作への忠実さ」とはどういったものでしょうか?

いろいろなレベルでのことでもありますが、2人とも意味の取り方が細部まで精確で、レヴィ氏の訳は、我々が読み流してしまうところまでも「こうだったのか」と教えてくれるものだと思います。どちらの翻訳も原作に対する充実した注釈になっていて、教わるところが多い。忠実さというのは同時に、創作も含まなくてはならないものです。中上の物語にせよ、石田衣良の池袋のストーリーにせよ、フランスの読者やフランス語に存在していない要素が多々あるわけですから、それをフランス語に置き換えるとしたら、これは勇気をもってやらなくてはいけない。そしてそれを2人とも見事に貫いている。原文から遊離しているという意味ではなくて、忠実さを極めていくと創作に近づいていく、そういった翻訳ってすごいものだなぁと感服しました。

野崎さんもトゥーサンやウェルベックといった現在のフランス人作家を日本語に翻訳されています。今回の石田衣良の小説のように、現在の、そして幅広い読者を獲得している作家を翻訳することの意義はどこにあるのでしょうか?川端作品や三島作品の翻訳、あるいは野崎さんはスタンダールの新訳も出されましたが、そうした翻訳とはまた違った意義を読者に投げかけるものでしょうか?

古典にせよ現代のものにせよ、大事なのは共有するということ。要するに世界文学というものを豊かにしていくことです。中上健次と同時に石田衣良というのを見ると、日本文学が三島、川端、谷崎というものに囚われないレンジを持ったものであることが、一瞬にして、その2冊があることによって、その2冊だけではない広がりで把握できるわけです。そういった動きが世界文学を作っている気がします。とりわけ新しい作品の場合は、本国でも価値が確立されていない時点でそれを翻訳することにより、その作品に別の生命を与えるものになると思います。それは創造的な部分が感じられる仕事だと思いますし、それが読者の刺激になれば良いと思っています。

翻訳によって原作の持つ別の可能性を発見することがあります。今回の受賞作の場合、どういった部分にそれがあるのでしょうか?

石田衣良の小説の方は、フランスの本屋さんを見てみるとポラール(推理小説)のところに積まれているようです。そうすると、フランスであれば古くはマンシェットのものや、あるいはアメリカのハードボイルド小説、現在の推理小説、そういったところに一石を投じる形となり、日本における石田衣良の捉え方とは違う位置付けになりますよね。それはフランスにそういったものを受け止める期待の地平とでもいうべき地盤があったわけで、そのフランスの地盤を豊かにする点が面白いと思います。中上健次の場合は、まだ具体的な形でフランスの現代の作家が刺激を受けた、あるいは呼応するような発言はそれほど聞こえてきません。じわじわと浸透していくことを信じるしかないのですが、おそらくこの翻訳によって、ある意味で原作以上のクリアさを持ちつつも、声の特異さという点で、フランス文学にはあまりない一種のOVNI(UFO)としての中上性が際立つ気がします。特に「奇蹟」の場合は、語り手が生きているのか死んでいるのか判断しにくいものです。そういった語り手は、フランス文学にはあまりないのではないでしょうか。ですから、「フランス人は今こそ、この賞とともに中上を発見せよ」と言いたいところですね。

フランス語から日本語への翻訳と日本語からフランス語への翻訳では、違った難しさがあると思われますか?

もちろんそれはあるのでしょうが、同時性が強まっているということは感じました。ウェルベックを訳すときはフランスの戦後史のいろいろな瞬間がパッチワークされているけれども、それが我々の文脈にそのまま入ってくる感触があります。石田衣良の場合も、池袋という非常に局限された所でありながら、それを丹念にフランス語にすることでパリの一部もしくは続きかもしれないというスリル、共時性のスリルというものがあると思います。ただ中上となるとOVNI(UFO)だから、一般的に言うと、そのインパクトを正面から受け止める気運がないかなとも思っています。中上は「世界は同時多発的に、玉突き的に事件が起きる」と言っていましたが、翻訳もそうあって欲しいですね。翻訳があることで、点だったものが運動というか連続性を得ることがあるのではないでしょうか。

第17回野間文芸翻訳賞受賞作

Ikebukuro West Gate ParkIkebukuro West Gate Park
Philippe Picquier社刊、
Anne Bayard-Sakai訳
(「池袋ウエストゲートパーク」
石田衣良著)

池袋を舞台に、若者たちを主人公にしたミステリー仕立ての作品。4本の中編小説から組まれているが、登場人物や事件などに連続性が保たれ、読み進むにつれ、池袋という特殊な街とスピード感ある物語展開にどんどん引き込まれていく。この小説では若者の言葉や風俗が作品の独特の世界観と文学性を作り上げる大きな一要素となっているが、アンヌ・バヤール=坂井氏の翻訳は、それらをフランス語で巧みに表現する。読者は、口語表現の味わいと軽やかさを損なわないままフランス語で再構築するとはどういうことかを目の当たりにすると同時に、フランス語によって生まれる明 め いせき 晰かつ颯 さっそう 爽とした語り口が原作の持つ面白みを引き出す瞬間を何度も目撃するだろう。選考委員を務めたマレ氏はバヤール=坂井氏の隠語に匹敵する訳語を探し出そうとする細やかな配慮を称えつつ、「それによってもたらされる創意に満ちた言葉は時に芳ほうじゅん醇でさえあって、この翻訳を文学的成功たらしめているのだが、原作以上の出来映えだという人がいたとしてもおかしくない」と述べ、選考委員の堀江氏は「日本の小説の仏訳というより、《セリ・ノワール》のすぐれた新作を手にしたときの気分で読み通した」と語る。正確な翻訳であり、かつ原作とはまた別の面白さも内包する名訳。ぜひスピード感を味わいながら一気に読み通したい一冊だ。


MiracleMiracle
Philippe Picquier社刊、
Jacques Lévy訳
(「奇蹟」中上健次著)

老産婆オリュウノオバと精神病院に収容されたトモノオジが語る、「高貴にして澱(よど)んだ」中本の血を継ぐ「闘いの性」に生まれた極道タイチの短い生涯の物語。生と死に取り囲まれた、そして性や暴力のエネルギーが充溢した、また幻覚と感覚に覆われた読み応えのある作品。

1992年46歳で夭逝(ようせい)した芥川賞作家中上健次は、現代日本文学を見通す上で欠くことのできない名前であろう。作品から迫ってくる、むせ返るような重圧、方言による語りが成す軽快な旋律、悲しみとおかしみが渾然(こんぜん)となった翻訳不可能ではないかと思われる日本語の多面体の声を、ジャック・レヴィ氏は見事にフランス語で伝える。文学と翻訳への自身の深い哲学とこだわりを貫き通すかのように、訳者が作品と極限まで付き合ったことが感じ取れる翻訳だ。冒頭近く「Le père Tomo se bouchait les oreilles de ses deux mains, persuadé que la tristesse provenait du ressac de la mer qui déferlait contre l’énorme mâchoire de l’immense poisson.(トモノオジはその妙な悲しみが、巨大な魚の巨大な上顎に打ち当たる海の潮音に由来するのだと信じ、両手で耳をふたぐのだった。)」という一文を読むや否や、読者はフランス語で現れてくる中上健次の小説世界に驚愕(きょうがく)するのではないだろうか。日本語の作品とフランス語の翻訳の両方を読み比べながら、この作家を再発見する機会にして欲しい。


他にもまだまだあるフランス語で読む日本文学。
こんな翻訳が面白い。

アンヌ・バヤール=坂井氏に「これは面白い、これはうまい」と思ったフランス語訳の作品を聞いてみたところ、パトリック・ドゥ・ヴォス訳の「羊をめぐる冒険」とエストレリータ・ワッセルマン訳の「三四郎」を挙げてくれた。

野崎歓氏に今回の受賞作以外の面白い作品、翻訳に興味がある人に勧めたい作品を聞いたところ、「センセイの鞄」や「蛇を踏む」(芥川賞受賞作)などの代表作を持つ現代作家、川上弘美の名前が挙がった。

「日本語の特質がオノマトペ(擬声語)とか感情的な表現にあると思うと、川上弘美の作品は翻訳が難しいのではないか。それに「溺レる」(フランス語タイトル「Abandons」)なんて、タイトルからして漢字、ひらがな、カタカナがあって、そうしたものは翻訳できないのではないかという気がするけれど、それをどう料理しているのか、していないのかという部分が、ある意味危なっかしいところもあり、面白いところでもある」と野崎氏。また「翻訳すると作品の骨組みが見えてくるところがあって、表情が多様に見える川上作品が意外にシンプルにできているという発見もあるかもしれない。根っこにある想像力の向かい方が、翻訳を読むとむしろ定式を持っているということが解る気がする」と、翻訳で見えてくる原作の広がりも見どころのようだ。


Murakami HarukiLa course au mouton sauvage
Seuil社刊、Patrick De Vos訳
(「羊をめぐる冒険」村上春樹著)

フランスでも有名な、村上春樹。この作品は、主人公の「僕」が背中に星形の斑紋のある羊を探す旅に出るという物語。日常生活の深さあるいは浅さを見つめ、「村上春樹の思想」とでも名付けたくなる世界との距離感を、計算された突飛な比喩を交えた独特な文体で物語として露わにする。村上の文体は外国語からの翻訳作品を思わせ、一見すると翻訳しやすそうに見えるが、実際に日本語とフランス語訳を読み比べてみるとドゥ・ヴォス氏がまさに「絶妙」なフランス語でそれを再現していることがわかるだろう。ちなみにドゥ・ヴォス氏は過去に野間文芸翻訳賞をこの作品で受賞している。


Soseki NatsumeSanshirô
Gallimard社刊、Estrellita Wassermann訳
(「三四郎」夏目漱石著)

「三四郎」は、田舎から上京し大学生となった三四郎の心情や生活を描いた小説で、西欧文化が入り混じった明治末期の東京を描き、文化批評にもなっている作品。それゆえに、明治期の活き活きとした東京やそこに息づくヨーロッパ文化が、フランス語を通すことでまた別の印象を呈してくる。「三四郎」のフランス語翻訳版は何通りも出版されているが、この版は夏目漱石の切れ切れのリズムある語り口を一旦引き受けた上で、フランス語での語りとして流動性を含ませつつ見事に再生している巧みな訳と言えるだろう。


読者プレゼント
特集バックナンバー
バックナンバー
eBook
Promotion
リッチモンド・ファーマコロジー 治験ボランティア
ロンドンの語学学校 ブルームズベリーインターナショナル
ロンドンでの長期・短期滞在にはゲンダイ・ゲスト・ハウス
NEWS DIGEST
スタッフ募集
ご意見・ご感想
リンクダイジェスト
天気 Météo
PARIS
16°C
amazon.co.jp

フランス・ニュースダイジェストに掲載の記事・写真の無断転載を禁じます。すべての内容は日本の著作権法並びに国際条約により保護されています。
 Copyright © 2010 SARL France News Digest. All Rights Reserved. Do not duplicate or redistribute in any form.