


Rashomon(羅生門)Akira Krosawa(1950) © DR

Les Enfants du paradis(天井桟敷の人々)Marcel Carné(1952) © DR
フランスで日本映画発見となったのは、1950年ベネチア映画祭で金獅子賞を受賞した黒澤明の「羅生門」であった。これに続き、1953年には衣笠貞之助の「地獄門」が日本映画初のカンヌ映画祭グランプリを受賞する。
1950年代前半は日仏両国にとって映画の黄金時代であった。フランスでは、ジャン・ルノワールの「大いなる幻影」(49)、アンリー・ジョルジョの「情婦マノン」(50)、J・コクトーの「オルフェ」(51)、マルセル・カルネの「天井桟敷の人々」(52)、ルネ・クレマンの「禁じられた遊び」(53)、アンリー・ジョルジョの「恐怖の報酬」(54)、ジャン・ルノワールの「フレンチ・カンカン」(55)など。全て映画史に残る名作である。
日本映画では、小津安二郎の「晩春」(49)、黒澤明の「羅生門」(50)、成瀬巳喜男の「めし」(51)、1952年は黒澤明の「生きる」と溝口健二の「西鶴一代女」。1953年は、今井正の「にごりえ」、小津安二郎の「東京物語」、溝口健二の「祇園囃子」。黒澤明の「七人の侍」(54)、成瀬巳喜男の「浮雲」(55)など。これらの日本映画は、当時敗戦直後の西高東低の状況下ではフランスで公開される機会を得なかったものの、1980年代頃から発見され高く評価されることになる。フランスでも多くの評論が出版されている小津安二郎や黒澤明、溝口健二の映画は、今でも頻繁にパリで上映されており、ここに挙げた他の監督にも熱烈なファンがいる。

À bout de souffle(勝手にしやがれ
)Jean-Luc Godard(1959) © Ciné Classic
1960年代には、フランス映画界に全く新しい映画の波(ヌーベルバーグ)が起こった。ゴダールの傑作「勝手にしやがれ」は全て手持ちカメラで野外撮影され、その斬新な手法は映画の常識を変えた。日本映画界でも新たな波は起き、大島渚、吉田喜重、篠田正浩などの監督が登場、彼らは今日のフランスでも高い評価を受けている。日活退社後、やはり彼らと同じく独立プロを作って活動し始めた今村昌平は「楢山節考」(83)と「うなぎ」(97)で2度カンヌ映画祭パルムドールを獲得し、熱狂的なファンも多い。
新世代の日本映画に関してフランス人の目を開かせたのは是枝裕和監督の初映画監督作品「幻の光」(95)だ。ベネチア映画祭で久々に日本映画が賞(金のオゼッラ賞)を獲得し、注目された。それまでは新世代の日本映画監督は存在しないと日本映画通の間でさえ思われていただけに「幻の光」の登場は新鮮だった。新感覚の映像は評判で、新世代の日本映画が注目される機会となった。以降、世界の映画祭でも日本映画の出品本数は増え、1997年にはカンヌ映画祭で河瀬直美が「萌の朱雀」で新人監督賞を受賞。史上最年少の快挙だった。さらにアニメでも宮崎駿や押井守が国際映画祭で評価を得た。実写、アニメ問わず多くの日本映画がフランスで公開されるようになったが、その分出来の悪いものも公開される風潮も生まれ、ブームは終焉。現在では、旧作のDVDリリースは増えているものの、新作に至っては日本映画だからという理由だけで公開されることは少ない。

Hiroshima Mon Amour(二十四時間の情事)Alain Resnais(1959) © DR こうした映画の配給公開とは違い、日本とフランスをダイレクトに結び付けるものとして合作映画がある。戦後初めての日仏合作映画はイブ・シャンピ監督「忘れえぬ慕情」(56)。長崎を舞台にしたフランス人造船技師と健気な日本娘との悲恋物語だ。主演は岸恵子で、フランス側の共演者は大スター、ジャン・マレーとダニエル・ダリュウという豪華な顔ぶれであったが、「異国趣味」の内容で評価は低い。その3年後にはアラン・レネ監督の傑作「二十四時間の情事」(59)が作られる。これは原爆が投下された広島を背景にしたフランスの女優と日本人男性との不可能な愛の物語。日仏両国で評価は高く、今でもパリでよく上映されている。

L'empire des Sens(愛のコリーダ)Nagisa Oshima(1976)
黒澤明の傑作「乱」(85)は、オール日本人キャストだが日仏合作映画だ。日本の敏腕プロデューサー原正人と共同で製作したセルジュ・シルベルマンはフランスの大プロデューサー。「乱」のプレミア上映会は、ポンピドー・センターの表一面に巨大スクリーンを作り、そうそうたるフランスの要人出席の下に大群衆も集まり、一大事件であった。性愛場面がスキャンダルとなった大島渚の「愛のコリーダ」(76)のプロデューサーはアラン・レネの「夜と霧」(55)や「二十四時間の情事」などの傑作を作ったアナトール・ドーマン。大島渚の「愛の亡霊」(78)、寺山修司の「上海娼婦館」(81)も同氏の企画だ。

Inju, la bête dans l'ombre(陰獣)Barbet Schroeder(2008) © 2008 SBS FILMS – LA FABRIQUE DE FILMS – FRANCE 2 CINEMA

Yuki & Nina(ユキとニナ)Hippolyte Girardot et Nobuhiro Suwa(2009) © Yoshi OMORI
最近の映画に目を向けると、フランスに滞在歴を持つ諏訪敦彦は「不完全なふたり」(05)や昨年公開された「ユキとニナ」と2本の日仏合作映画を撮っている。フランス人監督が手掛ける最近の合作といえばJ・P・リモザン「TOKYO EYES」(98)が知られるが、近年は増え、バーベット・シュローダーが江戸川乱歩の小説を映画化した「陰獣」(08)、3監督のオムニバス「TOKYO!」(08)、ギャスパー・ノエが東京で撮影した「エンター・ザ・ボイド」(09)。製作中のものでは、トラン・アン・ユン監督が村上春樹の小説「ノルウェイの森」を、オドレイ・フーシュの「メモリーズ・コーナー」も最近撮影を終えた。
日仏合作映画が作られる背景にはさまざまな理由があるが、日仏の映画市場が米国程大きくなく手を組みやすい規模であること、また異文化でありつつも共有できる感覚があることが大きいものと思われる。交通手段や通信手段が発達し、現在の若者はますます外国を身近に感じるようになった。ボーダレスの時代、以前にも増して日仏合作映画のメリットは大きくなっているといえそうだ。
(Texte : Kiyomasa Kawakita)
お詫びと訂正(2010年5月6日)
本記事におきまして、《「マックス、モン・アムール」(86)のプレミア上映会は、ポンピドー・センター》とありましたが、正しくは「乱」のプレミア上映であり訂正いたしました。関係各位ならびに読者の皆様に深くお詫び申し上げます。
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