
| 佐伯祐三 |
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Saeki Yûzô (1898-1928) 佐伯祐三は、ヴラマンクとユトリロの影響を強く受けた後、憂愁漂う独自の色彩でパリの裏町やカフェの軒先、広告に埋められた壁などを描き続けた画家である。
彼がパリに渡ったのは1924年、26歳の時だった。当時の佐伯の作品を見たヴラマンクは「このアカデミスムめ」と痛烈な言葉を彼に投げかけたという。以来、佐伯はそのアカデミスムを乗り越えるべく、文字通りパリでその生命を芸術活動に捧げた。肺結核を病み、健康を心配した家族の説得によって一時日本に帰国するも、わずか1年半で再びパリへ戻った。その時すでに彼は自らの死を予感していたに違いなく、そんな彼の予感は不幸にも的中してしまう。翌1928年、肺結核と精神病にさいなまれた彼は、その30年という短い生涯をパリ近郊の精神病院ヴィル・エヴラールで終えることになる。だが彼の短きパリ滞在に無駄な日は1日もなかった。そこには1日に約1枚という驚くべき速度で描き続けた、鬼気迫る佐伯祐三の姿があった。 佐伯はモンパルナス地区の14区や15区を多く描いた。主な代表作に彼が1度目の滞在時に住んでいたことがあるシャトー通り近くの「パストゥールのガード」、彼の最後の住居があるレイモン・ロスラン通りの41番地にあった「レストラン(オ・カドラン)」や33番地の「絵具屋」(残念ながら2店とも現在は別の店になっている)、そして最晩年の作品であるカンパーニュ・プルミエール通り27番地にある「扉」。死を感じながら、暗く沈みこむようなパリの風景を数多く描いた佐伯祐三。だがその作品には、命と引き換えてまでも手に入れたかった芸術とパリの魔力が感じられる。 |
(左)佐伯祐三の描いた27 Rue Campagne Première
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