

セーヌ川に浮かぶペニッシュ(平底船)はさまざまな用途に使われている。家族で生活を楽しむ人たち、事務所にして働いている人たち、他にもカフェやレストラン、劇場まで。共通点は、地上とは違う開放感。都会にいながらにして、水の流れに揺られて過ごす時間は格別だ。ペニッシュ族の皆さんに話を聴いた。
(Texte et photo par Sayaka Atlan Nakagawa)
家族で住む夢のペニッシュ
ロシア人女優のディナラ・ドゥルカロヴァさんが家族と住むペニッシュ「世界の歌(Chant du monde)」は暖かい空気に満ち溢れている。家族構成は、旦那様のジャン=ミッシェルさん、6歳の男の子ナイル君、6カ月の女の子ダニヤちゃん。全長38メートル、総面積180平方メートルの船の中には外光の入る大きなサロン、夫婦の寝室、子供部屋、ゲストルーム、キッチン、2つの浴室が備えられている。サロンにはたくさんのDVDが整然と棚に収まり、壁掛けのスクリーンまでしつらえられている。

ディナラ・ドゥルカロヴァ。ロシア版「大人は判ってくれない」とも評価された「Bouge pas, meurs et ressuscite」(89)に出演していた利発な少女が今や2児の母。2008年はアルメニア映画に出演予定
この船は、そもそもジャン=ミッシェルさんが子供の頃の「夢」をかなえるべく購入したもの。引っ越しの多い家庭で少年時代を送った彼は、ある時期ペニッシュに暮らすミュージシャンと親しくなり、それ以来水の上の生活を夢見て育った。
1998年、ジャン=ミッシェルさんはサン・ドニ(パリ近郊北東部)に停泊していた船を90万フラン(13万7204ユーロ)で購入し、その後ルヴァロワ(パリ近郊西部)のセーヌ河岸通りの整備の計画を知り引っ越してきた。現在では、不動産の高騰とペニッシュのブームが重なり、船の価値は60万ユーロ(393万フラン)以上になっている。
ペニッシュの暮らしは不便な面もあると思われがちだが、ディナラさんに言わせると問題は皆無だという。もちろん、普通の家とは違う船特有の手入れは必要だが、水道、電気やガスはもちろんのこと、電話やインターネットも問題なく、湿度の高さに悩まされたことなど一度もない。

モロッコ好きの一家のサロンは、オレンジを基調とした暖色でまとめてあるが、客室はトリュフォーの「緑色の部屋」にインスピレーションを得て緑色に塗ったそうだ
水の上の生活に魅せられて
「今ではもう水の上を離れての生活なんて考えられないわ。旅行から帰ってきて、この船に戻り水に揺られながら眠りにつくときの幸福感。ペニッシュの中にいると、まるで大きな魚のお腹の中にいるよう。まるで母親のお腹にいる胎児のように、すっかり安心していられるの」とディナラさんは語る。
ペニッシュ生活を愛する彼女は、もう二度とパリのアパルトマンには住めなくなってしまったらしい。
「パリの騒音、加速する生活リズムに加えて、階段をよじのぼってやっと家にたどり着き、おまけに隣人に囲まれて暮らす毎日なんてもう想像も出来ないわ。それに、この船の値段でパリにアパルトマンを買うとしたら、とても今のような広さや環境は求められないもの。パリからここに帰ってくると心からホッとする。水はエネルギーをくれると同時に心を落ち着かせてくれるの」
たしかに、この船には魔法のようなポジティブな空気が流れている。ディナラさんは窓から差し込む夕日が天井や壁一体を照らす子供部屋を「まるでおとぎ話みたいな部屋」と言うけれど、この船での生活そのものがまるで物語のようだ。彼女は、将来子供たちが大きくなったら、「かたつむりが殻を背負って移動するように」この船で旅をするのを楽しみにしているそうだ。

7月のパリ祭は、船のテラスからセーヌ川に上がる花火が鑑賞出来る
ペニッシュ豆知識その①ペニッシュの持ち主は、10年に一度船底を掃除することが義務付けられている。この機会に傷みの具合などを専門家に鑑定してもらい、必要なら修理をする。
イヴリー河岸に浮かぶ華やかな船「プレイタイム」
昔から画家、作家、ミュージシャンなど、多くのアーティストが水上生活に惹かれてきたが、水の揺れはインスピレーションを刺激するのだろうか?映画監督で俳優でもあるゴーチエ・アブーさんが、兄のエマニュエルさんとセーヌ川上に映画制作会社の事務所をかまえてから4年になる。オフィス、編集室、はたまたパーティ会場も兼ねるこの船「プレイ タイム号」は、まさにマルチ船?!

「一番好きな場所はプール。改装に時間はかかったけど、
いいオフィスに なって満足しています」
ゴーチエさん兄弟は、子供の頃から水上スキーに親しむ船好き少年だった。「いつか船に住んでみたい」と常日頃から思っていた彼らに吉報が訪れたのは2003年のこと。映画制作会社用の事務所を探していたところ、映画仲間からある船が売りに出ているという話を聞きつけ、その話に飛びついたという。この船は本来航海用のもので、フランス北部のダンケルクとオランダのアムステルダム間を航海する船乗りが持ち主だった。なんでも彼の再婚相手が船に全く興味を示さなかったため、船乗りは長年慣れ親しんでいた船を手放したらしい。全長50メートル、幅6.6メートルのこの船は「ペニッシュ」に似ているが、正確には「沿岸航路船(caboteur)」と呼ばれている。当初ブーローニュにあった船は、2004年以降に現在のイヴリー河岸に移動された。パリの東に位置するイヴリー河岸は、当時まだ新しい停泊場所だったため、電気を引くなどの基本的な工事に、初めはずいぶん苦労したという。

全長50メートルの船体は存在感がある。イヴリー河岸を開拓した船の一隻。
ジャック・タチもびっくりの豪華船
船の名前は、兄弟が敬愛するジャック・タチ監督の代表作のひとつ「プレイタイム」にちなんで付けられた。タチはこの映画の撮影のために私財を投げ売って巨大なセットを作り上げたが、アブー兄弟も「プレイタイム」を今の姿にするまでに相当投資をしたそうだ。
電気や水周りの問題を解決した後も、モーター室だった部屋を事務所用に改造したり、フィルムを収める倉庫を作ったり。船は改良に改良を重ねられ、現在は事務所や編集室としてしっかり機能している。ゴーチエさんいわく、「陸のオフィスと比べて良いと思うのは『静かなこと』、『水が見えること』。そして、何よりも広々としたスペースがあるのが魅力」。さらにこの船は、安定感があるため揺れも少なく、仕事中に船酔いをする心配もない。
4人いるスタッフのうち3人が映画監督ということもあり、映画が完成するとそれを祝うパーティーなどもこの船で頻繁に行っている。夏になると、テラスに備えられたプールで水遊びも出来るというからなんとも優雅な映画制作事務所だ。


ロウソクの光が揺れるのを眺めながら、美味しいお酒をどうぞ。
また、船内のバーにはステージも設置されている。コンサートや演劇ホールとして機能しており、訪れる観客は新しい劇場のスタイルに大満足しているという。
ちなみに船の停泊料は月約3000ユーロと安くはないが、それはこの船が住居用ではなく商業・文化施設として使われているため。空いている部屋は他の製作会社や、管理人のカップルに貸すなどして無駄なく利用されている。
船上パーティでセレブ気分に!
「プレイタイム号」の広いスペース内には、バーを備えたふたつのレセプションルームがある。これらの空間は会社のセミナーやレセプション、または結婚披露宴などプライベート・パーティーの機会に貸し出されている。オリジナリティーのある忘れられないイベントが企画できそう。料金など詳細はwww.play-time.orgにて。

セーヌ川を臨む開放的なテラス。
ペニッシュには駐車代ならぬ停船料が掛かる。パリの停船場は、環境庁の機関「Service Navigation de la Seine」が管轄しており、停船料は船の種類や大きさにもよるが、河岸近辺の環境の良し悪しや周辺の地域の家賃にも左右される。例えば住居用の全長38メートルのペニッシュの場合、一番安いパリの郊外でおよそ167€から。人気スポットのシャンゼリゼ近辺で月800€以上になる。
また、ペニッシュを動かすためには「PP(Péniche de Plaisance)」という船舶免許(18歳から)が必要。免許取得には健康診断の他、船の横付けなどの実技試験、また船舶に関する工学などの筆記試験をパスしなければならない。それぞれの試験につき、20点中10点以上を取得する必要がある。
参考文献: Habiter une péniche(Éditions de l’Écluse)ペニッシュの購入から整備までを細かく説明してくれる唯一の貴重なガイドブック
パリの隠れ家的ペニッシュ「ファラオン号」
自然とのコンタクトを求め、ヴァカンスになるといそいそと田舎へ出掛けるパリジャンは珍しくないけれど、パリ近郊に別荘を持っている人はそうそういない。ジュリアン・ティヴァンさんは、パリ近郊のサン・ドニに別荘を持つラッキーなパリジャンだ。

「いつかペニッシュ運航専門免許(Péniche Présence)
を取って、この船を動かしてみたい」
彼の別荘とは、「ペニッシュ」。広告関係の仕事をしているジュリアンさんが、同じ業界で働いている親友とこの「ファラオン号」を購入したのは3年前。「個性的かつ広々とした空間」を探してブティックやアトリエを探していたところ、口コミでたどりついたのがこの船だった。

このペニッシュは、1910年代のもの。
当時は炭や木材の運搬に使われていたそうだ
水上で暮らす新しさもさることながら、全長39メートル、幅5メートルのその面積の広さとに惹かれた2人は、この船をひとめ見て約12万ユーロで購入を決めた。もっとも、購入直後にジュリアンさんは恋に落ち、それ以来は彼女とパリ市内のアパルトマンで生活をしているそうなのだが……。結果的に、このペニッシュには主にジュリアンさんの親友が住み、ジュリアンさんはセカンド・ハウスとして利用している。気が向いたときに、週末を中心に週に2~3回ほど訪れ、友人との時間や自然を楽しんでいるという。
この船の以前の持ち主は近くのペニッシュへ引っ越したので、今でも何か問題があると助けてもらえる。ペニッシュ族同士にはどこか似た空気があるらしく、どの河岸を訪ねても近所の船同士の付き合いには連帯感が感じられるということだ。
メンテナンスは大変、でも……
ここ「モラン・ド・カージュ河岸(Quai du Molin de Cage)」での停船料は月々140ユーロと格安だが、ペニッシュでの暮らしは、何をするにしてもメンテナンスに時間と費用が掛かる。例えば、この船は高速道路沿いの河岸に停泊しているため、暖房用の燃料を運ぶトラック運転者にとっては停車も運搬も一苦労。そのため、ご近所のペニッシュと共同で配達を頼まなくてはならない。また、工事をする際にも常に防水、防寒に備える必要があるため、何をするにもひと手間掛かってしまう。

船内にはいってすぐ目に付くのが歯科医で使われる椅子。
こんなものが置けるのも、広いスペースならでこそ
それでも、春になると姿を現すコガモたちや岸に青々と茂る緑を眺める時間、そしてちょっとしたノマド気分を味わえるこの空間は、すっかりジュリアンさんの心をつかんでしまった。「もしこのペニッシュを手放さないといけないことになったら、また他のペニッシュを探すつもり」だという。近所の騒音に悩まされることがないことや、小さなアパルトマンと違って、ものをいちいち細かく片付けなくてもいいことも魅力。確かに、船の中ほどにある壁際にはペンキや工事道具などが山積みになっていたが、そこはなんだか男の子がおもちゃを置きっぱなしにしたような、自由でポップな空気に溢れていた。

どこか現代アートの美術館を思わせる同居人の居住空間
ペニッシュのことなら専門家に聞くのが一番、ということでペニッ シュ専門月刊誌「Fluvial」(www.fluvialnet.com)の編集長リシャール・ヴァルテールさんに話を伺った。「ペニッシュで暮らすには、停船料やメンテナンス料、保険料など予想外の出費がなにかと多いもの。『普通のアパートよりも安い』と勘違いしてペニッシュ生活を始めて離婚したカップルがいるくらいなので、購入前にまずは維持費をしっかり計算することをお勧めします。ペニッシュ選びには、できたら船のことを隅々まで知っている船乗りにアドバイスを求めると良いでしょう。また、購入の際には少々お金は掛かっても『Plan de Sondage』を専門家に依頼して船底の厚さを測量してもらうことも重要です。また、パ
リでは停船場所の確保が難しく、統計によれば400隻もの船がウェイティング・リストに登録されているため、スペースを手に入れるまでに何年もかかります。ですから、船の購入は場所を確保してからにすることをお勧めします。特にパリの観光地に近いペニッシュは動きが少ないのですが、それでもパリ内にペニッシュを持つことは不可能ではありません。例えばある船主は、手に入れた停船場が24メートル船舶用の場所だった為、所有していた38メートルの船を24メートルに改造して夢を現実にしてしまいました。ペニッシュ族が情報交換をするフォーラム『ADHF-F』(www.adhf-f.org) などで情報収集をして、理想の水上生活を手に入れてください」。







