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lun 21 mai 2012

ピエール神父ピエール神父が残したもの

「私は愛されている、私がこの世界に存在することを、この人は愛おしんでくれている」。

ピエール神父に見つめられることがあった者は、きっと誰もがこういう気持ちになる。あなたが生きていることに対する、絶対的な肯定だ。時折補聴器に左手をあて、杖を持つ小さな老人の蒼い目は、見つめられただけで感情が喉のあたりでぐっと詰まるような、あまりに深い慈愛と、そして哀しみを湛えていた。

(Texte par : Miwa MATSUZAKI, Photo par Un admirateur anonyme)

アベ・ピエール

「ピエール神父(Abée Pierre)」(本名:アンリ・グルエ)は1912年にリヨンの裕福な家庭に生まれた。恵まれた幼年時代を過ごした後、19歳の時にカプシン会修道士となる為に出家した。戦時中は教会にとどまることなく、ユダヤ人を匿い、脱出のために険しいアルプスやピレネー山脈を徒歩で越える道先案内をするなどレジスタンスとして活動。この時のレジスタンス名「アベ・ピエール」を、以後も本名の代わりに使うようになった。戦後は国会議員として選出され、5年間の議員活動を続けながら、その収入は全て戦災により住む場所を失った人々の家を建てるためにつぎ込み、多くの苦境に立たされた人々を救った。

そして1954年2月1日、大寒波がパリを襲った日に歴史的なラジオ放送が行われた。

「友よ、助けて下さい。今朝3時、セバストポル大通りの歩道でひとりの女性が凍死しました。彼女は一昨日の晩にアパートを追い出されたのです。パリとその周辺では、毎晩2000人もの人が凍りつく空の下、屋根もなく、パンもなく、裸同然で縮こまり夜を越しています……。私達ひとりひとりが彼らを救うことが出来るはずです。今晩すぐに、遅くとも明日までに、毛布5000枚、テント300個、ストーブ200台、これらをボエシー通り92番地のロシュテール邸に持ってきてください、また今夜を外で越す人々を移動させるためのトラック、そしてボランティアの方は、今晩23時にモンテーニュ・サント・ジュヌヴィエーヴに来てください。あなたのおかげで、この夜は誰も、大人も、子供も、ひとりもパリのアスファル トや河岸で寝ずにすむように。ありがとう」。

この日のパリはマイナス12度、朝9時に「女性が路上で凍死した」というその知らせを聞いた神父は大変な衝撃を受けたが、数時間後の午後1時30分にはラジオ局にいた。女性の死を悼み祈るのではなく、行動した。(赤信号さえ無視してラジオ局へ車で飛ばした、と後に神父は語っている)。そして、それは奇跡を起こした。行政ではない、ピエール神父の心からの訴えに、人々は動いたのだ。持つものも持たざるものも、できる限りの「何か」を持って家を出たのだ。この時を境に、フランス人はホームレスへの思いやりの気持ちを持つようになったとさえいわれている。

それまでにも、神父は政府にこの現状を再三訴えていたにも関わらず、ホームレス対策は何ひとつとられていなかった。しかし、この時ばかりは、政府に陳情書をしたためている場合ではなかったのだ。

「法ではなく、人間への愛を基準にせよ」という神父の考えは一貫して変わらず、94年の生涯の間、常に「sans toit(屋根を持たざるもの)」、「sans papier(身分証明書 を持たざるもの)」、「sans voix(意見主張の権利を持たざるもの)」といった弱者の側に立ち、行動した。自分の利益や名誉は一切省みず、弱きを愛し、強きに挑み続けたアベ・ピエールは、おそらくフランス人の良心の象徴だった。

ピエール神父

エマウス

そのラジオ放送の数年前、議員を辞めたピエール神父が設立したのが「エマウス(Emmaüs)」だ。現在ではフランス国内だけでなく世界41カ国に拠点を拡げる、フランスで最も大きなNGO団体のひとつである。

「エマウス」では、消費社会ではゴミと考えられる不要になった家具や電化製品、衣類などを回収し、それを再利用できる状態に修理を施し、一般の人々に安価な値段で再販売するという活動を行っている。

ここで働く人々は、人生において何らかの理由で挫折し拠り所をなくした人々だ。彼らは、コミュノテと名づけられた村で不要品の回収、修理、販売といった仕事につき、その収入が彼らの住居や食料等の生活費に当てられている。政府からの援助や寄付は一切受けず、独立して運営されている。

この事業が企業団体と違うところは、収入は運営実費に当てられ、利益が出た場合は、アフリカなどでより困難な状況にある人々への援助資金に当てられることだ。この村へ入る唯一の条件は「あなたは働く意志があるか」ということのみ。創立者が神父でありながら村には教会もなく、入村者の宗教、国籍、過去の一切は問われない。以前、フランス各地に115カ所もあるエマウス村のひとつを訪れた私は、それが今確実に誰かを救っていることを感じた。村で暮らす人々の顔、体には、長い時間ホー ムレス生活を強いられてきた過酷な過去が刻み込まれている。

そこでくず鉄の仕分けをしていた男性は私に言った。「この壊れたベビーカー、これは『ゴミ』です。でもそちらにある解体されたパイプの山、あれはもう『ゴミではない』。アルミニウム材として生まれ変わったのです」。 この時彼は、「Renaître(再び生まれる)」という言葉を強調して使った。

その山をまっすぐに差し示す彼の真っ黒な指と、誇りに満ちた視線を、私はきっと忘れることはないだろう。人生に絶望した人間が、再び這い上がろうとしている。ここでは、村へ来る前の話はしない。それよりも大切なのは「自分は今ここでやり直すことにした、人生はそれに値するのだ」ということ。彼らから感じたのは「生きることは尊い」という絶対的なメッセージだった。

設立以来半世紀たった現在も、エマウスは多くの絶望した者を救い再生させている。同情するのではなく、社会が彼らを必要としていると感じてもらう。

「この世の中で一番哀しいことは、自分が誰からも必要とされていない、不要な存在だ、と感じることです」と神父は語っている。彼らが本当に必要としているのは施しではない。

ピエール神父の活動

晩年

ピエール神父が「ここでグランド・ヴァカンスを待っている」と語った最後の住まいは、これほどの著名な人が……、と言葉を失うほどに簡素な空間だった。その質素な部屋の小さな机の上で、ひとり静かに毎晩ミサをあげていた。生きている間は、休まぬことを誓ったのだろう。神父は、誰もいないその部屋で他人の幸福を、全身全霊で祈っていた。

自分がそこへ行くことで、弱きものの声を代弁し、メディアを通じて何かを動かす役に立つのであればと、満身創痍の晩年も、神父は活動を続けていた。昨年1月、国会における低所得層への住居建設審議に出向いたピエール神父は、車椅子という痛々しいまでの姿で「私はフランスの誇りを問いに来た。強きものは弱きものを思いやるべきではないのかと、それだけ問いに来たのだ」と言っていた。自分のことで精一杯となって当然の年齢にもかかわらず、彼は他の人の苦しみに心を痛めていた。

「周りの人が幸福でない限り、自分は幸福になれない、それだけのことです」。

その長い人生における、様々な勇気、他人のために闘うためのエネルギーはどこからくるのかという問いに、 一拍おいて静かに、神父はそう答えた。

アベ・ピエールの亡き後

ピエール神父2007年1月22日、94歳で神父が亡くなった日、この国の人々の反応は、まるで父を失った子供たちのようだった。フランスはひとつの心の拠りどころを失った。しかし、神父の生き様は、多くの人々に影響を及ぼしたはずだと思う。私が出会ったレスト・ドュ・クールやサミュ・ソシアルでホームレス達と接する人々、彼らを動かしていたのは施しの気持ちではなかった。弱き人々の痛みを自分の痛みとして感じることのできる繊細な心だった。残された者に、神父は目には見えない偉大な遺産を残した。

「人生とは、愛するということを学ぶための、ほんの少しの時間だ」といったピエール神父の墓碑には、本人の遺志で、“Il a essayé d'aimer”(愛することをこころみた)と刻まれている。


ピエール神父の略歴
1912年 リヨンに生まれる
1931年 聖フランシスコ派カプチン会修道士として出家
1938年 神父となる
1942〜44年 アベ・ピエールの名でレジスタンス活動、1943年にドイツ軍の検問にかかり、アルジェへ脱出し、そこでド・ゴール将軍と面会
1945〜51年 人民共和運動党の議員として政治活動(Mouvement Républicain Populaire)
1949年 エマウスを創設 議員としての収入がなくなった1951年から本格的な不要品リサイクル活動を始める
1954年2月1日 ラジオで直接市民に援助を訴える放送を行う
1971年 フランス国外での活動をまとめるエマウス・インターナショナル設立
1981年 フランスにおける最高勲章といわれる、レジョン・ドヌールの4等勲章を授与される
1985年 フランス国内の活動をまとめるエマウス・フランス設立
1987年 レジョン・ドヌール3等勲章授与
貧困層への住居提供を目的としたアベ・ピエール財団設立
1989年 神父の活動をテーマとした映画『1954年・冬(Hiver 54)』(デニス・アマール監督 / ランベール・ウィルソン主演)公開
2001年 レジョン・ドヌール2等勲章授与(1992年に一度拒否したもの)
2004年 レジョン・ドヌール1等勲章に昇格
2007年1月22日 死去
  ノートルダム寺院でのミサの後、エマウスの創立に関わった人々の眠るノルマンディ地方、エステヴィル(Esteville)の墓地に埋葬


不要となった家具や衣類を寄付する場合の問い合わせ先
(ごく少量の場合は寄付先へ持参、ある程度まとまった量であれば無料で引き取りに来てくれる。 寄付をする人の住所によって回収先が異なるので要問合せ。)
パリ在住なら
TEL : 01 43 22 53 97
www.emmaus.asso.fr
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地方在住なら
TEL : 01 46 07 51 51
www.emmaus-france.org
その他、寄付小切手の郵送または問い合わせ
Association EMMAÜS 32, rue des Bourdonnais 75001 Paris
TEL : 01 44 82 77 20
FAX : 01 40 28 04 26
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邦訳されているピエール神父の著書
「遺言…苦しむ人々とともに」アベ・ピエール著 / 田中千春訳 
人文書院1995年4月出版
ISBN : 9784409420140
販売価格: 1890円(税込み)
 

*本文および情報欄の情報は、掲載当時の情報です。

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