FacebookツイッターRSS feed
ロンドンのゲストハウス
mer 28 septembre 2016

柔道家 粟津正蔵さん「皆お互いに助けられている」 - 先輩は知っている欧州で生きるヒント。

フランスに正統な柔道を広め、柔道家を育てた日本人、粟津正蔵さん。世界有数の強豪国であり、柔道人口世界一と言われるフランス柔道の育ての父。その功労は計り知れない。しかし当人は言う、「皆に助けていただいたもの。ひたすら1日を積み重ねただけ」と。87歳。フランス生活は60年を超えた。現在、フランス人柔道家は最大の敬意を払い「Maître Awazu(粟津師範)」と呼ぶ。長きにわたりフランス柔道を導いた粟津さんに柔道とフランスの人生を伺う。
(Texte : Ryoko Umemuro)

粟津正蔵さん

あわず・しょうぞう 1923年4月18日、京都府生まれ。10歳で柔道を始め、15、16歳で明治神宮国民体育大会を2大会連続優勝。1950年、川石酒造之助(みきのすけ)氏(1899-1969)の助手として渡仏。仏柔道連盟に籍を置き、フランスにおける柔道普及と柔道家育成につとめる。また、フランス代表チームのコーチとして活躍、多くのフランス人柔道家を育てた。現仏柔道連盟顧問。講道館8段、国際柔道連盟9段。1993年に勲五等双光旭日章を、1999年にレジオン・ドヌール勲章(シュバリエ)をそれぞれ授章。著書に「Méthode de Judo au sol」(1959年、仏国内にて出版)。

柔道を始めたきっかけを教えて下さい。

10歳の時にけがを治していただいた先生に、何をやらせたらいいかと父が相談したのがきっかけです。以降、小学校の授業が終わると、その先生が柔道の指導をされていた京都市立第一商業学校(現西京高校)に通うように。その学校は全国優勝をしており、ひたすら練習練習で鍛えられました。そういう環境ですから、勝つのは当然、それには練習せねば、努力せねばならないと自然に思うのです。ですから苦しいとは思いませんでしたし、それが後年役に立っています。そのまま中学校に入り、4、5年生の時には明治神宮国民体育大会で2回優勝しました。それで、私の柔道は終わった、十分、これからはもっと勉強をしなければと、高等専門学校 *1旧制専門学校。当時の高等教育機関で現在の大学的存在を受けましたが、全部落ちました。でも結局、そのために大東亜戦争の学徒出陣として徴兵されなかったのです。私は、落ちたために今生きている、フランスに渡り生活しているのです。

フランスに渡られた理由は?

1936年からフランスで教えてこられた川石酒造之助(みきのすけ)先生が第二次世界大戦で国外退去となり、日本に戻られていました。それで、戦争が終わり再渡仏するに当たり助手が欲しいと相談を受けた栗原民雄先生が私を推薦され、1年間の予定で渡ることに。

当時日本はGHQの管轄で、パスポートを得るのに大変時間が掛かりました。結局、予定は1年半遅れ、1950年、初めて船に乗り4週間の航海に出たのです。

フランスに着いてすぐに柔道の講習会に出ました。以来、与えられたことを真面目に、欲を出さずについていきました。1年の契約で来たものの、1年たってもやることはたくさんあり、皆も求めて下さる。それで2年たち、2年半後に家内を日本から呼びました。でもまさか60年いることになるとは思いませんでしたね。

当時からフランスは柔道が盛んでしたか?

東洋には日本という国があり、こういうスポーツがあるということを、戦前、禅の本を通じてインテリ層が知り、柔道に関心を持たれました。ですから、当時フランスで柔道はインテリのスポーツでした。

なぜ柔道がフランス人に受け入れられたのだと思いますか?

フランス人の体格は欧州の中では大きくありません。「柔よく剛を制す」柔道はフランス人に向いていたのですね。私が着いた頃は、家のガレージにベッドのマットを敷いて柔道をされていました。また1級者でも柔道を教えられていたのです。その後、柔道の指導者には知識がないといけないと、1955年に国家資格を持つ有段者のみとなりました。私も多くの講習会に出ましたが、それ以降は段の試験を受けるために1級者が多く参加していました。

また、「川石メソッド」という独自の方法を生んだ川石先生の功績でもあります。やる者は初めてですから、技の掛け方も名前も知りません。でも「川石メソッド」のおかげで、簡単によく理解できるのです。

現在は学校で柔道の授業があり、子供に柔道を習わせたいと考える親も多いです。

柔道をやりますと自然と心が育つのです。例えば、稽古の最初に「先生に礼」そして「互いに礼」をします。そうすることで相手を敬う気持ちや皆と仲良くする心が育つ。そういう部分が親御さんに受け入れられるのでしょう。そんなスポーツは他にはありませんから。また、効果を実感させることも大切です。技を掛けるとこんな効果が出るのだと分かれば、意欲も増します。

柔道フランス代表チーム
1972年ミュンヘン五輪、柔道フランス代表チーム。
この大会でフランスは初めて軽・中・重量の全階級で
3位入賞を果たした

感謝状
1964年の東京五輪で初めて柔道は正式種目となる。
東京五輪委員会より贈られた感謝状

精神は言葉では伝わらない

柔道は武道です。その精神性をフランスの方たちへ伝えるのに苦心されましたか?

柔道では何が大事かと申しますと、人格の完成と世を補益することです。これは(柔道の創始者である)嘉納治五郎先生が言われております。「精力善用」「自他共栄」と。いろいろな柔道家がいますけれど、それが精神的なモットーですから、柔道をやる以上は皆それを大事にしなければなりません。

しかし、精神は言葉で言っても伝わりません。「忍耐せよ」と言っても「忍耐って何だ」と言われればそれまでです。でも、柔道には行為があります。例えば、寝技で押さえ込まれたとき、頑張って抵抗し、逃げねばなりません。それが忍耐です。忍耐強くなるほど、柔道は強くなり、自然と彼らは納得します。日本人とフランス人とに違いはありません。楽しいという気持ちも悲しいという気持ちも人間は持ちますよね。人間の根本はどの国でも同じですから。

その代わり、指導者はそれを常に頭に置き、よっぽど注意しなければなりません。指導者自身が自分を鍛えるのです。言葉は勝手なもので、いろいろと出てきますけれど、動作とは長年の生活によって築かれるもの。指導者の行動を生徒たちはよく見ています。柔道の指導は2時間でも、その他の22時間をどのように過ごしているのか、ムッシュー粟津はどういう道を歩むのかと。指導者が真っ直ぐにおりましたら、皆分かります。でも1年や2年では無理ですね。何十年とおりますから、そう見てくれるのです。自分の身、行いによって彼らを納得させねばいけないと思います。

長年フランス代表選手を指導されてきました。うれしかったことを教えて下さい。

努力し練習した結果が出たら、うれしいですね。1975年の世界選手権で初めてフランス人選手が優勝しました。それが第一歩となり、その後次々と結果が出たのです。

コーチは、日頃から選手と接し練習を見ることでアドバイスができます。選手が30人いたら30人と乱取りする、皆平等に自分をぶつけていくのです。そうすると、それぞれの技が分かり、それが大会で準決勝や決勝に勝ち進んだ時に役立ちます。選手の技や癖を理解した上で相手の試合を1回戦から見てきたコーチは「こうせいよ」と言う。敵を知り己を知るということですね。そのためには、精神的な接触も大切です。それがあるからこそ選手も納得します。アドバイスしたことが試合で当たった時ほど、コーチとしてうれしいことはありません。

現在の柔道をどのように見ますか?

勝負という意味で、柔道の試合は広まりました。しかし柔道家という意味では問題があります。もっと技を鍛えなければなりません。フランスや柔道の先進国では柔道家としての努力がなされています。けれども、ただ勝てばいいという国もあるのです。柔道は二百数十カ国に広まりましたが、そのうち100カ国程は精神性や技は関係ない、ただ勝てばいいと思っているように感じます。外国人だけでは、その土地の「柔道」になります。日本が柔道を作った国なら、日本人指導者がその土地に赴き、柔道の本来の姿、いかにしてそれに近づくのかという方法を考え伝えていかなければなりません。そのためには、1年や2年ではなく長年いること。そうしてこそ、地元の人たちとコンタクトができるのです。そういう意味で、日本の役目はまだ果たされておりませんし、もっと努力が必要です。

粟津道場
パリの名門スポーツ・クラブ、レーシング・クラブ内にある
「粟津道場」と名付けられた柔道場入り口。
一線を退いた現在も粟津さんは週に一度柔道の指導を行う

粟津道場2
仏柔道連盟会館内にある柔道場の1つも
「粟津道場」と名付けられている

皆お互いに助けられている

長く健康でいられる秘訣を教えて下さい。

悩み事や心配事などで心が穏やかでなくなると体の具合も悪くなるものです。心が静かであれば病気にはかかりません。和やかな気持ちでいることが大事です。私の場合で言いますと、以前目の病気をした時、医師をしている生徒が「先生、目がおかしくないですか? 一度検査しましょう」と本人である私よりも先に気付いてくれました。以来40年間、彼が私の主治医です。

趣味は何ですか?

詩をやります。昔の詩には精神的なことがうたわれています。例えば「雪に耐えて梅花麗しく 霜を経て楓葉丹し」*2。西郷隆盛が米国に留学する甥に贈った詩「外甥政直に示す」の一節柔道の講習会に行くと、例としてこれを日本語で言います。そして、講習会が終わる時にフランス語で意味を伝えるのです。「冬場は皆苦労しとる。寒さに霜に耐えておる。それによって春を迎えることができる」とね。精神は言葉で伝えられませんが、行動した後、詩を用いるのです。すると、意味も分かり詩を覚えて帰ってくれる。それが指導法の1つとなっています。私は日本人ですから、日本的な言葉で精神的なことを伝える時はそのようなものを利用したいのです。

また、ひざのけがで3カ月間入院した病院で孤独になった時に何が良かったかといいますと、歌なのです。子供時代の歌は分かりやく簡単で心を突く、いい言葉を使っています。時を過ごすのには、そういう言葉が非常に大事ですね。病院にいた時、ひとりでに歌っておりました。また今もたまに島崎藤村の「椰子の実」を歌います。島崎藤村もパリに来ておられましたが、その時に作られたのではないかと思ってしまうような言葉が出てくるのです。

生活の面で苦労はありましたか?

皆にお世話になり、何かの形で助けられてきました。そうすると、親切にしなければならないという気持ちになりますよね。仲良く助け合うことが大切です。自分というものは非常に小さなものであり、人間は1人では生きられません。特に外国生活では、閉じこもってはいけません。お互いが楽しい1日を送れるようにという気持ちで、相手に緊張をさせることなく、和やかな雰囲気を作り仲良く助け合うのです。戦時中も、助けたり助けられたりしていました。人生は皆お互いに助けられている、頭を下げなければなりませんという気持ちです。

こちらに来てから子供が生まれ、孫、ひ孫まで生まれました。これはもう人生です。日本にいてもこんなこと簡単にはできません。何も特別な努力をしてきたわけでも無理をしてきたわけでもありません。ただ1日を歩んできたのです。それで好きなことをしてこられて、これが自分の人生だと喜んでいます。人生として何も恥じることはない、幸福であったと思います。

在外日本人へメッセージをお願いします。

嫌だと思ったらきりがありません。こういう人生を送っているというのは1つの運命、それを受け入れなければなりません。心の持ちようです。苦しむために生きているわけではないのですから。「住めば都」と思ったら、どこでも同じです。何も変わったことをする必要はありません。皆と仲良く1日を過ごす。そうすれば365日が楽しく過ごせます。最初から5年・10年計画と考えたらしんどいです。1日1日を積み重ねることで自然と長続きとなる、自然と道は開けていく、私はそう思います。


英国

ドイツ

 

  • Check


*本文および情報欄の情報は、掲載当時の情報です。

バナー
ヘアサロン・ガイド バナー おすすめフランス語学校 バナー サロン&クリニック・ガイド バナー パリのお弁当やさん フランスのラーメン、中華麺、うどん、そば - イギリス・フランス・ベルギー・ドイツの麺もの大特集!