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フランスニュースダイジェスト
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mar 22 mai 2012

どーなの?フランス映画

2006年フランス国内映画人口1億8800万人
観客動員数の45%がフランス映画!アメリカ映画46%
フランス映画巻き返しか?

5月。世界中の映画ファンの目がフランスに注がれる今、映画人、そして日本からの視点でフランス映画の現在を探る。今、あなたの目にフランス映画はどう映っていますか?(texte par Ryoko Umemuro / photo par Hajime Yanagisawa)


映画人の視点1  ジャン=フランソワ・ロジェ
Jean-François Raugerシネマテェック・フランセーズ
プログラム・ディレクター、コラムニスト
Jean-François Rauger

新旧数多くの映画を観続け、常に新鮮な番組編成で映画を愛す るパリ人に喜びを与えている。「娯楽、芸術、プロパガンダ…… どんな映画であろうと、一番大事なことは映画はひとつという こと。全ての映画には同等の価値があり、全てを受け入れられ るところがシネマテェック」と語る彼。番組を組む際は「単に 似た種類の映画を並べるのではなく、映画の歴史を交えて組ん でいく。そうすることにより、一見何でもないような映画に何 かの価値が生まれる」よう常に心掛けている。


La Cinémathèque française Musée du cinéma
La Cinémathèque française
Musée du cinéma
51, rue de Bercy 75012 Paris
M : Bercy ⑥⑭
TEL : 01 71 19 33 33
http://www.cinematheque.fr/
©Stéphane Dabrowski / Cinémathèque française

映画には今のフランスが表れている

-フランス映画の現状をどう見る?

観客動員数の増加は表面上のもの。映画は芸術的なだけでも、大衆的なだけでもいけない。両方がうまく絡み合い、初めて良い作品が生まれる。だが、現在のフランス映画にはそれが足りない。芸術のみに走るか、商業主義のみに走ってしまっている。そして、その中間に位置する作品・監督がなくなってきている。

動員数全体のほとんどを占めているのは全体の中のほんの数パーセントの大衆映画、特にコメディ映画だ。それ以外の映画にも、もっと動員があってよいものもあるが、動員の傾向が偏っている。かつ、ヒット作の多くにフランス映画そのものの本質が見られない。

興行的に成功している大衆映画の多くが“人を辱める”という内容の作品。以前のフランス映画は“粋な、美しいフランス”を描いていた。ところが今は“カッコ悪い、ヘンなフランス”が映画の中で描かれ、大衆受けしている。娯楽映画の質が低下している。とても残念だが、今のフランス社会を反映してのことだ。現在のフランス人は惨めな生活をしていると感じている。その惨めな生活を少しでも楽しむために、自分より惨めな思いをしている人を見て優越感に浸ったり、そんな生活を面白おかしく描く映画で発散させる。不満だらけの生活を娯楽映画で解消させている。

昔のフランス人は自分のアイデンティティを探すために映画を観に行った。しかし最近は、アイデンティティを探すための映画というものがなくなってきている。フランス映画自体が生活必需品でなくなってきているからだ。以前、映画はひとつの文化として、娯楽のひとつとして捉えられていたが、10年程前から徐々に傾向が変わり、映画を観に行きたいという気持ちが少なくなってきた。映画の映画としての立場が縮小している。

-今後の課題は?

フランスで唯一誇れるのは政府介入による資金援助だ。確かに今、フランス映画の質は落ちているが、今後も援助を無くさず維持することが重要。その時代時代に人間の価値観は変わり、傾向は時間と共に変化していくもの。いずれ時が来て、質の良いものが求められた時、国の援助が必要になってくる。援助があってこそ、資金的に困難な監督が映画を作れる。解決策ではないが、その援助というものを大切にしていかなければならない。映画を発展させるには、数多く作れば良いのではない。数は少なくとも質の良い作品を作ることが重要。だから、質の良い映画が生み出させるよう、支援をしていかなければならない。

-フランスにおけるシネマテェックとは?

シネマテェックはフランス映画の象徴である。1935年、シネマテェックは世界的な動きだったサイレント映画救出のために作られた。当時すでにフランスは映画が芸術のひとつであることを実感し、率先してシネマテェックを作った。それが世界に伝染していったのだ。

また、ヌーヴェル・ヴァーグの監督らがどこで映画を勉強したかというと、やはりシネマテェックで映画を観ながら勉強していた。つまりシネマテェックという場所は映画美術館であり、映画の知識を得られる場所。これからも、シネマテェックは映画を愛する人たちのために映画を提供する。映画を学びたい人たちに映画を見せ続けていく。映画人にとっての“ゆりかご”の存在であり続けるのだ。映画ひとつひとつも芸術作品。美術館に絵を展示するのと同じように、映画を展示し、人々に広めていく。

-ニュースダイジェスト読者へ 映画にとってフランスとは?

世界中のどの都市を見渡しても、パリ以上に映画が盛んなところはありません。パリは映画人のためにあるような都市です。先日、「硫黄島からの手紙」で来仏したイーストウッドが「フランスほど映画をまじめに考えている国はない」と語っていました。産業で見れば、今、一番盛んなのはアメリカです。でもそれはフランスとは全く別のもの。フランスは映画そのものを本当にまじめに考えられる国なのです。

映画人の視点2  フランソワ・マルゴラン

François Margolinプロデューサー、監督、脚本家
François Margolin

フランス国内外の監督と意欲的にコラボレートする一方、ドキュメンタリー監督としても活躍。主な作品:「A PROPOS DE NICE, la suite」(Catherine Breillat他/98)、「PETITE CONVERSATION FAMILIALE」(Hélène Lapiower/99)、「LES PETITS SOLDATS」(05 TV映画)、「BALLON ROUGE」(Hou Hsiao Hsien/第60回カンヌ映画祭「ある視点」部門出品、公開待機中)、「DIAS DE CAMPO」(Raoul Ruiz/公開待機中)、「BOARDING GATE」(Olivier Assayas/公開待機中)

フランス映画は今、窮地に陥っている

-フランス映画の現状をどう見る?

フランス映画は今、窮地に陥っていると言える。その大きな理由のひとつが、観客動員の傾向が大衆映画に偏っていることだ。フランスで劇場公開されるフランス映画の観客動員数の約9割が15本程の大衆映画で占められており、他200本程の映画に足は運ばれていない。また、大型シネマコンプレックス(シネコン)が増え、地方のほどんどの映画館はシネコン、パリでもインディペンデントの映画館は減少傾向にある。そのため、“金持ち大衆映画”と“貧乏作家映画”という二極化が進み、それらの中間に位置する映画がなくなってきている。

-製作を取りまく環境は?

映画に対する出資の傾向として、以前は著名監督作品への出資も主体としてあった。しかし現在は、観客動員数が最も重要視され、一部の大衆映画、特にコメディー映画に出資が集中している。でもそれらはフランスのコメディアンを起用したり、フランス人にしかわからない笑いであったり。フランスという一地域でしか通用しない、世界には通用しない映画。映画をビジネスとして考えれば、フランス国内で動員出来れば問題ない。しかしそのせいで、作家映画への出資が回らない。さらに現在は、以前に比べ民放のテレビ局*1が映画に対し、容易には出資しなくなりつつある。そうした場合、国からの援助を受けるか、低予算のインディペンデント映画として製作するかどちらかになるが、国からの援助を受ける場合、失敗は許されないためリスクが負えない。だから、ある程度の動員が見込める無難な映画を作ることになってしまう。そのため、現在のフランス映画に緊張感のある作品がなくなってきている。フランス映画全体の質も低下している。

映画監督を守るための協会もあるが、実際にはそれほど機能を果たしていない。私自身もテレビ局などに対し、大衆映画だけでなく本当の意味で面白い映画、営利主義にばかり走るのではなく、作品として優れたものに出資するよう積極的に働きかけている。

-今後の課題は?

まず質の向上。現在のフランス映画界を例えるとしたら「アステリックス」*2 だろう。外から来たものを追い出し、自分たちだけのとても小さな世界で幸せに仲良くやっている。けれど、映画はそれではいけない。まず世界に通用する映画を作ることだ。もちろん国際的な流れに迎合した映画を作るというわけではない。あくまでフランス映画として、世界で公開出来る映画を作らなければならない。

また、現状の解決策として政府介入が絶対条件だ。年間何本か、どのような映画であろうと監督に対し何パーセントか出資することを法律化することにより、今の状態が打開出来る。それでなければ、いつまで経っても民放テレビ局は営利目的のため大衆映画にしか出資しない。文化的に重要な映画やフリーの監督、製作者たちを助ける法律が出来れば、作品の質も上がり、大衆性と作家性を兼ね揃えた中間に位置する映画も作れる。

以前は観客の映画に対する関心が高かった。しかし現在は映画以外にも多くの娯楽があり、観客が映画に対してあまり関心を持たなくなっている。国も文化を守ろうという動きはあるが、映画をどの程度まで文化と捉えているか?現在のところ、国が映画を救おうというところまでは行っていないように思える。そのためにも、我々作り手が小さな世界から抜け出し、映画の質を上げることだ。

-ニュースダイジェスト読者へ 映画にとってフランスとは?

フランスは映画が作られた国であり、映画にとても関与している国です。そして、原作から製作まですべてを行う作家映画発祥の地でもあります。例えば、アーティストとして有名になった後、映画を作った人は、他の国では一アーティストとしての扱いになります。けれど、フランスは作家映画という存在自体がある国。その人はアーティストではなくシネアストとして、映画監督として見てもらえる のです。

*1 フランスでは法律によりテレビ局の映画に対する投資が義務付けられている
*2 ローマ時代のブルターニュ地方に住むガリア人を主人公にしたフランスの国民的人気漫画。2002年に実写映画化され、観客動員数の記録を塗り替えるヒットとなった

国による映画支援
フランスの映画産業を語る上で欠かせない特徴が、国による映画支援だ。世界の中でも支援の厚さは突出し、歴史も長い。
1930年代より世界市場においてフランス映画のシェアが低下し、映画産業は経営的困難に陥る。そして第二次世界大戦を経た1946年、映画への文化政策を目的に、フランス国内の映画振興政策を担う公共機関フランス国立映画センター(CNC)が設立された。
その後、ハリウッド映画が世界を制する中、フランス映画が“生き残った”のには、CNCの果たした役割も大きい。しかし現在、文化と産業とのバランス、作品の質の向上面でも、この制度の見直し、改善を望む声も出ている。
CNCの主な活動
● 映画製作・配給に対する助成・支援 ● 映画のテレビ放映に際する非フランス映画・ 非欧州映画の規制 ● 人材育成 ● 旧作映画の修復・アーカイブ化 ● 字幕制作助成 ● 映画祭援助 ● 芸術映画製作・上映支援・援助 ● 映画館への助成・支援 ● 映像技術産業に対する助成 ● テレビ番組製作に対する助成 ● 長編映画の認可 ● 映画館での上映作品への規制 ● ビデオ部門への規制 ● 映倫機関 ●シネマコンプレックスへの規制 ● フランス映画の輸出振興
参考資料:CNC公式サイトhttp://www.cnc.fr/
2006年フランス映画観客動員数
1. Les Bronzé 3 - Amis pour la vie
10,355,928
(1)
2. Camping
5,486,244
(4)
3. Arthur et les Minimoys
4,445,886
(5)
4. Je vous trouve trés beau
3,556,921
(7)
5. Prête-moi ta main
3,479,576
(8)
6. Indigénes
3,149,464
(9)
7. La Doublure
3,087,375
(10)
8. Ne le dis à personne
2.745.726
(13)
9. OSS 117, Le Caire Nid d'espions
2,303,983
(15)
10. Fauteuils d'orchestre
1,968,438
(18)
*カッコ内は外国映画を含めた順位

日本の視点  杉原賢彦(映画批評/慶應大学講師)

日本におけるフランス映画は今

ダーウィンの悪夢
ダーウィンの悪夢(Le Cauchemar de
Darwin) ©Ad Vitam

2007年のお正月のスクリーンは、フランス映画が話題をさらうことになった。オリヴィエ・マルシャルの「あるいは裏切りという名の犬(36 Quai des Orfevres)」*1とステファン・ブリゼの「愛されるために、ここにいる(Je ne suis pas là pour être aimé)」*2の2本が、女性誌と言わず各誌面、そして劇場をにぎわせたのだ。もっとも、格違いともいうべき2者の闘いは、マルシャル側に軍配が上 がるのだが、ところが漁夫の利を占め、より以上に注目されたのは、フーベルト・ザウパーの「ダーウィンの悪夢(Le Cauchemar de Darwin)」*3だった――。

この全く共通点のない3本のフランス映画(「ダーウィンの悪夢」は合作)の脈絡を欠いた競り合いが明らかにしている通り、日本におけるフランス映画は、いま、迷走状態にある。ヌーヴェル・ヴァーグの1960年代、アラン・ドロンの70年代、ベッソン&ベネックス&カラックスの80年代、シブヤ系の90年代と、フランス映画の受容と需要はある核を擁してきたが、そのような核は21世紀の現在にあって崩壊したように感じる。

その要因は、日本国内における映画興行の困難さに因るところ大ではあるが、指摘されねばならないのは、フランス映画そのものの混迷が、フランス映画を興行する側、ひいては観客への訴求力を徹底させられないでいるという事実だ。極論になるが、いまやフランス映画は一部シネフィルのための高尚アート映画かハリウッドもどきの半商業映画の代名詞になりつつある。先に挙げた映画たちも例外ではない。かつて日本が見つけだしてきた(フランスが見つけだしたのではない)〈フランス映画らしさ〉は、失われつつある。フランス映画とは何か、真摯な問いかけのときがきているのかもしれない。

*1 刑事たちの裏の姿を事実に基づき描く犯罪ノワール。監督・脚本は 元警察官のオリヴィエ・マルシャル
*2 人生に疲れ果てた中年男がダンス・スクールで出会った女性に恋に落ち……フランス版「Shall we ダンス?」
*3 タンザニア。湖に棲む魚に端を発する、人間たちの悪夢のようなグローバリゼーション。世界で論議を呼んだドキュメンタリー

知っているようで知らない? カンヌ映画祭

今年で60回目を迎えるカンヌ国際映画祭は、作家・歴史学者であるフィリップ・エルランジェが発起人となり、1946年にスタートした。1968年の五月革命による中止など紆余曲折を経て、現在は毎年5月に開催され、世界最大規模の国際映画祭として知られている。

コンペティション作品は、「娯楽性よりも芸術性をみる」審査員により選考され、パルム・ドール(黄金の棕櫚)、グランプリ、監督賞、主演女優賞、主演男優賞、脚本賞および審査員賞2本(審査員が内容を決定する)が選ばれる。

現在の規定では、パルム・ドールが最優秀作品賞、グランプリは「最高に独自性を発揮した」作品に贈られる。その他の主な賞は、新人監督第一作目対象のカメラ・ドール、国際批評家連盟賞、エキュメニック賞など。

また、本映画祭が世界最大規模の国際映画祭として地位を得ているのには、同時に開催される映画の国際見本市(こちらも世界最大)の存在も大きい。世界中の映画ビジネスマンが集まり、外国映画の配給権を巡り、売り手・買い手の熱いバトルが日夜繰り広げられる。

さて今年のカンヌ映画祭(5月16日~27日)、審査委員長は「Queen」(06)などで知られるスティーヴン・フリアーズ監督。コンペティション部門出品監督にはウォン・カーウァイ、コーエン兄弟、キム・ギドク、エミール・クストリッツァ、アレクサンドル・ソクーロフ、クエンティン・タランティーノ、ガス・ヴァン・サントなど、映画ファンにはたまらない面々。日本からは河瀬直美の「殯もがりの森」が出品。また、より作家性を重視する監督週間部門に、松本人志の第一回監督作品「大日本人」が招待されている。60回記念としてさまざまな企画も催されるが、一番の見どころは「劇場」をテーマにした35人の監督による短編映画。そうそうたる監督陣の中、日本からは北野武が参加している。


サクッとおさらいフランス映画史
1895 12月25日 映画の誕生
グラン・カフェにてオーギュスト&ルイ・リュミエール兄弟により映画の有料試写会が行われる。兄弟は技術としての映画だけでなく、産業化、映画制作者の育成も成す
1902年 ジョルジュ・メリエス「月世界旅行」
複数のシーンで構成された、物語性を持つ初の映画
1908年 フィルム・ダール社設立
庶民の娯楽であった映画の芸術化を目指す。各分野の一流アーティストを起用し、文芸映画を製作。結果、映画の社会的向上につながる。第一次映画黄金期へ
1914
~18年
第一次世界大戦
アメリカ映画がフランスで公開されるようになる
1920年代 前衛映画、映画理論の盛り上がり
芸術映画専門映画館やシネクラブも多く作られる
1929年 フランス初のトーキー映画「三仮面」公開
1935年 シネマテェック・フランセーズ設立
1940年代
前半
第二次世界大戦を機に多くの欧州の映画人がアメリカへ。アメリカ映画黄金期
1946年 第1回カンヌ国際映画祭開催
フランス国立映画センター(CNC)設立
1948年 アメリカ映画輸入増加を食い止めるため、フランス映画保護法成立
1951年 映画誌「カイエ・デュ・シネマ」発行
1954年~
60年代
ヌーヴェル・ヴァーグ時代
1968年 ラングロワ事件
政府の圧力によりシネマテェック創立者ラングロワが解任。ヌーヴェル・ヴァーグの監督らを中心に、世界中の監督による抗議運動を受け、復帰
1970年代~ ハリウッド映画の台頭、映画人口の減少
1971年 館内にいくつのもの劇場を有するシネマコ ンプレックス(複合型映画館)登場
1975年 セザール賞(フランス版アカデミー賞)創設
ポルノ全面解禁
1980年代 ヌーヴェル・ヴァーグやアメリカン・ニューシネマなどの影響を受けた若手監督らにより多彩なフランス映画が生み出される
1990年代 リュック・ベッソン、ジャン=ピエール・ジュネのハリウッド進出
2004年 ハリウッド資本のフランス語映画「ロング・エンゲージメント」がフランス映画の不認可に
2005年 「皇帝ペンギン」が米アカデミー賞ドキュメンタリー部門受賞

母国はどうだ? 日本映画は今

21年ぶりの邦洋逆転 日本映画の“バブル”

2006年、日本における興収(興行収入)構成比は日本映画が53.2%。日本映画の興収が21年ぶりに外国映画のそれを上回った。日本映画界にとって快挙ともいえる数字だが、実情は諸手を上げて喜んで もいられない様子。日本映画の現在やいかに?

日本映画のシェアが全体の5割強を占めた要因のひとつは、ハリウッド映画の落ち込みによるもの。昨年の日本国内映画人口は1億6045万人で、近年横ばい状態が続いている。シネコンの増加により、ス クリーン数は毎年増加しているが、観客数は増えていない。

昨年、日本映画公開本数は映倫審査を通ったもので417本。それ以外を加えると700本近い日本映画が公開された。映像コンテンツ・ブームで他業種の企業が映画製作に進出。デジタル機器の進歩により、安価に映画が製作出来るようになったことも背景にある。映画会社に目を移すと、近年「ハリー・ポッター」シリーズなどの超大型映画を除く外国映画は低調なのに、日本国内配給権は相変わらずの高値取引。同じ金銭を使うなら、ハイリスク、ローリターンの外国映画より自ら作品権利者となれる映画を作った方が得策という考え。しかし、700本は多すぎる。昨年の外国映画公開本数は404本だから、単純計算で毎週20本以上の映画が封切られているわけだ。明らかな供給過多である。また、劇場全体の大多数を占めるシネコンは観客動員出来る映画にいくつもの劇場を当て、規定以上の動員が出来ない映画はフレキシブルに打ち切るか最初から公開しない。さらに現在は大手配給会社経営のシネコンが増え、そのうちいくつかの劇場はブロックブッキング(系統別映画館契約方式)を採用。公開劇場がより一部の作品に集中しているのが現在の日本の興行事情だ。当然、情報が行き渡らず、ガランとした劇場でひっそり公開を終える映画もかなりの数に上がる。

テレビ局の映画製作参入

ハリウッド映画の落ち込み、公開本数もさることながら、何年か前までは“つまらない・ダサい”といった風潮すらあった日本映画がこれほど動員出来るようになったのには、大手テレビ局の映画製作本格参入によるところが大きい。フランスに比べテレビの影響力が強い日本。CMやテレビ番組による宣伝効果は絶大で、テレビ局が関わった映画は圧倒的に高い認知度を持つ。また、テレビドラマの映画化などメディアミックス効果により、日本映画を見に劇場へ足を運ぶことに対する違和感は消え去った。ヒットドラマの映画化は、現在の主流のひとつでもある原作モノ同様、宣伝に便利な事前認知とある程度の観客動員が見込めリスク回避となり、都合が良い。また、ブロックブッキングによるチェーン系列館で公開出来れば、同系列の映画館で予告編が上映され、宣伝はますます大きくなっていく。さらに視聴率主義の番組制作で培ってきた“時代が求めるもの” “ヒットする映画を作る”マーケティング戦略もビジネスとして功を奏しているだろう。

これらの理由により、一部の日本映画はヒットの構造を築き上げつつある。しかしフランス同様、ごく一部の大衆映画が興収のほとんどを占め、他多数は費用回収もままならない映画も多い。

さらに、テレビ局参加の映画にはキャスティング、物語性などあらゆる部分で作品の質以上にヒットの“要素”が必須となる。だが、ドラマの映画化も含め、それらの“要素”は日本人にしか通じないものが多く、国外配給は難しい。鑑賞券が高価な日本はアメリカに次ぐ世界2位の市場を持ち、国内のみでビジネスは成立し、長く映画輸出を怠ってきた。現在はリメイク化権を含めた輸出にも乗り出しているが、まだノウハウと経験が足りず、今のところ継続的な成果は得られていない。

映画の多様化と可能性

そんな中、今年、日本の各映画賞を総なめしたのは独立系製作・配給会社によるテレビ局不参加、オリジナル脚本の「フラガール」だった。東京都内の複数の独立系映画館と各地方のシネコンで封切る単館拡大公開で、この公開規模としては大ヒットも記録した。ちなみに、この単館拡大公開は1999年「ライフ・イズ・ビューティフル」に始まり(日本映画では2001年「ウォーターボーイズ」)、ロジェ、マルゴラン両氏が口にした「中間規模の映画」の公開形態として現在の日本では主流になっている。

またこれ以外を見ても、映画の質において昨年の日本映画は豊作だった。映画供給過多により、これまでチャンスに恵まれなかった新旧多くの映画監督、クリエーターが映画製作の機会を得た。それにより、いくつかの才能から多彩な、力のある映画が生み出された。

日本映画がしのぎを削る今、メジャー、インディペンデント問わず、どの製作者もより力のある企画・才能を求めている。作り手の才能と意志の持ち方次第で開花も埋もれもする。せっかくのハリウッド映画低迷期。単なる“バブル”に終わらせず、今こそ豊かな映画を生み出し、観客へ届けて欲しい。

*常磐ハワイセンター誕生の実話を基に描く群像ドラマ


こちらも知っとこ日本映画史
1896年 日本初の映画上映
1898年 初の日本映画上
1900年 浅草電気館(日本初の映画館)開設
1920年代 監督や俳優らが独立プロダクションを設立
1931年 日本初のトーキー映画「マダムと女房」公開
1939年 映画法公布(1945年廃止)
事前検閲など映画内容への規制
1945年 GHQによる映画管理
空襲で焼け残った映画の大部分を処分。映画製作への規制
1949年 GHQの要請により映倫発足
自主規制制度化で国家検閲復活を防ぐ目的
1951年 日本初のカラー映画「カルメン故郷に帰る」 公開
「羅生門」ヴェネチア映画祭グランプリ受賞
これを機に日本映画の海外評価が高まる
1950年代
後半
日本映画全盛期、テレビの台頭
1961年 ATG(アート・シアター・ギルド)設立
芸術作品の製作・配給会社。1000万円製作映画で、独立系、フリー、新人監督以外に作家、演劇家などの監督作品も製作
1964年 外国映画輸入自由化
1970年 日本フィルムセンター開館
1971年 日本映画の衰退に伴い大映倒産、日活ロマン・ポルノ映画へ路線変更
1975年 邦・洋画配収逆転
1983年 「南極物語」日本映画記録更新のヒットとテレビ局の映画製作本格進出
1985年 第1回東京国際映画祭開催
1980年代
後半
ビデオ業界急成長による映画業界への圧迫
バブル経済による異業種企業の映画進出
1990年代
前半
単館興行定着、ミニシアター設立ラッシュ
1993年 シネマコンプレックス登場
1996年 映画興行が不振を極め、過去最低を記録
渥美清氏の死去。「男はつらいよ」が48作目で幕を閉じる
1999年 「ポケットモンスター ミュウツーの逆襲」
アメリカ公開1週目の興収1位記録
2001年 「千と千尋の神隠し」興収304億円超。日本映画史上の全ての記録を塗り替える。文化芸術振興基本法成立
2006年 21年ぶりに日本映画のシェアが洋画を上回る
 

*本文および情報欄の情報は、掲載当時の情報です。

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