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新設学校法人GGI Groupe Global Institution
mer 27 juillet 2016

ソチオリンピック、代表候補選手にインタビュー:ソチ五輪が現役最後の試合、良いスコアで有終の美を飾りたい

音楽とともに、スピンやジャンプなどが組み込まれた華麗な競技、フィギュアスケート。

約10年前、フランスの男子フィギュアスケート界に流星のごとく現れたブライアン・ジュベール選手は、次々と権威ある大会を制覇し、欧州チャンピオン、世界チャンピオンの座に就いた。

難なく頂点に上り詰めたと見えたその裏には、ハンディを抱えながらも果敢に挑戦を続ける姿があった。大会を目前に大けがをしたバンクーバー冬季五輪での屈辱を、ソチ冬季五輪では何としても晴らしたいところ。

フィギュアスケート男子・フランス代表 ブライアン・ジュベール Brian Joubert

ブライアン・ジュベール

1984年9月20日、フランス西部ポワチエ生まれ。生後11カ月のときに片方の腎臓を摘出。4歳でフィギュアスケートを始める。世界フィギュアスケート選手権においては2007年(東京)金、04、06、08年には銀、09、10年は銅メダルを獲得。04、07、09年、欧州フィギュアスケート選手権で優勝。06-07年にはGPシリーズエリック・ボンパール杯、ロシア杯、GPファイナル、欧州選手権、世界選手権と、出場した全ての主要な国際競技会で優勝。ロシア杯では欧州の選手で初めて4回転ジャンプを3回決めた。10年のバンクーバー冬季五輪では16位。所属はクラブ・フランスFFSG。
www.brian-joubert.com

「10歳のときから世界チャンピオンになりたいと強く願い、
一心に目指してきた」

フィギュアスケートを始めてから今まで、フィギュアスケートに対する思いは変わりましたか。

「姉たちと同じことをしたい!」と、フィギュアスケートを始めました。徐々にスピード感のある滑走に喜びを覚えるようになると同時に、とりわけ好きになったのが氷上でのジャンプでした。そして今は、スポーツの中でフィギュアスケートを選んで本当によかったと思っています。難しいスポーツの一つを選んだことを誇りに思っています。フィギュアスケートは、スポーツの中のスポーツといえる競技ではないでしょうか。

スケートを続ける上で大きな支えになっているものは何ですか。

僕の勝利に、母の存在はとても大きいです。何もかも、母のお陰だと思っています。母には隠すことなく全てを話します。彼女は私を支えてくれていると同時に、勝利に向かって誘導してくれるのです。もしトレーニングが不十分だったり、滑走のできがよくなかったりすれば、それを率直に指摘してくれるのが母なのです。

生まれてすぐ腎臓を片方摘出したそうですね。スケートをするのに影響はありますか。

ありますね。僕の腎臓は一つしかありません。腎臓の機能が半分なので、排出されるべきものがうまく排出されないというハンディを負っています。ですから、常に自分の健康状態を気にかけ、警戒していなければなりません。そうでないと体が疲れてしまうのです。

あなたの最大のライバルは誰ですか。また、目標としている人物はいますか。

フランス国内のライバルは、フローラン・アモディオをおいて他にはいません。彼を意識しているお陰で、自分はこのように高いレベルにとどまっていられるのだと思っています。

僕の手本としている人物は、イタリア出身のオートバイレーサー、バレンティーノ・ロッシ氏です。なぜかって? 彼は15年間で9回も世界覇者となった偉大なチャンピオン。決してあきらめない人だから。

フィギュアスケート界では、よく元世界チャンピオンのアラン・カルマ氏と会います。僕のスケートの指導をしてくれるアラン・ジレッティ氏と同じように。2人は僕にとっての模範です。でも、カルマ氏のように政治家は目指しませんよ。僕は将来、 優れたトレーナーになって、チャンピオンを育てたいのです。

チャンピオンとして、カルマ氏以来のフランス人スケーターと評されることもありました。強さの秘訣は何ですか。

秘訣なんてありません。10歳のときから、ずっと世界チャンピオンになりたいと強く願い、一心に目指してきた、それだけです。だから、コーチに付いて、または1人でトレーニングを行うことが苦にならず、好きで好きで、進んで練習ばかりしていました。そして、 家族や親しい仲間たちのいる地元のポワチエでトレーニングできることが、僕にとっては快適ですね。パリなど他の町でもトレーニングを行っていましたが、結局また生まれ育ったポワチエに戻ってきました。最初に指導してくれたコーチのヴェロニク・ギヨンと、このポワチエの町で自分のキャリアを終えたいと考えています。この町にいるととてもうれしく、精神状態が安定します。

世界選手権東京大会でのジュベール選手
2006年、世界選手権東京大会で金メダルに輝いたジュベール選手(中央)
日本の高橋大輔選手は銀(右)だった

「いつも、練習よりも本番に強いのです」

2004年の欧州選手権では無敵だったエフゲニー・プルシェンコ選手(ロシア)を破って初優勝しましたね。

ブダペストで開催された欧州選手権で金メダルを獲得したあの瞬間は、決して忘れられません。欧州チャンピオンという、生まれて初めて勝ち取った大きなタイトルでしたから。また、当時は弱冠19歳だったので、若さゆえにプレッシャーなどほとんど感じていませんでした。だから精神的にもずっと楽だったのでしょう、簡単に成し遂げられてしまったのです。それまで僕はフィギュアスケート界で無名だったので、タイトルというタイトルを総なめにしていたスター選手、エフゲニーを破るために、自分自身がこれまでになく強くあらねばならない、と発憤興起していました。このような意気込みで挑んだブダペスト大会で、僕は勝てる確信があったのです。そんなみなぎる自信を感じたためか、あのときのエフゲニーは動揺して安定を欠いていたと、僕は感じていましたよ。

06年のロシア杯では、成功と失敗が見分けられやすい大技、4回転ジャンプを3回も決めましたね。

僕は技についてとてもシビアです。技を完璧にこなしたい。全ては長年師事してきたコーチ、ヴェロニク・ギヨンから伝授されました。実は、大会本番の競技プログラムの中で実際に4回転ジャンプが3回とも成功したのはそのときが初めて。それも、練習で一度たりとも試したことがないのに、何と成功してしまったのです! 僕はいつも、練習のときよりも本番に強いのです。

今までどんな困難がありましたか? 大会前にけがなどされているようですが。

これまでに大きなけがを二つしました。一つは、07年世界選手権東京大会の3週間前に、何と自分のスケートシューズのブレードが足の甲を貫いたのです。 その痛みといったら、それは半端じゃなくつらいものでした。この事故のあった06-07年のシーズン、僕は出場したあらゆる大会で勝ち抜いていました。どうしても世界チャンピオンの座に就きたかったので、そのときは二重のつらさを味わいました。しかし、そんな思いで出場した東京大会では、結果的に優勝を果たしました。

二つめの大けがとは、09年12月にした、07年と全く同じけが。このときはもっと重症で、もう目前に迫っている10年開催のバンクーバー冬季五輪で金メダルを狙うことは不可能になってしまったと分かりました。

困難を乗り越えるためには、自分について改めて問い直すこと、自らを省みることを拒まず受け入れることですね。人は失敗の中から物事をさらに学ぶものなのです。

ソチ冬季五輪で勝利するためにはどうすればいいですか。

五輪の勝者となるためには、精神面のコンディションが完璧に近く、強靭でなくてはなりません。というのは、皆がこの檜舞台のために調整を行って、最高のコンディションで臨んできますから、違いは精神面から表れるものだけです。  実は、このソチ五輪を僕の現役最後の大会と決めています。だから良いスコアを残して有終の美を飾りたいのです。14年の冬季五輪では、ただただ、演技を成功させたい。

12年の世界選手権ニース大会での滑走
会場の雰囲気が良かったと、ジュベール選手の印象に残っている12年の世界選手権ニース大会での滑走

「僕の特長は力強さと技」

フランスのフィギュア選手はフィリップ・キャンデロロ氏など、個性的な選手が目立つような気がします。

フランスのフィギュアスケートの特徴は氷上で演技ができること。でも、フランスのスケーターは1人として同じスタイルの選手はいないことが重要なポイントです。

皆さんに注目してもらえる僕の特長は? と探すと、それは力強さと技なのではないでしょうか。

技は改善し続けていくものなのでしょうか。

技はとてもデリケートなもの。年をとればとるほど、体は痛みを感じるようになります。これはネガティブですが、逆にポジティブな面は、 経験が積み重ねられることです。だから年を重ねた今はジャンプについても知り尽くしているし、その技を修正することは以前より簡単になっているのです。

私生活ではどんなことをしていますか? チャリティー活動にも力を入れていますね。

僕は病気の子供たちのために活動している協会を援助していきたいです。義援金を集めるための、また単に精神面で支援するために特別公演などを行っています。

日本人に向けてメッセージをお願いします。

僕の感謝を伝えたい。僕のスポーツ、フィギュアスケートに興味を持ってくれたこと、僕への支援に対して。そんな皆のお陰で、僕は日本に行くことが好きです。

フィギュアスケート Figure skating

音楽に合わせてスピンやジャンプなどの技を組み込み滑走するスケート競技。1924年のシャモニー冬季五輪以降、冬季五輪の正式競技になっている。ソチ冬季五輪では男子シングル、女子シングル、ペア、アイスダンス、団体の5種目。団体のシンクロナイズドスケーティングが種目入りするのはソチ冬季五輪が初めて。

男子シングルでは、規定の技を組み込んだショートプログラム(SP)とフリースケーティング(FS)の二つの演技の合計点で競う。フランスの男子フィギュアスケートでは、かつてアラン・ジレッティ(50年代)、アラン・カルマ(60年代)、パトリック・ペラ(70年代)、フィリップ・キャンデロロ(90年代)などが活躍した。

フィギュアスケート男子・フランス代表 ブライアン・ジュベール

 

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