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ロンドンのゲストハウス
mer 20 septembre 2017
フランスニュースダイジェスト1000号記念特集

池澤夏樹 特別エッセイ「フランスの5年間」

近代思想史において確立された人権という概念のうちで(とずいぶん大げさなことを言うけれど)、ぼくにとっていちばん大事なのは住む場所を選ぶ権利だ。農奴のように土地に縛られることなく、引っ越したいと思った時にはどこにでも行ける。

若い時からこの権利を大いに利用して、乱用して、生きてきた。20代まではそれでも外部の事情に押されて動くことが多かったが、30になった時から、正確に言うと30歳の誕生日からはひたすら我が儘に居所を選んできた。まさにその日から2年半、ぼくはギリシャで暮らしたのだ。

やがて東京に戻ったが、1994年には沖縄に移住、ここに都合10年住んだ。その終わりの頃、そろそろ別の場所に移りたいと思っている時に、フランスを訪れる機会が何度かあった。文学などを通じて昔から親しんできた国である。フランス語は不得手だが、見るもの聞くもの食べるもの、ぜんたいとして国の印象がとてもよかった。じっくり見たいと思うものがたくさんあった。

今時の作家はどこに居ても仕事ができる。通信の仕掛けが発達しているから書いたものはメール添付で送り、ゲラもファックスやPDFで受け取って手を入れて返す。だから勝手放題、どこにでも住める。

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じゃあ、フランス行こうか。  

いや、さすがそんなに簡単なことではなかった。早い話がぼくには幼い娘が2人いた。この子たちの教育をどうするのか?この歳で日本語から引き離してしまっていいものか?

だけど、実際の話、ぼくが子供たちを連れてでも 日本を出た方がいいと判断した理由は学校だったのだ。保育園の間はよかったけれど、上の子が小学校に入ると、日本社会の異物排除・同調圧力はいささか耐え難いものになった。日本国内どこに行ってもこうなのかと悲観的に考え、いっそ外へ連れ出そうと決めた。

フランスの教育制度について何を知っていたわけでもない。妻はパリに長く暮らしたことがあり言葉もそこそこ話せる。夫であるぼくにはフランス文化ぜんたいへの信頼感がある。

こういう時はことがとんとん運んでしまうもので、ぼくの小説の仏訳をしてくれた人がフォンテーヌブローの近くに住んでいて、ちょうどよく空いている家があると言う。あなたたちにぴったりだと思うけど……。

で、その家を見たわけでもないのに、ぼくたちは沖縄の家を畳んで荷物を送り出して飛行機に乗った。たまたまロンドンで用事があったのでまずそれを片付け、ユーロスターでパリに入った。大荷物をタクシーに積み込んでフォンテーヌブローに向かった。家に着いて、ここで暮らすのだと思ってとても嬉しかった。18世紀に建てられた連棟の集合住宅の一角、3階建てプラス屋根裏プラス地下室で、細長い裏庭があってこれが美しい。

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生活を始めていちばん感激したのは歩いて5分のところで週に3回開かれるマルシェだった。  

ぼくは至って無趣味な男で仕事以外はほとんど何もしないのだが、料理は好き。気が向いた時だけ凝ったものを作るような趣味的なのではなく、日々食べるものを手早く用意する。つまり純正な主夫のキュイジーヌだ。買い物から始めて皿に盛って供するまでを毎日でもこなす。

だから知らない食材が山ほどあるマルシェは天国のようなところだった。売り手たちと顔なじみになって、料理法も聞いて、少しはフランス語も話すようになった。春のアスパラガス、秋のセップやモリーユ、多種多様なフロマージュ、酢漬けにするとおいしい小さな鯖、牡蠣とムール、シャルキュートリーの豊饒。ビオの美味な野菜。思い出し始めたらきりがない。

そして肝心の子供たちの学校。フランソワ・トリュフォーの『大人はわかってくれない』みたいな古くさい学校しかなかったらどうしようかと心配だったけれど、フランス語と英語を教えるとてもいい学校が見つかって、2人は愉快に通い始めた。初めの半年は言葉で苦労したようだったが、慣れれば楽しいことばかり(だったかどうか、本人たちに確かめなければだが)。

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観光客はよいところしか見ない。暮らせばさまざまな面が見える。ぼくは5年間の間にフランス社会を結構しっかり見たと思っている。

子供の学校を通じてたくさんの親たちや先生と親しくなったし、家のご近所ともずいぶん行き来があった。町に出ればマニフ(デモ)に出会い、パリに行ったらグレーヴ(スト)で帰れなくなった。車は縦列駐車が上手になり、子供の自転車を盗まれて憤慨した。

景観は公共財であるというフランス人の考えかた、つまりは個人の自由と社会の間のどこに境界線を引くかの応用問題に感心した。高い出生率を支えるシステムもよくわかった。

総じてフランス人は自分たちは普遍であると思っており、日本人は自分たちは特殊だと思っている。これが外交の違いなどに現れる。住んでみて初めて納得したことだった。

今もってぼくはフランスを標準として日本の社会を見ているようで、これが5年暮らしたことのいちばん大きな成果だと思っている。

Natsuki Ikezawa
1945年、北海道帯広市生まれ。詩人、評論家、作家。78年、詩集「塩の道」でデビューし、88年に芥川賞を受賞。以降、小説、エッセイ、紀行など幅広い分野で活躍する。75年から3年間ギリシアに、94年から沖縄に、2004年からフランスに滞在し、現在は札幌在住。

 

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