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ロンドンのゲストハウス
lun 22 octobre 2018
フランスニュースダイジェスト1000号記念特集

髙橋久雄フレスコ画家、壁画修復家 髙橋久雄 - 日仏の架け橋となった人物

たかはし ひさお
埼玉生まれ。1966年、フランス国立装飾美術大学壁画科に入学。81年、ユネスコおよびイタリア政府の招聘により、ICCROMで壁画修復と保存についての資格を取得する。その後フランスで壁画修復の仕事に従事。2000年にフランス政府の許可を得てユルスリーヌ国際文化センターを設立し、フレスコ壁画の創作を始める。

「さぁ、どうぞこの壁画を修復してください」。静寂で神聖なロマネスク教会の中に響くフランス文化省の監督官の声。天井に描かれたフレスコ壁画は、既に半分ほど落ちかかっており、息を吹きかけるだけでパラパラと崩れ落ちてしまいそうだ。この仕事を断れば、修復家としての人生 はここで終わり。しかしもし、壊れかけている歴史的記念物の天井画を落としてしまったら、「ごめんなさい」では済まされない。もちろん、修復家としての人生にもピリオドを打たなければならない。

「やらせていただきます」。いつも、こう答えた。この言葉の中には、修復家の人生をかけた覚悟があった。絶対に断らない、そして必ず成功させる。それが日本人がフランスで修復家として生きていくということなのだ。  

髙橋久雄。フランス文化省公認の壁画修復家として、そしてフレスコ画家として活躍する。フランスの美術界で、日本人として成功した人は他にもいれど、フランス政府より芸術文化勲章やレジオン・ドヌール勲章を受勲するほど認められ、ブルゴーニュ州名誉市民第1号に推挙されるほ ど地に根付き、感謝されている日本人に出会うのは、そう容易なことではない。
(取材・文:沖島景)

無限に開き行く可能性を信じ
努力を続けること

壁画芸術の神髄を求めて渡仏

1936年生まれの髙橋氏が初めてフランスの地を踏んだのは、日本人の海外観光渡航の回数制限が撤廃され、ようやく海外への扉が開いた66年のこと。「日本の美術大学で西洋画を学んでいたのですが、ロマネスク教会に興味を持ちました。それは、建築と壁画が見事に融和されている空間だったからです」。そして、本物を見たいと願い、フランス国立装飾美術大学壁画科に入学することになる。「その学校で私があまりにもフレスコ画に夢中になっているものだから、先生が心配して。いくら技法を学んでも、聖堂にフレスコ画を描くという時代ではないと。ただ、そこで 『壁画修復保存』という仕事があるということを教えていただきました。ちょうど助手を探している先生がいるということで、さっそく行ってみたのです」。すぐに髙橋氏は、人類が残した遺産をよみがえらせる仕事に夢中になった。 結局、10年ほどその先生につき、修復の仕事を学んでいくことになる。

ユルスリーヌ塔のドームの天井に描く髙橋氏
ユルスリーヌ塔のドームの天井に描く髙橋氏

仏教徒である日本人が聖なる空間に手を入れる

「先生の下で仕事をさせていただいているのは、本当に幸せでした。先生のおっしゃる通りに修復作業を進めるわけですが、自分だったらもっと異なる技法で直すのに、点で描くようにするのに、などという気持ちは心にあり、独立して自分で試みたいという気持ちになりました」。しかし、日本人である高橋氏は、フランス人の修復家に比べれば、明らかに不利だった。「日本語や日本の文化が必要な仕事ではないわけですから、何も日本人に頼む必要なんてありません。しかも私は仏教徒。同じ能力だとしたら、子供のころから西洋文化の中で育ったフランス人の方を採用するでしょう」。では、フランス人以上になるためには、どうしたらいいのだろうか。「普通の努力だと、普通の結果しか出ません。ですから、普通以上の努力をし続けることです。自分でいくら口で説明しても、自分を推してもダメ。仕事は社会が認めるものですから」  

宗教と密接につながっていた中世の人々の精神が息づく神聖な空間の中で、異宗教の男が息絶えそうなフレスコ壁画の前に静かに座る。ここで失敗をすれば、修復家としての命は終わるという覚悟を持ち、心を無にして、静かにもくもくと取り組む姿には、日本に古代から流れる忍耐の精神、清い侍魂を感じさせる。

「ただ、フランスはそんなに冷たい国ではないですよ。芸術家がフランスに集まるのは、芸術面、文化面では国籍を問わず、作品さえよければ認めるという土壌があるからだと思います。修復作業も同じで、いい仕事さえすれば、国籍や宗教は問わないという雅量があります。命をよみがえらせる場に、もはや国境という垣根はないわ けです」同業者は、自分がいい仕事をしたいから、 技法やアイデアを教えてくれない。フランス人よりもいい仕事をするために、教科書にはない知恵を絞り、寝る間も惜しんで仕事に集中した。「私は夕食が終わった後も聖堂に戻り、夜も仕事をする生活を続けてきました。ある程度、犠牲になる精神がないとダメですね。謝礼が安くても、いい仕事、いい絵を残すという心がなくては、この仕事をする必要はありません。手を動かすのは、心ですから」

感謝の気持ちから制定せれた市民名誉制度

寒い夜も暑い夜も、納得するまで時間を費やしよみがえらせた作品に、市長、村長、神父、住民が喜び、感謝された。遺産が数多く残るブルゴーニュ州では、州の聖堂壁画をよみがえらせてくれた髙橋氏の努力に対し、4県が同意して、新しく名誉市民制度を制定し、その第1号が髙橋氏に捧げられた。こうして修復家として確固たる地位を獲得していったわけだが、髙橋氏にはまだある夢があった。  

「中世の建造物に、中世の技法で21世紀の思想を描き残したいという願望が膨らんできたのです」。主観を入れてはいけない修復家と、個性を出さなければならない画家は、相反するものであり、通常どちらか一方を選ばなければならない。しかし、夢はあきらめないという信念を持つ髙橋氏は、さまざまな人に自分の願望を伝え、機会を待っていた。

12世紀に建立された塔内にフレスコ壁画を

そして、とうとう12世紀に建てられたフランス政府指定歴史記念建造物「ユルスリーヌ塔」と付属小聖堂を取得することに成功。その内部にフレスコ壁画を描くことを許された。塔を取得してから10年にわたる修復工事が終了し、2010年、ユルスリーヌ塔で筆入れ式が行われた。14、15世紀にこの塔の持ち主だったブルゴーニュ大公4代の歴史を、21世紀を生きる自分が描き、後世に伝えていく。政府指定歴史記念建造物という通常は手を加えてはならない建造物に壁画を描くことが許されたのは、この50年近くにわたるフランスでの努力の積み重ねの結果得られた最高の名誉だ。半世紀かけて勝ち取ったチャンスを、髙橋氏は独り占めにすることなく、学生たちの体験の場として活動を共有している。「初めは2、3年のつもりで来たフランス生活も長くなりました。でもただ長くいるだけじゃダメですね。価値のあることをしないと。真面目に仕事や勉強をしている人を認めるのがフランスだと思います」

 

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