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ロンドンのゲストハウス
mer 29 juin 2016

2016 パラリンピック 水泳・フランス代表候補 シャルル・ロゾワ

シャルル・ロゾワ

今年8月からブラジルのリオデジャネイロで開幕するオリンピック。近年は、オリンピックだけではなく、続いて行われるパラリンピックへの関心が急激に高まっている。欧州各国の注目すべきパラリンピック代表候補へインタビュー。フランスからは、ロンドン・パラリンピックのバタフライ(100M)金メダリストであるシャルル・ロゾワさんにお話を伺った。逆走してきた車との事故で左手の感覚を失って以降、再起するまでの経緯やリオへ向けての思いを語ってもらった。

PROFILE1987年3月4日、仏中部ディジョン・シュノーブ生まれ。7歳の時から地元のスポーツ・クラブに通い、高校からスポーツ選手の養成校であるPôle Espoir(ポールエスポワール)にて水泳の高等教育を受け始める。2008年にバイク事故で左腕の神経麻痺の障害を負うが、09年に競泳訓練を再開。以降14年まで、フランス・チャンピオンシップにてバタフライ100Mほかで金メダルを23個、ヨーロッパ大会で金メダル2個、世界大会で1個を獲得。12年に開催されたロンドン・パラリンピックのバタフライ100M(S8)では世界新記録で金メダル。 www.charles-rozoy.com

体の痛みは「情報」でしかない。
夢を実現させる
強い意志こそが支えです

7歳以降、水から出たことのないような人生を送ってきました(笑)

水泳を習い始めたのはいつですか。またいつごろから本格的な水泳選手になろうという夢を描いていたのでしょうか。

7歳のころから学校などで、「いつかオリンピックの金メダリストになる」と言っていました。でもそんなことを口にすると、フランスでは「あまり夢ばかり見るものではない」「現実的に就きたい仕事は何か」と言われてしまいます。

ある日、隣人が水泳を習っているのを見たのをきっかけにして、7歳のころに水泳を始め、以後決して水から出たことのないような人生を送ってきました(笑)。高校はスポーツ選手の養成校であるPôle Espoirへ通学。事故で左腕の感覚を失ってしまう21歳まで、オリンピックで金メダルを獲るという夢は変わらず持ち続けていました。

事故に遭う2008年以前に水泳の大会で優勝したことはありましたか。

事故に遭う以前から、バタフライが一番得意でした。しかし、高水準の競泳訓練を受け、勝つ力はあるとされていながらも、大会となるとなぜか勝つことができなかったのです。どうしてか。恐らく小さいころから「夢ばかりを見るのはやめなさい」と周囲に言われ続けてきたことで、無意識のうちに「大会で優勝するなんて無理だ」と精神的なブレーキをかけてしまっていたのかもしれません。

「障害者スポーツ?でもそれは、障害者のためのスポーツだよ……」

その後、バイク事故で重傷を負ってから何をきっかけに競泳を再開し、パラリンピックを目指すことになったのでしょうか。

これにはあるエピソードがあります。数週間の入院後、小さなプールで水に入る喜びに浸っていました。しかし、前を通り過ぎた若者に、「以前は泳ぎが速かったのに、今は何もできないじゃないか」と笑われ、ショックを受けたのです。その時、高校時代からの水泳のコーチが私のところへ来て、「このまま言われっ放しでいいのか?」と。そこで、私はその若者に「どちらが速く25メートルを泳げるか」と勝負を持ちかけ、片手で泳いでその勝負に勝ってみせました。

するとコーチが再びやって来て、「もう一度泳いだらどうだ?」。私は言いました。「今まで勝つために泳いできたのに、片手だけじゃ勝てっこない」と。するとコーチは、「障害者スポーツならできるじゃないか」と言ったのです。その時、「障害者スポーツ?でもそれは障害者のためのものだよ」と私はとっさに口走っていました。でも、よく考えたら、自分の片腕は動かず、以前のように泳ぐことはできなかった。つまり、私はそこではっきりと、自分が障害者だという現実を受け入れることになったのです。

数週間悩んだ末、私はオリンピックの金メダリストではなく、今度はパラリンピックの金メダリストを目指すことをコーチに告げ、09年には再び競泳の練習を開始。その年の3月には、仏南西部ボルドーで行なわれたフランス・チャンピオンシップで優勝しました。

ロンドンで金メダルを獲った際のロゾワ氏
ロンドンで金メダルを獲った際のロゾワ氏(写真左)。左手は使わず、右腕と脚力を使って力強く進む

事故後、片腕で競技を行う上ではどのような苦労がありましたか。

左手が動かせない分、脚力を倍鍛えなければなりませんでした。片腕だけで水をかきますが、頭から背中にかけての中心線さえ真っ直ぐ保つことができれば、その場でグルグルと回転することなく前へ進むことができます。当初は動かない左腕が水圧でもげてしまう心配があったので、左腕を固定したこともありました。でも、長年にわたり水泳の練習をし、十分な筋力が備わっていたおかげで、左腕を体に真っ直ぐ沿わせて泳ぐことに慣れました。以前のように飛び込みもします。

ロンドン・パラリンピックで金メダルを獲得して以降はどんな活動をしていたのでしょうか。

ロンドン・パラリンピックでは、子供のころからの夢を実現させ、金メダリストになることができました。でも、金メダリストとして終わるだけではなく、何か知的な活動にも力を入れたかったのです。そこで、次のリオ・パラリンピックへの準備を進めると同時に、講演を中心として自分の経験を伝える活動を始めました。フランスの企業では全社員の5%に相当する人数の障害者を雇用することが法律で決められているので、障害者についての知識を得ようとする企業向けに講演を行なっています。また小・中学校、高校へはボランティアとして出向き、夢を持つことの重要性について話をしています。

たぶん次の世代の若者たちが、
明日はもっと夢を見られるようになるかもしれない

講演活動を通じて今後もっと伝えていきたいことはありますか。

目標を持って努力していれば、かなわない夢はないということ。たとえ障害を持っていたとしても、です。

子供たちに対する講演をボランティアで続けているのは、「夢を達成した人がいるのだから、自分にもできるかもしれない」と言ってくれる若者が出てくるかもしれないからです。たぶん、次の世代の若者たちが、明日はもっと夢を見られるようになるかもしれない。そんな思いで、自分の経験を伝え続けたいと考えています。

一方、今のフランスの若者たちは、「参加することにこそ意義がある」という物差しで物事を捉えている気がします。これは、フランスの教育者で近代オリンピック創立者でもあるPierre de Coubertinの有名な言葉ですが、この言葉が一人歩きしているように感じます。ただ何かをした、ということで満足して終わるのではなく、そこで何を学んだか、どこまで頑張れたか、自分の限界を知ることができたか、ということが大切なのです。

リオ・パラリンピックに向けての練習メニューはどのような内容なのでしょうか。また練習以外の時間はどう過ごしていますか。

1週間の練習メニューは、月~土曜日まで朝夕各2時間のプール内での練習のほか、週2~3回の筋力トレーニング、週2回の理学療法、精神的な準備をするためのコーチングなどです。それ以外の時間は、講演やそれに関する会議に充てています。ロンドン・パラリンピックの前は、金メダルを勝ち獲るためだけに時間を費やしていました。今回のリオ・パラリンピックに向けては、自分が起業家でもあり、水泳選手でもあるという二面性を持っている点が以前と異なっています。

パラリンピックのことを考えて、プレッシャーを感じることはありますか。

人は皆、大切なイベントを前にストレスやプレッシャーを感じますが、目標を達成すべくやることをすべてやっているのであれば、ストレスを感じる必要はない、と私は言いたいです。4年間パラリンピックのために準備をし続けてきたのだから、ストレスを感じるどころか、本番を楽しみたいとすら思えます。

つらい時に支えとなるものは何ですか。

もちろん、家族、恋人、友人、皆が自分を助けてくれました。でも、一番大きかったのは、自分には「パラリンピックの金メダリストになる」という強い夢があったことです。また子供たちに講演をしてきた中で、彼らに語った私の夢の話や、夢は実現できるという信念にうそはないということを見せたいという思いを持っています。この「うそをつきたくない」という思いが私を支えてくれました。

ロンドンで金メダルを獲った際のロゾワ氏
左:仏雑誌での洋服ブランドの撮影も行う。爽やかなルックスもあってか、ロンドン・パラリンピック以降は取材や講演の依頼が増えた
右:毎日の練習は地元のPicine Olympigue(ピシン・オリンピック)で行う

今でも身体が痛むことはありますか。また、その痛みが競技中に襲ってくる恐怖はありませんか。

左腕が麻痺しているとはいえ、腕の一部の骨が痛むことがあります。私は痛み止めは一切使用せず、精神を鍛えることでそれを乗り切る方法を身につけています。私の担当の理学療法士は、こう言って私を笑わせ、安心させてくれました。「痛みは情報でしかない」と(笑)。

2020年に開催予定の東京パラリンピックへの出場を考えていますか。

東京パラリンピックに出場したい気持ちはありますが、そのころ私は33歳。体力的にかなりきついでしょうね(笑)。私の競泳人生の最終目標は、リオ・パラリンピック。そして2017年の地中海競技大会を最後に引退しようと思っています。でも、日本へ行ってみたい気持ちは大きいです。自分の経験を伝える ためでもいいですし、スポーツ・ジャーナリストとして東京オリンピックに参加できたりしたらいいですね。個人的には、日本のアルプスを訪れてみたいと思っています。

今後の人生で目指したいことは何でしょうか。

世界を変えること、つまり、より良い世界を実現させることです。まだ具体的なことは分からないけれど、例えばそれは、笑顔で親切に他人に接することや、外出する時は電気を消すなどして地球環境に配慮することかもしれない。障害を抱えて生きる人々の気持ちを理解してくれる世の中であって欲しいとも思います。

競技解説 - パラリンピック競泳

国際パラリンピック委員会(IPC)の定める競泳ルールは国際水泳連盟(FINA)と同様。公平性維持のため、泳ぎ方と障害の種類による「クラス」が存在する。泳ぎ方によるクラスは「S」、「SB」、「SM」の3つがあり、バタフライは自由形や背泳ぎと同じ「S」に相当する。また障害の重度は数字で表わされ、数字が小さくなるにつれてその重度が上がる。7以上は「軽度」とされている。ただし、例えば同じ「S8」クラスの競技でも、個人の障害は様々に異なる。ルールの例外もあり、介助者付きのスタートやコースの逸脱などが認められることもある。
 

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