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mar 28 mars 2017

シルヴィ・ギエムという生き方 - Life in Progress 日本を愛した世紀のバレリーナ

2016年1月1日午前0時、東京。
彼女はいつもの通り、しかし生涯最後となる
地鳴りのような喝采に包まれていた。
今世代最高のバレリーナの1人シルヴィ・ギエムは、
愛した日本の観客を前に最後のレヴェランス(お辞儀) をした。
涙を一杯に湛えながらも満ち足りた清々しい笑顔で
天を見上げ、輝ける39年間のバレリーナ人生にピリオドを打った。
(Interview réalisée et texte par Miwa ARAI)

正真正銘のバレエのレジェンド

Sylvie Guillem is the stuff of ballet legend.
─ The New York Times

地球上で最もカリスマ性のあるパフォーマー

The most charismatic performer on earth.
─ Daily Telegraph

同世代の中で最も輝けるバレリーナ

Sylvie Guillem is widely regarded as the most brilliant ballerina of her generation.
─ The Guardian

並外れた経歴、けたはずれのダンサー

Une danseuse exceptionnelle au parcours d’exception.
─ La Croix

シルヴィ・ギエム

強く、そして繊細に世界と向き合い
「自分自身」であり続ける

Sylvie GUILLEM

1965 パリ郊外に生まれる

1976 体操の先生である母親の指導の下に体操選手を目指していたが、パリオペラ座バレエ学校の学長に才能を見出されバレエに転向。パリオペラ座バレエ学校入学

1981 パリオペラ座バレエ学校日本公演で初来日「二羽の鳩」他

1984 「白鳥の湖」に初主演した後、当時のパリオペラ座バレエの芸術監督だったルドルフ・ヌレエフによって、史上最年少の19歳でエトワールに任命

1989 オペラ座を退団し渡英、仏文化相は「国家的大損失」とコメント。ロンドンのロイヤル・バレエ団にプランシパル・ゲスト・アーティストとして移籍

1994 レジオンドヌール・シュバリエ受勲

1998 フィンランド国立バレエ団とミラノスカラ座バレエ団で「ジゼル」振付・演出

1999 フランス国家功労章受章(Officer of French Order Merit)

2001 ニジンスキー賞受賞

2003 大英帝国勲章 CBE (Order of the British Empire, CBE)

2009 レジオンドヌール・オフィシエ受勲

2011 東日本大震災の支援のための「Hope Japon チャリティ公演」をパリ、ロンドン、東京、岩手、福島で開催 

2012 ヴェネツィアのダンス・ビエンナーレ金獅子賞受賞

2015 高松宮殿下記念世界文化賞(演劇・映像部門)受賞
3月から世界引退公演ツアー「Life in Progress」スタート、東京での12月31日の公演で引退 

現在 夫でカメラマンのジル・タピ(Gilles Tapie)氏と二頭の愛犬とともにスイス 在住、50歳

シルヴィ・ギエムは、オペラ座史上最速最年少の19歳でパリオペラ座バレエ団のエトワール(ダンサーの最高位)に任命されて以来、その美貌、テクニック、感性などから100年に1人と讃えられるスーパーバレリーナ。「観客と舞台の間にある目に見えぬ壁をその一歩でぶち壊してしまう」とオペラ座時代からのパートナーダンサー、ニコラ・ルリッシュ(Nicolas Le Riche)も言うように、彼女が舞台に立つと、場の空気が変わる。「シルヴィ・ギエム」以前と以降では、バレエとバレリーナの概念は変わったとさえ言われている。

パリオペラ座の自由度の低さに耐え兼ね、エトワールの座をわずか5年で返上して単身渡英。その後は、どことも専属契約を結ばずに世界各国のバレエ団と積極的に共演しながら、古典を超えてモダン、コンテンポラリーの新分野に挑み続け、同時代の振付家とともに数々の名作を残した。当時、渡英に批判的な仏メディアに「お金の為か?」とマイクを突き付けられた24歳のシルヴィが、「自由のためだ」と毅然とこたえた映像が残っている。

英国ロイヤル・バレエ団とはプランシパル・ゲスト・アーティストとして契約し、作品に意見を言える立場にあったものの、大振付家に反論したことで『マドモアゼル・ノン』と命名され、「わがまま、気難しい、非友好的」という批判的イメージも付きまとった。

シルヴィ・ギエムは、「日本は特別、第二の故郷。日本との出会いがなければ人生は違っていた」と公言し、来日回数は40回を超える大の親日家でもある。他国メディアのインタビューの中でも、彼女が自身について語る機会があれば必ずと言っていいほど日本の良さや、日本から学んだことについて語っており、驚かされる。日本の伝統工芸にも造詣が深く、日本語も勉強していた。「自分自身の身に起こったことのように痛みを感じた」という2011年の震災に際しては、即座にパリ、ロンドンでのチャリティガラを開催し、同年10月には東京、11月には岩手・福島県を訪れ、被災者に寄り添った。※1

10カ国以上を周った2015年の世界引退ツアーの最終地に日本を選び、パリでの4公演に対し、 日本には1カ月近く滞在して10都市で15公演を行った。

また、ヴィーガン(肉も魚も乳製品も食べない)でもある彼女は、環境保護への意識が高く、シー・ シェパード(Sea Shepherd / 海洋生物保護)や ココペリ(Kokopelli / 自然交配種子保護)等、多くのNGOを支援している。

カフェのテーブルを挟んで向き合った彼女は、スポーツウエアの上下に髪を一つに束ね、ノーメ イク。それでも、その輝きは別格で、舞台とはまた別の1人の人間としてのオーラに惹きこまれてしまう。シルヴィ・ギエムとは、いったいどんな女性なのだろう。

シルヴィ・ギエム

Q. 初来日した時の日本について、具体的に印象に残ったことは?

A. 16歳の時、オペラ座のバレエ学校の仲間と一緒に空港から東京へ向かったバスの窓から見たシーンです。高層ビルの間を着物の女性が歩いていました。フランスとまったく違う異次元の世界が同じ時間に存在している、という発見は本当に驚きでした。この未知の世界のことをもっと知りたい、とワクワクしたことをよく覚えています。

Q. 日本のどんなところが特別なのでしょうか。

A. いろいろありますが、日本の人々は、例え床掃除であっても手を抜かず達成感を持ってやろうとします。他の国ではなかなかないことです。特にフランスでは(笑)!

カメラマンの夫と一緒にタクシーに乗り、車内に大切なカメラ機材を忘れてきてしまったことがありました。半ばあきらめながらタクシー会社に問い合わせたら、すぐに見つかったどころか、運転手がそれを届けに来てくれて、「気付かずに申し訳ありませんでした」と真摯に謝るのです。忘れたのは私たちですよ、持って来てもらって謝るのは私たちでしょう?! 彼の、運転手という仕事に対する責任とプライドを感じ、心を打たれました。こういうことは、私の経験では日本でしか起こりえません。

Q. 『マドモアゼル・ノン』と呼ばれたことについては?

A. 私には私自身に対する責任がありますから、最も誠実な形で意見を伝えたかったのです。

ノンと言うときに、「ノン・メルシー」と足して も「ノン・メルシー・ボクー」ともっと足しても、「ノン」は「ノン」でしょう? だから「ノン」と言ったのだけど。(笑) オブラートに包んで言えば、もう少し誤解は少なかったかもしれないですね。

シルヴィ・ギエム

Q. シー・シェパード(水産資源保護活動団体)については?

A. このままいくと2045~2050年には、海から魚がいなくなります。魚のいない海は死に、川 は汚染され、人々が飲み水を求め争い始めるでしょう。今、魚や海洋生態系の頂点にあるクジラやサメやイルカを守らないと、取り返しのつかないことになるのです。シー・シェパードのメンバーは皆ヴィーガンで、覚悟を決めて海の生き物の命と地球を守ろうと闘っています。彼らの活動は、私の環境問題への意識を目覚めさせてくれました。※2

Q. ヴィーガン(肉、魚、卵、乳製品を食べない)になったのはなぜですか?

A. 現代の農業が巨大なビジネスで、利益のために人間が自然のエコシステムを破壊していっていることを知ったからです。あらゆる肉類は想像を絶する残虐な方法で生産されています。乳製品用の乳牛も悲惨です。5年前に「少なくとも私の胃を満たすためには動物の命を奪わない」と決め、食べることを止めました。以前はハムやサラミが大好物だったのに、ですよ。家畜農場や屠殺現場の映像を見たらきっと誰もが単純に、「これはダメだ (C'est pas bon)」と感じるはずです。1人1人がお金に支配され狂った現実に意識を向け、できることをすべき時が来ていると思います。

引退して時間ができたら、イタリアにある土地で福岡正信氏※3式の自然農法で野菜を育て、捨てられた家畜や犬や猫などの動物のための小さな保護施設もつくりたいと思っています。

───── おわりに、彼女が繰り返し語っている子供の時のエピソードと『ハチドリの話』がある。

「子供の頃『まるで軍隊のような』(シルヴィ談より)バレエ学校の寄宿舎へ、家から戻るのが嫌で泣いていた時に、大好きだった母に言われました。『そんなに嫌なら辞めなさい、二度とバレエの話は しません。でももしまだ続けるなら、二度と泣かないと約束して行きなさい』。その時に決めたのです、バレエを続ける、もう泣かない、と。やるのかやらないのか、決めたらやり通す、と」。

「山火事で他の動物が皆逃げていく中、小さなハチドリは山に残りました。燃え盛る巨大な火を前に、ハチドリはくちばしで水をすくい、一滴一滴運んでは、火を消すことをあきらめようとしませんでした。私はこの話が好きです。誰にでも自分のできる範囲でやれることがある、と思うのです」。

寄宿舎に戻った11歳のその日から、東京での引退公演の日までの39年間、彼女はどれだけ自分を追い込み、どれだけの涙をこらえてきたことだろう。とてつもない努力の末に極めたバレエ界での頂点の座、スーパースターとしての社会的名声の先には、リタイア後の選択はいくらでもあるはずだ。しかし彼女は、過去の栄誉とは無縁の自然や動物を相手に、彼らを救うために1人の人間としてできることを一から始めるという。

山火事を見て見ぬ振りができなかったハチドリのように、世界一美しいと讃えられた白鳥は、知ってしまった現実に立ち向かおうと、精一杯にその羽を広げようとしている。

引退公演のタイトルは『Life in progress』。シルヴィ・ギエムはこれまでもこれからも、自分の人生を誠実に生き、まっすぐに道を切り拓いて行く。

*脚注

1)被災地での公演の後に、「原発再稼働反対、日本の技術なら再生可能エネルギーの供給は可能」と訴える手紙を書き当時の日本の首相に送ったが、返答はなかったことも語ってくれた。

2)フランスのラジオで(France Inter 2015年9月)「あなたの大好きな日本は捕鯨問題でそのシー・シェパードと争っていますよね?」とやや意地悪っぽく聞かれ、「日本は素晴らしい国です、大好きです。その問題と日本そのものを混同 してはいけません」と反論している。

3)「わら一本の革命」著者。不耕起、無肥料、無農薬、無除草で水もやらない、自然になるべく手を加えない農法を提唱した。

シルヴィ・ギエム

あとがき

彼女は1人でやって来た。長い手足に小さな頭のモデルのようなシルエット。緑色の大きな瞳が快活に動き、どんな問いにもこちらの目をまっすぐに見つめて、自分の言葉で答えてくれる。会話の途中で、近くに座った全身毛皮のコート姿の婦人を見た時に「これはダメでしょ!ここはシベリアじゃあないのよ」と小声になって眉をひそめて私に訴える表情は、悪い大人を見つけた少女のように真剣で、スイスの山にある自宅で待つ二頭の愛犬(うち一頭はクマのぬいぐるみのようだったからと名前は『Kuma』)の話になると、「スカイプで時々話すのよ、私のアムール」とこれ以上ない笑顔になった。コーヒー代を本気で払おうとし、断るとはにかんだような笑顔でぺこりとお辞儀をし、ふわりと立ち去って行った。こちらが恐縮するほどに、シルヴィ・ギエムは素のままで、謙虚で、とてつもなく美しかった。

 

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