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jeu 28 juillet 2016

池澤夏樹「フランスの5年間」

フランスニュースダイジェスト1000号記念特集

池澤夏樹 特別エッセイ「フランスの5年間」

近代思想史において確立された人権という概念のうちで(とずいぶん大げさなことを言うけれど)、ぼくにとっていちばん大事なのは住む場所を選ぶ権利だ。農奴のように土地に縛られることなく、引っ越したいと思った時にはどこにでも行ける。

若い時からこの権利を大いに利用して、乱用して、生きてきた。20代まではそれでも外部の事情に押されて動くことが多かったが、30になった時から、正確に言うと30歳の誕生日からはひたすら我が儘に居所を選んできた。まさにその日から2年半、ぼくはギリシャで暮らしたのだ。

やがて東京に戻ったが、1994年には沖縄に移住、ここに都合10年住んだ。その終わりの頃、そろそろ別の場所に移りたいと思っている時に、フランスを訪れる機会が何度かあった。文学などを通じて昔から親しんできた国である。フランス語は不得手だが、見るもの聞くもの食べるもの、ぜんたいとして国の印象がとてもよかった。じっくり見たいと思うものがたくさんあった。

今時の作家はどこに居ても仕事ができる。通信の仕掛けが発達しているから書いたものはメール添付で送り、ゲラもファックスやPDFで受け取って手を入れて返す。だから勝手放題、どこにでも住める。

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じゃあ、フランス行こうか。  

いや、さすがそんなに簡単なことではなかった。早い話がぼくには幼い娘が2人いた。この子たちの教育をどうするのか?この歳で日本語から引き離してしまっていいものか?

だけど、実際の話、ぼくが子供たちを連れてでも 日本を出た方がいいと判断した理由は学校だったのだ。保育園の間はよかったけれど、上の子が小学校に入ると、日本社会の異物排除・同調圧力はいささか耐え難いものになった。日本国内どこに行ってもこうなのかと悲観的に考え、いっそ外へ連れ出そうと決めた。

フランスの教育制度について何を知っていたわけでもない。妻はパリに長く暮らしたことがあり言葉もそこそこ話せる。夫であるぼくにはフランス文化ぜんたいへの信頼感がある。

こういう時はことがとんとん運んでしまうもので、ぼくの小説の仏訳をしてくれた人がフォンテーヌブローの近くに住んでいて、ちょうどよく空いている家があると言う。あなたたちにぴったりだと思うけど……。

で、その家を見たわけでもないのに、ぼくたちは沖縄の家を畳んで荷物を送り出して飛行機に乗った。たまたまロンドンで用事があったのでまずそれを片付け、ユーロスターでパリに入った。大荷物をタクシーに積み込んでフォンテーヌブローに向かった。家に着いて、ここで暮らすのだと思ってとても嬉しかった。18世紀に建てられた連棟の集合住宅の一角、3階建てプラス屋根裏プラス地下室で、細長い裏庭があってこれが美しい。

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生活を始めていちばん感激したのは歩いて5分のところで週に3回開かれるマルシェだった。  

ぼくは至って無趣味な男で仕事以外はほとんど何もしないのだが、料理は好き。気が向いた時だけ凝ったものを作るような趣味的なのではなく、日々食べるものを手早く用意する。つまり純正な主夫のキュイジーヌだ。買い物から始めて皿に盛って供するまでを毎日でもこなす。

だから知らない食材が山ほどあるマルシェは天国のようなところだった。売り手たちと顔なじみになって、料理法も聞いて、少しはフランス語も話すようになった。春のアスパラガス、秋のセップやモリーユ、多種多様なフロマージュ、酢漬けにするとおいしい小さな鯖、牡蠣とムール、シャルキュートリーの豊饒。ビオの美味な野菜。思い出し始めたらきりがない。

そして肝心の子供たちの学校。フランソワ・トリュフォーの『大人はわかってくれない』みたいな古くさい学校しかなかったらどうしようかと心配だったけれど、フランス語と英語を教えるとてもいい学校が見つかって、2人は愉快に通い始めた。初めの半年は言葉で苦労したようだったが、慣れれば楽しいことばかり(だったかどうか、本人たちに確かめなければだが)。

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観光客はよいところしか見ない。暮らせばさまざまな面が見える。ぼくは5年間の間にフランス社会を結構しっかり見たと思っている。

子供の学校を通じてたくさんの親たちや先生と親しくなったし、家のご近所ともずいぶん行き来があった。町に出ればマニフ(デモ)に出会い、パリに行ったらグレーヴ(スト)で帰れなくなった。車は縦列駐車が上手になり、子供の自転車を盗まれて憤慨した。

景観は公共財であるというフランス人の考えかた、つまりは個人の自由と社会の間のどこに境界線を引くかの応用問題に感心した。高い出生率を支えるシステムもよくわかった。

総じてフランス人は自分たちは普遍であると思っており、日本人は自分たちは特殊だと思っている。これが外交の違いなどに現れる。住んでみて初めて納得したことだった。

今もってぼくはフランスを標準として日本の社会を見ているようで、これが5年暮らしたことのいちばん大きな成果だと思っている。

Natsuki Ikezawa
1945年、北海道帯広市生まれ。詩人、評論家、作家。78年、詩集「塩の道」でデビューし、88年に芥川賞を受賞。以降、小説、エッセイ、紀行など幅広い分野で活躍する。75年から3年間ギリシアに、94年から沖縄に、2004年からフランスに滞在し、現在は札幌在住。

 

髙橋久雄 - フレスコ画家、壁画修復家

フランスニュースダイジェスト1000号記念特集

髙橋久雄フレスコ画家、壁画修復家 髙橋久雄 - 日仏の架け橋となった人物

たかはし ひさお
埼玉生まれ。1966年、フランス国立装飾美術大学壁画科に入学。81年、ユネスコおよびイタリア政府の招聘により、ICCROMで壁画修復と保存についての資格を取得する。その後フランスで壁画修復の仕事に従事。2000年にフランス政府の許可を得てユルスリーヌ国際文化センターを設立し、フレスコ壁画の創作を始める。

「さぁ、どうぞこの壁画を修復してください」。静寂で神聖なロマネスク教会の中に響くフランス文化省の監督官の声。天井に描かれたフレスコ壁画は、既に半分ほど落ちかかっており、息を吹きかけるだけでパラパラと崩れ落ちてしまいそうだ。この仕事を断れば、修復家としての人生 はここで終わり。しかしもし、壊れかけている歴史的記念物の天井画を落としてしまったら、「ごめんなさい」では済まされない。もちろん、修復家としての人生にもピリオドを打たなければならない。

「やらせていただきます」。いつも、こう答えた。この言葉の中には、修復家の人生をかけた覚悟があった。絶対に断らない、そして必ず成功させる。それが日本人がフランスで修復家として生きていくということなのだ。  

髙橋久雄。フランス文化省公認の壁画修復家として、そしてフレスコ画家として活躍する。フランスの美術界で、日本人として成功した人は他にもいれど、フランス政府より芸術文化勲章やレジオン・ドヌール勲章を受勲するほど認められ、ブルゴーニュ州名誉市民第1号に推挙されるほ ど地に根付き、感謝されている日本人に出会うのは、そう容易なことではない。
(取材・文:沖島景)

無限に開き行く可能性を信じ
努力を続けること

壁画芸術の神髄を求めて渡仏

1936年生まれの髙橋氏が初めてフランスの地を踏んだのは、日本人の海外観光渡航の回数制限が撤廃され、ようやく海外への扉が開いた66年のこと。「日本の美術大学で西洋画を学んでいたのですが、ロマネスク教会に興味を持ちました。それは、建築と壁画が見事に融和されている空間だったからです」。そして、本物を見たいと願い、フランス国立装飾美術大学壁画科に入学することになる。「その学校で私があまりにもフレスコ画に夢中になっているものだから、先生が心配して。いくら技法を学んでも、聖堂にフレスコ画を描くという時代ではないと。ただ、そこで 『壁画修復保存』という仕事があるということを教えていただきました。ちょうど助手を探している先生がいるということで、さっそく行ってみたのです」。すぐに髙橋氏は、人類が残した遺産をよみがえらせる仕事に夢中になった。 結局、10年ほどその先生につき、修復の仕事を学んでいくことになる。

ユルスリーヌ塔のドームの天井に描く髙橋氏
ユルスリーヌ塔のドームの天井に描く髙橋氏

仏教徒である日本人が聖なる空間に手を入れる

「先生の下で仕事をさせていただいているのは、本当に幸せでした。先生のおっしゃる通りに修復作業を進めるわけですが、自分だったらもっと異なる技法で直すのに、点で描くようにするのに、などという気持ちは心にあり、独立して自分で試みたいという気持ちになりました」。しかし、日本人である高橋氏は、フランス人の修復家に比べれば、明らかに不利だった。「日本語や日本の文化が必要な仕事ではないわけですから、何も日本人に頼む必要なんてありません。しかも私は仏教徒。同じ能力だとしたら、子供のころから西洋文化の中で育ったフランス人の方を採用するでしょう」。では、フランス人以上になるためには、どうしたらいいのだろうか。「普通の努力だと、普通の結果しか出ません。ですから、普通以上の努力をし続けることです。自分でいくら口で説明しても、自分を推してもダメ。仕事は社会が認めるものですから」  

宗教と密接につながっていた中世の人々の精神が息づく神聖な空間の中で、異宗教の男が息絶えそうなフレスコ壁画の前に静かに座る。ここで失敗をすれば、修復家としての命は終わるという覚悟を持ち、心を無にして、静かにもくもくと取り組む姿には、日本に古代から流れる忍耐の精神、清い侍魂を感じさせる。

「ただ、フランスはそんなに冷たい国ではないですよ。芸術家がフランスに集まるのは、芸術面、文化面では国籍を問わず、作品さえよければ認めるという土壌があるからだと思います。修復作業も同じで、いい仕事さえすれば、国籍や宗教は問わないという雅量があります。命をよみがえらせる場に、もはや国境という垣根はないわ けです」同業者は、自分がいい仕事をしたいから、 技法やアイデアを教えてくれない。フランス人よりもいい仕事をするために、教科書にはない知恵を絞り、寝る間も惜しんで仕事に集中した。「私は夕食が終わった後も聖堂に戻り、夜も仕事をする生活を続けてきました。ある程度、犠牲になる精神がないとダメですね。謝礼が安くても、いい仕事、いい絵を残すという心がなくては、この仕事をする必要はありません。手を動かすのは、心ですから」

感謝の気持ちから制定せれた市民名誉制度

寒い夜も暑い夜も、納得するまで時間を費やしよみがえらせた作品に、市長、村長、神父、住民が喜び、感謝された。遺産が数多く残るブルゴーニュ州では、州の聖堂壁画をよみがえらせてくれた髙橋氏の努力に対し、4県が同意して、新しく名誉市民制度を制定し、その第1号が髙橋氏に捧げられた。こうして修復家として確固たる地位を獲得していったわけだが、髙橋氏にはまだある夢があった。  

「中世の建造物に、中世の技法で21世紀の思想を描き残したいという願望が膨らんできたのです」。主観を入れてはいけない修復家と、個性を出さなければならない画家は、相反するものであり、通常どちらか一方を選ばなければならない。しかし、夢はあきらめないという信念を持つ髙橋氏は、さまざまな人に自分の願望を伝え、機会を待っていた。

12世紀に建立された塔内にフレスコ壁画を

そして、とうとう12世紀に建てられたフランス政府指定歴史記念建造物「ユルスリーヌ塔」と付属小聖堂を取得することに成功。その内部にフレスコ壁画を描くことを許された。塔を取得してから10年にわたる修復工事が終了し、2010年、ユルスリーヌ塔で筆入れ式が行われた。14、15世紀にこの塔の持ち主だったブルゴーニュ大公4代の歴史を、21世紀を生きる自分が描き、後世に伝えていく。政府指定歴史記念建造物という通常は手を加えてはならない建造物に壁画を描くことが許されたのは、この50年近くにわたるフランスでの努力の積み重ねの結果得られた最高の名誉だ。半世紀かけて勝ち取ったチャンスを、髙橋氏は独り占めにすることなく、学生たちの体験の場として活動を共有している。「初めは2、3年のつもりで来たフランス生活も長くなりました。でもただ長くいるだけじゃダメですね。価値のあることをしないと。真面目に仕事や勉強をしている人を認めるのがフランスだと思います」

 

パトリス・ルロワ - フランス文部省所属、慶應義塾大学専任講師

フランスニュースダイジェスト1000号記念特集

パトリス・ルロワパトリス・ルロワ - フランス文部省所属、慶應義塾大学専任講師 - 日仏の架け橋となった人物

Patrice LEROY
アミアン出身、パリ第13大学卒業。心理カウンセラーとして文部省に勤務後、日仏学院で講師を務める。その後外務省の文化担当官として、カメルーン、エジプト、ギリシャ、日本に駐在し、フランス文化、言語を海外に伝える任務を果たす。現在はフランス文部省に所属し、慶應義塾大学で専任講師を務める。

10年以上NHKのフランス語会話を担当し、持ち前の明るさとユーモアでフランス語を学ぶ楽しさを伝え続けているルロワ氏。読者の中にも、ルロワ氏のエネルギッシュなフランス語講座を受講していた人は多いのではないだろうか。そんなルロワ氏は1981年、旧ソ連のナホトカ港から船で横浜に到着した。フランス文部省を1年休み、放浪の旅に出て、目的もなくたどり着いた地だった。(取材・文:沖島景)

シベリア鉄道でたどり着いた
未知の国、ニッポン

当てもなくたどり着いたアジアの国

大学を卒業してから、フランス文部省で学校の心理カウンセラーとして働いていたルロワ氏。

「心理カウンセラーは規定では週に27時間働かなくてはいけないのですが、私の場合には60時間も働いていたことがあった。夜中に『パトリス、助けて!』と児童から電話があり、パジャマの上からズボンを履いて、慌てて走って出て行ったり。そんな生活をしているうちに、自分がおかしくなってきてしまったんですね」。少し子供たちから、仕事から離れたいと、1年間の休暇をもらい、放浪の旅に出ることにした。目的もなく、西ドイツ、東ドイツ、ポーランドを回り、シベリア鉄道で途中下車しながら、最終的にたどり着いたのが日本だった。

「見るもの全てが新しく、面白かったです。私は心理学をやっていましたから、西洋で勉強をしたフロイトやユングの思想というのが、理論としてアジアの日本の社会にも当てはまるのか、ということに興味を持ち、毎日目を見開いて観察していました」  

こうして日本人観察に夢中になる一方、旅の資金が底をつき、NHKテレビ会話、日仏学院の講師として働くことになる。そのころには既に休暇の1年が終わるころで、本来はフランスへ戻らなくてはならなかったが、日仏学院はフランス政府が運営しているため、ルロワ氏はフランス文部省から派遣されているという形で、そのまま日本に残ることができたのだ。

「カウンセラーから、フランス語、文化を日本に広めるという役割に変わったわけですが、結局同じなんですよね。というのは、日仏学院にフランス語を学びにきている人の中には、フランスやパリに興味があるという人以外にも、日本の社会でフラストレーションを感じ、現実逃避したいから通っている人がいるわけです。だから、そういう人の相談に乗っている時間が多く、本当に忙しかったですよ」

その後日仏学院の学長をしていたロッシュ氏に引き抜かれ、外務省勤務に転身。フランス語が主流でない国へ赴任し、文化センターを作ることが任務となった。持ち前の社交性と天才肌のアイデアを生かし、型破りな方法で前進するルロワ氏は、現地のフランス大使館とぶつかり、担当者からお叱りを受けることもあった。しかし現地市民には必ず喜ばれるプロジェクトを提供した。例えばギリシャでは国営放送でフランスの番組を制作。人気番組となり、拠点にしていたテッサロニキの名誉市民の仲間入りを果たした。ギリシャの後には大阪赴任となり、アリアンス・フランセーズの館長を務めた。しかし当時のシラク大統領が核実験を行ったことに反発。「自分がこれ以上、国の方針を黙って受け入れるのか?と自問し、デモに参加したり、実名で核実験反対の記事をルモンド紙に寄稿したりしていました」。そして外務省を自主退職する。その後は一度アメリカで事業を行い、2年後にフランスへ帰国した。目まぐるしい80年代、90年代だった。

フランス語講師として再び日本へ

フランスへ帰国後は文部省に戻るが、再び日本から声が掛かり、日本の国立大学でフランス語を教え始めることになった。2年目からはNHKのフランス語会話の仕事も始まり、これまでに日本の有名大学をはじめ、テレビやラジオでフランス語を教えてきた。

「フランス語は俗語が面白いですね。日本語で俗語というと、ちょっと汚いイメージがあるかもしれないのですが、フランスの俗語は違います。言葉の裏の気持ちを理解して使えば、シチュエーションをもっと豊かに表現することができる。例えば『manger(食べる)』という動詞は、スタンダードな言葉ですが、気持ちが感じられない。それに対して『bouffe(食べ物)』という言葉を使って『bonne bouffe(おいしい食事)』と言えば、このひと言だけで、みんなでワイワイと楽しくご飯を食べる様子がイメージできます。実際、フランスに住んでみてお分かりだと思いますが、フランス人は会話の中の40%くらいは、教科書に載っていないような俗語で話しています。だから私は大学でも俗語を教えます」

日本のイメージの変化

あてもなくたどり着いた日本と関わり続けて早30年。その間、日仏関係はどのように変化してきたのだろうか。  

「80年代くらいまでは、日本のイメージというのは正直言って、それほどいいものではありませんでした。有名な話で言えば、シャルル・ドゴール大統領が池田勇人首相のことを『トランジスタラジオのセールスマン』と言ったり、女性初の首相となったエディット・クレッソンが日本人のことを『働くアリ』と揶揄したり……。日本人というと、仕事ばかりしていて、人生の何が面白いのか?という印象が強かったのだと思います。しかしそれがだんだん、漫画や料理のお陰でイメージが変わってきました。今フランス人は他のアジア人と日本人をはっきりと区別して認識していますね。また、グローバル化でオタクが増えているということにも関係しているかもしれません。人間って、あまりにもスペースが広いと、怖くなるんですよね。自分がいったい何をすればいいのか分からなくなってしまう。それで自分の世界に入り込めるオタクとか、引きこもりが増えている。そういう人には漫画の世界がピッタリと合うわけです。フランス人のオタクと日本人のオタクって、とても似ていますよ」

史上最強のフランス語のEメール&チャット表現事典

パトリス・ルロワ (著)

Eメールの例とチャットの例を用途ごとに分け、文法事項、決まり文句を解説し、ポイントを整理。必要な部分を組み合わせ、メールをすぐに作成することができる。

ナツメ社 ISBN:978-4-8163-4879-2

 

夏の音楽フェスティバル

フランス夏の音楽フェスティバル

クラシック ポップ、ロック、エレクトロ ジャズ 演劇などその他

Classique クラシック

クラシックは永遠。世紀を超えた心に響く音楽を聴きに、各地に足を伸ばしてみては。

5月17日、7月24〜27日
Itinéraire baroque en Périgord

ペリゴール

アムステルダムバロック管弦楽団の設立者で、バロック音楽の名士、トン・コープマンが主宰。手つかずの自然の中にロマネスク様式の美しい教会が点在するペリゴールに魅せられたコープマンは、ここにバロック音楽をもたらしたいと、2002年にこのフェスティバルを創設した。大自然を背景に、優雅に音楽鑑賞ができること請け合い。

TEL: 05 53 90 05 13
www.itinerairebaroque.com

5月20日〜28日
Festival de l'Épau

ルマン

12世紀、ルマンにあるエポー修道院の音響効果に感嘆した修道士たちが賛美歌を歌い始めた。コーラスに室内管弦楽も加わり聴き応えのあるプログラム。

TEL : 02 43 84 22 29
epau.sarthe.com

6月1日〜29日
Festival de musique ancienne et baroque de St-Michel

ティエラシュ

Festival de musique ancienne et baroque de St-Michel 古楽とバロックの演奏は毎週日曜日。ベルギーの国境に近い町ティエラシュにある修道院で、パリ・オペラ座の合唱指揮者を務めたエルヴェ・ニケから、カウンターテナー歌手フィリップ・ジャルスキーまで豪華な顔ぶれがそろい、パイプオルガンやチェンバロ演奏、美しい歌声を響かせる。

TEL : 03 23 58 23 74
www.festival-saint-michel.fr

6月3日〜27日
Festival de St-Denis

サン・ドニ

歴代のフランス国王が眠るサン・ドニ大聖堂とナポレオン時代に女子教育の学校だったレジオン・ドヌールが会場。5月27日のプレミアショーは、カイヤ・サーリアホ作曲のシモーヌの受難曲。周辺の教育機関とともに討論会や展覧会なども開かれる。

TEL : 01 48 13 06 07
www.festival-saint-denis.com

6月5日〜7月2日
Festival d'Auvers-sur-Oise

オーヴェル・シュル・オワーズ

オーケストラ、ピアノリサイタル、ナポリの歌など、バラエティーに富んだ約20の演奏プログラムが用意されている。古城、教会、劇場と会場もさまざま。

TEL : 01 30 36 77 77
www.festival-auvers.com

6月5日〜8月14日
Festival Baroque de Tarentaise

タランテーズ

爽やかなサヴォワの山間でバロック音楽のコンサートを鑑賞しよう。ユニークなのは、バロック時代にフランスと友好関係にあったというオスマン帝国のアフガニスタン、トルコ、アルメニアなどの音楽まで紹介されること。

TEL : 04 79 38 83 12
www.festivaldetarentaise.com

6月7日〜15日
Festival de musique

ストラスブール

ストラスブールの大聖堂をはじめ、美しい名所がコンサート会場に。76回目の今年は、ドイツの作曲家リヒャルト・シュトラウスの生誕から150年を記念した演奏も組み込まれている。

TEL : 03 88 44 45 46
www.festival-musique-strasbourg.com

6月13日〜22日
Fêtes musicales en Touraine
– Festival de la Grange de Meslay 50eme anniversaire

ソントル

今年は50周年記念。世界でも人気の高いピアニスト、ニコライ・ルガンスキーやアンヌ・ケフェレック、 ジャック・モデルヌ・アンサンブルなどが参加して大いに盛り上がる。

TEL : 02 47 21 65 08
www.fetesmusicales.com

6月19日〜7月19日
Les Flaneries Musicales de Reims

ランス

名ピアニスト、ジャンフィリップ・コラールが練り上げたプログラム。期間中は57のコンサートが目白押し。シャンパンメーカーの広い敷地内で野外コンサートというのも、ランスならでは。

TEL : 03 26 36 78 00
www.flaneriesreims.com

7月2日〜22日
Saoû chante Mozart

ドローム

モーツァルトを愛し、音楽を楽しみたい人たちのためのフェスティバル。ピクニックをしながらフィリップ・ベルノールやゴーティエ・カプソンらの一流の演奏を聴くことができる。堅苦しいことは一切なし。

TEL : 04 75 76 02 02
www.saouchantemozart.com

7月3日〜14日
Festival International de Colmar

コルマール

ロシア出身のウラディーミル・スピヴァコフが音楽監督を務める今年は、偉大な指揮者であり作曲家でもあったエフゲニー・スヴェトラーノフへオマージュを捧げる。アルザス・コルマールの魅力溢れる町並も堪能したい。

TEL : 03 89 20 68 97
www.festival-colmar.com

Pop / Rock / Electro ポップ・ロック・エレクトロ etc.

ステージのミュージシャンと一体になれる瞬間は何とも快感。開放的な夏だからこそ聴きたい。

5月28日〜6月1日
Nuits Sonores

リヨン

リヨンの町50カ所をステージに世界中から250人のアーティストが参加し、10万人が集まる。エレクトロ、テクノ、トランス音楽などが中心のレベルの高いフェスティバル。

TEL : 04 78 27 86 04
www.nuits-sonores.com

6月3日〜6日
Main Square

アラス

重要な歴史的建築物が立ち並ぶアラスの町。開催10年目の今年は、ユネスコの世界遺産に登録されている要塞で英国のバンド、アイアン・メイデンのヘヴィメタルなど迫力のサウンドが響く。

mainsquarefestival.fr

6月4日〜6日
Eurockéennes de Belfort

ベルフォール

Eurockéennes de Belfort チーズなどの特産物でおなじみの仏東部、スイスの国境に近いベルフォール。フランス大革命から200年を記念して創始されたこのフェスティバルは、今やヨーロッパでも重要な位置付け。これまでジェームス・ブラウンやデヴィット・ボウイ、レッド・ホット・チリ・ペッパーズなど大御所がこぞってやって来た。今年はシャカポンク、ストロマエ、デンマークの新星MØらが登場する、見逃せないステージが目白押し。手軽な値段で、充実したメニューを提供しているスタンドも立つ。

www.eurockeennes.fr

6月5日〜7日
Europavox

クレルモン・フェラン

紀元前に築かれたオーヴェルニュ地域圏の首府、クレルモン・フェラン。スウェーデンのシンガー・ソングライター、エリファントやドイツ・ベルリンのダークエレクトロアーティスト、トマス・アジエールなど、ヨーロッパで人気のミュージシャンに出会える。

www.europavox.com

6月20日〜22日
Hellfest

クリソン

ナント近くの古城跡と遊歩道がロマンチックなクリソン。その小さな町にハードロック、ヘビーメタルのビッグネーム、エアロスミス、メガデス、アイアン・メイデン、ディープ・パープルなどが勢ぞろい。

www.hellfest.fr

6月27日・28日
Le Rock dans tous ses états

エヴルー

ガロ・ローマの人々が住み、カトリックの司教座が置かれるなど、見どころたっぷりの歴史の町、エヴルー。夕方から始まる競馬場でのコンサートは明け方3時まで若い熱気が充満する。

www.lerock.org

6月27日〜29日
Solidays

パリ

エイズ撲滅がスローガン。27、28日は明け方まで、約50組のスターたちによるコンサートが続き、ロンシャン競馬場は熱気に包まれる。昨年末死去したネルソン・マンデラ氏に感謝を捧げることが今年のテーマでもある。

www.solidays.org

7月4日・5日
Festival Bobital l'Armor à sons

ボビタル

サン・マロに近い町、自然豊かなボビタルが熱くなる2日間。ノーティ・ボーイ、ベン・ロンクル・ソウル、クリス・キャブら、今をときめくポップ、ロックのスターたちが参加する。

www.bobital-festival.fr

7月10日〜14日
Les Francofolies

ラ・ロシェル

大西洋に面するビスケー湾の港町、ラ・ロシェルの町をあげての大規模なイベント。フランス語圏のミュージシャンが一堂に会する。30回目の今年は、フランスで大人気のクリストフ・マエやコンスタンス・アミオをはじめ、約100組が勢ぞろい。またテーマ別で幾つものコンテストが行われる。昨年死去した「フランコフォリ」の創始者ジャンルイ・フルキエール氏にオマージュを捧げる。

TEL : 05 46 28 28 28
www.francofolies.fr

7月11日〜13日
Musilac

エクス・レ・バン

温泉地で名高い、ジュラとアルプスの山、そして湖の町、エクス・レ・バン。ストロマエ、プラセボ・シャカポンク、-M-、FFF、バレリー・ジューン、フォーヴなど、出場する有名ミュージシャンは枚挙にいとまがない。

www.musilac.com

7月17日〜19日
Le Grand Souk

リベラック

仏南西部、 ドルドーニュ川の支流ドロンヌ川が流れる小道の町リベラックでフレンチ・ミュージックを中心に楽しめる。フレンチ・エレクトロ・ユニットのSebastiAnやヴァネッサ・パラディが出演。

TEL : 05 53 92 52 30
www.legrandsouk.com

8月8日〜10日
Pantiero Festival

カンヌ

夏はさらに人気の保養地カンヌ。カミング・スーン、WOODKIDらフランスのミュージシャンに加え、DJのボノボやブルトンなど、英国で高い評価を受けているミュージシャンも登場。

TEL : 04 92 99 33 82
www.festivalpantiero.com

8月9日・10日
Fête du Bruit dans Landerneau

ランデルノー

多方面で活躍するフランス人アーティスト、Woodkidやドイツのエレクトロ・ミュージックシーンをリードするDJ、ポール カークブレナーらがやって来るのは、ブルターニュ西端の入江の町、ランデルノー。

TEL : 02 98 30 30 15
festival-fetedubruit.com

8月22日〜24日
Rock en Seine

パリ

夏の終わりを告げるロックの祭典「ロック・アン・セーヌ」。パリ近郊のサン・クルー公園には若いアーティストが繰り広げるステージで連日興奮が止まらない。

TEL : 02 98 30 30 15
festival-fetedubruit.com

Jazz ジャズ

ヨーロッパ文化の中で特別な地位を築いたジャズ。交流を大切にする温かみのある音楽に触れたい。

5月12日〜24日
Jazz in ArlesJazz in Arles

アルル

南仏アルルの教会で「今のジャズ」を聴こう。若い才能からベテランまで幅広いミュージシャンが参加。初日には、フランスのヌーヴォ・ロマン作家、ミシェル・ビュトールを迎え、アメリカ人ピアニスト、マーク・コープランドの音楽とレクチャーの興味深い共演がある。

TEL : 04 90 49 56 78
www.lemejan.com

5月15日(木)~5月25日(日)
Festival Jazz à St Germain des Prés

パリ

ナ・ユンソン2001年から行われているサンジェルマン・デ・プレのジャズ・フェスティバルはパリのジャズシーンで今やメジャーな存在。今年もブラジル出身のボーカリスト、イリアーヌ・イリアスやアーバン・ ミュージックのディーバ、ケリーリー・エヴァンス、フランス人ピアニスト、エマニュエル・べクスや韓国のスター、ナ・ユンソンなどそうそうたる顔ぶれだ。

TEL : 01 56 24 35 50
www.festivaljazzsaintgermainparis.com

5月23日〜25日
Jazz Pourpre Périgord

ベルジュラック

木組みの家、石畳の街並、緑と水に恵まれたペリゴールの入口、ベルジュラックはスポーツも盛ん。トマ・エンコら、明日のフレンチ・ジャズを作る若手ミュージシャンが多数出場するから、若い世代にお薦め。

TEL : 05 53 57 71 51
www.jazzpourpre.com

5月27日〜6月1日
Luberon Jazz Festival

リュベロン

ローヌ川流域の緑豊かで魅力溢れる町、リュベロンには、アーティストたちが訪れてやまない。フランスはもとより、英国、リュクセンブルグ、アルメニア、セネガルのミュージシャンのノリのいいリズムに耳を傾けよう。

TEL : 04 90 74 55 98
www.luberonjazz.net

5月28日〜6月1日
Jazz en Comminges

サン・ゴーダンス

ピレネー山脈の麓、古代から交通の要所として、またキリスト教会で要地として栄えたサン・ゴーダンス。キューバからチューチョ・バルデースを迎えるなど、ジャズファンが満足するプログラムに加え、展覧会、映画上映なども充実している。

TEL : 05 61 94 77 61
www.jazzencomminges.com

6月18日~28日
Orléans'Jazz

オルレアン

ロワール川の渓谷にある風光明媚な歴史の町、オルレアン。アメリカの名ギタリスト、パット・メセニーのグループやアラビックジャズトランペッター、イブラヒム・マーロフも参加し、レベルの高い演奏が聴ける。

TEL : 02 38 24 05 05
www.orleansjazz.fr

6月27日〜7月12日
Jazz à Vienne

ヴィエンヌ

リヨンに近いヴィエンヌでは、古代劇場を含めた会場で国際色豊かなミュージシャンの演奏が楽しめる。ジャズパレードや無料のコンサートなど魅力たっぷりの趣向が凝らされている。

TEL : 04 74 78 87 87
www.jazzavienne.com

6月27日〜8月7日
Jazz à Montauban

モントーバン

ミディ・ピレネー地方の行政の中心、中世建設都市の町。1カ月以上にわたって、ジョージ・ベンソン、ベン・ロンクル・ソウル、ケジア・ジョーンズ、 チューチョ・バルデースらが連日熱のこもった演奏を披露。

TEL : 05 63 63 56 56
www.jazzmontauban.com

7月8日〜12日
Nice Jazz Festival

ニース

ジプシー・キングス夏のニースを盛り上げるのに欠かせないこのフェスティバルは、1948年にスタートした世界で初めてのジャズ・フェスティバルという。65回目の今年はリシャール・ガリアーノやジプシー・キングスも参加し、最後のとりはブラジルのスーパースター、エヂ・モッタとニース・ジャズ・オーケストラ・ホーンズの共演というから、日程に合わせて旅行したい。

www.nicejazzfestival.fr

7月11日〜20日
Jazz à Juan

ジュアン・レ・パン

コートダジュールのジュアン・レ・パンがジャズの町と化する9日間。59年にパリで客死したアメリカ人のサックス奏者、シドニー・ベシェを追悼し始まったこのフェスティバルは例年通りの豪華な顔ぶれ。スティーヴィー・ワンダーやジョージ・ベンソンらベテランから、今をときめく韓国人ボーカリスト、ナ・ユンソンまで聞き逃せないコンサートが詰まっている。

TEL : 04 22 10 60 01
www.jazzajuan.com

7月21日〜27日
Serres Jazz Festival

セール

奇岩に沿って作られた町並みが特徴のセールは、清々しい高地にあって、グルノーブル、ガップ、マルセイユ、ニースなどにアクセス可。さまざまなジャズの楽しみ方を提案するこのフェスティバルは全て無料で鑑賞できる。

TEL : 04 92 67 00 67
www.festivaldejazzdeserres.com

7月28日〜8月17日
Jazz in Marciac

マルシアック

フランスのジャズのメッカとなったミディ・ピレネーのマルシアック。のどかな田園がジャズ一色に染まる3週間は、ラッキー・ピーターソンとジェフ・ベックのギターで開幕。続いてハービー・ハンコックらビッグネームが続々登場。盛り上がりが頂点に達する最終日の16・17日は、複数のオーケストラが市庁舎前広場で無料コンサートを行い、閉幕する。

TEL : 08 92 69 02 77
www.jazzinmarciac.com

8月5日〜16日
Jazz en Baie

モン・サン・ミシェル

ジャズに加え、ヒップ・ホップなどの躍動感溢れるステージも盛り込まれる。入場無料のコンサートも多数。フランスNo.1の観光名所、修道院のあるモン・サン・ミシェルの湾に少し長居してみては。

TEL : 02 33 50 55 57
www.jazzenbaie.com

8月15日
Jazz aux Greniers

オンフルール

絵画の題材となるノルマンディーの港町、オンフルールのフェスティバルは今やジャズファンを引き付けてやまない。偉大なるデューク・エリントンの没後40年に当たる今年は、彼にオマージュを捧げるスウィングジャズも見もの。

TEL : 06 08 81 68 76
www.jazzauxgreniers.com

8月16日〜20日
Jazz à Ramatuelle

ラマチュエル

アーティストと観客が一体となれるようにと小さな野外ステージから始まったコートダジュールのフェスティバル。ベテランピアニスト、ヨアヒム・キューンや現代ジャズを表現するサックス奏者、ジャック・シュワルツバルトらと接してみては。

TEL : 04 94 79 10 29
jazzaramatuelle.com

Théâtre / Danse / Opéra 音楽+演劇・ダンス・オペラ、etc

音楽以外の芸術も同時に楽しめるフェスティバル。

5月12日〜6月15日
Festival Jean de La Fontaine

シャトー・ティエリー

1991年から続く、音楽、演劇、ダンス、造形芸術など、多岐にわたる芸術、文化の発信の場。フェスティバルの名が冠された、フランスの詩人ジャン・ド・ラ・フォンテーヌの生家でもある博物館にもぜひ訪れたい。

TEL : 03 23 83 51 14
www.festival-jeandelafontaine.com

6月3日~8月2日
Les Nuits de Fourvière

リヨン

町の劇場や美術館などで音楽を含め、演劇、ダンス、オペラ、サーカスなどの芸術に気軽に触れることができる。エルトン・ジョーンやバネッサ・パラディ、ジュリアン・ドレ、エティエンヌ・ダオーらのコンサートも見逃せない。日が長くなった夏の夜、リヨンの町にくり出そう。

TEL : 04 72 32 00 00
www.nuitsdefourviere.com

6月19日〜8月1日
Festival de Carcassonne

カルカソンヌ

Festival de Carcassonne演劇、サーカス、ダンス、そしてクラシック、ポップなどの幅広いジャンルの音楽コンサートが盛り込まれた、城塞都市カルカソンヌで行われる。オペラの中のオペラといわれる「ドンジョヴァンニ」が上演される野外オペラのほか、バネッサ・パラディやジャクソンズ、エルトン・ジョーンら、例年通り豪華アーティストが一堂に会し、期待を裏切らない。

TEL : 04 68 10 24 30
www.festivaldecarcassonne.fr

7月4日~27日
Festival d'Avignon

アヴィニョン

南仏アヴィニョンの夏の風物詩、演劇フェスティバル。演劇やダンス、大道芸などの幅広い芸術のステージに加え、クラシックやポップ音楽の演奏も盛り込まれている。68回目の今年は、宮城聰が演出する舞台もある。

TEL : 04 90 27 66 50
www.festival-avignon.com


 

REcyclerie(ルスィクレリ)これからのパリ・カルチャー発信地

REcyclerieREcyclerie(ルスィクレリ)これからのパリ・カルチャー発信地

年間1100万人が訪れるというクリニャンクールののみの市がある、ポルト・ド・クリニャンクール駅。地下鉄4番線の終点で、複数のバス停があり、数年後にはトラムも開通する予定だ。パリ郊外と市内を結ぶ交差点として賑わうこの地に、エコ・フレンドリーなカルチャースポット「REcyclerie」が建設中であるのをご存じだろうか。

かつての環状鉄道の廃駅を利用

「REcyclerie」は、かつてパリ市内を運行していた環状鉄道「プティト・サンチュール」のオルナノ駅を改装して作られている。「プティト・サンチュール」は、その一部が現在でもRER線として再利用されているものの、既に線路が取り除かれ整地された場所も多く、ラ・ミュレットにある「LA GARE」のように、レストランなどに生まれ変わった場所も幾つか見られる。オルナノ駅は、1934年に廃業してから、空き屋であったり、銀行として使われたりしてきた。

REcyclerie
静まり返っていた線路に再び活気が戻る

常に大切にしたい「RE」

「REcyclerie」のコンセプトは、「この世に捨てるものはない」ということ。キーワードは「3R」で、réduire(削減:廃棄物を減らすために行動する)、réutiliser(再利用:中古として、物に第2の人生を与える)、recycler(リサイクルする:廃棄物を収集し、新しいものに作り変える)ことを具現化していく。 「3R」の頭に「RE」がついているように、回収する(récupérer)、修理する(réparer)、復元する(recréer)、よみがえらせる(renaître)など、再利用を示す言葉の頭につく「RE」。まさにこれこそがコンセプトであり、プロジェクトの名前も「REcyclerie」と「RE」が大文字で飾られている。

「たとえば、小さな家電が壊れたらどうしますか?捨てますか?でも、もしかしたら直して使えるかもしれない。大量消費社会の中で、壊れたら捨てる、そして新しいものを買うという癖がついていますが、これからの時代は違う。捨てるものは何もないという考え方、習慣を、この『REcyclerie』を通して発信していけたらと思っています」と説明するのは、このプロジェクトのディレクターのステファン・ヴァティ ネル氏。これまでにも、パリのコンサートホールのGlazartやクラブ、ラ・マシーヌ・デュ・ムーラン・ルージュなど、さまざまなパリの流行スポットを手掛けてきた。  

「REcyclerie」では、文化的、社会的な行動を通してコンセプトを理解してもらうことを目指している。例えば、あらゆる修理を受け付ける「Chez Renéのアトリエ(Renéは、フランス語のrenaître =よみが えさせるに由来)」では、直したいけれど道具がない、やり方が分からないという人のために、修理方法を伝授するアトリエを開催。線路が見渡せる中央の部屋では、「シネマの月」、「音の月」、「視覚の月」など月ごとにテーマを設定し、テーマに沿って、廃棄物を再利用して新しいものを作るアトリエや、楽器作りをする日、また見終わったDVDを交換する日などを設定する予定だ。また環境保護団体などのアソシエーションとのコラボレーション企画も計画している。

「REcyclerie」では食べ物にもこだわりを持つ。体に、そして環境に良い食材を選ぶ習慣をつけるために、工夫したメニューが考案されている。ランチ時には、この地区で働く労働者や学生の要望に合わせ、簡単でリーズナブルな食事を用意。夕方にはブランチならぬ「drunch」、つまりお酒を飲みながらつまみを楽しめるような時間を過ごせる。夜はインターナショナルな料理が提供される予定。また、外のテラスにはキッチンカーがやってきて、さまざまなジャンルのストリートフードを楽しめるように計画を練っているのだそう。

REcyclerie
旧駅舎の裏にあるテラスには、植物が植えられる予定

線路沿いに活気が戻る

「プティト・サンチュール」の線路はまだ当時のまま残されているが、安全上の理由から線路に立ち入ることは禁止されている。ただ、線路沿い約300メートルは「REcyclerie」オープンと同時に開放される予定で、パリ市民たちが楽しめる憩いの場となるように、雑草部分を整備し、週末を中心に屋台を出したり、イベントを企画する予定だ。

ヴァティネル氏らが手掛けたものの中でも、特にカルチャースポットとして注目を集めたのが、10区にあるゲットー博物館(Le Comptoir Général)。ゲットー文化を広め支援するために作られたが、堅苦しさを取り、おしゃれで異国情緒溢れるバーとレストランを併設させたり、テーマを設定してイベントを開催したりと、気軽に訪れることができるスポットを作り上げた。ヴァティネル氏によれば、「REcyclerie は、ゲットー博物館と同じようなコンセプト」なのだそうだ。

本当は5月1日にオープン予定であったが「間に合いそうもない。でもいいんです。完璧ではないものを作り変え、新しいものに作っていくわけですから、コンセプトとしてはぴったり」と笑顔のヴァティネル氏。さすがフランス、といったところだが、今のところ5月中旬オープンを予定している。

REcyclerie - 83 bd Ornano 75018 Paris
http://www.facebook.com/larecyclerie2

 

ナポレオンのパリを歩こう

ナポレオン・ボナパルトナポレオンのパリを歩こう

1814年、ナポレオン軍の敗戦でナポレオン1世が退位してから、またナポレオンの最初の妃ジョゼフィーヌの没後200年に当たる今年は、ナポレオンが話題にのぼることが多い。英雄ぶりを発揮した1799年から約15年間、実に多くの大改革を行ったナポレオン・ボナパルトは「パリを世界一美しい都にする」という野望を掲げ、パリの顔を大きく変えようとした。それは、ナポレオン自身の栄光、偉大さをパリに投影し、誇示したかったからにほかならない。そんな妄想家ナポレオンのお陰で、パリが魅力的に生まれ変わったことも確かだ。マルメゾン、サン・クルーなどナポレオンに関わりが深い場所はパリ郊外にもあるが、今回はナポレオンゆかりのパリを一緒に巡ってみよう。(Texte : Satomi Kusakabe, illustrations et collaboration amicale : Arnaud d'Aunay)

ナポレオンのパリ

01ノートルダム大聖堂皇帝ナポレオンの戴冠
皇帝ナポレオンの戴冠

人々が仰天するような、威厳ある、それでいて秘跡めいた儀式が行われたのは1804年12月2日。参列者たちは戴冠式をはっきりと見届けることが できなかった上、朝8時から夕方5時までの儀式の間寒さと飢えに耐えたという。かの大作「ナポレオンの戴冠式」を描いた画家ダビッドは、最高の場所からこの一大儀式を見事にスケッチした。妻に戴冠させるナポレオンを描いたダビットに、ナポレオンは「君は私をフランスの騎士にしてくれた」と賞賛の言葉を贈った。1793年にカトリックの礼拝が禁じられたノートルダム大聖堂で、法王ピオ7世により皇帝に聖別された、ちぐはぐな儀式をナポレオンは考えたのだ。

ポン・ヌフポン・ヌフ

装飾が施された50台の馬車が橋を通過するが、スペイン風の礼服をまとった皇帝を見分けることができなかった。

02リヴォリ通り
パリの西と東を結ぶ貫通道路

リヴォリ通りパリの道路は狭くて不衛生で暗く、交通事情も危険で混 沌としていた。既にルイ14世の時代にチュイルリーからシャンゼリゼまでの通りはできていたが、パリの東に抜 ける道路がなかった。そこでナポレオンは1802年、コンコルド広場からルーヴルを通り、バスチーユ広場に抜ける道路の建設を計画。デラックスな通りにすべく、通り沿いに槌や焼き釜などを扱う商人、つまりパン屋や肉屋などの出店を禁じる法令を出す。均整のとれた控えめな建築と、市民が歩きやすいようアーケードをつくった。

03ラペ通り
パリ一美しい「ナポレオン通り」

リヴォリ通りの北から垂直に交差する幾つもの道を高級感のある通りにしたかったナポレオン。大投資家たちを引きつけるために、このエリアに投資した者に20年間税金を免除するなどの太っ腹な誘致作戦を講じた。その効果か、パリで最も美しい道の一つとなったヴァンドームエリアのラペ通り。王政復古の前までここは「ナポレオン通り」だった。

ヴァンドーム広場04ヴァンドーム広場
アウステルリッツの戦いでの勝利の記念柱

1806年、初代ルーヴル美術館館長になるヴィヴィアン・デノンが戦利品であるブロンズを使って記念柱をつくることを提案。オーストリア遠征のときにオーストリア、ロシア軍から奪った1200以上の大砲を溶かして柱とすることに。高さ45メートルの頂点にあったローマ皇帝姿のナポレオンの銅像は1814年の王政復古で取り外され、ポン・ヌフのアンリ4世像につくり変えられてしまった。パリコミューンでは柱ごと破壊されるという憂き目にあう。現在見るものは1873年に再現されたもの。

運河05運河
大都会に必要な水を供給

ナポレオンは、水の供給網を整備するため、ウルク、サン・ドニ、サン・マルタンの運河を建設することを命じた。また、パリ市民の生活改善のため、10カ所以上の給水場を作った。

06凱旋門
ナポレオン軍を称えるための門

凱旋門凱旋門の着工は1806年。当初は凱旋門をバスチーユに建てる予定だったが、最終的にパリの西部、エトワール交差点の真ん中に建設することに。ナポレオンはアウステルリッツの戦いで勝利した後、兵士たちと「家路に着く際には必ず凱旋門を通ること」を約束した。しかし凱旋門が完成したのは36年、ナポレオンが凱旋門をくぐったのは死後のことだった。現在、凱旋門の下では第1次世界大戦で戦死した無名戦士のために毎晩灯をともす儀式が行われている。1945年来、12月2日にはナポレオンのファンたちがこの行進に追随している。

マドレーヌ寺院07マドレーヌ寺院
英雄たちの寺院

軍の英雄たちを称えるための寺院を建設したかったナポレオン。建物の周りに憧れだった古代の神殿のようなコリント式円柱を施した。ルイ15世のときに建設が始まった教会だったが工事は遅々として進まず、ナポレオンが引き継いだ。パリのネオクラシック建築の傑作。

08ブルボン宮(国会議事堂)ブルボン宮
「沈黙の議会」

ルイ14世の娘により建てられた建物にナポレオン時代、議員など300人が演説を聴き、投票するために集まった。「参加」というよりは聞くだけの「沈黙の議会」だったようだ。今見られる12本の柱がある古代神殿のような建物ができたのは1806年。

セナ(元老院)09セナ(元老院)
第一執政のナポレオン

リュクサンブール宮には、1799年に新憲法を 尊重するよう、見張り役の執政政府が置かれた。同年のクーデタで総裁政府が倒れてから、1804年ナポレオンが帝位につくまでの執政政府では、ナポレオンが第一執政として実権を握っていた。

証券取引所10証券取引所
金融の中心

かつてフランスの金融の中心だった証券取引所。この周辺にはナポレオンが設立したフランス銀行を含め、金融機関が集まり、活気に満ちていた。この建物も、やはりナポレオン好みの古代神殿スタイルだ。

シャトレのフォンテーヌ11シャトレのフォンテーヌ
ヤシのフォンテーヌ

シャトレ広場の真ん中にある噴水は、1808年にナポレオン軍の勝利を記念してつくられたもの。その別称「ヤシのフォンテーヌ」は、頂きに勝利の像が座している。記念碑であると同時に、飲料水の確保が難しかったパリの市民に水を提供し、市民生活の改善に役立っていた。

12チュイルリー宮
ナポレオンの居

チュイルリー宮1800年7月、ナポレオンが居を構える。フランス革命で国王一家がたどったおぞましい運命から、ルイ16世らに因縁のあるヴェルサイユではなくパリの宮殿を選んだ。チュイルリー宮は19世紀の終わりに火災に見舞われ、その後取り壊される。現在のチュイルリー公園には家々が立ち並んでいたがそれも取り壊され、コンコルド広場からルーヴルまで見渡せるすっきりした景観になった。

カルーゼル凱旋門カルーゼル凱旋門

勝利を称えるためのモニュメントには2つの目的があった。チュルリーへの入口の目印とすること、そしてイタリア・マレンゴの戦いの記念碑とすること。

13ルーヴル美術館
ナポレオン美術館

ルーヴル美術館王政が崩壊した後、ナポレオンによりかつてのルーヴル王宮内に「ナポレオン美術館」が開館。当時古美術品は非常に少なかった。1805年、入口の上部に皇帝ナポレオンの巨大な胸像が飾られる。ナポレオンはローマの義弟の見事な収集品を強制 的に買い上げ、さらに北イタリアの教会やローマ教皇領から奪った作品やイタリアやドイツの貴族たちの収集品も集めた。「大いなるものは常に美しい。大きくて広いものは、多くの欠点を忘れさせることができる」とは、ルーヴル宮を世界一の美術館にする大計画を推し進めるナポレオンが何度も建築家に述べていた言葉。

14Hôtel Mondragon
ジョゼフィーヌとの挙式

Hôtel Mondragonヴァンドーム広場近くのモンドラゴン侯爵の館が押収されて、パリ2区の区役所となった。ここで1796年3月9日、ナポレオン・ ボナパルトとジョゼフィーヌ・ドボアルネが結婚式を執り行った。2人はこのすぐ近く、シャントレンヌ通りの邸宅に住んでいたのだ(今は存在しない)。侯爵の館は現在パリバ銀行となっている。挙式のあったサロンは、現在銀行のディレクター室で、ジョゼフィーヌの胸像も飾ってある。(非公開)3 rue d'Antin 75002 Paris

15レジオン・ドヌール博物館

レジオン・ドヌール博物館国家に大きな功績をもたらした人物に与えられる栄典、レジオン・ドヌールはナポレオンが制定。フランス革命以降、市民の平等の原則を前に、レジオン・ドヌール勲章の必要性を訴えることはナポレオンにとって難しかった。この博物館にはレジオン・ドヌール勲章やその歴史などが展示されている。

16Hôtel de Beauharnais

1803年ジョゼフィーヌの息子ウジェーヌ・ドボアルネの所有となった、パリにおけるナポレオン時代の最も美しい内装を誇る建物。その豪華絢爛な内装のために多額の出費をするウジェーヌにナポレオンは恐れ、工事をやめさせたという。現在は在仏ドイツ大使館。(非公開)78 rue de Lille 75007 Paris

アンヴァリッド17アンヴァリッド
セーヌのほとりに眠るナポレオン

ナポレオンの遺骸が納められている金色に輝くドーム教会。中央の祭室に大きな棺が置かれている。ナポレオンは失脚後、南大西洋の孤島セント・ヘレナ島に幽閉され、そこで死去した。ナポレオンの遺体がパリに戻ったのは死後およそ20年後の1840年。近衛猟歩兵連隊のユニフォームをまとい、さらに6重の棺に入れられ安置されている。「余がかくも愛したフランス国民に囲まれ、セーヌ川のほとりに永眠することを願う」。廃兵のための建物に、軍人として戻ってきたようだ。

セント・ヘレナ島の墓石セント・ヘレナ島の墓石

ニーム回廊から中庭を見ると、ナポレオ ンの遺体とともにセント・ヘレナ島から 持ち込まれた墓石が認められる。

エリゼ宮18エリゼ宮

ナポレオンの義弟ミュラ公(ナポリ王)が1805年所有者となったエリゼ宮。銀の間とミュラの間の装飾はためいきがでるほどの壮麗さ。文化遺産の日には一般公開される。(非公開)

Shangri-La Hotel19Shangri-La Hotel

ナポレオン1世のおいの息子の邸宅だったが、現在は五つ星ホテル。2階のスイートルームは金の装飾など当時のままで、歴史的記念物に指定されている。


ナポレオンのシンボルを探してみよう

  • NN

    ナポレオンの頭文字。ナポレオンの時代の建造物、レジオン・ドヌールなどに見られる。
  • 鷲

    ナポレオンの紋章。ローマ神話の主神ユピテルの鳥でもあり、ローマ皇帝のシンボルでもあった。古代から軍の勝利と結び付く鳥。
  • 蜂

    不死と再生のシンボル。フランスの初代王朝を表す。

生活に必要なこんなこともナポレオンのお陰……


ナポレオン

番地

パリの建物には、道を挟んで交互に番地がふられている。番号は通りのセーヌ川に近い方から始まるようにし、それまで分かりにくかったパリの番地を1805年に整備したのはナポレオンだ。

消防隊

ナポレオンの統治下、パリでは中世風の木造建築や老朽化した建物などに、火災が広がっても消防隊が十分機能していなかった。そんな折の1810年7月1日、ナポレオンとマリールイーズ妃の出席したオーストリア大使主催の舞踏会で火災が発生。その惨事を目撃し、ナポレオンは消防隊を軍隊の一部とし、火災があったらいつでも出動できるよう、消防署を整えることを決めた。

その他、世界の模範となるナポレオン法典、大学組織を再編しポリテクニークなどのエリート養成機関をつくるなど、今に受け継がれる多くの功績を残した。


参考資料
Arnaud d'Aunay, Napoléon, empereur des îles, empereur d'exil,Gallimard, 2006
Karine Huguenaud, Balades napoléoniennes dans Paris, Nouveau Monde Editions, 2006
Geneviève Bresc, Mémoires du Louvre ルーヴル美術館の歴史、高階秀爾監修、創元社、2004
www.napoleon.org

 

パリの市場でみつけたフランスの魚

パリの市場でみつけたフランスの魚

東京では切り身にされて売られている魚が多いのに対し、
内臓が入ったままの状態で市場に並ぶパリでは、
店員にあれこれ注文してさばいてもらわなければなりません。
同じ科の魚でも、日本とフランスでは種類が異なり、
どの魚を選べばよいか、戸惑うことはありませんか?
そこでパリの市場で見掛けた魚を中心に
フランス語名、フランスでの食べ方をまとめました。
皆さんの食卓が豊かになりますように!
(Text: Kei Okishima)

参考文献: La Cuisine De A À Z、プチ・ロワイヤル仏和辞典

Sole シタビラメ

シタビラメ

平べったい魚で、少し頭が丸くなっている。皮は滑らかな茶色~灰色で、腹部が白。地中海、大西洋、イギリス海峡の海底で捕れる。フランスではパイ料理との相性がいいとして、使われる。脂肪分が少なく、たんぱく質が多い。ミネラルとビタミンB、PPが豊富。海の魚なので、ナトリウムが川魚に比べて多い。

フランスのレシピとワイン

フランスのレシピとワイン

ヒラメのグリル・オランデーズソース掛けにはボルドーの白ワインやバルザック、ゲヴュルツトラミネールなど。ヒラメのバターグリル焼きには、ムルソー、モンラッシェ (白)、タヴェル(ロゼ)など。

Cabillaud 生ダラ

Cabillaud 生ダラ

主に大西洋で捕れ、塩漬けされたものは「Morue」と呼ばれる。フランスでは切り身をフライにしたり、煮たり、焼いてマヨネーズソースやタルタルソースと頂く。生ダラの脂身、とくに卵には、豊富な ビタミンA、Dが含まれている。この二つのビタミンは骨を構成するのに不可欠なものなので、生ダラは幼児や思春期の子供などにお薦めの食材。生ダラの卵は、ときどき市場で生のまま販売されていることがある。また、大型スーパーなどでは「OEufs de Cabillaud Fumés」という名で、卵を薫製にしたものが売られている。これは通常フランスではカナッペや、タラマを作るときに使用する。日本の タラコに比べると塩がきついが、薫製の香りが気にならなければ、アツアツのご飯と一緒に食べてもおいしい。また皮を取ってすりつぶし、タラコパスタにすることもできる。

フランスのレシピとワイン

フランスのレシピとワイン

生ダラのフライにはプロヴァンスのロゼ、サンセールワインなど、生ダラのグリルにはプロヴァンスのロゼなど。

Turbot イシビラメ

Turbot イシビラメ

背中には斑点があり、腹部は白い。地中海、大西洋、イギリス海峡の海底 で捕れ、厚みのある身は白く、繊細な味わい。骨がなく、身が崩れやすい。そのため「Turbotière」と呼ばれるヒラメ専用の台形の鍋が売られており、クール・ブイヨンにするときにこれを利用すると身を傷つけることなく料理することができる。切り身として売られていることもあり、フライにしたり、焼いたり、蒸したりして食べる。南仏では「Clavelet」、「Rombou」という名前で呼ばれることも。

フランスのレシピとワイン

フランスのレシピとワイン

イシビラメのオイル、またはバター焼きにはグラーヴの白ワイン、シュヴァリエ・モンラッシェなど。

Lieu jaune, noir ボラック

Lieu jaune, noir ボラック

タラ科の魚。「Lieu jaune」は腹部 がブロンズ色のきれいな色合いで、「Lieu noir」は背中が黒い。北の方の海(イギリス海峡や大西洋など)で捕れる。小骨がない白身魚なの で、非常に食べやすい。ゆで過ぎると身が崩れるので要注意。

フランスのレシピとワイン

フランスのレシピとワイン

塩コショウ、薄く小麦粉をはたいた切り身を焼き、クリームをかけるリヨン風ボラック(付け合わせには炒めたタマネギとジャガイモを)にはミュスカデやロッシュ・オー・モワンヌ、グロ・プラン・デュ・ペイ・ナンテなど。

Haddock モンツキダラの薫製

Haddock モンツキダラの薫製

タラ科のモンツキダラに塩をもみ込み、薫製にしたもの。冷蔵庫に入れておけば、数日持つ。薫製のにおいがきついときは、牛乳で臭みを取るのが一般的。一度鍋で牛乳を温め、火から下しアドックを入れる。30分くらいたってから取り出す。ジャガイモと相性がいいので、アドックを温めた牛乳の残りを使用して、ジャガイモのピュレを作ることが多い。

フランスのレシピとワイン

フランスのレシピとワイン

牛乳でゆでたアドックに、溶かしバターをかけた「Haddock au beurre fondu」にはリースリングやシャブリなど。

Sardine イワシ

Sardine イワシ

ブルターニュやマントンとマルセイユの間にある地中海で捕れる。そのまま食べることもあるが、オリーブオイルやトマトソース漬けにして頂くことも。脂肪分の多い魚で、消化がしやすい魚ではないが、リーズナブルな値段でビタミンA、B、Dなど高い栄養が含まれるため人気。

フランスのレシピとワイン

フランスのレシピとワイン

イワシのブイヤベースにはミュスカデやグロ・プラン・デュ・ペイ・ナンテなど、イワシのオーブン焼きにはミュスカデ、イワシのマリネにはカンシー、サヴニエールなど。

Truite マス

Truite マス

マスは住んでいる場所や水の深さによって色が異なる。川や湖にいる天然マスは、明るい色か黒い色で、ほとんどが背中やほほ、脇に小さな点が見られる。湖のマスは大きいものが多く、時には10キロにもなるものが捕れることがある。天然のマスは身が締まっていて白い。しかし、エビを餌として食べていたマスは、身が薄いピンクに染まっている。また、「Truite de mer」と呼ばれるマスは、身が濃いピンク色をしている。ニジマスは「Truite arc-en-ciel」というが、魚屋では「Truite rose」として売られていることが多い。ニジマスは天然のマスに似ているが、体とひれ中に濃い色の斑点が見られる。

フランスのレシピとワイン

フランスのレシピとワイン

ブルターニュ風マス料理 (マスをバターで焼き、エビとマッシュルームを炒めたものを添える料理。ふかしいもを添えて)には、トゥーレーヌの辛口白ワイン、シャブリ。

Maquereau サバ

Maquereau サバ

海の魚で、イギリス海峡や大西洋で採れる。プランクトンを食べて大きくなる。少し脂身がある魚だが風味がいい。海の魚なので、ヨードが豊富で、ビタミンB、PP、A、Dを含む。消化しにくいので、小さい子供や病気の人は避けるべき。

フランスのレシピとワイン

フランスのレシピとワイン

さばのグリルには辛口白ワイン。さばのマリネにはロワール地方の白ワイン。

Rouget ヒメジ

Rouget ヒメジ

「Rouget-barbet」、 または「Rouget de méditerranée」は、背中が赤く、脇と腹部が銀めいたピンク色をしている。まれに頭が大きい「Rouget grondin」がヒメジとして販売されていることもある。ヒメジは少し脂身のある魚で、グリルにすると消化しやすい。良質なたんぱく質で、ビタミンBやPP、微量だがA、Dも含む。

フランスのレシピとワイン

フランスのレシピとワイン

ヒメジのオーブン焼きには、冷やしたプロヴァンスの辛口ロゼ。

Carrelet カレイ

Carrelet カレイ

四角い形(carré)からこの名前がつけられた「Carrelet」は左側に目があり、オレンジ色のきれいな斑点がある。カレイ冬には子持ちカレイを買うこともできるが、中を 抜いて販売していることもあるので、要確認。斑点がなく、長丸い形をした「Limande」もカレイ。

フランスのレシピとワイン

フランスのレシピとワイン

クリームソースをかけたカレイにはコトー・ド・ローバンスの白ワインやシードル(Cidre Bouche)、焼いたカレイにはミュスカデ、カレイのフライにはミュスカデやアンジュの辛口白ワインなど。

Bar スズキ

Bar スズキ

大西洋でも捕れるが、地中海で捕れる場合が多い。脂身の少ない魚で、栄養価が高く、たんぱく質が豊富。ヨウ素をはじめとするミネラルが豊富で、肉に比べてビタミンが多く含まれる。消化しやすい。地方によっては「Loup」、「Perche de mer」とも呼ばれる。

フランスのレシピとワイン

フランスのレシピとワイン

蒸したり、オーブンで丸焼きにしたり、ムニエルにしたり、クール・ブイヨンで下処理したものに、オランデーズソースを掛けたりして食べる。ワインはシャトーヌフ・デュ・パプの白または赤など。

Daurade ヨーロッパヘダイ

Daurade ヨーロッパヘダイ

両目の間にかかる三日月の金色から、その昔は「金色の眉」と呼ばれていた。地中海で捕れ、光るうろこに覆われている。フランスで はクール・ブイヨンで下処理して、タルタル ソースと合わせたり、ムニエルにしたり、トマトとフェンネルと一緒にオーブンで焼いたりする。プロテインが豊富で、ビタミン A、B、Dが含まれている。調理後にレモンをかけて食べると、ビタミンCも一緒に摂取することができる。

フランスのレシピとワイン

フランスのレシピとワイン

香ばしく炒ったアーモンドとマスカルポーネを混ぜたものをタイの腹部に入れ、オーブンで焼いた「Daurade aux amandes」 にはゲヴュルツトラミネールやコトー・ド・ローバンスの白ワイン、単純なオーブン焼きはシャブリやプイィ・フュイッセなど。

Merlan メルラン

Merlan メルラン

タラ科の魚。背中が灰色がかっている。メルランの多くはイギリス海峡、大西洋で捕れる。身は繊細でいろいろな方法で調理ができる。ほとんどの魚屋で売っている。肉よりもたんぱく質が多く、脂肪分が少ない。消化しやすいので、子供やお年寄り、胃腸が弱い人にもお薦め。ときどき、生の卵も見掛ける。ワインはミュスカデやグロ・プラン、カンシー、サヴニエールなどの白、またクリームソース系のレシピには、リースリングがお薦め。

Espadon メカジキ

Daurade ヨーロッパヘダイ

とがったくちばしが特徴のメカジキ。バルト海沿岸で捕れる。フランスでは基本的にマグロと同じような調理をすることが多く、焼いてニンニクやタマネギ、トマトを加えて煮込んだ料理にはカシスの甘口ロゼを。

Rascasse カサゴ

とげのある大きな頭を持ち、針のようなもので覆われてい る背びれが特徴。地中海やビスケー湾で取れる。茶色のものと、赤いものの2種類があるが、どちらも締まった白身魚。ブイヤベースや魚のスープには欠かせない魚。和食の場合には煮付けにするとおいしい。また「Rascasse」の代わりにユメカサゴのような「Sébaste」が売られていることもある。

Rascasse カサゴ

Lotte アンコウ

フランスの海岸ではどこでも獲れるが、特に泥水に住んでいる。フランスでは、一般的にタラ(CabillaudやColinなど)のように使われる。また、ブイヤベースや魚のスープにも使われる。「Baudroie」、「Crapaud de mer」、「Diable」とも呼ばれる。パリの市場ではたいてい切り身にされて売っており、柔らかくて美味な頬肉は少々高めで別売りされていることが多い。頬肉は、ベーコンをカリカリに焼き、フライパンで3分くらい軽く焼くのがおいしい。

Lotte アンコウ

Raie エイ

Raie エイ

ねばねばとした皮に覆われ、長いしっぽのある平たい魚。とても繊細な味で、脂身が少ないので、ダイエット中に食べる人も。太い骨なので、骨を取り除くのも簡単。少しアンモニアのにおいがする。エイのバター掛けには白ワイン。

Mulet (muges) ボラ

Mulet (muges) ボラ

地中海沿岸や大西洋で捕れる。パリの魚やではそのまま一匹売られていることが あるが、50センチくらいの大きな魚で、大きなうろこに覆われている。Barと同じように料理する。

Crevette エビ

Crevette エビフランスにはエビの種類がたくさんあるが、よく見るのが 赤いエビ、Crevette rose、もしくは少し灰色がかった小さ なエビ、Crevette griseだ。市場やスーパーでは既にゆでられたものが販売されていることが多い。その他、大型のエビはGambas、イセエビはLangouste、ロブスターはHomardという。イギリス海峡や大西洋沿岸で捕れる手長エビのLangoustineもフランス料理には欠かせない食材だ。 Ecrevisseはザリガニで、5~9月がシーズン。よく洗い、身を崩さないように腸を取る。フランス料理ではパイ料理、グラタン、ムース、魚のスープ、ピュレなど、さまざまな料理に使うことができる。ただ、辛いソースや風味を強くするような調味料を使うと、消化しにくくなるので避けるよう。

Crevette エビ

Seiche、Calmar、
Encornet(Chipiron)イカ

イカ

コウイカがSeicheと呼ばれ、ヤリイカなどはCalmar、Encornetとして売られている。Chipironは主に小さなイカで、南仏ではニンニクやトマト、辛口白ワインと炒めて食べられている。イカ墨はencre de seicheといい、スーパーでは小さなプラスチック容器に入って販売されている。

Bulot バイガイ

Bulot バイガイほとんどの魚屋で見掛けることのできる巻貝。生のものと、ゆでてあるものがある。生のものの場合には、沸騰させたお湯で20分ゆでて食べる。フランスではマヨネーズで食べることが多いが、わさびじょう油で頂くと酒のつまみとして最高。

Palourde あさり

Palourde あさり

貝は5センチほどの大きいも のが多く、イギリス海峡、大西洋、地中海で捕れる。生で食べることも多い。またエスカルゴのようにニンニクバターで焼いたり、グラタンにしたりする。あさりのグラタンにはカシスの白ワインやシャブリワインをどうぞ。

Crabe カニ

Crabe カニ

カニにはさまざまな種類があるが、主に見掛ける大きめのカニではイチョウガニの tourteau、もしくはケアシガニのaraignée de mer。クー ル・ブイヨンでゆでて、マヨネーズやアメリケーヌソースと一緒に頂くか、スープに入れることが多い。


魚屋で役立つフランス語

パリのマルシェや魚屋では、魚の種類にもよるが、切り身ではなく、そのまま一匹で売られていることが多い。どこの魚屋でも注文に応じてうろこを取ってくれたり、内臓を取り除いてくれたりする。

これをください Je voudrais celui-là.
このラスカス(ヒメジ)をください Je voudrais cette rascasse (ce rouget).
頭部だけください Vous voulez bien me donner seulement la tête, s'il vous plaît?
※la tête(頭部)の部分を
la queue de poisson(尾っぽの方)
la partie central(中央部分)などに変えれば応用可能
内臓を取ってもらいたいとき Vous voulez bien le nettoyer, s'il vous plaît?
うろこを取っていただけますか? Vous voulez bien l’écailler pour moi, s'il vous plaît?
生で食べられますか? On peut le manger cru?
小骨がありますか? Est-ce qu'il y a des arêtes?
切り身にしていただけますか? Vous voulez bien me couper les filets, s'il vous plaît?

魚を3枚におろした切り身をun filet、大きな魚の切り身はune darneという。
一切れ、という場合にはun morceauを使ってもOK。

魚の小話
4月の魚エイプリールフールは「4月の魚」

日本でもウソをついてよい日という風習のあるエイプリール フール。フランスではこの日を「Poisson d'avril(4月の魚)」と呼ぶ。起源については諸説あるが、2013年4月1日付フランス版ハフィントン・ポスト紙によると、1564年にシャルル 9世が新年を4月1日ではなく1月1日にすることにしたことに 由来するという。当時、新年にはプレゼントを交換する習慣があったが、なじみのある4月1日にこだわり、プレゼントを交換する人がいた。時とともにこのプレゼントがユーモアのあるものに変わっていったという。なぜ魚かというと、当時のプレゼントといえば食料をあげることが多く、キリスト教は四句節で肉を食べることが禁止されていたため、魚をあげるようになったのだそうだ。この魚はユーモアの伝統と融合し、本物の魚からにせものの魚に代わっていった。今でも4月1日には魚の形をしたチョコレートなどが売られている。

この日、子供たちは魚の絵を書いた紙を、気付かれないように友達の背中に貼る遊びをする。また、新聞やラジオなどの公共メディアも、冗談の範囲でウソのニュースを流す習慣がある。

ホタテ祭りシーズンの終わりを告げるホタテ
おもいっきり楽しみたい

ブルターニュ地方のホタテ祭りに行ってみよう

erquy

ホタテの漁は毎年10月に解禁となり、4月が漁の最後となる。この期間がホタテのシーズン。解禁を祝って秋にはさまざまな地方でホタテの祭りが開かれるが、シーズンの終わりである4月に毎年祭りを開くのが、ブルターニュ地方のコート・ダルモール県だ。

この地方の重要な経済活動となっているホタテ漁。今年は「食道楽な週末を」というスローガンとともに4月12~13日に祭りが開かれる。ホタテの漁は生態系の保護のため、週に2日(月と水)1回に45分と決まっている。エルキ港では60船が出発し、1回で約600キロのホタテを取ってくる。そして約4時間後には周辺の港と同時間に売り出される。

ホタテ祭りの日は、前述の漁の制限がなく、船に乗って漁をするところを見学することができる。また、今年から新しい試みとして、料理の楽しみを分かち合うために、星付きシェフによるホタテを使った料理のデモンストレーションが予定されている。他にも、新鮮なホタテの競売に参加できたり、周辺のレストランで特別に用意されたホタテを使った 料理を楽しめたりと、ホタテファンにはたまらないホタテ尽くし。もちろん、あさりやカキ、その他の魚も購入可能。また、ブルターニュ地方の伝統的な音楽のコンサートや、伝統工芸の紹介、ストリート・パフォーマンスなども予定されており、この地方を知るためにもっ てこいの週末となりそうだ。

2014年4月12日(土)、13日(日) エルキ港にて
www.erquy-tourisme.com (Fête de la Coquille)

 

パリ市長の歴史をたどる

パリ市長の歴史をたどる

目前に迫ったフランス統一地方選挙。
フランス、ひいては世界から注目されているのが首都パリでの市長選だ。
史上初の女性首長が誕生する公算が大きい2014年、
パリ市長の歴史にまた新たな1ページを刻みそうだ。
今回はパリ市長の歴史をひも解いてみることにしよう。
(Texte : Satomi Kusakabe)

パリ市長の前身は水の商人組合長

パリ市長の前身となる役職が置かれたのは13世紀。Prévôt des marchandsとprévôt de Parisという2大柱が、ヨーロッパの中心都市でもあったパリの町を統率していた。Prévôt de Parisは国王を代理する役職だったが、prévôt des marchandsはパリ市と水の商人組合の代表者だった。

人々の生活にとって大変重要な水の給水源は、パリにおいて極めて少なかった。そのため、セーヌ川の水をめぐって活発な取引が行われていた。そんな商人たちの組合が12世紀後半から組織され、給水の専売特許を有するようになる。その組合が徐々に力を持ってきて、パリに市庁のようなものを形作っていった。組合のまとめ役を任されていた頭がprévôt des marchandsであり、この役職はフランス国王の任命なしに就任することができた。

prévôt des marchands
1611年、prévôt des marchands
(写真左から3番目)と助役たち

当時の国王サンルイは、そのパリの市庁を改革しようと乗り出し、数人の助役とその長prévôt des marchandsを国王の権限の下に置くことにした。1260年ごろ、水の商人組合から初の選挙でprévôt des marchandsと助役たちが選出され、それ以降毎年8月16日に選挙が実施された。

Prévôt des marchandsの政治的権力がピークに達したのは1356~58年、エチエンヌ・マルセル(Étienne Marcel)のとき。パリを統治し、国王と対立関係にあったほどの権力を有したというから、フランスにおけるパリの町の重要さが分かる。82年の民衆の反乱後、prévôt de Paris とprévôtdes marchandsの力ははく奪された。最後のprévôt des marchands、ジャック・ドフルセル(Ja cques de Flesselles)はフランス革命の火ぶたが切られた1789年7月14日、市庁舎前で襲撃され、民衆の前に首をさらされたという。

最初のパリ市長はフランス革命真っただ中

パリ市長の地位が設けられ、一代目として就任したの は1789年の三部会で選出されたジャンシルヴァン・バイイ(1736-93)。アカデミー・フランセーズの会員で もあった天文学者だ。フランス革命直前にヴェルサイユ 宮殿で、かの「球戯場での宣い」を行った人物でもある。彼は第三身分である平民の集まりを代表し、新憲法を制定し、国民議会を認めるまで解散しないと、王権に反対する強い決意を表明した。しかし、市長になったバイイは、シャン・ド・マルスのデモ鎮圧のために、軍に発砲を命じたことで民衆からの支持を失い、93年民衆の手によりシャン・ド・マルスで処刑されてしまった。

その後は革命後の動乱で、臨時の市長が置かれたり、選出された市長が辞退したりと不安定な時期が続く。そして、テルミドールのクーデタでロベスピエールが処刑され、12区に分割されたパリの区がそれぞれ独立自治を行うようになった95年以降、各区に市議会(Conseil municipal)が置かれ、パリ市長は1848年の2月革命まで置かれなくなった。

パリ市庁舎とジャンシルヴァン・バイイ
左)パリ市庁舎 ©Sophie ROBICHON/Mairie de Paris
右)ジャンシルヴァン・バイイ

長期にわたりパリに市長が不在

1795~1977年の間、1848年の2月革命後に4人が市長に就任した以外、パリ市長は長期間存在しなかった。パリの行政を代表していたのは、34年から置かれたパリの市議会議長とパリの県議会議長。パリ市長不在 の間、パリ市議会の議長が実質市長のような務めを果た すことになる。

なぜこんな長きにわたり市長が存在しなかったのか?それは、まず区ごとに議会議長がいてそれぞれの自治を行っていたため、市長は必要なかったから、そして14世紀のエチエンヌ・マルセルに見られるように、国王、皇帝、大統領など国の権力者はパリ市長が大きな力を持つことを恐れ、あえて市長の職を置かなかったのではないかともいわれている。

19世紀に黒人の市長が存在した?

 セヴェリアノ・ドエレディア
セヴェリアノ・ドエレディア

キューバ出身のセヴェリアノ・ドエレディア(Severiano de Heredia:1836-1901)は、第3共和制のフランスで活躍した政治家で、1879年にパリ市議会議長に就任した黒人だった。白人でない議長が、初めてパリ市長と同等の地位に就いたことになる。

高踏派の詩人ジョゼ・マリア・ドエレディアの本いとこで、フリーメイソンのメンバーでもあった彼は、新しい思想や時代を象徴していた。87年には公共事業大臣に就任し、ヨーロッパで初めての白人でない大臣となった。未開の黒人社会に文明をもたらすためという大義名分の下、アフリカの植民地化を進めるフランス政府に、白人ではないドエレディアは矛盾のようなものを感じていたようだ。  

政界を退いてからは文学に身を捧げ、パリの自宅で静かに人生の幕を閉じた。フランスのために貢献した人物だったが、墓標には何も刻まれず、勲章など与えられる こともなく、時とともに人々に忘れ去られていった。

首相を兼務していたシラク市長

ジャック・シラク
ジャック・シラク

ついに1975年12月31日に発布された法律により、20区あるパリ市を一つのコミューンとし、市長を選出することが決められた。

77年、普通選挙によって初めてのパリ市長が誕生、長いパリ市長の不在にピリオドを打った。その市長とは、後に大統領となるジャック・シラク(1932-)だ。この選挙ではシラク率いる旧ドゴール派、共和国連合(RPR)がパリ市議会の54議席を獲得し、左派連合(40議席)などを抑えて勝利した。

シラクは2度の再選で95年まで市長を務める間、2度大統領選挙に立候補するが落選している。しかしながら、86〜88年には、社会党フランソワ・ミッテラン大統領の下、コアビタシオンとして首相を務めフランスの内政を担った。フランスでは公職の兼職が認められているのも特徴だ。「ブルドーザー」の異名を持つシラクは、精力的にパリ市、フランス共和国の政治に関わっていく。当時パリにテロが頻発していたため、治安・テロ対策にも力点が置かれた。  

パリ市に1人の統率者が存在するようになってから、不衛生だった町が明らかに清潔になるなど、パリ市に統一感が出て、生活の質も向上したという市民の声も多かった。

ユニークなドラノエ市長

ベルトラン・ドラノエ(左)ジャン・チベリ(右)
ベルトラン・ドラノエ(左)ジャン・チベリ(右)

2001年の地方選挙でジャン・チベリ(1935-)を破り、市長になった左派・社会党ベルトラン・ドラノエ(1950-)もユニークだ。パリ市民に娯楽を提供するため白夜祭やゲイパレード、パリプラージュ、そして環境問題の改善のためにベリブやオートリブ、パリ河岸の一部車両通行禁止を実施するなど、次々と市民を魅了するイベントやシステムを創設してきた。パリを愛し、自由人として情熱的に人生を送る。テレビ番組で同性愛者であることをカミングアウトし、その名を全国に知られるようになったのは元老院だった1998年。政治家としてのキャリアをさらに積んでいくと思われたが、近年はその意欲を示さなかった。

シラク市長時代からのパリと日本との友好関係は現在まで引き継がれている。ドラノエは日本に対する連帯と友情についてたびたび触れ、特に2011年3月11日の東日本大震災以降、追悼の意を表して市庁舎で多くのイベントを行うなど、パリが日本と身近な関係にあることを示している。

パリ市長に当選する意味

国民による直接選挙で最多票を獲得して選ばれた政 党は第一党となり、議会で多くの議席を得ることができる。そして、その第一党の名簿の第一順位にある候補者が議会の議長に選ばれる仕組みになっている。つまり、議会選挙は事実上市(町村)長選挙だ。

地方選で市(町村)長になった者は6年間の任期が保証されるから、パリ市長の任期も6年。議会には首長の所属政党が多数派であるため、必然的に首長の地位は強固たるものになる。  

アンケートによると、フランス人の市長への信頼度は大統領や国民議会議員に比べると圧倒的に高く、数字で見ると、市長は75%、大統領53%、国民議会議員52%という結果が出ている(調査会社LH2による Le Nouvel Observateur 2013年4月15日掲載の調査)。

教育相や首相を務めたジュール・フェリー(1832-93) や大統領だったシラクの政治家としてのキャリアを見ても、大臣などの要職や大統領の座を狙っているなら、議会で首長になることは重要なこと。特にフランスの首都パリで市長を務めることは、中世から見られるように、フランスを代表することに近い意味があるのだ。

(敬称略)

フランスの歴史と歴代パリ市長

フランスの歴史 在任期間パリ市長
1789年 フランス大革命 1789年7月15日~
1791年11月18日
ジャンシルヴァン・バイイ
Jean-Sylvain BAILLY
1791年11月18日~
1792年10月15日
ジェローム・ペティオン
Jérôme PETION
(1792年7月6~13日不在)
1792年7月7~
13日臨時
フィリベール・ボリー
Philibert BORIE
1792年10月15日~
12月2日臨時
ルネ・ブシェール
René BOUCHER
1793年 ルイ16世処刑 1792年12月8日~
1793年2月2日
ニコラ・シャンボン
Nicolas CHAMBON
1793年2月14日~
1794年5月10日
ジャンニコラ・パシュ
Jean-Nicolas PACHE
1794年5月10日~
1794年7月17日
ジャンバティスト・フルリオルスコ
Jean-Baptiste FLEURIOT-LESCOT
1804年 ナポレオン・ボナパルト即位
(ナポレオン法典)
パリ市長不在期間
1815年 王政復古
ルイ18世即位
1830年 7月革命
ルイ・フィリップ即位
1848年 2月革命
第2共和制始まる
1848年2月24日~
3月5日
ルイアントワーヌ・ガルニエパージュ
Louis-Antoine GARNIER-PAGES
1848年3月9日~
7月19日
アルマン・マラ
Armand MARRAST
1852年 第2帝政 
ナポレオン3世即位
パリ市長不在期間
1870年 帝国崩壊 パリ包囲
第3共和制始まる
1870年9月4日~
11月15日
エティエンヌ・アラゴ
Étienne ARAGO
1871年 パリ・コミューン 1870年11月15日~
1871年6月5日
ジュール・フェリー
Jules FERRY
1905年 政教分離 パリ市長不在期間
1914〜18年 第1次世界大戦
1920年 国際連盟の成立
1939年 第2次世界大戦
(対独宣戦)
1940年 パリ陥落
1941〜44年 レジスタンス
1944年 パリ解放
1945年 終戦
1946年 第4共和制始まる
1949年 北大西洋条約機構
(NATO)加盟
1954年 アルジェリア戦争始まる
1956年 チュニジア・モロッコ独立
1958年 第5共和制始まる
翌年ドゴール初代大統領就任
1968年 5月革命 1977年3月20日~
1995年5月24日
1983年、1989年再選
ジャック・シラク
Jacques CHIRAC
1981年 ミッテラン大統領就任
1995年 シラク大統領就任 1995年5月22日~
2001年3月24日
ジャン・チベリ
Jean TIBERI
2001年3月25日選出
(2008年再選)
ベルトラン・ドラノエ
Bertrand DELANOË
 

マルセイユに行ってみよう

マルセイユに行ってみよう - モンテ・クリスト伯の舞台、ル・コルビュジエの集合住宅、太陽の下で味わうパスティス

マルセイユ地図年間の日照時間がパリの倍以上もある
太陽の町、マルセイユ。
港町らしい活気と、南仏らしい穏やかさが
交じり合ったフランス第2の都市は、
日が長くなるこれからのシーズンに
訪れたいお薦めスポット。
昨年開通した格安電車OUIGOを上手に利用すれば
パリからも気軽に旅に出られそう。
より近くになったマルセイユに今年こそ行ってみよう。
(Texte: Kei Okishima)

港町を見守ってきた800年の歴史
旅の始まりはノートルダム・ド・ラ・ガルドから

ノートルダム・ド・ラ・ガルド

ボンヌ・メール19世紀まで、貿易の中心地として栄えたマルセイユ。旧港の南の丘、147.85mの高台にノートルダム・ド・ラ・ガルド寺院はそびえる。現在の寺院は19世紀に建築家エスペランデュによって建てられたものだが、歴史をたどれば基となった寺院は、1214年に丘の上に建てられていた。今年、800年を迎える。寺院の上には黄金に輝く9.72m、重さ約1トンの聖母マリア像が町を見下ろすように立っている。この黄金に輝く聖母マリアは「ボンヌ・メール」と呼ばれ、これまで漁を、町を、そして住民を見守ってきた。内部のモザイク装飾は圧巻。内部には天井から幾つもの船がつる下げられていたり、海にまつわる絵画などが飾られていたりと、漁や平癒に対する感謝の気持ちから納められた奉納品が飾られている。ノートルダム・ド・ラ・ガルドから見るマルセイユは絶景。市内から徒歩で来るには、かなりの坂道を登ることになるので、バスが便利。

Basilique Notre-Dame de la Garde

Rue Fort du Sanctuaire 13281 Marseille
TEL:04 91 13 40 80
開館時間:10月~3月 7:00~18:15 / 4月~9月 7:00~19:15
交通:Vieux-Portからバス 60番で、ノートルダム・ド・ラ・ガルドのパーキングまで。
www.rtm.fr

小説の舞台で一休み
モンテ・クリスト伯の舞台、イフ島へ

イフ島

1529年、フランソワ1世が町を守るための要塞として建設したイフ島の城、シャトー・ディフ。その後、逃亡不可能な建築スタイルと立地から、監獄として使用されるようになった。フランス革命のリーダーとなったミラボーもここに監禁され、「専制政治論」を完成させた場所として知られている。また、作家アレクサンドル・デュマは、フランスの新聞ジュルナル・デ・デバに連載した「モンテクリスト伯(岩窟王)」の小説の舞台にシャトー・ディフを選んだ。主人公、エドモン・ダンテスは無実の罪でシャトー・ディフに投獄され、14年間このイフ島で過ごしたという設定だ。シャトー・ディフの窓からは、マルセイユの高台にそびえるノートルダム・ド・ラ・ガルドが見える。マルセイユ市内からイフ島までは、旧港からフェリーで約20分。

シャトー・ディフイフ島行きのフェリー

Frioul If Express 1,
quai de la Fraternité 13001 Marseille
TEL:04 96 11 03 50
www.frioul-if-express.com

ル・コルビュジエの集合住宅を体感
Unité d'Habitation

ル・コルビュジエ20世紀最大の建築家と言われるル・コルビュジエが建てた巨大な集合住宅「ユニテ・ダビタシオン」。中でも1番初めに建てられたマルセイユのユニテ・ダビタシオンは、今日でも世界中の人を魅了している。

この集合住宅は戦後復興期の1947~52年、理想的な生活のスタイルを実現するために作られた。137m×56m×24m、18階建てという巨大な建物の中には23種類の異なる部屋のタイプがあり、1600人が生活することができる。この集合住宅は一つの玄関ホールから出入りするようになっており、建物全体が一つの小さな町のようなコンセプトで作られている。1階部分はピロティになっており、この巨大な建物を柱がしっかりと支えている姿は圧巻。ピロティのお陰で自転車を置いたり、自由に通り抜けることができたりと、ゆったりとしたスペースが確保されている。多くの部屋がメゾネット形式になっているため、エレベーターは3階、6階のように途中階で停止するのも特徴の一つ。中間階には共同のスペースや店舗があり、屋上にはプールや運動ができる場所などが設置されている。屋上ではマルセイユの空、海、山、そして太陽を満喫できる。

コルビュジエの建築内で宿泊

ユニテ・ダビタシオンの見学は、個人で見る分には無料で、売店などがあるla troisième rue marchandeや屋上を見学することができる。しかしこの世界にゆっくりと浸りたい建築ファンやコルビュジエファンにお薦めなのが、同集合住宅内にあるホテルだ。部屋は16㎡または32㎡があり、1~4人まで宿泊可能。世界中のファンが予約をする人気ホテルなので、旅が決まったら早めに予約を取ろう。

ユニテ・ダビタシオン内にはミシュランガイドにも紹介されているレストランLe Ventre de l'Architecteがある。宿泊が難しい人は、こちらでゆっくりと食事を堪能してみては?

アクセス

マルセイユ駅から地下鉄2番線(Dromel方面)Rond Point du Prado駅下車。
その後21番、22s番、22番、22S番のいずれかのバスでLe Corbusier駅下車。
280, bd Michelet 13008 Marseille

個人での見学(共有部分のみ可能)

毎日9:00-18:00

ガイド付き見学

火~土 14:30~、16:30~(各1h30、要予約)
www.marseille-tourisme.com
(Visites-GuidéesからLe Corbusier en exclusivitéを選択)

ホテル

Hôtel Le Corbusier
TEL:04 91 16 78 00
www.gerardin-corbusier.com

レストラン

Le Ventre de l'Architecte
TEL:04 91 16 78 23 
www.leventredelarchitecte.com

肌が喜ぶ植物オイル
職人が作るマルセイユせっけん工場を見学

マルセイユせっけんマルセイユのせっけんは、植物性のオイルと苛性ソーダを混ぜたもの。ルイ14世の時代の1688年10月5日、財務総監を務めていたジャンバティスト・コルベールにより、原料の油脂はオリーブオイルにすることなど、マルセイユのせっけん作りの製法が定められた。現在でも伝統的な方法で作られているマルセイユせっけんは、72%の植物オイルを含んでおり、かま炊きけん化法で植物オイルとソーダを煮詰め、その後塩水で不純物を取り除くなど、約80時間の行程を経て生み出されている。

マルセイユせっけんを代表する「植物油脂72%」と刻印された600gのせっけんは、お土産にぴったり。他にも、南仏で特に有名なスポーツ、ペタンクの形をしたせっけんや、パスティスの香りがするせっけんなどもお薦めだ。また、特別注文で、結婚式の引き出物用に名前が刻印されたせっけんを注文する人や、生まれた赤ちゃんと同じ重さのせっけんを記念に作って欲しいという依頼を受けることもあるのだそう。面白いアイデアがあれば、ぜひ事前に問い合わせをしてみよう。

せっけん作り
左)圧延機に掛け、せっけん素地を均一にしている 右)最後に丸いせっけんの形にプレスする

せっけん作りを見学できるお店

Savonnerie Marseillaise de la Licorne  
34 Cours Julien 13006 Marseille
TEL:04 96 12 00 91
せっけん作り見学:11時、15時、16時(日祝以外)、無料
www.savon-de-marseille-licorne.com

憲章で守られている伝統スープ
ブイヤベース(La bouillabaisse)

その昔、漁師たちが売れそうにない魚や売れ残った魚などをスープにして食べたことから始まったブイヤベースは、今やマルセイユの代表料理として知られている。伝統的なマルセイユの本格派ブイヤベースは1980年に制定された「ブイヤベース憲章」で守られており、材料や調理法には決まりがある。魚は地中海の岩礁に生息するもので、ホウボウ、アンコウ、マトウダイ、カサゴ、足長ガニなどの中から4種類以上の魚を使わなければならず、エビ類や貝タコ、イカなどは入れない。ベースとなるスープは決められた小魚でだしを取ること。他に使用される材料は、塩、タマネギ、コショウ、パセリ、じゃがいも、ニンニク、オリーブオイル、サフラン、フェンネル、オレンジの樹皮など。ルイユという特製のソースと、ニンニクの香りが付けられたクルトンと一緒に提供される。最初にスープのみを客に出し、その後に魚を別の皿に盛り、提供するというのが基本的なパターンだ。

市街には複数のレストランがブイヤベースを提供しているが、きちんと料理をしているレストランでは待ち時間も長いので、余裕を持って行こう。また、量もかなり多めなことをお忘れなく。

ブイヤベース

お薦めレストラン

小さな港の前にあり、マルセイユの雰囲気にゆっくりと浸りながら
静かに過ごすことができるレストラン。
Chez Fonfon
140, Vallon des Auffes 13007 Marseille
TEL:04 91 52 14 38
www.chez-fonfon.com

気になる伝統料理・菓子

ピエ・エ・パケPieds et paquets
ピエ・エ・パケ

羊の足と内臓をワインとトマトソースで煮込んだ伝統料理。

ナヴェットNavette
ナヴェット

舟の形をしたビスケット。2月の聖燭節には、クレープではなくナヴェットを食べる習慣も


マルセイユでアペリティフ

アペリティフの歴史をたどっていくと、古代ローマ時代から存在していたことが分かる。古代ローマ人は食欲を増進させるため、食事の前に少しアルコールを含む特別な効能を持った飲み物を飲む習慣があった。アペリティフという言葉の語源は、ラテン語の「aperire=開く」というもの。この伝統は世紀を越えて受け継がれ、19世紀には食前に飲む全てのアルコール飲料のことを「アペリティフ」と呼ぶようになった。マルセイユではアペリティフはとても大切な時間。カフェやバーで、また友人を自宅に招いてゆったりとしたアペリティフの時間を楽しんでいる。日が長くなるこれからのシーズン、テラスのあるカフェでゆっくりとアペリティフの時間を楽しもう。

パスティス

パスティスマルセイユのアペリティフとして欠かせないのが、マルセイユ生まれのアルコール、パスティスだ。パスティスの前身ともいわれるのが、19世紀、フランスの芸術家たちを魅了したアルコール「アブサン」。強い陶酔感と興奮をもたらすアブサンは、ゴッホ、ゴーギャン、ピカソ、ロートレック、ランボー、ボードレールなど、フランスにいた多くの芸術家を魅了した魔のお酒と言われている。しかし20世紀に入りアブサンの製造が禁止され、その代わりにポール・リカールがアブサンの製法を改良して作ったのがパスティスだった。スターアニスやフェンネル、リコリスの香辛料が強いため、スーッとした後味が暑い気候のマルセイユに爽快感を与える。ちなみに「Pastis de Marseille(マルセイユのパスティス)」と表記するためには、アルコール度が45%以上で1リットル当たり、2g以上のアネトール(アニスの主成分)が含まれていなければならない。パスティスは水割りが一般的で、水を入れると白く濁るのが特徴。慣れてきたらカクテルにも挑戦しよう。有名どころでは、グレナデン・シロップ(sirop de grenadine)を加えたLa tomate、ミントのシロップ(sirop de menthe)を加えたLe perroquetなど。

La Cagole
マルセイユご当地ビール La Cagole

マルセイユにノスタルジックな思いを抱える幼なじみの友達2人が作ったビールメーカー。ビールの色はマルセイユの旧港(Vieux-Port)の水の色と同じだとか! 初めはパニエ地区の小さなブラッセリーで作られたそうだが、今やマルセイユのご当地ビールとして浸透し、市街のブラッセリーやバー、スーパーで購入できる。
www.lacagole.com

Fada Cola
マルセイユ発の炭酸飲料 Fada Cola

お酒はちょっと、という人には、マルセイユ発の炭酸飲料水Fada Colaを。レモネードなどの炭酸飲料を展開している。La Cagoleビールも、Fada Colaも、パッケージのイラストがかわいいので、ちょっとした手土産にも喜ばれるかも。
www.fadacola.fr

格安電車OUIGOでマルセイユへ!

OUIGO2013年4月、SNCFによる格安料金の電車OUIGOが営業を開始した。OUIGOは、パリとリヨン、ヴァランス、アヴィニョン、エクス・アン・プロヴァンス、マルセイユ、ニーム、モンペリエを結んでおり、チケットは最安値のものだと片道10ユーロから販売している(2013年は20万人分のチケットを10ユーロで販売)。TGVとの大きな違いは、1等車と食堂車がないこと。構造は2階建てで、席の広さなどはTGVとほぼ変わりはないが、荷物の持ち込みはかばん(55x35x25cm)一つと、手荷物(36x27x15cm)のみ。追加料金を支払えば、荷物を増やすことは可能だ。

注意点としては、「パリ」といっても、RER線のマルヌ・ラ・ヴァレ・シェシー駅から出発すること。そのため、RER線の料金もOUIGOの料金にプラスして考えよう。格安電車といえども、バカンスのピークや出発日の直前は値段が高くなるので、TGVの割り引き制度などと比較することも大切。また、車内改札はないので、30分前までに駅に到着し、乗車手続きをしなければならない。出発直前になると、乗車できない可能性があるので、事前に乗車条件を確認しておこう。

OUIGO公式ホームページ www.ouigo.com

おすすめ日本食レストラン

日本家庭料理 おかぁさん伝統的な「母の味」を!

肉じゃが、トンカツ、豚の角煮など、日本家庭の食卓に並ぶようなお食事を楽しむことができます。メニューは月替わりで、餃子定食、鶏の唐揚げ定食、鯖の味噌煮定食など、おかずやサラダ、味噌汁、小鉢まで付くお得な定食は種類も豊富。マルセイユで日本の味が恋しくなったら、ぜひお越しください!!

日本家庭料理 おかぁさん
OKAASAN

Menu:14€ ~25€ 
営業時間:火~木 19:45~21:30(L.O)/ 金・土 19:45~22:30(L.O)
住所:9 rue des trois rois. 13006 Marseille
TEL : 06 65 75 56 22
 

楽天・三木谷浩史氏インタビュー - レジオン・ドヌール勲章を受章

レジオン・ドヌール勲章を受章した楽天・三木谷 浩史氏インタビュー

2014年2月17日、楽天グループの
三木谷浩史代表取締役会長兼社長が
フランス政府よりレジオン・ドヌール勲章を受章した。
フランスにおける電子商取引(以下、eコマース)事業や
電子書籍事業、また事業を通じた地域経済や
日仏間の文化・経済交流促進への
貢献に対して高い評価を受けた三木谷氏。
今後フランスでどのような活動を広げていくのか。

仏経済魅力向上会議にもご出席なさったそうですが、どんな意見を述べられましたか?

成功者、起業家に優しく、かつ安定した税制が必要だと申し上げました。ご存じのとおり、現政権は100万ユーロを超える所得者に75%の所得税を課そうとしたり、一時はキャピタルゲイン税の引き上げを打ち出してみたりするなど、基本的には富裕層に対して厳しい態度を示しています。その上富裕税もあったりするなど、起業家にとって成功後の税負担に対する不信感が強い。フランスで多くの起業家に会っていますが、その多くがイギリスやベルギーなど他国に移ることを考えていると言っていました。税金が重い国から富裕層が逃げ出していくのは世界共通で、こういった税制政策が、国の競争力、将来の雇用を奪ってしまうことになるのです。

楽天グループの仏企業買収の際には、困難な問題はありませんでしたか?

楽天グループは2010年にフランスの大手eコマースサイトのPriceMinister社、13年にeコマースの物流に強いAlpha Direct Service社、電子書籍コンテンツ作成ソリューション提供のAquafadas社を買収しました。これらの買収において特別な障害はありませんでした。ただ、フランス政府がYahooによるDaily Motion買収を阻止したり、配車サービスUberの参入に対して規制をかけたりすることは、結果的にその分野におけるサービスが進化せず、国際的な競争力を削いでしまう結果になるはずです。

日本がフランスのシステムで学ぶべき点は?

外国からの投資を拡大することは、世界からお金だけではなく、人材を集めることにもつながりますので、競争力を向上するには良いことだと思います。日本も同様に外国人からの投資、人材の活用をもっと真剣に推進しなければなりません。それには、日本の英語教育制度を変えていく必要があり、その手始めにTOEFLの大学入試での活用を提言しています。

また、専門性が高い人材、ユニークな発想を持ったIT人材はフランスに大勢います。フランスの教育システム、企業と連携した人材の育成環境などから学ぶことはあると思います。我々もそういった人材の獲得を目的に、新たに楽天技術研究所(Rakuten Institute of Technology)をパリ市内に設立しました。インターネットの未来を予測し、新たなテクノロジーを創出するための研究開発機関として、05年12月に楽天技術研究所を東京に設立しましたが、パリは10年6月に新設したニューヨークに次いで3拠点目となり、欧州では初の拠点となります。

三木谷浩史氏とローラン・ファビウス仏外務大臣
仏外務省で挨拶をする三木谷浩史代表取締役会長兼社長(写真左)と、
勲章を贈ったローラン・ファビウス仏外務大臣(写真右)

パリの楽天技術研究所では具体的にどのような研究をされる予定ですか?

パリでは特に、画像処理、ユーザーインターフェース、O2Oの技術研究に力を入れ、欧州に限らず、世界のどの拠点でも活用される新しいデジタルインタラクションの研究を行うことを考えています。ニューヨークの技術研究所では、設立に先立ってまずニューヨーク市立大学の関根聡教授と共同研究を行い、関根教授の専門である自然言語処理がどのように楽天のデータを効率的に整備し、検索技術や商品推薦技術の精度を高めることができるかということを確認しました。先行して研究された部分は東京の楽天技術研究所と連携し、楽天のビジネスオペレーションの改善に役立っています。

また、ニューヨークでは、さまざまなバックグラウンドの人材を集めることができる利点を生かし、翻訳技術の研究等に注力して楽天の商品データを世界各国にeコマースと連携させる基礎技術を開発させています。これらの技術を発展させ、楽天技術研究所の東京とニューヨークの拠点が連携し、グローバルカタログプロジェクトというプロジェクトを推進しています。このプロジェクトはパリの拠点とも連携を予定しています。楽天技術研究所は、東京・ニューヨーク・パリの各拠点間の連携を活発に行います。東京で開発した分散ファイルシステムの技術や、ニューヨーク・東京の共同プロジェクトであるグローバルカタログプロジェクトの技術活用については、パリの研究所も連携して行っていく予定です。

楽天グループとしては、具体的にフランスでどのような展開をされるご予定ですか?

日本の楽天のように、さまざまなサービスを1つのユーザーIDと楽天スーパーポイントでつなぎ合わせることで楽天経済圏(エコシステム)を作り上げていきます。特に、約3億人のユーザーを抱える無料通話・メッセージングサービスのViberや、ビデオストリーミングサービスのViki、電子書籍サービスのKobo、スペインのVODサービスのWuaki、そしてeコマースのPriceMinisterを連携させることで楽天経済圏の拡大を図っていきます。

今後、日仏の架け橋としてどのようなことをされたいですか?

日本の良いところをもっと知ってもらいたいです。おもてなしの文化、素晴らしい日本食、日本の音楽、サブカルチャー的なものまでひっくるめて、フランス人には受け入れられると思っています。そういったものをより深く知ってもらうために、これからも色々と仕掛けていきたいと思っています。ちなみに、私は東京フィルハーモニー交響楽団の理事長もしています。3月16日(日)には、パリの8区にあるサル・プレイエルにて16:00から同楽団によるパリ公演がありますので、皆様も是非お越しください。

 

フランス人が好きなお茶 - フランスのティーブランド

フランス人が好きなお茶

フランス人は皆コーヒー好きかと思いきや、実はお茶党も健在だ。
カフェと並び、サロン・ド・テはフランス人憩いの場所。
パリにも増えているお茶の販売店は絶えず愛用のお茶、
新たな味覚や香りを求めてやって来る人々を受け入れる。
世界でも名高いティーブランドが存在する
フランスで好まれているお茶ってどんなもの?
パリのブティックで聞いてみた。
(texte:フランスニュースダイジェスト編集部)


フランス代表のティーブランド

Mariage frère マリアージュ・フレール

マリアージュ・フレール17世紀から香料や茶葉について交易を行っていたマリアージュ家の子孫である兄弟が、1854年にフランス発の茶葉輸入企業を設立。世界各地の茶葉を使ったブレンドティーを紹介した。定番のアールグレイなどのほか、東京に店舗のある日本とは関係が深いことから、日本の地名などを冠した日本茶も種類多く並ぶ。

13 rue des Grands-Augustins 75006 Paris (博物館あり)
www.mariagefreres.com

Dammann frère ダマン・フレール

ダマン・フレールルイ14世にダマン氏が紅茶の独占販売権を許可されたところまでさかのぼる格式の高い老舗ブランド。名店に卸していたという太鼓判の押されたお茶は、約5年前から店舗で販売されるようになった。世界のお茶200種以上がずらっと並ぶ。サロン・ド・テはなく、マレ地区ではヴォージュ広場の「カレット」、サンジェルマン・デ・プレの「ドゥ・マゴ」で味に深みのある「ダマン・フレール」のお茶が味わえる。

15 pl des Vosges 75004 Paris
www.dammann.fr

Palais des thés パレ・デ・テ

パレ・デ・テパリのお茶愛好家たちが設立したという「パレ・デ・テ」。250種類以上の世界のお茶に出会える。30種類のフレーバーティーの中でも、紅茶や緑茶をベースにした、蜂蜜、イチゴ、ルバーブ、ジャスミン、桜の花など入ったものが人気のライン。地元の顧客が多いというシェルシュ・ミディ店では緑茶ベースのお茶が売れているそう。

61 rue du Cherche-Midi 75006 Paris
www.palaisdesthes.com

Kusmi tea クスミ・ティー

クスミ・ティーロシアからフランスに亡命した茶商クスミチョフ氏が、20世紀初頭にフランスで始めたロシア風「香りを楽しむお茶」が「クスミ・ティー」。貴族たちの高級嗜好品というイメージが強かったお茶を、庶民の手に届くものにしたいという願いがあった。実際に、容器もカラフルで手に取りたいものばかり。シャンゼリゼ店とオペラ店内にはビエノワズリーもある。

33 av de l’Opéra 75002 Paris
www.kusmitea.com

Nina’s ニナス

Nina’s ニナス「ニナス」の礎が築かれたのは1672年。創業当初はラベンダーオイルを中心に製造する企業だった。フレーバーティーやケーキに使用されるフルーツなどは、ヴェルサイユ宮殿の王の菜園で収穫された限定素材。サロン・ド・テのあるヴァンドーム店には、マリーアントワネットの靴が置かれ、ヴェルサイユの面影がそこかしこに散りばめられている。

29 rue Daniel Casanova 75001 Paris
www.ninasparis.com

Janat ジャナット

Janat ジャナット南仏生まれの創業者、ジャナット氏の愛猫2匹がシンボル。茶葉、フルーツなど、生産者との強力なパートナーシップの下、高品質の素材を直接仕入れている。取り寄せられるお茶は中国、インド、スリランカ、日本から。パリのブティックでは日替わりでお茶の試飲ができる。

82 rue des Entrepreneurs 75015 Paris
www.janatea.com

Lov Organic ローヴ・オーガニック

ローヴ・オーガニック「クスミ・ティー」の姉妹ブランドで、オーガニックのハーブティー、白茶、緑茶などを取りそろえる。「ローヴ」は北欧で「葉」を意味する言葉。環境に優しく、知性溢れる、自然と近代性が共存する北欧の国をイメージした優しいお茶ばかり。カフェインを含まないルイボスティーなどの健康茶をはじめ、斬新なブレンドも楽しめる。

15 rue Montorgueil 75001 Paris
www.lov-organic.com

Fauchon フォション

Fauchon フォション世界の美食家たちを満足させる高級エピスリーでおなじみのフォション。フランス中にファンがいるのはもちろん、世界から訪れる人々をとりこにしてやまないお茶は、定番を押さえつつ独創的なラインナップで定評がある。

30 pl de la Madeleine 75008 Paris
www.fauchon.com

Hédiard エディアール

Hédiard エディアール赤と黒のカラーでおなじみの「エディアール」は、160年以上もの間パリ社交界のガストロノミーを支えている高級食材店。地元の人に愛好され続けているアールグレイや中国茶、日本茶のほか、日本からの観光客にはジャスミンティーがよく売れるそう。

21 pl de la Madeleine 75008 Paris
www.hediard.com


パリでも人気 日本発ティーブランド

Lupicia Paris ルピシア・パリ

Lupicia Paris ルピシア・パリ日本茶、紅茶、中国茶など種類が豊富。テイスティングルームで試飲してから購入できる。茶葉を自分の好きな缶に入れ、ラベルも選べるという、他のお店にはない特別な楽しみも。茶器のセレクションにもこだわりがあり、高級品が所狭しと並ぶ。

40 rue Bonaparte 75006 Paris
www.lupicia.fr

Jugetsudo 寿月堂

Jugetsudo 寿月堂2008年にオープンした日本茶専門店「寿月堂」。抹茶、玉露、煎茶、玄米茶、ほうじ茶を取り扱う。お茶の講座や抹茶の作法のデモンストレーションを行い、日本茶文化をパリに伝えている。文化が交差するパリで、健康志向の人、お茶愛好家、日本文化好きの人、うんちく好きのフランス人たちに愛されている。

95 rue de Seine 75006 Paris
www.jugetsudo.fr

Yasu Kakegawa ヤス・カケガワ

Yasu Kakegawa ヤス・カケガワ今までにない、日本茶の豊かさ、楽しさを伝える店をつくりたいと、2年前にオープンした日本茶専門店。宇治最古の茶園で摘まれた希少な茶葉を使用した抹茶など、個性的で魅力溢れる日本茶が幅広くそろう。日本茶の知識を深められるレクチャーや試飲会も行っている。

12 rue Simon Le Franc 75004 Paris
yasukakegawa.com

世界のお茶愛好家をうならせる Maison des Trois Thés

Maison des Trois Thés約1000種類の高品質の茶葉を扱い、世界一のお茶のカーヴを誇る。ガストロノミーの分野で最も優れた嗅覚と味覚を持ち、世界のティー・エキスパートで知られるYu Hui Tseng氏がオーナーだ。同氏は名シェフと共に料理に合わせたお茶、お茶を取り入れたレシピなどを作成。サロンでは、ここでしか出会えないお茶と、繊細で馥郁(ふくいく)とした香りに包まれゆったりとときを過ごすことができる。茶葉の購入も可。
1, rue St-Médard 75005 Paris
TEL : 01 43 36 93 84(要予約)

あれこれあれこれ

サロン・ド・テは高級だった

東インド会社を組織するのがイギリスなどに遅れること半世紀。また、フランスの植民地にお茶の原産地が少なく、コーヒーの原産地が植民地に多かったことから、カフェの方がより普及し、お茶は高級品だった。

フランスのthé vertは日本の緑茶と違う?

緑茶と一口に言っても、日本製、中国製、アメリカやブラジル製もある。アラブの国で飲まれるミントティーは緑茶にミントの風味を付けたフレーバーティーだ。

フランス人に売れる日本茶は玄米茶

日本などのアジアに比べて、フランスではブレンドティー、フレーバーティーが主流だ。そのため、ブレンドをしないピュアなお茶よりも、玄米茶のようなブレンドティーが広く受け入れられやすい。

フランス人は朝、日本茶を飲む?

朝食とともにお茶を飲む人が多いのは、お茶に含まれているカフェインを気にするため。覚醒の効果を期待して朝に飲んでいるよう。

お茶お茶はどうやって飲むとおいしい?

種類にもよるが、一般的にお湯を注いでから緑茶ベースのお茶は4分以下、紅茶は4〜5分、ハーブティーは5分以上煎じる。温度は緑茶は低めの75~ 80度(玉露は60度)、紅茶、ハーブティーはさらに高温で。

お茶マシン「スペシャル・テ」

ネスレが2010年に発売を開始したカプセル式お茶マシン、「スペシャル・テ(Special.T)」は、茶葉の質、鮮度、抽出時間や温度を自動調節し、家庭で手軽に本格ティーが味わえるという優れもの。

 

jun ashidaとTAE ASHIDA が創る一世紀

高貴な伝統・品質を保ち、纏う喜びを届ける jun ashida とTAE ASHIDA が創る一世紀

Jun Ashida 革新家でありながら伝統を守る 1963年から半世紀

モード黄金時代の伝統の香り

ココ・シャネルやクリスチャン・ディオールなど、フランスのファッション界を牽引してきたメゾンは、デザイナーの引退とともに、スタイルが徐々に変わっていった。ファッション界の高貴な文化も、時代とともに商業化され、消え去っていった。あのモード黄金時代を知るフランスのマダムたちは、失われてしまった本物の衣服の美しさや心地よさを懐かしみ、行き場を失っていた。

そんなマダムたちが、再び洋服への喜びを取り戻した場所、そこがフォーブル・サントノーレ34番地、jun ashidaパリ店だった。ここには、高貴なモードの文化を受け継ぐ確かな質が守られた洋服がある。そして、パーフェクトな職人芸も残っているのだ。

芦田淳。昨年メゾンを立ち上げて50周年を迎えた。メゾンを立ち上げた本人が50周年を祝えるブランドというのは、モード界の中でも珍しい。皇太子妃(現皇后)美智子様の専任デザイナーを務め、アトランタ五輪の日本選手団公式ユニホームも手掛けた、文字通り日本を代表するデザイナー。お客様が普段着ることのできる確かな服を作りたいと、華やかなパリコレクションから撤退し、その変わりにパリに直営ブティックを開いたのが今から20年前のことだった。

芦田淳とパリ

海外渡航がまだ珍しかった1963年。髙島屋の顧問デザイナーだった淳は欧州視察で憧れのヨーロッパを訪れた。その中でも最も印象に残ったのが、パリだった。美しい街並みに広々とした道路。一流ブティックが集まるフォーブル・サントノーレ通りでは、おしゃれな紳士淑女が行き交い、ブティックの店先には洗練された洋服が陳列されている。まるで街全体がショーウインドーのようで、圧倒された。その中でも特に気になったものがあった。子供服だ。自分の娘に着せたいと、2カ月のヨーロッパ滞在で、ダンボール3箱になるまで買い集めた。

このお土産が日本に帰国後、思わぬ副産物をもたらす。淳はフランスの子供服の確固たる哲学に感動し、65年、これに影響を受けた子供服のブランド「少女服」を髙島屋から発表。当時では珍しい6~13歳を対象としたこのブランドは注目され、宮内庁の関係者の目にも留まった。この縁で、浩宮徳仁親王(現皇太子)様の背広を手掛けることになる。こうして、66年、36歳の若さで皇太子妃美智子殿下(現皇后陛下)様の専任デザイナーとなった。

パリコレとパリのブティック

75年に独立し、77年の春、憧れのパリコレに初めて参加した。フィガロ紙は一面で「日本の皇室から飛び出してきたデザイナー」と報じた。赤いちりめんの布に家紋、絞り染めの生地、帯留めを取り入れたドレスなど、東洋風のドレスに関心が集った。しかし憧れのパリで、華やかな舞台であったにも関わらず、しっくりと来ない違和感が付きまとっていた。いくら話題になっても、具体的なビジネスにはつながらなかったからだ。つまり、お客様が欲しいと思う商品ではなかったのだ。ショーに掛かる人件費、材料費などを含めると、1回のショーで数千万円掛かってしまう。そこで、時代の流れに逆行する形ではあったが、パリコレから撤退することを決めた。

あくまでも追求したいのはエレガンス。美を通じて、 人の役に立つためには、常に着る側を思いやる愛の心が大切で、知に足の着いたビジネスをしていかなくてはならない。こうして、89年、パリの高級ブディック街、フォーブル・サントノーレ34番地に直営店を開いた。63年に「街全体がショーウィンドー」だと心を奪われた、この通りに。

jun ashida 50周年

時代の移り変わりとともにめまぐるしい変化を遂げる ファッション界で、デザイナーは消費者から見放されしまえば引退を余儀なくされる過酷な世界。そんな中、常に第一線で活躍してきたjun ashidaは2013年、メゾン創立50周年を迎えた。これを機に、淳は社長から会長に退き、娘婿の山東英樹氏が社長に就任した。

時代の寵児として戦後日本のファッション界を開拓し、プレタポルテの先駆けとして活躍、花の都パリでは黄金時代の伝統を守る役割も担いながら、駆け抜けた50年。この栄光の陰には、生地の買い付けから仕上がりまで、徹底的な品質・商品管理を支えてきた友子夫人の存在がある。83歳になった淳は、今でも衰えることのない服作りへの情熱を大切にし、デザイナーとしての仕事に専念している。今、jun ashidaの新たな半世紀への扉が開いた。

jun ashida
* ウェディングドレスの価格はお問い合わせください。

Original Items

Compassは中心の穴に 両手を入れそのまま着用する円形のストール。軽くショールのようにはおったり衿もとにさりげなく巻きつけたり、さまざまな着こなしを楽しめる。Bambouは幾重にも重ねた立体的な切り替えが構築的ですっきりと美しいシルエットを描く軽やかなティアードパンツ。デニムタイプからシフォンが揺れるカクテルパンツまで展開。

Jun Ashida Original Items

TAE AHIDA 経営と創造を分離させた新体制 次の半世紀を動かす

伝統を受継ぎ未来を開拓
デザイナー、芦田多恵にインタビュー

革のブルゾンとイヴニングドレス、カクテルドレスにデニム生地など、スタイルの異なる素材を組み合わせ、自由で新しいエレガンスを生み出した芦田多恵。1991年にmiss ashidaコレクションを発表してから早23年。偉大な父を持つプレッシャーを跳ね除け、見事に独自の道を切り開いた。2012年からはブランド名を自らの名前を掲げたTAE ASHIDAをコレクションラインとして立ち上げ、(フランスにおいては2008年よりTAE ASHIDAレーベルで展開中)、次の半世紀を担うデザイナーとして確固たる地位を築いた。普段の生活にも着こなせるデザインや確かな品質、仕上げにこだわる職人意識は父譲り。芦田家に伝わる伝統を守りながら、新しい時代を開拓する勢いは止まらない。

偉大な父親を持つプレッシャーというのは?

「親の七光り」と思う方がいるだろうというのは分かっ ておりましたし、父と比べられることがあるのも仕方がないことだと思っていたので、私自身は周りが驚くほど、最初から淡々としていたようです。ただこの世界は、自分がしっかりと努力をしていかなければ、世間には認めてもらえない厳しい世界。ですから、自分のできることを努力していこうという気持ちはありました。物を作るという作業は、自分との戦いなので、同じ業界にいながらも、父にはデザインのことで相談はしませんでした。  

父から学んだことはたくさんあります。特に当社の洋 服作りの信念はこれからも大切にしていきたいと思っています。つまり、ただ美しいだけではなくて、いろいろな場所で着ていただけるような機能性も伴うこと、またお客様に対して真摯な姿勢で向き合うことだと思います。

スイスの高校で学ばれ、その後アメリカへ

今のようにインターネットがない時代でしたから、国が異なれば価値観も異なり、いろいろな考えがあることを学び、視野が広がりました。また海外に出て、日本のよさにも改めて気が付きました。  

アメリカの大学では「物づくり」について徹底的に学びました。美術大学だったので、そこにいるのは全員アーティストを目指す学生。しかし先生は「自己満足は通用しない。社会に順応できるアーティストになりなさい」 ということを生徒に徹底的にたたき込んでいました。「物を作ったら、その商品が全てを語ってくれると思ったら大間違い。コンセプトを自分できちんと言葉にして説明できなかったら、価値が半減する」と。その当時は、まだ「プレゼンテーション」という言葉がまだ日本では知られていなかったので、この期間に学んだことは、仕事をするようになってからも本当に役に立っています。

これまでに担当した仕事の中で、 印象に残っている仕事は?

2010年に宇宙飛行士の山崎直子さんの船内服のデザインをさせて頂いたのですが、自分の作った服が宇宙でも着られたことは印象に残っています。私たちは実際にこの服がシャトル内で着られるのか、知らさせていなかったので、山崎さんが私の作った服を着て、無重力の中で宙返りしている写真を新聞で見たときには、とてもうれしかったですね。

2012年に新しいブランド 「TAE ASHIDA」を立ち上げられました

「miss ashida」は父が立ち上げたブランドなので、好んで着てくださるお客様のイメージに沿った作品を作ろうという責任感が強くありました。2012年に「TAE ASHIDA」を立ち上げることによって、自分のカラーのブランドと、「miss ashida」というブランドをはっきりと分けることができたので、自分の中では割り切れた気分です。

パリ店への思い、今後の発展をお聞かせ下さい

パリへ来るたびに、徹底的に美を優先するフランス人の美意識や街並みの美しさには驚かされ、刺激になっています。ありがたいことにフォーブル・サントノーレの宝石のような場所に店を構えさせていただいているので、いろいろなことを発信して、日本のデザイナーとしてしっかりとパリの街に根付いたブランドと認めていただけるように、更なる努力をしていきたいと思っています。

TAE ASHIDA

レザーパッツ(レッグ)

南三陸から世界に発信 S.T.E.P.の取り組み

ミナタンチャーム宮城県南三陸町の復興支援の一環として、株式会社ジュンアシダがあるプロジェクトを立ち上げた。それは、南三陸の仮設住宅に入居している縫製技術者と芦田多恵のコラボレーションで、高品質なチャームを製作すること。寄付という形ではなく、工賃を支払うことで長期的な支援を可能にし、多恵自ら指導に当たることでハイクオリティなチャームが完成した。TAE ASHIDAの服を作る上で出た端切れやボタンなど、イタリア製の高級素材を使用したチャームは、「被災地の手作り品」としてではなく、「世界に通用するブランド」として選ばれている。

http://mina-tan.com (パリでの取扱店 jun ashida paris)

Jun Ashida Paris

34, rue du Faubourg Saint-Honoré
75008 Paris
Tel: 01-42-65-09-30 
月~土10.30 ~18.30( 日祝休)
www.jun-ashida.co.jp

 

パリのバレンタイン・スイーツを堪能しよう

パリのバレンタイン・スイーツを堪能しよう

パリの町を歩いていると、季節やイベントごとにショーウインドーを飾るかわいいお菓子たち。そんな中でもとびっきりかわいい商品が並ぶのが、バレンタインシーズンだ。バレンタイン用のお菓子は、2人用サイズの小さいものも多いので、普段自分用にはなかなか買わないという人も、この機会にパリのパティスリーを堪能してみては?寒さを吹き飛ばし、元気をくれるお薦めスイーツを見ていこう。(Texte:編集部)

Fauchon フォション
1886年創業の老舗

Fauchon フォション一世紀以上にわたりパリジャン、そして世界から愛されている老舗、「フォション」。バレンタインの特別ケーキは、チョコレートムース仕立てのケーキ Le Baiser(35€)。マダガスカル産の真っ白なバニラ味と、木イチゴのピュレーを使用したピンク色が半分ずつ合わさり、ハート型に。ちょっと変わった気分を味わいたい人には、フォアグラを取り入れたケーキ Coeur foie gras fraise(30€)がお薦め。

24-26, pl de la Madeleine 75008 Paris
TEL:01 70 39 38 00
M:Madeleine ⑧ ⑫ ⑭
www.fauchon.com

Ladurée ラデュレ
愛の告白がテーマ

Ladurée ラデュレ「ラデュレ」のバレンタインのテーマは déclaration d'amou(r 告白)。ハート型のケーキは、マカロン・ビスキュイにフランボワーズ やクリームを重ねたクール・イスパハン、クール・カサノヴァ、また薄いパイ生地を重ねたクール・ジュリエットの3種類がある。ジャスミンの香りたっぷりの、ピンク一色のマカロンは、ハート型のメッセージカードが付けられたピンクの箱に入っていてお薦めだ。

75 av des Champs-Élysées 75008 Paris
TEL:01 40 75 08 75
M:George V ①
www.laduree.com

Pâtisserie Ciel パティスリー・シエル
違う香りを2人で楽しみたい

Pâtisserie Ciel パティスリー・シエルパリでは珍しい、シフォンケーキ専門のパティ スリー、「シエル」。シフォンケーキは、ここではエンジェルケーキという名が付けられ、バ ニラ&キャラメル、チョコレート、フランボワー ズ、プラリネ・ローズ、抹茶、ゆず、黒ごま、季節の香りを取り入れたケーキが並ぶ。今月からは朝ごはんに最適な、クリームなしのエンジェルケーキが登場。2カ月ごとに風味が変わる予定(今月はアールグレー風味)。

3, rue Monge 75005 Paris
TEL:01 43 29 40 78
M:Maubert Mutualité ⑩
www.patisserie-ciel.com

Hugo et Victor ユーゴ・エ・ヴィクトール
宝石のようなお菓子

Hugo et Victor ユーゴ・エ・ヴィクトール「ギ・サヴォワ」でシェフ・パティシエを務め たユーグ・プジェが独立したこのパティスリーでは、季節の新鮮なフルーツを使ったタルトや、宝石のようなドーム形のチョコレートなどが人気。バレンタインには、ヴィクトル・ユゴーと彼の愛人、ジュリエット・ドルエの愛をテーマにして、本をかたどった箱に12個のプラリ ネを詰めた Le Carnet Saint-Valentin(21€)を発売する。

40 bd Raspail 75007 Paris
TEL:01 44 39 97 73
M:Sèvres - Babylone ⑩ ⑫ www.hugovictor.com

Pâtisserie Sadaharu Aoki
パティスリー・サダハル・アオキ
バラの花を添えた真っ赤なハートを

Pâtisserie Sadaharu Aoki パティスリー・サダハル・アオキフランス人にも「フランス」のパティシエとしてすっかり人気が定着した「Sadaharu Aoki」。今年のバレンタインには抹茶のプラリネと、ハート型フランボワーズのチョコレートPralinés mâcha Coeurs framboise (6個入り、10€)、バラの花びらがアクセント で、ローズ風味のホワイトチョコレートクリームとダックワーズ生地の相性が抜群の Mon Coeur(8€ 〜)が発売される。

56 bd de Port Royal 75005 Paris
TEL:01 45 35 36 80
M:Les Gobelins ⑦
www.sadaharuaoki.com

Fairy Cakes Paris フェアリー・ケーキ パリ
夢のようなカップケーキとクッキー

Fairy Cakes Paris フェアリー・ケーキ パリおもちゃのようなカップケーキやクッキーが並び、サロン・ド・テとしても大人気のフェアリー・ケーキ。文字が書かれたクッキーは je t'aime など、既存のもののほか、自分でメッセージを考えて注文することも可能(10枚 8€)。甘いカップケーキだけではなく、ズッキーニとパルメザンチーズ、オリーブとハムなど、アミューズブッシュとして喜ばれそうなものもあるので、スクレ&サレの両方を楽しめる。

34, rue Condorcet 75009 Paris
TEL:06 95 26 21 29
M:Anvers ②
www.fairycakesparis.fr

Aki Boulangerie アキ・ブーランジェリー
懐かしい味を気軽に味わいたい

Aki Boulangerie アキ・ブーランジェリーバゲットやクロワッサンなどフランスのパンはもちろんのこと、日本の懐かしいパンが食べられるアキ・ブーランジェリー。あんぱん、メロンパン、揚げパンなどのお菓子パンから、カレーパン、焼きそばパン、コロッケサンドなどのおかずパンまでそろい、昼時は満員。抹茶の味を生かしたエクレアやシュークリーム、ショートケーキも人気で、バレンタインには期間限定のハート型の特別ケーキが用意される。

16, rue Sainte-Anne 75002 Paris
TEL:01 42 97 54 27
M:Pyramides ⑦ ⑭

À la mère de famille
ア・ラ・メール・ド・ファミーユ
毎年楽しいユニークなお菓子

À la mère de famille 
ア・ラ・メール・ド・ファミーユ1760年創業のパリの老舗菓子屋「ア・ラ・メー ル・ド・ファミーユ」。数年前からチョコレー トは豆から作るようになり、ますます品質が向 上し続けている。毎年バレンタインにユニークな商品を提供する「ア・ラ・メール・ド・ファミーユ」だが、今年はアーティチョークの「芯」と「心」をかけた coeur d'artichau(t 60€)と、石の中からハートがのぞく coeur de pierre(29€)を発売。

33/35, rue du Faubourg Montmartre
75009 Paris
TEL:01 47 70 83 69
M:Le Peletier ⑦
www.lameredefamille.com

Mori Yoshida モリ・ヨシダ
本質を追求した新しいパティスリー

Mori Yoshida モリ・ヨシダフランス菓子に日本人のアイデアと品質を詰め込んだ「Mori Yoshida」のお菓子。静岡で2005年にパティスリー「ナチュレナチュー ル」をオープンさせ、その後パリの「ギ・サヴォワ」、「パティスリー・デ・レーヴ」、「ジャック・ジュナン」で修行し、13年4月に念願のパリで店をオープン。フランス伝統菓子に正面から向き合い、完成度の高い商品を生み出す。バレンタインに喜ばれること間違いなし!

65 av de Breteuil 75007 Paris
TEL:01 47 34 29 74
M:Sèvres-Lecourbe ⑥、Duroc ⑩ ⑬
moriyoshida.fr

Lenôtre ルノートル
伝統菓子はここで食べたい

Lenôtre ルノートルお菓子界に革命をもたらした、ガストン・ルノー トルの店「Lenôtre」。伝統的なお菓子「ババ」をバレンタインにと生み出されのは、Amour de baba(28€)。イチゴシロップ漬けのババ、イチゴ、しょうが、滑らかなバニラのババロア が、イチゴのホイップクリームに覆われてい て、見た目も味も最高にスイート。この他にも、くまとハート型のチョコレート Déclaration chocolat(9.90€)などがある。

44, rue d'Auteuil 75016 Paris
TEL:01 45 24 52 52
M:Michel Ange Auteuil ⑨ ⑩
www.lenotre.com

Pierre Hermé ピエール・エルメ
香り豊かにゴージャスさを演出

Pierre Hermé ピエール・エルメパティスリー界のピカソと呼ばれる、ピエー ル・エルメのバレンタインは、ハート形のマカロン・ビスキュイの中に、ローズ・ペタルのクリーム、フランボワーズ、ライチを挟み込んだ Coffret Duo Coeur Ispahan(20€)がお薦め。またバラ、オレンジの花、しょうがというオリエンタルな香りがする Macaron fleur d’Orange,Rose & Gingembre(2.05€、箱入りは13.50€ ~)も見逃せない。

72, rue Bonaparte 75006 Paris
TEL:01 43 54 47 77
M:St-Sulpice ④
www.pierreherme.com

Jean-Charles Rochoux
ジャンシャルル・ロシュー
チョコレート界の彫刻家

Jean-Charles Rochoux 
ジャンシャルル・ロシュー彫刻のように美しいチョコレート作品を生み出すジャンシャルル・ロシュー。土曜日限定で発売されるTablette aux fruitsは、フレッシュなフルーツをチョコレートの中に閉じ込めた商品で、午前中には完売してしまうことがあるほどの人気商品。バレンタインには、赤い部分と黒い部分を2人で仲良く分けて食べられる Coeur en chocolat praliné amande/ noisette(21.50€)が発売される。

16, rue d’Assas 75006 Paris
TEL:01 42 84 29 45
M:St-Placide ④
www.jcrochoux.com

Arnaud Delmontel アルノー・デルモンテル
手軽なスイーツが大人気

Arnaud Delmontel アルノー・デルモンテル2007年のバゲットコンクールで1位になった実力派のアルノー・デルモンテル。バレンタイン用に売り出される South Pigalle forever(14.50€)は、ミルクチョコレートの軽いムースを使用し、ハート型のフルーツが層になった愛らしいケーキで、上にはアーモンドペーストで作られたリボンが乗っている。2人用のレモンのタルト Tarte en coeur citron meringue( 9.50€)もお薦め。

39, rue des Martyrs 75009 Paris
TEL:01 48 78 29 33
M:Saint-Georges ⑫、Pigalle ② ⑫

Yamazaki France ヤマザキ・フランス
和の味覚をフランス菓子に

Yamazaki France ヤマザキ・フランスフランス菓子に、和のエスプリを加えたオリジ ナルケーキを発売する「ヤマザキ」。スイーツ 以外にも、キッシュやサンドイッチなどがあり、 ランチやティータイムにサロン・ド・テとしても親しまれている。毎年バレンタインの季節になると、いつもの定番ケーキが、ハート形に変身して登場。フランスの伝統菓子と、日本の味覚を見事にマリアージュさせることのできる シェフの力を、この機会に味わってみては?

6, Chaussée de la Muette 75016 Paris
TEL:01 40 50 19 19
M:La Muette ⑨
www.yamazaki.fr

Angelique Chiba アンジェリック・チバ
パリで30年以上活躍

Angelique Chiba アンジェリック・チバ1968年に渡仏し、数々のシェフの下で修行を 重ねた千葉好男シェフが80年に創業した店、 「アンジェリック・チバ」。日本人初のフランス料理アカデミー会員となった千葉シェフの生み出すモンブラン、エクレア、ガトー・ショコラなどのフランス伝統菓子は、日本人の持つ丁寧で繊細な感覚と、30年以上パリで活躍しているフランスの技術が見事に融合されている。バレンタインには、特製チョコレートを。

28, rue Vignon 75009 Paris
TEL:01 47 42 01 24
M:Madeleine ⑧ ⑫ ⑭
www.angelique-chiba.com

Walaku ワラク
和の甘さで一休み

Walaku ワラク洋菓子もいいが、フランスで疲れたときに癒やしを与えてくれるのが和菓子。サロン・ド・ テ「和楽」では、チョコマロどら焼き(5€)が楽しめる。どら焼きの生地にチョコレートを加え、中のあんにはフランス産の栗を使っている。寒天を加え和風のあんにした上、チョコレー トガナッシュを入れ仕上げているところがポイント。フランスでしか作れないどら焼きだ。栗とチョコレートのマリアージュを堪能しよう。

33, rue Rousselet 75007 Paris
TEL:01 56 24 11 02
M:Vaneau ⑩、Duroc ⑩ ⑬
www.walaku-paris.com

 

バレンタインに訪れたいおすすめスポット

バレンタインに訪れたいおすすめスポット

フランスのハート - Saint-Valentin -
ヴァレンタイン村で過ごす
バレンタインデー

聖ウァレンティヌスに由来する記念日と言われるバレンタインデー。この愛の守護神の名を持つ村、セント・ヴァレンタイン村はフランスの中心部に位置することから「フランスのハート」とも呼ばれている。  

人口約280人というこの小さな村が1年で1番にぎわうとき、それがバレンタインデーだ。市庁舎はハートのアーチが掲げられ、この小さな村に、バレンタインデーの祭りの3日間で何千人もの観光客が訪れる。今年の祭りは2月14日、15日、16日の3日間。この期間は毎朝10:00から市庁舎で訪問記念証が手渡され、祭りのため の特設会場でさまざまな展示会、イベントが予定されている。中でも毎年人気なのが、郵便局コーナーだ。「ペイネの恋人たち」で有名なイラストレーター、レイモン・ペイネの絵が描かれた特製ポストカードや、ペイネの絵の消印を押してもらえるため、毎年行列ができる。夜にはスペクタルやダンスパーティーが予定されている。

ヴァレンタイン村

1. ヴァレンタイン村はオーストリアの都市、ヴァレンタインと、日本の作東町(岡山県美作市)と姉妹都市を結んでいる。
2. ヴァレンタイン村にある愛の庭園では、ここで結婚式をした人の名前などを彫ったハート型のプレートが結びつけられている。
3. ラブレターはこのポストから!
4. バレンタインデーには、村人の手作りアーチが市庁舎に掲げられる。

パリからのアクセス

パリ(Paris Austerlitz駅)からイスダン駅(Issoudun駅)まで。
所要時間約1時間45分。
ヴィエルゾン・ヴィル駅 (Vierzon Ville)経由の場合、約2時間。
イスダン駅からは車で約12km。
セント・ヴァレンタイン村のホームページ
www.village-saint-valentin.com/saint-valentin

Paris
パリの愛にまつわる場所

Marie橋Marie橋

サン・ルイ島にかかるマリ橋は別名、恋人たちの橋とも呼ばれている。愛の願いを込めて橋の下をくぐるとその願いがかない、2人の愛は永遠のものになると言われている。セーヌ川を船 でくぐることもできるが、徒歩の方がゆっくり祈ることができそう。

Quai de Bourbon
もしくはQuai d’Anjou

Love SeatsMK2の「Love Seats」

ナイトシーンをエンジョイする若者たちがこぞってやってくるリバーサイド、ミッテラン国立図書館周辺。そんなスポットを代表する映画館 MK2には、カップル専用の真っ赤な「Love Seats」が用意されている。待ち時間も上映中も、離れたくない2人はここで映画を鑑賞!

MK2 Bibliothèque
128-162, Av de France 75013 Paris

ジュ・テームの壁「Je t'aime」の壁

「壁」といえば、人々を隔てるための障 害物ということで、忌み嫌うべきものが多いのでは? しかし、この「『ジュ・テーム』の壁」には、約300カ国の言語で溢れんばかりの愛のメッセージが書き込まれている。この平和な、夢の場所はモンマルトルの丘に。日本語もあるはずなので探してみよう。

Square Jehan Rictus,
Place des Abbesses 75018 Paris

愛の南京錠愛の南京錠

ルーヴル美術館とフランス学士院を結んでいる車の通らない橋、ポン・デ・ザールからシテ島をゆっくり眺めれば、何ともロマンチック……と、欄干を見れば、たくさんの南京錠が! その数は数千個とも。 南京錠に2人で名前を書き、フェンスにくくり付けてから鍵をセーヌ川に投げ捨てて不滅の愛を誓う。でも、果たして環境にいいのかという疑問も。

Pont des Arts

毎年この時期は必ずチェックしたい
La Posteのバレンタインの切手

バカラ - バレンタインの切手毎年有名デザイナーとコラボ レーションをして、フランスの郵便局「La Poste」が発行するハート型切手。今年は創立250年を迎えるクリスタルブランドの「バカラ」デザインだ。バカラの代表的なシャンデリア「ゼニス」と、1841年に 生み出された「アルクール」のワイングラスをイメージして作られた この切手。金色に輝く細い線が美しく、バカラの華麗さを体現している。

毎年バレンタインに向けて発行されるこの切手は、これまでに、イヴ・サンローラン、クリスチャン・ラクロワ、シャネル、ジバンシーなどがデザインを担当し、コレクターも多い人気シリーズ。昨年はエルメスのスカーフをイメージした切手が発売された。

 

フランスお土産マップ

フランスお土産マップ

フランスに住む人は日本に帰郷する際に、
また、日本からの旅行者は家族や同僚への
フランス土産に迷うことはありませんか?
あるいは、フランス国内を旅行していて、
地方の特産を持ち帰りたいけど、
さて何がいい……と
考え込んでしまったことはありませんか?
そんな皆さんのヒントになる、名産を含めた
フランス各地のお土産を一挙ご紹介。
(フランスニュースダイジェスト編集部)

アキテーヌ、ポワトゥー=シャラント地域圏

  • 1. コニャック Cognac

    コニャック Cognac ボルドーの赤ワインはあまりに有名ですが、この周辺では高級ブランデー、コニャックも製造されています。大きなボトルは高価なので、小さなお土産用のボトルをどうぞ。
  • 2. カヌレ Canelés

    カヌレ プリンを焼いたような、バニラとラムの香りが漂う香ばしくてかわいいお菓子。ボルドー女子修道院で18世紀に作られたのが始まりです。一口サイズのミニ・カヌレもお茶請けに喜ばれます。
  • 3. ジャンボン・ド・バイヨンヌ Jambons de Bayonne

    ジャンボン・ド・バイヨンヌピレネー山脈アドゥール川流域のみで生産されるフランスを代表する生ハムの一つ。豚もも肉の表面に小麦粉と豚脂を塗る「パテ塗り」という特徴的な製造工程を経て、ゆっくりと乾燥された味わい深いハムです。
  • 4. エスパドリーユ Espadrilles

    エスパドリーユ Espadrilles麻で編まれた縄底と、アッパーが綿素材の靴。バスクやカタルーニャ地方で春夏に履いていましたが、今はフランス全土で夏用靴の定番に。天然素材だから素足に履くと気持ちがいい。女性用にはヒールがあるものやリボンで縛り上げるタイプなど、バラエティー豊富。

ミディ・ピレネー地域圏

  • 5. ベレー帽 Bérets

    ベレー帽 Bérets 絵に描いたフランス人、といえば、一昔前はベレー帽をかぶっていました。実はベレー帽、フランス南西部で製造されていたのです。暗くなりがちな冬の装いに鮮やかな色を添えるベレー、色違いでいかが?
  • 6. カンカン帽 Canotiers

    カンカン帽 Canotiersお祭り気分を盛り上げる麦わら帽子、カンカン帽。ミディ・ピレネーで18世紀から作られていたという手作りものは魅力的です。特に女性がかぶるとマニッシュでセクシーと評判。
  • 7. ライオールナイフ Couteaux de Laguiole

    ラギオールナイフもともとアヴェロン県のライオール村で生産されるナイフのことでしたが、現在ではナイフの一種とされ、当村以外の土地で数社によって製造されています。中でもシャトー・ライオールなどの高品質のソムリエナイフもあります。蜂(蝿という説も)が付いているのが特徴。ラギオールナイフ
    Photos www.layole.com

ブルターニュ地域圏

  • 8. ゲランドの塩
    Sel de Guérande

    ゲランドの塩  Sel de Guérande小さくて軽く、値段もお手頃。お料理好きには好まれること請け合いの天然塩。ゲランドの大地に広がる塩田、塩湖でとれたこの貴重な白い結晶は、現在も伝統的な製法で作られています。
  • 9. ボーダーシャツ Marinière

    ボーダーシャツ Marinière白地にボーダー柄の綿シャツは「バスクシャツ」と呼ばれています。その40%を製造しているのが、約70年にわたり船乗りたちのためのマリンウェアーを製造している、フランスの最西端、カンペールにある老舗アルモー・リュックス社。

プロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地域圏

  • 10. マルセイユ石けん
    Savon de Marseille

    マルセイユ石けん マルセイユ産の石けんでも、オリーブオイルなどの天然植物オイルを100%使用し、さらに地中海の海水で精製したという品質のよいものもあります。ルイ14世が制定した製造基準を守り続けているという老舗の石けんメーカーはセライユ社。
  • 11. プロヴァンス・ハーブ
    Herbes de Provence

    プロヴァンス・ハーブプロヴァンス地方でよく料理に使われるタイム、セージ、オレガノ、マジョラム、フェンネル、ローレル、ローズマリーなどたくさんのハーブのブレンド。魚料理、肉料理、煮込み料理に入れれば、手軽にプロヴァンスの香り付けができます。

ローヌ=アルプ地域圏

  • 12. 絹織物 Tissus en soie

    絹織物 Tissus en soie リヨンはフランスの機どころ。絹織物の歴史は16世紀にさかのぼり、歴史や製造技術を紹介する博物館や工房などが点在しています。ネクタイやちょっとしたスカーフなど、リヨン産の絹をお土産に。

リムーザン地域圏

  • 13. 磁器 Porcelaines

    磁器 Porcelainesリモージュと言えば七宝細工と焼き物です。リモージュは豊富な原料の産地で、150年の歴史を誇る名窯「ベルナルド」や「レイノー」などがあります。高価だし割れる恐れもあるので、ペンダントなど小物なら安心。


アルザス地域圏

  • 14. テーブルクロス Nappes

    テーブルクロス Nappes赤×白の格子柄のテーブルクロス、アルザスのレストランでよく見掛けますね。このケルシュ(kelsch)織りのテーブルクロスは丈夫で長持ち。ボーヴィル社は18世紀中頃からこの地で手作業による版木を用いたプリント技法でテーブルリネンを手掛けています。
  • 15. 陶器 Terre de poteries

    陶器 Terre de poteries厚手のぽってりとした色鮮やかな陶器には、アルザス地方のシンボルであるコウノトリや花の絵などが描かれています。保温性があり中身が冷めにくいのが特徴。大鍋は大勢の家族用に、自分へのお土産にマグカップなどは?

ブルゴーニュ地域圏

  • 16. マスタード
    Moutarde de Dijon

    マスタード  Moutarde de Dijonマイユの銘柄でおなじみのディジョンのマ スタード。もちろん他の銘柄もたくさんあります。ニンニクやレモン、カシスなど30種類以上のフレーバーがあるとか。さらにピンクや緑などの珍しい色のものも。
  • 17. クレーム・ド・カシス
    Crème de Cassis

    クレーム・ド・カシス Crème de Cassisこの甘いカシスのリキュール、さまざまなカクテルに使われます。白ワインと割ればキールに、発泡性のシャンパンやクレマン・ド・ブルゴーニュと割ればキール・ロワイヤルに。

ノルマンディー地方

  • 18. シードル Cidre
    カルヴァドス Calvados

    マスタード  Moutarde de Dijonノルマンディーではリンゴから作られるアルコールがあります。発泡酒シードル、そしてそれを蒸留したカルバドス。バランスの良いカルヴァドスを造るにはブレンドに熟練の技と知識が必要だそう。
  • 19. ラ・メール・プラー
    La Mère Poulard

    ラ・メール・プラー La Mère Poulardモン・サンミシェルを訪れたら、必ずと言っていいほど立ち寄るのが赤い看板の「ラ・メール・プラー」のお店。プラーさんはモン・サンミシェルで宿屋を営み、料理を作っていました。中でも有名だったのがオムレツ。今ではクッキーからドリンクまで魅力溢れるお土産品がそろいます。

ペイ・ド・ラ・ロワール地域圏

  • サブレ Sablés20. サブレ Sablés

    バターと小麦粉で作られた、トゥールに近いサルト県サブレの地にゆかりのあるシンプルなクッキー。他のクッキーに比べ、バターの割合が多いため、バターの香りが豊か。

イル・ド・フランス地域圏

  • 21. パリ全区のカラフ Carafes
    "Arrondissements de Paris"

    パリ全区のカラフ毎回の食卓に欠かせないのが水入りのカラフ。パリの1~20区で色分けがされた20本は容器の下部に、パリの水についての情報が書かれています。他にも食卓の話の種になるパリ水道局のグッズあり。
  • 22. メトロプリント
    Métro de Paris

    Métro de Parisパリのメトロ路線地図がプリントされた楽しいグッズ。帽子、タオル、T シャツなど豊富に取りそろっています。これを身に着けていれば、実際にメトロの中で迷うことはないかも?
  • 23. 奇跡のメダイユ
    Médaille miraculeuse

    奇跡のメダイユパリ7区の奇跡のメダイユ教会(Chapelle Notre-Dame de la médaille miraculeuse)で売られているメダイユ。「お土産」と言っては不謹慎かもしれませんが、メダルを手にした人に奇跡が起こる、幸福が訪れると言われています。1830年、修道女がマリア様から「人々のために心を込めてメダルを作りなさい」とお告げを受け、そのメダルを配ったらコレラが収束したという伝説が。
  • 24. スノードーム
    Boules à neige

    スノードーム  Boules à neige動かすたびにドーム型の小さな容器の中で雪がちらちらと舞うロマンチックなおもちゃ。エッフェル塔をモチーフにしたスノードーム は、1889年のパリ万博で話題になり、世界中に広まったそう。
  • 25. ツール・ド・フランスグッズ Souvenirs du Tour de France

    ツール・ド・フランスグッズフランスを巡る世界最大のロードレース、ツール・ド・フランス。勝利した者だけに贈られるマイヨ・ジョーヌ……が、サイズもフォームもさまざまに売られています。これを着て自転車に乗れば気分爽快。
    ツール・ド・フランスグッズ

小さくて、かわいくて、大勢に配るのにもいいお土産 フランス各地の特産ボンボン

    ボンボン・マップ
  • 1. モンテリマーのヌガー
    Le Nougat de Montélimar
  • 2. プロヴァンスのパート・ド・フリュイ
    Les Pâtes de Fruits de Provence
  • 3. アプトのフリュイ・コンフィ
    Les Fruits Confits d’Apt
  • 4. カリソン・デクス Le Calisson d’Aix
    12世紀の書物に原型が記されているというエクス・ アン・プロヴァンスの伝統的な菓子。エクス・アン・プロヴァンス産のアーモンドとメロン(もしくは別のフルーツ)の砂糖漬けをペースト状にして練り合わせたもので、表面がグラスロワイヤルで覆われています。
  • 5. プロヴァンスのヌガー Le Nougat de Provence
  • 6. ユゼスの甘草 Les Réglisses d’Uzès
  • 7. アルデシュのマロングラッセ Les Marrons Glacés d’Ardèche
  • 8. ヴィシーあめ Les Pastilles et Sucres d’orge de Vichy
  • 9. オーヴェルニュのパート・ド・フリュイ Les Pâtes de Fruits d’Auvergne
  • 10. トゥーロン Le Touron
  • 11. カシュー Les Cachous
  • トゥールーズのスミレのあめ12. トゥールーズのスミレのあめ Les Violettes de Toulouse
    トゥールーズの北部に咲き乱れていたというこの町ゆかりの花、スミレ。スミレの香り付きやアニス入りのあめが小さくてきれいな容器に入っているので、人に配るのに最適です。
  • 13. モントーバンのミニボール Les Boulets de Montauban
  • 14. コティニャック・ドルレアン Le Cotignac d’Orléans
  • 15. モンタルジのプラリネ La Praline de Montargis
  • 16. ニオールのアンジェリカ・コンフィ L’Angélique Confite de Niort
  • 17. ボルドーのギャリエン Le Gallien de Bordeaux
  • 18. バスクのトゥーロン Le Touron du Pays Basque
  • 19. ナントのベルランゴ Le Berlingot de Nantes
  • 塩バターキャラメル20. 塩バターキャラメル Le Caramel au Beurre Salé
    ブルターニュの特産物 Fleur de sel(天日塩)が入ったキャラメルは、お土産リストのトップ。甘辛のうま味がたまりません。「ゲランドの塩とポワトゥ・シャラントの無塩バターを使用」というこだわりの塩バターキャラメルもあります。
  • 21. ニニシュ La Niniche
  • 22. ノルマンディーのキャラメル Les Caramels de Normandie
  • 23. ルーアンのリンゴあめ Le Sucre de Pomme de Rouen
  • 24. カンブレのベティ―ズ La Bêtise de Cambrai
  • 25. 鉱山のあめ La Pastille du Mineur
  • 26. ナンシーのベルガモット La Bergamote de Nancy
  • 27. フラヴィニーのアニス L’Anis de Flavigny
  • 28. ヌヴェールのネギュス Le Négus de Nevers
  • 29. ブールジュのフォレスティン La Forestine de Bourges
  • 30. ココン・ド・リヨン Le Cocon de Lyon
 

ソチ冬季五輪代表 フィギュアスケート ブライアン・ジュベール選手

ソチオリンピック、代表候補選手にインタビュー:ソチ五輪が現役最後の試合、良いスコアで有終の美を飾りたい

音楽とともに、スピンやジャンプなどが組み込まれた華麗な競技、フィギュアスケート。

約10年前、フランスの男子フィギュアスケート界に流星のごとく現れたブライアン・ジュベール選手は、次々と権威ある大会を制覇し、欧州チャンピオン、世界チャンピオンの座に就いた。

難なく頂点に上り詰めたと見えたその裏には、ハンディを抱えながらも果敢に挑戦を続ける姿があった。大会を目前に大けがをしたバンクーバー冬季五輪での屈辱を、ソチ冬季五輪では何としても晴らしたいところ。

フィギュアスケート男子・フランス代表 ブライアン・ジュベール Brian Joubert

ブライアン・ジュベール

1984年9月20日、フランス西部ポワチエ生まれ。生後11カ月のときに片方の腎臓を摘出。4歳でフィギュアスケートを始める。世界フィギュアスケート選手権においては2007年(東京)金、04、06、08年には銀、09、10年は銅メダルを獲得。04、07、09年、欧州フィギュアスケート選手権で優勝。06-07年にはGPシリーズエリック・ボンパール杯、ロシア杯、GPファイナル、欧州選手権、世界選手権と、出場した全ての主要な国際競技会で優勝。ロシア杯では欧州の選手で初めて4回転ジャンプを3回決めた。10年のバンクーバー冬季五輪では16位。所属はクラブ・フランスFFSG。
www.brian-joubert.com

「10歳のときから世界チャンピオンになりたいと強く願い、
一心に目指してきた」

フィギュアスケートを始めてから今まで、フィギュアスケートに対する思いは変わりましたか。

「姉たちと同じことをしたい!」と、フィギュアスケートを始めました。徐々にスピード感のある滑走に喜びを覚えるようになると同時に、とりわけ好きになったのが氷上でのジャンプでした。そして今は、スポーツの中でフィギュアスケートを選んで本当によかったと思っています。難しいスポーツの一つを選んだことを誇りに思っています。フィギュアスケートは、スポーツの中のスポーツといえる競技ではないでしょうか。

スケートを続ける上で大きな支えになっているものは何ですか。

僕の勝利に、母の存在はとても大きいです。何もかも、母のお陰だと思っています。母には隠すことなく全てを話します。彼女は私を支えてくれていると同時に、勝利に向かって誘導してくれるのです。もしトレーニングが不十分だったり、滑走のできがよくなかったりすれば、それを率直に指摘してくれるのが母なのです。

生まれてすぐ腎臓を片方摘出したそうですね。スケートをするのに影響はありますか。

ありますね。僕の腎臓は一つしかありません。腎臓の機能が半分なので、排出されるべきものがうまく排出されないというハンディを負っています。ですから、常に自分の健康状態を気にかけ、警戒していなければなりません。そうでないと体が疲れてしまうのです。

あなたの最大のライバルは誰ですか。また、目標としている人物はいますか。

フランス国内のライバルは、フローラン・アモディオをおいて他にはいません。彼を意識しているお陰で、自分はこのように高いレベルにとどまっていられるのだと思っています。

僕の手本としている人物は、イタリア出身のオートバイレーサー、バレンティーノ・ロッシ氏です。なぜかって? 彼は15年間で9回も世界覇者となった偉大なチャンピオン。決してあきらめない人だから。

フィギュアスケート界では、よく元世界チャンピオンのアラン・カルマ氏と会います。僕のスケートの指導をしてくれるアラン・ジレッティ氏と同じように。2人は僕にとっての模範です。でも、カルマ氏のように政治家は目指しませんよ。僕は将来、 優れたトレーナーになって、チャンピオンを育てたいのです。

チャンピオンとして、カルマ氏以来のフランス人スケーターと評されることもありました。強さの秘訣は何ですか。

秘訣なんてありません。10歳のときから、ずっと世界チャンピオンになりたいと強く願い、一心に目指してきた、それだけです。だから、コーチに付いて、または1人でトレーニングを行うことが苦にならず、好きで好きで、進んで練習ばかりしていました。そして、 家族や親しい仲間たちのいる地元のポワチエでトレーニングできることが、僕にとっては快適ですね。パリなど他の町でもトレーニングを行っていましたが、結局また生まれ育ったポワチエに戻ってきました。最初に指導してくれたコーチのヴェロニク・ギヨンと、このポワチエの町で自分のキャリアを終えたいと考えています。この町にいるととてもうれしく、精神状態が安定します。

世界選手権東京大会でのジュベール選手
2006年、世界選手権東京大会で金メダルに輝いたジュベール選手(中央)
日本の高橋大輔選手は銀(右)だった

「いつも、練習よりも本番に強いのです」

2004年の欧州選手権では無敵だったエフゲニー・プルシェンコ選手(ロシア)を破って初優勝しましたね。

ブダペストで開催された欧州選手権で金メダルを獲得したあの瞬間は、決して忘れられません。欧州チャンピオンという、生まれて初めて勝ち取った大きなタイトルでしたから。また、当時は弱冠19歳だったので、若さゆえにプレッシャーなどほとんど感じていませんでした。だから精神的にもずっと楽だったのでしょう、簡単に成し遂げられてしまったのです。それまで僕はフィギュアスケート界で無名だったので、タイトルというタイトルを総なめにしていたスター選手、エフゲニーを破るために、自分自身がこれまでになく強くあらねばならない、と発憤興起していました。このような意気込みで挑んだブダペスト大会で、僕は勝てる確信があったのです。そんなみなぎる自信を感じたためか、あのときのエフゲニーは動揺して安定を欠いていたと、僕は感じていましたよ。

06年のロシア杯では、成功と失敗が見分けられやすい大技、4回転ジャンプを3回も決めましたね。

僕は技についてとてもシビアです。技を完璧にこなしたい。全ては長年師事してきたコーチ、ヴェロニク・ギヨンから伝授されました。実は、大会本番の競技プログラムの中で実際に4回転ジャンプが3回とも成功したのはそのときが初めて。それも、練習で一度たりとも試したことがないのに、何と成功してしまったのです! 僕はいつも、練習のときよりも本番に強いのです。

今までどんな困難がありましたか? 大会前にけがなどされているようですが。

これまでに大きなけがを二つしました。一つは、07年世界選手権東京大会の3週間前に、何と自分のスケートシューズのブレードが足の甲を貫いたのです。 その痛みといったら、それは半端じゃなくつらいものでした。この事故のあった06-07年のシーズン、僕は出場したあらゆる大会で勝ち抜いていました。どうしても世界チャンピオンの座に就きたかったので、そのときは二重のつらさを味わいました。しかし、そんな思いで出場した東京大会では、結果的に優勝を果たしました。

二つめの大けがとは、09年12月にした、07年と全く同じけが。このときはもっと重症で、もう目前に迫っている10年開催のバンクーバー冬季五輪で金メダルを狙うことは不可能になってしまったと分かりました。

困難を乗り越えるためには、自分について改めて問い直すこと、自らを省みることを拒まず受け入れることですね。人は失敗の中から物事をさらに学ぶものなのです。

ソチ冬季五輪で勝利するためにはどうすればいいですか。

五輪の勝者となるためには、精神面のコンディションが完璧に近く、強靭でなくてはなりません。というのは、皆がこの檜舞台のために調整を行って、最高のコンディションで臨んできますから、違いは精神面から表れるものだけです。  実は、このソチ五輪を僕の現役最後の大会と決めています。だから良いスコアを残して有終の美を飾りたいのです。14年の冬季五輪では、ただただ、演技を成功させたい。

12年の世界選手権ニース大会での滑走
会場の雰囲気が良かったと、ジュベール選手の印象に残っている12年の世界選手権ニース大会での滑走

「僕の特長は力強さと技」

フランスのフィギュア選手はフィリップ・キャンデロロ氏など、個性的な選手が目立つような気がします。

フランスのフィギュアスケートの特徴は氷上で演技ができること。でも、フランスのスケーターは1人として同じスタイルの選手はいないことが重要なポイントです。

皆さんに注目してもらえる僕の特長は? と探すと、それは力強さと技なのではないでしょうか。

技は改善し続けていくものなのでしょうか。

技はとてもデリケートなもの。年をとればとるほど、体は痛みを感じるようになります。これはネガティブですが、逆にポジティブな面は、 経験が積み重ねられることです。だから年を重ねた今はジャンプについても知り尽くしているし、その技を修正することは以前より簡単になっているのです。

私生活ではどんなことをしていますか? チャリティー活動にも力を入れていますね。

僕は病気の子供たちのために活動している協会を援助していきたいです。義援金を集めるための、また単に精神面で支援するために特別公演などを行っています。

日本人に向けてメッセージをお願いします。

僕の感謝を伝えたい。僕のスポーツ、フィギュアスケートに興味を持ってくれたこと、僕への支援に対して。そんな皆のお陰で、僕は日本に行くことが好きです。

フィギュアスケート Figure skating

音楽に合わせてスピンやジャンプなどの技を組み込み滑走するスケート競技。1924年のシャモニー冬季五輪以降、冬季五輪の正式競技になっている。ソチ冬季五輪では男子シングル、女子シングル、ペア、アイスダンス、団体の5種目。団体のシンクロナイズドスケーティングが種目入りするのはソチ冬季五輪が初めて。

男子シングルでは、規定の技を組み込んだショートプログラム(SP)とフリースケーティング(FS)の二つの演技の合計点で競う。フランスの男子フィギュアスケートでは、かつてアラン・ジレッティ(50年代)、アラン・カルマ(60年代)、パトリック・ペラ(70年代)、フィリップ・キャンデロロ(90年代)などが活躍した。

フィギュアスケート男子・フランス代表 ブライアン・ジュベール

 
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