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Fri, 19 December 2025

第304回 欲望のシティと禁欲の修道院(後編)

前号では1066年のノルマン征服後、戦争の懺悔と償いを施す必要があり、イングランドの多くの土地がキリスト教の教会や修道院に寄進された話をしました。それだけ聞くとローマ教皇が何だか得をしたように聞こえます。ところがノルマン人が占領地に乗り込んできても、地場のサクソン人の支配はそう簡単に行きません。占領地に平和で安定した社会を築くには司祭や修道士という平和を祈る知識人の助けが必要です。

社会の安定には、軍人と農民を仲介する聖職者が必要 社会の安定には、軍人と農民を仲介する聖職者が必要

当時のフランス・カペー朝では土地を仲立ちとした封建制度ができており、身分の固定化が図られていた時期で、ウィリアム征服王もそうした封建的な身分制社会をイングランドに築こうとしました。ノルマン征服直後にイングランド全土が分割され、土地の約3割が王室、約4割が領邦、最後の約3割が聖職者のものと示されました。当時の聖職者は石工建築や開墾、農地開発に知見があり、社会の安定化とインフラ整備に貢献しました。

貴族・聖職者(上)と農民(下) 貴族・聖職者(上)と農民(下)

そして13世紀頃からシティに修道院が建てられました。もともと人里離れたすみかで「祈り、働き」禁欲的な修行を積んでいた隠修士が貨幣経済の進展と共に都市の住民や団体の宗教行事に参画するようになりました。また、テンプル騎士団やヨハネ騎士団といった十字軍を派遣する国際プロジェクトに加わった騎士修道会は、国際ネットワークを使って国際情報や国際金融、他国の法律知識をシティに持ち込んできました。

テンプル騎士団(左)とヨハネ騎士団(右) テンプル騎士団(左)とヨハネ騎士団(右)

また、シティには主要な托鉢修道会、ドミニコ派、フランチェスコ派、オースティン派の修道院が出そろいました。托鉢修道会は都会に進出してきた修道院で、都市住民の告解を聴き、葬儀や年忌法要に祈りを捧げて奉納を受けるのが主な活動です。シティには裕福な商人と職人がたくさん住んでいたので、シティ中心部で説教や法要を行って献金をもらい、シティ境界線の外で大きな施療院や救貧院といった厚生施設を建設しました。

シティに存在したドミニコ派、フランチェスコ派、オースティン派(左から) シティに存在したドミニコ派、フランチェスコ派、オースティン派(左から)

当時の人々は「煉獄」とどう向き合うかが重要でした。煉獄とは人が天国に行く前に火によって生前の罪を浄化する場所です。生前に慈善と寄進を行うほど罪が軽くなり、死後の魂が救済されると信じられていたので、シティは金銭欲が渦巻く強欲の場所でありながら、個人の魂を救済する場所になりました。積極的に「悔い、改め」懺悔することが、結果的に浄財を通じて社会貢献につながりました。さて、皆さん、もう年の瀬です。除夜の鐘の音を聴きながら、自らの煩悩を取り払い、清らかな心身でどうぞ良い新年をお迎え下さい。

煉獄(中央)から天国(左)地獄(右)に行く 煉獄(中央)から天国(左)地獄(右)に行く

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シティ公認ガイド 寅七

シティ公認ガイド 寅七
『シティを歩けば世界がみえる』を訴え、平日・銀行マン、週末・ガイドをしているうち、シティ・ドラゴンの模様がお腹に出来てしまった寅年7月生まれのトラ猫


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