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Fri, 19 April 2024

葉加瀬太郎さんインタビュー葉加瀬太郎さんインタビュー

曲名も知らない、作曲家名も知らない。でもいつまでも心に残って離れない、そんな曲はないだろうか。バイオリニスト/作曲家の葉加瀬太郎は、そういう曲を生み出すことのできる音楽家だ。代表作の一つ、「エトピリカ」。その曲名を知らなくとも、TBSのドキュメンタリー番組「情熱大陸」 のクライマックスで、すっと始まる一筋の旋律の美しさに、その音色の煌めきに、心奪われた記憶を持つ人は多いだろう。無意識のうちに心に住まう、そんな曲をつくり続ける彼が3月、ロンドンでクラシックの名曲をメインに据えたコンサートを開催する。なぜ今、クラシックなのか。 現在は練習の真っ最中という葉加瀬に、その心境の変化を聞いた。
(取材・文: 村上祥子、写真: Maiko Akatsuka)

葉加瀬太郎  TARO HAKASE

1968年1月23日大阪府生まれ。90年、東京藝術大学在学時にKRYZLER&KOMPANYのバイオリニス トとしてデビュー。96年に解散後はソロとして活躍。同年10月、セリーヌ・ディオンのワールド・ツアー に参加し、世界にその名を広げる。2002年には自身が音楽総監督を務める「アーティスト自身が自由に創作できるレーベル」、HATSを設立。以降はプロデューサーとしても本格的に活動している。代表作にTBS番組「情熱大陸」テーマ曲や、人気ゲーム、ファ イナル・ファンタジーⅦ交響詩「希望」など。

ストライプのスーツにカラフルなポケット・チーフ。そしてトレードマークとも言える個性的な髪型からは、楽しくて仕方がないという風情の笑顔が覗く。真っ白で殺風景な小部屋で行われた今回のインタビュー。葉加瀬太郎はその穏やかな語り口とは対照的に、自らのつくり出す曲同様、色彩鮮やかで幸福感に満ちた強烈なオーラであっという間に部屋の空気を染め変えた。

葉加瀬太郎

ジャンル分けできない音楽

「気が付けばそこにある音楽」。多くの人にとって、葉加瀬太郎の音楽とはそんな存在なのではないだろうか。テ レビをつければ葉加瀬作曲のテーマ曲が流れ、コンピュー ター・ゲームを楽しめば彼の音楽がBGMとしてストー リーに彩りを添えている。我々の日常生活に知らぬ間に浸透している、それが葉加瀬太郎の音楽だ。1990年、当時、東京藝術大学の学生だった葉加瀬はクライズラー&カンパ ニーというバンドでメジャー・デビュー。バイオリン、ベース、キーボードという編成、クラシックの名曲をポップにアレンジした手法、そして派手な衣装とダンスも取り入れた華やかなパフォーマンス。そのすべてが当時は斬新なものだった。

「ジャンル分けができない音楽ってよく言われていましたね。面白いなと思ったのは、色々な人からこれだけバイオリンの音楽がテレビで流れてくる国は日本しかないって言われたんです。僕の今までのキャリアが、それまでなかっ たものをつくり出す力に、少しはなれたんじゃないかという自負はあります」。

「バイオリンでポピュラーなものができるかっていうことに気が付くかどうか」、これがポイントだったと葉加瀬は言う。「日本だとバイオリン・イコール・コンサートホール、クラシックで拍手もしちゃいけないっていう、アカデミックなイメージがあるんだよね。でもヨーロッパだとストリートにもたくさん溢れているし、フォークでも使われているから、また違った側面がある。だからバイオリンという楽器はもっとフレンドリーなものだと伝えたいっていうのは、若い時からずっと考えてきたし、やってきたつも りです」。

バイオリンをもっと身近に感じてもらう。藝大出身、もともとは「アカデミックな」クラシックを学んできたのであろう葉加瀬がこう考えるようになったのは、いつの頃からなのだろうか。

「クラシック界の異端」への道

クラシック以外の世界に目覚めた時、それは18、19歳の頃だった。4歳からバイオリンを始め、お小遣いはすべてクラシックのアルバムに。小さな頃からヘッドフォンでクラ シックを聴きながら宙に向かって指揮をしていたという自称「クラシックおたく」の葉加瀬は、藝大でカルチャー・ショックを受ける。「ロックに出会ってしまったんですよ」。 素人の目から見ると、それこそ藝大イコール・クラシック漬けというイメージがあるが、葉加瀬いわく、「他の音大 だったら、僕の人生は全く変わっていたかもしれない」という。藝大は芸術の総合大学。音楽だけでなく、通り一本隔てたところには美術学部があった。

「油絵、彫刻みたいなファインアートをやってる人たちは筋金入りの音楽しか聴かないのね。分かりやすく言うと、ストーンズかボブ・マーレーかセックスピストルズ。ほかは音楽じゃないっていう世界なんです。そんな彼らと仲良くなって、何しろ『つくり出す』というエネルギーに魅せられた。例えば僕がバイオリンを弾くとすると、バッハとかベートーベンとか、楽譜がないと何もできない。でも彼らは粘土とか木とかキャンバスがあれば「はい、これが僕です」って言えるでしょう? そこに自分のジレンマという か、フラストレーションを感じて。何かつくり出さなきゃなって思わせてくれたのが彼らだった」。

そこから葉加瀬の人生は急展開を迎える。バンドを組み、曲を書き始める。そしてパンクの洗礼を受けて、大急ぎで ビートルズからエルビスまでを「勉強」。「チャイコフスキー・コンクールで1位をとるよりも、オリコンのチャート・インでしょう」と思い、ポピュラーな業界に入るため、バイオリンで出来る、ありとあらゆるバイトをやった。

「一番始めにやったのが、近藤真彦『森の石松』(笑)。明治座、3カ月公演で1ステージ3000円でした。で、次が劇団四季。これは2~3年くらいやったかな。とにかく目立たなきゃと思って。(オーケストラ)ピットって舞台の下 にあるから、目立たないわけです。だからバイオリンのフ レーズがある時には椅子の上に立って弾くわけ。役者さんたちからは、おかしな奴がいるぞってなって、かわいがっていただきました。そこから藝大の変な奴がいるぞ、と色々なところから声がかかるようになって、セッション・ミュージシャンとして働くようになりました。レコ大も紅白も全部やってましたね。とにかく知ってほしいって何でもやりました」。

そしてそんながむしゃらな生活のなかで、偶然とも必然ともいえる出会いがあった。東京都町田市の小さなカフェ。そこでバイオリン、シンセサイザー、ベースの3人でティータイム・コンサートをやっていた時に訪れたのが、後にクライズラー&カンパニーの生みの親となる音楽プロデューサーだった。クライズラーでの日々では、年間平均 100本にも及ぶコンサートで「お客さんの意味というか、力が一番大切っていうのを教わった」という。曲、演奏、そして話術。そのすべてで観客を魅了する葉加瀬のコミュニケーション能力、コンサート・スタイルは、このクライズラー時代に培われたといって良いだろう。

クライズラー&カンパニー時代の葉加瀬
クライズラー&カンパニー時代の葉加瀬

「ロンドンに恋に落ちた」

デビュー後、約6年間の活動期間を経て1996年、クライ ズラー&カンパニーは日本武道館での公演を最後に解散。その直後、葉加瀬の後の人生を左右することになる出来事があった。世界の歌姫、セリーヌ・ディオンが日本でつくった曲、「To Love You More」。日本では連続ドラマの主題歌となり一世を風靡したこの曲の制作段階から関 わっていた葉加瀬は、この年から約3年間、世界中を周る彼女の100回以上ものコンサートに同行した。

「たった1曲だけのスペシャル・ゲストで、毎晩毎晩、仕事は5分くらいしかないんですけど(笑)。アメリカには3カ月、ヨーロッパも主要都市は全部周りました。そんななかで、なぜかロンドンだけに、ものすごく強く惹かれたんです」。

その後、98~99年には再びロンドンを訪れ、今度は2カ月ほど滞在してレコーディング。この時に「この街に恋に落ちてしまった」。それから約10年、やっと念願かない、昨年9月に家族とともにロンドンに居を構えた。ロンドン西部に住み始めて早数カ月。日々生活を送るうえで、この街の持つマイナス面も見えてきたのではないだろうか。

「確かに、日本と比べればそれほど便利じゃないっていうのは皆が言うことで。でも僕らの世代だと、ちょうど小さい頃の便利さ加減っていうのと、それほど変わらないんですよ。僕ら高校生の時には、頑張れば部屋にエアコンが付くんだ! とか、頑張ればお湯が出るんだ! とかさ(笑)、すごく単純な一つ一つの希望があったけど、今東京に出てくる大学生にとっては当たり前のことなんだろうし。今の日本の持つその便利さがいいか悪いかっていうと僕もよく分からないけれども、好きか嫌いかっていったら、あんまり好きじゃなくなってきちゃったのね。今は自分でも『リスタート』ということを考えているので、逆にこのくらいの方が気持ち的に合っているんでしょうね」。

葉加瀬太郎

チャレンジは王道で

ロンドンでの生活を「リスタート」という言葉で表現した葉加瀬。その言葉を端的に表しているのが、3月に予定されている彼のロンドン・デビュー・コンサートのプログラムだ。ヘンデル、べートーベン、そしてブラームス。大作曲家の著名なソナタがずらりと並ぶ構成。これまでポピュラーであることにこだわり続けた葉加瀬にとって、この心境の変化は何なのだろうか。クラシック回帰なのか、そう尋ねると、一言、「僕にとってはチャレンジなんです」 という答えが返ってきた。

「で、チャレンジするなら、この辺の山の裾野のレパートリーじゃなくて、てっぺんからいくしかないと。今回のプログラムっていうのは、実は僕が子供の頃に憧れていた (イツァーク)パールマン*のリサイタルのレパートリーなんです。とにかくパールマンは僕にとっては神様みたいな存在で、小学校4年生の時に聴いて以来、いまだに一番好きなバイオリン弾きなんですね。これだけ(クラシックとかけ離れた)ポピュラーな曲をやっていても、僕はいつでも彼のプレイをイメージしている。自分のクラシカルなミュージシャンとしてのスタートをどこから始めるかっていったら、そこしかないじゃない? だからてっぺんから行こうって。でもすごい大変です」。

すごい大変、そんな言葉とは裏腹に、その表情と声音はあくまで清々しい。クラシックに魅せられ始まった音楽人生。ありとあらゆるジャンルに親しみながらも、やはり葉加瀬の根底には、常にクラシックが流れているのだろう。クラシック・ファンならずとも知っている有名な曲、王道中の王道を持ってくるその潔さ、そして続く彼の言葉に、何よりもクラシックを愛するミュージシャンとしての強い思いが迸(ほとばし)る。

「よくあるクラシックのコンサートで僕が一番嫌いなのは、マイナーな曲を持ってきましたっていうミュージシャンがいっぱいいるところ。みんな批評家なわけじゃないんだから、知らない音楽を聴く意味はなにもなくて。例えばベー トーベンのソナタっていうのは全部で10曲あるんだけど、演奏会でちゃんと成立するのは、僕は2曲しかないと思ってるのね。5番と9番。それ以外は演奏会では弾くべきじゃない。そうやって選んでいくと、バイオリン・ソナタってそんなにないんです。だから今からトライしていくべきソナタっていうのは、数限られている。残していくべき曲は残していかなきゃいけない。それがマスターピースだから。だから結局、王道しかないんだよね」。

今は練習の真っ最中。これまで自分がつくってきた曲は主に5分くらい。コンサートでは数曲やってMCを入れる、そんなテンポでやってきた彼にとって、30分なりの大曲を演奏することは「まるきり違う作業」であるとともに、 「一番面白い作業」でもあるという。

「やっぱりそれほどフレンドリーなものじゃないと思うんです。30分の曲を拍手なしで聴かせるというのは。ただそうじゃなきゃ味わえない感動っていうのが絶対あるんです。自分が小さい頃に、夢中になって行っていたコンサー トの時に、自分がパールマンの演奏を聴いた時に味わった喜びって何だったかなあっていうのを思い出しながらやっている感じです。それが今の一番のテーマかな」。

*パールマン:イツァーク・パールマン。完璧な技巧で世界中を魅了した、20世紀における最も偉大なバイオリニストの一人。クラシック音楽以外の曲も積極的に取り入れるエンターテイナーでもあった

目指す「バイオリン弾き」の姿

葉加瀬の話を聞いていると、今回のコンサートをきっかけに、完全にクラシックの世界へ移行していくかのように思えるが、その一方でプログラムには葉加瀬作曲の曲も数曲、演奏されるとある。その心には、彼が今後目指す「バイオリン弾き」の姿があった。

「ここ50年くらい、演奏家はクラシックしか弾かなくなったんですけど、そのちょっと前、(ヤッシャ)ハイフェッツ*とかフリッツ・クライスラー*の世代まで、バイオリニストは作曲もすれば、好きな曲を編曲してコンサートで弾 いていたりもしたんですね。今みたいにクラシックとポピュラーっていうのが、生来はっきりと分かれてはいなかった。でも今は単純に、テクニックだけを極めていくの がクラシックの世界で、それ以外だとポピュラーの世界しかないでしょ。たった50年しかたっていないのに、みんな作曲とかアレンジすることをやめちゃって。でも普通は弾いてりゃ書きたくなる。それを今まではポピュラーの世界でやってきたけれど、これからはクラシカルなフィールドで、昔、クライスラーがやってきたことを自分の手でやりたいな、と」。

クライズラー&カンパニーのバンド名の由来ともなった世界的バイオリニストにして作曲家でもあるフリッツ・クライスラー。クライスラーは当時、自分で書いた曲を、バロック時代の曲を見つけてきたなどと偽ってはコンサートで弾いていたのだという。批評家たちは「クライスラーは勉強家だ」と大絶賛。それから30年ほど経って自分のキャ リアの絶頂期でその真実を明かし、批評家たちを煙に巻いたのだそうだ。そんな彼のスタイルを「ウィットに富んでいて格好いいよね」と軽く笑いながら言う葉加瀬だが、そんな言葉の節々に、彼の将来に対する決意が見え隠れする。

「そうやって出来た曲が、今となれば僕たちのレパートリーになっている。そういうふうに自分の曲を、これから の世代の人たちが色々な風に弾いてくれるのはとても嬉しいことだし。やっぱり曲を書くっていうのは、自分のためっていうよりも、楽器で演奏できるレパートリーがみんな のために増えればいいってことだから。今はあまりにもクラシックとエンターテイメントの溝が出来過ぎちゃった。 これからの僕の人生では、その溝を埋めていきたい」。

*いずれもパールマンと並び称される「20世紀最高のバイオリニスト」

「音楽ほど楽しいものはない」

インタビュー当日、葉加瀬には一人の同行者がいた。高田万由子さん。言わずと知れた女優であり、葉加瀬の奥様でもある。葉加瀬の音楽の「一番の理解者」である高田さんは、彼の演奏家としての魅力をこう語ってくれた。

「彼のダイナミックな演奏には、聴く人の心を掴む、何か天性の力が込められているんです。今までのコンサートは全部、お客さんが帰り道で『楽しかったね。また来たいね』って話してもらえるものだったんですね。今までがそうだったんだから、クラシックになったからといって別に眉間にしわを寄せるコンサートにはならない、と思います。やっぱり『楽しかった』っていうのは、人間の一番の根本だと思いますので」。

そう、バイオリンを弾いている時の葉加瀬はいつでも本当に幸せそうだ。バイオリンを弾くことは「世の中で一番楽しい」と断言する葉加瀬の、あまりにまっすぐな物言い に、その場にいた全員が思わず「うらやましい」と笑うと、即座にこう畳みかけた。

「本当に。本当に楽しいんだよ。これはねえ、もうねえ、何度生まれ変わってもバイオリン弾きになると思うけど。 こんなに面白いものはない。音楽ほど楽しいことって世の中にはない」。

こちらが照れくさくなってしまうほどに純粋な、音楽への愛に満ち溢れた言葉。活動のフィールドが変わろうと、ジャンルが変わろうと、彼の音楽に対する喜びと強い思い は、これからもきっと決して変わることなく葉加瀬を支え ていくのだろう。

葉加瀬太郎

葉加瀬には2人の子供がいる。8歳の向日葵(ひまり)ちゃんに、1歳半になったばかりの万太郎君。自分の音楽を「生まれた時からすり込んできている」のが功を奏してか、万太郎君は葉加瀬の音楽をかけた瞬間に「パパ、パパ」と言って喜ぶのだとか。一方の向日葵ちゃんは父に倣い、現在はバイオリンを学んでいる。将来の道を選ぶのは子供たち自身。でも「与えなきゃ選べないから、自分が与えられるものはすべて与えてあげたい」と葉加瀬は言う。そして何より与えてあげたいもの、それは「音楽の喜び」だ。「音楽をやっている人とやっていない人の一番大きな違いとして、僕らには何をしている時にも音楽があるんです。音楽がずっと鳴ってるの。こうやってしゃべっていても、寝ていても。 それを伝えてあげたい」。葉加瀬の愛に溢れた音楽は、こ うやって続く世代へと受け継がれていく。

葉加瀬太郎ロンドン初公演葉加瀬太郎ロンドン初公演
The Classical Night

公演日時: 3月6日(木)19:30~
会場: Cadogan Hall, 5 Sloane Terrace London SW1X 9DQ
最寄駅: Sloane Square
チケット料金: 35、25、15ポンド 完売
Box Office: 020 7730 4500
www.cadoganhall.com
【プログラム】
・ヘンデル: ソナタ第4番ニ長調op.1-13
・ベートーベン: ソナタ第5番ヘ長調op.24「春」
・ブラームス: ソナタ第3番ニ短調op.108 ほか

 

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