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Fri, 29 March 2024

車椅子テニス4大大会制覇を達成
国枝慎吾選手インタビュー

国枝慎吾、24歳。ここ数年間にわたって車椅子テニス男子の世界王者として君臨し、欧州や米国を中心とする国際大会で活躍する逸材である。彼は車椅子テニスに、一体何を追い求めているのか。2008年北京パラリンピックへの意気込みとともに、話を聞いた。
(本誌編集部: 長野雅俊)
(2008年に行われたインタビューです)

国枝慎吾(くにえだしんご)

国枝慎吾選手インタビュー

1984年2月21日生まれ。麗澤大学に勤務。2004年にアテネのパラリンピックで斉田悟司選手と組んだダブルスで金メダル。2007年に史上初となる全豪、全英、全米、そして日本で開催されるジャパン・オープンの4大大会を制するグランドスラムを達成し、2018年現在世界ランキング1位。2018年7月22日から開催された全英オープンでは圧倒的な強さで優勝した。北京パラリンピックでの金メダルが期待されている。

公式ウェブサイト: https://shingokunieda.com/
twitter: @shingokunieda


つけいる隙を与えない

とにかく、半端なく強かった。

直径7センチ弱の黄色いボールが、頭上に上がる。ラケットを振りかぶった瞬間、国枝選手の下半身を支える車椅子がぐらりと揺れた。倒れてしまうのではないか、と観客が不安になる間も与えず、腹の底から絞り出したかのような唸り声とともに強烈なサーブが放たれる。

ライン際で待ち構えていた相手は、ラケットを片手に握りながら車輪を前方へと転がし、推進力に乗ってそのボールを強く打ち返す。そこからラリーとなれば、ストロークごとに車椅子をくるりと半回転させて横移動。コート奥の深い位置まで下がるときには、中央を隔てるネットに背を向けながらも、首から上をよじることでボールを視界に留め、歯を食いしばり車輪を漕ぐ。

ギャラリー国枝選手が出場した試合には、1回戦から多数のギャラリーが詰め掛けていた

斉田選手とダブルスで金メダルアテネのパラリンピックでは、斉田選手(写真左)と組んだダブルスで金メダルを獲得した©共同

でも、最後に自陣の真ん中辺りまで出てきて一振りを決めるのは、ほとんどいつも、彼だった。

ラファエル・ナダルの全仏に続く2連覇で話題を集めたウィンブルドン選手権から約2週間後。伝説の義賊ロビンフッドの故郷として知られるイングランド中部ノッティンガムで開催された車椅子テニスの全英オープンにおいて、「KUNIEDA」の存在は際立っていた。2007年には史上初となるオーストラリア、英国、米国、日本で開催された4大大会を制するグランドスラムを達成したのだから、無理もないのかもしれない。彼のプレーを一目見ようと、コートの周りには初戦から人垣ができていたほどだ。

「相手選手にマークされているな、と意識し出したのは2006年くらいからなので、その感覚にはもう慣れました。それよりも、他の選手たちが『国枝はまた強くなったのはないか』といった風にコメントしているのを聞くと、その分だけでも自分は精神的に優位に立っているのかな、と思います」。試合終了後に広報室で取材に応じる彼の顔からはもう、コート上で見せた険しい表情は消えている。

握手してもらうと、手の分厚さにまず驚く。しかし、それよりも特徴的だと感じたのが、太い声帯を震わせながら、質問の一つ一つを丁寧に自分の言葉に置き換え直す話し方だ。「相手がつけいる隙さえない、と思ってしまうような試合運びを心掛けているので」と言う彼には既に、一流のアスリートに相応しい言葉と風格が十分に備わっているように見えた。

圧倒的なチェアワーク

テニスは、いわゆる健常者と障害者が共に楽しむこと ができる、数少ないスポーツの一つと言われている。例えばウィンブルドン選手権と、今回行われた車椅子の全英オープンとの間に、ルールの違いはほとんどない。唯一といっていいほどの例外が、前者では自陣コート内で2バウンドする前に打ち返さなければ相手の得点となるが、後者においては2バウンドまで許されるという点。多くの場合、健常者が2バウンド制のルールに適応することで、両者間でも試合が成立する。

ところが国枝選手は、ほとんどすべてのボールを1バウンドで打ち返す。自身は「ツーバウンドで拾うのは、全体の約3割未満」と言うが、この日の試合を見る限りでは1割に満たないのではないかと感じた。対戦相手にとってはボールを待つ時間が半減するわけで、そのプレー・スタイルは脅威となるであろう。現在は世界ランキング3位のマイケル・ジェレミアス選手(フランス)も、「オールマイティな能力を兼ね備えているのは確かだけど、とりわけ秀でているのは動きの速さ。どんなボールでもワンバウンドで対応する身体能力は、現在の車椅子テニスの世界ではずば抜けている」と称える。

全英オープンで優勝全英オープンで優勝し、トロフィーを掲げる

「チェアワーク」と呼ばれる、車椅子を自在に操る能力は青年期から発揮していたようだ。国枝選手が11歳の時から通い続けているという吉田記念テニス研修センター(TTC)理事長の娘であり、選手たちの通訳アシスタントとしても働いている吉田仁子(まさこ)さんは「学生時代から、彼は健常者に混じってプレーしていましたからね。女子の競技選手の練習相手とかも、よく務めていたんですよ」と当時を振り返る。現在でもスピード感溢れるプレーに対するこだわりは持ち続けているようで、昨年にはワンバウンドの処理への慣れをテーマとして掲げながら、健常者のテニス大会にも出場した。

国枝選手に、いつかは健常者が参加する大会でも優勝する自信はあるかと問うと、こんな答えが返ってきた。「そういった戦術、練習をしていけば、できないことはないかな。えっ?それが目標となるか、ですか。目標なのかな……。うーん、まあそこまでいくと、今はまだ夢ぐらいのレベルになりますかね」。

でも、彼であれば、遠くない未来にその夢を叶えてしまうような気がする。

なぜ車椅子テニスなのか

あえて穿った見方をすれば、「とにかく、相手に考える時間を与えない」という彼の攻撃的なプレー・スタイルは、どこかで「健常者」と「障害者」という垣根を取り払う試みの一つであるようにも見える。そう感じたのは、国枝選手が絶大の信頼を置くという丸山コーチが「ルールとしては、確かに2バウンドまで許されているという違いがある。でも逆に言えばそこだけです。車椅子テニスだからって何か指導法を変えている感覚はないし、また妥協も一切していません」と話すのを聞いた後だった。

丸山コーチは、車椅子テニスを障害者スポーツとしては捉えていない。「実はまだ車椅子テニスの指導を始めたばかりのとき、大森康克選手っていう、バルセロナとアトランタのパラリンピックの日本代表選手を指導することになりましてね。彼に『あなたは私の介護者になるのか、それともテニスのコーチなのか』と聞かれたことがあったんですよ。それ以来、僕も車椅子テニスに対する考えを改めました。目が悪ければ眼鏡をかける。歯が悪ければ差し歯をつける。車椅子に乗ってテニスする人もいる。そういう感覚ですね」。

丸山コーチ国枝選手が全幅の信頼を寄せるという、丸山コーチ

全部で19面を数えるこの日の試合会場を広く見渡せば、先の丸山コーチの言葉の意味が自ずと理解できるはずだ。どの選手も、安定性を高めるために補助輪、そしてハの字型になった主輪が付いた競技用の車椅子に自身の体を置きながら、普段使用している生活用の車椅子にラケットやバッグといった荷物を載せ、これを手押し車のように使って移動している。

テニスというスポーツにおいては、どんな選手であれ、自分の荷物は自分の手で持って運ぶことが求められる。また一度コートに立てば、コーチと会話を交わすことさえ許されない。テニスとは、それだけ自立を促されるスポーツなのだ。そして国枝選手にとっては、それこそがこのスポーツの最大の魅力と映る。

「コートに入ったら、すべてが自分一人の問題。勝つも負けるも、自分が練習した分だけ結果に反映される。いかに自分に厳しく毎日過ごせるか、ということを考えるようになるんです。そして、だからこそ車椅子テニスが好きなのだと思います」と話す彼にとって、「強くなること」と「成長すること」は同義なのであろう。

母に連れられて始めたテニス

幼い頃は、少年野球チームに入っていた。「やんちゃな子供だったと思います」と言う彼の身に大きな変化が起きたのは、9歳のとき。突然、腰の痛みが数カ月にわたって続くようになった。その時点では何が原因なのかよく分からなかったが、とにかく寝られないぐらいに激しい痛みだったという。病院でMRI(核磁気共鳴映像法)を使って検査してみると、脊髄に腫瘍が見つかった。そしてちょうど手術日に、足が全く動かなくなる。手術しても、やはり下半身は動かなかった。

それから2年後、母に連れられて、自宅から徒歩30分の場所にあるテニス・コートを訪れた。そこが、これまで数々の車椅子テニス選手を世界へと輩出しているテニス教室であるTTCだった。「ルールも全く知らない状態だったんですけどね。母がもともと、テニスが大好きなんですよ。TTCで車椅子テニスの指導が行われていることを知り合いから教えてもらって、僕を連れていくことにしたみたいです」と、まるで他人事のように話す彼の記憶にはしかし、たくさんの思い出が今も鮮明に残っている。

曰く、回転をかけたり、作戦を練ったり、最初はなんだか難しいスポーツだと感じて、すぐにはテニスを好きになれなかった。1年後に初めて試合に出場して、1回戦で敗退。悔しくて、どうしても勝ちたくなって、それから夢中で練習した。やがて日本の全国大会で優勝。高校1年のときにはもう、オランダで行われた国際大会を制し、世界のジュニア・チャンプに。2004年に開催されたアテネ・パラリンピックのダブルスでは、金メダルを受賞した。

抜群のチェアワーク世界一の速さを生み出す、抜群のチェアワーク

試合後試合後、観客の声援に笑顔で応える

華やかな戦績の裏で、この頃の彼を、人知れず悩ませていることがあった。それは両親への金銭的な負担。国際大会は、主に欧州や米国で開催される。飛行機に乗れば、車椅子を手荷物として認めず、別途料金を徴収する航空会社がある。宿泊費もばかにならない。とにかく車椅子テニスを世界レベルで戦おうとすると、お金がかかるのだ。「アテネのパラリンピックまではまだ学生だったんですが、国際大会に出ると年間200~300万円ぐらいかかるんですね。それを全部親に負担してもらっていたんです。でも父は普通のサラリーマンなんですよ。もうこれ以上の負担を親にかけることはできない、とさすがに思いましたね」。

だから、アテネを最後に、競技生活には幕を引こうと思っていた。ところがこの大会のダブルスで優勝を遂げたことで、「金メダルがあれば、テニスが仕事になるのではないか」と考えを改める。就職活動を開始することを決意し、付属高校から通い続けた麗澤(れいたく)大学に打診すると、大学への寄付金を集める部署に就職することができた。「主な仕事は、テニスをすること」と言い切る彼の言葉は、もうプロ選手としての矜持(きょうじ)を含んでいるように聞こえる。

不利な条件を乗り越える集中力

国枝選手は、毎朝6時から練習を行っている。起床は4時半。「私と彼がやっているのは本当に基本的な練習なんです。傍から見ると本当に地味でつまらない練習だと思いますよ」という丸山コーチの言葉を信じるならば、彼の強さを作り出しているものは何だろうか。国枝選手の答えは「集中力」だった。「練習の質をどれだけ高めることができるか、つまりどれだけ集中できるか。練習が2時間だったら、どれだけの内容をその2時間に注ぎ込めるか。まあ強いて言うならば、自分にはたとえ練習においても、決勝戦を戦っているのと同じくらいの集中力と緊張度を持てる才能があるかな、とは思います」。

そんな毎日の積み重ねが、そのまま彼の強さとなる。「100%の集中力を出さないままこなしても、それは自分の自信にはならないですね。例えば、1回戦で手を抜きながらもなんとか勝ったとする。でもその手を抜いた部分が、次の試合で結果となって出たりするんですよ」と言ったときだけ、声が一際大きくなったように感じた。

彼がそこまでして集中力にこだわるのには、地理的条件も関連している。先に述べたように、車椅子テニスの大会が行われるのは欧州や米国が中心なので、日本人は圧倒的に不利。国枝選手が現在参加しているのは年間11大会で、欧州に拠点を置く他の選手と比べると、これはかなり少ない。彼が日本国内に留まっている間に開催されるいくつもの大会に出場する欧州選手の中には、車椅子テニスでプロとして活動している者が多くいる。そして彼らはそれだけ「真剣度、気迫」に満ちているから、大会自体のレベルが上がっていくという好循環が生まれる。

強くなることで、彼が成し遂げたいこと。それは車椅子テニスの魅力を、もっと広く知ってもらい、日本でもその好循環を作り出すことだ。「車椅子テニスって、なかなか報道されないスポーツじゃないですか。だから自分から発信しないと、誰にも気付いてもらえない」と訴える彼が「ちょうど流行っていたし」という理由で始めたブログは、いつもファンからの温かいメッセージに溢れている。「車椅子テニスの現状を変える」という目標は、少しずつ実現に近付いているのではないか。「うーん、難しいですね。どうなんだろうな。でも自分の活躍によって、車椅子テニスがもっと注目を集めるようになれば、それほど嬉しいことはないですね」。 夢は、また膨らんでいく。

だから、彼は勝ち続ける。「北京パラリンピックの前哨戦」と位置付けていた今回の全英オープンでも、国枝選手はすべての試合でストレート勝ちを収めて優勝を決めた。体調を崩し、大会後半はほぼ絶食状態で過ごす中で見せつけた圧倒的勝利だった。「車椅子テニスをやっている先輩方に出会えたことが何よりの財産になった。車椅子生活においてのヒントや勇気をいっぱいもらった。もし車椅子テニスをやっていなかったら、街を堂々と歩くこともできなかったかもしれない。テニスに、希望をいただいたんです」という気持ちが、彼の強さが湧き出る源泉となっている。

今では希望を与える立場となった彼が、北京のコートに立ち、世界にアピールする日まで、およそ1カ月である。

 

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