元首相の死を「祝う」集会が各地で開催
トラファルガー広場に約3000人
8日のサッチャー元首相死去を受けて、同元首相の死を祝うことを趣旨とする集会が英国各地で実施された。BBCなどが報じた。
サッチャー政権時の1981年に暴動が発生したロンドン南部ブリクストンの各所では、8日、同元首相の死を祝う集会が開催。サッチャー元首相の死を伝えるメッセージが書かれた垂れ幕を掲げたり、シャンパンを抜いて喜びを表したりする人々の姿が見られた。サッチャー元首相が導入を提唱した人頭税に対する大規模な抗議デモが過去に開催されたことがあるスコットランド南西部グラスゴーや、イングランド南西部ブリストルにおいても同様のイベントが行われた。
同元首相が死去してから初めての週末となった13日にロンドン中心部のトラファルガー広場で開かれたデモには約3000人が参加。参加者たちは「サッチャリズム」と呼ばれた政治思想や一連の政策への抗議を目的として、発煙筒をたいたり、音楽の演奏に合わせて踊ったりして同元首相の死を祝った。同広場ではこの日、乱闘騒ぎなどで16人の逮捕者が出た。
また反サッチャー派の人々が、抗議運動の一環として、インターネットなどを通じて、1939年に発表されたミュージカル映画「オズの魔法使」の挿入曲「鐘を鳴らせ! 悪い魔女は死んだ」の購入を呼び掛けたために、同曲の売上が急増。遺族への配慮などを理由として、ラジオ局BBC1が14日に放送した音楽チャート紹介番組では、同曲の紹介をごく一部に留めるなどの例外的な措置を取ることになった。
13日、サッチャー元首相の覆面を着けてトラファルガー広場に登場した
抗議デモの参加者
元首相の追悼に多額の経費
下院議員に最高で3750ポンドを支給
8日に死去したサッチャー元首相を追悼するため、休会中の議会が10日に臨時召集されたことに伴い、下院議員650名に対して一人につき最高で3750ポンド(約57万円)の必要経費が支給されることが分かった。「デーリー・テレグラフ」紙などが報じた。
同紙によると、独立議会倫理基準局の規定により、議会が臨時招集された際に海外で休暇を過ごしていた下院議員は、家族とともに帰国するための費用や、特別議会が閉会した後に休暇先に戻るための交通費を経費として請求できる。
ロニー・キャンベル労働党議員は、通常国会の再開を待ってサッチャー元首相を追悼することもできたとして、国会を臨時招集したキャメロン首相の決定を批判している。
元首相の死去に「素晴らしい」
つぶやいた警察官が辞職
(ロンドン 4月13日付 時事)サッチャー元英首相が死去したことに関し、「素晴らしい出来事だ」などツイッターで述べたロンドン警視庁所属の男性警察官が、12日までに辞職した。コメントはネットなどで広く伝わり、警察内で問題となっていた。
BBC放送によると、この警察官はジェレミー・スコット氏。サッチャー氏について、「87歳での死は遅すぎる」「(死去により)世界はより良いものになった」などとする複数のコメントをツイッターに投稿。「痛みを伴う、屈辱的な死」であったことを願う内容のものもあったという。
警察官は自身のコメント内容が報道で伝えられた後に辞表を提出、即時に受理された。ロンドン警視庁スポークスマンは「このような行動は全く受け入れられず、辞職は当然だ」と述べた。
サッチャー死去を受けての各国の反応
ゴルバチョフ氏は「偉大な政治家」と評価
(モスクワ 4月8日付 時事)サッチャー元首相死去を受け、冷戦末期に東西陣営の指導者として相まみえたゴルバチョフ元ソ連大統領は8日、「偉大な政治家、輝かしい人間だった。我々の記憶、歴史の中にとどめ置かれるだろう」と弔意を表明した。
「反共反ソ」を貫いていたサッチャー氏との初の会談は、書記長就任前の1984年。ゴルバチョフ氏は「次第に人間関係、友好関係が形成された結果、相互理解に達し、これが東西陣営の環境変化と冷戦終結に貢献した」と当時の対話を評価した。
安倍首相は「偉大な宰相だった」
(4月9日付 時事)安倍晋三首相は9日、サッチャー元首相の死去について、首相官邸で記者団に「意志の力を示した英国の偉大な宰相だった。英国国民とともにご冥福をお祈りしたい」と語った。
閣議後の各閣僚記者会見でも故人の実績を評価する声が相次ぎ、麻生太郎副総理は「今後とも特筆される政治家ではないか。金持ちを全部つぶして誰が貧乏人を救うのかとか、はっきりしたことを言う人という印象が強い」と述べた。
中国は香港返還で「重要な貢献」
(北京 4月9日付 時事)中国外務省の洪磊・副報道局長は9日の記者会見で、死去したサッチャー元首相について「傑出した政治家で、中英関係の発展、特に香港(返還)問題の平和的な解決に重要な貢献をした」と評価、「深い哀悼」を示した。新華社電によると、李克強首相もキャメロン首相に追悼の意を伝えた。
中国共産党機関紙・人民日報系の環球時報は社説で、フォークランド紛争に「完勝」した当時の英国では香港返還に関して中国への強硬論が多かったと指摘。しかし、「サッチャー氏が中国はアルゼンチンではなく、香港はフォークランドとは異なると判断した」ことで、香港返還の基礎となった1984年の英中共同声明につながったと評価した。
アルゼンチンでは冷ややか
(サンパウロ 4月9日付 時事)サッチャー元首相の死去について、南大西洋の英領フォークランド(アルゼンチン名・マルビナス)諸島の領有権をめぐる軍事紛争で約650人の死者を出したアルゼンチン国民は冷ややかに受け止めている。
1982年のフォークランド紛争で、アルゼンチンは英国側の倍近い犠牲者を出した末に敗北した。両国の対立は根深く、政府は8日、公式声明を出さず、フェルナンデス大統領も、複数回ツイッターを更新したのにサッチャー氏への言及はなかった。
イランは「貧富の差を拡大」と酷評
(カイロ 4月11日付 時事)8日死去したサッチャー元首相について、イランのメディアは帝国主義的な思想を広め、自由主義的な経済政策「サッチャリズム」が世界的に貧富の格差を広げたなどと酷評、険悪な両国関係を象徴する論調となった。
国営「プレスTV」(電子版)は、国際問題専門家の話として、「サッチャー氏の右翼的、虚無的な資本主義は北米や欧州などで世界的な時代思潮になった」と指摘。「英国内で貧富の差を拡大させ、健全な社会を破壊した」と酷評し、「世界をむしばむ経済不安はサッチャー氏らのようなイデオローグ(理論的指導者)に原因をたどることができる」と論評した。
対イラン関係についても、1980~88年のイラン・イラク戦争でフセイン政権を支持するなどイスラム体制に政治的な干渉を続けたと批判。イスラム教預言者ムハンマドを風刺する小説「悪魔の詩」を書き、元最高指導者ホメイニ師が「死刑宣告」を出した英作家サルマン・ラシュディ氏を全面的に擁護したと恨みつらみを書き連ねた。