英国の女性参政権運動を支えた日本の柔術 サフラジェットとイーディス・ガラッド Jiu-jitsu Suffragettes and Edith Garrud
2018年は英国で女性参政権が認められて100周年。今年はロンドンの国会議事堂前広場に、参政権運動を率いたミリセント・ギャレット・フォーセットの銅像が建立されたほか、博物館で特別展が企画されるなど、国内で様々な記念の催しが開催され、サフラジェットを始めとする当時の女性参政権活動家たちに改めて注目が集まりました。しかし、英国の女性参政権運動を日本の「柔術」が陰で支えていたことはあまり知られていません。今回は、女性活動家たちに護身術として柔術を教えた一人の女性、イーディス・ガラッドを通して、サフラジェットと柔術の関係をご紹介しましょう。(文: 清水 健)
柔術の実演で警官役の男性の動きを制するサフラジェット(写真左)
英国の女性参政権運動について
女性参政権活動家は「サフラジスト」(Suffragist)と呼ばれるのに対し、戦闘的な女性社会政治連合(WSPU)はこれをもじって「サフラジェット」(Suffragette)と人々から揶揄されたが、WSPU のメンバーはむしろこれを誇らしげに名乗った。なお、当時ロンドンで活躍していた日本人画家の牧野義雄も、女性参政権運動を支援していたことを自伝に記しており、ロンドン博物館には牧野がサフラジェットたちと記念撮影した写真が保管されている。
1918年2月6日に一部の女性が投票権を獲得。11月21日には21歳以上のすべての女性に被選挙権が与えられた。ただし、男女を問わず21歳以上の国民すべてが選挙権を持つには、10年後である1928年の普通選挙法制定を待たなければならなかった。
知られざるイーディス・ガラッド
2012年6月30日、ロンドンのイズリントン区にあるソーンヒル・スクエア60番地で、1971年に99歳で死去したイーディス・ガラッドを称える銘板の除幕式が行われました。同区が市民の選ぶ偉人を顕彰する「イズリントン・ピープルズ・プラーク」の一人として選ばれたのです。英国初の女性指導者としてサフラジェットたちに柔術を教えたイーディスは、ここに1880年代から1925年まで住んでいました。
この銘板の実現に尽力した格闘家のトニー・ウォルフ氏は、2009年にイーディス・ガラッドの伝記を刊行し、これまでにサフラジェットの活躍を描いたドキュメンタリー番組や劇画を監修していますが、「イーディスがいなかったら、女子の格闘技はこれほど広まっていなかっただろう」と語っています。また、サフラジェットを描いた2015年の映画「未来を花束にして」(原題: The Suffragettes)では、イーディス役の人物は登場しませんが、出演女優の一人、ヘレナ・ボナム・カーターは自ら演じる活動家の役名をイーディスへ変えてもらい、イーディス・ガラッドへの敬意を表しています。女性は男性に庇護される存在であるというヴィクトリア朝の考え方を打ち破り、女性が精神的にも身体的にも自立する力を与えたイーディスの功績が再評価されつつあります。
イズリントン区に掲げられた、イーディスを顕彰するピープルズ・プラーク
警察と衝突する活動家たち
イーディスが誕生した1872年当時の英国は、1867年の第2回選挙法改正によって都市の労働者にも選挙権が拡大されていました。しかしこれは男性に限られ、女性に関しては参政権を認める修正案が提出されたものの否決されています。それまでにも女性参政権を求める運動はありましたが、ウェールズで育ったイーディスが格闘家のウィリアム・ガラッドとの結婚を機にロンドンへ移ったころには、参政権運動は再び高まりをみせていました。当時、女性の大学就学に力を入れていたミリセント・ギャレット・フォーセットを会長に、1897年、女性参政権協会全国連合(NUWSS)が結成され、イングランド北西部にはマンチェスターで活動していたエメリン・パンクハーストの主導で、1903年に女性社会政治連合(WSPU)が結成されています。
NUWSSは財産を持つ中流階級の女性に参政権を与えることを目指して活動し、政治集会や小冊子の発行、署名活動などを通して国会議員へ働きかけました。しかしこうした穏健で合法的な活動ではなかなか進展が見られず、痺れを切らした急進派のWSPUは、演説妨害や器物損壊など暴力的な活動を展開し、投石、放火など闘争を激化させていきます。
やがて過激化するサフラジェットに対して警察も高圧的になり、女性たちを腕力で排除するようになります。こうした動きに対しエメリンの次女シルビア・パンクハーストは、「私たち女性も男性と同じように柔術を習わなくてはなりません」と演説し、護身術の必要性を仲間たちに説きました。では、サフラジェットはなぜ護身術に日本の柔術を選んだのでしょうか。
英国と柔術との出会い
19世紀末の英国では、暴漢から身を守るための護身術に対する関心が高まっていました。特に柔術は、攻撃してくる者の力と体重を利用して相手を制する原理と、身体の鍛錬により精神の修養に努めるという理念から、紳士にふさわしい護身術であると見なされていたのです。
英国における柔術の始まりは、1895年に鉱山技師として日本に滞在していた英国人エドワード・ウィリアム・バートン=ライトが、教育者の嘉納治五郎(かのうじごろう)が創始した講道館などで柔道を習った経験を生かして考案した、バートン流柔術「バーティツ」(Bartitu)という護身術でした。バートン=ライトは1898年に英国に帰国すると、ロンドンの繁華街シャフツベリー・アベニューに道場を開きます。
エドワード・ウィリアム・バートン=ライト(中央)と バーティツの技
バートン=ライトの護身術は、1899年に当時広く読まれていた月刊誌「ピアソンズ・マガジン」の特集記事で紹介され、英国中に広く知られるようになります。探偵小説「シャーロック・ホームズ」の作者アーサー・コナン・ドイルは同記事に発想を得て、ホームズが宿敵モリアーティ教授と決闘した際、日本の格闘技バリツ(バーティツ)の心得があったおかげで助かったと書いています。
バーティツ道場では日本から招かれた柔術家の上西貞一や谷幸雄らが指導に当たりましたが、やがてこの道場が1903年に閉鎖されると、上西と谷はそれぞれ英国で自分の道場を開設しました。小柄な日本人が巨躯の英国人を投げ飛ばす姿や、1905年に日露戦争で日本が大国ロシアに勝利したこととも相まって、柔術の人気は一般にも広まり、道場は盛況となります。
やがて1908年末に上西が日本へ帰国すると、弟子のウィリアム・ガラッドが道場を引き継ぎますが、ここで女性や子供に柔術を指導していたのが、その妻のイーディス・ガラッドでした。
ジュウジュツ・サフラジェット
1909年5月にロンドンでWSPUの大会が開催されたとき、ガラッド夫妻は柔術の演技を依頼されます。壇上に上がったイーディスは身長約150センチと小柄にもかかわらず、180センチはある警官役の男性を軽々と投げ飛ばし、参加者から歓声が上がりました。政府や警察という強大な相手に対して、力の弱い女性でも戦えるという勇気をサフラジェットたちに与えたのです。これを機にイーディスはサフラジェットに柔術を指導するようになり、それはサフラジュツと呼ばれ始めます。柔術の「柔よく剛を制す」は、警官の暴力的な扱いに対して、まさに女性らしい反撃の方法であると見なされました。
以後、イーディスはWSPUの活動に積極的に関わり始めました。警察の標的となっていたエメリン・パンクハーストら指導者たちを守るため、WSPUは25人ほどからなる女性のボディーガード集団、親衛隊を組織。イーディスの指導した親衛隊は、「ジュウジュツ・サフラジェット」と呼ばれて畏怖されるようになります。1910年7月には風刺雑誌「パンチ」にイーディスが警官を次々と投げ飛ばしている姿が掲載され有名になりました。またイーディスの道場はロンドン市内で投石して警察に追われたサフラジェットたちの避難所になっていました。
「パンチ」誌に掲載されたイーディスの姿を描いた挿絵
しかし、サフラジェットと警察の暴力的な闘争は、1914年に第一次大戦が始まることで一気に終息を迎えます。サフラジェットが女性参政権運動から離れて戦争への協力姿勢を示したことで、政府は収監されていたサフラジェットに恩赦を与え、エメリン・パンクハーストも戦闘的な活動を終了させました。
そして、第一次大戦中の女性の社会貢献もあり、ついに1918年、30歳以上の女性に参政権が与えられることとなります。
それから100年。サフラジェットを始めとした当時の女性参政権活動団体の奮闘のおかげで、英国の女性たちがいくつもの権利を勝ち取り、現在も更なる歩みを進めているのは誰もが知るところです。
警官に取り押さえられるエメリン・パンクハースト(写真右から2人目)
語り継がれるガラッドの功績
後年、柔術指導者として女性参政権運動を支えたイーディス・ガラッドは、93歳の誕生日にある雑誌のインタビューに応じています。小柄で柔和な老婦人でありながら、その立ち居振る舞いはかくしゃくとしており「彼女の精神はイングリッシュ・オークの木のように高くそびえている」と記者を感嘆させました。そして幸福と健康の秘訣を問われて、柔術により自己鍛錬が身についているおかげです、と答えています。イーディスは英国初の女性首相が誕生する8年前にあたる、1971年に99歳で永眠しました。その人生は常に英国における女性の権利の歩みと共にあったと言えるかもしれません。
ヴィクトリア朝の女性と護身術についての研究で博士号を取得したエメリン・ゴドフリーさんは、イーディス・ガラッドはもっと評価されるべきであると語ります。「パンクハースト母娘と親衛隊の表立った活躍に比べて、イーディス・ガラッドの功績はこれまで見過ごされてきました。しかし柔術によって女性も自らの力で身を守ることができると教えたイーディスは、現代の#MeToo運動時代の女性にも力強いメッセージを伝えているのではないでしょうか」。



パン柄トートバック販売中
福島の原発に関するツイートを大量に貼り付けた「MONUMENT FOR NOTHING IV」は、会田氏が考えるジレンマや矛盾を表した作品だ
かけがえのない旅の思い出から何気ない日常のふとした発見まで、今年も多くの力作が届いた、ニュースダイジェスト主催のフォトコンテスト2018。いよいよ栄えある受賞作品の発表です。今年は家族を被写体にした作品が数多く寄せられました。それでは、受賞者の皆さんによる思いのこもった写真を見ていきましょう!
マチュア部門大賞
キッズ部門大賞

「UK Red Arrows @RIAT 2018」 前谷恩頼人さん
「White Water」 ウォング彪悟さん
「変わらない海の中」 西尾嶺さん
「白と灰色の世界」 石井潤美さん
「夕焼けのプロポーズ」 関根英輝さん
中学の吹奏楽部でジャンケンに負けたことがホルンを選ぶきっかけになったと語る福川さん
ソロもオーケストラもできる奏者を目指してきた
オーストリア帝位継承者夫妻を襲撃し、逮捕されるセルビア人男性
第一次バルカン戦争で進軍するオスマン帝国の兵士たち
パリ講和会議にて、米ウィルソン大統領ら三巨頭を含む国際連盟委員会
フランスの西部戦線に配置された英軍の戦車
ロシア二月(別称、三月)革命(ロシア歴2月)で起こった女性参政権を求める運動
戦争で使用したであろう兵器の残骸が現在も残る
戦争に利用されていたツェッペリン飛行船
船で前線に送られるロバ
激動の時代を生きたヘルマン・ヘッセは常に平和を祈った
戦死した友人に向けた曲を作ったモーリス・ラヴェル(写真奥)
派手なカモフラージュの模様で敵を欺く戦艦(絵画はウィルキンソン作)
敵・味方関係なくクリスマスを祝った英独の兵士たち
左)独ヴィルヘルム2世 右)英ジョージ5世(写真左)
リバプール・ストリート駅での募金活動
1979年、ロンドンのショップ「ボーイ」の前に立つパンクたち
左)スキーを楽しむクラウス・マルテンス(写真右)とヘルベルト・フンク(同左)
エア・クッション・ソールのプロトタイプ
1930年代に撮影されたグリッグス家のコブスレーン工場
左)1460モデル。現在は柔らかいレザーを使っている
ライブでドクターマーチンを履いたピート・タウンゼント
1983年、ロンドンのキングス・ロードに集まるパンクたち
ノーザン・ソウルでダイナミックに踊る若者たち
コベント・ガーデンのショップを訪れたマッドネス
英国の政治家、トニー・ベン
英国のロック・バンド、ニュー・オーダーとコラボし、アルバム「テクニック」のジャケットをプリント
監督: 関根光才












ロンドン中心部のCourthouse Hotelにてインタビュー







審査員コメント
遠近法を効果的に使った素晴らしい作品です。小さな子供を雄大なマッターホルンの前に配置し、しかもその山を子供が見下ろしているように撮影。青い空に子供が浮かんでいる構図も良いです。まさにタイトル通り、「ハイジ」のオープニングに出てくるようなユニークな、そしてよく考えられた写真ですね。