ニュースダイジェストの制作業務
Sun, 01 February 2026

LISTING イベント情報

英国の歴史や時勢を反映する
2018年記念コインに注目

1100年以上の歴史を誇る、英王立造幣局。同局は毎年、その年にまつわるトピックスや、王室関係の祭事にちなんだ意匠を刻印した記念コインを鋳造し、「アニュアル・セット」として発行している。コイン・コレクターが毎年熱い視線を送る記念コイン・コレクションの、2018年版を紹介する。

アニュアル・セット2018年
Annual Coin Set: The 2018 United Kingdom

アニュアル・セット2018年

5種類の記念コインに、現在英国で流通している
8種類のコインが付いて、55ポンド。
そのほか、特別な加工を施したプルーフ貨幣のセットなどもある。

英王立造幣局 The Royal Mint

創設は886年。英国内で流通する全種類の貨幣、
また英軍のメダルやコレクター向けのコインなどを
鋳造、発行するだけでなく、他国の造幣も担う世界屈指の造幣局。
1967年、工場をロンドンから南ウェールズに移転し、現在に至る。
www.royalmint.com

£2
coin

「フランケンシュタイン」生誕200周年
Mary Shelley’s Frankenstein

Mary Shelley’s Frankenstein

19世紀に活躍した英国の小説家、メアリー・シェリーが1818年1月1日に発表したゴシック・ホラー小説「フランケンシュタイン、あるいは現代のプロメテウス」。同小説は、1816年、18歳であったメアリーが、後に夫となる詩人のパーシー・ビッシュ・シェリーやバイロンたちと滞在していたスイスの別荘で語られた、怪奇譚から発想を得て書かれたという。ティーンエイジャーの女の子の悪夢が生み出した、同書に登場する名前のないモンスターは、200年を経た現在でも世界中で広く愛されている。記念コインの中央には、デザイン化された「フランケンシュタイン」の文字が刻印されている。

£2
coin

第一次大戦、休戦100周年
First World War Armistice

First World War Armistice

1918年11月11日、パリの北部に位置するコンピエーニュの森でドイツと連合国の間で休戦協定が結ばれ、1914年以来、戦禍に見舞われていた世界各地に和平がもたらされた。同日11時に、この休戦協定調印のニュースが英国に届けられ、ビッグ・ベンや教会の鐘がロンドンの街に響いたという。休戦を迎えたとはいえ、米国や日本も含む多くの国々を巻き込んだ大戦。記念コインには「THE TRUTH UNTOLD THE PITY OF WAR」と刻印され、第一次大戦が世界の人々に与えた傷痕の深さを物語る。

£2
coin

王立空軍設立100周年
Royal Air Force

Royal Air Force

「英空軍の父」と称されるヒュー・トレンチャード(後の初代トレンチャード子爵)を参謀長として、第一次大戦中の1918年4月1日に設立された王立空軍。世界で最も長い歴史を持つ空軍であり、設立当時から現在に至るまで、最新のテクノロジーを駆使した戦闘機を擁することで広く知られている。コインに刻印されているラテン語「PER ARDUA AD ASTRA(Through struggles to the stars)」は王立空軍のモットーで、「困難を克服して星のように輝く」といった意味を持つ。

50p
coin

女性が投票権を獲得した
国民代表法制定100周年
Representation of the People Act 1918

Representation of the People Act 1918

女性参政権獲得を標榜する女性団体のメンバーで、戦闘的な活動も躊躇しなかった「サフラジェット」など、20世紀初頭から女性の政治参加を求める人々の活動が各地で展開されていた英国。そしてとうとう1918年に「国民代表法(Representation of the People Act 2018)」が制定され、21歳以上のすべての男性と、30歳以上の一部の女性に投票権が与えられた。近代の民主主義の根幹をなす大きな節目として認知されている同法制定100年を記念し、コインには女性参政権獲得のために立ち向かう人々の意匠が刻印されている。

£5
coin

ジョージ王子、今年で5歳に
Prince George of Cambridge

Prince George of Cambridge

今年の7月22日で5歳を迎える、ウィリアム王子と同夫人キャサリン夫妻の長男、ジョージ王子。王子のすこやかな成長を祝して鋳造された、直径約39ミリの5ポンド記念コイン。昨年の9月、ロンドンの私立小学校に入学したジョージ王子のキュートな制服姿が世界中のメディアを賑わしたことは記憶に新しい。記念コインは、王子の名前にちなんで、イングランドの守護聖人の聖ジョージとドラゴンが刻印されている。

Photos: With kind permission of The Royal Mint

 

Vote 100
1918-2018

女性が参政権を得て100年
英国初の女性議員
ナンシー・アスター

ナンシー・アスター1919年、女性初の下院議員となったナンシー・アスター(写真中央)

近年、SNSを使いセクシャル・ハラスメントの被害を訴える #MeToo や、男女の賃金格差解消を求める動きが世界各地で次々に起きている。女性の権利を訴える運動は現在、過渡期の様相を示していると言えるだろう。折しも今年は英国で女性の政治参加に関する重要な法律が制定されちょうど100年。「Vote100」と題して関連イベントも各地で計画されている。ここでは、英国で初めて下院議員となった女性ナンシー・アスターについて紹介しよう。

「Vote100」とは?

1918年、1928年、1958年に起きた、女性の政治参加にまつわる5つの大きな出来事に着目し、一年を通してその関連事項を紹介する英国議会主催のイベント。ロンドンだけではなく英国各地でエキシビションやトークが開催される。

ナンシー・アスターとはどんな人物だった?

1919年に英国で女性初の下院議員になり、1921年まで唯一の女性議員だったナンシー・アスター。男性議員の中で一人奮闘したナンシーの生涯、仕事、人柄にまつわるエピソードを見ていく。

生涯英国にやって来たバツイチの美しい米国人

1879年に米東部バージニア州で誕生したナンシー・ウィッチャー・ラングホーン(Nancy Witcher Langhorne)は、鉄道建設業で成功した裕福な一族の出身。1897年に資産家のロバート・グールド・ショー2世と結婚し息子が生まれるが、1903年に離婚。父親の勧めで26歳のときに英国行きを決意し、その船上でアスター財閥の跡取りである米国生まれのウォルドーフ・アスター(Waldorf Astor)と出会い、1906年に結婚する。ウォルドーフとともに英南東部の瀟洒なマナー・ハウス、クリブデンに移り住んだナンシーは、米国出身ならではの飾らない人柄と才色兼備の魅力を発揮し、英国内外の貴族や政治家などと交流。社交界の花形として活躍する。

1910年に夫のウォルドーフが、英南部プリマス選挙区から自由統一党候補として下院議員に立候補し当選。後に1919年に子爵位を持つウォルドーフの父が死去したため、その爵位を継承し上院議員になる。ナンシーは、ウォルドーフが上院議員になったことで空いた議席に立候補し、同年、下院議員に。未成年者へのアルコール販売を禁止する法案を提出するなどし、1945年まで議員として務めた。1964年に英東部リンカンシャーのグリムズソープ城で死去。84歳だった。

ナンシーの肖像画
画家のサージェントが描いたナンシーの肖像画。ナショナル・トラスト所蔵

クリブデン・ハウスアスター夫妻の邸宅の一つだったクリブデン・ハウス

業績未成年者へのアルコール販売禁止法案を提出

英国の議会において、米国人でしかもたった一人の女性という立場は、当時、相当に風当たりが強かったことが想像できる。議員の中にはナンシーと話すことを拒む者もいたという。1928年にナンシーは、「最初の女性議員になったことは名誉でしたが、時々、本当にこれが名誉なのだろうか、と疑問を感じることがありました」「女性や子供に関する問題や、社会や道徳の問題について私が質問すると、周囲からヤジが上がり、5分も10分も止まらないのが常でした」と振り返っている。

1920年2月24日、あまり協力的とは言えない男性議員を中心とした500人以上を前に、ナンシーが議員として最初に行ったスピーチは、「アルコール販売に規制を設けよ」というものだった。飲酒は女性や子供の健康を害すばかりでなく、英国経済にも損失を与えるとして、規制の重要性を説いた。1923年にこの法案は議会を通過。初めて女性議員の提出法案が成立した。そればかりか、18歳未満へのアルコール販売禁止というこの原則は、現在も引き続き英国で守られている。

人柄チャーチルとの口論もいとわない毒舌家

後に首相となる政治家ウィンストン・チャーチルは、才気煥発なナンシーとたびたび毒舌の応酬をしたと言われている。議会に現れたナンシーに向かって、「女性が議会に来るなんて、なんだか浴室をのぞかれたみたいだ」とチャーチルが言ったところ、それに対しナンシーは、「そんなことを心配をするほど、あなたはハンサムではないでしょう」とぴしゃりとやり返している。またあるときはナンシーが、「もし私があなたの妻だったら、その飲み物に毒を入れているでしょう」と言い、チャーチルは「私があなたの夫だったら、それを飲み干すね」と答えるといった具合。更に、ナンシーに、「あなた、酔っていますね!」と指摘されたチャーチルは、「マダム、あなたは醜い。酔ったところで明日になればその酔いは覚めるが、あなたの醜さは変わらない」と答えたという。

しかしながら、米画家のジョン・シンガー・サージェントによる肖像画(上写真)でも分かる通り、実際のナンシーは美しい女性だった。また、アスター家の夫人付きメイドであるロジーナ・ハリソンの回想記「おだまり、ローズ: 子爵夫人付きメイドの回想」には、ナンシーの勝ち気で強引な面が愛情を持って描かれている。

ウィンストン・チャーチル
ナンシーと毒舌の応酬をした政治家、ウィンストン・チャーチル

Vote 100
女性の政治参加をめぐる5つの記念日

今から
100年前

1918年2月6日
一部の女性に投票権

1918年国民代表法(Representation of the People Act 1918)が制定。21歳以上のすべての男性、30歳以上の一部の女性(世帯主、世帯主の妻、5ポンド以上の不動産所有者、大卒者、のいずれかに限る)に投票権が与えられた。女性が投票権を持つのは初めてで、該当者は480万人に上った。

1918年11月21日
21歳以上のすべての女性に被選挙権

1918年議会(女性資格)法(Parliament(Qualification of Women)Act 1918)が制定。21歳以上のすべての女性に、被選挙権が与えられた。同年の総選挙では17人の女性が立候補し、その中にはサフラジェットとして女性参政権運動に大きな影響を与えたエメリン・パンクハーストの長女、クリスタベル・パンクハーストもいた。

1918年12月14日
女性が参加する初の総選挙が実施

第一次大戦直後に実施された総選挙で、有権者数は1910年の前回に比べ4倍増となった。女性として初めて当選したのはアイルランドのシン・フェイン党から出馬したコンスタンス・マーキェビッツ伯爵夫人。ただし、シン・フェイン党は英国議会に登院することを拒んでいたため、マーキェビッツ伯爵夫人も登院していない。

今から
90年前

1928年7月2日
21歳以上の国民すべてに選挙権

1928年国民代表(普通選挙)法(Representation of the People (Equal Franchise) Act 1928)が制定。男女を問わず21歳以上の国民すべてに選挙権が与えられた。これにより500万人近い女性有権者が新たに加わり、翌1929年に実施された初の「普通選挙」では投票者の52.7%が女性だった。

今から
60年前

1958年4月30日
一代貴族の創設で女性も上院議員に

1958年一代貴族法(Life Peerages Act 1958)が制定。一代貴族の創設が認められた。上院は男性の世襲貴族によって占められていたが、一代貴族の創設により女性も上院議員になる道が開かれた。ナンシー・アスターの子であるアスター子爵は、一代貴族法の熱心な提唱者として知られる。1958年7月24日に、14人の女性上院議員が誕生した。

年表:政界の重職に就いた女性たち

1918年2月 30歳以上の一部の女性が投票権を得る
11月 すべての女性が被選挙権を得る
12月 総選挙にシン・フェイン党から出馬したコンスタンス・マーキェビッツ伯爵夫人が、女性として下院議員に初当選(登院はせず)
1919年 ナンシー・アスターが女性初の下院議員に
1928年 21歳以上のすべての国民が選挙権を得る
1929年 マーガレット・ボンドフィールドが初の女性閣僚(労働相)に
1958年 一代貴族制が創設され、女性の上院議員が誕生
1963年 女性の世襲貴族が上院への登院を認められる
1979年 マーガレット・サッチャーが女性初の首相に
1987年 ダイアン・アボットが黒人女性として初の下院議員に
1992年 ベティ・ブースロイドが初の女性下院議長(The Speaker of the House of Commons)に
1997年 アン・テイラーが初の女性枢密院議長(Lord President of the Council)・下院院内総務(Leader of the House of Commons)に
2006年 ヘレン・バレリー・ヘイマンが新設された上院議長(The Speaker of the House of Lords)に
2016年7月 テリーザ・メイが2人目の女性首相に
  エリザベス・トラスが初の女性司法相(Secretary of State for Justice)・大法官(Lord Chancellor)に

サフラジェット 参政権を求めてデモをする女性たち参政権を求めてデモをする女性たち

Vote 100 イベント紹介

女性の政治参加をテーマにした様々なイベントが、一年を通して英国各地で開催されるVote100。ここでは、ロンドンで行われる4つのイベントをピックアップしてご紹介。Vote100のサイトには、ほかにも興味深いイベントが更新されているので要チェック。www.vote100.uk

当時の写真や貴重なアーカイブがそろう
Voice & Vote: Women's Place in Parliament

女性参政権論者や女性議員たちが、かつてどのような立場にあり、どのような扱いを受けていたか、そして、いかにして現在の権利を勝ち取ったかなどを、ほかでは見ることのできない、議会ならではの歴史的なコレクションを通して紹介。当時の写真や貴重なアーカイブの数々に加え、女性議員たちが利用していた部屋の再現などもある。女性が下院公聴席への入室を禁止されていた時代に、屋根裏部屋をあてがわれていた事実や、女性議員の部屋が「墓地」と呼ばれていたことなど、驚きのエピソードをインタラクティブな方法で見せる。

2018年6月27日(水)~10月6日(土)
無料
Westminster Hall
3 St. Margaret Street, London SW1P 3JX
Tel: 020 7219 3000
www.parliament.uk

映画「未来を花束にして」も上映
Women and the Hall

ロイヤル・アルバート・ホールで「ウィメン・アンド・ザ・ホール」と題して3カ月にわたり開催されるフェスティバル。コンサートからトーク、パフォーマンスまで様々なイベントがあるが、3月26日には、女性参政権をテーマにした映画「未来を花束にして」を上映。終了後、パネル・ディスカッションも行われる。同映画の監督サラ・ガブロン、プロデューサーのサラ・オーウェンとフェイ・ウォード、そして女性社会政治連合(WSPU)の創設者エメリン・パンクハーストの曾孫で、自身も社会運動家のヘレン・パンクハーストなどが参加する。

フェスティバルは2018年4月26日(木)まで
ほかのイベントの詳細はサイトを参照
Royal Albert Hall
Kensington Gore, London SW7 2AP
Tel: 020 7589 8212
www.royalalberthall.com

ロンドン東部の草の根運動が分かる
Making Her Mark:
100 years of women's activism in Hackney

ロンドン東部ハックニーに暮らす女性たちが、地元コミュニティーのために起こした草の根運動の100年の歴史を紹介するエキシビション。移り変わる時代の中で、女性たちは教育、労働者の権利、福祉、家庭内暴力など、常に暮らしに密接にかかわる問題に取り組んできた。このイベントは、ロンドン東部における女性の歴史を研究する、イーストエンド・ウィメンズ・ミュージアムと共同で開催される。

2018年2月6日(火)~5月19日(土)
無料
Hackney Museum
1 Reading Lane, London E8 1GQ
Tel: 020 8356 3500
https://hackney.gov.uk/museum

参政権運動について学ぶなら
At Last! Votes for Women

サフラジェットと呼ばれた戦闘的な女性社会政治連合(WSPU)、穏健派の女性参政権協会全国連合(NUWSS)、そして女性自由連盟(WFL)など、参政権を求めて活動した女性団体が、どのような戦い方をしていたか、各団体の特色を知ることができるエキシビション。会場であるLSE(ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス) のウィメンズ・ライブラリーは、女性に関する歴史や社会学についての多くのアーカイブやコレクションがそろうことで知られる。

2018年4月23日(月)~8月31日(金)
無料
LSE Library
10 Portugal Street, London WC2A 2HD
Tel: 020 7955 7229
www.lse.ac.uk/library

 

現代音楽の新たな境地を切り開く
気鋭の作曲家
藤倉 大
Dai Fujikura

ロンドンの名門ウィグモア・ホールで2月17日、国際的に活躍する作曲家、藤倉大の作品を集めた「音楽の個展」が開かれる。作曲家を目指し高校生のときに来英、以後ロンドンを拠点に活発な創作活動を展開してきた。今では世界的なオーケストラや演奏家から作品の委嘱を受けている。その独創的なサウンド・ワールドは現代音楽の世界にとどまらず、坂本龍一や、英国を代表する世界的に有名なミュージシャン、デヴィッド・シルヴィアンとも交流が深い。藤倉大の作曲家への道のりから最近の活動、そして今回の「音楽の個展」について話を聞いた。
(インタビュー・文: 後藤菜穂子)

藤倉 大 Dai Fujikura

1977年大阪生まれ。15歳で来英、トリニティ音楽院にて、エドウィン・ロックスバラ、ダリル・ランズウィック、ジョージ・ベンジャミンに師事し作曲を学んだ。1998年、ポーランドのセロツキ国際作曲コンクールにて当時最年少で優勝。それ以来、ロイヤル・フィルハーモニック作曲賞、オーストリアの国際ウィーン作曲賞、ドイツのパウル・ヒンデミット賞を受賞。2009年の第57回尾高賞及び第19回芥川作曲賞、2010年の中島健蔵音楽賞やエクソンモービル賞を始め、数々の著名な作曲賞を受賞している。最近では「ヴェネツィア・ビエンナーレ」銀獅子賞、及び「ワイアード・アウディ・イノベーション・アワード」を受賞。現在、英国在住。

東北での作曲教室

── 2017年12月の「ワイアード」誌日本版のイノべーション・アワード受賞、おめでとうございます。受賞パーティーで坂本龍一さんとピアノで共演されたそうですね。

ありがとうございます。これは「ワイアード」誌が様々な分野のイノべーター30人に賞を贈るというもので、坂本龍一さんも受賞者のお一人だったのです。坂本さんには以前から親しくしていただいていて、ニューヨークに行くときはご自宅に伺ったりしています。今回せっかく2人いるのなら共演してくれませんか、ということで、即興で10分ほど一緒に弾きました。僕が鍵盤を弾いて、坂本さんは内部奏法でピアノの弦を叩いたり。やはり普通の演奏家とは違うオーラを持った方だと感じます。

坂本さんが主宰している「東北ユース・オーケストラ」で作曲のワークショップもされたそうですね。また、藤倉さんは数年前より福島県の相馬市で、子供たちに音楽教育を提供する世界的な機関の日本支部「エル・システマジャパン」の一環で、作曲教室を開催されていますが、どんな授業をしているのでしょうか?

ワークショップは、僕が相馬市でやっている「作曲教室」のいわば延長です。相馬での「作曲教室」は既に4年目になりました。これはルイ・ヴィトンがスポンサーをしている事業で、相馬市にある文化施設「LVMH子どもアートメゾン」で行なわれています。子供たちは無料で参加でき、対象は4、5歳から高校生まで、条件はオーケストラで弾いた経験があって、音楽に関心があることだけ。何のルールもなく、自由に作曲してもらうのですが、僕が行くときには必ず現代音楽の得意な演奏家を連れていきます。2月にロンドンのウィグモア・ホールで行われるコンサートに出演してくれる三味線の本條秀慈郎さんや、サクソフォーンの大石将紀さんも相馬の作曲教室に来てくれました。

初めに楽器の紹介をした後、その楽器でできる特殊奏法(楽器の通常の操作法によらない演奏法のこと)を一通り説明して、実演してもらいます。もちろんそうした奏法を使わなくてもいいですし、普通のメロディーのある曲、または特殊奏法をバリバリに使った曲を書いてもかまいません。その曲を演奏家がその場ですぐに弾いてくれるので、テンポとか強弱とか、自分のイメージした通りかどうか確認できます。最後の30分はミニ・コンサートをします。クリエイティブな点では5、6歳の子供たちが素晴らしいですね。

坂本龍一氏と即興で共演「ワイアード ・アウディ・イノベーション・アワード2017」の授賞式にて坂本龍一氏と即興で共演する藤倉大

話は少しさかのぼりますが、藤倉さんは子供のころから作曲家になりたいと思っていたのですか ?

小学生のころから思っていましたね。作曲家になりたかったのはピアノの練習が嫌いだったからです(笑)。ピアノの先生は厳しかったのですが、それでも僕は曲を変えて弾いたりして、いつも先生に怒られていました。モーツァルトやバッハの曲も、勝手に小節をカットしたり音を変えたりして弾いていました。結局のところ、僕はピアノがやりたいというよりも、音楽がやりたかったんでしょうね。

実際に作曲することを覚え楽譜を書くようになってからは、こんなに楽しいことがあるのかと思って作曲ばかりしていましたね。中学生のときにはカラオケ録音機能付きのラジカセを使って、自分で曲を作って録音したりしていました。そのころには作曲の先生に付いていて、毎回たくさん曲を持っていって驚かれました。

作曲家を目指し英国留学

藤倉さんは高校から英国に留学されたそうですが、作曲家になりたくて英国にいらしたのですか。

本当はドイツに行こうと思っていました。子供のころに作曲家の伝記を読んだら、バッハもベートーべンもドイツ人じゃないですか。だからドイツに行けば作曲家になれると確信したんです(笑)。ところが母に、ドイツ語より先に英語を学んだ方が良い、そして行くのなら早い方が……、と言われ高校での留学を目指しました。

ちょうどマンションの下の階に英語の先生が住んでいたので英語を習うことにして、その方が何と現代音楽の大ファンで、僕に武満徹という作曲家の存在を教えてくれたのです。このとき武満の音楽と初めて出合い、非常に魅了されました。

英国では全寮制の高校に行かれたのですよね。

はい、中学の卒業式の2週間後に来英し、私立のドーバー・カレッジに編入して、4年の課程を3年ちょっとで卒業しました。ピアノの奨学生だったので、学校で行なわれるあらゆる音楽関係のイベントを一手に引き受けて、女子寮のミュージカルのプロダクションや地理クラスの音楽祭の伴奏、またロック・バンドのキーボード奏者まで、何でもかんでもやりました!

卒業後、念願の音大で作曲を専攻。以後どのように作曲家への道を切り開いていったのですか。

僕が学んだロンドンのトリニティ音楽院は、当時はウィグモア・ホールのすぐ近くにあって、とてもこぢんまりした学校でした。今回のコンサートで演奏される「フローズン・ヒート」というピアノ曲は、学校のすぐ近くの教会で20〜30人の聴衆の前で初演された曲。今では僕の楽譜の中で一番売れている曲です。

僕が作曲を始めた当時はまだインターネットもSNSもユーチューブもなかったので、出版社に所属していない場合、自分の作品をどうやって宣伝するかが問題で色々と工夫しましたね。そういう中で、ピアノやバイオリンよりも、フルートとかサクソフォーン、打楽器など、通常はソロのレパートリーがあまり多くない楽器のためにソロ曲を作曲して、学生たちに弾いてもらっていました。学内では僕の曲は再演がとても多いことで有名でした(笑)。

その後、ポーランドのセロツキ国際作曲コンクール(1998年)やハダースフィールド国際コンクール(1998年)で賞をいただいたり、「ロンドン・シンフォニエッタ」というロンドンの有名な現代音楽アンサンブルの若手作曲家向けプログラムに選ばれたり、徐々にプロの団体に演奏されるようになりました。

またこのころ、ハンガリーの作曲家で指揮者のペーテル・エトべシュが僕のメンターになってくださったことで、ヨーロッパの現代音楽の音楽祭やアカデミーなどを紹介してもらいました。加えて、スイスのルツェルンのアカデミーでピエール・ブーレーズに曲を指揮してもらったり、新作の委嘱もいただいたりと、活動の場が広がりました。

最近の活動とウィグモア・ホールでの個展

ここ数年はオペラの作曲に力を入れていらっしゃるそうですが、2015年にパリで初演されたオペラ「ソラリス」に続いて、まもなく2作目が世界初演だそうですね。

30代前半のころから、40代になったらオペラのような一つの作品に数カ月どっぷり浸かれるような生活をしたいと思っていたので、希望がかないました。実は2作目のオペラ「黄金虫 The Gold-Bug」は、40歳になる1日前に書き上げました!

「黄金虫」は子供向けのオペラで、3月にスイスのバーゼルで世界初演されます。宝探しのお話ですが、制作チームから男の子も興味を持つような作品を書いてほしいと依頼されて、この題材を選びました。原作はエドガー・アラン・ポーの短編で、それをドイツ人の台本作家のハンナ・デュブゲンにオペラの台本にしてもらったのですが、実は彼女とはびっくりする縁があるのです。僕が13歳のときに英国で参加した、音楽と無関係の語学サマー・コースで彼女と出会っているんです!その後しばらく文通していましたが、そのうち連絡も途絶え……。すっかり忘れていたのですが、今回台本を誰に頼もうか考えているときに彼女が台本作家になっていることを知り、再会を果たしました。

バーゼルではドイツ語で上演されますが、オリジナルは英語。今後、色々な言語で上演されると良いなと思っています。また、僕の最初のオペラ「ソラリス」は、5月にドイツのアウグスブルクで新しい演出で上演されます。

最近、微生物をテーマにしたオーケストラ曲を書かれたそうですが、どんな作品ですか。

「グロリアス・クラウズ Glorious Clouds」という曲です。「ワイアード」誌に微生物についての特集があってとても興味を持ち、ツイッターで研究者と話したり、臨床報告を読んだり、さらにはノーベル生理学・医学賞受賞者の大村智先生とお話しすることができたり、とても勉強になりました。

大村先生もおっしゃっていましたが、今の時代、テーマは「共生」。昔のようにバクテリアは悪い菌だから殺すのではなく、腸内細菌ともうまく共生していかなければならないのです。これはオーケストラ作品にぴったりの題材だと思って書いてみました。微生物がわーっと舞う感じって、言葉では簡単だけど、それを音で全部書くのは結構大変で時間が掛かりましたね(笑)。この曲は11月にドイツのケルンで初演されます。

制作中の藤倉大IRCAMにて、オペラ「ソラリス」を制作中の藤倉大

さて、2月17日にはロンドンの名門ウィグモア・ホールで初の「音楽の個展」を開催されますね。出演者の皆さんなどをご紹介ください。

ピアノのメイ・イー・フーさん、サクソフォーンの大石将紀さん、それから僕のコントラバス協奏曲を初演してくれたエンノ・センフトさんとは付き合いが長く、昔から僕の作品を演奏してくれています。日本からは大石さんのほか、三味線の本條秀慈郎さん、クラリネット奏者の吉田誠さんが来てくれます。

本條さんは三味線で現代音楽をやっているという珍しい演奏家で、三味線界に新風を吹き込んでいます。彼からの委嘱で作曲した「音緒」という作品はスカイプで何度もやりとりを重ね、作曲しては弾いてもらって……、というプロセスを経て出来上がった作品です。三味線のために作曲するのは僕にとっても初めてでした。奏者とこういったコラボレーションをしながら作曲するのが僕のやり方です。

今回演奏される曲で一番新しい曲が、ピアノと管楽の五重奏のための「ゴー」。これはピアノの小菅優さんの委嘱で作曲しました。さらに彼女のために新しいピアノ協奏曲を作曲し終わったところです。

「ゴー」は昨秋に日本で初演され、小菅さんのツアーでも取り上げてもらったのですが、5つの楽章で構成されていて、どの順番で弾いても良いのが特色です。実際、ツアーでは毎回違う組み合わせで弾いたそうです。静かに始まるか、激しく始まるかによって曲の印象も変わりますよね。そうしたおもしろさを出したいと思いました。今回はどの順番で弾かれるでしょうか?当日サプライズで世界初演曲もあるかもしれませんので、どうかお楽しみに!

「音楽の個展」開催
ウィグモア・ホールに集結する音楽家たち

藤倉大に魅了された10人のアーティスト

世界中から集まってくれる素晴らしい音楽家たちの演奏により、「音楽の個展」をウィグモア・ホールで開催できることをうれしく思います。自分の過去20年間の作品が一つのコンサートで演奏されるということに今から興味津々です。40歳を祝う節目として最高の機会をいただきましたー (藤倉談)

Mei Yi Fooメイ・イー・フー
Mei Yi Foo

ピアノ。2013年の「BBC ミュージック・マガジン」でベスト・ニューカマー賞受賞。現代曲の普及に熱心で、ウンスク・チンや藤倉大らの現代作曲家とのプロジェクトも多く、フィルハーモニア管の「ミュージック・オブ・トゥデイ」でフィーチャー・アーティストとして取り上げられた。

Comment

藤倉さんは、鳥の群れ、バクテリアの習性、料理のレシピなど、一見日常的なことに思えるものから発想を得て、かつユーモアとエネルギーに満ちた傑作を生み出す才能の持ち主。今回の公演も、独特で遊び心あふれるものになることでしょう。

本條 秀慈郎 本條 秀慈郎
HONJOH Hidejiro

三味線。本條秀太郎に師事し、秀慈郎の名を許される。桐朋学園芸術短期大学卒。文化庁芸術祭新人賞、出光音楽賞を受賞。坂本龍一や藤倉大のCDの制作に参加。現代邦楽研究所修了。現在、桐朋学園芸術短期大学で非常勤講師を務める。

Comment

2014年に書いてもらった「音緒」はもう何回演奏したでしょうか。TV番組で共演したとき、トークでも周囲をドキドキさせた大さん。音楽に留まらずどんな世界にも敵なし ! 博学で、細胞の話をしてもらいました。現代人の五感を刺激する稀有な人です。

Yu Kosuge小菅 優
Yu Kosuge

ピアノ。高度なテクニックと美しい音色、深い楽曲理解と若き感性で、ヨーロッパで最も注目を浴びている若手ピアニストの一人である。ベートーべンのピアノ・ソナタ全集を含む15枚のCDをソニーよりリリース。2017年、第48回サントリー音楽賞を受賞した。

Comment

藤倉大さんの作品は聴く人を異次元の世界に連れて行ってくれます。弾いていても常に楽しく、想像力がかき立てられる。音の世界を超越して動物が飛び出てきたり、美しい自然の中に引きこまれたり。その奥深くに、宇宙や輪廻を感じさせます。

小山 莉絵小山 莉絵
Rie Koyama

ファゴット。2013年、第62回ミュンヘン国際音楽コンクール、ファゴット部門で最高位の2位(1位該当者なし)。これまでに参加した24のソロ・コンクールすべてで最高位受賞。パーヴォ・ヤルヴィ率いるドイツ・カンマー・フィルハーモニー管弦楽団のソロ・ファゴット奏者を務める。

Comment

欧州で活躍するファゴット奏者が藤倉さんの作品を取り上げていて、録音などで聴いていました。そして2017年6月のツアーでピアノと管楽の五重奏のための「ゴー」を初演し、楽器の新しい可能性やハーモニーの美しさを実感したことを覚えています。

大石 将紀大石 将紀
Masanori Oishi

サクソフォーン。東京藝術大学卒。同大学院修了後に渡仏し、パリ国立高等音楽院にて学ぶ。クラシックや現代音楽の演奏を始め、作曲家、ダンサーとのコラボレーション、即興演奏、CM録音、TV、ラジオ出演など幅広く活動中。東京藝術大学で後進の指導にも当たる。

Comment

東京での初めてのリサイタルのために藤倉さんに「サカナ」を書いていただき、初演したのが2008年。今では、世界中のサクソフォーン奏者に演奏される作品になりました。その10年の節目に、藤倉さんの住むロンドンで演奏できるなんて運命を感じます。

Enno Senftエンノ・センフト
Enno Senft

コントラバス。ヨーロッパ室内管弦楽団の首席奏者、及び同楽団の創立メンバーの一員。ロンドン・シンフォニエッタの首席奏者も兼任。ベルリン・フィルを始め、世界のトップ・オーケストラと多数共演している。現在、英国王立音楽院教授を務める。

Comment

「ES」はアコースティックやエレクトリック・ギター、日本の伝統的な弦楽器など、コントラバス以外の要素が聴こえ、相反する文化を思い起こさせる。感情を揺さぶる作品であり、藤倉さんの曲には「技術的な挑戦」の先に導いてくれる何かがあります。

 Philippe Tondreフィリップ・トンドル
Philippe Tondre

オーボエ。2011年、ミュンヘン国際音楽コンクールで優勝。ボン・ベートーべン音楽祭でベートーベン・リング賞を受賞。南西ドイツ放送交響楽団の首席奏者。ソリストや室内楽奏者としても活躍。現在、ザール音楽大学教授を務める。

Comment

藤倉さんの五重奏曲「ゴー」は、それぞれの楽器の音域、音質、技術的な極限を探検する旅。想像力を使って曲を解釈することを、演奏家と聴き手に許してくれる。緩徐楽章の美しくもの悲しい旋律、リズムの力強さ、エネルギーあふれる魅惑的な曲です。

Teunis van der Zwartテウニス・ファン・デル・ズバルト
Teunis van der Zwart

ホルン。1989年に、バート・ハルツブルクのナチュラルホルン・コンクールで入賞。フライブルク・バロック管弦楽団、及び18世紀オーケストラの首席奏者。アムステルダム音楽院やハーグ王立音楽院教授を務める。

Comment

藤倉大の音楽的言語は、私的かつ普遍的なものです。楽器の特質を深く理解しながら、これまでに聴いたことがないような形で、その可能性を広げていく才能を彼は持っています。ウィグモア・ホールで彼の作品を演奏するのを楽しみにしています。

Bartosz Worochバルトシュ・ボロック
Bartosz Woroch

バイオリン。パブロ・サラサーテ、及びマイケル・ヒル国際バイオリン・コンクールなどで数々の賞を受賞。ルトスワフスキ・カルテットやシンフォニア・カムリのリーダーで、指揮者、ソリストとしても活動中。現在、英国の名門ギルドホール音楽演劇学校で教授を務める。

Comment

藤倉さんの「サマラサ」は、ユーモアとむき出しのエネルギーにあふれた、バイオリン独奏のための曲。意地悪で骨の折れる曲ですが、心拍数が上がり、眠れなくなり、たとえ指がこんがらがったとしても(笑)、演奏するのは素晴らしく楽しい !

吉田 誠吉田 誠
Makoto Yoshida

クラリネット。パリ国立高等音楽院、ジュネーブ国立高等音楽院で学ぶ。第5回東京音楽コンクール木管部門第1位、及び聴衆賞を受賞。国内外のオーケストラ、音楽祭にソリストとして招かれ、アジア、ヨーロッパなどで公演を重ねている。

Comment

2015年にオーケストラ作品「レア・グラビティー」を聴き、その新鮮な音、世界感に圧倒されました。昨年は、今回も演奏する五重奏「ゴー」を世界初演させていただきました。この幸運な縁に感謝し、大さんの作品と生涯にわたって対峙していきたい。

Dai Fujikura Portrait

2018年2月17日(土)19:30開演
会場: Wigmore Hall
36 Wigmore Street London W1U 2BP
最寄駅: Bond Street 駅
チケット: £15~37

● チケットに関するお問い合わせ先
Tel: 020 7935 2141
http://wigmore-hall.org.uk

● コンサートに関するお問い合わせ先
エイベックス・リサイタル・シリーズ
www.avexrecitalseries.com

プログラム

ルビコン - クラリネットのための(2016)
ミリアンペア - 独奏トイピアノのための(2010)
エス - 独奏コントラバスのための(2008)
サカナ - 独奏サクソフォーンのための(2007)
ディープンド・アーク - 独奏ピアノのための(1998)
フローズン・ヒート - 独奏ピアノのための(1998)
音緒 - 独奏三味線のための(2014)*英国初演
セクセク - 独奏ピアノのための(2011)
アヤトリ - 独奏ピアノのための(2011)
ブレスレス - トイピアノとバイオリンのための(2004)
サマラサ - 独奏バイオリンのための(2010)
ゴー- ピアノと管楽の五重奏のための(2016)*英国初演

※止むを得ない事情により曲目・曲順等が変更になる場合がございます。

 

2018年の干支は戌 - 英国・ドイツの働く犬たち

近年、英国の官邸街でネズミ捕獲長として働く猫たちが人気を博し、日本では猫の駅長が地域活性化に一役買うなど、猫がメディアの注目を集めている。しかし、2018年の干支は戌。今年最初の特集では、英国とドイツで人と社会を結び付けるべく活躍している犬に着目したい。盲導犬や警察犬、救助犬など、人々の生活を補助してくれる犬たちの中から、今回は英国の牧畜業に欠かせない存在である牧羊犬と、ドイツの市民の日常生活を支える介助犬をご紹介しよう。

英国の牧羊犬とドイツの介助犬

英国の牧畜業を縁の下で支える
野を駈ける牧羊犬たち

放牧されている羊の群れの誘導や見張りをする牧羊犬は、人間との共同作業をこなす忠実さに加え、自発的な判断力も要求される。牧羊の盛んな英国にあっては人間の大事な仕事仲間だ。更に、牧羊犬は羊の世話ばかりでなく、シープドッグ・トライアルという競技を通して英国の地域コミュニティーを繋ぐ大切な役割も果たしている。今回の特集、英国は働き者の牧羊犬を取り上げたい。

取材団体:The Surrey Sheep Dog Society

1981年に設立された、南東イングランド・シープドッグ協会のサリー支部。メンバーは現在、同地区に在住の酪農業従事者を中心に、100人を超える。地区内の牧場数カ所で、牧羊犬による羊の囲い込みを競い合う「トライアル」を実施。質の高い調教師が多く、同支部のメンバーの中には、国内試合の模様を紹介するBBCの人気番組「ワン・マン・アンド・ヒズ・ドッグ」のコメンテーターや、国際大会のイングランド代表者もいる。
www.surreysheepdogsociety.org.uk

イギリスの牧羊犬

「1人の羊飼いと1頭の犬」

緩やかな丘陵と緑の牧草地、そしてそこに点在する羊の群れは、今も昔も変わらない典型的な英国の田園風景。ロンドンから電車に乗ると1時間もしないうちに、車窓に羊の群れが姿を現すことに驚く人も多いのではないだろうか。ロンドンなどの都市に暮らしていると忘れがちだが、英国は牧羊の盛んな国。昔に比べれば減少したものの、国際連合食糧農業機関(FAO)による2014年の調査では、羊の頭数は欧州一、世界では第7位。「羊の国」と言われるニュージーランドよりも多く、今でも牧羊の伝統は衰えていない。そして、羊の群れを誘導する牧羊犬もまた、英国人にとって羊と同様になじみ深い存在だ。

そんな英国でスポーツとして愛されているのが、牧羊犬の働きを競技として体系化した「シープドッグ・トライアル」。BBCには牧羊犬が羊の囲い込みをするトライアルの様子を放映する「ワン・マン・アンド・ヒズ・ドッグ」(One Man & His Dog)なるテレビの長寿番組もあるほどだ(現在は同局の「カントリーファイル(Countryfile)」の一部として放映)。羊の囲い込みは人間と犬の共同作業であり、そのタイトルからも分かるように、まさに「1人の羊飼いと1頭の犬」の信頼関係の上に成立している。

ローマ時代から存在した牧羊犬

イングランド南東部サリーで牧畜業を営み、牧羊犬の歴史に詳しいテリー・スティーブンスさんによると、英国における牧羊犬の始まりはローマ時代にまでさかのぼる。欧州各地を次々に征服したローマ軍は、自分たちの食糧となる家畜を連れており、その家畜を率いていたのが牧羊犬だった。現在、最も牧羊犬に適した犬種と言われるボーダー・コリーは、白と黒の毛をした中型犬で、イングランド、スコットランド、ウェールズの国境(ボーダー)付近の羊を管理するために品種改良された英国原産の犬。羊を統制することのできる力のある鋭い視線と強じんな体力を持ち、常に好奇心に溢れ、人間の役に立つことに誇りを見い出す性質だという。現在の純血種ボーダー・コリーは、すべてメグという雌犬とロイと呼ばれる雄犬の子孫。1893年に彼らの子である名犬ヘンプが誕生したが、この犬は「空を横切る流星のように飛んでくる、羊の世話をするために生まれてきたような犬」と言われたそう。スティーブンスさんは「ボーダー・コリーは英国の牧畜業界におけるサクセス・ストーリー」と語る。牧羊犬の代わりにドローンを使って羊を管理する人々も現れたが、農業従事者の組合である全英農業者連盟(NFU)は、「良い牧羊犬の方がはるかに優れた仕事をする」としており、まだまだ牧羊犬がお払い箱になる可能性は少ない。

鋭い視線と強い統率力を持つボーダー・コリー 鋭い視線と強い統率力を持つボーダー・コリー

羊の扱いをマスターするまで

犬は社会性の高い動物で、人間の家族と自分が一つの群れを構成していると認識する。群れの中の上位の者に従い、その命令に忠実な行動を取る習性があり、牧羊犬のトレーニングはこの習性を利用したものだ。生後半年から12カ月を過ぎたころにトレーニングを開始。羊を怖がらないように教えるところから始まる。ハンドラー(調教師)は次のような言葉に従うよう根気強く命令を覚え込ませる。

ハンドラーの声を聞きながら、羊を1列に並ばせる牧羊犬ハンドラーの声を聞きながら、羊を1列に並ばせる牧羊犬

Come Bye – 群れの左側へ行け 
Away to Me – 群れの右側へ行け 
Stand – 止まれ 
Lie Down – 止まってふせろ 
Steady – ゆっくりと 
Cast –家畜を一つにまとめろ
Find – 家畜を探せ 
Get Out – 家畜から離れろ
Hold – 家畜が今いる場所から動かないようにしろ 
Bark – 家畜に向かって吠えろ 
Look Back – 群れから離れてほかの家畜を探せ
Walk Up – 家畜に近付け 
That'll do – 戻って来い

最終的に、牧羊犬は10種類以上ある命令を理解し、言われる通りに羊の群れを移動させ、囲いの中に誘導する、という羊飼いの手足に当たる役目を果たせるようになる。また、命令には犬笛(ドッグ・ホイッスル)を使う場合もあるが、これは広大なエリアにいたり風の強いときなど、命令が聞き取れず犬が混乱したり、羊飼いが常に大声を出すことで体力を消耗するのを避けるため。2歳で一人前の牧羊犬としてデビューするのが理想的で、5~6歳が体力・気力ともに牧羊犬の最盛期だという。ベテラン犬になると、なるべく少ない運動量で羊を動かそうと、知恵を働かせるのだとか。

牧羊犬トライアルを見学

羊の囲い込みを競い合うシープドッグ・トライアルは、牧羊犬にとっても人間にとっても趣味と実益を兼ねた週末の楽しみで、英国各地で年間約400回も行われている。今回は南東イングランド・シープドッグ協会のサリー支部が開催したトライアルを見学した。会場となったディーンランド・ファームは、イースト・サセックスの街ルイスの鉄道駅から車で約15分。広々とした丘陵が広がり、公道では馬とすれ違う。牧草地にはハンドラーたちの四輪駆動車が何台も止まっていた。ハンドラーたちの多くがハンチング帽をかぶり、皆、クルックと呼ばれる羊飼い用の長い杖を携えている。足元にはボーダー・コリーが姿勢を正して座り、まさに英国の昔からの伝統を体現したような光景だ。

今回の参加者は約10人で、ほとんどが牧場経営者か農業従事者。この日は「Nursery & Novice」、つまり3歳以下の牧羊犬と見習い犬のためのトライアルで、出場した10頭以上の犬はすべてボーダー・コリーだった。ハンドラーの指示を聞き逃すまいとする様子は、その表情から機敏な四肢の動きまで、私たちがペットとして飼っている犬とは全く異なる。集中力と緊張感の塊のようなその姿からは、牧羊犬の日々の仕事振りが想像できる。

地域コミュニティーを繋ぐ犬たち

牧羊犬は「ワーカホリック」と言われ、たとえ老齢になり引退しても、羊を見掛けたら追おうとしてしまうほど。その一生を自分の職場とも言える農場で送り、地域によっては多くの人間に接しないため、飼い主1人にしか懐かない犬もいると聞く。運動量の激しさから通常のペットの犬より寿命が短いが、飼い主とは非常に強い絆で結ばれている。

多くの牧羊犬が日々の仕事に加え、週末のシープドッグ・トライアルに参加しているが、その生き生きとした表情からは、飼い主と共にフィールドに出られてうれしくて仕方がないといった様子が見て取れる。飼い主であるハンドラーたちは、週末になると皆で集まり、場所を提供し合ってトライアルを開催。当日の審判や羊の世話も全部持ち回りのため、皆が友人同士でコミュニティー・スピリットに溢れている。サリー支部で理事を務め、自身も牧場を経営するマーク・バナムさんは、丘陵を指さして言った。「想像してみてください。こういうトライアルが、今この瞬間、英国中で行われているのですよ」。羊の世話だけではなく、地域コミュニティーを繋ぐ大事な役目も果たす牧羊犬。たとえ技術が発達し牧畜の世界にハイテク化が進んでも、これからも人間と共に羊を追い続けるに違いない。

トライアルの見学者トライアルの見学者も和気あいあいとした雰囲気。子犬たちの中には将来の牧羊犬候補も

英国・ドイツの
犬にまつわる法律や規則

人間と犬が一つの社会で共存するため、英国でもドイツでも、犬に関する法律や規則が存在する。ときには「えっ」と驚くユニークな決まりも。犬と一緒に生活する上で、しっかり把握しておきたい法律や規則をいくつか挙げてみよう。

UK英国

  • すべての犬にマイクロチップを義務付け
    既に法が制定されている北アイルランド以外の地域で、2016年に生後8週間以内のすべての犬にマイクロチップを埋め込み、データベースに登録することが義務付けられた。これを怠ると最高500ポンドの罰金が科せられる。
  • 断耳、断尾の禁止
    断耳は英国全土で禁止。断尾も基本的には禁止だが、警察犬や軍用犬など一部の職業犬に限り認められている。これまで断耳、ß断尾ともに完全禁止だったスコットランドも、2017年6月に法律が代わり、一部の職業犬については断尾が可能になった。
  • 1頭の犬に6回以上出産させてはいけない
    繁殖業者は地方自治体に登録する義務がある。様々な規定が設けられており、1歳未満の雌犬に出産させてはいけない。また、1頭の雌犬に一生のうち6回以上出産させるのも不可、次までに1年以上の間を置く必要がある。
  • 土佐犬を含む4種が危険犬種に指定
    1991年に施行された危険犬種法によると、ピット・ブル・テリア、ブラジリアン・ガード・ドッグ、ドゴ・アルヘンティーノ、土佐犬の飼育が、特定の場合を除いて禁止されている。これらの犬種の繁殖や販売、譲渡も不可。

UKドイツ

  • 殺処分は原則禁止
    動物全般の殺処分は原則禁止。不治の病を患った動物のみが例外とされている。飼い主がいない動物たちは「ティアハイム」という民間の動物シェルターに保護され、引き取り手が見つかれば新たな家族の元へ、見つからなければ無期限で生活することができる。
  • 公共交通機関の同乗が可能
    公共交通機関の同乗可。ドイツ鉄道での犬の乗車賃は、大人料金の半額となる(チケットの種類により違いあり。盲導犬や介助犬などは無料)。ほかにもショッピング・センターやレストラン内で犬がおとなしく待っている姿は、ドイツでは日常の風景だ。
  • 細かい飼育規定がある
    犬も家族の一員という認識が強いドイツでは、詳細な飼育規定がある。例えば犬種などによってケージのサイズやリードの長さ、さらには部屋の大きさまでも決まっている。これらが守られていないと判断されれば最悪の場合、愛犬を没収されることも。
  • 犬税が課せられる
    自治体によって徴収の有無が異なり、金額も変わってくるが、1頭当たり平均100ユーロ(1年間)が課せられ、数が増えるほど高くなる(デュッセルドルフの場合、1頭は年間96ユーロ、2頭は1頭当たり150ユーロ)。闘犬の税金は普通犬種の倍以上になる。

エリザベス女王やショーペンハウアーの愛犬など
英国・ドイツを代表する犬たち

UK英国

  • イングリッシュ・ブルドッグ粘り強く勇敢な英国の国犬
    イングリッシュ・ブルドッグ
    English Bulldog
    雄牛と闘うためにつくり出された中型犬。勇敢で粘り強い様から、第一次大戦時には「ブルドッグ精神」として、英国民が敵に対し不屈の精神で挑むためのプロパガンダにも利用された。第二次大戦時には当時の首相ウィンストン・チャーチルのニックネームでもあった。
  • ウェルシュ・コーギー・ペンブロークエリザベス女王の愛する「動くじゅうたん」
    ウェルシュ・コーギー・ペンブローク
    Welsh Corgi Pembroke
    エリザベス女王が幼少のころから愛し、91歳の現在に至るまで常にペットとして飼い続けているのが、ウェールズ地方原産の小型犬コーギー。女王の周囲に群がるコーギーが一斉に移動していく様子を、故ダイアナ元妃は「動くじゅうたん」と形容した。

ドイツドイツ

  • ジャーマン・シェパード・ドッグ勇敢な性格で警察犬として活躍
    ジャーマン・シェパード・ドッグ
    Deutscher Schäferhund
    第一次大戦での活躍で世界中に知られることとなり、現在では警察犬として活躍している。そのほか警察犬であるドーベルマン、ボクサーもドイツ原産で、これらの犬種は日本でも警察犬指定犬種になっている。
  • プードルショーペンハウアーの愛犬
    プードル
    Pudel
    フランスが原産と思われることが多いプードルは、実はドイツが起源の犬種。ドイツ人哲学者、アルトゥール・ショーペンハウアーが愛犬のプードルを散歩する姿が話題となり、当時のフランクフルトではプードルを飼うことが流行ったそうだ。
 

ニュースダイジェスト主催
フォトコンテスト2016受賞者発表!

カメラ旅の思い出や何気ない日常の一コマ、そして長らく記憶に残るであろう社会的な事件を扱ったものまで、今年も多くの力作が届いた、ニュースダイジェスト主催のフォトコンテスト2017、いよいよ受賞作品の発表です。今年は「2016~2017年の思い出」をテーマに、個性的で印象深い作品が数多く寄せられました。それでは、受賞者の皆さんによる思いのこもった力作を見ていきましょう!

テーマ「2016〜2017年の思い出」

王冠 マチュア部門大賞

「染まりゆく」
遠藤 知佳(はるか)さん 英国

「染まりゆく」遠藤 知佳(はるか)さん

よく主人と通る場所で桜を見つけ、なんだかホッとしたような、新しい発見をしたような気持ちとともに撮りました。日本人になじみの深い桜と、セントポール大聖堂というイギリスが誇る建築。あたかも日本人の私がイギリスの暮らしに染まっていく、その様を代弁しているようで気に入っています。

審査員コメント

場所、色、季節をシンプルながら強い視覚的イメージで表した作品。ロンドン中心部で撮影された 春らしい青が際立つ空と桃色の花が、日本の桜の伝統的な姿を彷彿とさせます。1枚の写真に2つの国を入れた巧みな構成ですね。通常とは異なるアングルでものを観て撮影する重要さが分かる一枚です。 by Canon Europe

大賞 キッズ部門大賞

「蓮の葉スマイリー」
ベンジャミン・フックスさん(9歳)英国 

「蓮の葉スマイリー」ベンジャミン・フックスさん (9歳)

新潟市の白山公園で池の水をポチャポチャ蓮の葉っぱにかけていたら、僕の大好きなスマイリーの顔になったので、写真を撮りました。この時はまだ蓮の葉っぱしかなかったので、今度は蓮のお花を見たいです。そして写真を撮りたいです。大賞を取れてとってもうれしいです!

審査員コメント

視覚的な力強さとユーモアにあふれています。水面の暗い部分と対照的な光や鮮明な緑色によって、睡蓮の葉のスマイル・マークに視線がいきます。これを発見し、見事な構図で写真に収めたこと、更に、水を上手に捉えた露出とシャープネス。これらによって素晴らしい写真が生まれました。 by Canon Europe

大賞 マチュア部門特別賞

「we are grieving today but we are strong」
上塚 希依(きえ)さん イギリス 

「we are grieving today but we are strong」上塚 希依(きえ)さん

イギリスでの生活の様子を思い出として残したく、カメラを持ち歩いています。これはマンチェスターで起きた凄惨なテロ事件の翌日に撮った写真です。テロの恐怖に屈せず、立ち向かおうとしているマンチェスターの人たちの思いを残そうとカメラを手に取りました。

審査員コメント

このマンチェスターで撮影された写真のように、災害やテロの現場に置かれた追悼の花を、このようなアングルや方法で撮ろうとはなかなか思い付きません。私たちは携帯電話を使って写真を撮りソーシャル・メディアですぐ共有しますが、そんな文化をも見事に表した非常にパワフルな作品です。by Canon Europe

「オストゥーニの夕焼け」
宮田 さちさん イギリス

「オストゥーニの夕焼け」宮田 さちさん

5年ほど前から毎年応募させていただいていますが、初めての受賞でとてもうれしいです。写真はイタリアにホリデーに行ったときにオストゥーニの駅で撮ったものです。2週間の滞在で、唯一雨が降った日でした。反射の写真が好きで、水たまりに目を光らせています。

審査員コメント

雨の後と夕焼けが同居する静かな夕景を、上下のシンメトリーの構図の 中で美しく捉えた作品だと思いました。カメラを持ち歩いているからこそ、このように一瞬の美を収めることができるのですね。by JSTV

「絵描きさん」
伊藤 由梨さん 英国

「絵描きさん」伊藤 由梨さん

この写真は憧れのオックスフォード大学を訪れたときに、私が撮りたいと思ったまさにその風景を描いている絵描きさんがいて、その素敵な絵に魅了され撮影させてもらいました。私は絵が上手くないので私らしい方法(写真)でこれからも素敵な風景を記録していきたいと思います。

審査員コメント

全体的に落ち着いたベージュの色調の中、右手前の煉瓦の壁、真ん中の絵描きさん、写生対象の建物が絶妙に配置された構図が新鮮です。実際の建物とキャンバス、看板内の建物のバランスも面白く、何度観ても飽きない楽しさがあります。 by Takara Shuzo

「立往生」
蔭浦 明日香さん 英国 

「立往生」蔭浦 明日香 さん

アイルランドを旅行し、大自然の豊かさに感動しきった後に偶然、遭遇した牧歌的な光景を撮影しました。車に乗り、先を急ぐ人間と、ゆったりとした時間を生きる牛の対比を表現しようと努めました。今後も欧州ならではの美しい光景を撮影していきたいです。

審査員コメント

自然の中で自由に生きている様子が感じられ、心がほっと安らぎ、笑顔になれました。写真から得られる癒しの余韻が、当サロンのコンセプトと呼応したので、こちらの作品を選出させていただきました。 by Rikyu

キッズ部門入賞

「カブ・ハミー」
志田 ジェームス雅樹さん(11歳)イギリス 

「カブ・ハミー」志田 ジェームス雅樹さん

ハミー(ハムスターの名前)はこの写真を撮った後まもなく亡く なってしまったので、入賞の知らせを聞いてとてもうれしかったです。ハミーが僕のカブ・スカウトのスカーフにすっぽり入っているところが気に入っています。白い毛布を下に敷いて光の加減に気をつけながら撮りました。

審査員コメント

好きなものをただ撮ったのではなく、スタジオ撮影のようなことにチャレンジして、自分で設定を作り込む姿勢がとても良いですね。今後が楽しみな素晴らしいスタートだと思います。 by Paris Miki

キッズ部門入賞

「アイスクリーム」
高藤 斐月(ひづき)さん(5歳)英国 

「アイスクリーム」高藤 斐月(ひづき)さん(5歳)

旅行で行ったスイスで、暑くてアイスクリームを買ってもらいました。おいしかったので写真に撮りました。このアイスクリームの色が好きだったのです。とてもおいしそうに撮れました。斐月は写真を撮るのが大好きです。これからは鳥を撮ってみたいです。賞をどうもありがとう。カメラが好きです。

審査員コメント

万華鏡のようにも見えます。まるでミクロの世界のようで、子供ならではのものの見方が発揮された作品ですね。食べるだけではなく、じっと見つめて、アイスクリームの形や色が変化するのを楽しんでいる撮影者の様子が目に浮かぶようです。 by Paris Miki

キッズ部門入賞

「夢のミリタリー・タトゥー」
牟田 百希(ももね)さん(9歳)英国 

「夢のミリタリー・タトゥー」牟田 百希(ももね)さん(9歳)

選ばれたと聞いて、びっくりしてとてもうれしかったです。この写真は、ずっと行きたかったスコットランドのエディンバラ城である、ミリタリー・タトゥーの最終日に客席で撮りました。私が気に入っているのは、男の人たちがきっちりと上を見ていて、かっこいいところです。

審査員コメント

ミリタリーの精悍な横顔を一瞬で捉えた素晴らしい写真です。大勢の人がいる中で、この男性を切り取るというところに独自の視線があるように思います。まぶしいシャープな光もイベントの雰囲気に合っています。  by IMR Education

「Timeless 」
ディオン・ヒッチコックさん 英国 

「Timeless」ディオン・ヒッチコックさん

この写真は去年10月にオーストラリアにいたときから、来英の際はぜひ訪れてみたいと思っていたストーンヘンジで撮りました。撮影の際にはときの流れとともに変化する人の流れに留意しました。そこにずっとたたずんでいる石と、人の流れのコントラストが自分でも大変気に入っています。これからも、自然にさらされ季節とともに変化するオブジェや、人の流れを撮り続けていければと思っています。

「キラキラの笑顔」
ヴンダー 七夏さん 英国 

「キラキラの笑顔」ヴンダー 七夏さん

この写真は今年の夏休みに家族でフランスへ行ったときに撮りました。楽しかった思い出がたくさん詰まったお気に入りの一枚です。いつも写真を撮るときは被写体と背景のバランス、そして光に気をつけて撮っています。子供たちの無邪気な笑顔はこのタイミングで偶然撮れたもので、普段撮ろうと思って撮れる表情ではなかったので私にとってすごく特別なものになりました。これからも子供たちの成長を楽しく写真に残していけたらいいなと思っています。

「夜明け」
村上 信郎さん 英国 

「夜明け」村上 信郎さん

写真を撮り始めて3年ほど、初めて応募したコンテストで受賞のご連絡をいただき大変びっくりしました。この写真は2017年初のロンドンのご来光を収めようとテムズ川を散策している最中に撮影したものですが、単なる日の出だけでなくロンドン名物の赤バスを一緒にフレームできたことで、ストーリー性を表現できたのではと気に入っています。

「Reflection of New York」
渡邉 一正さん 渡邉 一正 

「夜明け」村上 信郎さん

去年は入賞で今年は特別賞。チョーうれしいです。来年は大賞狙います!夏休みのNYの高層ホテルで窓の下側がちょっとだけ開きました。そこから手とコンパクト・カメラだけぎゅっと出して下の階の窓の映り込みを利用して撮影しました。空撮のような不思議な感じに撮れたと思います(笑)。

審査員総評

今年も素晴らしい作品が勢ぞろいし、大変審査の難しいコンテストでした。レンズ交換式カメラやコンパクト・カメラならではの撮りたいイメージに合わせて調整・コントロー ルされた作品や創造性豊かな作品が多く見られました。 by Canon Europe

受賞作品は日本語テレビ局 JSTV で、2018年1月より順次放送予定

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同性愛が条件付きで非犯罪化して50年 19~20世紀を生きた
英国のクィアな文化人たち

男性同士、女性同士のカップルが仲睦まじく往来を歩く姿は英国ではもはや日常の風景。しかし、今からわずか50年前まで、男性の同性愛行為は違法だった。イングランド及びウェールズで男性の同性愛が条件付きで非犯罪化されたのは1967年。同性愛者を含む性的少数者(クィア)である文化人たちは、どのように生き、制作活動を行っていたのか。50年という節目を迎えた今年、19世紀から20世紀にかけて性の垣根を越えて活躍した文化人たちを振り返ってみたい。参照「Queer British Art 1861-1967」Tateほか

性的少数者LGBTQとは?

性的少数者はLGBTQと表現されることが多く、これはレズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー、クィアの頭文字を取ったもの。もともとはレズビアン(女性の同性愛)、ゲイ(同性愛、特に男性の同性愛)、バイセクシャル(両性愛)、トランスジェンダー(身体と心の性が一致していない、違和感を覚えるなどの性の形態)をまとめて「LGBT」と呼ぶことが多かったが、近年ではクィアを含め「LGBTQ」とするケースが増えている。クィアに関しては様々な定義がみられるが、いわゆるLGBTを含むあらゆる性的少数者を指す。よって、異性装を好む人々や、特定の性的指向の枠にはめられることを避ける人々なども含まれる。

19世紀から現在に至るまでの
同性愛者をめぐる時代の変遷

1533年 イングランド王ヘンリー8世の時代、イングランド及びウェールズにおいて「バガリー」を禁じる法が制定。バガリーとは元々は神の意思に背いた不自然な性行為を指したが、後に肛門性交のことを言うようになった(男女問わず)。1861年までは有罪の場合、死刑が宣告された
1885年 「品位に欠けるみだらな行為」(gross indecency)を禁じる条項が追加。男性同士の性行為が違法に
1895年 オスカー・ワイルドが「品位に欠けるみだらな行為」を行ったとして2年の懲役刑を科される
1957年 ウォルフェンデン委員会が軍人以外の21歳以上で合意ある成人同士の同性愛行為を非犯罪化するよう提言
1967年 第三者がいると思われる場所を除き、同性愛行為が非犯罪化。性的同意年齢は21歳(異性愛及びレズビアンは16歳)
1969年
6月
米ニューヨークのゲイ・バー、ストーンウォール・インへの警官による踏み込み捜査が、5日間にわたる暴動へと発展。同性愛者の権利を求める運動の象徴的イベントとして知られるようになる。ゲイ解放戦線(GLF)がニューヨークで設立
1970年 ロンドン・ゲイ解放戦線(ロンドンGLF)が設立
1972年
7月
性的少数者の文化を称える「プライド」パレードの第1回がロンドンで開催。参加者は約700人
1980年 スコットランドで同性愛行為が非犯罪化(条件は1967年と同様)
1982年 欧州人権裁判所の判断に基づき、北アイルランドでも同性愛行為が非犯罪化
1994年 同性愛の男性の性的同意年齢が18歳に
2000年
1月
同性愛者の軍隊勤務を禁じる規則が廃止
2001年
1月
上院における3回にわたる否決ののち、労働党政権が同性愛の男性の性的同意年齢を16歳に引き下げ
2005年
12月5日
同性愛カップルに結婚とほぼ同等の権利を与える2004年シビル・パートナーシップ法が施行
2005年
12月30日
同性愛カップルが養子を迎え、共同親権を持つことが可能に
2009年
9月10日
ブラウン首相(当時)が同性愛者だったアラン・チューリングに対して、刑務所への収監と引き換えにホルモン療法を施したことを正式に謝罪
2013年
12月
エリザベス女王がアラン・チューリングに死後恩赦を与える
2014年
3月29日
イングランド及びウェールズで同性間の結婚が可能になる2013年結婚(同性カップル)法が施行
2014年
12月16日
スコットランドで同性間の結婚が可能になる2014年結婚及びシビル・パートナーシップ(スコットランド)法が施行
2017年
1月31日
イングランド及びウェールズにおいて、過去に同性愛行為で有罪になり亡くなった人々が赦免された。また、有罪となり生存している人たちは、内務省に届け出ることで記録が抹消される。通称「アラン・チューリング法」

Source: The Guardian, etc

同性愛者の恩赦への道を開いた
アラン・チューリング
Alan Turing

アラン・チューリング
ブレッチリー・パークにあるアラン・チューリングの銅像

第二次大戦時、ナチス・ドイツの暗号機エニグマによる暗号文解読に大きな筋道を示したアラン・チューリングは、「人口知能の父」とも呼ばれる優れた数学者にして暗号解読者だったが、その存在が脚光を浴びたのは近年のことだった。

1912年にロンドンで生まれたチューリングは若いころから数学や科学の才能に秀で、ケンブリッジ大学で数学を学んだ。卒業後はフェローとして研究を続け、米プリンストン大学で博士号を取得。第二次大戦中には政府暗号学校ブレッチリー・パークで暗号解読に携わるようになる。エニグマの暗号を解読する装置「ボム」の設計における主導的役割を果たすが、仕事の性質上、業績は秘匿された。

同性愛者だったチューリングは1952年、39歳のときに街で知り合った若者と関係を持つが、その男性がチューリング宅への泥棒の手引きをしていたことから警察に同性愛指向が知られ、逮捕される。刑務所への収監を避けるために性欲を抑える(とされた)ホルモン療法を受けるが、その後は暗号解読者としての仕事を続けることが不可能となる。1954年、自宅で青酸中毒により死去。自殺とされる。

死後になってチューリングの業績が公になり、その栄誉を称える動きが活発化。2009年にはゴードン・ブラウン首相(当時)がチューリングに対する謝罪を政府として正式に表明。2013年には恩赦が決定した。2017年1月31日、イングランド及びウェールズで同性愛または両性愛の罪で有罪となった人々の恩赦を認める法が施行。この法律はチューリングにちなみ、「アラン・チューリング法」と呼ばれる。

自由と美を謳歌した人々
ブルームズベリー・グループ
Bloomsbury Group

ブルームズベリー・グループ
ゴードン・スクエアにあるブルームズベリー・グループの拠点

1905年から第二次大戦期にかけて、ロンドン中心部ブルームズベリーに集った芸術家や作家、学者たちの集団「ブルームズベリー・グループ」。元々はケンブリッジ大学の複数のカレッジの学生からなる「ケンブリッジ使徒会(アポスルズ)」に端を発したもので、後にブルームズベリーに居を構えたバネッサ・ベル、トビー・スティーブン、バージニア・ウルフ、エイドリアン・スティーブンの兄弟姉妹の家に集うようになったメンバーがこう呼ばれるようになった。

平和主義や左派自由主義を掲げると同時に、同性愛やオープン・マリッジの関係を持つ人々が多かったことでも知られている。例えば画家のダンカン・グラントは同性愛者で同じグループのエイドリアンや経済学者ジョン・メイナード・ケインズ、作家のリットン・ストレイチーらと関係を持った一方で、同じくメンバーだったクライブ・ベルと結婚していたバネッサとの間に娘をもうけた。

社交界から地に堕ちた洒落者
オスカー・ワイルド

Oscar Wilde
1854 - 1900
作家 / 劇作家
Oscar Wilde

19世紀を代表する作家 / 劇作家のオスカー・ワイルドは、「ドリアン・グレイの肖像」や「サロメ」などの著作同様、耽美で破滅的な人生を歩んだことで知られる。

アイルランドのダブリンで医師の家庭に生まれたワイルドは、名門ダブリン大学トリニティ・カレッジを経て、特待生としてオックスフォード大学で学び、優秀な成績で卒業。在学中から奇抜な服装や華美な生活で名を馳せたワイルドはその後、批評家や雑誌編集者、そして作家として活躍、社交界の寵児となった。弁護士の娘と結婚し、子供を2人もうけたが、男性とも関係を結び、1891年には16歳年下のアルフレッド・ダグラス、通称「ボージー」と親しくなる。この出会いが彼の運命を大きく左右することになった。1895年には息子の将来を不安視したボージーの父、第9代クイーンズベリー侯爵ジョン・ダグラスがワイルドの同性愛を公に糾弾。互いが互いを告訴する事態に発展する。結果、ワイルドは「品位にかけるみだらな行為」を行ったとして有罪となり、2年の懲役刑に服した。

服役後には世間から見放され、体調を崩し経済的にも困窮。家族とも離ればなれとなり、欧州を放浪した。途中、ボージーとよりを戻すもまた別れ、1900年にパリにおいて46歳でその生涯を終えた。

女性初のロイヤル・アカデミー正会員に
ローラ・ナイト

Laura Knight
1877 - 1970
画家
Laura Knight

ヌード画を描く女流画家の自画像――今となっては驚くべき構図ではないかもしれないが、女性が美術学校でヌード・デッサンの授業に参加することが禁じられていた時代、その絵は衝撃をもって受け止められた。

幼少期に父が家を出て、経済的にひっ迫した家庭に育ったローラ・ナイトは、母が教えていたノッティンガム美術学校に学費なしで進学。卒業後には美術教師として働いた。在学中にハロルド・ナイトと出会い、1903年に結婚。イングランド西部コーンウォールのニューリンに夫とともに移り住み、「ニューリン派」と呼ばれる芸術家たちのコミュニティーの中心的存在となった。ナイトはここで戸外制作や、プロのモデルをロンドンから呼び寄せてヌード・デッサンを行うなどして画家としての自己を見出していく。

サーカスのツアーに同行したり、ジプシーと交友関係を結び肖像画を手掛けるなどしていたナイトは、第二次大戦中に戦争芸術家諮問委員会により戦争画家として選出された。戦後はドイツに3カ月間滞在し、ニュルンベルク裁判の過程を追うなど、ジャーナリスティックな姿勢と感性で作品を作り続け、1929年に女性に対する騎士に相当するデイムに。1936年には女性初のロイヤル・アカデミー正会員となった。

沈黙を強いられた作家
E・M・フォースター

Edward Morgan Forster
1879 - 1970
作家
Edward Morgan Forster

「ハワーズ・エンド」や「モーリス」、「インドへの道」などを生み出したE・M・フォースターは、同性愛という自らの性的指向を作品に投影して後世に名を残す一方、その性的指向ゆえに沈黙を強いられた作家でもあった。

1879年、ロンドンに生まれたフォースターは、ケンブリッジ大学在学中にケンブリッジ使徒会に参加。後にブルームズベリー・グループのメンバーとなった。大学卒業後、世界各地を旅したフォースターは、中東を訪れた際に17歳の青年に惹かれ、創作意欲を掻き立てられることになったが、数年後にその青年が結核で死去。哀しみを手紙の形にしたためている。

オスカー・ワイルドが有罪となった1895年、16歳の多感な青年だったフォースターにとって、自らの性的指向は物語を生み出す源泉であると同時に、公にしてはならない禁忌でもあった。ケンブリッジ大学に通う2人の男子学生の愛とすれ違いを描いた「モーリス」は1913年に執筆されたものの、出版されたのは死後。「インドへの道」が1924年に出版された後、1970年に死去するまで、小説を執筆しようとはしなかった。1964年付けの日記にはこう書かれている。「私がもっと書いていたり、もっと多くの本が出版されていたら、より有名な作家になっていただろう。しかし性が後者の道を阻んだのだ」。

レズビアン文学の先駆者
ラドクリフ・ホール

Radclyffe Hall
1880 - 1943
作家
Radclyffe Hall

イングランド南西部ハンプシャーのボーンマス(現在はドーセット)の裕福な家庭に生まれたラドクリフ・ホールは、自らを「生来の性的倒錯者(同性愛者)」と呼び、しばしば男装したレズビアンだった。

1907年にはドイツの保養地でアマチュアの歌手メイベル・バッテンと出会い恋に落ちる。当時、ホールは27歳、バッテンは51歳。バッテンは既婚者で、娘や孫もいた。バッテンの夫の死後はともに暮らし、バッテンがホールに付けた「ジョン」という名を生涯、使用していたという。恋多き人物で、バッテンの親戚であるウーナ・トゥローブリッジ(彼女も既婚者で子供がいた)と恋愛関係になり、バッテンの死後に同棲。ホールが死去するまでともに暮らしたが、その間も別の女性と恋愛関係にあったと言われる。

1928年に出版された代表作「孤独の井戸」は、男装のレズビアンで、第一次大戦中に救急部隊の運転手を務めたスティーブン・ゴートンが女性と恋に落ちる物語。あからさまな性的描写はなかったものの、わいせつであるとして裁判にかけられ、廃棄処分となった。このとき、政府の医療顧問らは同作を、女性同士の同性愛を促進し、「社会的、国家的惨事」を招くと批判したという。英国で再出版されたのは、ホールの死後、1949年のことだった。

自由としがらみの狭間で生きた
バージニア・ウルフ

Virginia Woolf
1882 - 1941
作家
Virginia Woolf

登場人物の心中に流れゆく思考をそのまま文章の形にしていく「意識の流れ」という手法を用いた作家バージニア・ウルフ。性に奔放である一方で、女性であることのしがらみを見据え、数々の作品を残した。

著述家で編集者の父と、女流写真家ジュリア・マーガレット・キャメロンを伯母に持つ母の下に生まれたウルフは、古典や英文学に囲まれて育った。女性であることから、ケンブリッジ大学で学んだ兄弟と異なり、同大に進むことはかなわなかったものの、ロンドンのキングス・カレッジの女子部で数カ国の言語や歴史を履修した。

ロンドン中心部ブルームズベリーにある自宅で知り合った文化人らと親しくなったウルフは、ブルームズベリー・グループの一員として活動。作家のレナード・ウルフとの結婚生活を送りつつ、既婚者の女流作家ビタ・サックビル=ウェストとも関係を持つなど、奔放な恋愛生活を送った。サックビル=ウェストをモデルにした「オーランドー」は、時代や性別を超越し、300年にわたり生き続ける青年貴族の人生を紡いだもので、現在でもジェンダー研究において重要な位置を占めている。

若いころから躁うつに悩まされていたウルフは、第二次大戦勃発後、病状が悪化。1941年3月28日に入水自殺した。

ミューズとの混沌とした関係
フランシス・ベーコン

Francis Bacon
1909 - 1992
画家
Francis Bacon

人間の心の奥底に沈む絶望や孤独を引きずり出すような筆致で知られるフランシス・ベーコンは、同性の恋人たちとの波乱に満ちた関係から生まれた生々しい感情を数多くの作品に写し取っている。

グレートブリテン及びアイルランド連合王国(現アイルランド)のダブリン生まれ。若いころから同性愛指向を自覚し、16歳のときに母親の下着をまとっているところを父親が見つけたことがきっかけで家を追い出された。ロンドンに移ってからは同性愛者たちが多く集うソーホーでも知られた存在となり、酒を飲み、ギャンブルに浸り、化粧をして享楽的な日々を過ごすようになる。

ミケランジェロの絵画や彫刻、エドワード・マイブリッジによる裸身のレスラーたちの写真など、男性の身体を題材にした作品を通して自らの性的指向を絵画に昇華する術を探究。また、元空軍パイロットでときに暴力的であったピーター・レイシーや、泥棒でアルコール依存症だったジョージ・ダイアーといったパートナーとの振れ幅の大きい生活や、相手の事故死や自殺などを経験してきたベーコンは、恋人たちをモデルにした作品を多く残した。1967年以前はモデルの名をイニシャルにするなどしていたが、以降はより明確に性的指向を示す作品を手掛けるようになったと言われる。

衝撃的な著作以上に波乱に満ちた人生
ジョー・オートン

Joe Orton
1933-1967
劇作家
Joe Orton

権威をこき下ろして人の偽善を暴き、同性愛を匂わせる衝撃的な舞台を生み出した若き才能は、自身が描いた物語以上に波乱に満ちた人生を生きることになった。

イングランド中部レスター出身のジョー・オートンは1951年、名門演劇学校RADA在学中にケネス・ハリウェルと出会い、恋人同士となる。卒業後にはそれぞれ地方の劇場で働いた後、ロンドンに戻って小説の共同執筆を手掛けたものの、注目を集めることはなかった。

1959年から62年にかけて、イズリントンの図書館から勝手に本を持ち出して、表紙等にコラージュを施し戻していた2人は、1962年に逮捕。6月の禁錮刑と262ポンドの罰金を科された。収監されている間に創作意欲が喚起されたオートンはここで転機を迎え、1963年にはBBCがオートン作のラジオ劇を65ポンドで購入。同作は後に舞台化された。1964年に初演を迎えた舞台「エンターテイニング・ミスター・スローン」は大成功を収め、海外でも上演。しかし一方で、ハリウェルは日の目を浴びず、うつ状態に悩むようになる。

1967年8月9日、オートンは自宅でハリウェルによって頭部をハンマーで殴られ、死亡。ハリウェルはその後、自殺した。オートンが不特定多数の男性との関係を記した日記を読むように指示した遺書を残していたという。

太陽照りつける米西部へ
デービッド・ホックニー

David Hockney
1937 -
画家
David Hockney

今年80歳を迎えた今もなお、iPadでの制作など、精力的に新たな地平を求め活動し続けるデービッド・ホックニー。米カリフォルニアの眩い太陽の下、色彩鮮やかに身近な人物や風景を描いた作品の数々には、熱狂的なファンも多い。

イングランド北部ウェスト・ヨークシャーのブラッドフォードに生まれたホックニーは、地元のアート・カレッジで学んだ後、1959年にロンドンのロイヤル・カレッジ・オブ・アートへ進学。同性愛者に対しより開放的なロンドンの空気を享受し、1960年には同性愛者としての性的指向も含めた自己の存在意義を表現するプロパガンダ・アートに取り組むようになる。同性愛行為の非犯罪化を提言したウォルフェンデン・レポートが発表されるなど、同性愛者の権利獲得への動きが活発になったころにロンドンに来たホックニーは、ベーコンなどと比べると、明快な形で性的指向を表現していたようだ。

1960年代からは基本的にカリフォルニアに拠点を置き、制作活動を行うように。水面の揺らめきや煌めきを明るい色調で表現したプールの連作などを生み出した。自らの恋人の裸体を伸びやかに描いた「ニックのプールから上がるピーター」は、奇しくも1967年に、優れた現代絵画に贈られるジョン・ムーアズ賞を受賞している。

 

岐路に立つ英国の森林問題
いま、を考える

英国にはロビン・フッドの伝説を始め、森林を舞台にした物語がいくつも存在する。だが現在の森林面積は国土の13%に過ぎず、世界190カ国中135番目の広さだという。16~17世紀には欧州諸国に材木を輸出していたことさえあり、緑豊かだった英国。しかしその後、戦争や産業革命のために乱開発が起き、多くの森が失われた。現在、英国に残された森林はどのような状況にあるのか。森林の所有権に関する法律Charter of the Forest(森林憲章)の制定800年を迎えた今年、天然林を中心に英国の森林問題を見てみよう。(参考: www.woodlandtrust.org.uk

Woodland

Ancient Woodland(天然林)とは

英国で植樹により人工的に森林を作るという考え方が出てきたのは17世紀以降。そのため、1600年(スコットランドは1750年)以前にできた森はすべて自然に作られたものと考えられる。森林には樹木はもちろん、生物や土壌が存在しており、その土壌には森が自然発生した当時からの数百年以上に及ぶ貴重な情報が蓄積されている。そのような情報は一度失えば元に戻らないが、天然林は1930年代からその数を半数に減らし、現在、その面積は国土の2%だという。

危機に瀕する天然林

現在、英国では700以上もの天然林が破壊の危機に瀕していると言われる。ここではどのような問題が起きているかを紹介する。

地球温暖化

1970年代と比較し、中央イングランドの年間平均気温は1度上昇しているという。これにより森林の生態系には変化が見られ、渡り鳥の飛来時期や楢の発芽期が早まっていることが調査から分かっている。そして今まで英国に生息していなかった外来の昆虫や害虫が、温暖化により生き延びるのが可能になったことが問題視される。また、暖かく乾いた夏の気候が、天然林の存続に必要な湿った土壌を乾燥させてしまうことも懸念の一つとなっている。

害虫

2013年、松くい虫病の原因となるマツノマダラカミキリとマツノザイセンチュウが英国で初めて発見された。中国からの木製の椅子に巣食っていたという。害虫は輸入木材に付着して運ばれてくることが多く、イングランド南部ケントのパドック・ウッドでは、数十の樹木がツヤハダゴマダラカミキリの被害に遭い、大発生を抑えるために数千本の木が伐採された。このときは中国から輸入された石版を包んだ木製の梱包材が原因だった。

住宅の建設

2016年、キャメロン政権時に制定された住宅計画法は、イングランドとウェールズの住宅難緩和のため、2020年までに100万戸の住宅を建設するというもの。既に開発された土地(brownfields)であれば、一定の基準の下で住宅建設許可が下りるという、手続きのスピード・アップを図った法だ が、元来、住居のみでは生活環境として成立しない。学校、病院、道路、店舗などが併せて必要となってくるため、結局、周辺地域も開発されることになる。

鉄道の敷設

ロンドン・ユーストン駅とバーミンガムを繋ぐ、高速鉄道路線HS2(ハイ・スピード・ツー)の第1路線(Phase 1)建設計画が2012年に承認され、今年2月に法が発効した。この路線が2026年に開通することによって34の天然林が直接的な被害を被り、29が何らかの影響を受けるという。更に、現在計画中のリーズやマンチェスター方面に延びる第2路線(Phase 2)が実現すれば、20の天然林が被害を、15が影響を受けることになる。

高速鉄道路線HS2

森林保護のための活動

英国で森林保護のために活動するグループはいくつもあるが、最もよく知られている保護団体に、全国に50万人のメンバーとサポーターを持つ大規模なチャリティー団体ウッドランド・トラスト(Woodland Trust)がある。この団体は1972年、引退した農夫のケネス・ワトキンス氏とその妻、友人たちによって始められた。「保護する、復活させる、生み出す」の3つの柱を基本に、危機に瀕している樹木や森林を救う様々な運動を展開している。

ウッドランド・トラストの活動の3本柱

森林を救うためにウッドランド・トラストが行っている事柄について紹介する。

保護する

  • 単にインフラ整備の必要性を否定するのではなく、森林の損失と被害を避け、森林の価値を尊重するような開発プロジェクトを進めるよう、政府や地方自治体、開発業者に提言する。
  • 害虫や病気は、森林だけではなく、公園、庭園、畑や牧草地など、英国の景観にも影響する。それゆえ、樹木の健康を観察し、害虫や病原体から樹木を保護するために他機関とも協力。行政機関である森林委員会の研究機関「フォレスト・リサーチ」と共同で研究プロジェクト「オブザーバトゥリー」を行うなど、広範にわたる活動を展開している。
  • その土地の景観や歴史の一部となっている、生きた記念碑のような存在である老齢の樹木の保護を行う。そうした樹木は地方自治体や開発業者には価値を正しく認識されていないことがあり、地域開発の際などに取り除かれる危険がある。

復活させる

  • 天然林は非常に数少なくなっているのに加え、現在、残っている天然林の多くも、元々は英国になかった針葉樹が植えられていたり、外来種の植物が定着するなどしている。これを、本来、天然林にあるべき姿に復元するため、土地所有者と緊密な協力体制をとり、森林を管理する。樹木や土壌の様子を見つつ適度な太陽光を当てることで、在来種の種を発芽させ、これまで受けた被害から天然林を復活させる。
  • ウッドランド・トラストは所有地で森を育成している。この森は天然林を復活させるための実験場として存在し、様々な状況での復元に対応できるよう調査している。自分の森林を復活させたいと考える土地所有者へのアドバイスも行う。

生み出す

  • 天然林や野性生物の豊富な地域の周りに植樹をし、近隣の土地開発からの直接的な被害を緩和させる。これまでに3807万8206本の植樹が行われた。
  • 学校や企業、地域コミュニティーに苗木を提供。すべての苗木は英国自生のもので、害虫や病害の輸入と拡散の危険を最小限に抑えるために栽培されている。また、種子を収集・保管し、個々の樹木を追跡できるようにすべてコード化、バッチ処理している。今後10年間で、6400万本の植林を目指す。
  • 農場や私有地に多くの木を植えたいと思っている人へのアドバイスや資金援助、苗木提供などを行う。
  • ウッドランド・トラストのサイトでは、個人向けに苗木を1本から販売している。ガーデン用、垣根用など用途に応じて選ぶことができる。

ancient wood

森林と人の関わりにおける変化

1217年

森林憲章「Charter of the Forest」
ヘンリー3世が施行

「Charter of the Forest」(森林憲章)は 1217年11月6日、今からちょうど800年前にヘンリー3世によって施行された、森林の所有権に関する法律。「forest」はここでは森だけではなく、原野、草原、沼地、及び、そこから得られる食糧、燃料などあらゆる資源を含む。それまですべての森林は王室の所有とされ、国民が勝手に利用することは禁じられていたが、この画期的な法律により、一部の森林を除き、一般市民(freemen)も森林の資源から利益を得られるようになった。

森林憲章1225年再販の「森林憲章」(British Library所蔵)

同憲章は、1215年にジョン王によって制定された憲章マグナ・カルタを補充するものであり、イングランド国王の権利を制限した法律の一つとされる。現在ではあまり知られることはないが、一部では、制定当時はマグナカルタよりも大きな影響を国民に与えたのではないかとの意見もある。

当初は一般市民を救済する非常に優れた法律と思われた森林憲章だったが、ときを経るにつれ次第にその基本となっていた考えが崩れ始め、森林という天然資源を商業的に利用する際の制度でしかなくなってしまった。この法律は1971年に廃止されるまで存在した。

森林の銅版画18世紀に描かれた森林の銅版画

2017年

市民による森林保護宣言
森林と人々のための新しいガイダンス
「Charter for Trees, Woods and People」

2017年11月6日、森林憲章が施行されてちょうど800年目のこの日、森林に関する新しいガイダンスが提示される。これは、英国の森林保護団体ウッドランド・トラストを始めとした、複数のセクターにまたがる70を超える組織が共同で編み出した森林保護に関する宣言で、いわば国民の側から提出された新しい森林憲章とも言えるだろう。ここでは森林の重要性が訴えられ、森林が人々の健康や幸せ、子供の成長に必要であることなどが記されている。

現存する2点の森林憲章のうち1点が現在、イングランド東部のリンカン城に保管されている。6日には、その1点が「Charter for Trees, Woods and People」の発表を記念し制作された木彫りの記念碑とともに展示される。

樹齢800年以上の楢の木樹齢800年以上の楢の木

都市の中の小さな天然林
Queen’s Wood クイーンズ・ウッド

ルーシー・ルーツロンドン北部ハイゲート駅に隣接するクイーンズ・ウッドは21ヘクタール(約21万平方メートル)の天然林で、市民の散策の場として人気が高い。自然保護地区に登録されており、小さいながら手入れの行き届いた気持ちの良い森だ。管理者はハリンゲイ・カウンシルだが、日々こまめに森の世話をするのは、ボランティアの住民団体フレンズ・オブ・クイーンズ・ウッド(FQW)のメンバー。今回は、この森で開催されたガイド・ウォークに参加し、イベントを主催したFQWの委員の1人、ルーシー・ルーツさんに話を伺った。

クイーンズ・ウッド

フレンズ・オブ・クイーンズ・ウッドのメンバーは何人くらいいますか。

この付近に住む200軒近くのご家庭がメンバー登録されています。ただ、積極的に活動しているのは40~50人でしょうか。それでもほかの同様の団体に比べれば、かなり人数は多い方だと思います。

どのような活動をされているのでしょう。

地元の方に自分たちの森をよく知ってもらうため、今回のようなガイド・ウォークを定期的に開催しています。樹木や鳥、コウモリ、植物、キノコなど、季節に合ったテーマを設定しますね。ゴミ箱やベンチなどの設置や手入れも私たちが行っています。毎月1回、ゴミ拾いの日もありますよ。

Queen's Wood

森を楽しむのに一番良い時期はいつでしょう。

どの季節にもそれぞれの良さがありますよ!冬は雪景色、春は植物が奇麗だし、秋は紅葉。季節の移り変わりを見ることも楽しみの一つではないでしょうか。

カウンシルとはどのように連携しているのですか。

カウンシルの自然環境保護員と一緒に、区の管理計画に沿って森の世話をしています。樹木の定期的な剪定や、考古学的な研究、動植物の調査といった大きなプロジェクトがあるときは、その手助けや、手配などを受け持ちます。

Queen’s Wood クイーンズ・ウッド

クイーンズ・ウッドは、かつてロンドンやハートフォードシャー、エセックスを覆っていたというミドルセックスの森(Forest of Middlesex)の一部。300種類以上の花やシダ類が生息し、調査によると、キツツキ、ミソサザイ、キクイタダキといった、都市ではなかなか見ることのできない種を含む、25種類の鳥類が確認されている。また、139種の蜘蛛、234種類の甲虫も住むという。
Muswell Hill Road, London N10 3LD 最寄駅: Highgate

Queen's Wood

 

「Oh Lucy!」の平柳敦子監督 & ジョシュ・ハートネットにインタビュー

「Oh Lucy!」

毎年、世界各地からインディペンデント作品が集まる映画祭「レインダンス・フィルム・フェスティバル」が、今年も9月20日から10月1日にかけてロンドンのウェスト・エンドで開催された。今回、この映画祭のオープニングを飾ったのは、平柳敦子監督の「オー・ルーシー! (原題)」(「Oh Lucy!」)。長編作品の監督はこれが初めてという平柳監督と、本作の出演者の一人である米俳優、ジョシュ・ハートネットの合同記者会見が9月20日、ロンドン中心部ソーホーで行われた。上映を数時間後に控えた会見では、日英の共通点から映画界における女性の立場まで様々な質問 が投げ掛けられ、密度の濃いインタビューが展開。2人が語った製作の過程や役作り、文化の違いなどを紹介しよう。(Photos: ©Raindance Film Centre)

Atsuko HirayanagAtsuko Hirayanagi
長野県生まれ、千葉県出身。高校2年生で渡米しサンフランシスコ州立大学で演劇を学ぶ。ニューヨーク大学大学院映画制作学科シンガポール校を卒業。卒業制作の短編作品「Oh Lucy!」には桃井かおりが主演し、2014年カンヌ国際映画シネフォンダション(学生部門)で日本人初となる2位に入賞。今回上映された同名作品は、この短編を基に物語を大きく書き加えた、平柳監督初の長編ドラマ。本作で今年のカンヌ国際映画祭の批評家週間に招待されたほか、9月16日にはNHK総合テレビで国際共同制作ドラマとして、「OH LUCY!(オー・ルーシー!)」が放送された。

Josh HartnettJosh Hartnett
1978年、米国ミネソタ生まれ。1998年に「ハロウィンH20」で映画デビュー。「パール・ハーバー」「ブラックホーク・ダウン」「ブラック・ダリア」など数々のハリウッド大作に出演。2003年にはスーパーマン役のオファーを却下し、数多くのインディペンデント作品にも参加している。2008年にはロンドンのアポロ・シアターで「レインマン」の舞台に出演した。英国では、最新主演作「シックス・ビロウ: ミラクル・オン・ザ・マウンテン(原題)」(「6 Below: Miracle on the Mountain」)が10月13日に公開される。パートナーは英国女優のタムシン・エガートンで、2児の父。

英国人の気質は日本人に近い?

「オー・ルーシー!」がロンドンのレインダンス・フィルム・フェスティバルで上映されることについてどう思いますか。

平柳:はい、オープニング作品に選んでいただいたことをとても光栄に思います。また、英国の観客がこの作品にどう反応するか、とても興味があります。国によって観客の反応が違うのですが、私は常々、英国の文化は日本のそれと似ているのではないかと思っているのです。同じ島国ですし、色々な規律もある。お天気も良くないですし(笑)。東京もちょうどこんな空をしていますよ。そして人々は表向きの仮面をかぶるでしょう。ですので、英国の方々が映画のエンディングをどう思われるか興味があります。北米の観客のほとんどはこれをハッピーエンドだと捉えました。でも日本では、これがハッピーエンドかどうか分からないという人が多かったのです。英国はどうでしょうね。

ハートネット:パートナーがイングランド人なので、彼女がどう反応するかも楽しみですね(笑)。ついこの間まで撮影していたような気がするので、こうしてこの場にいるのが感慨深いです。観客の皆さんが楽しんでくれるといいですね。そして、作品の一部になれたことを誇りに思います。普通は出演作を観た後、あれはあのように演じたので良かったのだろうかなどと考えてしまうことがありますが、アツコ(平柳)のクリアな脚本と演出のおかげで、今回はそういった迷いがなかった。滅多にないことですよ。とにかく、多くの人に観ていただきたいです。オープニング作品に選んでもらったことで、より多くの方が来てくれるでしょうね。本当にエキサイティングです!

ハートネット&平柳監督ハートネット(写真左)から役柄について多くの質問を受けたと話す平柳監督(同右)

少し不安定なキャラクターたち

この物語を作るに当たって、最も重要だった部分は何でしょうか。

平柳:通常ならば主人公にはならないような、不安定で目立たない性格の人物をヒロインに据える、それが私にとっては重要でした。主人公は、実は以前、私が実際に会ったことのある日本人女性をモデルにしています。普通ならばかき消されてしまうような人物の声を拾い上げ、作品に出来たことをうれしく思います。

脚本を読んで、自身の演じるキャラクターについてどう思いましたか。

ハートネット:初めて脚本を読んだとき、自分がこれまで演じたことのないタイプの役柄だと感じ、やってみたいと強く思いました。彼は憂鬱な部分と楽天的な部分を兼ね備えている、いわゆる「負け犬」ですが、チャーミングな男でもあります。アツコと話し合ううちに、この男は混乱しており、その混乱をできるだけそのまま表現すればよいのだと理解しました。

あなたの演じたジョンは、日本では英語教師である一方、自国の米国では誰でもない、何者でもない人物という二重構造を持つキャラクターですが、どのように演じようと心掛けましたか。

ハートネット:ジョンは自分の国からファンタジーの世界に逃げこんだのですが、そこがたまたま日本だったのですね。彼は俳優志望でしたから、日本では自分がなりたいキャラクターを演じていた。それは周囲から求められていた役割でもあったのです。ただその役は日本にいたからこそ演じられたわけで、米国に戻ることでまた元の彼に戻ったのだ、と考えました。

平柳:編集段階でジョンの過去については削除してしまったのですが、「ロサンゼルスのあまり良くないエリアに暮らす売れない俳優」という設定です。日本や、ほかのアジアの国々では、背の高くハンサムな米国人はそれだけで皆にチヤホヤされますから、ジョンは日本では人気俳優になったような、自分が特別であるかのような気分を味わっていたのです。

2人の女性との関係についてお話ください。ジョンは、2人のどちらかを愛したのでしょうか。

ハートネット:これについては製作中にも話し合いました。美花と節子のどちらかと恋に落ちるのか。まず、節子を愛してはいない。何かしらの感情を持っているとは思いますが、愛ではない。彼は人に共感する能力が高いのではないでしょうか。悪気はないけれど、その場その場で良い顔をしてしまう。恐らくジョンは、映画の終わりで自分自身に気付き、この後、自分の生活を始めるのではないかという気がします。なので、そうですね、どの女性とも恋に落ちていないと思います。

主人公の節子は米国に着いて腕にタトゥーを入れましたが、これについて話してくださいますか。

平柳:欧米ではタトゥーは一般に浸透しており、街のあちらこちらにショップがありますが、日本ではまだ一部の若者のもので、明らかに40代のOLがするものではありません。以前、米国に来たばかりの元OLの日本人女性と知り合ったのですが、3カ月後には彼女の体はタトゥーだらけになっていました。彼女の中で何かがはじけたという感じでした。もしかしたら、タトゥーは自由の象徴なのかもしれません。

作品中では2人の女性が同じタトゥーを彫っていますが、彼女たちも自由になったということなのでしょうか。

平柳:そう思います。米国は人々を解放的にする不思議な場所です。特に、規律や規制が厳しい国から来た人にとっては、何をやってもいい、ワルになってもよい、自由の国に見えるのです。

登場人物は社会的にも精神的にも孤独な人々だと思いました。これは脚本を書くときに意図してそういうタイプばかり選んでいるのですか、それとも自然にそうなってしまったのでしょうか。

平柳:私は静かでおとなしいキャラクターにより惹かれます。だから自然に孤独な主人公になってしまうのでしょう。どんな人でも語るべき物語を持っています。そして静かな人ほど、語ることをたくさん持っているように思えます。

この作品の主人公たちには、不思議な親密さや何ともリアルな居心地の悪さがありますね。

ハートネット:脚本には、キャラクターが皆、通常よりも正直で、ほかの人より「かぶっている仮面が薄い」と指定されていました。これは自分の気持ちを抑えないということなので、役者にとってはチャレンジングで楽しかったです。崖っぷちに立たされた人物は演じがいがありますしね。

最後の場面は暗示的ですが、これはハッピーエンドとして製作されたのでしょうか。

平柳:この最後は節子の新しい始まりを予感させるものとして描きました。彼女は自分の気持ちに正直ですし、何の制約も受けておらず、これから何でも自由にできるわけですから。私にとってはポジティブなエンディングです。また、誰かがそばにいてくれることの大事さに気付いたのも大きなことだと思います。この作品は卒業制作で手掛けた同名の短編映画が基になっているのですが、卒制では本作の最初の20分に当たる部分を描きました。その後、主人公がどう行動するかを考えたのが本作です。短編を薄めて引き延ばすということはしたくありませんでした。

主演の寺島しのぶさんは短編のときの女優さん(桃井かおり)とは異なりますね。

平柳:寺島さんは私と同じ周波数で繋がっているのかと怖くなるくらいに、こちらの意図をくんで演じてくださる方でした。ほんの少しの動きや表情に至るまで、まさに私がほしかったものを表現してくれました。歌舞伎役者の家系に生まれた、まさに生まれながらの女優さんです。

ジョシュ、この作品に魅かれて参加しようと思った理由は何でしょう。あなたが普段出演しているようなハリウッド大作ではないですよね。

ハートネット:日本人監督だというのがまず興味を持ったきっかけです。それから、ここ数年、大作だけでなく、いくつかのインディペンデント作品にも出演してきました。出演を決める前には監督と長いミーティングをしますが、彼女の場合はやりたいことが非常にクリアだった。(平柳監督に向かって)初めて会ってから2週間後にはもう撮影が始まったよね。

平柳:ジョシュはすごく正直だし、自分をよく知っていて、何より反骨精神があると思います。だからハリウッド作品だけでは満足できず、私の作品を気に入ってくれたのではないでしょうか。しばらくハリウッドから遠ざかってインディペンデント作品に出演していたというのも、反骨精神のなせる業だと思います。とても才能のある人。しかもハンサム。世の中は不公平ですね(笑)。

ハートネット:もうちょっとやめて(笑)。

平柳:ジョシュとの会話は本当に勉強になりました。というのも、私は女性の視点でこの作品を作っていたのですが、彼が多くの質問をしてくれたおかげで、より重層的なキャラクターが生まれたと思います。本当に多くの貢献をしてくれました。

ハートネット&平柳監督平柳監督と息がぴったりのハートネット。撮影時の逸話も披露

映画業界における女性の進出は?

お2人に質問です。これまで映画界を見てきて、女性は活躍していると感じますか。

平柳:日本の女性について、まだ本来あるべき地位に到達していないと思います。世の中はなかなか変わりませんが、自分のできることをコツコツやるしかないのではないでしょうか。それによってほかの人をインスパイアできればいいなと考えています。日本には女性監督が多くいるわけではありません。英米でもきっと同じでしょう。私の家族は監督になることをサポートしてくれました。だから続けていられるので大変ラッキーだったと思います。その分、私はほかの誰かのために声を上げていきたいのです。

ハートネット:米国の女性監督の地位は向上したのではないかと思います。僕が高校生のころ、映画監督のジェンダー・ギャップを埋めようという動きがありました。何パーセントとかそういう詳しいことは分かりませんが、そのころに比べて少しは良くなっているのではないでしょうか。ただ正直に言えば、脚本だけ読んで面白いと思うかどうかで、それが男性監督のものか女性監督のものか、性別を考えたことはあまりないかな。業界内部にいるのであまり客観的に見ることができていないかもしれないですね。

では、作品内の女性の描き方についてはどうでしょう。この作品の主人公はとても強い女性ですが、これは今では普通なのでしょうか。

ハートネット:80年代や90年代などに比べ、以前より女性キャラクターの描き方にバラエティーが出て、もっと現実に近くなった気はしますね。ただし、その時代時代で描き方に変化があるので、今が昔より良くなったというのとは違うのかもしれない。その時代の「こうあるべき」という枠に縛られている限り、自由になったということではないですから。本来ならば、何でも好きなことを、やりたいように表現すればいいはずですよね。

東京とロサンゼルスでは風景の色合いが全く異なるように思いましたが、それは意識して撮影されたのですか。

平柳:はい、東京の灰色のオフィスや暗い学校と、ロサンゼルスの青くて明るい空は対比させるつもりで描きました。

なぜロサンゼルスを舞台に選んだのでしょう。

平柳:それは私がよく知っているエリアであることと、俳優が住む街として適しているからです。

ジョシュは作品中では日本語も少し話していましたが、製作に当たり、異なる文化間でのやりとりはどうでしたか。

ハートネット:東京では皆さんが良くしてくれたので、日本語を話せなくても困ったことはありませんでした。作品中では片言で話していますが、本当は全然話せないのです。

インディペンデント映画の魅力

ハリウッド作品とインディペンデント作品の両方に出演されていますが、インディペンデント作品の良さとは何でしょうか。

ハートネット:多様性だと思います。そして、よりパーソナルな作品が撮れること。その結果、作品に深みが生まれるのではないでしょうか。ハリウッド映画は良く言えばエンターテインメントですが、インディペンデント映画はもっと芸術的で人の心に触れる。個人的にはインディペンデント作品により感動します。

インディペンデント映画である本作に、ハリウッド俳優ジョシュ・ハートネットが出演することで、多くの観客が興味を持つということはありますよね。

平柳:それは絶対そうです。ですから彼がこのプロジェクトに参加してくれたことに感謝します。おかげで人の目を引き、オープニング作品にしていただきましたし(笑)。日本の俳優の役所広司さんも、若い無名の監督をサポートする目的で本作に出演してくださいました。映画界のシステムを変える何らかの助けになればと言ってくださったのです。NHKや、米国のサンダンス・インスティテュート(米俳優ロバート・レッドフォードが設立した非営利団体)も、新人監督のサポートに力を入れています。

次回作はどうなりますか。

平柳:まだ詳しくお知らせすることはできませんが、何本かのオリジナルを書いています。後は自作ではないプロジェクトに参加するお話もあり、検討中です。

最後に、本作を観た観客にどのような感想を持ってもらいたいですか。

平柳:「 混乱する」ということでいいと思います(笑)。(この映画の主人公のように)崖から飛び降りるような思い切った行動によって、初めて自分を発見するということもありますから。混乱することを恐れないでいただきたいですね。

ハートネット:実際には飛び降りない方がいいですね(笑)。

Oh Lucy!

Oh Lucy!(オー・ルーシー!)

● 出演: 寺島しのぶ、南果歩、忽那汐里、役所広司、ジョシュ・ハートネットほか
● 監督: 平柳敦子
● 上映時間95分

東京で満たされない日々を過ごしていた40代独身OLの節子は、あるきっかけで怪しげな英会話教室に通いだす。若い米国人講師のジョンに、金髪のカツラとルーシーという名前を与えられた節子は、授業中は明るくフレンドリーな「米国人ルーシー」として振る舞うよう言われる。ルーシーを演じるうちに次第に抑圧していた自己が現れ、変化を始めた節子。ジョンに恋をした彼女は、米国に戻ったジョンを追いかけロサンゼルスへ向かうが……。米国人講師との出会いをきっかけに、新しい自分を発見した女性の姿を、コミカルにそして正直に描いたドラマ。
 

ノーベル文学賞の受賞決定!
カズオ・イシグロの
代表作を楽しむ

今年のノーベル文学賞受賞が決定し、日本でも大きな話題となった長崎県出身の英国人作家、カズオ・イシグロ。1989年には英国の権威ある文学賞であるマン・ブッカー賞も受賞しており、その著作は40カ国語以上に翻訳されている。今回は、そんなイシグロのデビュー作を含む代表作、計6作を紹介しよう。 Photos: ©Faber & Faber

長崎の記憶を描いた処女作
A Pale View of Hills

A Pale View of Hills

1982年に発表され、王立文学協会が選ぶウィニフレッド・ホルトビー・メモリアル賞を受賞した。イングランドの田舎に1人で暮らすエツコは、娘の自死から立ち直ろうとしていた。そこへ、もう1人の娘ニキが訪ねてきたことから、エツコのほの暗い長崎の夏の記憶が呼び覚まされる。

邦題「遠い山なみの光」
小野寺健訳 / 早川書房

老画家の記憶と疑問を描く
An Artist of the Floating World

An Artist of the Floating World

英国の文学賞ウィットブレッド賞(現・コスタ賞)の1987年受賞作。敗戦直後の日本。人々は日々の暮らしを再建することに忙しい。軍国時代の思い出を持ち続ける年老いた画家は、新しい価値観になじめずにいる。やがて、次第に過去の自分に疑問を持つに至り、画家の静かな暮らしに暗い影が差し始める。

邦題「浮世の画家」
飛田茂雄訳 / 早川書房

マン・ブッカー賞の受賞作
The Remains of the Day

The Remains of the Day

1989年のマン・ブッカー賞受賞作。1993年、アンソニー・ホプキンス主演で映画化された。かつてイングランドの由緒ある屋敷で長年にわたり執事を勤めたスティーブンスは、戦後、その屋敷の新しい主人となった米国人の富豪のもとで再び働き始める。現在と過去が行き交う物語を、静謐な筆致で描く。

邦題 「日の名残り」
土屋政雄訳 / 早川書房

コントロール不可能な人生
The Unconsoled

The Unconsoled

有名ピアニストのライダーは、地名も定かでない中央ヨーロッパの町に到着する。この町で演奏する予定はあるものの、彼にはコンサートの詳細も分かっていない。町に滞在するうちに次々と奇妙な出来事に遭遇したライダーは、次第に自分が大変な演奏会に臨もうとしていることに気が付く……。

邦題「充たされざる者」
古賀林幸訳 / 早川書房

記憶と過去を巡る冒険の物語
When We Were Orphans

When We Were Orphans

1930年代のイングランド。クリストファー・バンクスは英国で最も才能ある探偵として、社交界でも知られた存在だった。しかしバンクスにはたった一つ、解くことができない犯罪事件があった。それは上海で彼が幼いときに起きた両親の失踪事件だった。マン・ブッカー賞候補作品。

邦題「わたしたちが孤児だったころ」
入江真佐子訳 / 早川書房

映画化もされたベストセラー
Never Let Me Go

Never Let Me Go

キャリー・マリガン、アンドリュー・ガーフィールド、キーラ・ナイトレイ主演による映画化や、日本でのドラマ化でも知られる作品。ヘールシャム・スクールという閉鎖的で謎めいた施設で育った若者たちの愛、友情、そして記憶を、1人の女性の視点から描き出す。マン・ブッカー賞候補作品。

邦題「わたしを離さないで」 
土屋政雄訳 / 早川書房

 

戦時中の英国で日本語を学んだ若者たち
ダリッジ・ボーイズとSOASのブレッチリー・ガールズ

英国における日本語教育略史

* 国際交流基金などの情報を参考にして作成

1903年
英国最初の日本語学校(シャンド日本語学校)がロンドンに開校
1916年
ロンドン大学SOAS(当初は東洋研究所(The School of Oriental Studies))が設立(生徒の受け入れが始まったのは翌17年)。日本語教育が行われる
1946年
SOASにおいて日本語の学士課程、BA Honours in Japaneseが新設
1947年
第11代スカボロー伯爵ローレンス・ラムリーが東洋・アフリカ研究の必要性を訴えた「スカボロー・レポート」を作成。これに基づき、ケンブリッジ大学(1947年)やオックスフォード大学(1962年)に日本語講座が設置されることとなる
1961年
ウィリアム・ヘイターが英国における東アジア研究の状況を調査。調査報告書「ヘイター・レポート」にて、イングランド北部に日本、中国、東南アジアを専門的に研究する機関を設置するよう訴える。これに基づき、日本研究センターがシェフィールド大学に設けられることとなる
1970年
公立中等教育機関であるバリー・セント・エドマンズ・カウンティー・アッパー・スクールで日本語教育が開始。英国の中等教育では初めての日本語教育とされる
1960~
1970年代
語学学校を始めとする成人教育機関で日本語を教えるケースが見られるようになる
1986年
ダリッジ・ボーイズの一人、ピーター・パーカーが調査報告書「未来に向けて-アジア・アフリカ言語及び地域研究に対する英国外交・通商上の要請に関する一考察」(通称パーカー・レポート)を作成。外交・通商上の見地から日本研究及び日本語教育拡大の必要性を唱える
1988年
通商産業省(DTI)が対日輸出拡大を目的とする「オポチュニティー・ジャパン(Opportunity Japan)」キャンペーンを実施。高等教育機関での日本語、日本文化関係プログラムへの資金拠出が決定される。結果、88年から91年までの3年間で対日輸出額が80%増

「ナショナル・カリキュラム」が制定。日本語が選択できる19の外国語の一つとして指定される
1980年代末~
1990年代初め
大学及び中等教育機関において日本研究講座、日本語の授業が増加
1995年
中等教育機関が現代外国語を専門にすることができる「ランゲージ・カレッジ(Language College)」認定制度がイングランドで導入。認定校の約7割が日本語教育を取り入れる
1990年代
半ば
政府助成金の大幅な削減により、いくつかの大学で日本研究・日本語講座が縮小または廃止
2007年
外国語能力を技能別に認定する基準「ランゲージズ・ラダー(Languages Ladder)」が発表
2014年
初等教育(KS2)から外国語が必修となる

現在のSOASにおける
日本語教育

日本語主任、古川彰子さんに聞く

昨年、日本研究開始100周年を迎えたロンドン大学SOAS(東洋アフリカ研究学院)。
第一次大戦中の1916年から現在に至るまで、英国における日本語教育 / 日本研究を牽引する教育施設の一つとして、英国内外で高い評価を得ている。今回は、SOASの日本語主任として日本語教育や日本留学のサポートなどに携わる古川彰子さんに、現在のSOASにおける日本語教育について話を伺った。

古川彰子さん ふるかわ あきこ 神奈川県出身。応用言語学(日本語)博士、FHEA。韓国及び英国で日本語教育に携わる。1998年から14年半、レディング大学で日本語学科長、レクチャラー(lecturer)、日本語 / 中国語コーディネーターを務める。2013年4月からはロンドン大学SOAS(東洋アフリカ研究学院)で日本語主任(Principal Lector in Japanese)として日本語教育、日本での交換留学、2年プログラムであるMA... and Intensive Language (Japanese) の日本語コースの運営を担当。近年は障がい、その他の背景を持つ学生の日本でのサポートや、日本語を使って活躍できる研究者の育成などに力を入れている。

SOASの日本語学科(Japanese)では学士課程と修士課程があるかと思いますが、まずは学士課程でどのようなことを学ぶのか、教えていただけますか。

SOASではまず、1年目に初級を終わらせて、2年目で中級から中上級を学び、3学年次に日本へ留学します。協定校は東京外国語大学、一橋大学、早稲田大学、同志社大学、大阪大学、そのほか九州大学や北海道教育大学など、20以上あります。そして4年目には上級日本語のクラスを取る場合もあれば、文学や歴史の文献を読むコースを選択する場合もあります。

SOASならではの特徴はありますか。

学士課程の1学年次に2つのレベルを設けています。基本的にゼロからのスタートとなる学生はJ1: Elementary Japanese、中学校や高校のときにAレベルやASレベルで日本語を選択したりした、既にある程度の日本語の知識のある学生などはプレースメント・テストの結果によって、 J1: Accelerated Elementary Japaneseを受講し、1学年次が終わったころには同じレベルになるようにカリキュラムが組まれています。ゼロ初級のコースしかない場合、中学校・高校で日本語を学んだ学生は、レベルが高すぎるということで日本語を専攻できなくなる大学もあります。

それでは修士課程は?

英国では通常、修士課程はフルタイムで1年間のプログラムとなりますが、SOASでは2014年に、それを2年間にして、その分、日本語力をより高いレベルにまで持っていくプログラムも作りました。中級スタートと初級スタートの2つのグループがありますが、例えば中級の場合はまず1年間、中級日本語を勉強し、夏の間に5週間、日本でのサマー・コースで単位を取得し、帰国後の次の1年間で上級日本語を勉強する形になります。

大学院の修士課程ですし、研究者を育てるためのコースですので、日本語を学ぶとともに歴史や美術、宗教など専門科目の学術論文を日本語で読むというチャレンジングな内容になっています。そして最終的には自分でも日本語で論文を書きます。

ロンドン中心部ブルームズベリーにあるSOAS の校舎ロンドン中心部ブルームズベリーにあるSOAS の校舎

戦後、英国で日本語教育熱が高まった理由の一つとしては、日本が経済大国であることが挙げられるかと思います。一方で昨年はA レベルの日本語試験が終了というニュースが在英邦人コミュニティーで話題となり、署名活動などが行われた後に試験の復活が決定するなど、大きな動きも見られました。

これまで英国ではレディング大学とSOASの2つの大学に勤務してきましたが、日本でのバブル崩壊後、日本経済に興味があった学生が日本語を学ぶというケースは減ったように思えます。一時期は日本語学科の閉鎖が各地の大学で続きました。ただ、主専攻、副専攻でなく、選択科目の日本語は私が関わった大学では学生数も増え、人気が続いているようです。

最近、日本語を学びたいという学生はどのような人が多いのでしょうか。

バブル崩壊後、日本語教育はそのまま衰退していくのでは、と考えた方もいらっしゃったかもしれませんが、日本にはゲームやアニメ、漫画などのポップ・カルチャーという強みがあるので、日本文化に興味のある人が日本語を勉強するという傾向は続いているようです。かつてはポップ・カルチャーを大学の授業で扱うのはどうか……という考え方もある程度、ありましたが、次第に変わってきて、ポップ・カルチャーを取り入れた授業も見られるようになってきました。これから、選択科目の日本語にポップ・カルチャー好きの学生などが集まってくるということが以前よりも意識されるようになっていく可能性もあるでしょう。アカデミックなコンテクストで、どのように扱うかということがポイントになってくるかもしれません。

一方で、日本語専攻では文学、歴史、美術などに興味を持つ学生が多いように感じます。先日、ある学生と話す機会があったのですが、子供のころにゲームをやっていたら取扱説明書に面白い文字が並んでいて、それが日本語だと分かり、勉強を始めた、と言っていました。日本への興味がゲームからやがて文学や歴史へと移り、日本を訪れるようになる。そういう過程を経て、日本語クラスに入ってくる学生も多いのではないでしょうか。こうやって、日本のポップ・カルチャーから始まった日本への興味がさらに広がっていくのは喜ばしいことだと思っています。

近年の学生ならではの特徴はありますか。

ここ数年、学生にバラエティーが出てきたように感じます。Specific Learning Differencesを持つ学生も増えてきました。私は日本の留学先の手配や留学生のサポートも行っていますが、色々なバックグラウンドのある学生が日本語を学んだ上で日本に1年行き、将来活躍してくれるというのは素晴らしいことだと思います。このような学生が日本に留学する場合、日本の多くの大学は、できる協力はしてくださるのと同時に、情報不足ゆえにそうした状況にまだ慣れていないと感じることもあります。2020年には東京オリンピックも開催されますし、こうしたことをきっかけに日本社会が変わっていってくれたらと願っています。


[参考文献]
  • 「戦中ロンドン日本語学校」(中公新書)大庭 定男著
  • 「The Debs of Bletchley Park and Other Stories」Michael Smith著
  • The Bletchley Park Trust Reports「Japanese Codes」Sue Jarvis著
  • Dulwich Boys and Beyond: 100 Years of Japanese Studies at SOAS (Recording)
  • Bletchley Park, Podcast 56: Enter Japan など
 
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