ニュースダイジェストの制作業務
Sun, 01 February 2026

LISTING イベント情報

英国・ドイツで本当に起こった20の珍事件

事実は小説より奇なり 英国・ドイツで本当に起こった20の珍事件

私たちの世界は、フィクション顔負けの奇妙で驚くべき出来事があふれている。ましてや、異なる歴史や文化を持つ国に暮らしていれば、その驚きもひとしおだ。本特集では、英国とドイツで実際に起きた珍事件を、歴史的な出来事から現代の時事ニュースまで幅広く紹介する。予測不可能で奇妙な展開から、思わず笑ってしまうユニークなエピソードまで、どれも一筋縄ではいかない実話ばかり。きっとあなたも誰かに話したくなるはず! (文:英国・ドイツニュースダイジェスト編集部)

歴史的ミステリー

1 UK英国 リチャード3世の遺骨が
500年後に駐車場で見つかる

薔薇戦争(1455~85年)時代の王であるリチャード3世は、二人の幼い甥をロンドン塔に幽閉したり、シェイクスピアの「リチャード三世」による否定的な描写もあったりで、冷酷で残忍なイメージが強くもたれている。その遺体は500年以上行方不明だったが、なんと2012年に英中部レスター市内の駐車場の地下から発見された。遺骨の分析から、頭部に複数の致命傷を負っていたことや、実際に脊椎側弯症を患っていたことが明らかに。15年にはレスター大聖堂に埋葬された。遺骨の発見に尽力したのは歴史家フィリッパ・ラングレー氏。同氏はリチャード3世を支持し、その治世や評価を擁護する歴史家や研究者を指すリカーディアン(Richardian)の 一人だ。

参考:リチャード3世協会ウェブサイト

現在はレスター大聖堂に眠るリチャード3世現在はレスター大聖堂に眠るリチャード3世

2 UK英国 英国版ロズウェル事件!?
1980年に起きたUFO遭遇

1980年12月、英東部サフォークのレンドルシャムの森で数人の米空軍兵が、金属のような外観で色とりどりの光を放つ謎の物体を目撃。不規則な動きをする光が、数日にわたり森の中を移動したり空に浮かんだりする様子も報告された。地面には着陸の痕跡が残され、放射線反応も記録されたという。現場近くにはNATOの軍用基地があり、当時は米空軍が駐留していた。この事件については、当時中佐だったチャールズ・ホルト氏による公式報告書「ホルト覚書」が英米両政府に提出されている。「英国版ロズウェル事件」と呼ばれるほど有名だが、真相は今も明らかになっていない。現在レンドルシャムの森には、UFO目撃があったとされる場所をたどる散策ルートがある。

参考:BBC「Rendlesham Forest UFO: Are we any closer to the truth 40 years on?」

レンドルシャムの森レンドルシャムの森

ウッドブリッジの旧空軍基地ウッドブリッジの旧空軍基地

3 UK英国 犬が次々に飛び降りる
謎の多いオーバートン橋

スコットランド西部、ダンバートン近郊のオーバートン橋は、美しい19世紀の石造りのアーチ橋。しかし1950年代から、300匹近い犬がこの橋から飛び降りて命を落とすという奇妙な現象が報告されてきた。この現象が注目を集めるようになったのは2000年代以降。犬たちは全て橋の同じ側の、特定の箇所から飛び降りるという。しかも、突然興奮した様子で橋の欄干に向かって走り出し、ためらうことなくジャンプしてしまうのだそう。命を落とすケースも少なくなく、「犬の自殺橋」という異名まで付けられた。地元では超常現象との関連を疑う声もあるが、動物行動学者たちは橋の下に野生のミンクの巣があり、その強い臭いが犬の本能を刺激している可能性を指摘している。

参考:Independent「 ‘Dog Suicide Bridge’: Why do so many pets keep leaping into a Scottish gorge?」

オーバートン橋オーバートン橋

4 UK英国 切り裂きジャックの正体
21世紀になって明らかに?

「切り裂きジャック」は、署名入りの犯行予告を新聞社に送りつけるなどした劇場型犯罪の元祖。1888年8月31日~11月9日までの約2カ月間に、分かっているだけでも5人の売春婦が狙われ、特定の臓器を取り除かれた死体が発見された。事件現場はいずれもロンドン東部のホワイトチャペル周辺。厳重な捜査網が敷かれたにもかかわらず、犯人は捕まっていない。臓器摘出の跡などから、犯人は医者だったのではないかといわれているが、真相は謎に包まれたままだ。しかし2019年、ある被害者の遺体のそばにあったショールでDNA鑑定が行われた。それによると、すでに被疑者の1人として浮上していた当時23歳のポーランド人理容師アーロン・コスミンスキーが犯人である可能性が高いという。

参考:Metro「The Polish barber who could have been Jack the Ripper」

ホワイトチャペル周辺であった切り裂きジャックの犯行と思われる七つの現場ホワイトチャペル周辺であった切り裂きジャックの犯行と思われる七つの現場

5 Germanyドイツ ライン川の城に眠る少女の伝説
イディリア・ダッブの悲劇

ライン川中流域には数々の伝説が息づくが、そのなかでも19世紀に実際に起きたとされる少女の悲劇が、今なお人々の心を捉えている。1851年、スコットランド出身の17歳、イディリア・ダッブは家族とドイツを旅行中、城跡のスケッチを行うために1人で高さ約20メートルの塔に登ったが、観光用に設けられていた木製階段が崩落して取り残された。助けを呼ぶも誰にも気づかれず、塔の上で4日間、脱水症状によって(と推測されている)命を落とした。その遺骨と孤独の中で死の間際まで書いていた日記が発見されたのは9年後の1860年、塔の修復作業中のことだった。現在、城では150本以上のろうそくを灯す夜の「キャンドル・ツアー」が開催されており、イディリアの物語は訪れる人々の胸に静かに刻まれている。

参考:Rheinland-Pfalz Tourismus GmbH「Das Schicksal der Idilia Dubb Geheimnisvolle Burggeschichten vom Rhein」

ライン川の城

6 Germanyドイツ デュッセルドルフの吸血鬼
ペーター・キュルテン

1930年5月24日、「デュッセルドルフの吸血鬼」と呼ばれて世間を震撼させていた連続殺人犯が逮捕された。その人物は、当時46歳のペーター・キュルテン。少なくとも9人を殺害し、その血を飲んだといわれている。幼少期から暴力と貧困に満ちた環境で育ったキュルテンは、放火、暴行、強姦、窃盗、横領など多数の前科を持っていたが、殺人犯としてはノーマークだった。常にスーツの手入れ用のブラシを持ち歩き、魅力的で教養のある人物のように見えたため、被害者らも油断したという。さらに犯行時には化粧をしており、生存者の証言から、警察は犯人がキュルテンよりも10~20歳年下だと推測していた。最終的に、別の犯罪で逮捕されたのをきっかけに連続殺人を自白し、死刑判決を受けた。

参考:WEB.DE「Er trinkt das Blut seiner Opfer – und wird nur durch einen Zufall gefasst」

「デュッセルドルフの吸血鬼」と呼ばれたペーター・キュルテン(1883-1931)「デュッセルドルフの吸血鬼」と呼ばれたペーター・キュルテン(1883-1931)

7 Germanyドイツ 世界を騒がせた
「ヒトラーの日記」贋作事件

1983年4月、雑誌「シュテルン」は「ヒトラーの日記」とされる記事を発表したことで、世界から注目を浴びた。70年代、シュテルンの記者でナチス研究をしていたゲルト・ハイデマンはイラストレーターのコンラッド・クジャウと知り合った。クジャウによれば、戦争末期に飛行機墜落によって失われたと思われていたヒトラーの個人的所有物が、戦後に東ドイツで発見されたという。その中にあったとされる「ヒトラーの日記」は、クジャウを通じて高値で取引された。しかし間もなくして、日記がクジャウによる贋作だったことが発覚。実際は演説や教科書からの引用が多く、歴史修正主義的な内容だったという。ハイデマンは懲役4年8カ月、クジャウには懲役4年6カ月が言い渡された。

参考:NDR「Vor 40 Jahren: Urteile nach Skandal um die "Hitler-Tagebücher"」

雑誌「シュテルン」の記者会見で話すゲルト・ハイデマン雑誌「シュテルン」の記者会見で話すゲルト・ハイデマン

世間を驚かせた犯罪

8 UK英国 ゴヤの絵を盗んだ
テレビ受信料反対派

1961年8月21日、ロンドンのナショナル・ギャラリーでスペインの巨匠ゴヤが1812~14年に描いた「ウェリントン公爵の肖像」が盗まれた。警察は当初、国際的な犯罪組織の関与を疑い、犯人はなかなか特定されなかった。だが事件から4年後の1965年5月、定年退職した元バス運転手ケンプトン・バントンが、絵画をバーミンガム駅の手荷物預かり所に預け、その預かり証をタブロイド紙「デイリー・ミラー」に郵送。6週間後には自ら警察に出頭した。裁判でバントンは、絵画を返却する代わりに政府が14万ポンドを寄付し、テレビ受信料を払えない人々の支援に充てるべきだと訴えた。絵画が無傷で戻されたことや、行為が抗議の一環とみなされたことから、美術品の窃盗罪は成立せず、額縁のみの窃盗で有罪となり、3カ月の実刑判決が下された。

参考:The National Gallery「Hugh Courts' papers relating to the trial of Kempton Bunton」、BBC「The bus driver who confessed to stealing a Goya masterpiece」

9 UK英国 高齢者の熟練犯罪集団が
高級宝飾品で強盗

中世以来、宝飾を扱う店舗や職人の工房が軒を連ねるロンドンの高級宝飾品店街ハットン・ガーデン。その88〜 90番地にある地下の貸金庫に強盗が入ったのは、2015年のイースター4連休中のことだった。犯人たちは連休を利用して、厚さ180センチのコンクリート壁に産業用ドリルで穴を開けて金庫室に侵入。貸金庫から金品を奪い去った。CCTV映像には作業用ヘルメットをかぶった男たちが手際よく金品を運び出す様子が記録されていた。細部に至るまで計画された、この大胆な犯罪による被害総額はおよそ1400万ポンド。しかも実行犯の6人は最高齢76歳を含む高齢の熟練犯罪集団だった。グループはその後逮捕されたが、回収された盗難品は約430万ポンド分にとどまっている。この事件は世間に大きなインパクトを与え、「Hatton Garden: The Heist」(2016年)や「The Hatton Garden Job」(2017年)など複数の映画の題材にもなった。

参考:Tavexbullion「The Infamous Hatton Garden Safe Deposit Heist」

右手が事件のあった貸金庫会社の建物右手が事件のあった貸金庫会社の建物

10 UK英国 5人で5000万ポンド以上
英国最大の給付金詐欺

イングランドとウェールズで、ブルガリア国籍の5人が2016〜21年の間に約5390万ポンドを不正受給していたとして有罪を認めた。偽の雇用証明や賃貸契約書、給与明細、医師の診断書などを駆使し、数百件の生活保護申請を偽装。犯人らは、これらの偽書類を含む「申請パック」を自宅に保管し、第三者のための虚偽申請を助ける仕組みまで構築していた。犯人宅からは現金、高級車、ブランド品が押収された。労働年金省(DWP)とクラウン検察局(CPS)の合同捜査により摘発。政府は給付金詐欺対策を強化しており、2022/23年度には約180億ポンドの不正支出を防止した。今後5年間でさらに6億ポンド規模の削減を見込んでいる。

参考:GOV.UK「Fraudsters behind £53.9 million benefits scam brought to justice in country’s largest benefit fraud case」

11 Germanyドイツ 「クッキーモンスター」が犯人!?
黄金ビスケット盗難事件

2013年1月、ドイツ・ハノーファーでビスケット「ライプニッツ」でおなじみのバールセン社から、重さ約20キロの金メッキ製巨大ビスケット像が何者かによって盗まれた。事件後、犯人は「クッキーモンスター」のコスプレ写真とともに慈善団体への寄付を要求。バールセン社は恐喝には応じなかったが、約2週間後に像はハノーファー大学の前に再び姿を現した。犯人は不明のままだが、この事件でバールセン社は国内メディアに600回近く取り上げられ、広告効果は170万ユーロ相当とも。一方で同社は慈善団体への寄付を実施し、結果的に騒動は社会貢献に転じた。現在、黄金のビスケット像は再び元の場所に戻され、監視カメラに守られており、この奇想天外な事件は今もなお語り継がれている。

参考:stern「Keks da, alles gut?」、「Krümelmonster beschert Bahlsen Millionenwert」

黄金ビスケット盗難事件

12 Germanyドイツ 警察官が事故車から
チーズ180キロをねこばば

2019年9月の高速道路の事故現場。現場を確保すべき立場にあった警察官が、なんと横転したトラックからチェダーチーズ約180キロを持ち帰るという前代未聞の行動に出た。この警官は引き揚げ業者に声をかけ、20キロ入りのチーズパック9個(総額約5000ユーロ相当)を要求。うち数個は警察署に、残りは家族や知人に分けたとみられる。本人は「チーズは廃棄される運命だった」と釈明し、「自分はチェダーを食べない」とまで主張したが、ラインラント=プファルツ州の裁判所はこれを一蹴した。「制服と武器を所持したまま、任務中に窃盗を働いた」として、州警察の信用を著しく損なったと判断。刑事訴訟と罰金に加え、最終的に懲戒免職が確定した。

参考:LTO「Polizist fliegt raus wegen Käse-Klau」

チーズ180キロをねこばば

13 Germanyドイツ 古民家で40万マルクを発見
逆に罰金1万ユーロが科せられた夫婦

とある夫婦が、ヘッセンのヘルプシュタインにある古民家を購入。元の所有者は亡くなっており、大掛かりな片付けと改修が必要だった。そして2023年12月、夫婦はベッドサイド・テーブルの中にコーヒーとお菓子の包み紙に入った現金を発見する。その額なんと38万6680マルク、約20万ユーロに相当する大金だった。夫婦はそれを改修費用に充てようと考え、虚偽の紛失届を提出。その後、現金が全く関係のない場所で見つかったとして自分たちのものにする計画だったが、不信に思った警察当局が捜査を開始。結局、裁判に発展し、夫婦は大金を手に入れるどころか1万ユーロの罰金が科せられたのだった。裁判所によると、最初から警察に届け出るべきだったという。

参考:hessenschau「Geld bei Haus-Renovierung entdeckt: Ehepaar findet 400.000 D-Mark - und wird verurteilt」

古民家で40万マルクを発見

珍裁判・法律エピソード

14 UK英国 無許可でレモネードを売った
5歳少女に150ポンドの罰金!?

2017年7月、ロンドン東部の通り角で、小さな手作りのレモネード屋を開いた5歳の少女が、まさかの犯罪者扱いを受ける騒動があった。音楽フェスティバルが開催された週末、マイル・エンドの住宅街で1杯50ペンスでレモネードを売っていた少女に、タワーハムレッツ区の取締官が接近。「無許可営業」として150ポンドの罰金を言い渡した。父によると、娘は「人を笑顔にしたい」との思いで屋台を開いたが、娘は泣きながら「悪いことをした」としがみついてきたという。その後、世論の批判を受けた同区は謝罪声明を出し、「担当者には常識ある判断を求めている。今回の対応は誤りだった」とし、罰金は即座に取り消された。

参考:The Guardian「Girl, 5, fined £150 for running homemade lemonade stall」

レモネード販売

15 UK英国 「プリングルズはポテチじゃない」
その主張は認められず課税対象に

英国で販売されているスナック菓子「プリングルズ」が、付加価値税(VAT)の課税対象に当たるかどうかが争点となった訴訟で、控訴裁判所は2009年5月「課税対象とするのが妥当」との判断を示した。そもそも英国では、基本的な食品は付加価値税が0パーセントだが、スナックなどの嗜好品には20パーセントかかる。一方で、軽食になるようなケーキや一部のビスケット類は0パーセント。このケースの発端は前年に、高等法院が製造元の訴えを支持し、プリングルズを「ジャガイモの含有率が42パーセントと比較的低く、成形された粉末生地から作られることなどを理由に、ケーキやビスケットに類似する」と判断したこと。これを受け、課税対象外との判決が一度は下された。しかし、税務当局がこの判決を不服として控訴。市場関係者の間では、「食品分類の基準が依然として曖昧」との声もある。

参考:BCC「Pringles lose Appeal Court case」

プリングルズはポテチじゃない

16 UK英国 ボールが家に直撃!
クリケット場 vs 新住民の裁判

イングランド中部、ノッティンガムのリンビーにあるクリケット場。その隣に新築住宅を購入したミラー夫妻は、試合中に飛んでくるボールが庭や窓に当たり、安心して暮らせないとして、地元クリケット・クラブの代表ジャクソン氏を相手取り提訴した。一審のノッティンガム高等法院はプレー差止めの仮処分を出したが、1977年の控訴審でロンドンの控訴院はこれを覆す。クリケットは地域社会にとって有益な活動であり、完全な禁止は行き過ぎだとして、クラブの過失や権利侵害は認定しつつも、損害賠償の支払いのみに留めた。この裁判は、「後から引っ越してきた住民にも静穏な生活を求める権利はあるのか?」という争点とともに、個人の権利と地域の伝統とのバランスを問う例として、現在も引用されている。

参考:LawTeacher「Miller v Jackson – 1977」

クリケット場 vs 新住民の裁判

17 Germanyドイツ まずい料理は誰の責任?
ザウアーブラーテン事件

ザクセンのアウアーバッハ地方裁判所は2002年、あるレストラン客が「ザウアーブラーテン」(ドイツ風酢煮込み肉料理)の味に不満を訴えて支払いを拒否した事件で、料理の出来が契約通りであったことを証明する責任は店側にあるとする判決を下した。事件の発端は、被告となった客が13.80マルクのザウアーブラーテンを注文し、提供された料理のソースが豚肉のローストソースのように「小麦粉っぽくて味が薄い」と感じたこと。会計では98.50マルクのうち85マルクだけ支払い、残りの料理代金の支払いを拒否した。レストラン側は未払い分を求めて提訴。しかし裁判所は、店側が料理が「契約通り適切に調理・提供された」ことを明確に証明できなかったとして、訴えを退けた。

参考:urteile.news「Sauerbraten-Fall: Zur Beweislastverteilung bei der Frage der Schmackhaftigkeit eines in einem Restaurant servierten Sauerbratens」

ザウアーブラーテン事件

18 Germanyドイツ 野鳥を守るため
猫に数カ月の外出禁止令

2022年7月9日〜8月31日まで、ドイツ南部ヴァルドルフ市で、絶滅危惧種カンムリヒバリの保護を目的に、猫の外出が禁止された。ライン=ネッカー郡によると、市内にはわずか3組の繁殖ペアしかおらず、特に飛べないひなが猫に襲われる危険が高いため、種の存続のための厳格な措置を取ることにしたという。違反すれば500ユーロの罰金、鳥を傷つけた場合は最大5万ユーロが科されるルールだった。ただし、カンムリヒバリの生息地を通らない猫や、リード付きでの散歩は例外とされ、猫を禁止区域外の親族に預けることも認められた。ヴァルドルフ市長は「現実的でない」と懸念を示したが、市として郡からの命令を覆すことはできなかったという。野生動物の保護とペットの自由をめぐる議論は今後も続きそうだ。

参考:Der Spiegel「Kreis verhängt monatelange Ausgangssperre für Katzen – zum Schutz der Haubenlerche」

猫に数カ月の外出禁止令

19 Germanyドイツ 連邦最高裁判所が判決
「ビルケンシュトックは芸術ではない」

2025年2月、連邦最高裁判所は世界的サンダル・メーカー「ビルケンシュトック」の商品は「芸術ではない」との判決を下した。同社は自社のサンダルは芸術であることを主張し、定番モデルの類似品を販売する3社を訴えていた。本件を担当した弁護士は、「同社のサンダルは、サンダル界のポルシェのようなものだ」と発言。創始者のカール・ビルケンシュトック氏は存命で、もしビルケンシュトックが芸術と認められれば、死後70年までは著作権で保護されることになるはずだった。一方で、意匠権(物品や建物のデザインの知的財産権)は20年で失効する。同社はすでに意匠権を失っており、今回訴えられていた3社は販売継続が認められた。

参考:WDR「Bundesgerichtshof: Birkenstock-Sandalen sind keine Kunst」

ビルケンシュトックは芸術ではない

20 Germanyドイツ 恋のおまじない効かず
「魔女」を相手取って裁判

2005年、元恋人との復縁を望む女性が「魔女」に恋のおまじないを依頼。女性は1000ユーロ以上を支払い、魔女は数カ月にわたって毎月の満月の前に「愛の儀式」を実施した。ところが、いつまでたっても恋人は戻ってこない。失望した女性は、魔女を自称する人物を相手取り、返金を求めて訴訟を起こすことに。女性は「魔女がそのおまじないが成功することを保証した」と主張したものの、魔女はこれを否定。儀式を遂行しただけで、必ずしも効果が得られるわけではないことも警告したと述べた。さらに、自分は本来は魔力を持っていることも主張したという。ミュンヘン地方裁判所は魔女の魔力は認められないと判断し、依頼主には1000ユーロが返金されることになった。

参考:JURios「Hokus Pokus Zivilrecht: Hexe hat keinen Anspruch auf Bezahlung eines Liebeszaubers」

「魔女」を相手取って裁判

 

ロンドンから電車で片道2時間以内で気軽に行けるナショナル・トラスト施設

National Trust 130周年ロンドンから電車で片道2時間以内気軽に行ける
ナショナル・トラスト施設

英国の自然や歴史的建築物の保護を目的に設立されたナショナル・トラストは、2025年に開設130周年を迎えた。節目の年にあたり、ナショナル・トラストは次の10年に向けたビジョンを掲げる。同時に、貴族の暮らしをしのばせる邸宅や、彩り豊かな庭園が織りなす英国ならではの景観は変わらず人々を惹きつけてやまない。今回は、そんなナショナル・トラストが運営する施設の中から、ロンドンから電車で片道2時間以内、公共交通機関だけで気軽に訪ねられる場所を厳選して紹介する。(水野彩女、本誌編集部)

*開館時間は時期や施設内の場所によって異なります。お出掛けの際は記載のウェブサイトよりご確認ください。

チャートウェルウィンストン・チャーチルが晩年を過ごしたチャートウェル

ナショナル・トラストとは?

正式名称は「歴史的名所や自然的景勝地のためのナショナル・トラスト」(National Trust for Places of Historic Interest or Natural Beauty)。1895年にオクタヴィア・ヒル、ロバート・ハンター、ハードウィック・ローンズリーという、当時の英国の社会改革に尽力した3人によって設立された。以来、存続や維持が難しくなった貴族の大邸宅や宗教施設などを保護するチャリティー団体として運営されている。ピーター・ラビットの物語で有名な英作家のビアトリクス・ポターが湖水地方に所有する広大な土地を同機関に寄付するなど、英国のさまざまな歴史上の人物たちがその運動に共鳴。現在ではナショナル・トラストを通じて多くの歴史的施設が一般公開されている。入場料は、施設の維持や保護に充てられるので、訪問することがそのままナショナル・トラストの活動をサポートすることにつながっている。年会費を払うメンバーシップ制度もある。

メンバーシップ制度

ナショナル・トラストの活動に協賛する人のための制度。 年会費を払えば、英国全土に広がる500カ所以上のナショナル・トラスト施設への入場や駐車場利用が無料になる他、ショップでの購買も料金が割引になる。

  • 個人(5歳未満は無料)
    • 大人(26歳以上):£96/年(£8/月)
    • 大人(18~25歳):£48/年(£4/月)
    • 子供(5~17歳): £12/年
  • ジョイント
    • 大人2人(同住所に住む18歳以上): £160.80/年(£13.40/月)
  • ファミリー
    • 大人2人(同住所に住む18歳以上)+子供または孫(5~17歳): £168.60/年(£14.05/月)
    • 大人1人+ 子供または孫(5 ~17歳): £103.80/ 年(£8.65/月)

ナショナル・トラストの次の10年

ナショナル・トラストは今後10年でロンドンの1.5倍にあたる25万ヘクタールの土地で泥炭地の修復や湿地・草地の再生、森林づくりを進める。すでに整備を始めた北アイルランドのブラック・マウンテンでは、3年で133ヘクタールの泥炭地を回復させる予定だ。これにより気候変動の原因となる二酸化炭素を吸収し、洪水リスクの軽減にもつなげる。これまで以上に環境問題に踏み込んだ取り組みだ。

また、都市に住む人々の自然へのアクセス格差を解消するため、英中部コヴェントリー中心部にある14世紀の修道院跡「チャーターハウス」を拠点に、庭園や緑地を公開。さらに100の町や都市で緑地ネットワークを拡充する自然都市プログラムもこの夏始動予定だ。これらの方針は、会員やボランティアら7万人以上の声をもとに策定された。ナショナル・トラストは今後10年で500万人に自然保護活動への参加を呼びかけ、若者向けの職業訓練やBBCとの番組制作などを通じ、自然と文化の価値をより多くの人に届けることを目指している。自然再生と人のつながりをキーに、今後も活動を続けていく。

ブラック・マウンテンの一部、ディヴィス・マウンテンルブラック・マウンテンの一部、ディヴィス・マウンテン

ロンドンから片道2時間以内で行ける施設5選

カントリー・ハウスのお手本 Belton House
ベルトン・ハウス

ベルトン・ハウスオランダ式庭園からベルトン・ハウスを臨む
ベルトン・ハウス敷地内の森にはベルモント・タワーと呼ばれる小さな塔が立つ
ベルトン・ハウスウィンザー・ルームと名付けられている寝室

ロンドンのキングス・クロス駅から列車で北へ約1時間。英中部リンカンシャーの町グランサムの郊外に、シカの生息する森林や美しい湖を併せ持つカントリー・ハウスがある。その広大な敷地にはイタリア式とオランダ式の庭園を配し、中央にはチューダー様式の邸宅の中でも特にエレガントな美しさで名を知られる、ベルトン・ハウスだ。

17世紀に建てられたベルトン・ハウスは、所有者であるバウンロー男爵夫妻の趣味を反映した、こぢんまりとした端正な邸宅で、その洗練されたデザインは当時流行していたゴシック建築の派手な大邸宅とは一線を画す。1987年に7代目バウンロー男爵によってナショナル・トラストに寄贈されるまで、第一次世界大戦中を除くほとんどの年月が、一族によって利用された。

この館は、一族の友人でもあった国王エドワード8世が、米国人女性ウォリス・シンプソン夫人との秘かな逢瀬の場に使ったと言われ、やがて「王冠を掛けた恋」として世間を騒がせる大スキャンダルとなった事件の一端に、この邸宅が関わっていたことになる。また、1995年にBBCでドラマ化・放映された、ジェーン・オースティンの「高慢と偏見」のロケ地ともなり、今でも多くのファンが訪れることでも知られる。

邸宅の内部は、かつては1階以上が男爵一家の住まいで、地下はメイドやバトラーといった使用人たちの住居やキッチンに分かれていた。2025年7月時点は休止しているが、「ビロウ・ステアーズ・ツアー」と称し、この地下の部分を紹介する人気ツアーも開催されることがあるので、サイトで要確認。いくつもの小さな部屋から、華やかな貴族の暮らしを縁の下から支えた使用人たちの日常が想像できそうだ。

● Infomation

£20(子供 £10)
庭園のみ £17(子供 £8.50)
Grantham, Lincolnshire NG32 2LS
Tel: 0147 656 6116
水~日 12:30-17:00(要予約)
ナショナル・レールGrantham駅から1番または27番のバスでBelton Hall Gates下車、徒歩5分
www.nationaltrust.org.uk/belton-house

王子の代わりに罰を受けた男の邸宅 Ham House and Garden
ハム・ハウス&ガーデン

ハム・ハウス&ガーデンテムズの川辺に建てられたハム・ハウスの広々とした庭
ハム・ハウス&ガーデンオランジェリー・カフェでくつろぐ訪問者たち
ハム・ハウス&ガーデン「ザ・ロング・ギャ ラリー」と名付けられた部屋にある日本の飾り戸棚。金箔が塗られたオランダ製の台上に置かれている

ロンドン地下鉄の運行区域であるというのが信じられないほど、緑にあふれた景色が続くリッチモンド地区。広大なリッチモンド・パークや、静かに、そして雄大に流れるテムズ川など、視界に入るのはいかにも英国的な田園風景だ。ハム・ハウスは、この自然の中に佇んでいる。

かつて英国には「ウィッピング・ボーイ(むち打ち用の男の子)」なる役職が存在した。神によって王権を授かったと見なされていた王子を側近が叱ることは許されない。そこで編み出されたのが「ウィッピング・ボーイ」。この役割を担う男の子は王子とともに育てられ、王子が何か悪さをした際には代わってむち打ちの罰を受けなければならない。王室社会に閉じ込められて友人が少ない王子にとっては、兄弟のようにして一緒に育てられた幼なじみが罰せられるのは耐え難い苦しみであり、しつけの方法としては効果的であったという。

後に清教徒革命で処刑されたチャールズ1世にも、ウィリアム・マリーという名のウィッピング・ボーイがいた。チャールズ1世は成人後もマリーを忘れることはなく、このハム・ハウスを与えた。邸宅はマリーの死後も何代にもわたり一族が相続し、最終的にはナショナル・トラストへと寄付された。

邸宅は17世紀のオランダ絵画のコレクションでも知られるが、日本や中国のさまざまな芸術品もそろう。また、この時期ぜひ訪れたいのが庭園。ウィンブルドンのセンター・コートを丸ごと包み込むサイズを誇る緑の芝生を始め、50人以上の庭師が世話するという、色と香りにあふれた夏らしい草花の数々は、イングランドの夏の姿として訪問者の記憶に残ることは間違いない。

● Infomation

£17(子供 £8.50)
Ham Street, Ham, Richmond, Surrey TW10 7RS
Tel: 020 8940 1950
邸宅 12:00-16:00 庭園 10:00-17:00
地下鉄Richmond 駅から371番または65番のバスでSandpits Road下車、徒歩15分
www.nationaltrust.org.uk/ham-house

ウィンストン・チャーチルゆかりの地 Chartwell
チャートウェル

チャートウェル変わり行く空の色の中に佇むチャーチルの別邸
チャートウェルスタジオに残るチャーチルのパレット
チャートウェル庭園ゴールデン・ローズ・ウォークは夏も美しい

英南部ケントの静かな村、ウェスターハムの西にあるカントリー・ハウス、チャートウェル。この館は、現在でも名相と呼ばれるウィンストン・チャーチルが、第一次世界大戦に関する著作「世界の危機」(「The World Crisis」)の印税で1922年に購入し、家族とともに晩年まで週末を過ごした場所として知られる。部屋の多くはチャーチルとその家族が使っていた当時のままに保管されており、絵画や書籍、愛用品の数々が、まるで持ち主が席を外したばかりのような姿で置かれている。また、アマチュア画家だったチャーチルが1924年に描いた風景画や、フランス印象派の画家クロード・モネによる1902年の作品「チャリング・クロス橋」など、美術愛好家の驚くような作品が何気なく壁に飾られているのを見つけるのも楽しい。チャーチルは40歳を過ぎてから絵を描き始めたが、アトリエとして利用した別棟のスタジオには、額装されていない作品が数多く飾られている。

もちろん付近を散策するのを忘れずに。かつて「チャートウェルから1日離れることは、1日損をすることだ」とチャーチルが言った通り、チャートウェルの美しさは夏にハイライトを迎える。敷地内の各所で咲き誇る香り高い花々を愛でるも良し、湖の側で涼しい風に吹かれながらのピクニックも良しだ。

この季節はキッチン・ガーデンもにぎやか。ここで採れた新鮮な野菜や果物は、かつてチャーチル一家の食卓にも上った。ちなみに、カフェはグルメだったチャーチルの専属料理人、ジョルジーナ・ランドマーレさんの名が冠されている。

● Infomation

邸宅+庭園+スタジオ £22(子供£11)
庭園+スタジオ £15.40(子供£7.70)
Mapleton Road, Westerham, Kent TN16 1PS
Tel: 0173 286 8381
邸宅 11:30-17:00(週末は異なる)
庭園 10:00-17:00
ナショナル・レールOxted駅から236番バスでMapleton Road下車、徒歩6分(夏期の日・祝日に限りナショナル・レールBromley North駅から246番のバスも運行
www.nationaltrust.org.uk/chartwell

「オーランド」の舞台となった Knole
ノール

ノール広大な敷地面積を持つ、ノールの邸宅と庭園
ノールレッド・ルームの別名もあり、重厚な雰囲気が漂うレイノルズ・ルーム
ノール敷地内には中世から鹿が生息していた

ナショナル・トラスト施設の多くが郊外や地方に点在する中、ロンドンから1時間以内で訪れることのできるのが、英南部ケントのセブンオークスの町にあるノール。600年以上の歴史を刻む壮麗な屋敷と、1000エーカーを超える広大な庭園とが一体となった、イングランドでも屈指の規模と格式を誇る邸宅だ。

このノール・ハウスは、15世紀末にカンタベリー大主教の邸宅として建てられたもので、のちにエリザベス1世の寵臣トマス・サックヴィルが所有者となった。以後、400年以上にわたりサックヴィル家によって受け継がれ、同家の血を引く作家ヴァージニア・ウルフの恋人で詩人のヴィタ・サックヴィル=ウェストもこの屋敷に生まれ育っている。ウルフの代表作「オーランド」は、この屋敷とその家族をモデルに書かれたものとしても知られる。敷地内には、鹿の群れが暮らす中世から続くディア・パークや、かつて王族のために用意された壮麗なステート・ルーム群、17世紀の調度品をそのまま残した部屋など、時代を超えて保存された空間が点在する。特にエリザベス朝時代の香りが色濃く残るグレート・ホールや、タペストリーが壁一面を覆うレイノルズ・ルームは見どころの一つ。ここでは、ジョシュア・レイノルズ、マス・ゲインズバラ、ヴァン・ダイクなどの名画も観ることができる。一方で、かつての住人でヴィタの従弟、エディ・サックヴィル=ウェストの個室へと続くゲートハウス・タワーに上って周囲の景観を眺めるのも良いだろう。老朽化による建物の損傷を修復する大規模なプロジェクトを展開しており、毎週水~土曜日に修復ガイド・ツアーなども開催中だ。屋根裏部屋ツアーも興味深い。

● Infomation

庭園+塔 £6(子供 £3)
邸宅+庭園+塔 £18(子供 £9)
Sevenoaks, Kent, TN15 0RP
Tel: 0344 249 1895
邸宅 11:00-16:00 塔11:00-17:00
ナショナル・レールSevenoakes駅から徒歩30分
www.nationaltrust.org.uk/visit/kent/knole

ほろ酔い気分でタイム・スリップ George Inn
ジョージ・イン

ジョージ・インまるで歴史劇のセットのようなジョージ・イン
ジョージ・イン店内のあらゆるところに肖像画や古地図などが掲げられている
ジョージ・インすぐ近くには高層ビル、ザ・シャードがそびえ立つ

ナショナル・トラストが管理する歴史的施設は、お城や貴族の邸宅といった上流階級の人々が暮らした建物ばかりではない。英国の庶民の歴史と文化を語るとなると、やはりパブは外せないだろう。英各地には古いパブが点在するが、ナショナル・トラストの管理下にあり、しかも気軽に訪れることができるのがこのジョージ・インだ。

ロンドンに現存する旧宿屋としては、唯一となる回廊を持つ施設。交通量が多いバラ・ハイ・ストリートから一歩東側に入ると、歴史劇の舞台セットとして出てきそうな回廊が出現。「イン」と呼ばれる宿屋が居酒屋を兼ねていた時代には、このように店の正面に回廊が設けられていることが一般的であったという。

決して広い空間ではないにもかかわらず、店内はいくつかの小部屋に分かれている。パーラメント・バーは、かつて馬車の到着を待つ客の待機所として使われていた場所。またミドル・バーは、以前はコーヒー・ルームと呼ばれており、英作家のチャールズ・ディケンズが頻繁に訪れていた。ディケンズは、近隣の刑務所に収監されていた父親と面会するため、幼少時からこの辺りをよく歩いていたという。債務を支払うことができない者たちが収監された監獄をテーマとした作品「リトル・ドリット」でもこの店についての記述が見られる。

壁の到る所に掲げられた英国の偉人の肖像画、薄暗い照明、黒色の木材に囲まれた空間には、まるで英国史の一幕に足を踏み入れたかのような雰囲気に満ちている。

● Infomation

入場無料
The Geroge Inn Yard,77 Borough High Street, London SE1 1NH
Tel: 020 7407 2056
11:00-23:00(週末は異なる)
地下鉄London Bridge駅から徒歩5分
www.nationaltrust.org.uk/george-inn

 

【レポート】Wales and Japan 2025 中間レセプションを訪れて

Wales and Japan
Wales and Japan 2025
中間レセプションを訪れて

モーガン首席大臣(写真左)と鈴木大使(同右)モーガン首席大臣(写真左)と鈴木大使(同右)

2025年は、日本とウェールズの絆をさらに強化することを目指した、「Wales and Japan 2025」キャンペーンが初頭から展開されている。その一環として6月11日、ウェールズ政府による「日本年」の中間報告イベントが、在英日本国大使館で開催された。会場には、鈴木浩大使、エリュネッド・モーガン首席大臣に加え、在ウェールズの日本企業関係者やウェールズの企業・行政関係者など、170名を超える人々が集い、日本とウェールズの経済・文化交流の深化を感じさせる活気にあふれていた。

会場入口で賑わいを見せていたのが、ウェールズ各地から集まった食品関連企業によるテイスティング・ブースだ。SnowdoniaやCaronWenのチーズ、Aber Fallsのウィスキー、Wrexhamのビールやジンなど、多彩なラインアップが並び、各担当者が熱心に商品の魅力を紹介していた。また、伝統的な丸くて平たいウェルシュ・ケーキがその場で焼かれ、試食が提供された。当日はレセプションのため、特別に日本の抹茶を練り込んだバージョンがふるまわれ、ウェールズの食文化の豊かさと独自性が印象深く紹介された。

ウェールズ産のチーズやビールの数々ウェールズ産のチーズやビールの数々

鈴木大使もお気に入りという、伝統的なウェルシュ・ケーキ鈴木大使もお気に入りという、伝統的なウェルシュ・ケーキ

公式プログラムでは、ウェールズ政府による「Wales and Japan 2025」の中間報告に続き、ビジネス・パネルディスカッション、そして11~19歳のウェールズ人男子約20人からなる青年合唱団「Only Boys Aloud」によるパフォーマンスが披露された。「ふるさと」など日本の歌も取り上げられ、参加者たちは和やかな雰囲気の中で交流を深めた。モーガン首席大臣は冒頭のあいさつで、「人と人との交流こそが真の関係を築く鍵である」と強調し、文化・経済両面における草の根のつながりの重要性に触れた。

青年合唱団「Only Boys Aloud」が歌声を披露青年合唱団「Only Boys Aloud」が歌声を披露

ビジネス・パネルディスカッションに耳を傾ける人々ビジネス・パネルディスカッションに耳を傾ける人々

昨年末の大使就任時にウェールズの国歌を披露したことでも知られる鈴木大使だが、閉会間際に個人的に好きなウェールズの食べ物を尋ねたところ、「ウェルシュ・ケーキ」と即答してくれた。モーガン首席大臣に教えてもらったのだそうで、紅茶と一緒に食べるのが1番、と笑顔で語った。素朴ながら味わい深いこのお菓子は、まさに人と人とをつなぐ「日常に根ざした交流」の象徴のように思えた。中間地点を迎えた「Wales and Japan 2025」。今後どのような広がりと実りが生まれていくのか、楽しみにしたい。

 

ベルリン・フィル指揮者・山田和樹さんの呼吸から生まれる音楽

ベルリン・フィルデビュー記念インタビュー
指揮者・山田和樹さんの呼吸から生まれる音楽

今世界中のクラシックファンをとりこにしているバーミンガム市交響楽団の音楽監督、山田和樹さん。今年6月12日~14日にドイツで行われるベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の公演で、客演指揮者としてデビューを果たす。日本人指揮者では故小澤征爾さん、佐渡裕さんに続く快挙だ。山田さんはベルリン・フィルのホールでどんな音楽を生み出すのか……公演を1カ月後に控えた5月中旬、マエストロにお話を聞いた。(文:ドイツニュースダイジェスト編集部)

山田和樹さん

山田和樹さん

1979年生まれ。2009年にブザンソン国際指揮者コンクールで優勝し、国内外の楽団で活躍する。近年は、モンテカルロ・フィルハーモニー管弦楽団やバーミンガム市交響楽団の音楽監督を務め、2026年に東京芸術劇場の芸術監督(音楽部門)、ベルリン・ドイツ交響楽団首席指揮者兼芸術監督に就任予定。ベルリン在住。
https://kazukiyamada.com

──いよいよベルリン・フィルのデビュー公演ですね!ずばり今のご心境は?

いや、緊張していますよ……。心づもりや準備はしなければいけないものの、考えると緊張するからあまり考えないようにしているというのが正直なところです。僕は日本で指揮を勉強して、海外に出たのはちょうど30歳のときでした。海外で仕事をするようになって、ベルリン・フィルとかウィーン・フィルの名前がおぼろげながらも頭に浮かんではいました。でもあくまで僕の目標は、指揮を続けること、音楽を続けること。だからこんなに早く自分にチャンスが来るとは思っていなくて、サプライズでしたね。ベルリン・フィルの指揮台に立てるのは、年間を通しても何十人もいるわけではないですし。まさに「まな板の鯉」です。

ベルリン・フィルは、技術力やアンサンブル力、オーケストラの機能性と全てにおいて洗練されていると思います。ウィーン・フィルが伝統に重きを置く一方で、ベルリン・フィルは伝統がありつつ革新的でもある。カラヤンと長く関係を築いてきて、ずっと世界のトップオーケストラだった。それが代々バトンタッチされながら、脈々と続いてきたという流れがあります。そんななか革新的な部分で象徴的だったのが、コロナ・パンデミックのときでした。2020年3月にロックダウンになりましたが、ベルリン・フィルは「それでも何か方法を見つけるんだ」といって立ち上がり、5月1日にはネット上で無観客公演をしたんですね。自分たちがやらなければ、ほかのオーケストラが追随できないという気構えを見せてくれた。まさに、今のクラシック界をリードする存在なんです。

──今回のプログラムが組まれた背景や、各作品の聴きどころについて教えてください。

デビュー公演ではありますが、僕の意見を取り入れてくれたプログラムになっています。僕は長年フランスのテリトリーでやってきたので、フランス音楽でデビューしたいという思いがありました。それでサン=サーンスの交響曲第3番という名曲をやらせてもらうんですけど、意外なことにベルリン・フィルは10年この曲をやっていないんです。だからこれはいい機会だと思いました。サン=サーンスはとても敬虔なクリスチャンで、この曲も宗教的な面が強くオルガンが入っている。そのオルガンとベルリン・フィルのサウンドでどんな表現になるのか、というのが聴きどころですね。

それから、フランス音楽のカラフルなサウンドに似ている作品として、イタリアの作曲家レスピーギの「ローマの噴水」を選びました。ローマ3部作のうちの一つで、一番地味と思われがちなんだけれど、僕はその中で最も好きな曲です。噴水の水が散ったりしぶきが上がったり、それが光に当たって色を放ったり。朝、昼と時が経過し、最後にたそがれていく。それがすごく感動的で、僕が思い浮かべる世の中の美しい音楽の10本の指に入る曲です。ベルリン・フィルの力でその色彩の豊かさを表現できたらいいなと思います。

そして、水のテーマのつながりから武満徹の「ウォーター・ドリーミング」が決まりました。日本を象徴する作曲家であり、彼の作品を紹介できるいい機会でもある。武満さん自身もフランス音楽にすごく影響されていたから、これもまた色彩豊かな曲です。だから、今回の公演はとてもカラフルなプログラムになったと思います。

──現在、音楽監督を務めるバーミンガム市交響楽団(CBSO)の演奏会では、山田さんのお茶目な姿を目にすることも多いですが、どんな楽団ですか?

バーミンガム市は2023年に財政破綻を宣言し、実は市からCBSOへの資金援助は一切ありません。そんな状況でも英国人の気質からなのか、CBSOの楽団員たちはとてもパワフルでポジティブ。一言でいうと、僕に音楽の楽しさを教えてくれる楽団です。クラシック音楽には、例えば楽譜通りに音符を伸ばさないといけないとか、ルールがたくさんありますよね。でもCBSOは、これをやっちゃいけないというルールを忘れさせてくれて、自由に音楽を楽しめる。今日どこでも演奏が録音されたりライブ配信されたり、そういう意味ではリスクは取りづらいのですが、リスクを一緒に取ってくれる仲間ともいえます。彼らがストレートに向き合ってくれるから、僕もストレートになれて楽しくなる。そうすると彼らも楽しくなって、僕ももっと楽しくなれる。「ハイリスク・ハイリターン」ではあるのですが、今のところ心配するどころか、ますます進化していると感じています。

CBSOのコンサートで指揮台に立つ山田さんCBSOのコンサートで指揮台に立つ山田さん

──今年4月、2026/27シーズンからベルリン・ドイツ交響楽団(DSO)の首席指揮者兼芸術監督に就任することが発表されました。どのようなお気持ちですか?

大変なことになりました。もちろんベルリン・フィルのデビューもものすごく大変なことなんだけれど、それはあくまで演奏会が一つあるということ。つまり演奏会を成功させることに集中すればいいんです。でもどこかのオーケストラの指揮者になるということは、1回の演奏会を成功させるだけではなくて、長い目で関わっていくということ。家族になるということでもあり、リーダーになるということでもある。指揮者は文字通り指し示す役割をしていて、100人の楽団員を引き連れて道案内をしなければいけないんです。道が二つに分かれていたら、どちらかを選ばなければならない。選んだ先にがけがあって、みんな死んじゃうかもしれない。だから、責任も勇気も必要なんですね。

ドイツのオーケストラでの芸術監督は、初めてのポスト。恥ずかしながらドイツ語ができないので、オファーをもらったとき、率直に「ドイツ語できなきゃダメだよね?」って聞いて。そしたらDSOの方は「今のままでいい、今のあなたに来てほしいんだから」みたいに言ってくれたんです。うれしかったですね。それから自分や家族が生活しているベルリンに仕事場ができるのはとても幸運なことで、この業界では珍しいこと。かのカラヤンでさえベルリンではホテル住まいで、家はザルツブルクでしたからね。指揮者にとっても、それは新しい世界になるのかなと思います。

もちろん音楽が一番大事で、演奏会にはたくさんのお客さんに来てもらって、感動してもらうことが僕の仕事です。そのことに責任の重さを感じていて、果たして自分にできるのだろうかと……。でもこういった話を受けて頑張れるパワーは10年後にはきっともうなくて、今の40代半ばがラストチャンスだと思っています。

──最後に、山田さんが指揮者として大切にされていることを教えてください。

指揮者は、コミュニケーションを通じて音楽をつくっていく職業。オーケストラは指揮棒で動いているわけではなくて、棒を通じた指揮者の呼吸が伝わって動きます。何事も極度に緊張していたりすると、難しい場面ってありますよね。オーケストラは見透かす能力が高いから、取り繕うとしてもバレちゃうんです。だからこそ自分の心をオープンにして、呼吸が通っていることが大切だと思います。

一つのオーケストラに出会うということは、一度に100人の人に出会うわけで、そこから物語が始まります。どう展開されるのか全く決まっていない白紙の物語です。今回のベルリン・フィルとの物語も、どうなるのか本当に分かりません。もちろんデビューが良くなかったら、2回目はない。これまでも1回で終わってしまったオーケストラがたくさんあります。でもたとえ1回きりだとしても、あまり先を考えすぎず、精一杯今の自分で向き合っていきたいですね。

「指揮者の呼吸がみんなと共有できたとき、うまくいくんです」(山田さん)「指揮者の呼吸がみんなと共有できたとき、うまくいくんです」(山田さん)

ベルリン・フィルのコンサート情報

日時: 6月12日(木)20:00、13日(金)20:00、14日(土)19:00
※現地時間
会場: ベルリン・フィルハーモニー
指揮: 山田和樹
演奏: ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
曲目: オットリーノ・レスピーギ 交響詩「ローマの噴水」
武満徹 ウォーター・ドリーミング
エマニュエル・パユ(フルート)
カミーユ・サン=サーンス
交響曲第3番ハ短調「オルガン付き」
セバスティアン・ハインドル(オルガン)
www.berliner-philharmoniker.de

14日はデジタル・コンサートホールでライブ配信予定!

英国からも同時配信でご覧いただけます。
詳しくはこちらから

 

知っているようで知らない英国の缶詰。

知っているようで知らない英国の缶詰。

英国に暮らしていると、スーパーマーケットの棚にずらりと並ぶ缶詰の種類の多さに驚かされる。実は英国は缶詰発祥の地であり、19世紀にはその保存性の高さから長期航海や戦地での食糧として重宝され、その後家庭の食卓へ並ぶ便利な食品として普及していった。本特集では、英国における缶詰の知られざる歴史をひもときつつ、代表的な缶詰も紹介する。
(文: 英国ニュースダイジェスト編集部、Illustration: ⒸKanako Amano)

参考: www.cannedfood.co.ukwww.tastesofhistory.co.ukwww.theguardian.comwww.express.co.ukほか

英国の缶詰

英国における缶詰の歴史

缶詰発祥の地

世界で初めて瓶詰の保存食が生まれたのは1810年、ナポレオン戦争下のフランスだった。兵士たちの食料確保のため、長期保存と携帯ができる方法を時の仏政府が一般に募集し、食品加工業者のニコラ・アペール(Nicolas Appert)が、ガラス瓶に詰めた食品を加熱密封する保存法を発明。この発明に刺激を受けたのが英国の商人ピーター・デュランド(Peter Durand)で、重くて割れやすいガラス瓶ではなくブリキ缶による食品保存法を開発し、特許を同年に英国で取得した。これが缶詰の起源だ。

この後、デュランドの特許は英食品会社の技術者ブライアン・ドンキン(Bryan Donkin)によって実用化され、ウェリントン公爵の勧めで13年には英国陸海軍向けに塩漬けの肉などの缶詰が納入された。また、大英帝国として世界中に植民地を広げると同時に、科学や地理的な探検や調査も活発に行っていたこの時代、ジョン・フランクリン(John Franklin)やエドワード・パリー(Edward Parry)のような極地探検家が缶詰を携行した。

ただし、当時の缶詰は厚手のブリキ缶で、開封にはハンマーやノミが必要だったほか、殺菌が不十分だった缶詰には腐敗や細菌汚染のリスクもあった。また、缶の接合部に鉛を使っていたことから、食品に鉛が溶け出し中毒を引き起こした記録も残っているなど、初期の缶詰にはさまざまな改善点があった。

缶切りの発明で一般家庭に普及

米国で開発された初期の缶切り米国で開発された初期の缶切り

やがて米国に渡った缶詰だが、同地の発明家エズラ・J・ワーナー(Ezra J. Warner)が1858年に缶切りを発明。しかし、初期の缶切りはまだ扱いが難しく危険を伴うもので、顧客は缶詰を購入した店でその場で開封してもらわなければならなかったという。70年には発明家のウィリアム・ライマン(William Lyman)が回転式ホイール缶切りを発明し、1925年にはさらに改良が加えられ、現在の缶切りの原型が出来あがった。それにより缶詰は一気に手軽な商品となり、一般家庭にも普及し始めた。

特に19世紀後半には、珍しい食材、デザイン性の高いラベル、低価格などを駆使した缶詰メーカー間の競争が激化し、缶詰食品の種類は飛躍的に増加した。20世紀に入ると第一次、第二次世界大戦中の政府の統制とキャンペーンを通じて、栄養と効率を両立させながら配給という形で消費された。

そして現代においても、缶詰は非常時における備えとして重宝されている。とりわけ2020年のコロナ禍では、英国全土で外出制限が始まった直後の3月、缶詰全体の売上は前年同月比で72.6パーセント増を記録。スーパーマーケットの棚からトマト缶やスープ、豆類が一斉に消えるなど、生活必需品としての存在感を改めて示した。

この傾向は一時的なパニック買いにとどまらず、その後も一定の需要を維持し、長期保存が可能で、調理も容易、さらに食品ロスの削減にもつながる缶詰は、手軽さと安心感を両立した食品として、物価高騰や景気不安といった社会状況の変化にも強い存在として再評価されている。缶切りの登場によって日常生活に浸透した缶詰は、戦時下を経て、パンデミックや経済危機といった時代の節目ごとに人々の暮らしを支え、その存在価値を更新し続けている。

英国で昔から食べられている缶詰12選

スーパーマーケットで気軽に購入できる商品を中心に、昔から英国人に愛されている缶詰12種類をえりすぐった。見たことはあっても食べたことのない商品が多いのではないだろうか。これを機会に英国ならではの味覚を試してみては?

* 価格は大手スーパーマーケットのオンライン・ショップを参照

Heinz Tinned Baked Beans
ベークド・ビーンズ

Heinz Tinned Baked Beans

英国の国民食ともいえるベークド・ビーンズ。ベークド・ビーンズといえば、誰もがハインツの缶詰を思い浮かべるだろう。もともと米国生まれのこの缶詰が、英国で初めて販売されたのは1886年、高級デパートのフォートナム&メイソンが最初だった。白インゲン豆をトマトソースで煮込んだ、イングリッシュ・ブレックファストに欠かせない存在。
£1/200g

Fray Bentos Meaty Puds
ステーキ&キドニー・パイ

Fray Bentos Meaty Puds

牛肉と腎臓(キドニー)をグレービー・ソースで煮込んだ具材を包んだパイが缶詰に。缶ごとオーブンか電子レンジに入れて焼くと、上に乗ったパイ皮がふくらむ。ステーキ&キドニーはマッシュ・ポテトなどと一緒に食すのも推奨されており、保存食兼コンフォート・フードとして、昔から一定の需要がある。キャンプなどでも使える。
£3.25/425g

Batchelors Mushy Peas
マッシー・ピーズ

Batchelors Mushy Peas

フィッシュ&チップスの副菜として定番の、潰したえんどう豆を柔らかく煮て塩味をつけたもの。北部イングランドでは、ロースト料理の付け合わせであるミント・ソースやミント・ゼリーにこのマッシー・ピーズを混ぜるスタイルも好まれる。また、同じく北部イングランドではマッシー・ピーズを直接パンにはさむことある。
£0.75/300g

Princes Corned Beef
コンビーフ

Princes Corned Beef

コンビーフの缶詰の起源は米国で、保存食として第二次世界大戦中に英国に広く普及した。牛肉を細かくほぐし塩漬けし加熱したもので、手軽なタンパク源として重宝された。現在もサンドイッチの具材や料理の素材として日常的に利用されている。サンドイッチでよくある食べ方は、ほぐしたコンビーフをパンに挟み、マスタードやピクルスと合わせる。
£3/200g

Pilchards in Tomato Sauce
ピルチャーズ・イン・トマト・ソース

Pilchards in Tomato Sauce

ピルチャードはイワシの一種で、やや大きめの小型魚。英南西部やコーンウォールなどで伝統的に漁獲され、英国では缶詰で親しまれている。1937年に南アフリカで創業されたグレンリック社のレトロな赤い缶詰は、手軽にタンパク質を摂れる保存食として昔から重宝されている一品。そのままパンに乗せたり、温めてジャガイモや野菜と一緒に。
£1.30/400g

Ambrosia Rice Pudding
ライス・プディング

Ambrosia Rice Pudding

ライス・プディングは英国で長年愛されているデザートの一つ。クリーミーでほんのり甘く、温めても冷やしても良い。アンブロージア社は英南西部デヴォンで初めて缶入りライス・プディングを作り、以来90年以上にわたって製造を続けている。もともとは乳児のための粉ミルクを作っていただけあり、ミルクの質にこだわりがあるという。
£2/400g

Baxters Royal Game Soup
ロイヤル・ゲーム・スープ

Baxters Royal Game Soup

鹿肉、キジ、根菜が入ったスープ。日本人にはなじみが薄いが、スパイスの香りが高くリッチな味わいのスコットランド風スープで、秋の味覚を感じることができる。低脂肪・高タンパク、添加物も入っていないヘルシーな一品だ。バクスターズ社は1929年にスコットランドで創業。ロイヤル・ゲーム以外にもスコットランドならではの缶詰を販売する。
£1.90/400g

Hunger Breaks The Full Monty
オール・デイ・ブレックファスト

Hunger Breaks The Full Monty

英国で1番おいしい食べ物は朝食、と冗談を言われるほど人気が高いイングリッシュ・ブレックファスト。ただし、ベーコン、ポーク・ソーセージ、ベークド・ビーンズ、トマトなど、いざ自分で用意すると種類が多くて面倒なことも確かだ。そんな方のためにあるのが缶詰。中に全てが入っているので、温めてトーストの上に乗せるのがお勧め。
£2.25/395g

Heinz Tinned Spaghetti
スパゲティー

Heinz Tinned Spaghetti

英国でスパゲティーやマカロニの缶詰を見てショックを受けた方は多いはず。どのような状況でどうやって食べるのか、ハインツ社のサイトによれば、「トーストに乗せても、ベークド・ポテトと一緒に食べてもおいしく、お子さまにも大人にもぴったり」とのこと。人工着色料、香料、保存料を一切使用しておらず、その点は安心だ。
£1.25/400g

John West Kippers in Sunflower Oil
キッパーズ

John West Kippers in Sunflower Oil

よくスーパーで見掛ける真空パックで売られている燻製にしんを、オイル漬けにして缶詰にしたもの。燻製にしんはもともと朝食としてパンや卵と一緒に食べられていたので、朝の手間を省くために考案された。ヴィクトリア時代は上流階級の人々の朝食だった燻製にしんを、極限までお手軽にした一品。白いご飯にも合いそう。
£2/145g

Spam Chopped Pork & Ham
スパム

Spam Chopped Pork & Ham

第二次世界大戦前に米国から世界に伝わった、ソーセージ肉の一種。特徴的な缶の形は、兵士が背負う背嚢に詰めやすいデザインにしたためだからだという。豚肉と塩、ジャガイモ由来のデンプンなどが主な原料。英国にも定着し、サンドイッチの具材になるほか、フィッシュ&チップスの店などでスパムの揚げ物が売られていることもある。
£2.80/200g

Grant’s Irish Stew
アイリッシュ・シチュー

Grant’s Irish Stew

アイルランドの伝統的な家庭料理で、羊肉、ジャガイモ、玉ねぎ、ニンジンなど手元にある材料をシンプルに煮込んだ、滋味深く素朴な味わいが特徴のシチュー。小麦粉などでとろみがついている。温めるだけでよいので、忙しいときや災害時などに便利。もともとはアイルランドの農家で生まれたそうで、さまざまなブランドから販売されている。
£1.95/400g

知ってた?缶詰にまつわるトリビア

1CanとTin
同じ缶でもその違い

英語で缶詰は、米国では主にCan、英国ではTinが使われる。特に英国では食品の缶詰にはTin、飲料にはCanを用いるのが一般的。元来Tinは缶の素材であるスズに由来する言葉だった。ちなみに、食品に関する文脈で「tinned」という語が初めて登場したのは1861年。料理研究家イザベラ・ビートン夫人による「ビートン夫人の家政読本」(Mrs Beeton’s Book of Household Management)に書かれたTinned Turtle、ウミガメの缶詰が最初だった。

「ビートン夫人の家政読本」の表紙「ビートン夫人の家政読本」の表紙

2北極まで行った
牛肉の缶詰

1824年、ウィリアム・エドワード・パリー卿はインドへの北西航路を探すため、牛肉とエンドウ豆のスープの缶詰を携行してHMSフューリー号で北極への航海に出発。その携行品の一部は57年、捜索遠征隊によって発見された。1939年に開封されたが、その当時でも食べることが可能で、栄養価も落ちていなかったという。高さ14センチ、幅18センチのこの牛肉の缶詰は、現存する最古の缶詰として今もロンドンの科学博物館に所蔵されている。

ウィリアム・エドワード・パリー卿ウィリアム・エドワード・パリー卿

3フレイ・ベントスの
コンビーフ缶が戦車に?

パイの缶詰で知られているフレイ・ベントス社だが、19世紀末はコンビーフが有名で、同社の名はコンビーフの代名詞だった。第一次世界大戦当時のこのコンビーフ人気はすさまじく、「フレイ・ベントス」という言葉が兵士の間で「良い」という意味の俗語として使われるほどだったとか。また、初期の英国産戦車の一つには「フレイ・ベントス」というあだ名が付けられたが、これは戦車内の兵士たちが缶詰の中のコンビーフのようにぎっしり詰まっていたからだという。

フレイ・ベントス社の初期の商標フレイ・ベントス社の初期の商標

4缶詰はどれくらい日持ちする?
保存方法を紹介

保存している缶詰は、安全のために改めて消費期限を見直そう。一般には18カ月~2年以内に使うべきだが、ジュース、トマト、ピクルスなど酸性の缶詰食品は、肉や野菜よりも早く劣化する傾向があるので注意が必要だ。缶詰は、調理器具やボイラー、直射日光を避け、涼しく乾燥した暗い場所に保管すること。湿気は缶を錆びさせ中の食品を腐らせる可能性があるほか、蓋が膨らんでいたり、へこんでいる場合は、内部が何らかの形で汚染された可能性がある。

ストックするばかりでなく消費期限にも注意ストックするばかりでなく消費期限にも注意

5ベークド・ビーンズ博物館が
一般市民の自宅に存在した

かつて「ベークド・ビーン・ミュージアム・オブ・エクセレンス」という私営の博物館がウェールズ南部のポート・タルボットに存在した。2023年に閉館したこの博物館は、09年にバリー・カーク氏によって同氏の公営住宅の居間、浴室、キッチンに開館。館内には、ベイクド・ビーンズ関連の缶詰、販促品が展示されていた。独立博物館協会にもきちんと登録され18年にはポート・タルボットで4番目に訪問者数の多い観光スポットでもあったとか。

静かなポート・タルボットの公営住宅群静かなポート・タルボットの公営住宅群

6おしゃれなツナ缶が
大事な日の贈り物に

バレンタイン・デーといえば、チョコレートや花などを贈るのが一般的。だが今年のバレンタインには魚の缶詰が贈り物のチョイスの一つになった。デザイン性が高く優れた品質のツナ缶が、1個20ポンドほどの値段で売られている状況だ。大手デパートのセルフリッジズは、クリスマス前の数週間でこうしたおしゃれなクラフト缶詰の売り上げが85パーセントも増加したと報告している。このトレンドを牽引しているのは、インフルエンサーや有名シェフたちだ。

良い缶詰は味も価格もあなどれない良い缶詰は味も価格もあなどれない

 

英国の多様な方言 - 地域ごとの特徴を紹介!

地域ごとの特徴を紹介!英国の多様な方言

「イギリス英語」と聞くと、発音がきれい、Rを発音しない、など一定のイメージを持っている人も多いだろう。だが、実際に英国で生活してみると、日本と同様に地域特有の方言が多く存在することに気が付くはずだ。今回は、そんな各地域の英語の特色や、実際に英国人がほかの地域の英語をどのように聞いているのか、生の声も紹介する。イギリス英語の奥深さを知るきっかけになったら幸いだ。
(文: 英国ニュースダイジェスト編集部)

参考: www.studiocambridge.co.ukwww.britannica.comhttps://accentbiasbritain.org ほか

多様な言語

多様な方言が生まれた背景

英国は、英語圏の中でも特に多様な英語の方言があり、地域ごとに色濃い特徴がある。後に紹介する英国の伝統的な方言をはじめ、河口域英語(Estuary English)、英国アジア英語(British Asian English)、一般北部英語(General Northern English)などの比較的新しいものまで多岐にわたっており、どこの英語を話すかで話者の出身地域や社会階級、年齢、現在の職業の違いを表している。

このような違いが生まれたきっかけとして、多民族がブリテン島へ住み着いたことが挙げられる。5世紀、欧州大陸の北西部から来たゲルマン民族がブリテン島に定住を始めた際、母語であるゲルマン語の独特な方言を英国にもたらした。同じく欧州大陸にわたったアングル人は主にミッドランド地方と英東部に、ジュート人はケントと南海岸沿いに、サクソン人はテムズ川の南西の地域へと、各地域に多くの民族が移動した。そして時間の経過とともに古英語の異なる方言(ノーサンブリア語、マーシア語、ケント語、西サクソン語)が出現。現在のイギリス英語の異なるアクセントが生まれる礎が築かれた。

徐々に失われていく方言と保全活動

昔は使われていた表現が今は使われなくなったり、一方で新しい表現が生まれたりと、言語はその社会情勢に常に影響されるもの。特にインターネットが普及してから、さまざまな英語圏からの情報が入るようになり、地域に根差した言語が急速に使われなくなる、という現象も残念ながら起こっている。

代表的なものはコックニーの押韻スラングだ。若者が使うスラングの発達、ラップやヒップホップなどの影響、対面での会話を減らすテキスト・メッセージでのやり取りなどにより、コックニー独特の言い回しは衰退の一途をたどっている。この事態を受け、コックニーを後世に残すために、ロンドン東部の学校でコックニーを教えるなどの取り組みが進められている。

また、英北部のリーズ大学と五つの博物館からの資金提供を受け、特定の地域で話されている言語を幅広く残そうとする「方言と遺産プロジェクト」(The Dialect and Heritage Project)も進んでいる。今日のイングランドにおける方言の現状をデータ化しつつ、特定の地域で使われる独特な単語やフレーズ、またその発音を残すという試みで、言語変化の推移やアイデンティティーを探る資料として今後活用されていく予定だ。調査には出身地を問わず誰でも参加でき、「自分が知っている地域特有の言葉」を誰から教えてもらったか、その言葉にどのようなイメージがあるかをフォームに入力していく。興味のある方はぜひ以下のリンクからサイトをのぞいてほしい。

https://dialectandheritage.org.uk

アクセントや文法も異なる各地の英語の違い

日本で地域ごとに方言があるように、英国でもその地域で使われる独自の言い回しや単語が存在する。実際はこれから紹介するよく知られた地域ごとの訛りからさらに細分化されている。

英国の方言マップ

RP(Received Pronunciation) 容認発音

話されている地域:ロンドン、イングランド南東部

標準英語やクイーンズ・イングリッシュ、BBC英語などと呼ばれており、一般的にイギリス英語といえばこれを指す。英国では中流階級や上流階級の英語と関連付けられており、BBC ニュースなどでよく耳にする英語だ。元々はイングランド南部の教育を受けた人々の発音で、伝統的にパブリック・スクールやオックスフォード大学、ケンブリッジ大学といった場所で育まれてきた。また、RPの中でも、年配の世代や貴族階級に関連される保守的な発音から、BBCなどで聞かれるアクセントなどに分けられる。現在は地域的な特異性が最も少なく、全国的に話されている発音と考えられている。RPはその歴史から一般的に「権威のある英語」と思われがちだが、実際のところ過去の偶然により、このアクセントがたまたまその地位を獲得したわけで、どの方言にも優劣は決して存在しない。

発音の特徴
  • 単語の末尾の「R」音は発音しない。Rの後に母音が続く場合のみ発音する
  • 語頭の「H」は発音する

Cockney コックニー

話されている地域:ロンドン東部

伝統的にロンドンの労働者階級が話す英語の方言で、特にロンドン東部の言語を指す。特定の単語を押韻語または押韻表現に置き換え、それから一般的に押韻の要素を省略する押韻スラング(Rhyming Slang)が多数存在するのが特徴だ。例えば、「Apples and Pears」はコックニーでは「階段」(Stairs、ペアーズとステアーズの音が似ている)を意味するが、会話では、Apples and Pearsをそのまま当てがわずにさらに一部省略するのが特徴。「I'm going upstairs」(上階に行く)はコックニーでは「I’m going up the apples」になり、こういったフレーズや単語は少なくとも約150個は存在するという。このような特徴は19世紀半ばに、通行人に会話の内容を聞かれないための手段として生まれたと伝わっている。

発音の特徴
  • 母音の音が変化する。「Day」は「Die」、「Buy」は「Boy」のように発音する
  • 「T」は喉の奥で弱く発音される。「Better」は「be'uh」(ベア)のように聞こえる

Scouse スカウス

話されている地域:リヴァプール(イングランド北西部)

リヴァプール地域で話されている英語で、同地出身のバンドであるビートルズが話す方言として広く知られている。独特の音の変化やメロディーを持つイングランドでも特徴的な訛りの一つに挙げられている。リヴァプール出身者を意味するスカウサー(Scouser)は、「Police」(警察)を「Bizzies」(ビジーズ)、「Trousers」(ズボン)を「Kecks」(ケックス)、「Drink」(飲み物)を「Bevvy」(ベビー)など、独自の言葉を操る。

発音の特徴
  • 単語の終わりや途中に「T」がある場合、破裂音ではなく摩擦音で発音する(日本語の「つ」の発音に近い
  • 単語の終わりが「K」で終わる場合、喉の奥から出るような、締め付ける音になる
  • 「Th」の発音はDに近い発音になる。「Though」(ゾウ)→ドウ
  • 「-ing」の「G」の発音は落ちる。「Working」(ワーキング)→ワーキン
  • 「H」の発音は落ちる。「House」(ハウス)→アウス

Geordie ジョーディ

話されている地域:ニューカッスル・アポン・タイン(イングランド北東部)

主にイングランド北東部ニューカッスル・アポン・タインで使用されており、現在使われている方言のなかで最も古いものの一つとされている。スコティッシュ(後述)と共通する語彙があるものの、ジョーディはアングロ・サクソン時代までさかのぼることができ、その時代に使われていた古英語にルーツを持つ。なぜジョーディと呼ばれるかについては明らかになっていないものの、一説には同地域が18世紀に4人のジョージ王朝からなるハノーヴァー朝を支持していたことに由来すると考えられている。「Yes」(はい)はジョーディでは「Aye」(アイ)、「Child」(子ども、または自分より若い人)は「Bairn」(バーン)、喜びを表す言葉として「Belta」(「That was proper belta」)など、特徴的な語彙が数多く存在する。

発音の特徴
  • 「au, /aʊ/」(アウ)の二重母音の場合、「ウ」に近い発音になる。「Town」(タウン)→トゥーン
  • 「P」の前後に母音がある場合、声門停止(一時的に喉の空気の流れを止める)が起こる。「Jumper」(ジャンパー)→ジョンア(Pがミュートになる)

Brummie ブラミィ

話されている地域:バーミンガム(ウェスト・ミッドランズ)

イングランド中部バーミンガムとその周辺地域で話されているが、かなり局所的な範囲の言語として知られている。長年注目されることがなかった方言だったが、ドラマ・シリーズ「ピーキー・ブラインダーズ」で広く知られることになった。単調でドライな響きかつ同じ音程が続くのが特徴。ただし、アクセントを付けた単語は音が伸び、その後に音程の急激な上がり下がりが続くことがある。「Wonderful」「Brilliant」(素晴らしい)は「Bosting」(ボスティング)、パートナーやよく知っている人に対して使う「Babe」は「Bab」(バブ)、「Goodbye」(さようなら)は「Tara-a-bit」(タラー・ア・ビット)、もしくはタラ、と言う。

発音の特徴
  • 文末のイントネーションが下がる
  • 文頭の「H」が省略される
  • 母音の「i」はoyという発音に変化する

West Country English ウェスト・カントリー英語

話されている地域:イングランド南西部

イングランド南西部からウェールズ国境にかけて広く使われている。歴史は古く、中世に同地域や当時イングランドの首都であった英南部のウィンチェスターが含まれるウェセックス王国で使われていた言語。もし首都がロンドンに移転しなければ、ウェスト・カントリー英語が英国のスタンダードな英語になっていたかもしれない。デヴォン、コーンウォール、サマセットは、英国の主要な都市から離れた場所にあるため、昔の話し方や文法が今も残っており、「She」の代わりに「Her 」、「Him」の代わりに「He」を使うことがある。

発音の特徴
  • 単語の最後が母音で終わる場合、Lを追加する。この手法はBristol Lと呼ばれており、ブリストルは昔ブリストウ(Bristow)と呼ばれていたが、この発音が現在に残っている。「Idea」(アイデア)→アイディアル
  • 母音の後の「R」が発音される

Scottish スコティッシュ

話されている地域:スコットランド

スコットランドの一部の地域で話されていたゲール語とヴァイキングが使っていたノルウェー語の影響を強く受けている。18世紀ごろには現在のスコティッシュが同地域での標準英語として定着した。同方言は地域によってかなり差があり、エディンバラは比較的やわらか、グラスゴーはよりきついアクセントを話す。一方ハイランド地方は言語に詩的なリズムがあり、ゲール語の影響で北欧系の言語に響きが似ているといわれている。「Shy」「Bashful」(シャイな、内気な)は「Blate」(ブレート)、「Excellent」「Pleasant」(素晴らしい、楽しい)は「Braw」(ブラウ)など、他地域と同じように独特の単語も数多く存在する。

発音の特徴
  • 母音は長母音になる。「Face」(フェイス)→フェース(Fehce)
  • 「ow」は「oo」と発音する。「House」(ハウス)→ホース
  • 「eh」は「ee」と発音する。「Head」(ヘッド)→ヒード

Welsh English ウェールズ英語

話されている地域:ウェールズ

ウェールズに住む約25パーセントの人が同地域独自のウェールズ語を話すため、英語の方言はウェールズ語の影響を強く受けている。特に、家庭では英語が第二言語として使われることが多いウェールズ北部で、アクセントがより強く、同南部は、まるで歌うような音楽的な響きがある。また、単語の特定の音節を強調せず、例えば「Language」は通常Lan-にアクセントがあるが、ウェールズ英語では両方の音節を強調する。

Northern Irish English 北アイルランド英語

話されている地域:北アイルランド

北アイルランド英語はアルスター英語(Ulster English)とも呼ばれ、もともと同地に根付いていたアイルランド語に英語が取り込まれ、独自の進化を遂げた方言。スペルの通りに発音するのではなく、「Northern Irish」は「Nor’n Ir’sh」、「Cow」「Now」など「ow」(アウ)の発音をするときは、アイに近い発音になり、「カーイ」「ナイ」となる。発音以外にもFor to不定詞などの独自の文法を用いるほか、「Boggin」(とても汚い)、「Bout ye?」(お元気ですか?)などの単語やフレーズを使用する。

実際に聞いてみた!英国人同士で話してて
英語が分からないことってある?

他地域の英語を聞くと、英国人でもその違いに困惑することがあるのだろうか。ロンドン東部出身でコックニーを普段から話す英国人(以下Cさん)と、リヴァプール出身で今はロンドンに住んでいる英国人(同Lさん)のお二人に、英国の英語について話してもらった。

Lさん:リヴァプール出身、ロンドン在住
Cさん:ロンドン東部出身、コックニー話者

Lさん:リヴァプールからロンドンに引越して働き始めた会社で、「直して」というニュアンスではなかったけれど、「A」の発音について同僚に指摘されたことがあったかな。あと、発音で思い出すのは、リヴァプールにいたときに子どもと接する仕事をしていたんだけど、そこにランカシャー出身の子どもがいて。リヴァプールとランカシャーは地理的にもとても近い場所にあるんだけど、発音が全く違ったの。言葉としては問題なく伝わるけど、とにかく発音が違う、という感じ。親がどこ出身か、どの程度の強いアクセントあるかによって、同じ地域の子どもでも少しずつ違いがあるのは、日本も同じじゃないのかしら。

Cさん:僕はロンドン東部出身で、当時からいろいろなコミュニティーの人が住んでいたけど、人種に関係なくコックニー訛りがそこら中から聞こえていたね。ユダヤ系の人達がコックニーを話しているところも見たよ。ただ、今はそれぞれのコミュニティーが発達し、それに合った言語が話されているから、僕が住んでいた1950年代と今とでは、話す言語も雰囲気も結構違うかもしれない。あと、コックニーで不思議だと思うのは、独自のフレーズがあるからなのか、コックニー話者と話しても話が通じないときがあるんだよね。「この人は何言ってるんだ?」ってなってしまう(笑)。

Lさん:リヴァプール出身同士でその現象はなかったかなぁ(笑)。コックニーはその特異性からか、一般的に知られている言葉が多いというのもあって、引越した当時から聞き取りがすごく難しかったと思ったことはなかったわね。ちょっと分からない部分があったとしても、話の流れなどである程度推測しながら乗り切れたかな。

Cさん:僕がほかの地域でこりゃまいった、全然分からない、ってなったのはグラスゴーに旅行に行ったとき。道に迷ったときに親切に声をかけてくれた人がいて、「ここに行きたい」と伝えたらすごく丁寧に教えてくれたんだけど、もう全く理解できなかったの。でも申し訳なくて、分かったフリをしてお礼をしてその場を立ち去ったんだよね(笑)。アクセントが違うだけでなく、さらに話すスピードが速いなら、同じ英語でも「全然分からないな」と思っちゃう。でも、グラスゴーやリヴァプールの人はとてもフレンドリーな人が多いし、言語についての記憶より、人との温かな交流の方が記憶に残っているね。

Lさん:どの方言が良いとか悪いとか、そういったものは全く感じないわ。特にロンドンは本当にいろいろな場所から来た人が生活しているし、その方言やアクセントのどれもがとてもすてきだと思っている。英国人に関していえば、むしろその地域出身であることを誇りに思っている人が多いのではないかしら。今はロンドン生活が長くなったのもあって普段スカウスを使うことはあまりないけれど、同郷の人に会えばもちろん使う。話さないからもうロンドンに染まったんだ、なんて少しも思わないわね。

歴史あるウェールズ語(Welsh)はどんな言語?

ウェールズの旗

ウェールズに関連するウェブサイトを見ていると、言語変換の「Cymraeg」(カムライグ)という言語変換のボタンがある。カムライグはこの地域で話されている、英国最古の言語といわれているウェールズ語のことだ。ウェールズ語の歴史は4000年余りととても長く、インド・欧州語族とブリトン語族、またラテン語の影響を受けて今日まで残っている。

ウェールズ語は産業革命による住民の移動や諸外国との戦争、また過去500年にわたるウェールズ語への迫害により、存続の危機にさらされた時期があったが、20世紀に制定された教育法により、現在は学校でウェールズ語の授業が設けられ、その話者数を少しずつ増やしている。迫害されていた時代があったものの、「Bard」(吟遊詩人)、「Corgi」(コーギー)、「Flannel」(フランネル)、「Penguin」(ペンギン)などの言葉は英語として残り、ウェールズ語は歴史のどこかで英語に影響を与えたのは確かなようだ。

ウェールズの看板ウェールズのほとんどの道路標識は英語・ウェールズ語の併記。ウェールズの高速道路管理局は優先する言語を選択でき、ウェールズ南部の大部分は英語、ウェールズ北部はウェールズ語が優先

ウェールズ語には、多くの単語が文脈や疑問文によってさまざまに変化する、英語の「いいえ」に直接翻訳できる具体的な単語がない、など独自の文法や言語体系が存在する。また、最も長い町名に「Llanfairpwllgwyngyllgogerychwyrndrobwllllantysiliogogogoch」があり、ウェールズといえば、の話題によく出てくる。

ウェールズの駅読み方は「スランヴァイルプールグウィンギルゴゲリッヒルンドロブールスランティシリオゴゴゴッホ」(!)

簡単なウェールズ語
  • Bore da(ボレー・ダー) おはよう
  • Prynhawn da(プリナーウン・ダー) こんにちは
  • Nos da (ノース・ダー) おやすみ
  • Tafarn(タヴァーン) パブ
  • Diolch (ディーオークッ) ありがとう
 

ロンドンの進化する庭 - 緑を分かち合う社会へ

緑を分かち合う社会へロンドンの進化する庭

公園が多いといわれながらも、家の周辺や街路樹などの身近な居住空間、つまり日常的に利用できる緑地は減少傾向にあるというロンドン。そんなロンドンで近年、自然を育てることを目的にした、開かれた新しい形の庭が静かに育ちつつある。この特集では、人と自然の関係を問い直すような、庭の再定義に取り組む人々や場所を取り上げ、その共有と変化の可能性を見つめてみたい。
(文: 英国ニュースダイジェスト編集部)

参考: www.nhm.ac.ukwww.culpeper.org.ukhttps://ideasforgood.jphttps://omvedgardens.com、BBC、The Guardian ほか

聖ポール大聖堂の隣にある屋上公共庭園、リフレクション・ガーデン聖ポール大聖堂の隣にある屋上公共庭園、リフレクション・ガーデン

市民の庭を再定義

庭を「自然を共有し育てていく場所」と定義し、それが地域の人や地球を癒やすことにつながると考えられている例を紹介する。

コミュニティー・ガーデン

公園が行政によって管理、運営されるのに対し、コミュニティー・ガーデンは、場所の選定から運営まで、地域住民が責任をもち自主的に担うことが特徴だ。始まりは1970年代の米国で、英国でも80年代から環境保護運動の高まりとともに整備が進んだ。欧州には古くから都市部で農地をリースし共有するアロットメント(市民農園)が存在しており、コミュニティー・ガーデンとの類似点もある。その違いとしては、アロットメントが個人や世帯が野菜の自家栽培目的で仕切られた区画を借りて使うのに対し、コミュニティー・ガーデンは野菜だけでなく花の栽培や憩いのスペースも含み、地域のつながりや教育、福祉、環境意識の向上などが目的の場所である。

ロンドン北部にあるカルペパー・コミュニティー・ガーデンは、誰にでも開かれた庭として、住宅地の真ん中に位置する。80年代に作られたこの場所は、都市化によって奪われた自然や居場所を、市民の手で取り戻す試みとして始まった。今では近隣住民やボランティア、身体や精神の健康を回復させる園芸療法のために通う人々など、さまざまな背景を持つ人々が植物を育て、空間を共有している。こうしたコミュニティー・ガーデンは、孤立、気候変動、メンタル・ヘルスの問題など、現在の都市が直面している課題に対する小さな答えの一つともいえる。

コミュニティー・ガーデン

未来を創る実験場に

一方、庭そのものがフィールド調査の場として活用される試みも始まっている。例えば、ロンドン自然史博物館が2024年に再整備した中庭を使った「アーバン・ネイチャー・プロジェクト」(Urban Nature Project)では、野生動物の生息環境としての庭の価値を再発見しようとしている。このプロジェクトでは、都市における生物の多様性を市民とともに調査、記録し、教育資源としても活用されている。庭は未来を創るための実験場でもある。その姿を記録し、公開し、次の世代へと継承することは、人と自然の関係性を問い直す持続的な活動となりつつある。

また、次世代に向けた自然教育の動きも活発化している。政府は25年9月から、中等教育修了資格の一つであるGCSEの新科目として自然史(Natural History)を導入する予定だ。これは、自然環境や気候危機、持続可能な生活についてを理論だけではなく実践で学ぶ新たな科目であり、教室の外、つまり庭や森といった実際の自然環境を学びの場として捉え直すものだ。10年以上にわたりこの導入を求めてきた博物学者メアリー・コルウェル氏は、「地元の自然に触れ、観察する力こそが、未来を考える基盤になる」と語る。庭は今、教育の最前線になろうとしている。

社会を耕す庭師たち

都市の緑を守り育ててきた、ファニー・ウィルキンソンとゲリラ・ガーデナーという、時代も立場も異なる庭師たちの活動に光を当てる。

英国初の女性庭師ファニー・ウィルキンソン

ファニー・ウィルキンソン(Fanny Wilkinson 1855~1951年)は、英国で初めてのプロフェッショナルな女性ランドスケープ・ガーデナーであり、ヴィクトリア朝時代のロンドンにおける都市緑化と女性の社会進出に大きく貢献した先駆者的存在だ。ウィルキンソンの活躍した19世紀後半のロンドンは、産業革命の影響で人口が爆発的に増加し住宅や工場が密集する一方で、緑地は次々と失われていた。特に労働者階級が暮らすロンドンの東部や南部では、公園や広場などの公共スペースがほとんど存在せず、人々は過密で不衛生な環境に置かれていた。

女性庭師の草分けファニー・ウィルキンソン女性庭師の草分けファニー・ウィルキンソン

このような背景のなか、ウィルキンソンはメトロポリタン公共庭園協会(MPGA)と共に、教会の墓地跡や空き地などを活用し、誰もが自由に使える緑地として公共庭園を都市の中に設けていった。それは単なる美観のためではなく、労働者の健康と精神のケアのための場所として機能することが重視されていた。ウィルキンソンは20年以上にわたり、労働者階級地域を中心に75以上の公共庭園を設計し整備。代表作には、ロンドン南部カンバーウェルのマイアッツ・フィールズ・パークや東部ベスナル・グリーンのミース・ガーデンズなどがある。

マンチェスターの裕福な家庭に生まれたウィルキンソンは、1882年にクリスタル・パレス園芸学校に、女性として初めて入学。ロンドン暮らしを始めたウィルキンソンの隣人は奇しくも著名な婦人参政権運動家ミリセント・ギャレット・フォーセットだった。園芸学校を卒業後、メトロポリタン公共庭園協会のランドスケープ・ガーデナーとして働き始め、86年には正式に報酬を得るプロフェッショナルな庭師としての地位を確立。87年までにはカイル協会(Kyrle Society)の造園家にもなっていた。カイル協会は、ナショナル・トラストを設立したオクタヴィア・ヒルの妹、ミランダ・ヒルにより作られ、過密な貧困地域に空間を確保し、公共庭園として整備することを目的としていた。そのような空間の一つが南部ヴォクソール・パークで、ウィルキンソンは開発業者から庭園を守るキャンペーンを成功させた。

また、ウィルキンソンは女性の権利向上にも尽力した。フォーセットの影響から女性参政権運動に関与し、スワンリー園芸大学の初代女性校長として女性の園芸教育を推進。さらに、第一次世界大戦中には女性農業・園芸国際連盟(Women’s Agricultural and Horticultural Union)の設立に関わり、女性農業労働者の育成に貢献した。ウィルキンソンの功績は長らく忘れられていたが、2022年にはロンドンのシャフツベリー・アベニューの旧居にイングリッシュ・ヘリテージによるブルー・プラークが設置され、25年7月には南部ワンズワースのコロネーション・ガーデンズに銅像が設置される予定になっている。

ファニー・ウィルキンソンブのブルー・プラーク2022年にやっとブルー・プラークが設置された

ゲリラ・ガーデナーたちの静かな抵抗

英国のゲリラ・ガーデナーは、公共空間や放置された土地に無許可で植物を植えることで都市環境に緑を取り戻そうとする活動家たちを指す。特定の団体ではなく、理念を共有する個人やグループによる緩やかなネットワークで構成されているのが特徴だ。このムーブメントが注目を集めるようになったのは2000年代初頭で、とりわけロンドン南部在住のリチャード・レイノルズ(Richard Reynolds)が04年に始めた活動が広く知られている。レイノルズはロンドン南部エレファント&キャッスルの放置花壇に、夜中にこっそり花を植えたことから、「モダン・ゲリラ・ガーデニング」として注目を浴びた。その後、ブログや書籍を通じて活動を広め、ゲリラ・ガーデニングは国際的にも知られるようになった。

反グローバリゼーション・デモ時のゲリラ・ガーデニング2000年にロンドンのパーラメント・スクエアで起きた、
反グローバリゼーション・デモ時のゲリラ・ガーデニング

現在では、地方議会の対策を待たずに自ら行動を起こす第二世代のゲリラ・ガーデナーたちが登場している。ここ数年の緊縮財政の影響で地方自治体は公共スペースの維持が難しくなり、しばしばそれらを民間に売却している。英国のシンクタンク「ニュー・エコノミクス・ファンデーション」の報告によれば、近年開発された住宅地域では、19世紀後半から20世紀初頭に建てられた住宅が多い地域と比べて、緑地の割合が最大40パーセントも少ないという。これは、まさにヴィクトリア朝時代の過密なロンドンで起きていた事態の再来ともいえる。現代においては、庭師ファニー・ウィルキンソンの役を務めているのは市民で、一般市民が街路樹の根元に球根を植えたり、路肩に在来種の野花をまいたり、空き地を区画してコミュニティー・ガーデンを作ったりと、小さなゲリラ戦士として行動している。

目立つ活動としては、ロンドン西部チズウィックで2010年に設立されたボランティア団体「アバンダンス・ロンドン」が、都市環境における自然保護と人々の自然とのつながりを取り戻す活動を行っている。主に植栽を中心とするが、カウンシルに許可を得ての活動と、時にゲリラ・ガーデニングによって、地域に新たな緑化空間を生み出そうと奮闘中だ。

庭にまつわるイベント3選

ロンドンで開催のさわやかな初夏の時期にふさわしいイベントを紹介。

1歴史から学ぶガーデニング Unearthed: The Power of Gardening

中世薬草学の写本「Old English Herbal」中世薬草学の写本「Old English Herbal」

大英図書館では、ガーデニングという行為がいかに人々に癒やしを与え健康を促し、地域のつながりを深めたり、見捨てられた空間を再生し、社会に変化をもたらすかを明らかにするエキシビションを開催中。園芸がどのように進化してきたのか、植物が大英帝国時代の植民地や自治領などから運ばれた経緯を探るほか、ガーデニングが気候変動による自然界への影響をいかに和らげることができるかという未来の可能性にも目を向ける。

また本展では、園芸がいかに社会的、政治的運動と関わってきたかにも焦点を当てる。例えば、イングランド内戦期(1642~51年)に囲い込み政策に抗議したディガーズ(Diggers)やトゥルー・レベラーズ(True Levellers)と呼ばれた農民たちの活動、20世紀初頭の都市計画運動であるガーデン・シティ運動、そして現代においては、種入りの爆弾(Seedbom)を使って放置された都市空間に花を植えるゲリラ・ガーデナーたちなどが紹介されている。ハイライトは、英国初の園芸マニュアル、ビーグル号の航海で植物標本を収集するために使用されたチャールズ・ダーウィンの導管、そして唯一現存するイラスト入りの「Old English Herbal」という中世薬草学の写本だ。

Info
Unearthed: The Power of Gardening
2025年8月10日(日)まで
月、水~金 9:30-18:00 火 9:30-20:00
土 9:30-17:00 日 11:00-17:00 
£15

British Library
96 Euston Road, London NW1 2DB
Tel: 01937 546 654
King's Cross St. Pancras / Euston
https://events.bl.uk

2秘密の花園に潜入できる London Open Gardens

テート・モダンの敷地内にあるコミュニティー・ガーデンテート・モダンの敷地内にあるコミュニティー・ガーデン

歴史的な建造物や優れたデザイン建築の内部が一般に公開される、毎年恒例のイベントに「オープン・ハウス・ロンドン」があるが、こちらはそのガーデン版。普段は非公開のロンドンの隠れた庭や緑地100カ所以上が一般公開される、2日間の特別なイベントだ。主催はチャリティー団体のロンドン・パークス&ガーデンズ(London Parks and Gardens)で、訪問者は歴史ある中庭や屋上庭園、コミュニティー・ガーデン、アロットメントなど、多様な緑地を巡ることができる。また、ガイド付きツアーやサイクリング・ツアーなども用意されているほか、庭園の管理者や専門家から直接話を聞く機会もある。首相官邸であるダウニング街10番地の裏庭など、特別な場所へのアクセスは残念ながら早期締め切りの抽選制だが、ほかにも魅力的な庭が多数公開される。

なお、このイベントの収益は、ロンドンの都市緑地の保護と維持活動に充てられる。庭を通じて、都市の歴史や文化、そして人々の生活とのつながりを再発見する貴重な機会となるはずだ。公式サイトでは、今年公開される庭園の基本情報が確認できるほか、あらかじめ予約しないと入場できない庭なども、同サイトから予約できる。

Info
London Open Gardens 2025
2025年6月7日(土)、8日(日)
£24(2日券のみ。事前予約ガイド・ツアーは別料金。
12~17歳は£10、11歳以下は無料)
https://londongardenstrust.org

3緑や庭の大切さを学ぶための新しい施設 OmVed Gardens

さまざまなイベントが開催予定のOmVed Gardensさまざまなイベントが開催予定のOmVed Gardens

ロンドン北部ハイゲートにあるOmVed Gardensは、5月31日、英国初の「食・エコロジー・創造性のためのセンター」を標榜した教育施設をオープンする。もともと地域住民のためのガーデン・センターだった土地が、大人も子どもも楽しみながら自然との共存を学べる場所に生まれ変わった。開館に先駆けて発表された2025年の年間プログラムは、「しなやかな回復力を育む」(Growing Resilience)をテーマに、先に述べたロンドン・オープン・ガーデンズや、都市に緑を増やすことの大切さを提唱するグロウ・アーバン・フェスティバル(6月7~15日)などと連携しながら、さまざまなイベントを展開していく予定だ。

このセンターでは、種まきから発芽、成長、収穫、そして食卓に上るまでの食用植物のライフサイクルを学べ、訪れる人々が五感を通して自然とつながる場となる。文字通り、そして比喩的にも「種をまく」ことを重視し、健やかな未来のために今できる小さな行動を育てていくことを目指す。プログラムは大きく三つの軸に分かれている。

「庭から学ぶ」ことをテーマにした体験型プログラムが並ぶ、ワイルド・ラーニング(Wild Learning)では、ガイド付きの庭園ツアー、生態観察、コンポストや種の保存、植物種の識別など、身近な自然の中にある複雑で繊細なつながりを探る。7月20日には、エコロジストのキラン・リー氏による「バタフライ・バイオブリッツ」が開催され、野生生物調査の機会を提供する。

ヘルシー・ハビッツ(Healthy Habits)では、「再生する庭」と題した全5回のワークショップ(6~11月)を通して、自然との関わりや持続可能な栽培法を学ぶ。また、8月30日には「家庭のハーバリズム」として、野草やハーブを安全に採取、栽培し、チンキやお茶などを作る方法を学ぶ実践講座も予定されている。

最後は、自然をインスピレーション源とした創作活動や対話の機会が設ける、ネイチャー・レッド・クリエイティビティー(Natureled Creativity)。「納屋の対話」(Barn Conversation)と題されたセッションでは、各回にアーティストのヴィヴィアン・シャディンスキー氏や研究者のヘレン・バーナード氏、造園家ポール・ガザーウィッツ氏らが登壇し、「自然とともに設計する」などのテーマで語り合う。

Info
OmVed Gardens
2025年5月31日(土)~ 詳細はウェブサイトを参照
1 Townsend Yard, London N6 5JF
https://omvedgardens.com
 

英国の風呂事情 - 温泉地もご紹介

温泉地もご紹介!英国の風呂事情

日本人にとって入浴行為は体の汚れを落とすだけでなく、心や身体をも癒やす大事な習慣だ。一方の英国では、実際にバスタブ付きの住宅は多いものの、湯船に浸かりながら髪や体を洗うなど、その使い方には異なる部分がある。今回は、英国の風呂文化の歴史やお勧めのスパ・タウンまで、お風呂にまつわる情報について調べてみた。
(文: 英国ニュースダイジェスト編集部)

参考: www.independent.co.ukwww.historic-uk.comwww.english-heritage.org.uk ほか

英国の風呂事情

数字で見る英国の風呂事情

入浴はシャワー派57%
風呂派32%

シャワー派の約75%は水が溜まるのを待つ必要がなく、手早く浴びられるためにシャワーを好む

英国人は月に20回シャワーを浴び、
8回入浴する傾向がある

シャワーに費やす時間は9分20秒
入浴は25分4秒

シャワー派の41%が毎日シャワーを浴び、
入浴派は日曜日に入浴する傾向がある

シャワー派の約33%
入浴派の25%が最中に歌を歌う

28%が入浴の際に
体を洗わずに浸かるだけ

時短を好む男性はシャワー派
リラックスのために 女性の方が入浴をより好む

参照: ヴィクトリアン・プラミング社が委託した2000人の成人を対象とした調査、ソーク&スリープ社が行った2300人の成人を対象とした実態調査

水の量はシャワーも風呂も同じくらい?

水の効率的な利用と保全を推進する独立系非営利団体ウォーターワイズの調査によると、平均的なサイズの浴槽に並々と水を入れるとその容量は約180リットルになるが、実際の入浴時には約80リットルの水を使っているそう。シャワーの場合はタイプによるが、10分間使用すると120~150リットルを消費する。どちらを使用すると安いかに関しては水道代の請求がメーター制か否かによって変動するものの、シャワーや入浴などお風呂にかかわる水は、家庭における全水道代の33パーセントを占めているそうだ。

公衆浴場は古代からあった 英国と風呂の歴史

ローマ人が誇りを忘れないために導入

現在では昔ながらの公衆浴場を英国で見ることは難しいが、20世紀中ごろまでは存在していた。英国と公衆浴場の歴史には、古代ローマ人が深く関わっている。その中心地は英西部バース。43年にブリテン島に上陸したローマ人は、バース周辺に自軍の拠点を構えていた。その近くには、すでにこの地に住んでいたケルト系のブリトン人が崇拝する女神スリスの神殿としていた天然温泉があり、ローマ人はこの女神を自分たちが信仰する知恵、正義、芸術の神ミネルヴァに重ね合わせ、ブリトン人にスリス・ミネルヴァとして崇拝することを奨励した。この温泉地から、大規模な古代ローマの公衆浴場、テルマエ(Thermae)が作られたという。この時代の公衆浴場は、共有の浴槽と温度の異なる部屋を備えており、家族や友人、そして地域社会の人々の語らいの場として機能していた。ブリトン島全域では、大規模な公衆浴場からローマ人の上流階級の個人浴室まで、さまざまな形式の公衆浴場の遺跡が発見されている。基本的には、非ローマ人と差別化し「ローマ人であること」への意識付けのために、ローマ人のみが利用していたが、英西部のロクシター(Wroxeter)などには公営の大浴場があり、安い料金設定で一般の市民が利用できるように開放している場所もあった。

英北部チェスターに残る古代ローマ時代の浴場英北部チェスターに残る古代ローマ時代の浴場

バースにある冷水浴槽。火照った体を冷ますのに使われたバースにある冷水浴槽。火照った体を冷ますのに使われた

公衆衛生上の懸念

ローマ帝国崩壊後の英国の入浴事情に関する詳細な情報は残されていないが、1138年ごろの文献にイングランド全土から病人や癒やしを求めた人々がバースの温泉を訪れたことが記されている。また、カトリック教徒が英国国教会に反旗を翻す陰謀を企てることを恐れたヘンリー8世が公共温泉での入浴を禁止する令を1537年に出したが、74年にバースを訪れたエリザベス1世が温泉を再び市民に開放するよう宣言したことも、歴史の一端として現在に伝わっている。

こうした公衆浴場は1660~1815年に多数作られ、イングランドでは48以上の温泉施設が開業。その周囲には劇場や商店、宿屋などが立ち並び、訪れた観光客を楽しませた。この時代の浴場は貴族と庶民が等しく利用したが、一方で英国の温泉の原点ともいえるバースでは、富裕層や権力者がその恩恵を受けていた。やがて1846年に浴場と洗濯場法(Baths and Washhouses Act)が制定され、貧困層が洗濯できる公共施設のネットワークが整備されたことで状況は一変。この法は主に病気の撲滅を目的とし、同時により幅広い社会層に入浴の機会をもたらしたほか、公共プールが生まれるきっかけとなった。その後英国全土に公衆浴場やライド(遊泳施設)が見られるようになったが、1970年代後半以降、公共サービスの削減が進み、全国の公衆浴場は次々に閉鎖されていった。

かつて英東部マーゲートにあったライドのサインは今も残されているかつて英東部マーゲートにあったライドのサインは今も残されている

英国の風呂、温泉にまつわる豆知識

1. スパと温泉の違い

スパと温泉の違い

英国の温泉地はスパ(Spa)として知られ、水着を着用して男女兼用の温水・冷水のプールやジャクジーで楽しむことが基本。また、エステやマッサージなど、リラクゼーション効果を高めるための施設が併設されていることが多い。日本の一部の源泉は水温が100度を超えるが、英国は11~46度とかなりぬるめ。熱い湯に浸かる体験はできないものの、家族で一緒にプールに入り、疲れたらジャクジーやマッサージで心身を癒やすというレジャー的な楽しみ方ができる。なお、スパでは土足と裸足エリアが曖昧なので、気になる場合はサンダルなどを持参すると良い。

2. 風呂の入り方の違い

風呂の入り方の違い

英国のお風呂はシャワー・ブースのみ、浴槽付きなど住宅によってさまざま。日本式ならまず浴槽に入る前にシャワーで汚れを落とす洗い場があるが、このタイプの浴室はほとんど見られない。では、英国人はどこで体を洗うのか。個人差はあるものの、①お湯を張った浴槽の中で体を洗って水を抜き、シャワーを浴びて終了、②浴槽の中で体を洗って水を抜き、再度新しいお湯を張ってしばしリラックス。その後、シャワーを浴びて終了、というパターンがメジャーな模様。なお、体を洗った浴槽のお湯を抜かずに次の家族の誰かが使い回す、という場合もあるようだ……。

3. 英国発のLUSH

英国発のLUSH

日本でも人気のある、バス用品やハンドメイドの化粧品を取り扱うLUSH(ラッシュ)は英南部ドーセットで1995年に創業。店の主力商品であるバスボムは浴槽に入れて楽しむ入浴剤で、肌の調子を落ち着かせる効果があるほか、万華鏡のような鮮やかな色彩で五感を高揚させて入浴時間をより有意義なものにするために誕生した。開発のきっかけは解熱剤として使用される錠剤で、水に溶かすとシュワシュワと弾ける様子からインスピレーションを受けたそう。なお、この発砲がバスボムに配合されたエッセンシャル・オイルをお湯に溶かすのにベストな方法なのだとか。

4. 多様なお風呂スタイルが集結する英国

多様なお風呂スタイルが集結する英国

1940~50年にはまだ入浴設備が整っていない家庭も多く、簡易なブリキの風呂にお湯を溜めて入ったり、子どもならシンクで体を洗ったりと、まだまだ公衆浴場は必要とされていた。その後、風呂付きの新興住宅が開発されるに従い公衆浴場は姿を消していくが、このときにはすでに英国はロシアやトルコ、モロッコから多くの移民を受け入れており、多様な文化背景を持つ人々が共に暮らす社会へと移行していた。そうした影響もあり、ロンドンほか英国の都市部ではバーニャやハマムなど、各国の伝統的な浴場文化に根ざした公衆浴場が現在も利用できる。

英国にあるスパの街

バース Bath

バース Bath

英西部にある街で、46度の天然温泉の周りに築かれた史跡のローマ浴場(Roman Baths、見学のみ)とその神殿は必見。浴場はほぼ完全な状態で残っており、彫刻や貨幣、宝飾品、そして女神スリス・ミネルヴァのブロンズ像の頭部など貴重な遺物も展示されている。神殿の上階にある18世紀にできたポンプ・ルームはぜひ訪れたい。現在はカフェになっており、ジョージアン王朝時代の娯楽の中心地であったこの場所で、ドリンクや軽食を楽しむことができる。スパ体験を楽しむなら、テルマエ・バス・スパがお勧め。

行き方
ロンドンのPaddington駅からBath Spa駅まで約1時間20分

バクストン Buxton

バクストン Buxton

英中部ダービーシャーにある温泉地。古代ローマ人はこの地の天然の温泉に惹かれ、70年ごろにバクストン周辺に定住し、森の女神アルネ・メティアを祀る神殿と温泉浴場を建設した。その後、スチーム風呂を好んだ第5代デヴォンシャー公爵が1780年にジョージアン王朝様式で三日月状の建物を作り、そこにスパ・ホテルを建築。現在はバクストン・クレセント・ホテルと呼ばれ、化学処理を施していないミネラル豊富な水を注入した温水プールや、アロマのスチーム・ルームを楽しむことができる。

行き方
ロンドンのEuston駅からStockport駅で乗り換え、Buxton駅まで約3時間

グレート・マルヴァーン Great Malvern

Great Malvern

英中西部ウースターシャーにあり、マルヴァーン丘陵の岩で濾ろか過された湧き水を求め、フローレンス・ナイチンゲールやチャールズ・ダーウィンなど著名な人物も訪れた街。ヴィクトリア朝時代には、裸の状態で湧き水に浸したシーツにくるまり、冷たい風呂に横たわる「水療法」を求めて多くの人々が訪問したという。街は数多くの泉に囲まれており、そのうちの一つセント・アンズ・ウェル(St Ann’s Well)では飲泉も可能。また、ザ・マルヴァーン・スパには天然の湧き水を利用したスパ施設がある。

行き方
ロンドンのPaddington駅からGreat Malvern駅まで約2時間20分

ハロゲート Harrogate

Harrogate

1571年に硫黄泉が発見された街。1700年代までには、井戸や装飾的な浴場が数多く建設された。当時の裕福な湯地客は、現在博物館となっているロイヤル・ポンプ・ルーム(Royal Pump Room)という八角系の独特なデザインが目を引く建物で、ハロゲートの水を飲んでいたという。現在湯浴みを楽しむなら、1897年に開業した旧ロイヤル・バスの複合施設内にあるトルコ風呂がお勧め。ヴィクトリア朝時代のトルコ風呂は国内で七つしか残っておらず、その中でもここは特に保存状態が良好とされている。訪問には事前予約を。

行き方
ロンドンのKings Cross駅からHarrogate駅まで約2時間50分

 

和太鼓奏者TAKUYAさんインタビュー【後編】ロンドン和太鼓ソロ公演開催!

2025年5月23日(金)ロンドン 和太鼓ソロ公演

和太鼓=日本のクラシックを
欧州で広めたい
和太鼓奏者 TAKUYAさん インタビュー <後編>

和太鼓奏者、TAKUYAさん

5月23日(金)、ドイツ在住の和太鼓奏者のTAKUYAさんがロンドンのキングス・プレイスで公演する。1674号に続く今回のインタビューでは、TAKUYAさんが目標としていたオーケストラとの共演とその裏話、また和太鼓に対する熱い思いを伺った。
(取材・文: ニュースダイジェスト編集部 写真クレジット:JUMPEITAINAKA)

Information

Takuya Taniguchi: The Taikoist 2025年5月23日(金)
19:30~20:50(休憩なし)
£10~40(手数料別)
主催: Mu:Arts, Kings Place
助成: Great Britain Sasakawa Foundation
演出: JUMPEITAINAKA

Kings Place
90 York Way, London N1 9AG
Tel: 020 7520 1440
King’s Cross駅 / 地下鉄King’s Cross St. Pancras駅
www.kingsplace.co.uk/whats-on/contemporary/takuya-taniguchi-the-taikoist/

Profile

Takuya Taniguchi
谷口卓也

和太鼓奏者、TAKUYAさん

1983年生まれ。福井県出身で現在はドイツのミュンヘンに在住。3歳から和太鼓を始め、99年に「天龍太鼓」の指導者となる。2003年、和太鼓の第一人者、林英哲の主宰する「英哲風雲の会」のオーディションに合格し、プロ・デビュー。11年に渡独。プロ活動開始から訪れた国の数は24を超える。
https://taiko-ist-takuya.jp/en

─ 子どものころから作曲されていたそうですが、奏者が曲作りも行うことは和太鼓業界ではよくあることなんでしょうか。

とても珍しいことだと思います。地元北陸の太鼓には、御陣乗ごじんじょ太鼓と呼ばれる、一つの太鼓を二人で打つというスタイルの演奏があります。一人がベースで同じテンポのグルーヴを打ち続けて、もう一人が即興で打つ、というものです。通常はある程度練習してから即興に移っていくのですが、僕の場合、最初から、お前の好きなように打て、と言われていました。

ただ、僕に指導してくれたおじいちゃんの引退をきっかけに、即興のできないメンバーのために曲を作らなければいけない状況になりました。作曲未経験だった当時は頭で思い描いた音を覚えてメモを取り、絵を描くように構成を考えていました。その後プロになってからオーケストラと演奏することになり、譜面の読み方や書き方を学んでいきました。音楽理論を身に付けた上で作曲をする傍ら、即興にも柔軟に対応できるというのが僕自身の強みになっていると思います。

─ オーケストラとの共演を果たされていますが、その原動力は何だったのでしょう。

僕がなぜオーケストラと共演したいかというと、和太鼓を欧州で身近に感じてもらうためには、欧州に根付く伝統音楽であるクラシックに取り込んでもらうことが、その近道であると考えたためです。和太鼓という日本のクラシックをオーケストラという欧州のそれと合わせることによって両文化の融合を行い、和太鼓をもっと欧州に浸透させていけると思っています。実際、現地のオーケストラと合わせるのに、和太鼓の音量に対する懸念から、ミーティングやリハなどを積み重ねる必要があり、約2年の月日がかかりました。そのような状況でも、僕は必ず成功するという確信がありました。和太鼓の音は包み込むような音なので、オーケストラが奏でる壮大な曲に合います。僕自身が作曲するときにはオーケストラをイメージして、その壮麗な世界観を大切にした楽曲に仕上げたいという意識で取り組んでいます。ソリストだからこその感覚を研ぎ澄まし、僕にしかできない繊細な表現を磨くことで、現地のクラシックの音楽家の方々に認めていただけるレベルに上げていかなければならないと思っています。

そのために必要なことは何でも挑戦しなければなりません。例えばオーケストラとの共演用のばちは自分で作っています。昔「東急ハンズとお友達」と言っていましたが(笑)、ホームセンターで材料をそろえて作曲家の意向に合う音を追求できる撥を自作しています。ちなみに、過去に関わった舞台の音響担当者には、和太鼓とパイプオルガンの調整が最も大変だと言われました。それぐらい音が大きいことは確かです。ただ、実際に僕の太鼓を聴いてこんな繊細な音も出せるんだ、と驚かれた際には、努力が報われた感覚でうれしくなります。

─ オーケストラには指揮者がいますよね。しかしTAKUYAさんは指揮者に背を向けて演奏されていらっしゃいます。これはどういうことでしょうか?

そうなんです! 背を向けると見えないんですよ指揮者が……(笑)。なので小型のモニターを設置して確認しています。ただ、団員の方には指揮者の動きを気迫で感じているのかと聞かれたことがあり、いやそんな超能力はなくてちゃんとモニターで見てます! と答えました。どんな舞台でも僕はパフォーマンスを美しく魅せたい、という思いがあります。満月のような和太鼓が舞台の中央に置かれ、奏者が背中を向けて打つことで全てのシーンが絵になるように。プロであれば、舞台を限りなく理想に近い形にするにはどうすれば良いかを常に考えなければなりません。

現地の皆さんに日本の素晴らしさを伝えるためには妥協せず、本物を伝える術を常に見いだしていかなければなりません。それがどんな場面でもできる奏者であり続けたいと思っています。

2024年4月ブリッジ・オーケストラとの共演2024年4月ブリッジ・オーケストラとの共演

─ ドイツと日本で購入された和太鼓を使われていますが、打った感触など何か違いは感じますか。

どこで作られた楽器でも、手にした瞬間から「育てていく」必要があります。和太鼓はもともと強めに皮を張ってあるため、年月が経つにつれ、打ち込んでいくことで良質な音に変化していきます。自分が育てた音色で演奏したい思いが強いので、車で行ける場所には自ら運転して自分の楽器を運んでいます。僕にとって楽器は体の一部であり、何よりも大切なものです。

─ まもなく行われるロンドン公演に向けての意気込みをお聞かせください。

2011年にドイツに移住してから24カ国、100都市以上での公演を重ねてきました。僕が太鼓と共に歩んできた道がついにロンドンへとつながり、そして新たな道が開かれていくことに胸が躍っています。前例のない和太鼓ソリスト・コンサートをお届けしますので、ぜひお越しください。ロンドンの皆さまにお会いできるのを楽しみにしております。

 

和太鼓奏者TAKUYAさんインタビュー【前編】 ロンドン和太鼓ソロ公演開催!

PR
2025年5月23日(金)ロンドン 和太鼓ソロ公演

和太鼓・新時代の幕開け
無限の可能性に挑む
和太鼓奏者 TAKUYAさん インタビュー <前編>

和太鼓奏者、TAKUYAさん

5月23日(金)、ドイツ在住の和太鼓奏者のTAKUYAさんが英国デビュー公演をする。ロンドンではこれまで数々の和太鼓グループがパフォーマンスを行ってきたが、ソリストとしてのパフォーマンスはTAKUYAさんが初めてだ。日本人なら誰しもが和太鼓といえばグループでの演奏というイメージを持っていることが多いが、TAKUYAさんは和太鼓を「オーケストラの演奏ともよく合う」繊細な音が出せる楽器だと表現する。これまでの伝統的なイメージが良い意味で一蹴されることを願い、その可能性が無限であることをさらに人々に知ってもらうため、TAKUYAさんはドイツを拠点に日々精進している。本インタビューでは、舞台上での雄々しい姿とは異なる、温厚で柔和なTAKUYAさんの素顔や、「和太鼓を打つために生まれてきた」、といっても過言ではない和太鼓への熱い思いについて、2号に分けて紹介する。
(文: 英国ニュースダイジェスト編集部)

Information

Takuya Taniguchi: The Taikoist 2025年5月23日(金)
19:30~20:50(休憩なし)
£10~40(手数料別)
主催: Mu:Arts, Kings Place
助成: Great Britain Sasakawa Foundation
演出: JUMPEITAINAKA

Kings Place
90 York Way, London N1 9AG
Tel: 020 7520 1440
King’s Cross駅/地下鉄King’s Cross St. Pancras駅
www.kingsplace.co.uk/whats-on/contemporary/takuya-taniguchi-the-taikoist/

Profile

Takuya Taniguchi
谷口卓也

和太鼓奏者、TAKUYAさん

1983年生まれ。福井県出身で現在はドイツのミュンヘンに在住。3歳から和太鼓を始め、99年に「天龍太鼓」の指導者となる。2003年、和太鼓の第一人者、林英哲の主宰する「英哲風雲の会」のオーディションに合格し、プロ・デビュー。11年に渡独。プロ活動開始から訪れた国の数は24を超える。
https://taiko-ist-takuya.jp/en

2024年4月ブリッジ・オーケストラとの共演2024年4月ブリッジ・オーケストラとの共演

ソリストとしての意識

─ グループで演奏するイメージが和太鼓にはあるのですが、ソリストとして活躍するにはどんな素質が求められるのでしょうか。

僕は「Taikoist」(タイコイスト)として日々活動しています。この名義はピアニスト、ヴァイオリニストのように「太鼓のスペシャリストでありたい」という思いで、自分自身で作った言葉です。和太鼓のプロ奏者はそもそも数が少ないので、ソリストはさらに希少です。また、現在和太鼓のプロのソリストとして欧州で活動しているのは僕だけです。ソリストとして舞台をたった一人で80分やり遂げるというのは誤魔化しが一切効かないため、体も鍛えてパフォーマンスに説得力を持たせないといけませんし、舞台上の一つひとつの所作で観客に分かってもらえないといけません。19歳のときに師匠の林英哲はやしえいてつが主宰する「英哲風雲の会」のオーディションに合格してプロ奏者になりましたが、林英哲師匠と共に訪れた世界各地の一流の舞台で、その振る舞いを学ばせていただきました。今回のコンサートでは、演奏にことや笛も使用することで演奏の幅を広げ、日本舞踊や武道で培った日本の伝統的な所作を総合的に生かすことにより、一人での舞台を成立させることができると信じています。それはとても時間がかかるプロセスですが、日々研鑽していないと表現できないことだと思っています。

「太鼓奏者は音楽家であり、スポーツ選手であり、俳優である」と言い表されるくらい、ソリストには多くの要素を求められます。それを理解することがソリストとして持つべき意識だといえます。和太鼓というシンプルな楽器を使って、リズムだけではなくメロディーとして聴かせるには、音楽家としてのセンスも問われます。数回続く公演でも、毎回少しずつ向上させていきたい、という思いが積み重なって、唯一無二のソリストとしての活動ができていると思っています。

人生を賭けて和太鼓に打ち込む理由

─ 和太鼓との出会いについて教えてください。

和太鼓は3歳のときに始めました。最初、僕がお茶碗を箸で打っている姿を見た両親が、本物の和太鼓を買ってくれたのです。そのことが本格的な和太鼓を始めるきっかけとなりました。僕の故郷の福井県は和太鼓が盛んな地域で、太鼓を打っても周囲の迷惑にならない環境が整っていました。また、地元のお祭りで小学生が和太鼓を打つイベントがあり、僕は小さいときからそれを見て家で真似していたんですが、そのグループで教えていたおじいちゃんが、「お前うまいな!」と褒めてくれまして。子どもグループでの活動が終わった後も、自分はもっと太鼓が打ちたいと強く思ったため、そのおじいちゃんが主宰する「天龍太鼓」というグループに入りたいとお願いしました。結婚式などお酒の席での演奏が多かったため、当初は断られましたが、最終的には10代の僕をメンバーとして受け入れてくださり、そこから結婚式やお祭りを行脚する活動が始まりました。そういったさまざまな出会いや環境が整ったことで、僕は和太鼓の道に導かれました。それ以来、僕の人生はずっと和太鼓と共にあります。僕がまだ中学生だったころ、主宰者だったおじいちゃんの引退を機に、1999年に「天龍太鼓」の指導者になりました。僕の妹や弟、同世代の若いメンバーも加わり、僕が率いていく中で、子どもたちに教える楽曲を作り始めました。そういった作曲やグループへの指導経験が今の演奏活動にも生かされています。地元福井大学で建築を学び、大学卒業後は上京し、すぐに林英哲師匠の元で活動を始めました。

─ 2011年に渡独されましたが、その当時のことを教えてください。

僕がまだ福井にいたころ、ドイツのジャズ・トリオが福井で公演を行ったんですが、公演前にジャズと和太鼓のセッションはどうかと、主催の方から提案されました。そのセッションが成功し、その後も交流を続けて数年が経ったころ、メンバーの一人、ジャズ・ピアニストのワルター・ラング氏から日独交流150周年を記念して「友情」というCDを作ってツアーをしようと誘われました。当時プロになりたての僕は、二つ返事でお受けしました。そして2011年にドイツ・ミュンヘンを初訪問。到着してすぐ、何かの導きか、和太鼓を所有するドイツ人に出会いました。在独以来、家を自分で建てるなどドイツ人の器用さに驚かされていましたが、その方はさらに自分で和太鼓を作ると言い出しまして(笑)。それを聞いてとても面白いと感じ、「日本の文化にも興味を持ってくれているんだ」と知ったことが定住するきっかけになりました。日本で積み上げてきたキャリアをさらにレベルアップさせるためにも、海外でチャレンジしたいという思いに完全に火がついたのです。ミュンヘンでは、バイエルンで活躍するクラシックの作曲家とも出会う機会に恵まれ、和太鼓の曲を書いてくださることになりました。当時、すでにドイツでは和太鼓が流行していて、西部デュッセルドルフに「KAISER DRUMS」という太鼓専門店があることも分かりました。そこから買った大太鼓を前述のドイツ人の友人が貸してれまして、おかげで僕はドイツに来た当時からスタジオで和太鼓の練習ができました。今思うと、本当に幸運で数奇な出来事の連続だったと感じます。

2023年12月東京南青山MANDALAでのライブの様子2023年12月東京南青山MANDALAでのライブの様子

ロンドン公演について

─ 「ライブで和太鼓を聴く」魅力について教えてください。

和太鼓は「倍音」という、高い音と低い音が同時に鳴っている楽器なんです。実はこの音は心臓の音に似ているといわれていて、懐かしいと思われたり、涙が出るという方がいらっしゃいます。心音に似ているがゆえに、あれだけ大きい音であるにもかかわらず、しばらく聴いていると子どもが寝てしまうそうです。宇宙的で原始的、とてもシンプルでありながら心に強く響いてくる。太鼓はライブで聴くことで音の振動が直接体に伝わり、五感で楽しむことができます。しかし、CDにマスタリングする際は、この心地良い音域がカットされてしまうこともあります。CDももちろん良いのですが、やっぱり太鼓の本当の良さを知るには、生で直接聴いていただくのが最も理想的だと思います。和太鼓は木をくり抜いてそれに牛の皮を張って作った楽器なので、音は金属的なそれではなく、自然の音に限りなく近い。とても壮大で、何かインスピレーションを与えてくれる楽器だと思っています。今回のロンドン公演では、いろいろな種類の和太鼓を使って演者は僕一人で演奏し、表現します。

─ ロンドン公演は今回が初めてですよね。

ロンドンはレコーディングで来たことはありますが、公演は初めてです。僕の印象として、ロンドンは人々が礼儀正しく、文化や歴史もある。そして何よりも舞台人にとっての聖地だと思っています。舞台人が皆目指す場所。そこで前例のない和太鼓ソリストとして公演を行えることは非常に光栄で、それを僕ができる、ということの喜びを噛み締めつつ、皆さまの太鼓のイメージを刷新したいと思っています。また、ソリストとしてできる無限の太鼓の可能性、その証明を皆さまに体感していただく機会になると思っています。

─ 最後に、ロンドン公演への意気込みと読者の方々へメッセージをお願いいたします。

今回の公演タイトルが「阿吽あうん」なんですが、まさに繰り返す呼吸をするように、僕は人生を賭して太鼓を打ち続けてきました。太鼓は僕の体の一部なんです。今まで歩んできた道がロンドンにつながり、そしてこの公演の後にこれから歩む道がどうなっていくのか。その経過の大切なターニングポイントとなる今回のコンサートをぜひ会場で皆さまに見ていただきたいです。皆さまに太鼓を「音楽」として捉えて、五感で感じていただきたいです。そして和太鼓の可能性が無限に広がる瞬間を共有し、新たな時代の目撃者になっていただきたい、と強く願っています。

公演では、ドイツ在住の写真家であり演出家のアーティスト、JUMPEITAINAKA氏による視覚的な効果も盛り込む予定です。この演出は僕も初めての試みで、目の肥えたロンドンの皆さまに見ていただくのは緊張もありますが、とても楽しみですし、キングス・プレイスのような素晴らしい会場で公演ができるのは非常に光栄です。

 
<< 最初 < 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 > 最後 >>

Dr 伊藤クリニック, 020 7637 5560, 96 Harley Street Ko Dental 24時間365日、安心のサービス ロンドン医療センター お引越しはコヤナギワールドワイド

JRpass totton-tote-bag