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Mon, 15 December 2025

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歩いて歴史を体感するパリ散策ガイド

歩いて歴史を体感するパリ散策ガイド

パリのイラスト Illustrations: ©︎Kanako Amano

オリンピックの開催に向けて、パリにはますます多くの観光客が訪れることが予想されている。混雑したところが苦手……でもパリに行きたい!そんな悩みに応えるべく、人気YouTubeチャンネル「フランスガイド中村」でパリの魅力を発信する中村じゅんじさんに、ただ歩くだけで120%パリ観光が楽しめる方法を伝授いただいた。

お話を聞いた人
中村じゅんじさん 中村じゅんじさん
地方都市レンヌで哲学を学び、2014年にフランス政府公認ガイドの資格を取得。2020年からYouTubeチャンネル「フランスガイド中村」で、歴史や美術をテーマにパリの観光情報を発信している。パリ在住。
https://www.youtube.com/@franceguidenakamura

パリが世界中の人から愛される理由

200年以上前から観光都市⁉

パリの観光都市としての歴史は長く、「グランドツアー」が始まった17世紀ころまでさかのぼります。グランドツアーとは、英国の裕福な子どもたちが学業を終えるときに参加する修学旅行のこと。数カ月かけて欧州を旅するのですが、最初の行き先といえばフランスだったんですね。宮殿や美術館、高級レストランに行くなどして、歴史文化や社会について学んだのです。そういう人たちがパリに来るので、現地では受け入れ態勢が必要になります。そのためにホテルができたり交通網が発達したりしました。観光ガイドの仕事が始まったのもこの頃です。

 

パリは観光客が来ることを前提にして街づくりがされてきたので、街中に観光客がたくさんいるのは当たり前のこと。ですから、昨今いわれている「オーバーツーリズム」は、実はパリではデフォルトなんですね。もし人が多いのが嫌だったら、この街を去るしかないですから。ただし、コロナ禍を経て人数制限のために要事前予約の美術館や博物館が増えてきたので、行く前に確認することをおすすめします。

100人いたら100通りのパリ

コロナ禍が始まってから、YouTubeでパリの歴史や文化を解説しているのですが、動画を見た方からさまざまなメッセージをいただきます。「ここは亡くなった母と一緒に歩いたところなんです」、「私は今施設に入っているので旅行はできないのですが、もう一度あの時のパリが見られてうれしいです」。動画に映し出された場所にはお母様との思い出があったり、あるいは若い時に留学していた自分が歩いた道だったり、それぞれのパリがあるんですよね。

そこで僕は、「100人いたら100通りのパリ」があることに気付いたんです。世界中から観光客が来て、愛されているパリだからこそ可能なんだと思います。

パリの魅力はずばり「歴史」

パリはそんな個人の想いが重なっていると同時に、フランス革命の中心になったり、印象派画家が第一回印象派展を開いたり、ものすごくたくさんの歴史的事件が起こった場所。パリはファッションの街だったり、グルメだったり建築だったりとさまざまですが、僕にとってはやはり「歴史のある街」です。

パリは歴史を大切に保存しようとする努力を絶え間なく続けてきました。実はフランス革命時には、すでに歴史的建造物を保護するという概念が生まれています。革命や暴動で建物が破壊されて、平等の観点から誰もが文化にアクセスできるようにするため、建物を保護しようとしたんですね。少しずつ制度が形作られていき、本格的に法整備されたのは第一次世界大戦の時。最初は建物だけが対象でしたが、周りの建物が近代的になると保護した建物の価値が半減してしまう。本当の価値を守るため、第二次世界大戦後には歴史保護地区という概念が生まれました。

こうしてパリは、歴史の中で現代的な生活が営まれるような独特な世界になっていきました。さらに街中には、歴史的な場所を示すパネルが無数に貼られています。街歩きも歴史を軸にしてやってみると、いろいろなことが見えてきますよ。次ページからは、そんな歴史を体感できるパリの散策コースを二つに分けてご紹介します!

ピカソのパネル「ピカソは1936~55年にここに滞在し、1937年に『ゲルニカ』を描いた」と書かれたパネル

歴史を体感するパリ散策

マレ地区編
Le Marais

人気の高いマレ地区は、パリを観光するなら絶対に訪れたいエリアの一つ。ショッピングを楽しむのもいいけれど、歴史をちょっと知れば街の見え方が変わって、さらに散策が面白くなるはず!

貴族の邸宅がいっぱい! 歴史保護地区になったマレ

フランス語でマレは「沼地」の意味。その昔、セーヌ川はよく流れを変え、マレ地区は水に浸かったり乾いたりを繰り返していたそう。マレはかつて王宮だったルーヴルや王の邸宅からほど近く、王に近づきたい!という貴族たちがこぞってこのエリアに邸宅を建てた。ところが、フランス革命で貴族たちは追われることになり、邸宅だけが残されたのだった。そんなマレ地区は、1960年代にフランスで初めて歴史保護地区に指定され、建物だけでなく街全体が保護されている。建て直しが認められないため、壁が大きく曲がっていたり、エアコンが取り付けられなかったりということも。ある程度の不便さも美しい景観を守るために受け入れられているのだ。

マレ地区の地図²

MAP ❶ サン・ポール駅
Saint-Paul

出発は❶サン・ポール駅。リヴォリ通りを進むと、オテル・ドゥ・シュリーと呼ばれる17世紀に建てられた貴族の邸宅だった建物(現在は国立記念碑センター)が見える。その裏に無料で入れる❷オテル・ドゥ・シュリーの庭園があるので、ぜひ通り抜けてみよう。
Bienvenue à l'Hôtel de Sully: www.hotel-de-sully.fr

MAP ❸ ヴォージュ広場
Place des Vosges

庭園を抜けると、美しく整備された❸ヴォージュ広場に出る。17世紀にアンリ4世(1553-1610)が再開発したエリアで、広場を囲むようにしてアーチ状になったレンガが特徴的な邸宅が立ち並ぶ。その一角に住んでいたのが、あの『レ・ミゼラブル』の著者として知られるヴィクトル・ユゴー(1802-1885)だ。その建物は、現在❹ヴィクトル・ユゴー記念館になっており入場は無料。歩きながら仕事をする習慣があったユゴーが愛用していたという二段重ねの机など、ちょっとマニアックな展示品もある。
Maisons Victor Hugo: www.maisonsvictorhugo.paris.fr

ヴォージュ広場

MAP ❺ カルナヴァレ美術館
Musée Carnavalet

ナポレオン3世(1808-1873)の第二帝政時代、ジョルジュ・オスマン男爵の主導のもとパリ大改造計画が実施された。まだ中世的な街並みだったパリを近代化するため、大きな道路を通すのに建物は次々解体されていった。一方で、豪華なしつらえがもったいないと思った男爵は、邸宅や店舗の内装だけを別の場所にそっくりそのまま再現することに。現在も❺カルナヴァレ美術館として現存し、それらを見ることができる。先史時代から今日に至るまでの歴史を紹介し、歴史好きなら一日いられてしまうほどの充実ぶり。それでいて入場無料!
www.carnavalet.paris.fr

カルナヴァレ美術館

MAP ❻ 老舗ゴーフル店「Méert」

小腹が空いたら、フランス北部の都市リールにある老舗菓子店❻Méert(メール)のパリ支店へ。メールの名物は、1849年から変わらず愛され続けてきたゴーフル。バニラのほか、キャラメルピーカンナッツ、ピスタチオ、ラムレーズンなどがある。しっとりした生地にシャリシャリとしたクリームの食感を楽しんで!
www.meert.fr

ゴーフル

MAP ❼ ピカソ美術館
Musée National Picasso-Paris

パリの❼ピカソ美術館は、かつて塩税によって富を成した役人の邸宅だった建物にある。ピカソ(1881-1973)はスペイン生まれだが、フランス各地にアトリエがあったため、何千点という未発表作品が残されていた。ピカソの死後、遺族には天文学的な金額の相続税の支払い義務が発生。それを回避するため、フランス政府は作品を国に納めることで税金を免除するという特別な法律を作ったのだった。そうして集められたピカソの作品が、この美術館に所蔵されている。展覧会によって内容がガラッと変わるため、何度も訪れたくなる場所だ。
www.museepicassoparis.fr

ピカソ美術館

MAP ❽ 北マレ地区
Le Nord du Marais

いわゆるおしゃれエリアとして知られる❽北マレ地区。フランス革命で亡命した貴族の邸宅が空き家になると、たくさんの職人たちがここに住み始めた。革、金銀細工、家具などさまざまな分野の職人がいたほか、産業革命後は工場があった時代も。そうした職人の工房の一部は代々受け継がれて今も残っている。さらにその延長線上として、北マレには若手の職人やアーティストが自分のスペースを持つ土壌ができあがった。どの通りにも小さなブランドやコンセプトストアなどが見つかるので、気の向くままに歩きながらショッピングを楽しもう。

北マレ地区

MAP ❾ アンファン・ルージュ市場
Marché Couvert des Enfants Rouges

ブルターニュ通りにある❾アンファン・ルージュ市場は、1615年から続くパリ最古のマルシェ。アンファン・ルージュは「赤い子ども」の意味で、かつてこの近くにあった孤児院の子どもたちが赤いマントを着ていたことに由来する。屋根の付いた市場には、野菜、肉、魚などの生鮮食品が売られているほか、フランス料理はもちろん、イタリアやレバノン、モロッコなどさまざまな国の料理を楽しむことができる。食べ歩きできるものを探すのも良し、座ってごはんを食べるのも良し。ゆっくり散策して、おいしそうなものを探してみよう。

アンファン・ルージュ市場

MAP ❿ テンプル広場
Square du Temple

市場の斜め向かいにある❿テンプル広場は、かつてテンプル騎士団の塔が立っていた場所だ。その塔は後に牢獄となり、フランス革命時にはルイ16世とマリー・アントワネットが幽閉された。また、パリ3区から強制送還されたユダヤ人の子どもたちの追悼碑があり、公園にはホロコーストを生き延びたノーベル平和賞作家エリ・ヴィーゼルの名が付いている。最後に⓫テンプル駅まで歩いたら、マレ地区ツアーは終了!


ルーヴル&オペラ地区編
Louvre & Palais Garnier

現在美術館になっているルーヴルはかつての王宮。そのため、周辺にはフランスという国を築き上げてきた歴史的遺産が集まっている。意外と知られていない裏の歴史を見つけながら歩いてみよう。

ルーヴル&オペラ地区編

MAP ❶ ルーヴル・リヴォリ駅
Station Louvre - Rivoli

1900年に開業した歴史ある❶ルーヴル・リヴォリ駅からスタートしよう。1968年にはマルロー文化相の発案で、構内にルーヴル美術館の所蔵品の複製が展示されるようになった。今でも「プチ美術館」として利用者を喜ばせている。

MAP ❷ ルーヴル美術館
Musée du Louvre

駅から地上に出ると、❷ルーヴル美術館が現れる。元々は、12世紀にフィリップ2世が要塞として建設したルーヴル城が始まりだ。その後、美術愛好家のフランソワ1世(1494-1547)が王宮として改装。彼が着手したルネサンス様式の建物は「クールカレー」(方形の中庭)と呼ばれ、今も残っている。中庭は自由に見学でき、ここをまっすぐ進むと、メイン・エントランスのガラスの「ルーヴル・ピラミッド」が見えてくる。これは1985~89年に実施された大ルーヴル計画によって生まれ、今ではパリのランドマークの一つになっている。
www.louvre.fr

革命からわずか4年後に公開されたルーヴルの歴史

フランス革命を経て、王の持ちものは全て国のものとなり、そのなかには膨大な美術品も含まれていた。当時の人々はフランス革命期のスローガンの一つ「自由、平等、友愛」に基づいて、それらを国民に公開することを決定。貧富の差に関係なく皆が文化を享受できるようにするため、王家の宮殿の一つだったルーヴルを美術館にしたのだ。このスローガンは、現在のフランス共和国の標語にもなっている。ルーヴル美術館は平等の観点におけるフランスの象徴的な存在であり、現在の文科省もその精神を受け継いでいる。ちなみにルーヴル美術館は革命からわずか4年後に正式に開館している。

ルーヴル美術館

MAP ❹ パレ・ロワイヤルのアーケード
Les Arcades du Palais Royal

ルーヴル美術館の前にそびえる❸パレ・ロワイヤルはルイ13世(1601-1643)の宰相、リシュリューが建設。後にルイ13世に譲渡され、幼少のルイ14世の住居だったことから「王宮」(パレ・ロワイヤル)となった。無料で入れる庭園を抜けると、商店街発祥の場所といわれる❹パレ・ロワイヤルのアーケードにたどり着く。当時、この敷地内には警察が入れなかったことから、売春婦やギャンブルなど裏社会のたまり場となり、革命家たちがここで議論することもあったという。さらにアーケードからの客を呼び込むために、周辺でも商店街が発展。なかでも❺ギャルリー・ヴィヴィエンヌは見事な建物で今でも人気スポットだ。

MAP ❻ フランス国立図書館博物館
Musée de la BnF

パレ・ロワイヤルのアーケードの小さな抜け道「Passage du Perron」を通ると(ちなみにこの通りにあるアパートの一つにフランス人作家コレット(1873-1954)が住んでいたため、彼女のパネルが設置されている)、❻フランス国立図書館博物館の通りに出る。この図書館は王室文庫を起源とし、膨大な蔵書を抱える。入場無料の楕円形閲覧室は、ガラス天井とイオニア式の柱による重厚感たっぷりの空間で一見の価値あり。併設の博物館には歴代国王のコレクションなどが展示されている。
www.bnf.fr/fr/le-musee-de-la-bnf

MAP ❼ オペラ座
Palais Garnier

図書館を出たら、ラーメン屋などが並ぶプティ・シャン通りへ。この一帯はいわゆる日本人街になっているが、まっすぐ進むとオペラ通りに当たり、右手には❼オペラ座が堂々とそびえ立つ。正式名称はガルニエ宮で、落成式が行われたのは1875年。今日、オペラ座はもちろんオペラやバレエなどの公演を見に来る場所だが、かつてはオペラ座に出かけることは特別な意味を持っていた。すなわち、オペラ座にいることは自分が出世した証であり、人々は「成功した自分」を見せつけるためにここへやって来たのだ。それを助長するかのように華麗な内観は見もの。
www.operadeparis.fr

オペラ座

MAP ❽ ギャラリー・ラファイエット
Galeries Lafayette

オペラ座を見学した後には、裏にある❽ギャラリー・ラファイエットへ。オペラ座界隈は銀行やオフィスなどが密集し富裕層が集まるため、デパート街が形成された。1894年にオープンしたギャラリー・ラファイエットは高級百貨店で、店内に入ると吹き抜けになっている。まるで宮殿のような丸天井は圧巻だ。展望台もおすすめで、パリを一望でき、オペラ座を上から見られる最高のスポットになっている。
www.galerieslafayette.com

MAP ❾ ギャラリー・ラファイエット・グルメ館
Galeries Lafayette Le Gourmet

日本のデパ地下のようにお惣菜がそろい、有名なシェフたちのケーキもずらりと並ぶ❾ギャラリー・ラファイエット・グルメ館。生鮮食品以外にもお菓子や紅茶、調味料などがそろっているので、お土産探しにはぴったり。さらにフランス各地の名産品がここで一気に手に入れられるのもうれしい。とっておきのお土産を手に入れたら、ルーヴル&オペラ地区ツアーは終了。お疲れさまでした!
https://gourmet.galerieslafayette.com

ギャラリー・ラファイエット

お土産におすすめ フランス各地から名産品が大集合!

塩とバターを使ったポンタヴェン名物菓子
Biscuiterie de l’aven
www.biscuiterie-loc-maria.fr
9.95 €

ポンタヴェン名物菓子 Biscuiterie de l’aven

アルザス地方のジャムの妖精こと
Christine FERBER
www.christineferber.com
11.20 €

アルザス地方のジャム Christine FERBER

純粋なフランス産マスタード
Moutarde de Bourgogne
www.fallot.com
3.65 €

フランス産マスタード Moutarde de Bourgogne

※上記はギャラリー・ラファイエット・グルメ館で手に入ります(2024年1月現在)

もっといろいろなエリアについて知りたい方!
YouTubeチャンネル「フランスガイド中村」をチェック

https://www.youtube.com/@franceguidenakamura
 

ロンドンで次世代の若者たちが語りつくす - G7広島サミット レガシー・プロジェクト「若者たちのピース・キャラバン」

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ロンドンで次世代の若者たちが語りつくすG7広島サミット レガシー・プロジェクト「若者たちのピース・キャラバン」

11月1日、ロンドン東部のオックスフォード・ハウスでトーク・イベント「若者たちのピース・キャラバン」が開催された。これは今年広島で行われたG7サミットにちなみ、広島の平和推進プロジェクト「へいわ創造機構ひろしま」(HOPe)が企画したもので、G7各国の16~27歳の若者が地球の未来について語り合うイベントの一環。欧州ではロンドンのほかパリでも行われ、その後11月12~19日には米国とカナダでも開催されている。

イベント終了後に笑顔を見せる参加者たちイベント終了後に笑顔を見せる参加者たち

当日は日本から5人、英国から5人の計10名の現役学生たちが、核兵器問題をはじめ地球規模で取り組む課題についてそれぞれプレゼンテーションを行った。トップバッターを飾ったのは沖縄出身で立教大学在学中の 神里晏朱 かみざと あんじゅ さん。食糧の過剰な生産と食品ロスが環境問題にまで発展していると述べ、その対策として昔から日本に根付く「もったいない」の精神を世界に広げようと説いた。一方、ロンドン在住でHult International Business Schoolで学ぶドイツ人学生ヴィクトリア・ヌーマー(Victoria Newmer)さんは、留学生らが購入しなくてはいけない「取りあえずの家財道具」は資源や金銭の無駄と考え、物品交換のプラットフォーム構築を提案。ビジネスとしての可能性を示唆した。

プレゼンテーションをする神里さんプレゼンテーションをする神里さん

3人目は、同志社大学在学中の 越智歩 おち あゆむ さん。環境問題を解決するには、まず幼いころから自然に興味を持ってもらうことが必要だとし、単なるセオリーではなく感情に訴えかける学習プログラムを推奨した。次に登壇したCity University of London在学中のステファニー・ダノ(Stephanie Danho)さんも、環境問題と発電エネルギーの推移について語り、現在は太陽光発電が増加している事実を踏まえ、今後何ができるかについて述べた。

5人目はただ一人高校生としてイベントに参加した広島県立広島叡智学園高等学校の 黒瀬陽音 くろせ はるね  さん。小柄な体型のためマイノリティーとして過ごした自身の体験から、ヒューマン・ライツに興味を持ち始め、世界平和とは「戦わない」だけではなく、自分を愛し他人を認めることだと考えるに至った経緯を述べた。これに呼応するようにダイバーシティーについて語ったHult International Business Schoolで学ぶイタリア人学生ベアトリス・カンテリ(Beatrice Cantelli)さんは、優れた若い人材が国境を越えて活躍できるようなシステムの構築が必要だと説いた。さらに、世界の平和のためにも、グローバルな視点で物事をとらえ、海外の文化への理解も示せる人材が育成されるべきだと持論を展開した。

プレゼンテーションのため登壇したステファニー・ダノさんプレゼンテーションのため登壇したステファニー・ダノさん

7人目は広島出身で東京大学在学中の 庭田杏珠 にわた あんじゅ さん。「Rebooting Memories」と題したプレゼンテーションでは、原爆被爆者家族のモノクロ写真のカラー化という2017年から自身が携わっているプロジェクトについて発表。遠い昔のこと、他人事にすら思える戦前のモノクロ写真がAIと人の手でカラー化されることで、つい最近の写真のようによみがえる。風化していく戦争の記憶、戦前の暮らしを今一度新たな眼差しで見ることができ、平和について再認識をうながすツールとしてアプリ化も行われた。またこれは、戦争を体験していない者がどうやって過去の戦争を語り継げばいいのか、というところから出立したと述べた。

質疑応答で意見を述べる庭田さん(写真中央)質疑応答で意見を述べる庭田さん(写真中央)

同じく平和について考えたのはUniversity of Law在学中のトマス・ノブ・ダリ―(Thomas Nobu Daly)さん。憲法が平和にどう関わっているかを、日本の憲法第9条をはじめ英国や母国カナダの法律を基に考察。平和憲法である9条を、法律を知らない一般の人に伝えるにはどうしたら良いのかということから、小学校から法律の授業があっても良いはずだと発表した。

9人目は慶応大学在学中の 中本結子 なかもと ゆいこ さん。日本ではコロナ禍の際にアートや文化が贅沢品として切り捨てられたこと、それに対し、今回ロンドンを訪れて美術館や博物館に無料で入場できることに驚いたことなどを話し、改めてアートの重要性について語った。また、パブリック・ディプロマシーとしてではなく、民間から立ち上がってきた本物のアート、本当の文化が他国に伝わることの重要さについても述べた。アートは生きていく上での希望につながるので、そうした文化を学ぶ機会を増やすべきだと締めくくった。そして最後を飾ったのはUniversity College Londonで学ぶアリス・プリンガルト(Alice Pringault)さん。性差や人種、宗教の違いを超えて、地球という社会の一員(グローバル・シチズン・オブ・ザ・ワールド)として生きていくためには、何が必要なのかを改めて考察。ほかの9人と同様、プリンガルトさんも教育の重要性を説いた。

終了後、参加証をもらうヴィクトリア・ヌーマーさん終了後、参加証をもらうヴィクトリア・ヌーマーさん

このイベントでは、次世代を担う10人による革新的かつ画期的なアイデアの数々が紹介されただけでなく、プレゼンテーション後に設けられたディスカッションの時間では、短いながらも日本と英国の若者の知識交換の場となりお互いの理解が深まった。イベントは和気あいあいとした雰囲気のなかで終了し、参加者へは会場から大きな拍手が送られた。

会場にはG7広島サミットの写真や、庭田さんのプロジェクトの紹介も会場にはG7広島サミットの写真や、庭田さんのプロジェクトの紹介も

 

特徴的なデザインにも注目 - ロンドンの有名デパート5選

特徴的なデザインにも注目ロンドンの有名デパート5選

ロンドンの有名デパート5選

名の知られた老舗デパートが点在するロンドン。プレゼントやお土産を探しに訪問したきりで、しばらく足を運んでない場所もあるかもしれない。今回は、建築様式に特徴があり、興味深いエピソードもあるデパートを5つ取り上げ、改めて訪れてみたくなるようなうんちくをまとめた。(文: 英国ニュースダイジェスト編集部)
参考: www.bbc.co.ukwww.theguardian.comwww.forbes.comhttps://bifmo.furniturehistorysociety.org ほか

近年目まぐるしく変貌を遂げている1. Harrods ハロッズ

Harrods

チャールズ・ヘンリー・ハロッドが1834年に創業し、49年に現在のロンドン西部ナイツブリッジに移転。特徴的な「Harrods」のロゴは1967年に誕生した。衣料品、アクセサリー、食料品、電子機器などの店舗やレストランのほか、不動産業も行なっている欧州最大級のデパートだ。なお、ロイヤル・ワラントは2001年に有効期限が切れ、現在は保持していない。

Episode 1本当になんでもそろったデパートだった

ハロッズの株式の裏面に描かれた店舗情報ハロッズの株式の裏面に描かれた店舗情報

デパートのモットーはラテン語の「Omnia Omnibus Ubique」(あらゆる場所の全ての人に全てものを)。かつて存在したペット・ショップ部門では、1976年まで仔象やワニ、ラクダなどのエキゾチックな動物を販売。また、宝石付きの高級サンダルを展示した際、警備としてショーケースにコブラを投入した。

Episode 2ロンドン初のエスカレーターを導入

「動く階段」と銘打ち、編まれた革がベルトコンベアのように動くエスカレーターを1898年に設置。当時の客には驚きに満ちた体験だったようで、乗った後の心を落ち着かせるために階上にてアルコールが振る舞われたのだとか。1939年に12基、80年代に現在の16基に増え、2016年に最新のものに置き換えられた。

Episode 3モハメド・アルファイドという男

アルファイド氏によって「無実の犠牲者」(Innocent Victims)と名付けられた2人の像アルファイド氏によって「無実の犠牲者」(Innocent Victims)と名付けられた2人の像

現在はカタールの政府系ファンドが同店を所有しているが、2023年8月に亡くなったエジプト出身の実業家モハメド・アルファイド氏が前オーナーで、1997年にダイアナ元妃とパリで事故死したのが当時恋人だった息子のドディ。アルファイド氏は2005年に追悼碑として2人の銅像を館内に設置したが、オーナーが代わり、2018年に同氏に返還された。

ニュースダイジェスト的建築ポイントリノベで消えつつある内装を見逃すな!

近年消える可能性のある中央のエスカレーター・ホール近年消える可能性のある中央のエスカレーター・ホール

アルファイド氏の経営により業績を数倍に上げた一方で、同氏の個性が意匠に色濃く反映されてきた過去数十年。その代表がエジプト風のデザインを施したエスカレーター・ホールだ。「自国の文化を讃える」ため、1991年から2度にわたってデザイナーのウィリアム・ミッチェルによる精巧な装飾がなされ、地下1階から5階を埋め尽くすようにエジプトの荘厳な世界観が完成した。

大規模なリノベが行われたチョコレート・ホール大規模なリノベが行われたチョコレート・ホール

しかし2010年に現オーナーが就任して以来、「1900年代初頭の原型を最新技術を織り交ぜながら復活させる」という動きが生まれ、16年ごろからリノベーションが進行。建物が指定建造物のGrade IIに選定されているため難しい作業が続くものの、照明の変更、メイン・エントランスのエスカレーター・ホール、ファサード、アール・デコ様式に基づいたフロアの改装がすでに完了。まだあるうちに今の姿を目に焼き付けておきたい。

Harrods
87–135 Brompton Road SW1X 7XL
Tel: 020 7730 1234
月〜土 10:00-21:00
日 11:30-18:00(12:00 から購入可能)
www.harrods.com

意外とアナーキー?芸術を愛する人のための店2. LIBERTY リバティ

LIBERTY リバティ

オックスフォード・サーカス駅にほど近い、ショッピング街にあるデパート。遠方からの贅沢品や織物を積んだ船をイメージし、アーサー・ラセンビー・リバティが1875年に日本人3名を含む従業員5名で創業した。ハイエンドと新興のブランドの紳士服や婦人服、子ども服を扱うほか、美容品、家庭用品も販売している。

Episode 1リバティが生地に強い理由

1888年5月の夏用カタログ1888年5月の夏用カタログ

創業者のアーサー・リバティ氏は、服地店での見習いやショールと外套の専門店で働いた経験から、生地に関する技能的で深い知識を身に付けていた。リバティの前身である店「イースト・インディア・ハウス」で極東から仕入れた装飾品や織物を販売しつつも、既存品ではない新しいものづくりを推進。輸入した無染色の布を英国内で東洋式に染色した生地が大ヒットし、現在、同デパートの看板商品である「リバティ・プリント」の礎を築いた。

Episode 2家具とアーツ・アンド・クラフツ運動

1898年製のビューロー「ウェセックス」(Wessex)1898年製のビューロー「ウェセックス」(Wessex)

立ち上げから1914年ごろまでリバティでは独自の家具が作られていた。そのデザインは時代に合わせ流動的だが、粗悪な大量生産品から離れ、手工芸を日常生活に取り戻す「アーツ・アンド・クラフツ運動」に触発された1890〜1903年ごろの家具は特に有名。手間隙のかかる工芸品を商品としてなるべく多く販売すること、また芸術品でありながら耐久性に優れた構造であることを実現できた多くの並外れた職人を抱えたリバティだからこそ可能だった。

Episode 3日本で作られた銀細工も販売

武蔵家大関定次郎による1893年製の純銀製のティー・スプーンとシュガー・トング武蔵家大関定次郎による1893年製の純銀製のティー・スプーンとシュガー・トング

リバティでは極東からの輸入品を扱っていたが、その中には同店から依頼を受けた明治期の日本の職人によって作られた純銀製の商品も含まれていた。1876年の廃刀令によって打撃を受けた彫金職人たちは、生き残りをかけ西欧への輸出品に力を入れるようになり、神奈川県の横浜には輸出に特化した美術品専門店が数店あった。桜や貝など日本らしいモチーフを取り入れたティー・スプーンなどのカトラリーは英国人を深く魅了した。

ニュースダイジェスト的建築ポイントアーツ・アンド・クラフツ運動に支えられた職人魂を見よ!

船で使われていたガラス絵船で使われていたガラス絵

残念ながら創業者のリバティ氏は完成を待たずこの世を去ってしまったが、現在のチューダー様式の建物が完成したのは1924年。当時、君主が所有する公的不動産「クラウン・エステート」が、リージェント・ストリートに面した建物を古典的なファサードが特徴のボザール様式にするよう命じ、元々イースト・インディア・ハウスであった部分はこの制約を守らなければならなかった。しかし、裏手のグレート・マールボロ・ストリートの建物は自由所有権が認められていたため、厳格な都市計画に対するリバティの反骨心とデザインに対する野心を全面的に打ち出していく。HMSインプレグナブル(HMS Impregnable)とHMS ヒンドゥスタン(HMS Hindustan)の2隻の大型船に使われた木材と、英南部ドーセットの採石場から切り出された石を使い、ギルドの優れた職人技術をもって完成した。

4階の吹き抜けの手すりの動物像4階の吹き抜けの手すりの動物像

店内にはオランダ生まれのデルフト・タイルを張った暖炉を設置。そこに家具やカーペットを置くことで実際の部屋にいる感覚を呼び起こし、客の購買意欲を掻き立てたという。また、窓枠は鍛冶場で一つひとつ丁寧に仕上げたフレームを使ったり、船で使われた窓をそのまま嵌め込んだりと、かつての意匠をそのまま利用した粋な計らいも見られる。一方遊び心が感じられるのは、建物中央部の吹き抜けにある木彫りの動物像。中世の寓話に登場する生物からヒントを得たもので、夜になると動き出すという伝説もあるらしい。建物は指定建造物のGrade IIに選定されている。

LIBERTY
208-222 Regent Street W1B 5AH
Tel: 020 3893 3062
月〜土 10:00-20:00
日 11:30-18:00(12:00 から購入可能)
www.libertylondon.com

デパートの概念を変えた改革派3. Selfridges & Co セルフリッジズ

Selfridges & Co セルフリッジズ

旗艦店のオックスフォード・ストリート店はハロッズに次いで国内2番目の売り場面積を誇る大型デパートで、英北部マンチェスターや英中部バーミンガムにも支店がある。1909年にオープンしたが、環境保護やマインドフルネスの促進など時代の潮流に合わせたキャンペーンを積極的に実施しており、小売業を超えて幅広く社会に貢献している。

Episode 1米国流の革新的なマーケティング

ハリー・ゴードン・セルフリッジハリー・ゴードン・セルフリッジ

創業者は米国出身のハリー・ゴードン・セルフリッジ氏。シカゴの老舗デパートを一躍有名にした小売業のプロであるセルフリッジ氏が休暇でロンドンに来たのは1906年のこと。市内のデパートに勢いや競争心がないことに驚き、ここで事業を始める決意を固めた。コンセプトに「ドラマと体験」を据え、レストランや屋上庭園、読書室、外国人観光客用の受付エリアなどの施設を整備。スタッフにも独自の販売技術を徹底的に仕込み、一躍有名デパートとなった。

Episode 2女性が安心できる社交場

現在も男女問わず多くの人々が「遊びに」に行く現在も男女問わず多くの人々が「遊びに」に行く

単なる買い物の場ではなく、「目的地」として格上げさせたセルフリッジ氏の貢献により、同店は多くの女性に待ち合わせ場所として使われ、後に男性の付き添いなしで女性たちが食事を楽しめる店内レストランもオープンした。また、当時女性参政権を主張していたサフラジェットが店舗に危害を加えた場合にもその告発を拒否するなど、徹底的に女性に寄り添った経営を進めた。マイノリティーに耳を傾ける精神は、現在も引き継がれている。

Episode 3ショッピングはエンタメだ!

2021年、持続可能なビジネスへ転換する取り組みを楽しげなネオン・サインで表現した2021年、持続可能なビジネスへ転換する取り組みを楽しげなネオン・サインで表現した

数々の作品の舞台になり、創業者セルフリッジ氏を主人公に据え、同デパートにおける人間模様を描いたドラマ・シリーズ「ミスター・セルフリッジ」(Mr Selfridge)も2010年代に英米でヒット作になった。一方、店舗が2009年に創業100周年を迎えたとき、エスカレーター上でキャバレー、店内でファッション・ショーなど、大々的なイベントが開催された。店舗もまるでフィクションかのように楽しさに満ちあふれており、エンタメに特化したデパートのようだ。

ニュースダイジェスト的建築ポイント古典×最新建築の組み合わせと支店のデザインの奇抜さ

旗艦店は古典的なボザール様式の地下3階を含む5階建てで、当時英国ではまだ珍しかった鉄骨フレームを使用。設計を担当したのは、米ニューヨークにある三角形のフラットアイアン・ビルなどを設計した有名米建築家で、都市デザイナーのダニエル・バーナム。バーナムの設計は、外見は石造りで古典的な印象を人々に与えつつ、内部は最新の鉄骨構造というユニークな特徴があった。第一次世界大戦の影響で、近代建築の導入が1930年代に入ってからとなった英国にとって、革新的なデザインであったに違いない。

正面入り口の上にある時計「クイーン・オブ・タイム」正面入り口の上にある時計「クイーン・オブ・タイム」

1930年には、現在も時を刻み続ける象徴的な時計「クイーン・オブ・タイム」がセルフリッジズのオープン21年を記念し設置された。船首を模した台座の上に高さ3メートルの女王の像が立ち、その頭上には二つの大きな文字盤がある。まだ携帯電話がない時代には待ち合わせ場所として多くの人に利用された。

バーミンガムのセルフリッジズバーミンガムのセルフリッジズ

斬新な建築は旗艦店にとどまらず、英中部バーミンガム店でも採用されており、2003年の完成時には同地の新たなランドマークができたとして大きな話題を呼んだ。外観は緩やかに湾曲した宇宙船のような形で、1万5000枚の円状のアルミニウム製ディスクでびっしりと覆われており、まるで蛇の鱗のような見た目だ。この建物が誕生して以来、古くから工業都市として知られる同地では、市民図書館などの公的機関が現代建築への転換を積極的に始めるようになった。街の人々の意識をも変えた未来的な建物は一見の価値がある。

Selfridges & Co
400 Oxford Street W1A 1AB
Tel: 0800 123 400
月〜金 10:00-22:00
土 10:00-21:00
日 11:30-18:00
www.selfridges.com

英国の食文化を底上げした4. Fortnum & Mason フォートナム&メイソン

クリスマスの時期が近づくと外壁にアドベント・カレンダーが映し出されるクリスマスの時期が近づくと外壁にアドベント・カレンダーが映し出される

かつて、バッキンガム宮殿で使われたろうそくの燃えさしを販売することに始まり、1707年にロンドン中心部のピカデリーにて開業したデパート。現在は紅茶やビスケットなどの高品質な食品や、ティー・セットをはじめとするテーブルウェアや文房具といったライフスタイル用品を販売している。オー・ド・ニル(Eau de Nil)と呼ばれるアイコニックなブルー・グリーンを基調にした上品なパッケージは、英国御用達の名に相応しい高価で良質な商品ばかりを販売してきたと思わせる。

だが実は同店は今でこそ当たり前になった調理・盛り付け済みの料理「レディ・ミール」の元祖となった食品開発を進めたり、イングリッシュ・ブレックファストに欠かせないハインツのベイクド・ビーンズの缶詰を英国に広めたりと、現在の英国市民の食生活を形成するように一役買った。

ニュースダイジェスト的建築ポイント訪れる人をより長く滞在させる仕掛けに注目

1920年代に、ネオ・ジョージアン様式を採用した現在のピカデリー本店に移転。ネオ・ジョージアン様式とはジョージアン様式のリバイバルのことで、18世紀ごろ、限られた土地に複数の人間が同時に効率的に暮らせる、テラス・ハウスやタウン・ハウスと呼ばれる集合住宅が発達した。直線的、左右対称を基調としたシンプルな構成を特徴とする。

フォートナム&メイソンの正面入り口と時計フォートナム&メイソンの正面入り口と時計

ファサードには、1964年に設置されたかわいらしい時計がある。ロンドンのアイコンであるビッグ・ベンと同じ鋳造所で製造された18個の鐘を備えたもので、15分ごとにメロディーが鳴り、毎正時には鐘と同時に人形が現れる。時間に余裕があれば立ち止まって耳を澄ませてみてはいかがだろうか。

店内の1階にはカーペットが敷かれているが、これは客に特別な気分を味わってもらうことのほか、歩みを遅くさせ買い物により時間をかけてもらう効果があるそう。

Fortnum & Mason
181 Piccadilly W1A 1ER
Tel: 020 7734 8040
月〜土 10:00-20:00
日 11:30-18:00(12:00 から購入可能)
www.fortnumandmason.com

中流階級の生活に潤いを与えた5. Heal’s ヒールズ

Heal’s ヒールズ

家具の老舗デパートのヒールズは、1810年に羽毛を加工する会社として設立された後、ベッドやベッド・フレームなどの寝具や家具の販売を開始した。1818年にロンドン中心部トッテナム・コート・ロードへ移転。2023年に店舗を拡大し現在に至る。同店の成長を支えたのはデザイナーのアンブローズ・ヒール氏。1890年代当時、同店はバロック様式やアジアなどにインスパイアされたクイーン・アン・スタイルなどを標準モデルとして扱っていたが、ヒール氏は突如オーク材を使った直線的で丈夫な家具やベッドをデザインし始める。

当時流行っていたアーツ・アンド・クラフツ運動に逆行するかのようなデザインのため、「刑務所のベッドのよう」と揶揄されたこともあったが、後に出品した美術工芸展示協会にて好評価を得た。シンプルで丈夫なベッドは中流階級の人々の生活に多く取り入れられた。

ニュースダイジェスト的建築ポイントロマンチックな螺旋階段と猫の銅像

正面入り口から照明売り場を通った先にある螺旋階段は必見。ヒール氏は、いとこで親友でもあった建築家セシル・ブリューワーに、20世紀の近代にふさわしい建物を設計するよう依頼した。ブリューワーは1916年に優美な螺旋階段を設計。第二次世界大戦後に階段の端にライトが灯されるようになり、2013年の改修工事にて特注のシャンデリアが追加された。

2023年11月現在上階は改修中。1階から見上げてみよう2023年11月現在上階は改修中。1階から見上げてみよう

また、階段を上がるときにもう一つ注目したいのが窓辺に置かれた猫の銅像だ。触れる者の願いをかなえてくれるというこの像には逸話がある。ディズニー映画「101匹わんちゃん」の原作者の英小説家ドディ・スミスが、かつてヒールズでアシスタントとして働いていた時期があり、そのとき顧客に誤ってこの像を販売してしまったそう。ヒール氏は顧客に「ヒールズのマスコット。非売品」と書いた手紙を送り、返してもらったのだとか。

1925年にヒール氏が仏彫刻家から購入した猫の銅像1925年にヒール氏が仏彫刻家から購入した猫の銅像

Heal’s
196 Tottenham Court Road W1T 7LQ
Tel: 020 7636 1666
月〜土 10:30-19:00
日 12:30-18:00
www.heals.com

 

クリスマス前に訪れたい - 英国各地のクリスマス・マーケット

クリスマス前に訪れたい英国各地のクリスマス・マーケット

寒く、暗く、どんよりとした日々が続く英国の冬。しかし、英国人たちは来たるクリスマスに胸を高鳴らせ、その日を心待ちにしている。現代のクリスマスに欠かせない英国のクリスマス・マーケットは、ここ数十年で大きく成長したイベントの一つ。クリスマス前に終わってしまう場所もあるので、事前にスケジュールを確認し訪問を計画するのはいかがだろうか。(文: 英国ニュースダイジェスト編集部)

クリスマス・マーケット

バース

象徴的な建物群で祝うクリスマス1. Bath Christmas Market

Bath Christmas Market

地元の工芸作家や飲食業者、慈善団体が170以上出店し、バースのメイン通りや歴史あるバース寺院を彩る。アイス・リンクのほか、イルミネーションがきらめくミニ・ゴルフなど、冬限定のアクティビティーもある。

12月10日(日)まで
アイス・リンク、ミニ・ゴルフは2024年1月3日(水)まで
月~水 10:00-19:00
木~土 10:00-20:00
日 10:00-18:00
Milsom Street, Union Street, Bath Streetなど市街各地 Bath
www.bathchristmasmarket.co.uk

ヨーク

石畳の街が醸し出す中世のにぎわい2. York Christmas Market

York Christmas Market

パイやジンなどヨークを代表する食品や工芸品を販売する、山小屋のようなシャレーが75軒以上ならぶ様子は壮観。石畳の狭い小道が入り組んだこの街には、クリスマス・マーケットの雰囲気がよく似合う。

12月22日(金)まで
10:00-19:00
Parliament Street, St Sampson’s Square, York
www.visityork.org/events/york-christmas-market-2023

マンチェスター

街全体がクリスマス・マーケットに3. Manchester Christmas Markets

Manchester Christmas Markets

市内中心部の九つの会場に225以上の屋台が出店する巨大なクリスマス・マーケット。ドイツ料理のほか、欧州各地の美食がそろうことでも知られている。アイス・リンクやクリスマスの飾り付けをした4メートルの風車も登場する。

12月21日(木)まで
11:00-21:00(手工芸品の屋台は10:00-20:00)
King Street, St Ann’s Square, Exchange Street, New Cathedral Streetなど市街各地 Manchester
www.visitmanchester.com/shopping/manchester-christmas-markets-p327351

カーディフ

新人アーティストの作品を発掘4. Cardiff Christmas Market

Cardiff Christmas Market

カーディフの市内中心部で開催。約70の屋台が出店するが、地元のアーティストの作品や小規模な食品生産者によるローカルな物販に力を入れているため、期間内で出店者が入れ替わり、行くたびに違った驚きに出合える。

12月23日(土)まで
月~土 10:00-18:00
日 10:00-17:00
St John Street, Working Street, Trinity Street, Hills Street, Cardiff
www.cardiffchristmasmarket.com

リヴァプール

特徴的なバーが目白押し5. Liverpool Christmas Market

Liverpool Christmas Market

暖炉のある1本のポールで建てられたティピー・バーやクリスマス風車のバーで、ホット・サイダー、グリュー・ワイン、ビール、ホット・チョコレートなど、英独のさまざまなドリンクを提供。飲み歩きが好きな人にお勧め。

12月24日(日)まで
11:00-22:00(24日は11:00-17:00)
St. George’s Place, William Brown Street, Liverpool
www.liverpoolchristmasmarket.co.uk

バーミンガム

本場のクリスマス・マーケットを堪能6. Birmingham Frankfurt Christmas Market

Birmingham Frankfurt Christmas Market

ドイツ、オーストリア国外で最大規模を誇るドイツ式の伝統的なクリスマス・マーケット。白い小麦ビースのヴァイスビア、シナモンやスパイスたっぷりの温かいワインのグリュー・ワインなど、本場のクリスマスの味が楽しめる。

12月24日(日)まで
月~木 11:00-21:00
金 11:00-21:30
土 10:00-21:30
日 10:00-21:00
Victoria Square, New Street, Birmingham
https://visitbirmingham.com/whats-on/birmingham-frankfurt-christmas-market-p1323321

エディンバラ

冬のアトラクションがいっぱい7. Edinburgh’s Christmas

Edinburgh’s Christmas

エディンバラの街の中心部に80を越える屋台が出店。オーナメントやくるみ割り人形などのほか、地元のウイスキーなどお土産にもぴったりな特産品も集まる。観覧車、アイス・リンク、サンタの家などのアトラクションも豊富。

Christmas in Leicester Square

2024年1月6日(土)まで
10:00-22:00(12月24日、26日、年末年始はサイトを参照)
East Princes Street, George Street, Castle Street, Edinburgh
https://edinburgh-christmas.com

ロンドン

気軽に訪問できる8. Christmas in Leicester Square

Christmas in Leicester Square

小規模だが、輝くイルミネーションの下でグリュー・ワインを飲めばあっという間にクリスマス独特の高揚した気分に。仮設のシュピーゲル・テントではキャバレー・ショー「ラ・クリーク」(La Clique)(有料)を上演。

2024年1月7日(日)まで
月~金 12:00-22:00
土・日 10:00-22:00
Leicester Square, London
www.underbelly.co.uk/festival/christmas-in-leicester-square

CHECK!

そのほかオックスフォード、ボーンマス、ウィンチェスター、チェスターなど英各地で開催。有名なリンカーンのクリスマス・マーケットは2023年は非開催。12月25日、31日、2024年1月1日は休業が多いので訪問前にスケジュールの確認を。

クリスマス・マーケット マップ

 

知ってるようで知らない、英国のビスケット。

知っているようで知らない英国のビスケット。

英国のビスケット。

英国に来て、スーパーマーケットに並ぶビスケットの種類の多さに驚いた方も多いはず。世界で最もビスケット消費量が高いこの国は、王室から庶民まで、誰もがビスケットについて一家言あるビスケット王国だ。朝食に、紅茶のお供に、食後のスナックにと時を選ばず手軽に食せるのも人気の理由だろう。この特集では、英国を代表する昔ながらのビスケットを12種紹介するほか、クッキーとの違いや、英国で特別な位置を占める「ビスケット缶」などについて解説する。(文: 英国ニュースダイジェスト編集部)

参考: BBC、theguardian.co.ukfoodanddrink.scotsman.comほか

英国における紅茶とビスケットの関係

くまのパディントンやプーさんも大好きな「お茶の時間」(Elevenses=午前11時)を重要視する英国では、一緒に出されるビスケットにも紅茶と同じくらい各自の好みが反映される。そして紅茶に何回ビスケットを浸す(dunk)のが良いか、ビスケットの種類ごとの回数までまことしやかに語られるほど。ただ、紅茶にビスケットを浸す文化はそれほど古くはなく、第二次世界大戦中に誕生したといわれる。もともと産業革命のころから、労働者たちは午前11時に砂糖入りの甘い紅茶を飲み仕事を頑張っていた。しかし戦争が始まり砂糖が配給制になったため紅茶も砂糖抜きに。そこでビスケット製造業社は、消防士、救急車の運転手、爆撃を受けた市民などに向けて、紅茶と一緒に食べられる甘いビスケットを提供するようになった。

こうしてビスケットを紅茶に浸す習慣が定着し、英国人は今でもお茶の時間にお湯を沸かし始めると、反射的にビスケットの缶に手を伸ばしてしまうのだとか。最近になって、茶葉にビスケットの香りを付けたビスケット・ティーという商品が売り出されたことをみても、両者の関係は相変わらず深いといえる。ちなみに、17世紀ごろの紳士淑女たちはビスケットを紅茶ではなくワインに浸していたそうだが、これは食事の最後に出される甘いワインにスポンジ・フィンガーやラングドシャを浸していたということのようだ。

英国における紅茶とビスケットの関係

英国で人気の高いビスケット12選

昔から英国人に愛されているビスケットを中心に、スーパーマーケットで気軽に購入できる12種類を選りすぐった。見たことはあるけど食べたことがないものもあるのでは? 改めて自分の好みの味を見つけてみてはいかがだろうか。
*価格は大手スーパーマーケットのオンライン・ショップを参照

Rich Teaリッチ・ティー

Rich Tea

19世紀に英北部ヨークシャーで、上流階級向けに食事と食事の間のスナック用に開発された。昔ながらのシンプルな見た目とプレーンな味わいで、紅茶に浸すのに適したビスケット。リッチ・ティー・ビスケットの裏側にバターやジャムなどを塗ったり、砕いてタルトの土台にしたりと、お菓子の材料のような使い方ができるのも特徴。

£0.65/300g

Nice Biscuitsニース・ビスケッツ

Nice Biscuits ニース・ビスケッツ

砂糖がまぶされ、「NICE」という刻印とギザギザの縁取りが素朴でかわいらしい、プレーンまたはココナッツ風味のビスケット。サクサクとした食感で、お腹にたまらない軽さが人気。1929年の広告で「名前の由来となった町のように楽しい」という宣伝文句が謳われたことから、ナイスではなく、フランス南部の町ニースという呼び方が正しいようだ。

£0.55/200g

Jammie Dodgersジャミー・ドジャーズ

Jammie Dodgers

ラズベリー味のリンゴ・ジャムが詰まったビスケット。商品名は子ども向けアンソロジー・コミック「ザ・ビーノ」(The Beano)に登場するキャラクター、ロジャー・ザ・ドジャー(Roger the Dodger)から付けられ、子どもに人気のビスケットという触れ込みだが、消費者の70パーセントは大人なのだとか。ストロベリー、コーラなどの味もある。

£0.85/140g

Shortbread Fingersショートブレッド・フィンガーズ

Shortbread Fingers

スコットランド、もしかしたら英国のお土産ナンバー1のショートブレッド。バターたっぷりで腹持ちの良さは他のビスケットの追従を許さない。口内の水分を全て奪うポロポロとした食感は独特だが癖になる味だ。その昔パンを作ったときに、余った生地に甘みを加えてビスケットに焼き上げたのが、ショートブレッドのネーミングの由来だとか。

£1/210g

Jaffa Cakesジャファ・ケークス

Jaffa Cakes

ジェノワーズ・スポンジ、マーマレード、チョコレートの3層で構成されたジャファ・ケークスは、マクビティが1927年に発売。名前を商標登録しなかったため、他社が同じ名前で同様の製品を製造している。この商品はケーキなのかビスケットなのか、付加価値税の分類で裁判沙汰になったことも。税務上はケーキとの判決が下りた。

£1.25/10個入り

Malted Milkモルテッド・ミルク

Malted Milk

牛のレリーフが付いたレトロなデザインのビスケット。1924年に発売されて以来、さまざまな会社から同じデザインで販売されている。表面に穴を開けずにサクサク感を保つため高温で短時間焼いているので、ほろほろとした素朴で独特な口溶け感がある。濃縮されたモルト(麦芽)とミルクのバランスも優しく、紅茶やミルクとの相性も◎。

£0.65/200g

Custard Creamカスタード・クリーム

Custard Cream

クリーミーで甘いカスタード・クリームをたっぷり挟んだビスケット。表面にはバロック様式の渦巻き模様がデザインされているが、これはヴィクトリア朝時代にたくさん生えていたシダを元にしたといわれている。英国ではこのままかじったり、紅茶に浸したり、分解してクリームを先に味わったりとさまざまな楽しみ方で食べられている。

£0.65/400g

Bourbon Creamsブルボン・クリームス

Bourbon Creams

「ブルボン」とも「バーボン」とも発音されるビスケット。ネーミングはブルボン王朝のブルボンから来ているともいわれるが、真偽のほどは確かではない。チョコレート・クリームが甘味の少ないココア味のビスケットでサンドされており、1910年にロンドンのピーク・フリーズ社が発売。以来、英国で120年以上にわたり愛され続けている。

£1.30/150g

Garibaldi Biscuitsガリバルディ・ビスケッツ

Garibaldi Biscuits

味は可もなく不可もなし、まさに定番という位置付けで国内で150年以上も食べられている、スグリの実を入れ薄く焼き上げたビスケット。「ガリバルディ」という特徴的な名前は、現在のイタリアの前身であるイタリア王国成立に貢献した軍人ジュゼッペ・ガリバルディから来ている。フルーツ入りでも、紅茶に浸して食べるのが英国流。

£1.35/200g

Digestives Milk Chocolateダイジェスティブ・ミルク・チョコレート

Digestives Milk Chocolate

片面がミルク・チョコレートでコーティングされたザクザクした食感のビスケット。胃の不調を整える治療法として発明されたとされ、1892年にマクビティが消化不良を防ぐベーキング・パウダーを全粒粉のビスケットに加えたことで誕生した。チョコのコーティングのおかげで、紅茶に浸せる回数が崩れやすいオリジナルより多く楽しめる。

£1.90/266g

Ginger Nutsジンジャー・ナッツ

Ginger Nuts

ジンジャーというけれど、シナモンやナツメグなどほかのスパイスの風味も豊かなビスケット。またナッツは入っておらず、これは「ナッツの殻みたいに硬い」ところから来ているようだ。1840年代にはすでに食されており、第二次世界大戦ごろまで最も売れ行きの良かったビスケットの一つだそう。ミルク・ティーに浸すとまろやかな味わいに。

£0.65/300g

Tunnock’s Milk Chocolate Teacakesタノックス・ミルク・チョコレート・ティーケークス

Tunnock’s Milk Chocolate Teacakes

マシュマロに似た、イタリアン・メレンゲをショートブレッド・ビスケットに据え、チョコレートで薄くコーティングしたティーケーキ。甘味が強いので、濃いめに抽出した紅茶のお供にぴったり。過去に英国空軍のパイロットの間で人気のお菓子だったが、包装を解いた状態で空高く飛んだところ爆散!以来機内への持ち込みはなくなったそう。

£1.10/6個入り

英国人にもすぐに教えたいビスケットにまつわるトリビア

素朴でシンプルなビスケットだが、その歴史は奥が深い。各国で違いもいろいろあるだろうが、ここでは英国のビスケットに関する、知る人ぞ知る六つの事実をご紹介する。

ビスケットとクッキーの違い

ビスケットは2度焼きされるためサクサクした食感があり、飾りのチョコレートやクリームはサンドするか上から塗るなどの手法になる。一方クッキーは、オランダ語で「小さなケーキ」を意味する「Koekje」に由来。もともとはケーキを焼く前にオーブンの温度をテストするために作られたのが始まりだ。そのためビスケットよりやわらかく、チョコレートやナッツは練り込んで焼かれる。日本では、糖分と脂肪分が全体の40パーセント以上だとクッキーと呼ぶ。

ビスケットとクッキーの違い

「ビスケットの日」が存在する

英国では毎年5月29日が「ナショナル・ビスケット・デー」。起源は諸説あるものの、その一つは1630年5月29日生まれの国王チャールズ2世に由来する。チャールズ2世が生きた当時は英国の大航海時代にあたり、アフリカやアジアなどへ向かう際、積み込みが容易なビスケットが人気だった。船上で長期間保管しても腐敗しにくい上、乗組員たちの貴重な栄養源でもあった。硬くて頑丈だったため文字を彫ってはがきの代わりにされたという逸話も。

「ビスケットの日」が存在する

ビスケットの語源と商品名の秘密

ビスケットはラテン語で「2度調理した」を意味する「biscoctum」に由来する。一方、商品名には形にちなんだもの、味や調理法、身体に良い効果があることを強調して名付けられたものがある。ある歴史社会言語学者は、今回は紹介できなかったオートミールのビスケット、ホブノブス(Hobnobs)やキットカット(KitKat)のように、軽快な2音節の発音が、ビスケットを二つに割るような感覚を人々に与え、より効果的な商品名になると分析している。

ビスケットの語源と商品名の秘密

ジンジャーブレッド・マンはガイ・フォークス?

秋になるといろいろな店先で目に付きだす人型ビスケット「ジンジャーブレッド・マン」は、大昔はキリスト教の聖人に似せて作られていたもの。しかし1605年の火薬陰謀事以降、ボンファイヤー・ナイトでガイ・フォークスの人形が焼かれるようになり、それに合わせて次第にジンジャーブレッド・マンはガイ・フォークスの身代わりだということになっていった。人々はカトリックという「悪役」を食べることでプロテスタントへの支持を示したのだとか。

ジンジャーブレッド・マンはガイ・フォークス?

英王室メンバー、政治家の好きなビスケットは?

英国の著名人もビスケットを愛している。チャールズ国王はウェイトローズと共同でオーガニックのビスケットを販売中。ウィリアム皇太子はキャサリン妃との結婚式にてリッチ・ティーを使った新郎用のケーキを用意し、故エリザベス女王は朝食前にアール・グレイと一緒にリッチ・ティーを食べるのが習慣だった。また、ボリス・ジョンソン元首相はチョコレート・ダイジェスティブ、サディク・カーンロンドン市長はチョコレート・ホブノブスがお気に入りのよう。

英王室メンバー、政治家の好きなビスケットは?

ヒット商品を飛ばすタノックの独創性

スコットランドはショートブレッドが有名だが「、タノック」の存在も忘れてはならない。1890年にトーマス・タノック氏がアッディンストンでパン屋事業を開業し、以降家族経営で数々のヒット商品を生んできた。トーマスの息子アーチーが1952年に長期保存可能なキャラメル・ウエハースを、現在90歳のアーチーの次男ボイド(写真)がティーケーキ(→p13)を1956年に開発。おいしさはもちろんのこと、赤色のド派手なパッケージも愛されている理由の一つだ。

ヒット商品を飛ばすタノックの独創性

食べ終わっても残したい!缶入りのビスケット

英国家庭に少なくとも必ず1個はあるのが、ビスケットを入れるための缶。ビスケットの保存という本来の用途を超えた凝ったデザインが多い。ここでは取っておきたくなる缶入り商品をいくつか紹介する。

London British Shortbread Biscuitsロンドン・ブリティッシュ・ショートブレッド・ビスケッツ
Victoria Eggs

London British Shortbread Biscuits

ヴィクトリア・エッグス(Victoria Eggs)は、豪シドニーで働いていた同名デザイナーが英国に移住して始めた家庭用品ブランド。エッグスが英国生活を送るなかで感じた、活気に満ちたロンドンの街や王室などの英国らしさに影響を受けた商品が多数そろう。ショートブレッド缶には、シンプルながらロンドンのランドマークがかわいらしいイラストで表現されている。ロンドン中心部の老舗デパート、リバティでも購入可能。

£8.50/150g
www.victoriaeggs.com

Sea Salted Caramel Biscuitsシー・ソルテッド・キャラメル・ビスケッツCartwright & Butler

Sea Salted Caramel Biscuits

英北部で115年以上にわたり、ティー・タイムを格別な時間にするためのスイーツを作り続けてきたカートライト&バトラー。淡い色調にロマンチックなデザインが施されたクリップ付きの缶には、塩キャラメルたっぷりのビスケットが入っている。同社は健康のために低脂肪の食事を良しとする現代の食習慣から一線を引き、バターたっぷりでクリーミー、そしてホロホロとした食感を重視し、おいしさに対する独自の矜持を持つ。

£12/200g
www.cartwrightandbutler.co.uk

Musical Piccadilly Biscuit Selection Tinミュージカル・ピカデリー・ビスケット・セレクション・ティンFortnum & Mason

Musical Piccadilly Biscuit Selection Tin

日本でも人気の高い1707年創業のフォートナム&メイソン。行くたびに新しい商品に出合えるといっても過言ではなく、缶入りのビスケットも実にさまざまな種類がある。この缶は、ロンドン中心部のピカデリー本店の外観からインスピレーションを受けたもので、18世紀の音楽家ヘンデル作曲の「水上の音楽」が流れるオルゴールが組み込まれている。缶の中にはレモンカードやチョコレート、ジンジャーなどのビスケットが入っている。

£19.95/300g
www.fortnumandmason.com

BISCUITEERS x Harrods Gingerbread Palaceビスコッティーズ×ハロッズ・ジンジャーブレッド・パレスHarrods

BISCUITEERS x Harrods Gingerbread Palace

毎年10月ごろからクリスマス関連の商品が売り出され、ホリデー・シーズンへのカウントダウンが早々に始まる英国。デパートやスーパーマーケットからクリスマス仕様の限定ビスケット缶が多数登場する。ロンドンの老舗高級デパートのハロッズは、ジンジャーブレッドの家ならぬハロッズの建物を組み立てるジンジャーブレッド・パレスを発売。組み立てる楽しさと英国の伝統的な製法である2度焼きのビスケットの味が堪能できる。

£40/600g
www.harrods.com

特別なときに出るノベルティー缶

英国では国や王室の記念行事がある際に、各メーカーがこぞって缶入りビスケットを販売する。故エリザベス女王の在位60周年を祝ったダイヤモンド・ジュビリー記念の缶や、201年のロンドン五輪開催記念、将来の国王ジョージ王子の誕生を祝った缶など、コレクションされることを念頭に置いた特別感漂うデザインのものも多い。

特別なときに出るノベルティー缶

今から10年前の2013年にM&Sから発売された、ジョージ王子の誕生を祝うノベルティー・ビスケット缶には、通し番号のプレートが付いているものと付いていないものがある。プレート付きは現在2000ポンド近い値がついているとか!このようにまるで記念コインのような扱いのビスケット缶だが、日本へのお土産にも喜ばれるので、店頭で目にしたときは買ってみても損はないはずだ。ただ、家にどんどん缶が溜まっていくことや、肝心の中身はたいていショートブレッドであることは加えておきたい。

特別なときに出るノベルティー缶

 

いつも時代のヒーローと共に - LEWIS LEATHERS

いつも時代のヒーローと共にLEWIS LEATHERS

英国を代表するレザー・ジャケットのブランド「ルイス・レザーズ」(Lewis Leathers)。その名を知らなくても、「艶やかな黒革に赤い裏地の王道的な革ジャン」、といえば思い当たる方もいるのではないだろうか。かねてよりミュージシャンや若者に人気が高く、今も多くの人にとって憧れのブランドだが、その始まりは古く、19世紀末のロンドンで創業。今回の特集では、一介の紳士服店から出発した小さな店が、世界中にマニアやコレクターがいる老舗ブランドに成長するまでの、紆余曲折のストーリーを紹介する。(文:英国ニュースダイジェスト編集部)

参考: www.lewisleathers.com、Lewis Leathers: Wings, Wheel and Rock'n Roll Vol.1 ほか

特徴的な赤の裏地を持ったルイス・レザーズのヴィンテージ・ジャケット。トレード・マークに羽根があるのは、かつて英国空軍の公式ジャケットを作った名残特徴的な赤の裏地を持ったルイス・レザーズのヴィンテージ・ジャケット。トレード・マークに羽根があるのは、かつて英国空軍の公式ジャケットを作った名残

ルイス・レザーズとは

1892年、ロンドン東部のスピタルフィールズで事業を営むアイザックス家の長男、デービッド・ルイス・アイザックス氏(David Lewis Isaacs 1876~1937年)が、父親ルイス・アイザックス氏の協力で、ロンドンの中心部124 Great Portland Streetに「D ・ルイス」の名で紳士服の店を開業。まもなく、偶然にもこの通りに当時の新興業界だった自動車メーカーが次々にショールームをオープンし始めたが、当時の車はオープン・カーがほとんどで運転には防寒具が必要だったことから、「D ・ルイス」は運転手向けのコート、手袋、ゴーグル、ヘッドギアに特化することに。それが現在のルイス・レザーズの始まりだった。

以降、バイク・レーサーのユニフォーム、第一次・二次世界大戦期には英国空軍(RAF)兵士のためのジャケット、戦後の経済復興期には若者のための革ジャンなど、時代と歩調を合わせて次々と人気アイテムを生み出していった。

現在の「D ・ルイス」は、アクセサリーの「アヴァイアキット」などと同様、1980年まで家族経営だったルイス・レザーズの自社ブランド名として使われている。19世紀末から続いた店舗は1993年に惜しくも閉店したが、その後日本への輸出など卸業で命をつなぎ、やがて幸運にも自身も同ブランドの大ファンである英国人デレク・ハリス氏(Derek Harris)がオーナーに就任。

ほかの多くのブランドのように海外に身売りすることもなく、2009年にGreat Portland Streetにほど近い33 Windmill Streetに現在の店舗を再オープンした。製品を海外で安く製造するメーカーが増えるなか、ハンドメイドの部分も含め全て国内で製造されており、今もメイド・イン・イングランドを貫いている。

革ジャン・ファンの巡礼地

ロンドンの中心地オックスフォード・サーカスの近くながら、その喧騒の届かない小道に位置するのがルイス・レザーズ本店。一度ドアを開ければ店内の両側にはびっしりとジャケットが並ぶ。数は少ないながらも特別感の漂うヴィンテージ品も置かれている。

Lewis Leathers Ltd.

Lewis Leathers Ltd.
33 Windmill Street, London W1T 2JP
月~土 11:00-18:00
Tel: 020 7636 4314
最寄駅: Goodge Street
www.lewisleathers.com

時代とともに変化したルイス・レザーズ

航空機や自動車の発達、ユース・カルチャーの台頭など、20世紀の歴史をなぞるかのように進化していったルイス・レザーズの歴史を、主要な時代とウェアごとに見ていこう。

1920s-1940s自動車と航空機の黎明期に進出

飛行士のためのユニフォーム

自動車の黎明期はオープン・カーがほとんどだったことから、「D・ルイス」が運転に必要な防寒具を商品化したことは先に述べた。だが同店はこれに満足することなく、1920年代には新たなビジネスへ乗り出していく。第一次世界大戦(1914~18年)によって英国の航空産業は図らずも大きな進歩を遂げたが、より高度での飛行が可能になったことで、飛行士たちに機能性の高いユニフォームが必要になったのだ。

同店は防縮加工を施した分厚いコットン製とシープスキン製を用意。ボタンの代わりに当時開発されたばかりのジッパーを使ったフライング・スーツで、英国の飛行機用ユニフォーム・ビジネスの草分けになった。左胸にはDポケットという特徴的な大きなポケットが装着されたが、これは後に「ダブルライダース」と呼ばれる革ジャンのデザインに踏襲されていく。

このころには、デービッドの父親と弟のマイケルがイングランド北部に新たに作った縫製工場「L・アイザック&サンズ」でユニフォームを独自生産し、1番下の弟ネイサンがロンドン郊外に新たに持った店で商品を販売、という家族経営スタイルも定着。「D・ ルイス」は株式会社になった。以降、1980年に売却されるまで同社はこの3兄弟の子孫たちによって経営されていた。

白いフライング・スーツ

チャーチル首相(当時)と語らうアレキサンダー・ヘンショー氏チャーチル首相(当時)と語らうアレキサンダー・ヘンショー氏

この時代の同社の大ヒット商品はRAFのパイロットたちが公式に着用した白いフライング・スーツで、オーバーオールに似たデザインに加え、ひざに地図や飛行記録ノートを入れる大きなポケットがあった。英国と南アフリカ間を4日と16時間16分で往復するなど、1930年代の飛行機レースで世界記録を樹立し、当時のスーパースターだったアレキサンダー・ヘンショー氏(Alexander Henshaw)もD ・ルイスのファンで、同社のフライング・スーツやDポケットの付いたジャケットを愛用していた。

ヘンショー氏は第二次世界大戦時にはRAFのテスト・パイロットに就任し、ウィンストン・チャーチル首相(当時)と会談も行うほどのセレブだったが、戦時中には常にD ・ルイスの白いフライング・スーツを着用していたという。

一方、両大戦間には自動車の性能を競うモーター・レースも流行したため、D ・ルイスはレーシング用のジャケットやブーツ、ヘルメットの製造も行っていた。英南東部のサリーには、世界初のサーキット場ブルックランズ(Brooklands)があり、バイクや自動車のトップ・レーサーたちが白熱したレースを繰り広げていたが、D ・ルイスには好都合なことに、ブルックランズの広大な敷地内には航空関係者がテスト飛行するための飛行場も備わっていた。

そのため同社はバイク、自動車、飛行機という3ジャンルの関係者に同時に営業活動を行うことができた。また、白いフライング・スーツはレーサーたちにも好評、レースに使うレザー・ジャケットは観客たちに愛されるという具合に、ジャンルを超えた関係が築かれつつあった。

ジャケットだけではないアイテムの魅力

革のジャケットが人気のルイス・レザーズだが、ほかに多くの関連アイテムを扱っているのも魅力の一つ。D・ルイスの時代からレザー・パンツ、レザー・ブーツ、ヘルメット、手袋、スカーフも併せて開発。

1960年代のデザインを踏襲した復刻版のヘルメット1960年代のデザインを踏襲した復刻版のヘルメット

今ではバッジ、Tシャツなども加わり、自身の目指すスタイルがラインで一式そろえられるのが強みだ。ちなみに同店で現在販売されているヘルメットは、1960年代のデザインを踏襲した復刻版でハンドメイド。手袋もレーサー用からツーリング用まで各種そろう。第二次世界大戦でのVictoryを意味する、ピース・サインに当たる部分の色が異なるなどもある。

ピース・サインにあたる部分の色が異なる手袋ピース・サインにあたる部分の色が異なる手袋

1940s-1960sユース・カルチャーに寄り添う

軍の放出品が人気に

第二次世界大戦後にファンが増えたのが、戦中にRAFの採用していたシープスキン・ジャケットだった。1930年代に活躍した米国のパラシュート・デザイナー、レズリー・ルロイ・アーヴィン氏(Leslie Leroy Irvin)によってデザインされたため「アーヴィン・ジャケット」とも呼ばれている。内側にムートンを使った茶色のジャケットで、D・ルイスでは戦時中にパイロットたちが着用していたものを下取りし、軍の放出品として販売した。

60~70年代にはレプリカも作られ、パンクスやスキンズなどの若者を中心に人気が高まり、パンク・バンドのセックス・ピストルズのジョニー・ロットン(ジョン・ライドン)やクラッシュのトッパー・ヒードンなども愛用した。また、現在でもミリタリー・ファッションを好む根強いファンがおり、軍の放出品とレプリカ共々、ヴィンテージ品として高値で取り引きされている。

1940年代のRAFスタイルであるボンバー・ジャケットに身を包む男性たち1940年代のRAFスタイルであるボンバー・ジャケットに身を包む男性たち

戦後になりようやく英国に経済復興の兆しが表れると同時に、若者の間にバイク・ブームが訪れた。戦時中は軍用車の生産に追われていた二輪車メーカーの「トライアンフ」が軽量で高性能なオフロード・バイクを発売するなどし、そのブームは10代の若者にまで広がっていった。ジャケットやブーツをはじめ、バイカーのためのあらゆるアイテムをそろえていたD・ルイスの店には、英国はおろか欧州中からバイカーたちが訪れるようになっていく。

1950年代の半ば、奇しくも米国では革ジャンに身を包んだエルヴィス・プレスリーが「ハートブレイク・ホテル」を大ヒットさせ、ロックン・ロールが世界中の若者を熱狂させ始めていた。音楽とファッションが結び付いたこの流行にいち早く反応したD・ルイスは、1955年にアメリカン・スタイルを意識した革ジャン「ハイウェイ・パトロール」、そして大ヒット商品となる「♯384ブロンクス」という革ジャンの名品を生み出した。後者は1960年代にロッカーズたちがこぞって着用したことで、D・ルイスは新しい時代に移行していく。

1930年代ごろから続いていた茶系のジャケットの時代に別れを告げ、黒の牛革に赤い裏地という、シャープなイメージへと変身。同時に、新しいブランドも立ち上げられた。それが現在英国製レザー・ジャケットの代名詞ともなっている「ルイス・レザーズ」だ。すでに「アヴィアキット」(AVIAKIT)というヘルメットや手袋などのアクセサリー用ブランドも持っていたD・ルイスだが、10代の若者をターゲットにし、老舗のイメージを払拭することで黄金時代を迎える。

バッジでカスタマイズ

労働者階級の若者たちにバイク・カルチャーが普及していくと同時に、公道でスピードを競うバイク集団が形成されるようになった。ルイス・レザーズに身を包んだ集団は、革ジャンを黒いキャンバスに見立て、スタッズやピンバッジ、刺しゅうバッジなどで自分らしさを表現。

ちなみに、英国のバイカーたちは米国のバイカーに比べ革ジャンをカスタマイズする傾向が強く、大量のスタッズやバッジで非常に重くなるほか、ピンの穴から雨が侵入することも多いという。

カフェ・レーサーとエース・カフェ

目的を決めずに走り、街道沿いのカフェで紅茶を飲んだらまた皆で走り出す姿から、そうしたバイカーの集団は「カフェ・レーサー」(後にロッカーズ)と呼ばれるようになった。1960年当時ロンドンのカフェで唯一24時間営業だったロンドン北西部の「エース・カフェ」には、そんなバイクに乗る若者たちが毎夜のように集まった。ジュークボックスにお金を入れ、1 曲演奏される間にカフェの周囲をどれだけ速く走れるかを競うなどの暴走行為も行われたという。

エース・カフェは今も経営されており、今年創立85年を迎えた。9月には昔を偲ぶ年配バイカーたちが集合しイベントを盛り上げた。
https://london.acecafe.com

カフェ・レーサーとエース・カフェ

1970s-2020s再出発とコラボレーション

日本との深いかかわり

1970年代に台頭したパンク・ロックのマスト・アイテムとしてルイス・レザーズは世界中に広まった。しかし、80年代に入るとパンク・ブームが過ぎ去り、それに伴いルイス・レザーズの売り上げも激減。その空白を埋めるかのように安価な輸入品が海外から入り込み、わざわざ高価で本格的なルイス・レザーズを手に入れようとする若者もいなくなった。

日本のロック・バンド、ギター・ウルフとのコラボレーションで作られた「メンフィス」。日本のロック・バンド、ギター・ウルフとのコラボレーションで作られた「メンフィス」。

1980~90年代前半はルイス・レザーズにとっての初めての低迷期となった。そんな状態を打破しようと立ち上がったのが、現在のルイス・レザーズの代表でもあるデレク・ハリス氏。暗中模索の中、1960~70年代に発売されたジャケットの復刻版として、新しくジャケットを作り出した。新しい顧客獲得に向け動き出すうちに、日本の存在も浮上してきた。

英国らしさが満載の、伝統的な1着「ライトニング」英国らしさが満載の、伝統的な1着「ライトニング」

1990年代に入ってからの日本では古着やモノづくりといった観点からルイス・レザーズに注目しており、2001年にはコム・デ・ギャルソンのデザイナー、ジュンヤ・ワタナベとコラボレーションの契約が成立。日本向けのルイス・レザーズがギャルソンから販売された。2005年には、東京に「ルイス・レザーズ・ジャパン」が設立。現在では、ギター・ウルフをはじめとした現役ロック・バンドのメンバーから、アーティスト、お笑い界のスターまでもが広く愛用するレザー・ブランドとして、日本でも高く評価されている。

こじんまりとした店内にはジャケットからバッグ、ベルトなどの小物までがそろい、何でも答えてくれるスタッフも常在こじんまりとした店内にはジャケットからバッグ、ベルトなどの小物までがそろい、何でも答えてくれるスタッフも常在

ヴィンテージのルイス・レザーズを探す

ヴィンテージのルイス・レザーズを探す

古着専門、革ジャン専門のオンライン・ショップでも購入できるが、ヴィンテージ・ショップや週末に開催されるマーケットなどのほか、ミリタリーに特化した古着ショップなどでも手に入る。また、郊外に行けばカーブーツ・セールで状態の良いブーツやジャケットに出くわすことも。

手入れ法と修理法

手入れ法と修理法

革ジャンはドライ・クリーニングできず、家庭用の洗剤も使えない。革は水で濡らすと縮むので雨にも注意すること。専門家に聞くか、革専門のクリーニング店に依頼するのが安全だが、ルイス・レザーズでは専用クリーニング・キットを販売している。

 

そこまでポピュラーじゃない? - 英国のハロウィーン

そこまでポピュラーじゃない?英国のハロウィーン

「欧米ならハロウィーンは盛り上がる!」と思いきや、英国では案外重要視されていないことに気付いている方々も多いのではないだろうか。米国から輸入されたハロウィーンに関連する商業的なイベントは社会にあまり浸透していないものの、はるか昔には英国でも独自に祝う文化があったという。存在感はちょっと地味だが、ひっそりとお祝いされている英国のハロウィーンに関する歴史や現代の事情を調べてみた。(文:英国ニュースダイジェスト編集部)

英国のハロウィーン

古代ケルト人に始まるハロウィンの歴史

ハロウィーンの起源はキリスト教が布教するはるか昔、紀元前1000年以上に存在した古代ケルト人の祭りまで遡る。約2000年前に現在の英国、アイルランド、フランス北部を拠点に生活していたケルト人は元々農耕民族。そのため収穫時や冬の始まりなど、農耕に影響する季節の変わり目を非常に大切にしており、そのうちの一つが10月31日に行われる祭り「サムハイン」(Samhain)だった。

ケルト暦では新しい年が現在の10月31日の夜から11月1日に始まり、冬を迎え入れるために死の神サムハインを称えた。この日は死者の魂が家に帰ると信じられており、同時に悪霊も戻るとされたことから、かがり火を焚き上げて追い払っていた。

この祭りはその後ローマ人による征服中にローマ文化の一部として吸収されてしまう。新しい価値観が次々ともたらされていくなか、7世紀を目前にキリスト教が伝来。9世紀には教皇グレゴリウス4世によってサムハインをキリスト教の万聖節に関連した祭りとして同化させる動きが見られ、儀式の一部として存続することに。宗教を通じ、英国全土に普及する祭りとなっていった。

かつて存在した英国でのお祝い法

キリスト教伝来以前からの風習だったため、英国各地にハロウィーンを祝う多様な方法が存在していたものの、時代の流れに抗えず消え去ってしまった数多くの行事がある。

貧しい人々や若者が家々を訪ねて「ソウル・ケーキ」(Soul Cake)と呼ばれる死者の魂を表したケーキを受け取る「ソウリング」(Souling)が、19世紀初頭まで英国各地で行われていたのを筆頭に、アランという品種のリンゴを子どもたちの枕元に置く英南西部コーンウォール地方限定の「アラン・デー」(Allan Day)、また英北西部ランカシャーでは、ハロウィーンの夜は魔女が廃墟で集会を行うと信じられていたことから集団でろうそくの火を灯して木々が鬱蒼と茂る山や丘を歩き回る「リーティング」(Leeting)が行われ、夜11〜12時までに火が消えなかったら魔女の撃退に成功というオカルトめいた儀式もあった。一方、スコットランド北部のカレン(Cullen)という村では、サッカーを中心になぜかスポーツに勤しむ「ハロウィーン・フットボール」(Halloween Football)といった非常にアクティブな活動もあったようだ。

いたずらの夜Mischief Nightとは?

ハロウィーンの前日である10月30日の夜は、英国各地で「いたずらの夜」として知られている。地域によって「Mischief Night」「Goosey Night」「Tick-Tack Night」などさまざまな呼称があり、そのほとんどが子どもや若者が中心となって、卵やトイレットペーパーなどを近隣の住宅に投げつけるといった少々厄介なイベントだ。昔に比べ、近年はある程度落ち着いてきたものの、一部の地域では警察がいまだ厳重なパトロールを行ったり、バーなどのハロウィーン・イベントにやってきた若者がこれを名目に客に迷惑をかけたりと、度々問題になっている。

「Mischief Night」とは

一方、子どもたちがハロウィーンに関連するイベントを行うときは、いきなり知らない人の家を訪ねるケースはほとんどなく、セキュリティーの観点から親や学校関係者などが事前に地域住民に知らせ、きちんと段取りを組んだ状態で行われることが多い。

市民の楽しみ方

11月初旬にあるガイ・フォークス・ナイトを控えているためか、現在の英国のハロウィーンは比較的小規模に楽しまれている。大手スーパーマーケットではハロウィーン関連の商品が売られ、仮装をしてバーで開催されるイベントやホーム・パーティーに出かける若者もいる。

ここぞとばかりに決め込んだメイクで仮装パーティーに参加する人々ここぞとばかりに決め込んだメイクで仮装パーティーに参加する人々

スーパーマーケットではハロウィーン特設の陳列棚が登場するスーパーマーケットではハロウィーン特設の陳列棚が登場する

子どもたちは、水を張ったボウルにリンゴを浮かべ、手を使わずに口だけで取るゲーム「アップル・ボビング」(Apple Bobbing)を行ったり、怪談話を聴いたりして過ごすことが多いようだ。

子どもたちに人気のアップル・ボビング子どもたちに人気のアップル・ボビング

また、この時期はカボチャの収穫体験を受け付けているファームも多いので、ハロウィーンと関付けて遊びに行く市民も多い。

かぼちゃの収穫体験ができるファーム(2024年)

Tulleys Pumpkins

10月27日(日)までの週末、23日(水)からは毎日営業
Tulleys Farm, Turners Hill Road, Turners Hill, West Sussex RH10 4PE
www.pumpkinfarm.co.uk

Pumpkin Week

10月19日(土)〜30日(水)
Secretts of Milford, Hurst Farm, Chapel Lane, Milford, Surrey GU8 5HU
www.secretts.co.uk

 

動物愛護の先進国 - 英国の犬・猫ペット事情

動物愛護の先進国英国の犬・猫ペット事情

外を歩けばリードなしで犬を散歩させている人を頻繁に見かけ、笑顔で「猫がいる」「実家で飼っている」と答える人も多い英国。実に多くの人がペットに絶え間ない愛情を注ぎ、犬や猫が単なるペットではなく、家族の一員として受け入れられているのだ。今回は、世界有数のペット先進国である英国の犬と猫を中心に、国内のペット事情をまとめてみた。(文:英国ニュースダイジェスト編集部)

参考: www.gov.ukwww.bbc.comwww.independent.co.ukwww.theguardian、各動物福祉慈善団体サイト ほか

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まずは統計で知る英国のペット事情

  • 英国の成人の53%が犬、猫、ウサギのいずれかをペットとして飼っている
  • 英国の成人の29%が犬を飼い、英国全体で推定1100万頭の犬が飼われている
    ちなみに日本の犬飼育数は……約705万3000頭
  • 英国の成人の24%が猫を飼っており、英国全体で推定1100万匹が飼われている
    ちなみに日本の猫飼育数は……約883万7000匹
  • 猫の飼い主の40%が複数の猫を飼っており、犬の飼い主の27%が複数の犬を飼っている
  • 英国の成人の2%がウサギを飼っており、推定110万羽が飼われている
ペットとして飼われる動物ランキング(2022年)
1位
2位
3位 屋内飼育の魚
4位 屋外飼育の魚
5位 屋内飼育の鳥
6位 ウサギ
7位 ハムスター
8位 鶏などの家禽
9位 カメ
10位 モルモット
11位 馬、ポニー 12位 ヘビ 13位 トカゲ 14位 鳩 15位 カエル 16位 アレチネズミ 17位 ネズミ 18位 昆虫 19位 イモリ、サンショウウオ 20位 フェレット

参考: 英国在住の18歳以上の犬、猫、ウサギの飼い主5507人を調査対象とした、YouGov協力による英獣医慈善団体PDSAの2023年の調査、ペットフード製造者協会(旧PFMA)による2022年の調査、一般社団法人ペットフード協会による2022年全国犬猫飼育実態調査

アイコン的存在だった「著名人の愛玩犬」

エリザベス女王

ウェルシュ・コーギー・ペンブローク

ウェルシュ・コーギー・ペンブローク

原産地はウェールズで、「ロイヤル・コーギー」として世界的に有名な犬種。女王の最初のコーギーは1933年に父であるジョージ6世からもらったものだった。一時は30匹以上のコーギーを飼うほどの愛犬家で、亡くなる2022年9月まで常に同種を飼っていた。2021年にアンドリュー王子とその娘たちから贈られたコーギー2匹は、現在同王子と元妻のセーラ・ファーガソンさんに引き取られ、元気に暮らしている。

ウィンストン・チャーチル元首相

ミニチュア・プードル

ミニチュア・プードル

厳格な政治家チャーチルも、プライベートでは大の犬好きだった。チャーチルはルーファスという茶色いミニチュア・プードルを飼っていたが、1947年に車に轢かれて亡くなってしまい、その後ルーファス2世と名付けた犬を飼い始める。しかし迎え入れてすぐにルーファス2世が重い病気にかかってしまい、チャーチルはもし犬がまたいなくなったら耐えられないと、留守中の世話を任せた人に胸中を明かした手紙を頻繁に書いていた。

ポール・マッカートニー

オールド・イングリッシュ・シープドッグ

オールド・イングリッシュ・シープドッグ

ミュージシャンのポール・マッカートニーがビートルズ時代に飼っていたのはオールド・イングリッシュ・シープドッグのマーサ。当時メンバーだったジョン・レノンも「とてもかわいかった」と形容したほどで、1968年発表のアルバム「ザ・ビートルズ」に収録された曲「マーサ・マイ・ディア」(Martha My Dear)は、人間の女の子ではなくマーサーへ向けた愛の歌だった。現在マッカートニーは保護犬を引き取り可愛がっているそう。

声なき動物を支援する英国の犬や猫が幸せに生きられる「3つの体制」

英国にはアニマル・ライツを守るためのさまざまな体制が整っている。これらは無責任な飼い主により捨てられた犬・猫を助ける大きな受け皿となっている。

厳格なルールで制裁
1. ペットの命を守る法規制

ネコ

イングランドでは、動物の福祉を守るための「動物福祉法2006年」(Animal Welfare Act 2006)が施行されており、スコットランドなどほかの3地域でも同じような制度がある。これにより飼い主は動物を苦しみから守り、適切な世話をすることが義務付けられているが、もし動物に虐待など不必要な苦痛を与えた場合は、動物飼育の禁止や罰金、また最長5年の懲役となる。このほかにも、以下のようなルールが施行、または実現に向けて準備が進められている。

ルーシー法

2020年から導入された「ルーシー法」(Lucy’s Law)は、イングランド内で新規に子犬や子猫を飼う際、イングランドのブリーダーから直接購入するか、または保護シェルターからの引き取りを促進させるもの。一部の悪徳業者による劣悪な環境での子犬や子猫の大量繁殖をやめさせることを目的としており、認可を受けたブリーダーは、生まれた場所で母親と戯れる様子を購入者に見せなければならない。もし業者が無許可で子犬や子猫を販売した場合、罰金または最長6カ月の懲役刑が科せられる可能性がある。

猫へマイクロチップ埋め込みを義務化

飼い主の連絡先の詳細をデータ化したペット用マイクロチップの埋め込みは、すでにイングランドにいる生後8週目までの犬に義務化されている。2023年3月、政府は2024年6月10日より、イングランドの猫の飼い主は、飼い猫に対し生後20週までにマイクロチップを埋め込み、データベースに最新の情報を登録することを義務付けた。埋め込まれていないことが判明した場合、一定の猶予期間が設けられ、以降は最高500ポンドの罰金が科せられる。この法により、猫が迷子や事故の際、飼い主と迅速に連絡が取れるようになる。

動物虐待コンテンツの制限

英国では、オンライン上でのユーザー、特に子どもの安全確保を目的とした新しい法律、オンライン安全法案(Online Safety Bill)の成立に向け最終段階に入っている。2023年9月11日現在、ソーシャル・メディアを運営する企業に対し、プラットフォーム上から動物虐待のコンテンツを削除しない場合、最大1800万ポンド(約33億円)の罰金が科され、たとえ動物虐待が英国外で行われたとしても、国内のユーザーがアクセスできる状態が認められる場合はそのコンテンツも削除対象となる修正案が提出。現在実現に向け審議が進められている。

ペットは大事な家族の一員
2. ドッグ・フレンドリーの場所が多い

電車に乗せる前に人々や騒音にある程度慣れさせておくのも飼い主の責任電車に乗せる前に人々や騒音にある程度慣れさせておくのも飼い主の責任

英国在住の人にはすっかりおなじみの光景かもしれないが、ロンドンの地下鉄やバス、ナショナル・レールでは、リードにつないだ状態なら専用ケージに入れてなくても犬と一緒に旅行ができる。乗車料金は基本無料だが、ナショナル・レールの場合3頭以上で有料になる可能性がある。なお、ペットは盲導犬などの補助犬のように特別な訓練を受けていないため、エスカレーターを利用の際は、けが防止のために飼い主が終始抱き抱える必要がある。

また、タクシーの代わりに利用されるUberでは、ロンドンやマンチェスターなど特定の大都市で「Uber Pet」サービスを2022年からスタート。通常の乗車料金に数ポンド上乗せするだけで、ペット1匹、ドライバーとの交渉次第では数匹を乗せることができる。なお、補助犬の場合、料金はかからない。

また、ペットが泊まれるコテージや犬同伴OKのレストランやカフェなど、実に多くの場所で家族と一緒に過ごす犬たちの姿を見ることができる。

上から2番目がUber Pet。ロンドン市内なら通常料金+5ポンド程度で利用できる上から2番目がUber Pet。ロンドン市内なら通常料金+5ポンド程度で利用できる

ペットの新しい「仕事」

ESAの認可へ向けて

盲導犬などの補助犬や、病院やケア・ホームなど指定の場所で働くセラピー・ドッグのように、人々の生活をサポートするために働く犬がいる。近年英国では、統合失調症、うつ病、不安障害などの精神疾患の症状軽減を目的とした任務に就く「感情サポート動物」(Emotional Support Animals=ESA)という動物たちへの関心が高まっている。国内ではまだ認可されていないが、目下その実現に向けて署名活動が行われている。一方、すでに特定の場所でのみESAが認可されている米国では、ESAに偽装されたペットが他人へ噛み付いたり、公共の場で排便したりと一部の問題行動が指摘されている。実現には長い道のりになりそうだ。

迷える動物への手厚い保護
3. 多くの動物福祉慈善団体が支援

歴史の古い巨大な組織RSPCA

RSPCA

王立動物虐待防止協会(Royal Society for the Prevention of Cruelty to Animals=RSPCA)は、1824年設立の世界で最も古い動物福祉慈善団体。政府から助成金を受けているものの、それは支出の0.1パーセントほどで、ほとんどの活動資金は寄付金でまかなわれている。イングランドとウェールズを拠点に、動物の救出、リハビリテーション、施設から新しい飼い主を見つけるリホーミングが主な活動だ。また、パピーミルなどの大規模な動物虐待や、近隣住民からの通報で飼い主のネグレクトが疑われる場合は、優先順位に応じてスタッフを現場に派遣し、虐待調査を行なっている。
www.rspca.org.uk

有名キャットを多数輩出Battersea Dogs & Cats Home

Battersea Dogs & Cats Home

「助けを必要としている犬や猫を決して拒まず、最大限のケアをして新しい家を見つける」ことを使命に、ロンドン北部ホロウェイで1860年に運営を開始し、現在の場所に1871年に移転した慈善団体。現在は、バタシーのほかにイングランド内に二つのセンターを構える。首相官邸のネズミ捕獲長を務めるラリー、財務省内の同長グラッドストン、外務省内で2016〜20年まで同長を務めたパーマストンなどの猫たちは、皆このバタシー出身だ。ここでの活動をより知りたい方は、スタッフの苦労や保護についての実態を紹介する月1回開催の有料のガイドツアーに参加するのがお勧め(要予約)。
www.battersea.org.uk

どんな家に引き取られても医療は平等にPDSA

PDSA

1917年に始まった動物のための人々の診療所(People's Dispensary for Sick Animals=PDSA)は、支援を必要としているペットに無料・低料金の治療や投薬などの獣医療サービスを提供している獣医慈善団体。支援を受けるには、飼い主が特定の給付金を受け取り、かつ48ある動物病院の管轄区域地域に住むことなどが条件となっている。創設者のマリア・ディッキン(Maria Dickin 1870〜1951年)は、戦争で重要な役割を担った動物に贈られるディッキン・メダルを制定したことで知られている。後に同団体はPDSAゴールド・メダルとPDSA功績勲章を制定した。
www.pdsa.org.uk

飼い主への心のケアも行ってくれるBlue Cross

Blue Cross

1897年に路上で働く馬をケアするために生まれた動物福祉慈善団体。現在は犬や猫、馬、小動物などさまざまな動物たちのリホーミング、治療費の支払いが難しい飼い主に対し、良心的な価格で提供する獣医療サービス、学校訪問など教育を通じた動物福祉事業の啓蒙活動を行う。また、ペットとの死別でペットロスに悩まされている飼い主への心のケア、また万が一飼い主がペットより先に亡くなったときに、ペットのリホーミングを行ってくれる事前登録制のサービスなど、実に幅広い分野にわたって動物の福祉事業に貢献し、飼い主を支援している。
www.bluecross.org.uk

保護犬活動の大本山Dogs Trust

全英犬防衛連盟(National Canine Defense League)という名で1891年に設立された、犬に特化した国内最大の動物福祉慈善団体で、2003年に「ドッグズ・トラスト」に名称が変更された。飼い主の都合で捨てられる犬を減らすために作られたスローガン「犬はクリスマス・プレゼントではなく、一生のもの」(A Dog is for life, not just for Christmas)はあまりにも有名。英国全土、またアイルランドの首都ダブリンにリホーミング・センターがある。保護した犬のリハビリとリホーミング活動に重きを置いているほか、リードを着用して歩かせる方法やトイレ・トレーニングなどを教えるドッグ・スクールも開催している。
www.dogstrust.org.uk

苦渋の決断

保護動物に安楽死が必要な理由

動物福祉慈善団体は動物に常に最大限のケアを施すが、人間により致命傷を負わされたり、過去のトラウマで重度の精神的外傷を抱え、公共での安全の確保および動物たちのトラウマを減らす手立てが全くないとき、不要な苦しみを長引かせない安楽死が動物たちにとって最良の選択となるときがある。これは複数のスタッフにより慎重に検討され、最終判断までに数年かかるケースも。よって厳密には保護団体で全ての命を救えるわけではないものの、苦渋の決断の上の、動物の幸せを真に願った結果であること、またそうさせているのは一部の愚かな人間であることを忘れないでほしい。

かけがえのない命を救おう!犬や猫を動物福祉慈善団体から受け入れる方法

英国ではどのようなプロセスで犬や猫を家に迎え入れるのだろうか。もしあなたが動物を幸せにしたいと強く望み、育てるのに十分な経済的・時間的な余裕があればぜひ参考にしてみてほしい。

政府が推奨するガイドライン購入先は慈善団体 or ブリーダー

政府はペットの違法取引と戦うため、下記の場所からの購入を提案している。リホーミング事業はこちらで紹介した動物福祉慈善団体でも行っているが、団体によってプロセスは異なるため、ここではRSPCAでのリホーミングについて紹介する。

  • ● 国内の信頼できるリホーミング団体
  • ●「ケンネル・クラブ」(Kennel Club)から認められている信頼できるブリーダー。購入前に動物とその書類を必ず確認すること。なお、動物が国外で生まれた場合は、ペット・パスポートまたは獣医師の証明書が必要

RSPCAから犬・猫を受け入れる「5つのステップ」

①オンラインのプラットフォーム上で犬または猫を探す

種類、(推定)年齢、性別、性格、RSPCAに来た経緯から迎え入れる家族に求める理想など、スタッフがびっしりと紹介文を書いているので、まずはこれをチェックしよう。猫の場合、室内飼い・屋外飼いなど、その猫に適した生活環境も記載されている。

②リホーミング申請フォームに記入する

一緒に暮らしたい動物が見つかったら、指定の申請フォームに記入。住居の形態や飼い主のライフスタイルを記載するほか、動物を完全に受け入れる(Adoption)、人間との生活に慣れさせるために一時的に預かる(Fostering)などの細かい項目に答える必要がある。記載が終わったら、該当の動物がいる譲渡センターへ持ち込もう。

申請フォームは犬用、猫用がある申請フォームは犬用、猫用がある

③選んだ犬・猫について理解を深める

RSPCAではその動物が生活することになる受け入れ家庭の、全ての住人が事前にその動物に会いに行くことを推奨している。また、受け入れ側に動物アレルギーを持つ人がないかなど、想定される問題を事前に解消しておく必要がある。なお、スタッフが一度検討した方が良いと判断すれば2回目の訪問を要請される場合も。

④スタッフによる自宅訪問

山場はココ。サポート・スタッフが自宅を直接訪問し、動物が安心して暮らせる環境になっているかチェックが入る。問題がなければ、お世話のヒントや動物との接し方など、責任を持って育てられるよう、今後の育て方について話し合いが行われる。

⑤いよいよ受け入れ! 新しい家族を迎える

全ての準備が整ったら、再び譲渡センターを訪れ正式な書類にサイン。育て方ガイドや新しい家でも動物が安心できるようにこれまで使用していた毛布など、必要なものが渡される。RSPCAで譲渡される犬や猫は、ワクチン接種やマイクロチップの埋め込み、必要に応じた去勢や避妊手術は完了済み。犬を受け入れた場合、数週間後にスタッフが再び自宅を訪れ、様子を確認したり必要に応じて追加のサポートを行ってくれる。

それでもちょっと不安……受け入れにまつわるQ&A

大まかな流れは上記の通りだが、ブリーダーから購入するのとは異なり、動物福祉慈善団体からの受け入れは審査が厳しく、ときには断られることもあるとの噂も……。しかし全ては動物が正しいセカンド・チャンスを掴むために大事なこと。受け入れに関する疑問をまとめみた。

Q受け入れの費用は?

犬か猫か、生後何カ月経過しているか、また譲渡センターによっても異なる。RSPCAでの相場は猫は85〜150ポンド、犬は150〜300ポンド。

Q庭がないが犬を迎えたいけど大丈夫?

該当の犬が室内でのしつけを受けているかどうか、また飼い主が定期的に犬を散歩に連れて行ける時間とその意欲があるかによって受け入れが判断される。

Q猫を受け入れたいが近隣に幹線道路があって心配

室内飼いが適切な猫、庭程度の空間があれば十分な猫など、さまざまな性格の猫がいるので、まずはスタッフに相談を。ちなみにバタシー・ドッグス&キャッツ・ホームでは、飼い主とより相性の良い動物をマッチさせるため、好みだけで特定の動物に応募しないことを推奨している。

Q旅行などで数日家を空けることがある

家族や友人、近所の人に世話を頼んで家に来てもらうのが1番安心。難しければ信頼できるペット・シッターやペット・ホテルを利用する。ペット・ホテルの場合は先々まで予約が埋まっていることもあるので旅程が決まったら早めに予約するのが安全。

話題をさらうのは「かわいい」だけじゃない!英国の犬・猫エピソード

英国でも犬・猫に関するトピックは人気の一つ。歴史から最近の話題まで、気になる六つのエピソードを紹介する。

犬派・猫派は永遠の論争

日本でもたびたび話題になる、犬派・猫派論争は、ここ英国でも同じ。米国の大学の調査結果が多いものの、そのほとんどで「犬の飼い主は社交的で活動的、ルールを厳密に守る傾向にある。猫の飼い主は内向的で繊細、創造的かつ哲学的だがやや神経質」が通説となっている。ちなみに、犬を飼うと散歩のために外出し、人と話すスキルが求められ、一方猫は家の中で寝ていることも多いので、必然的に飼い主の活動量が減らされているという、動物に人間が影響を受けているとする英エプソム大学の研究もまた興味深い。

人間に愛された犬、翻弄された猫

英国に犬がいた最初の記録は石器時代。紀元前7500年ごろにはすでに存在していたようで、中世では狩猟犬や牧羊犬、番犬などとして活躍。英国の驚くべき点は犬の品種改良に対する熱意の高さで、用途に応じたサイズの犬を数世紀にわたり次々と作った。一方の猫は、古代ローマ人によって持ち込まれて以来、黒猫は幸運の象徴とされていたが、中世のペスト流行時に宗教関係者によって「悪魔の使い」であるとして大量に殺されてしまう。しかし、第二次世界大戦後には政府機関の施設のネズミ駆除係としてその地位を大きく向上させた。

英週刊風刺漫画雑誌「パンチ」の年鑑、「パンチ年鑑」(Punch's Almanack、1900年発行)に描かれた挿絵。男性が2頭の立派な犬をリードに繋ぎ散歩させている英週刊風刺漫画雑誌「パンチ」の年鑑、「パンチ年鑑」(Punch's Almanack、1900年発行)に描かれた挿絵。男性が2頭の立派な犬をリードに繋ぎ散歩させている

犬もビールを飲んでいる?

英国の食といえばビール、アフタヌーン・ティー……。私たち日本人にとっても楽しい食文化だが、なんと英国では犬もそれを味わっているのだ。2018年には人気のクラフト・ビール、ブリュードッグから、アルコール・フリー、ホップ・フリーで炭酸抜きの犬用ビール「Subwoofer IPA」が限定発売され話題に。また、ロンドンの高級デパート、ハロッズにほど近いザ・エガートン・ハウス・ホテル(the Egerton House Hotel)では、鶏レバーのミートローフなど豪華なメニューが売りの「ドギー・アフタヌーン・ティー」が30ポンドで楽しめる。
https://egertonhousehotel.com

ホームレス男性の人生を劇的に変えた猫

官邸でネズミ捕獲長として働く猫など、英国には数多くの有名な猫がいるが、2020年に死去した茶トラのボブもその1匹だ。元ホームレスのジェームズ・ボウエンさんがボブと出会ったのは2007年。けがをした野良猫の世話をし、以来ボブとボウエンさんは行動を共にするようになる。街中で雑誌「ビッグ・イシュー」を販売するボウエンさんの肩にはいつもボブが乗り、いつしか街の人気者に。ボウエンさんはこの一連の出来事を本に書き、後に映画化もされた。ロンドン東部イズリントン・グリーンには、ボブの等身大の彫像が設置されている。

英国の花火シーズンにかけたいペットのためのラジオ番組

日本で花火といえば夏だが、英国では11月上旬にあるイベント「ガイ・フォークス・ナイト」がそのシーズンに当たる。ガイ・フォークス・ナイトを中心に約1週間ほど、人々は自宅で花火を打ち上げ続け、週末には各地で大規模な花火大会が開かれる。一方、花火の爆発音と明るい夜空はペットにとっては相当なストレス。クラシック専門のラジオ局「Classic FM」は、この時期のペットの不安を和らげるために、ペット向けのクラシック音楽が編成された番組「Classic FM's Pet Classics」をここ数年放送している。2023年の放送は未定だが、気になる人はぜひサイトからチェックしてみてほしい。
www.classicfm.com

安全性の高いペット・フード

英国にはペット・フードの原材料をチェックし、ペットたちが栄養価の高い食事を安心して取れるよう、その品質を厳格に管理する「UK Pet Food」(旧PFMA)という協会がある。動物愛護が盛んな英国のペット・フードは世界でも1、2を争うほどの安全性の高さで知られているが、それは同協会が50以上もあるペット・フードに関する法律を遵守するよう、加盟メンバーのペット・フード製造会社に促しているからだ。このおかげで私たち飼い主は、たくさんの高品質なフードの中から犬や猫が最もおいしそうに食べるものを安心して選択し、与えることができる。
www.ukpetfood.org

 

時代区分から知る:消費社会の始まり - ジョージ王朝時代の英国

時代区分から知る 消費社会の始まりジョージ王朝時代の英国

「ジョージアン」というと建築や家具の様式を思い浮かべる人も多いだろう。だが18~19世紀半ばのジョージ王朝時代は、それだけにとどまらない。大英博物館が作られ、「タイムズ」紙など著名紙の発行が始まり、ジェーン・オースティンが活躍した時代。アフタヌーン・ティーやクリケットなど、私たちが「英国らしい」と思うものの多くはこの時代に形成された。政治的にも文化的にも大きな転換期を迎えた、ジョージ王朝時代の英国の社会を眺めてみよう。(文: 英国ニュースダイジェスト編集部)

参考: Georgians Revealed Life, Style and the Making of Modern Britain by British Library、「イギリス社会史 2」トレヴェリアン著 みすず書房、「路地裏の大英帝国 イギリス都市生活史」 角山榮/ 川北稔 編 平凡社ほか

1821年、ウェストミンスター寺院で行われたジョージ4世の戴冠式を描いた銅版画1821年、ウェストミンスター寺院で行われたジョージ4世の戴冠式を描いた銅版画

ジョージ王朝時代(Georgian)とは

ジョージ王朝時代(1714~1837年*)はジョージ1世からジョージ4世までの4人のジョージと、ジョージ4世の弟ウィリアム4世に統治された時代をさし、ヴィクトリア朝の一つ前の時代にあたる。君主から議会へ政治権力が移行するなど、英国が中世から近代へ移り変わった重要な時期で、欧州の一国に過ぎなかった英国は、商業貿易によって富める列強国として急激に台頭した。対外的にはナポレオン戦争や米国独立戦争を経てインドを支配するなど、次に続くヴィクトリア朝時代で「大英帝国」となる準備期間でもあった。

一方で国内は、産業革命と農業革命という相互する転換期を迎え、農村の土地制度の変化、そして都市の産業が前例のない速さで拡大した。貧富の差は拡大し、著しい貧困と酷い労働条件に労働者は反乱寸前の状態だった。だがそうした社会の不平等を背景にしながら、世界が今まで見たことのない科学、デザイン、技術が次々に生み出された時代でもあった。レジャーや余暇を楽しむ人が増え、消費社会の原型が形作られた。それまでの英国を永遠に変え、現在につながる道を作ったのがジョージ王朝時代だ。

*ジョージ王朝時代は、4人のジョージが統治した1830年までとする考え方と、ドイツのハノーファー家が統治した1837年までとする考え方があり、後者をハノーヴァー朝という場合もある。ちなみに、後につながるヴィクトリア女王もハノーファー家の血統だが、ハノーファー公の地位は女性の相続が認められないためハノーファー国との同盟は解消。ハノーヴァー朝ではなくヴィクトリア朝となる。混乱を避けるため、この特集では1937年までをジョージ王朝時代とした

英国の時代区分

年表で見るジョージ王朝時代

1714 ジョージ1世が即位
1719 ダニエル・デフォーが「ロビンソン・クルーソー」を発表
1720 株価の急落と暴落を起こした南海泡沫事件が勃発
1721 ロバート・ウォルポールが首相に就任
1721 ウィリアム・ホガースが風刺銅版画集「南海泡沫事件」を出版
1726 ジョナサン・スウィフトが「ガリバー旅行記」を発表
1727 ジョージ1世の死去によりジョージ2世が即位
1729 テムズ川に初の橋、パットニー橋が完成
1733 ダウニング街10番地に首相が入居
1736 ウェッジウッドが工場を建設
1751 グレゴリア歴を導入
1751 ジンの販売を規制する「ジン法案」を実施
1755 サミュエル・ジョンソンが英語辞典を出版
1756 七年戦争が勃発(63年まで)
1759 大英博物館が開館
1761 ブリッジウォーター運河が開通
1768 キャプテン・クックが第1回の航海へ出発
1769 ジェームズ・ワットが蒸気機関を改良
1771 ロバート・アダムスがウェリントン提督の邸宅アプスリー・ハウスを建築
1776 アダム・スミスが「国富論」を発表
1781 ウィリアム・ハーシェルが天王星を発見
1783 ウィリアム・ピットが24歳で首相に就任
1788 「タイムズ」紙が発行
1791 「オブザーバー」紙が発行
1796 エドワード・ジェンナーが天然痘の予防法を開発
1798 所得税が導入
1805 トラファルガーの海戦
1807 英国とその全植民地で奴隷貿易が廃止
1811 ジョージ3世が精神疾患で退位、皇太子(ジョージ4世)が摂政となる
1813 ジョン・ナッシュが 1832年までかかるロンドンの都市計画を開始
1815 ワーテルローの戦い
1816 ジェーン・オースティンが「エマ」を発表
1819 ピータールーの大虐殺
1821 アイルランドで大飢饉
1830 ウィリアム4世が即位
1830 リヴァプール・マンチェスター間に鉄道が開通
1831 ダーウィンがビーグル号で船出
1832 選挙権にまつわる大改革法(Great Reform Act)が成立
1833 奴隷制の廃止
1837 ウィリアム4世が死去、ヴィクトリア女王が即位

ジョージ王朝時代という123年

約120年続いたジョージ王朝時代を、政治、文化、建築・インテリア、ファッション、食という五つの側面から光を当てる。

政治

1714年、世継ぎのいないアン女王の死によって神聖ローマ帝国(ドイツ)のハノーファー公、ゲオルグ1世が英国王に迎えられ、ジョージ1世として即位。ハノーヴァー朝が開かれた。しかし1世は王座に就いたときすでに50歳を超えており、英語が堪能ではないこともあり多くの時間をハノーファーで過ごした。続く2世もドイツ生まれで英独を行き来する生活であることから、この時期に英国では議会政治が発展し責任内閣制が成立。自由民主党の前身であるホイッグと保守党のトーリーという二大政党制も形成された。ホイッグ党に所属した第一大蔵卿のロバート・ウォルポール(Robert Walpole)は、議会の支持を基盤に政権運営をした実質的な「初代首相」とされている。

宮廷画家のジェームズ・ソーンヒルが描いた、家族に囲まれたジョージ1世。膝に手を置いているのは皇太子で、後のジョージ2世。グリニッジの旧王立海軍学校にあるペインテッド・ホールの天井画の一部宮廷画家のジェームズ・ソーンヒルが描いた、家族に囲まれたジョージ1世。
膝に手を置いているのは皇太子で、後のジョージ2世。
グリニッジの旧王立海軍学校にあるペインテッド・ホールの天井画の一部

ちなみにジョージ2世が1732年、ウォルポールにダウニング街10番地の館を与えようとしたとき、ウォルポールは「個人ではなく第一大蔵卿の官邸としてならば」、と受け取った。これが現在の首相官邸の始まりである。やがて20年にわたり国政を率いたウォルポールが退くと、ジャコバイトの反乱*を皮切りに、フレンチ・インディアン戦争、インドでのプラッシーの戦い、そして米国の独立戦争、対仏戦争とナポレオン戦争、アイルランドの反乱と独立と次々に争いごとが起こった。

こうした戦いで英国は財政難に陥ったものの、ウィリアム・ピット(William Pit)などの優秀な政治家が舵を取った。国内では農業革命から産業革命を経て工業化が進んだ一方で、貴族や大地主であるジェントリ**の富裕層とそれ以外とに二極分化し、今も英国に根深く残る階級社会が誕生した。

* 名誉革命で追放されたステュアート朝のジェームズ2世こそが正当な王位継承者であると主張する勢力ジャコバイト(Jacobite)による反乱(1745-46年)
** 農業経営をする地方地主。貿易や産業の発展が急速に進むなかで、本来の農業経営だけでは立ち行かず、企業家としても活動した。これが産業革命を促進したともいわれている。ジェントリはジェントルマンの語源となった

文化

この時代は日刊または週刊の新聞が相次いで発行され、「タイムズ」紙や「ガーディアン」紙といった今も読まれる大新聞が登場。新聞によって初めて人々は多くのニュースや情報を得ることになった。また、一般の識字率は低かったが、読書人口も徐々に増加した。

当初の書籍は、「淑女はどうふるまうべきか」といった指南書のようなものが多かったものの、ダニエル・デフォーが1719年に書いた「ロビンソン・クルーソー」やジョナサン・スウィフトの「ガリバー旅行記」を皮切りに、多くの小説が生み出されるようになり、「高慢と偏見」などで知られるジェーン・オースティンもデビューした。詩の世界にも多くの才能が現れ、ウィリアム・ブレイク、ウィリアム・ワーズワース、バイロン、パーシー・ビッシュ・シェリー、ジョン・キーツらが登場。また、サミュエル・ジョンソンはロンドンの文学サークルの中心で活躍しながら、英語辞典を作り上げた。

英国初の小説の一つといわれるダニエル・デフォーの「ロビンソン・クルーソー」初版本(1719年4月25日出版)英国初の小説の一つといわれるダニエル・デフォーの
「ロビンソン・クルーソー」初版本(1719年4月25日出版)

ジョージ王朝時代の人々は、前のステュワート朝時代に比べて余暇やレジャーなど、外へ出る楽しみが格段に増えた。図書館や本屋へ行くことが流行り、大英博物館が開館し、王立芸術院では展覧会が開催された。また、照明の設備も整ったことから劇場も増加した。サーカスが人気を博したのもこの時代で、パンテオンやライシアムといった大きなダンス・ホールもオープンした。さらに、広場や公園など、公共のオープン・スペースが次々に整備されていき、階級を問わず人々の間に屋外の散歩を楽しむ習慣が広まった。

建築・インテリア

この時代にはロバート・アダム(Robert Adam)、ジョン・ソーン(John Soane)、ジョン・ナッシュ(John Nash)という3人の建築家が活躍し、バッキンガム宮殿、ロイヤル・パビリオン、クラレンス・ハウスをはじめとする王室や貴族の館を手掛けた。また都市計画も行い、ナッシュはリージェンツ・パーク、リージェント・ストリートの設計をした。

ジョン・ナッシュが設計したロンドン北部ハムステッドのケンウッド・ハウスジョン・ナッシュが設計したロンドン北部ハムステッドのケンウッド・ハウス

都市部に増えた裕福な中流階級のための住宅、テラスハウスやタウンハウスもこの時期に次々に建てられた。左右対称を基調としたシンプルな構成で、横につながる長屋形式のテラスハウスはジョージアン様式の特徴。建物の入口ドアの上には、ファン・ライトと呼ばれる扇型のガラス窓がはめ込まれていることが多く、これは狭くて細い玄関に採光を取り入れる工夫だった。内部のスペースは、居間、書斎、客間など用途ごとに分かれ、家具も部屋の用途に合ったものが置かれた。今でこそ当たり前に聞こえるが、これより前のチューダー朝の家はホール式のスペースで、家具は用途に応じて移動させていた。それと比較してもジョージアン様式の建築は、住居として使いやすく今でも人気が高い。

今も残るカーブの美しいロンドン中心部のリージェント・ストリートは、ナッシュによる都市計画の一端今も残るカーブの美しいロンドン中心部のリージェント・ストリートは、ナッシュによる都市計画の一端

また、1696年から建物に窓税が掛けられており、窓数が多いほど税金が高かった。そのため、節税の一環で窓を取り外しレンガを積む入居者も多く、今でも時折、その名残で窓が塞がれた建物を見ることができる。

また、1721年から輸入木材への関税が撤廃され、西インド諸島から高級で彫刻装飾にも適したマホガニー材が簡単に輸入できるようになったことから、マホガニー家具が流行。特に家具デザイナーのトーマス・チッペンデール(Thomas Chippendale)によるマホガニー家具が一世を風靡し、ジョージ王朝時代の家具はマホガニー一色になった。チッペンデール様式といわれるそれは、シノワズリ(中国趣味)とロココ様式を融和させながらも、宮廷様式の家具を市民の生活環境に合わせた、機能的で洗練されたスタイルといえる。

代表的なチッペンデール様式の椅子代表的なチッペンデール様式の椅子

ファッション

大きな帽子や幅広いドレスなど、18世紀初頭までの大げさなスタイルから解放されて、男女ともシンプルで軽やかな装いが流行した。フランス革命(1789~95年)の影響で、これまでファッション界のリーダーだったフランス貴族のようなスタイルが好まれなくなったのが理由の一つだ。女性はきつく締めあげられたコルセットをしなくなり、ハイ・ウエストで体形にそった、古代ギリシャ風ともいえる自然なドレスが流行した。こうしたドレスはジェーン・オースティン作品のドラマなどで目にすることが多いので、現在でもよく知られているだろう。

一方、男性ファッションも大きく変化した。当時のインフルエンサーで、誰もがそのファッションを真似したというボー・ブランメル(Beau Brummell)の登場によって、英国の紳士服は世界に誇れるファッションになり、その影響は今に至る。まずブランメルは宮廷風のかつらを脱ぎ、香水にも手を付けなかった。そして紳士服の規準を、「暗い色合いできちんとカットされた服が、カラフルで派手な服よりも洗練されている」と定義。体にフィットし乗馬に適した服装を念頭に、悪目立ちせずに清潔でスマートな服装を提案し、権力者が集まる晩さん会で披露した。ブルメルの功績は、紳士服にネクタイを組み合わせたスーツをファッションに導入し定着させたことだろう。英国は、ビジネスや正式な場において世界中で着用されているスーツの誕生の地となったのだ。

真っ白なスカーフが特徴的な1805年ごろのボー・ブランメルの様子。画家リチャード・ダイトン作真っ白なスカーフが特徴的な1805年ごろのボー・ブランメルの様子。
画家リチャード・ダイトン作

ところで、放蕩者で浪費家でいいところが何もないといわれるジョージ4世だが、一介の平民でありながら優雅でスマートなボー・ブランメルの知己となった。自身もブランメルのスタイルを取り入れることで、当時の英国ファッションを盛り上げるのに一役買った。

階級によって大きく異なるものの、ジョージ王朝時代以前は、多くの国民にとって食事はシンプルなもので、食材はその土地で採れたものだった。しかし農地を離れ都市で働く人が増加したこの時代、小麦やパン、そして肉や魚は店で買う「商品」に転じた。そのため大量の肉が農場から都市の市場まで輸送されたが、その旅は長く困難を伴ったため、品質はかなり悪かったといわれる。1788年に「食卓の名誉」(The Honours of the Table)という本を著した医師によれば、肉はひどい匂いがするので、食べるときに鼻を近づけないようにしたいほどだったという。

ウィリアム・ホガースが描いた「ジン横丁」ウィリアム・ホガースが描いた「ジン横丁」

また、スウェーデン人旅行者が1748年に、英国人は大きな肉を調理するのは得意だが、ほかの料理分野では才能がないようだ、と発言したことが知られている。一方で果物は、選ばれたごく少数の裕福な人々だけが手に入れることができた。そもそも人々は生の果物を恐れており、果物は消化不良や疫病を引き起こすと考えられていた。

中産階級以上の人々は、この時代の朝食はまだヴィクトリア朝のように豪華ではないものの、トースト、ロールパン、チーズ、紅茶、コーヒー、チョコレート、そして生水より安心なうえ、重要な栄養源でもあったエール(Ale)などで簡単な軽食を9時から10時の間に取った。昼食はなく、夕食は夕方5時ごろ。裕福な人々がフランスの影響を受けたコース料理を食していた一方、労働者たちはもう少し早い時間帯に、パンを主食に生焼けの肉と茹でたキャベツ、チーズなどを取った。アルコールに関しては、消費税を払う必要がない安価なジンが都市の貧民たちの間で流行した。アルコール度数の高さから健康を害する人が多く、また暴力や失業などの悲惨な状況を生み出した。

今も名を知られている
ジョージ王朝時代に創業した主な会社

*()内はジョージ王朝時代以前に創業

  • Garrard & Co. Limited. (旧Asprey & Garrard Limited.) [宝石、1722年]
  • Royal Bank of Scotland [銀行、1727年](Barclays Bank 1690年)
  • Floris of London [香水、1730年]
  • East India Company [貿易、1730年]
  • Booth's Gin [酒類、1740年]
  • Sotheby's [オークション、1744年]
  • Royal Worcester [陶磁器、1751年]
  • Wedgwood [陶磁器、1759年]
  • Lloyds Bank [銀行、1765年]
  • The Times [新聞、1785年]
  • The Observer [新聞、1791年]
  • British Gas [ガス、1812年]
  • The Guardian [新聞、1821年]
  • Cadbury [チョコレート、1824年]
  • Clarks [靴、1825年]
  • Harrods [デパート、1834年](Fortnum & Mason 1707年)
  • Tetley [紅茶、1837年](Twinings 1706年)

この時代をファッションから見るStyle & Society: Dressing the Georgians

Style & Society: Dressing the Georgians

18世紀の英国ファッションを再発見するエキシビション。ジョージ王朝時代はスタイリストやインフルエンサーが誕生し、人々がショッピングに憂き身をやつした時代。ゲインズバラ、ゾファニー、ホガースなど、当時のアーティストによる芸術作品から垣間見るファッションのトレンドを探るほか、洗濯女の実用的な服装から宮廷で着用される豪華なガウンまでが展示される。テキスタイルや宝飾品など、さまざまなアクセサリーも間近で見ることができる。

ジョージアン

2023年10月8日(日)まで
木~月 9:30-17:30(9月25日から10:00開場)
£17
The Queen's Gallery
Buckingham Palace, London SW1A 1AA
Tel: 0303 123 7301
Victoria/Green Park/St. James's Park/Hyde Park Corner駅
www.hrp.org.uk

 

大人も子どもも楽しめる! - 英国の遊園地&娯楽施設

大人も子どもも楽しめる!英国の遊園地&娯楽施設

英国にディズニーランドはないものの、絶叫系アトラクションに振り切れた遊園地や、思い立ったその日に行ける楽しい遊び場がたくさん存在する。今回は「思いっきり遊べる」をテーマに、丸1日いても遊び尽くせないテーマ・パークから、気軽に立ち寄れる娯楽施設まで、英国生活が長い人もそうでない人も楽しめる遊び場を一挙にご紹介する。(文: 英国ニュースダイジェスト編集部)

Alton Towers Resortにある、古代ドルイド教の人身御供の儀式として木で作られた像が燃やされるウィッカーマンをテーマにした「ウィッカーマン」。乗り物の周辺に散りばめられたルーン文字はこのために独自に開発したという徹底した作り込みで、本物の火が焚かれた像に向かって疾走する人気のアトラクションだAlton Towers Resortにある、古代ドルイド教の人身御供の儀式として木で作られた像が燃やされるウィッカーマンをテーマにした「ウィッカーマン」。乗り物の周辺に散りばめられたルーン文字はこのために独自に開発したという徹底した作り込みで、本物の火が焚かれた像に向かって疾走する人気のアトラクションだ

朝からフル回転で遊べる遊園地 Theme Parks

英国には大小合わせて40以上も遊園地がある。朝から全力で遊びたい遊園地の中から特にお勧めの場所を選んでみた。英国の遊園地デビューはぜひこの中からいかがだろうか。

アドレナリン大放出! 絶叫好きならマストで行きたい1. Alton Towers Resort

2分45秒のライドで方向感覚が戻るまで時間を要すると噂の「スマイラー」2分45秒のライドで方向感覚が戻るまで時間を要すると噂の「スマイラー」

ウォーター・パーク、ミニ・ゴルフ、ホテルなども併設されている、英中部スタッフォードシャーにある国内で最も大きい遊園地リゾート。遊園地の敷地面積だけで約222ヘクタールあり、東京ディズニーリゾート全体とほぼ同規模だ。園内の象徴的な城、オールトン・タワーズは1850年代からかつては住まいとして建築されたもので、売却、開発を経て1980年に遊園地として開業。

11エリアに分かれた園内には、時速85キロで14ループを一気に駆け抜けるスリル満点のジェットコースター「スマイラー」(The Smiler)、建設に20年以上をかけた木製ジェットコースター「ウィッカーマン」(Wicker Man)、54メートルを垂直に落下するダイブ・コースター「オブリヴィオン」(Oblivion)などの絶叫系ジェットコースター10台に加え、ファミリー向けのアトラクションが40以上ある。

3〜11月ごろ(イベント開催時は左記以外にもオープン)ホテル、ウォーター・パーク、スパは通年利用可 オンライン事前購入で£34〜、ファスト・トラック・チケットは£32〜。3歳未満は無料

Farley Lane, Alton, Staffordshire ST10 4DB Tel: 01538 704096
ロンドンのSt Pancras International駅、Euston駅からUttoxeter駅まで約2時間、同駅からタクシーで約20分、バスで約30分
www.altontowers.com

子ども向けの遊園地と侮ることなかれ2. LEGOLAND® Windsor Resort

  • レーサーやエンジニアになった気分になれる「レゴ®・フェラーリ・ビルド&レース・エクスペリエンス」レーサーやエンジニアになった気分になれる「レゴ®・フェラーリ・ビルド&レース・エクスペリエンス」
  • フェラーリの大きなレゴ®・モデルは驚くほど緻密に作られているフェラーリの大きなレゴ®・モデルは驚くほど緻密に作られている
  • 「ザ・ドラゴン」(The Dragon)はレゴ®・モデルを鑑賞後、一気に屋外を駆け抜ける緩急のあるジェットコースターだ「ザ・ドラゴン」(The Dragon)はレゴ®・モデルを鑑賞後、一気に屋外を駆け抜ける緩急のあるジェットコースターだ

組み立てブロック玩具でおなじみの「レゴ®」の体験型テーマ・パーク。世界各地にあるレゴランド®だが、日本では2017年に愛知県名古屋市にオープンしたのに対し英国では1996年と早く、子どもが楽しめる遊園地として市民にすっかり定着している。本家デンマークをしのぐ最大の敷地面積を誇り、55を超える乗り物やアトラクションがある。

10万個のレゴ®・ブロックで遊べる「ザ・ブリック」(The Brick)をはじめ、自分で組み立てたフェラーリのレーシング・カーを仮想トラックで走らせる、2023年5月にオープンした「レゴ®・フェラーリ・ビルド& レース・エクスペリエンス」(LEGO® Ferrari Build & Race Experience)など、大人でも目を見張るようなインタラクティブな仕掛けにあふれている。宿泊なら、レゴ®の装飾が全面に施された直営のホテルでの滞在がお勧めだ。

3月中旬〜11月上旬ごろ(2月とクリスマスのイベント開催時は左記以外にもオープン)オンライン事前購入で£29〜、携帯から事前に乗り物を予約できるリザーブ&ライドは£25〜。身長が90センチ未満の子どもは無料

Winkfield Road, Windsor, Berkshire SL4 4AY Tel: 01753 626416
ロンドンのPaddington駅からWindsor & Eton Central駅まで約30分、Waterloo駅からWindsor & Eton Riverside駅まで約1時間、両駅からバスで10〜15分
www.legoland.co.uk

より凝った仕様のアトラクションが多い3. Blackpool Pleasure Beach

  • 「スポンジ・ボブのスプラッシュ・バッシュ」(SpongeBob's Splash Bash)は水鉄砲が搭載された夏にぴったりのアトラクションだ「スポンジ・ボブのスプラッシュ・バッシュ」(SpongeBob's Splash Bash)は水鉄砲が搭載された夏にぴったりのアトラクションだ
  • 約71メートルから落ちる英国で最も高いジェットコースター「ザ・ビッグ・ワン」(The Big One)約71メートルから落ちる英国で最も高いジェットコースター「ザ・ビッグ・ワン」(The Big One)
  • 地上約26メートルからひねりを加えながら落ちる「アイコン」地上約26メートルからひねりを加えながら落ちる「アイコン」

1896年の開業のイングランド北西部ブラックプールにある遊園地。39のアトラクションが稼働中だが、一風変わった乗り物が多いのが特徴だ。最初の加速後にリニアモーターを使って再び加速する国内初のダブル・ローンチ型ジェットコースター「アイコン」(ICON)は、最後部の2座席(追加料金15ポンド〜)が回転する仕様に。吊り下げ式飛行機ライド「ザ・フライング・マシーン」(The Flying Machine)は1904年から現役だ。

また、国内唯一のウォレスとグルミットをモチーフにした「ウォレスとグルミットのスリル-オ-マティック」(Wallace & Gromit's Thrill-O-Matic)や英空軍の協力を得た「レッド・アローズ・スカイフォース」(Red Arrows Skyforce)など、英国らしさを感じさせる乗り物もある。

2024年は11月3日まで、以降11月30日までは週末のみ営業。冬期休業期間でもイベント開催時はオープンする。営業日の詳細はウェブサイトから確認を入園日から7日以上前にオンライン事前購入で£34〜、ファスト・トラックのスピーディー・パスは£27〜。乗り物ごとに1回限り有効なファスト・トラックのスピーディー・ワンズもある。詳細はwww.blackpoolpleasurebeach.com/speedy-pass-virtual-queuing
2歳以下で乗り物に乗車しない子どもは無料

525 Ocean Boulevard, Blackpool FY4 1EZ Tel: 0871 222 1234
ロンドンのEuston駅からBlackpool Pleasure Beach駅まで約3時間
www.blackpoolpleasurebeach.com

たくさんの動物にも会える4. Chessington World of Adventures Resort

  • 2023年春にオープンしたばかりの「ワールド・オブ・ジュマンジ」2023年春にオープンしたばかりの「ワールド・オブ・ジュマンジ」
  • 絵本の世界観が楽しめる「ザ・グラファロ・リバー・ライド・アドベンチャー」絵本の世界観が楽しめる「ザ・グラファロ・リバー・ライド・アドベンチャー」
  • オフロード・トラックに乗ってサファリを楽しむ「ZUFARI アフリカへ行こう!」オフロード・トラックに乗ってサファリを楽しむ「ZUFARI アフリカへ行こう!」

1931年に動物愛好家が飼っていた動物たちを一般公開したのが始まりで、遊園地として開業したのは1987年。現在は40を超える乗り物やアトラクションがある遊園地、1000頭以上の動物が飼育されている動物園とシーライフ・センター、ホテルやグランピング施設も兼ね備えた複合型リゾートとして運営されている。

「ZUFARI アフリカへ行こう!」(ZUFARI – Ride into Africa!)といった動物園ならではのサファリ体験はもちろん、絵本「もりでいちばんつよいのは?」に登場する怪物グラファロと一緒に、深く暗い森をボートで進む「ザ・グラファロ・リバー・ライド・アドベンチャー」(The Gruffalo River Ride Adventure)や、冒険映画「ジュマンジ」をイメージした世界初の園内エリア「ワールド・オブ・ジュマンジ」(World of Jumanji)など、親世代にも刺さるであろう乗り物も数多くある。

2024年は11月3日までほぼ毎日営業、以降12月までは週末のみ営業で、12月中旬〜下旬は25、26日を除き毎日営業。営業日の詳細はウェブサイトから確認をオンライン事前購入で£29〜、3歳未満の子どもは無料

Leatherhead Road, Chessington, Surrey KT9 2NE Tel: 01372 731657
ロンドンのWaterloo駅からChessington South駅まで約35分、同駅からバスで約5分
www.chessington.com

ペッパピッグの世界観に浸れる5. Paultons Park

  • 園内で最もエキサイティングな乗り物と名高い「サイクロネーター」園内で最もエキサイティングな乗り物と名高い「サイクロネーター」
  • 雲形の乗り物からエリア内が見渡せる「ウィンディー・キャッスル・ライド」(Windy Castle Ride)」雲形の乗り物からエリア内が見渡せる「ウィンディー・キャッスル・ライド」(Windy Castle Ride)」
  • 水しぶきを上げながら回転するボート「グランピー・ラビットのセーリング・クラブ」(Grampy Rabbit's Sailing Club)」水しぶきを上げながら回転するボート「グランピー・ラビットのセーリング・クラブ」(Grampy Rabbit's Sailing Club)」

今年で開業40周年を迎える、イングランド南部ハンプシャーにあるファミリー向けの遊園地。70以上ものアトラクションがあるほか、鳥や動物、爬虫類のいるコーナーや日本庭園も整備されており、緑豊かな環境での滞在が楽しめる。また、人気の子ども番組「ペッパピッグ」に基づいた12のアトラクションを有する「ペッパピッグ・ワールド」がある国内唯一の場所であり、そのほかにもリアルな動きをする恐竜が集まる「ロスト・キングダム」など、全部で五つのテーマに沿ったエリアがある。

園内には絶叫マシンがいくつかあるが、もしスリルを味わいたいなら360度回転する円形のゴンドラが、前後に大きくスイングする乗り物「サイクロネーター」(Cyclonator)がお勧めだ。足が外向きになるように着席した状態で地上25メートルの高さで振り子のように揺すられ、独特の浮遊感が楽しめる。

2024年は10月までほぼ毎日営業、以降11月30日までは週末のみ営業。12月以降の営業時間はウェブサイトから確認をオンライン事前購入で£43.50〜。100センチ未満の子どもは無料

Ower, Romsey, The New Forest, Hampshire SO51 6AL
Tel: 023 8081 4442
ロンドンのWaterloo駅からSouthampton Airport Parkway駅まで約1時間15分、同駅からタクシーで約15分
https://paultonspark.co.uk

スリル満点のアトラクションがいっぱい!6. Thorpe Park Resort

ロンドンからのアクセスが良い英南部サリーにある絶叫マシン好きにはたまらない遊園地。国内最速のジェットコースターをはじめ、国内初の仮想現実(VR)を駆使したダーク・ライド、また人気ドラマ「ウォーキング・デッド」をベースにした乗り物など30以上のアトラクションがある。

2024年は10月までほぼ毎日営業、11月以降の営業時間はウェブサイトから確認をオンライン事前購入で£29〜、ファスト・トラック・チケットは£32〜。3歳未満の子どもは無料

Staines Road, Chertsey, Surrey KT16 8PN
Tel: 01932 577131
ロンドンのWaterloo駅からStaines駅まで30〜50分、同駅からバスで約20分
www.thorpepark.com

欧州唯一の「トーマス・ランド」がある7. Drayton Manor Resort

ファミリー向けの乗り物を含む50以上の乗り物やアトラクションを備えた遊園地で、欧州唯一の「トーマス・ランド」では25を超えるアトラクションがあるほか、動物園、敷地内に四つ星ホテルを備える複合リゾートとなっている。国内唯一の立ち乗り式のジェットコースターもある。

2024年は9月1日まで毎日営業、9月2日〜9月30日は木〜月曜営業。10月以降の営業時間はウェブサイトから確認をオンライン事前購入で£29.50〜、ファスト・パスは£30〜。2歳未満の子どもは無料、2〜3歳は£15〜

Drayton Manor Drive, Near Tamworth, Staffordshire B78 3TW
Tel: 01827 287979
ロンドンのEuston駅からTamworth駅まで1時間6〜27分、同駅からタクシーで約10分
www.draytonmanor.co.uk

Tips!

チケットは2日間、ファミリー向け、VIPエクスペリエンスなど遊園地ごとにさまざまな種類がある。また、当日券はほぼ2倍近い価格になるので事前にオンラインで購入して節約しよう

常設から期間限定まで遊園地以外の遊び場
Amusement Parks, Events & Attractions

常設のテーマ・パークとはまた異なり、移動式遊園地や海辺の遊園地など、昔ながらの遊び場もある。その多くがレトロなデザインを採用しているため、どこか懐かしい雰囲気にあふれているのも魅力だ。

常設
英国の守りたい風景の一つ海辺の遊園地

英国の海沿いの街には、小規模ながら充実した遊園地が数多く存在する。入場は基本無料で、アトラクションに乗車する際にチケットやトークン、電子カードなどを購入し利用する仕組み。園内はジェットコースターなどの大掛かりなものから、ミニ・ゴルフ、ゲーム・センター、フィッシュ&チップスやホットドッグなどの軽食やドリンクを販売する店まで、一通りのエンタメ施設がそろう。

海辺という立地から強風に見舞われやすく、その日の天候によって制限がかかる乗り物もあるものの、小雨程度なら大概のアトラクションは運営されるのでご心配なく。また、昼のにぎやかな雰囲気とは異なり、ライトアップされる夜はことさら幻想的な雰囲気が増し、ノスタルジーな気分が掻き立てられるのもまたいい。

● Brighton Palace Pier www.brightonpier.co.uk
● Dreamland Margate www.dreamland.co.uk
● Adventure Island https://adventureisland.co.uk
● Fantasy Island www.fantasyislandresort.co.uk
● Queens Links Leisure Park https://queenslinksaberdeen.co.uk

常設
鉄道模型マニアにもお勧めモデル・ヴィレッジ

城、農場、波止場、競馬場、そしてケーブル・カーなど、1930年代に実在した象徴的な建物を中心に、架空を含む七つの村を精巧なミニチュア模型で表現したモデル・ヴィレッジ。開業は1929年と、この手の施設としては世界最古だといわれている。村人や脱獄囚などさまざまな人物のミニチュアが配置されているのも見ていて楽しい。

もう一つのハイライトは、園内を走る鉄道模型。開業当初から線路の延伸を続けており、現在は約450メートルの線路を走っている。老朽化に伴い大半が新しい車両に変えられたものの、内部構造だけを最新にして現在も初期の模型を一部使うなど、マニア心をくすぐる仕様だ。列車がミニチュアの駅舎を走り抜ける様子を見に、遠方から鉄道模型好きが来ることでも知られている。

Bekonscot Model Village and Railway
2024年は11月3日まで、冬期は週末オープンする月もあるので詳細はウェブサイトを参照 £13.20(子ども£8.40)
Warwick Road, Beaconsfield, Buckinghamshire HP9 2PL
Tel: 01494 672919
ロンドンのMarylebone駅からBeaconsfield駅まで約30分
www.bekonscot.co.uk

期間限定
インチキ臭い?むしろそこが良いファンフェア

英国には、イベントやフェスティバルに合わせて数日〜数週間にわたり運営される「Funfair」と呼ばれる移動式遊園地が期間限定で現れる。移動式といっても、メリーゴーランドや空中ブランコ、乗り物に乗車するタイプのお化け屋敷、ゲーム・センターなど、大掛かりなアトラクションが多い。

また、射的や輪投げなど日本の屋台のようなゲームもあるが、無愛想なスタッフがいたり、景品が取れる可能性が全くなさそうな仕組みになっていたりと、一筋縄ではいかないときも。それはそれで楽しむのも一つの醍醐味だ。また、今の時代に版権NGなイラストが大量に使われているのを見るだけでもかなり楽しめる。ちなみに、設営者は家を持たず、イベントからイベントへ渡り歩いて生活している人が大半らしい。

※夏期を中心に英国各地で開催されている。地域によっては張り紙が電柱に貼られたり、ファンフェアが開催される公園の柵などに横断幕が掲げられたりして告知される。また、インターネット上でも情報が出ているのでまずは検索するのも手だ

期間限定
ロンドンの冬の風物詩ハイド・パーク・ウィンター・ワンダーランド

ロンドン在住の方なら一度は聞いたことがあるであろう、クリスマス・シーズンにハイド・パークで開催される冬の恒例行事。2007年から運営されてきたが、年数を重ねるごとに新しいアトラクションが増えているので、ここ数年足が遠のいている人ほどぜひ訪れてみてほしい。ホット・ワインなどクリスマスに関連するドリンクや軽食を提供するフード・ストール、氷の彫像作りなどのワークショップ、ジェットコースターや観覧車などのアトラクションのほか、イルミネーションの下で滑るアイス・スケートなど、とにかくアクティビティーが充実。

なお、この時期はハイド・パークに限らず、英国各地でアイス・リンクやクリスマス・マーケットがオープンするので、冬ならではの遊び場を楽しんでみてはいかがだろうか。

2023年11月17日〜2024年1月1日(12月25日は休み)※2024年の日程はまだ決定していません
プログラムの詳細はウェブサイトを参照
今シーズンのチケットはすでに販売中。オフピークは入場無料(各アトラクションは有料)
https://hydeparkwinterwonderland.com

日本と似ている!気軽な娯楽施設
Fun Activities

日本と少し勝手が違う施設もあるものの、大抵の娯楽施設の利用法は同じなので気軽に遊びに行ける。ゲーム・センターを除く以下の施設は、週末は特に混み合うので事前に予約しておくのが安心だ。

個室だけじゃないのが英国式カラオケ

英国にもカラオケ文化があるが、カラオケ・ルームを借りて歌うときはイメージ・ビデオなどの映像は画面に映し出されず、歌詞のみが表示される形式だ。また、人の歌はあまり聴かずに皆好き勝手に歌う風潮があるので、人が聴いてなくても気にせず思いっきり歌うのが正解。パブやバーの中にはイベントの一つとして「カラオケ・ナイト」を開催するところがあり、曲をリクエストするとほかの客の前で歌を披露することになるがカラオケができる。

時折プロかと思うレベルの歌声を聴けたりするので行ってみると意外とおもしろい。また、バンドがライブ・ミュージックで伴奏をしてくれるタイプのバーもある。

● Lucky Voice www.luckyvoice.com
● The Star Of Kings https://starofkings.co.uk

日本とほぼ同じシステムボウリング

友人同士で行ったり、誕生日会などお祝いごとで利用したりと、カラオケよりポピュラーなアクティビティーのボウリング。1ゲーム分の代金に貸靴代が含まれていること以外は、基本的に遊び方や値段はほぼ変わらない。もちろん専用靴の持ち込みもOKだ。施設によってはゲーム代のほかにドリンク代を含むパッケージ・プランが用意されていたり、学生割引をしてくれるところがあったりと、そのプランはさまざま。しかし、週末でも遅くとも0時までには閉まってしまうので、パブでひとしきり飲んだ後に行くことは残念ながらできない。

● Rowans Tenpin Bowl https://rowans.co.uk
● Hollywood Bowl www.hollywoodbowl.co.uk

チケット・システムのあるゲーム・センター

ゲームズ・アーケーズ(Games Arcades)と呼ばれるゲーム・センターは、海辺の遊園地などにあり、UFOキャッチャーやシューティング・ゲーム、エア・ホッケーなどのマシンで遊べる。ただしUFOキャッチャーは大概アームが非常に弱く、何百、何千回に1回の割合で突然強く景品をつかんでくれるというギャンブルのような仕様が常。加えて日本のように景品をスタッフに動かしてもらうことはできないので、注意が必要だ。

また、店内にはつづられた切り取り可能なチケットを景品とするマシンがあるが、これはその合計枚数に準じて景品と交換してくれるというもの。相当の枚数が必要になるが、店内の景品交換所でおもちゃやぬいぐるみなどと引き換えられる。近年オンライン・ゲームの普及により、このような遊び場は年々姿を消している。レトロなものが好きな人は完全になくなる前にぜひ1度訪れてみてほしい。

夏でも思う存分滑ろう!屋内のアイス・リンク

冬期に期間限定のアイス・リンクが登場するが、レジャー・センターなどには屋内の常設アイス・リンクがあり、会員以外でも利用できる。スケート靴は1回の利用料に含まれる場合とそうでない場合があるが、大抵の施設では3ポンド程度で借りられる。チケットは1時間、1日単位など施設によって異なる。

また、別料金でスケートの初心者〜上級者向けの講習を受けることもできる。ロンドン北部のアレクサンドラ・パレスでは、ライトアップされたリンクでアイス・ディスコなどのイベントも開催している。

● Alexandra Palace www.alexandrapalace.com
● Lee Valley Ice Centre www.better.org.uk/leisure-centre/lee-valley/ice-centre

意外と知られていない穴場スポット博物館の水族館&バタフライ・ハウス

ロンドン南部にあるホーニマン博物館には、動物の剥製の展示などの常設展とは別に、クリスマスを除き通年オープンのクラゲなどの海の生き物や淡水魚、熱帯地域に生息するカエルなどを観察できる水族館と、温室に放たれた何百もの蝶を間近で観察できるバタフライ・ハウスがあるのをご存知だろうか。両施設は共に有料だが、博物館という教育機関での展示のためチケット価格が安いのもうれしいところ。また家族の人数が多ければファミリー・チケットなどでさらにお得に鑑賞できるので、事前予約の際には必ずオプションを確認してほしい。

● Horniman Museum & Gardens
水族館 £6〜(子ども£3~)
バタフライ・ハウス £9~(子ども£6~)
ファミリー向けのチケットあり
www.horniman.ac.uk

 
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