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Tue, 05 May 2026

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YOSHIKI 再確認できた芸術の力

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再確認できた芸術の力YOSHIKI

YOSHIKI

アルバム「Yoshiki Classical」のリリース10周年を記念し、10月に世界ツアー「REQUIEM」を行うYOSHIKI。ロンドンでも10月13日に、クラシック音楽の大家たちによる名演奏の舞台となってきたロイヤル・アルバート・ホールで公演が開催される。7月末に自らのシングルとX JAPANの新曲発表を控えるYOSHIKIに話を聞いた。(取材・文: 英国ニュースダイジェスト編集部)

YOSHIKI

1989年にロック・バンド「X」(のちにX JAPANと改名)としてメジャー・デビュー。作詞家、作曲家、「X JAPAN」「THE LAST ROCKSTARS」のリーダーとしてピアノ、ドラムを担当。また、ソロ活動を通じてクラシック音楽の分野での楽曲も多数手掛ける。これまでに天皇陛下御即位十年記念式典の奉祝曲、愛知万博公式イメージ・ソング、米ゴールデングローブ賞の公式テーマ・ソングを作曲するなどグローバルに活動。YOSHIKI率いるX JAPANは、これまでアルバムとシングル合わせ3000万枚を超える売上げを誇る。2014年に米マディソン・スクエア・ガーデン、17年にウェンブリー・アリーナで公演を成功させ、米クラシックの殿堂カーネギー・ホールでの単独公演とあわせ、アジア人として初めて音楽の3大殿堂を制覇。10月13日にはクラシックを中心とした世界ツアー「REQUIEM」の一環で、ロンドン公演を行う。

欧州で感じる居心地の良さ

ロンドンは何年ぶりになるのでしょうか。2014年に「Yoshiki Classical」でロンドン公演をなさいましたが、その後もいらしていますか。

X JAPANとしては2017年にウェンブリー・アリーナでコンサートをやりましたが、それ以外でも僕は結構ロンドンを訪れているんですよね。たとえば、今はキングですが、19年にチャールズ皇太子にバッキンガム宮殿でお会いしました*1。故エリザベス女王にもお会いしています*2。あとは楽曲を提供しているサラ・ブライトマンのステージに出たことがあるので、かなり頻繁にロンドンには来ていますね。パリほどではないですが……。パリへは2カ月に1回、いやほぼ毎月来ています。

そんなに! YOSHIKIさんは現在、米ロサンゼルスに生活の拠点を置かれていますが、そういえばかつては欧州への移住も検討されていたと、以前のインタビュー*3でお話しされていましたね。

おっしゃる通りです。ロンドンかパリ、僕は欧州が好きなので。ただ、ハリウッドとか仕事のことを考えるとロサンゼルスにいるのがいいのだろうなと思います。ですから拠点はロサンゼルスですが、こうして今でもかなり頻繁に移動しているわけです。コロナ禍のときは2年間ロサンゼルスに留まっていましたけれど。

クラシックの公演は、前回はロンドンのロイヤル・フェスティバル・ホールで行われました。このときの印象はいかがだったでしょうか。また全体として、日本や米国のオーディエンスと欧州の違いはありますか。

欧州はX JAPANでもソロでも結構回っているのですが、やはり僕の音楽性とすごく合うんだろうなというのはいつも感じます。オーディエンスの反応が非常に「深い」といえばいいのか。リアクションが良いですし、僕自身もすごく満足感があります。

それはもともとYOSHIKIさんが英国の音楽がお好きだったこととも関係があると思われますか。

そうですね、僕はクイーンとかそういった英国のグループにも影響も受けていますし、クイーンのドラマーのロジャー・テイラーさん*4ともコラボをさせていただいたことがあります。以前のYoshiki Classicalのステージで、クイーンの「ボヘミアン・ラプソディ」やデービッド・ボウイの「スペース・オディティー」をピアノ・ソロで弾いたときも、非常に会場が盛り上がりました。今回もやろうかな?(笑)

今回のロンドン公演には、以前のクラシック・コンサートとは異なる新しい楽曲や、日米とは違う特別なセットリストは用意されていますか。

はい、もちろんです。僕はもともと挑戦することが好きなので、毎回コンサートのたびに新しい挑戦を自分に課しているのですが、今回は、クラシックで今ちょっと葛藤している曲があります。それとはまた別に、ツアー・タイトルともなっている新曲「REQUIEM」は、昨年母を亡くした直後に書いた曲ですが、現在オーケストラ・アレンジしていますので、それを演奏します。

また、ロンドン公演に関してはスペシャル・ゲストが来る予定です。ただ誰が来るかは今のところ秘密ですけれど(笑)。あとはロイヤル・フィルハーモニー・コンサート・オーケストラとの共演。バレエ・ダンサー*5の起用は、今回はどうしようかなあと考えている最中です。ともかく、結構壮大なステージになると思います。

ツアーではクラシックの名曲のほか、X JAPANの往年のヒット曲も演奏される。バレエ・ダンサーが登場する可能性もあり、クロスオーバーな形態の芸術がYOSHIKIの名のもとに集まるツアーではクラシックの名曲のほか、X JAPANの往年のヒット曲も演奏される。バレエ・ダンサーが登場する可能性もあり、クロスオーバーな形態の芸術がYOSHIKIの名のもとに集まる

  • *1: 2019年8月6日、チャールズ皇太子(当時)が支援する音楽関係のチャリティー・イベントにゲストとして招待された。YOSHIKIはチャールズ皇太子と握手する写真をインスタグラムにアップしている
  • *2: 2019年6月23日、ロンドン郊外ウィンザーで開催されたポロの世界大会「ロイヤル・ウィンザー・カップ」で、ゲストと共にエリザベス女王の間近でポロ観戦をした。エリザベス女王が来賓席の前を通り階段を降りようとしたとき、風が吹きYOSHIKIの長いスカーフが女王の肩に巻き付くようにかかってしまった。その様子は「デーリー・テレグラフ」紙や「メトロ」紙などでも紹介された
  • *3: www.news-digest.co.uk/news/features/12122-yoshiki-interview.html
  • *4: 1994年、ロジャー・テイラーの3作目のソロ・アルバムに参加。2作を共作・共演したほか、同年に開催されたライブにも共演した。2020年にはブライアン・メイとロジャー・テイラーが、NHK紅白歌合戦にリモートで出演し、YOSHIKIと「Endless Rain」をコラボするなど、クイーンとは親交が多い
  • *5: これまでにも、ウクライナから日本へやってきたバレエ・ダンサー、ネリア・イワノワさんや、牧阿佐美バレエ団とステージ上でコラボレーションをしたことがある

涙がメロディーに変わっていった

ツアーのタイトルにもなっている「REQUIEM」は、昨年5月に亡くなったお母さまへの追悼の意を込めた曲ですが、作曲のプロセスで感じたことを教えていただけますか。曲作りに取り組む中で、ご自身の感情にどのような変化がありましたか。

本当にここ数年仕事ばかりで、母と過ごす時間が全然なく、そういった中で母が旅立ってしまったんですね。そのショックがもう大きすぎてー。僕はいつか世界的なアーティストになって、それを母へのプレゼントにするんだという気持ちでいたのです。それでこれまでいろいろ頑張ってきたのですが、もう心にぽっかり穴が空いてしまいました。穴が空いたというよりも、精神的にどん底に落ちてしまって、もう涙が止まらない日々が続きました。しゃれにならないくらい泣いていたので、このままだと生活に支障が出ると思い医者へも行きました。実際、テレビや生放送など、入っていた仕事を何本もキャンセルしましたしね。お医者さんに行ってもまあ、「涙を止める処方箋はないです」なんて言われたりしていました。

でも、そんな状況でなんとなく曲を作り始めたら、なんだか涙がメロディーに変わっていくような気がして、ああ、やっぱり僕は音楽で気持ちを表現していけばいいのだと。そうしているうちに、涙も治ってきた。もちろんまだ止まりはしないものの、人前に出られるまでにはなってきました。

作品を作ることで、心の整理ができてきたということですね。

まあ、そう簡単に整理なんてできないですけれども、曲にその想いを込めることができたし、自分で言うのも変ですが、今まで自分が作った中で1番美しい曲だと思っています。そして、芸術家っていうのはこういうことなんだ、苦しみをアートに変えていくのは、ある種の使命なのだ、と。苦しいときに立ち止まってしまうんじゃなくて、それを糧に前に進むのが芸術家なんだろうと思いました。そしてその作品が今後、誰かの支えになるのだとか、そういうことをどんどん考え始めまして。それで今に至っているというところですね。

YouTubeで拝聴しましたが、とても繊細で美しい曲だと思いました。

ありがとうございます。自信はあるというか、自分でも、ああこういう曲が僕の中から出てくるのかと思いました。

一方、X JAPANの8年ぶりの新曲「Angel」は、もともとYOSHIKIさんのソロ・プロジェクトViolet UK*6のために書かれたものですね。今回X JAPANの新曲として選んだ理由はなんでしょうか。

確かに、もともと僕がソロ・プロジェクト用に書いたものです。ただ、X JAPANに強力なバラードが必要だと思ったのと、「Angel」はいい曲なので、どんな形であれ世の中に出るべきだと感じたため、あの曲を選びました。先日、自分でもテレビで歌ってしまいましたが*7

  • *6: YOSHIKIが率いる音楽ユニット。メンバーはYOSHIKI、ケイティ・フィッツジェラルド、SUGIZO。2005年にロサンゼルスで結成
  • *7: 7月1日、日本テレビ系「THE MUSIC DAY 2023」で「Angel」のパフォーマンスを披露。最愛の母に捧げ、X JAPAN バージョンとは歌詞が一部異なっていた

メロディーは不変的なもの

「Angel」が作られたときと比べて、現在の音楽シーンや社会の状況は大きく変わっています。それに伴い、曲の意味やメッセージが変わったと感じますか。

それが不思議と感じないんですよね。例えば30数年前に「紅」(1989年)という曲をX JAPANで作り、「Endless Rain」(89年)「Forever Love」(96年)なども作ってきました。しかしどの曲も基本的な部分、人の心に刺さる、感動する部分は変わらないと思っています。もともとそういうところを意識して僕は書いてきました。

例えばベートーベンの200年以上前の曲を今も自分が演奏しているように、時代によって少し解釈は違うにしても、メロディーや歌詞というのは不変的なものなのだと思います。伝達方法、ディストリビューションの方法は今後もどんどん変わっていくと思いますが、人が聴くという行為は変わらないし、感動も変わらない。自分だって何十年前の曲、クリームやクイーンの曲を聴いて今も素晴らしいと思うのと同じこと。だから僕も、時代を越えるメロディーを作ろうと思っています。

では逆に、AIの技術が発達して非常に簡単に音楽が作れたり、小説が書けたりするような時代が来ていますが、それについてはどのようにお考えですか。

かなりの大混乱が近い将来に起こると思います(笑)。いろいろな規制がかかるでしょう。AIを使って作った楽曲はグラミー賞を受賞できないとか、SpotifyがAIの作った曲を削除するといったことはすでに起きています。だけどもうAIの流れは止められないでしょうね。例えば、レコーディングのエンジニアは、サウンド・エフェクトなど一種のAIを使っているわけですよね。すでにいろいろな分野でそうした技術は使われてしまっているので、規制をするにしても、どこからどこまでがAIなのかという基準がはっきりしないことには、法整備が大変だろうと思います。テクノロジーはこれから先、もっと早い速度で進化していくと思うので、果たして規制が追いつくのかというところですね。

ただ、僕は作曲家であると同時にパフォーマーでもあります。パフォーマンスに関してはAIはまだ人間のレベルについてこられないだろうと思います。しかし、作曲やペインティングなどアート制作に関しては、もうAIと共存する世界が始まっているので、その中でベストを尽くしてやっていくしかないですね。

ほかのアーティストとのコラボレーションや、XY*8などのプロデュース活動をする上で大切にしていることは何ですか。

プロデューサーとしてであれば、そのアーティストの魅力を最大限に引き出すことだと思いますね。それを1番心掛けています。その上で、僕じゃなきゃできないこと、自分だから引き出せることは何かを考えます。それはミュージシャンだから、というだけではなく感性にまつわること。同じ何かを見ても人によって見え方が違うと思うけれども、僕は自分が感性を磨いてきたと思っているので、結構そういうところは見抜く自信があるというか。まあワインとかも作っていますし、ファッションも今やっていますが、芸術全般において、魅力を見抜いてその方向を開花させるというね。そういうことを自分なりの解釈としてやっています。プロデュースに関しては基本的に、音楽のジャンルは問わないと思っています。

10月のロンドン公演は1日だけですが、ゆっくりできるとしたら、ロンドンでしたいことはありますか。

ふふ(笑)そうですねぇ、大きい公園で寝転がりたいですね(笑)。行きたいところは、うーん、前回ロンドンに行ったときミュージアム*9に招待していただいて、ずいぶん見させていただいたんですけど、ミュージアムは落ち着くので好きですね。そういうところをゆっくり回ってみたいです。

最後に、英国に住むファンに一言いただけますか。

ロサンゼルスにここ数十年住んでいるから分かるのですが、海外に暮らすと日本とは違い、それなりにスムーズにいかないこともいろいろありますよね。今回は、米国に限らず海外に住むそういった方たちに少しでも寄り添えればなという気持ちがあります。例えば米国でいうと、社会的な分断やコロナ禍、暴動などで情勢があまり思わしくないですけど、そんな中で日本人も頑張ってる、というところを見ていただけたらと思います。世界のいろいろなところで皆さんが応援してくださって本当にありがたいですが、このコンサートで僕からも皆さんを応援できたら、と思っています。僕が母の死から立ち直りつつあるのは芸術のおかげですし、芸術の力が皆さんの力になればいいなと思います。

2023年7月、米国で行われたアニメ・エクスポにゲスト出演し、ファンに囲まれるYOSHIKI2023年7月、米国で行われたアニメ・エクスポにゲスト出演し、ファンに囲まれるYOSHIKI

  • *8: YOSHIKIのプロデュースする、ロック・バンドとダンス&ボーカル・グループからなる13人のボーイズ・バンド
  • *9: 2020年、Vicoria&Albert MuseumのKIMONO展に自身の作品を出品した
World Tour with Orchestra 2023
REQUIEM
World Tour with Orchestra 2023 REQUIEM

Royal Albert Hall
10月13日(金)19:30 £35~80
Kensington Gore, London SW7 2AP
Tel: 020 7589 8212
www.royalalberthall.com
最寄り駅: South Kensington

 

ドイツの知らない魅力がいっぱい! ロマンチック街道をたどる

ドイツの知らない魅力がいっぱい!ロマンチック街道をたどる

ドイツの観光ルートといえば、独南部ヴュルツブルクからフュッセンを結ぶロマンチック街道を思い浮かべる方が多いだろう。事実、街道沿いの各スポットには世界中から旅行客が訪れる。本特集では、英国からの夏のホリデー先としてロマンチック街道をご紹介。街道の歴史やその地で活躍した人々、中世から受け継がれてきた地域特有の文化など、あまり知られていない見どころも深堀りする。旅人の心をつかむ魅力にあふれた、ロマンチック街道に足を延ばしてみよう。(文:ドイツニュースダイジェスト編集部) 参考:Romantische Straßeホームページ、Deutsche Zentrale für Tourismus e.V.「Die TOP 100 Sehenswürdigkeiten in Deutschland」、Rothenburg Tourismus Serviceホームページ

ドイツの「悪印象」から挽回ロマンチック街道の誕生物語

第二次世界大戦の後、西ドイツは「経済の奇跡」によって着実に復興の道を進んでいた。一方で、ナチス政権が引き起こした悲惨な戦争の悪いイメージはぬぐい切れていなかった。そんななか、戦勝国によって四つに分割された西ドイツの米国占領地域で、米国人観光客に向けたイメージづくりが始まった。そして1950年、政治家や観光関係者がアウクスブルクのホテルに集まり、ヴュルツブルクからフュッセンまでの街々を結ぶロマンチック街道が考案され、協働団体が結成される。

街道沿いの街や村には、中世の街並みが残されていて、歴史的な宮殿や城、教会など、見応えがあるスポットにあふれていた。特に戦争で印象付けられた「悪いドイツ」とは違う、伝統的で生活感のあるイメージを観光客にアピールすることを強く意識していた。また同団体は、ゆくゆくは米国以外の外国人旅行者にもロマンチック街道を広めたいという目標を当初から持っていたという。

ロマンチック街道のイメージ戦略は見事に成功した。米軍の兵士たちは駐屯地に家族を招き、まるで絵画の世界に迷い込んだかのような美しい風景を家族にも見せようと、休暇をロマンチック街道で過ごすようになった。この評判を受け、西ドイツ政府観光局は特に米国やカナダに向けて、ロマンチック街道を売り込むようになっていく。こうして大戦の混乱を乗り越えて、ドイツ観光業界はようやく第一歩を踏み出したのだった。

立派な制服に身をつつむバス乗務員立派な制服に身をつつむバス乗務員

1950年5月には最初のプレス・ツアーが企画され、各国から十数名のジャーナリストや旅行本の著者が参加。ロマンチック街道の観光の魅力を世界に向けて発信した。翌月には南ドイツ最長の長距離バス路線が運行を開始。377キロにわたる長距離路線は毎日両方向に運行された。バスには試験的に英語の通訳も乗車し、やがて専用の乗務員が同行するようになった。

こうしてロマンチック街道は、ドイツの観光ルートとしての地位を確立した。この成功は世界中に広まり、日本でもドイツをモデルにして長野県上田市から宇都宮市まで伸びるロマンチック街道が造られ、1988年に姉妹街道になっている。

1951年にはローテンブルクからミュンヘンを往復する特急車両を運航するようになり、各駅でロマンチック街道バスに乗り換えることができる仕組みを構築した1951年にはローテンブルクからミュンヘンを往復する特急車両を運航するようになり、各駅でロマンチック街道バスに乗り換えることができる仕組みを構築した

ここだけは行っておきたい!ロマンチック街道沿い必見の都市4選

ロマンチック街道はヴュルツブルクからフュッセンまで約400キロもあるが、そのなかでも一度は見る価値がある4都市をご紹介。歴史はもちろん、知られていない逸話から、今もなお街が愛されている理由を探ってみよう。 参考:Münchener Zeitungs Verlag「Würzburg - Lage, Geschichte, Wirtschaft, Politik und Sehenswürdigkeiten von Stadt und Landkreis」

MAP

MAP ①
ヴュルツブルクWürzburg

ロマンチック街道のスタート地点のヴュルツブルクは、マイン川がある立地を生かして発展した。ヴュルツブルクが文書で初めて言及されたのは704年のことだが、すでに紀元前1000年ころ、現在のヴュルツブルク市周辺にはケルト人の避難所としてマイン川の丘に城塞が築かれていたという。そして司教座が創設されて以来、大司教の街として栄えた。

見どころ❶マリエンベルク要塞

マイン川を見下ろすマリエンベルク(マリアの山)の名前は、706年にその丘に建てられた教会が聖母マリアに捧げられたことに由来する。13世紀に要塞が築かれ、大司教が代々居住した。現在要塞にはマイン・フランケン博物館があり、彫刻家ティルマン・リーメンシュナイダーの彫刻を見ることができる。

見どころ❷ユネスコ世界遺産のレジデンツ

世の中が安定してきた17世紀、大司教は丘の要塞に住む必要がなくなり、街の中心に豪華絢爛 (ごうかけんらん)なバロック様式のレジデンツを建設した。現在はユネスコの世界文化遺産に指定されている。マイン川の斜面にはワイン用のブドウが栽培されており、レジデンツ地下にあるヴュルツブルク国立醸造所も見学可能。

逸話救済を目的として設立された醸造所

ヴュルツブルクにはヴュルツブルク国立醸造所以外に二つの大きな醸造所、ビュルガーシュピタール(Bürgerspital)、ユリウスシュピタール(Juliusspital)がある。二つの醸造所は、「助けを必要とする人々」の救済を目的として設立されたところが興味深い。ビュルガーシュピタールは、1316年に街の裕福な市民ヨハネス・フォン・シュテルンが妻と共に貧困層や病人を受け入れる財団病院を設立したのが始まり。今日でも醸造所と市民の寄付によって老人ホームと病院が運営されている。ユリウスシュピタールは、ユリウス・エヒターが私財を投じて取り組んだ老人ホームと病院で、1576年からワインを造り始めた。ヘッセンのクロスター・エバーバッハに次いでドイツ第2の規模を誇り、収益は施設の運営に充てられている。

MAP ③
ローテンブルクRothenburg ob der Tauber

970年ころ、東フランケン地方の貴族ラインガーがタウバー渓谷にデトワング教区を設立したのが、ローテンブルクの始まり。1142年、コンラート3世が領域を獲得し、タウバー川の山上に「Rote Burg」(赤い城)を建設。現在の都市名「ローテンブルク・オプ・デア・タウバー」とは「タウバー川上方の赤い城」という意味で、この城に由来する。

見どころ❶ブルク公園

都市名に「ブルク」(城)があるため、ローテンブルクに城があると思われがちだが、残念ながら現在城は存在しない。しかしかつて城があったブルク庭園からは、ローテンブルク旧市街のパノラマを見渡すことができる。ここから眺めるローテンブルクの街並みは、まるで絵本の世界だ。

見どころ❷市長の伝説「マイスタートゥルンク」

三十年戦争でローテンブルクは破滅的な状況に陥った。敵の将軍が「3リットルのワインを一気に飲み干したら街を救おう」と提案し、市長が自らこの挑戦を受けて見事成功。この話は「マイスタートゥルンク」として語り継がれ、毎年5月に祭りが開かれるほか、広場にはこの様子を描いた仕掛け時計がある。

逸話奇跡ではない、街並み保存活動

ローテンブルクでは古くから街並み保存運動があり、1898年に「アルテ・ローテンブルク協会」が設立された。中世からの古い建物を残すべく市当局が監視の目を光らせており、たとえ個人住宅でも許可なしには増改築ができない。この郷土愛は、小さな国家の集まりだった時代を経て、1871年にドイツが統一国家として成立したとき、かつての自国に対する愛着が強まったことから生まれたものだという。第二次世界大戦では旧市街地の約45パーセントが破壊されたが、市民たちは寄付を惜しまなかった。街並み保存のための市の指導は今日も健在で、市民は傾斜のある床やたわんだ梁がむき出しの室内で生活したり、マクドナルドは街並みに調和するように鉄製の装飾が施されていたりする。

MAP ④
ネルトリンゲンNördlingen

898年にカロリング朝の領地「ノルディリンガ」として、初めて文献に登場したネルトリンゲン。城塞は敵が攻めにくいように高台や川の上に建設されるのが一般的だが、ネルトリンゲンは平地である。「リース盆地」と呼ばれる平らな土地が生まれたのは、500万年前に隕石が落下したクレーターの跡。敵の進撃を防ぐため、とりわけ強度の高い市壁が築き上げられた。

見どころ❶製皮職人の家

中世には皮革産業が盛んで裕福な市民の多くが製皮業者に所属していた。今でもゲルバーガッセという小路があり、職人の家が保存されている。潤っている職人の家はさすがに立派で壁には組合のマークが。家の裏には小川が流れており、仕事に不可欠だった水を自由に使用できた。

見どころ❷市壁

街を囲む見事な円形を描いた市壁は、14世紀にバイエルン王の命により建設された。今でも市壁の上には見張り用の通路があり、街を完全に一周することができる。ちなみにマンガ作品「進撃の巨人」にも街を囲む壁が登場するが、ファンの間ではネルトリンゲンがモデルではないかと噂されている。

逸話市民に愛される塔守

ゲオルグ教会の鐘楼には塔が建てられた1490年以来、塔守が寝泊まりをしている。今でも夜になると22時~深夜0時まで、塔守が1時間おきに展望台へやって来る。しかも塔の上から低い音で「ゾー・ゲゼル・ゾー!」(ほら、豚が行く!)と叫んでいるのだ。これは1440年の出来事に由来する。この街を奪おうと企んでいた近辺の領主がおり、その兵士たちが夜中に市壁の周りにいた。ところが女性が街の門から逃げていくブタを発見し「ブタが逃げた!」と騒ぎ立てた。驚いたのは敵の兵士たち。まさか豚のことで騒いでいるとは思わず、気付かれたと勘違いして、さっさと逃げてしまった。結果的にこの言葉が街を救ったということで、事件以来、安全を確認するための合言葉になったという。

MAP ⑤
アウクスブルクAugsburg

地名の由来となったのは、ローマ皇帝アウグストゥス。紀元前15年にこの街を創設し、軍営を設けていた。13世紀以降、アウクスブルクは帝国自由都市の権利を得て、関税、税金、裁判の権利が完全に与えられるようになった。帝国自由都市になってから裕福な貴族がますます影響力を増し、特に力のあったヴェルザー家とフッガー家の名残が今も街中で見られる。

見どころ❶シェッツラー宮殿

15~16世紀は欧州における重要な貿易拠点として発展し、豪商たちは芸術を保護するなど、文化に貢献した。銀行家リーベルト・フォン・リーベンホーフェンもその一人。リーベンホーフェンの館「シェッツラー宮殿」は現在アウグスブルク市立博物館になっており、バロック芸術作品や宗教画などが収蔵されている。

見どころ❷アウクスブルク市庁舎

17世紀に建てられたルネッサンス様式のアウクスブルク市庁舎は、アウクスブルク出身の建築家エリアス・ホルが手がけた。当時、アウクスブルクは重要な金融・貿易都市であったため、市庁舎は重要な役割を果たし、街の誇りと自信の象徴でもあった。現在も市庁舎は市のランドマークとなっている。

逸話築いた富を貧しい市民のために使ったフッガー家

ドイツのフッガー家は、イタリアのメディチ家と並んで中世の大富豪として知られている。ヤーコプ・フッガーは父の商売を受け継ぎ、銀の取引で巨大な富を築いた。その富を彼は貧しい人々のために使い、低所得者のための福祉施設フッゲライを1521年に完成させる。家賃は年間わずか1ライングルデン(当時の手工業者手取りの2週間分)。この家賃は財団により今日も守られており、ドイツマルク時代は光熱費別で年間72ペニヒ、現在でもたったの88セント(約136円)。入居条件は低所得であること、罪科が無いこと、アウクスブルク市民であること、敬虔なカトリック信者であること、創立者の冥福を1日に3回礼拝堂で祈ること……など、条件が厳しくないことから長い順番待ちとなっている。

ロマンチック街道沿いの街で傑作を生み出した人物

ロマンチック街道沿いの街には、現在でも多くの人を感動させるものを造った人々がいる。3人の人物とその傑作をご紹介しよう。 参考:Bayerischer Rundfunk「Lichtgestalt und Lichtgestalter des Rokoko」、Süddeutsche Zeitung「Ludwigs Traum in Weiß」、Denkmalstiftung Baden-Württemberg「Dominikus Zimmermann」

過酷な運命をたどった彫刻家ティルマン・リーメンシュナイダーTilman Riemenschneider

リーメンシュナイダーはヴュルツブルクに住み、起業家として成功した人物。祭壇、彫像、記念碑、そのほかの宗教的な品々を、地元の高い需要に応えてオーダーメイドで製作し、バイエルン州で名が知れ渡った。数十年かけて工房を拡大し、晩年には40人ほどの弟子を雇っていた。さらにいくつかの家屋と広大な土地とブドウ畑を所有し、市民からの人望も厚く、1520年にはヴュルツブルクの市長も務めた。

そんななか、人生を揺るがす事件が起こる。16世紀に南ドイツで起こった農民戦争はヴュルツブルクでも発生。大司教の支配から解放されるようにと、市民の大多数は農民側についてマリエンベルクを攻めた。リーメンシュナイダーもヴュルツブルク市長として農民側に立つ。しかし大司教の要塞はそう簡単には崩れず包囲に耐え、反乱は鎮圧された。議会は反乱軍を支援したため、リーメンシュナイダーとほかのメンバーは逮捕され、投獄されてしまう。数カ月後に解放されたが、役職、名誉、財産を失ったリーメンシュナイダーは1531年に死去した。さらに彼の作品の多くは、その後の宗教戦争でプロテスタントに破壊されてしまっている。クレーグリンゲンのヘルゴット教会にある「聖母マリアの昇天」は、リーメンシュナイダーの最高傑作といわれる。彼は祭壇に当たる自然光を計算して、彫刻がドラマチックに見えるように工夫した。巡礼者の中には、実際にマリアが天に昇ったと信じることもあったという。

ロマンチック街道内にある作品

「聖母マリアの昇天」ヘルゴット教会(Herrgottskirche)

クレーグリンゲン(地図❷) www.herrgottskirche.de

空間の創造者としての建築家ドミニクス・ツィンマーマンDominikus Zimmermann

ヴェッソブルン近郊の村で生まれたツィンマーマン。5歳年上の兄は、後に有名な画家で左官職人になるヨハン・バプティストだ。ヴェッソブルン修道院の工房で訓練を受け、のちに兄弟そろってバロックの化粧しっくい職人の流派「ヴェッソブルン派」の代表的な存在となった。その後、化粧しっくい職人、大理石職人、棟梁、建築家としてランツベルク・アム・レヒに移り、1716年に市民権を取得。1719年には同市庁舎のファサードのデザインを依頼された。この美しいファサードは、今日でも広場の顔となっている。1725年以降、ツィンマーマンはますます建築に傾倒するようになり、棟梁および建築家として無数の祭壇、教会、修道院、礼拝堂を造り上げた。

ツィンマーマンが目指していたのは、「建築と芸術の融合」。つまり装飾、絵画、建築が単体として目立つのではなく、全てを組み合わせた総合的な芸術空間のことである。その生涯の仕事の集大成になるヴィース教会は、1746年から建設開始。教会に魅了されたツィンマーマンはひときわこの仕事に情熱を傾け、世界で最も完璧なロココ様式の教会を生み出した。1755年以降、ツィンマーマンはヴィース教会の近くに建てられた自分の家に移り住み、1766年に自宅で息を引き取った。現在、同教会はユネスコの世界遺産に登録されている。

ロマンチック街道内にある作品

旧市庁舎(Historisches Rathaus)

ランツベルク・アム・レヒ(地図❻) www.landsberg.de ヴィースの巡礼教会(Wieskirche)

シュタインガーデン(地図❼) www.wieskirche.de

夢の城を再現したバイエルン王ルートヴィヒ2世Ludwig II.

バイエルン国王ルートヴィヒ2世は幼いころ、フュッセン郊外のホーエンシュヴァンガウ城で過ごした。城内に描かれたドイツ中世騎士物語の壁画は、やがてルートヴィヒを伝説の世界に導いていく。18歳でバイエルン国王に戴冠したルートヴィヒは長身で美しく、国民の人気を集めた。また、リヒャルト・ヴァーグナーの楽劇の世界にとりつかれ、ヴァーグナーのパトロンとなる。女性に興味がなかったルートヴィヒは、結婚せずに中世騎士物語にのめり込んでいく。やがて伝説の世界を実現させるため次々に城を建設して、国を破綻寸前に追い込んだ。そして夜と昼が逆転した生活を送っていたルートヴィヒは精神病と診断され、強制的に退位させられることに。

1886年6月12日、ノイシュヴァンシュタイン城からシュタルンベルク湖畔のベルク城へ送られた。翌日の夕方、医師のグッデンと共に散歩に出かけたルートヴィヒはそのまま戻らず、夜になってグッデンと共に湖の浅瀬で水死体となって発見された。死因として多くの推測が飛び交ったが解明されず、未だに謎に包まれたままである。

ロマンチック街道のフィナーレに相応しいノイシュヴァンシュタイン城は、ドイツで最も美しい城と謳われている。ルートヴィヒが憧れた中世騎士物語の世界を再現し、きめ細かな装飾、鮮やかな色彩、構造全てに独特な趣がある。

ロマンチック街道内にある作品

ノイシュヴァンシュタイン城

豪華絢爛な室内の様子豪華絢爛な室内の様子

シュヴァンガウ(地図❽) www.neuschwanstein.de
 

NHS現役スタッフの毎日

現場での苦労、お察しします……NHS現役スタッフの毎日

さまざまなバックグラウンドを持つ人々がいる国際色豊かなNHSの職場環境。そこにはベテランの日本人スタッフの姿もある。日本での看護師経験を経て、NHSイングランドで看護師として働く中山弓子さんに仕事内容や新型コロナの時期など、さまざまなお話を伺った。

中山 (なかやま)弓子 (ゆみこ)さん

日本での看護師経験を経て1997年より在英。英国人と結婚後、看護師であった義母の薦めで英国の看護師に免許を切り替えるため整形リハ病棟の研修生になり、2002年から正看護師として働く。急性期内科病棟、認知症内科で働いたのち、現在は英南部にあるNHS病院の急性期老年内科病棟に勤務。

70歳以上の方に手厚いケアを施す急性期老年内科病棟に勤めておられますが、勤務内容について教えてください。

朝7時半からの業務では、患者さんの投薬から始まります。日本では事前に分包してありますが、NHSイングランドでは患者さんの処方箋を見ながら各ベッドサイドで準備して、投薬をします。その後看護助手さんと一緒に患者さんの体を拭き、シーツ交換や体位変換、トイレ介助、ランチ、夕食後の投薬、点滴、注射……。この間にナース・コールや容態が悪い患者さんへの対応、退院される患者さんがいれば、書類、内服薬などの準備をし、ベットが空けばすぐにほかの病棟から転入を受け入れます。

夜8時までの勤務で、30分間の休憩を2回とるシステムですが、残業はほとんどありません。老人病棟なので意思の疎通が難しい人や痴呆症で徘徊する人もいるので、転倒しないように目配りしながら仕事を進めています。

無料の医療サービスのほかに、日本の病院との体制の違いはありますか。

訪問看護なども含めて医療ネットワークが組織化されており、いろいろなポジションの人が退院という同じ目標に向かってラインに沿ってケアができるのが良い点です。また、リスク・アセスメントがしっかりしているので、何か急な事故があったときの対応に強いですね。例えば2015年にイングランド南東部のショーラム(Shoreham-by-Sea)の航空ショーで墜落事故*があったとき、私は近くの病院で勤務中だったのですが、現場付近の救急外来は即座に全部閉鎖され、その事故の負傷者の救命に切り替わりました。

職場環境でいうと、医者も名前で呼んでリスペクトしあって働けるのは良いですね。同僚はフィリピン人やインド人、東欧出身が多く、本当にいろいろな人がいます。

また、英国では免許を維持するために3年に1回、今までに受けた研修内容と共にさまざまなレポートを規定通り作成して、上司からチェックしてもらったことを看護協会に再登録しないといけません。看護師に向いてない、大きな医療ミスを起こすなど、よっぽどのことがあると看護師免許を取り消されることがあります。業務では何よりも患者さんを優先しますが、ミスを起こさないよう、命を預かる責任感とはまた別の緊張感を持って勤務にあたっています。

* 2015年8月22日にウェスト・サセックスのブライトン・シティ空港で開催されたショーラム航空ショーで発生した墜落事故。戦闘機が国道に墜落し11名が死亡、16名が負傷した

新型コロナウイルスによる混乱から数年経ちましたが、当時のリアルな現場事情についてお聞かせください。

いきなりロックダウンが始まり、患者さんがウォーク・インにも病院の廊下にもどこにもおらず、今までない異常事態に恐怖を感じました。喘息もちなど重症化リスクのあるスタッフは自宅待機となり、スタッフの病欠も多く、人手不足で三つの病棟が閉鎖。次々と一般のコロナ病棟や重症患者の呼吸を管理するためのCovidCPAP療法が受けられる病棟に変わりました。一般コロナ病棟ですらほとんどの患者さんが酸素療法を受けており、今までに見たことがない状況でした。

老人が本当に簡単に亡くなっていくので、自分がコロナになったときも気が気でなかったですね。同僚もバタバタと感染していき、コロナ病棟に「○○病棟の主任さんが今から入院!」とか、一時期ITU(集中治療部)の患者がスタッフだけになったりしました。そうした看護師を自らの手でアセスメントしながら、次はわが身かと思い、恐怖に震えながらも、とにかく目の前の事をやるしかない!みたいな雰囲気でした。

逼迫した医療現場にさらに物価高も加わり、最近はストライキが増えましたよね。

2023年3月のデモの際、私はそのときちょうど休暇だったのですが、スタッフがデモに参加していないから呼び出され、結局働きに行きました**。患者さんは変わらずいらっしゃいますし、そこはスタッフ同士で助け合っていかないと。スタッフの4分の1くらいは参加していたと思いますが、ストに対する熱量は人それぞれだったかなぁという印象です。「明日ジュニア・ドクター来ないから今日のうちに薬出しといて」、なんてこともありました。誰かが働かないと現場は回らないんですよね(笑)。

**NHSには直接の呼び出しとは別に、エクストラで働いたり、担当病棟の患者が少なく手が空いたときに前もって別の病棟で働けるよう手配できる「バンク」と呼ばれるシステムがあり、これがあるため有給休暇を消化できるそう。昔は人手不足のときに看護師の斡旋業者からスタッフが来ていたが、今はほとんど見かけず、病院内の人員だけで仕事を回していかないといけないそうだ

NHS75で私たちができること

私たちは地元のNHS組織でボランティアをしたり、献血に参加したり、NHSをサポートする慈善団体に協力するなどして、NHSを支援することができる。詳しくはwww.england.nhs.uk/nhsbirthdayを参照ください。

2023年7月5日で設立75周年
人々の健康を支えるNHS >
 

人々の健康を支える - NHS

2023年7月5日で設立75周年人々の健康を支えるNHS

病気やけがをしたとき、私たちがお世話になるのはNHS(国民医療制度)の病院だ。在英者にとってなくてはならないNHSが、7月5日で創設75周年を迎える。本特集を通して私たちが平等に無料で受けられる医療制度が生まれた経緯やその組織の大きさ、また現在の状況を知っていただき、当然のように存在するNHSのありがたみを再認識するきっかけとなれば幸いだ。(取材・執筆: 英国ニュースダイジェスト)

参考:www.gov.ukwww.bbc.co.ukwww.theguardian.comwww.ft.comwww.nhs.ukwww.healthcareers.nhs.uk ほか

NHSとは

「National Health Service」の略称で、「国民医療制度」のこと。税金で運営され、英国に住む人は歯科など一部の医療を除き、基本的に無料で医療サービスを受けられる。イングランド、ウェールズ、スコットランド、北アイルランドの四つの地域に分かれて別々に運営されており、「NHS」はこれらのサービスの総称。大まかな制度は同じだが地域ごとにサービスが若干異なる。英国人だけでなく合法的に英国に滞在する外国人も加入でき、利用には滞在ビザ申請の一環で医療追加料金(Healthcare Surcharge = Immigration Health Surcharge =IHSとも呼ばれる)を大抵の場合支払わなければならない。金額は年間470〜624ポンドとビザの種類によって異なる。

なお、アイルランドを除く欧州、スイス、ノルウェー、アイスランド、リヒテンシュタインの出身者は、①2020年12月31日以前に英国に居住、②定住前(英国に5年未満居住している人が対象の一時滞在許可)、または定住ステータス(5年以上移住)を申請している場合、引き続きNHSでの医療サービスを利用できる。

NHSとはどんな組織?

巨大な組織であるNHS。その成り立ちや仕組みは複雑で、実に多くの人が携わっている。まずは三つの観点から組織の全体図を簡単に見てみよう。

「歴史」から知る

1948年に誕生したNHSは、不十分な医療制度の改革の必要性を感じたさまざまな人々による努力の結晶だ。20世紀初頭の英国は、貧困と失業にあえぐ都市労働者であふれていた。社会主義者のベアトリス・ウェッブ(Beatrice Webb)は、1909年、ヴィクトリア時代から続く貧民法に代わる新しい法律が必要だと提案。王立救貧法委員会(Royal Commission on the Poor Laws and Relief of Distress)の少数派報告書(Minority Report)に「社会の貧困を貧しい人々のせいにするのは間違いである」と強く主張したものの、当時の政権はこの勧告を無視し、聞く耳を持たなかった。

しかし、「National Health Service」という言葉を初めて使ったといわれている英北西部リヴァプールのベンジャミン・ムーア医師をはじめ、同報告書の賛同者が立ち上がり、1912年に英国の医師によって医療サービスを向上させることを目的とした「州医療サービス協会」(the State Medical Service Association)が設立され、1912年に最初の会合が開催された。

イングランドとウェールズにおけるNHS立ち上げに関するリーフレットイングランドとウェールズにおけるNHS立ち上げに関するリーフレット

NHSの原型が生まれる前は、医療費は患者の自己負担で、医療サービスは限られた人にしか提供されていなかったが、税金を納めた住民のために病院を運営する一部の地方自治体もあった。やがて、1930年からロンドン・カウンティ議会が約140の病院や医学校、そのほかの関連機関の運営責任機関となり、第二次世界大戦の直前まで医療分野の公共サービスを提供。しかし利用は納税者に限られていた。健康保険制度を扶養家族まで広げるべきだという議論が繰り広げられていたが、大戦が始まると負傷者の手当てを行う政府直下の救急病棟の運営で手一杯に。しかし、膨大な死傷者を想定しそれまで個々に管理されていた寄付金が財源の病院(voluntary hospitals)が一本化され、奇しくも戦争によってNHSの前段階の準備が整っていった。

一方、戦時下の保健省(現在のDepartment of Health and Social Care)でも一般市民が医療サービスを受けられる政策がまとめられ、1942年に社会保障制度拡充のための報告書「ベヴァリッジ報告書(Beveridge Report)が完成し、社会保障制度の礎となった。45年に保健相に就任したアナイリン・ベヴァン(Aneurin Bevan)が、1948年7月5日に、全ての人々に支払い能力ではなくニーズに基づいた医療サービスを無料で提供することを発表し、税金を財源とする国民保健制度としてNHSがスタートする。以降生活になくてはならない存在として英国に住む人々を支え続けている。

アナイリン・ベヴァン保健相アナイリン・ベヴァン保健相

「世界初」から知る

医療制度の改革のみならず、NHSはこれまで革新的な医療や治療をいち早く提供してきた。その一部を紹介しよう。

人間の体外受精
1978年

パトリック・ステップトー博士と生物学者ロバート・エドワーズ博士のチームが体外受精胚移植(IVF-ET)を成功させ、「試験管ベビー」と呼ばれた健康な女児が誕生した。

世界初の体外受精によって生まれたルイーズ・ブラウンさん。現在は2人の子どもの母親だ世界初の体外受精によって生まれたルイーズ・ブラウンさん。現在は2人の子どもの母親だ

心臓、肺、肝臓の移植に成功
1987年

ケンブリッジのパップワース病院のロイ・カルン教授とジョン・ウォールワーク教授が、疾患を抱えた女性に心臓、肺、肝臓の移植を行う。偉大な成功を収めた当の二人は「いつもの仕事をしただけ」とかなり控えめだったとか。

無料の乳がん検診
1988年

乳がんによる50歳以上の女性の死亡者数を減らすために導入。その後10年で死亡率は25〜30パーセント下がった。

髄膜炎C型菌のワクチン使用開始
1999年

髄膜炎による総死亡者数を半減させるために髄膜炎菌のC群に対する新しいワクチン接種プログラムを開始。既存のワクチンに比べ、長期間の予防効果があり、乳児にも使用できた。

PrEP療法の導入トライアルを開始
2017年

PrEP(プレップ)とは、性交渉する前からHIVの薬を内服し、HIV感染のリスクを減らすHIVの予防方法のこと。広範囲のデータを集めるため1万人を対象に3年かけてトライアルを実施した。

「数字」から知る

£1900 (約32兆円)

保健省がNHSのために支出した額
(2021/22年度)

GP(General Practioner=GP、かかりつけ医)、救急車、メンタル・ヘルス、NHSから委託された地域サービスや病院、公衆衛生など、幅広い医療およびケア・サービスを運営するために使われた。

45.2%

NHS予算でNHS職員の人件費*が占めた割合
(2021/22年度)

支払い総額は662億ポンド。これには一般開業医であるGP、保健省などの国家機関やNHSイングランドで働くスタッフの給与は含まれていない。
*フルタイム相当の平均年間基本給に基づく

£86〜418

緊急外来(A&E)での1回あたりの利用でかかる費用

税金を納める市民には請求されない。緊急ケア・センターやウォーク・イン・クリニックまでその形態はさまざまだが、2022/23年度の費用形態でより細密な検査と治療を受ける場合は418ポンド〜。

101万2143件

NHSの緊急対応999サービスがひと月に応答した件数 (2021年10月)

当時は新型コロナウイルスによるロックダウンが解除されて数カ月が経過したころで、コロナ・ワクチンのブースター接種が始まった時期でもあった。

£367

救急車でA&Eまで行く費用

現場へ向かったものの、A&Eへの搬送に至らなかった場合の出動費用は推定平均276ポンド。

£42

GPで平均9分間の対面診察にかかる費用
(2021/22年度)

出典: www.kingsfund.org.uk/audio-video/key-facts-figures-nhswww.england.nhs.uk/2021/11/nhs-responds-to-highest-number-of-999-calls-on-record

NHS、4つの地域の仕組み

医療サービスはその地域のニーズに合わせて、柔軟に対応する体制になっている。

● イングランド

患者および治療の種類ごとに設定された料金表に基づき、保健省から資金提供される。医療サービスはNHSトラスト、財団トラスト(メンタル・ヘルス、救急車の稼働を含む)、また一部の慈善団体や社会的企業を通じて提供。イングランドのGPは、国民の健康ニーズを満たすための計画の策定や予算の管理、特定地域の医療サービスの提供の手配を担当する組織、地域の統合ケア委員会(Integrated Care Boards= ICB)の一員として稼働する。ロンドンやイースト・オブ・イングランドなど7地域のローカル・チームがGP、歯科、薬局、一部の目に関するサービスを行う。セクシャル・ヘルスや健康診断などの公衆衛生は、政府機関である健康改善・格差局(the Office for Health Improvement and Disparities)と一部の地方自治体によって整備される。一部の人を除き、処方箋は有料。
www.england.nhs.uk

新型コロナウイルスが猛威を振るっていた2020年4月、NHSの文字を入れ替え「SHN」(Stay Home Now)というロゴの知名度を利用した広告が作られた新型コロナウイルスが猛威を振るっていた2020年4月、NHSの文字を入れ替え「SHN」(Stay Home Now)というロゴの知名度を利用した広告が作られた

● ウェールズ

英政府から受け取る補助金を、NHSウェールズを含むさまざまな医療機関に分配して運営。七つの地域ごとの保健委員会と三つのNHSトラストを通じてサービスを提供し、保健委員会は患者などを代表する地域保健協議会と協力、三つのトラストはそれぞれ緊急サービス、がん治療の専門医療、公衆衛生の責任を負っている。ウェールズでは全ての患者の処方箋が無料。
www.nhs.wales

病院名はウェールズ語が併記されている病院名はウェールズ語が併記されている

● スコットランド

地方分権として英政府から受け取る補助金を受け取り、NHSスコットランドなどさまざまな医療関連の部門へ分配し運営。NHSスコットランドは14の地域ごとの保健委員会と、救急車や緊急医療サービス電話、医療教育など専門のサービスを提供し保健委員会をサポートする八つの特別NHS委員会で構成され、住民の健康維持と改善、また最前線の医療サービスの提供に責任を負う。各保健委員会には公衆衛生部門が設けられているほか、特別保健委員会のスコットランド公衆衛生(Public Health Scotland)がスコットランド全体の公衆衛生のあらゆる側面をカバー。輸血サービスや医療環境・機器に関するアドバイスを提供する健康保護スコットランド(Health Protection Scotland)もスコットランド公衆衛生の一機関として運営されている。

同NHSは、イングランドやウェールズが保健相(Minister of Health、現在はSecretary of State for Health and Social Care)の名の下に設立されているのに対し、1948年にスコットランド省(現スコットランド政府)の大臣の監督のもとに、行政的に独立した組織として設立された経緯がある。スコットランドでは全ての患者の処方箋が無料。
www.scot.nhs.uk

1948年、NHSの開始に先立ってスコットランドで配られたパンフレット1948年、NHSの開始に先立ってスコットランドで配られたパンフレット

● 北アイルランド

医療とソーシャル・ケアが統合された健康と社会的ケア(Health and Social Care=HSC)を通じてサービスを提供。英政府からの補助金を受け、北アイルランド政府の保健省(the Department of Health=DoH)が同地の人々の健康と社会福祉を改善することを目的に、政策を制定する。日常生活での軽度のけがや病気に対する一次医療、入院治療を必要とする重症患者の医療を担当する二次医療、および地域医療の提供を担当する、保健省管轄下の医療社会福祉委員会や地域ごとの五つの医療社会福祉トラスト、また北アイルランド全土に救急車サービスを提供するトラスト、公衆衛生庁などさまざまな公的機関で構成。地方自治体には公衆衛生に関する責任はなく、主に北アイルランド保健省とその執行機関である公衆衛生局が負う。処方箋は無料。

1797年からあるベルファストのロイヤル・ヴィクトリア病院1797年からあるベルファストのロイヤル・ヴィクトリア病院

4つの地域が別々に医療サービスを提供する背景

NHSは4地域の包括的な呼び方で、医療制度が異なる北アイルランドは厳密にはNHSとは呼ばない。1948年にNHSが創設されたとき、イングランドとウェールズは一括管理されていたがウェールズは69年に、スコットランドと北アイルランドは48年に別の組織として設立された。1974年まで地方自治体はプライマリー・ケア・サービスとソーシャル・ケアの管理を担当。その後、99年7月1日に公共サービスの権限がスコットランド議会とウェールズ議会へ、同年12月2日には北アイルランド議会に完全に移譲。各当局は、医療サービスの提供や計画など、NHSのシステムや資金提供の管理が含まれていた。

NHSが直面する課題

素晴らしい仕組みの裏で、運営側はたくさんの問題を抱えている。連日伝えられているNHSの実情について見ていこう。

健康寿命が伸びる=患者数が増える

NHSが直面する主な五つの課題は、①資金不足、②スタッフの不足、③待機リストの長さ、④高齢化社会、⑤時代によって変わるケアのニーズで、これらは相互に複雑に絡み合った根深い問題となっている。ここ数十年の目覚ましい医学の進歩により、さまざまな医療機器や医薬品の開発が進み、人々の平均寿命は大幅に伸び、高齢化社会が進んでいる。65歳以上の患者の多くが二つ以上の疾患を抱えており、さらに全入院患者の約3分の2を占めているのが現状だ。

このような状況に対応し、さらなる資金を現場に供給できるよう、NHSの予算は毎年インフレ率の平均4パーセントを上回る増額が行われてきた。しかし、連立政権となる第1次キャメロン内閣が誕生した2010年以降、平均年間増加率は従来の半分に留まっており、万年資金不足の状況にさせられている。

医療サービス支出の年次変化

引用元:www.bbc.co.uk/news/health-64190440引用元:www.bbc.co.uk/news/health-64190440

疲弊する現場スタッフ

NHSのスタッフ不足もかなり深刻だ。現在の欠員率は10パーセントで、「タイムズ」紙によると、人口の高齢化に伴い、人員不足率は今後5年間で4倍になる可能性が十分に考えられるそう。NHSは政府に医学部の定員7500人を2倍に増やすよう要求中で、実現すれば新たに六つの医学部の新設が必要になると想定。しかしこの計画を実行するには財務省からの多額の投資金が必要となるので、実現はかなり難しいとされている。

また、NHSイングランドでは医療とソーシャル・ケアが別の組織によって運営されており、前者はNHSが、後者は地方自治体が担当している。ソーシャル・ケアの方でも慢性的な人員不足が続いていることから、病院を退院し、自立して回復を目指す患者の半数以上がソーシャル・ケアのサービスを受けることができないことを意味しており、そのために退院が延長され病院のベッドが占領され続ける負のスパイラルに陥っている。さらに、「オブザーバー」紙によると、イングランドの救急隊員はストレスが少なくより給料の良い仕事を求めて退職している。特にイングランド南部では5人に1人が就労後1年以内に退職するほど深刻だ。

膨れ上がる待機リスト

また、入院や手術を待つ患者の待機リスト「waiting list」は現在730万人を超えている。保守党は23年4月までに手術を18カ月以上待っている約1万人の患者をなくす公約を立てていたが、結局実現できなかったとスティーブ・バークレー保健長官がつい先日認めたばかり。この730万人という数字は、新型コロナウイルスの影響を受け、何か症状があっても病院に行くことを躊躇したり、我慢している人を含まないため、いざ待機リストの数が減少し始めた途端、数字が跳ね上がる可能性も十分に残っている。待機リストに載る患者たちは、代わりに高額なプライベートの医療機関に行ったり、待機中に亡くなったりして、毎月その3パーセントがリストから消えている。

頻発するストライキ

人手不足をスタッフ同士で穴埋めするオーバーワーク状態が続いた結果、2022年12月に、NHSイングランドの看護師10万人が106年の歴史のなかで初となる全国規模のストを実施。国に対して異常なインフレに見合った19パーセントの賃上げを求めた。4月半ばにはNHSイングランドのジュニア・ドクターが、5月上旬には看護師のストライキがあったばかりだが、英国のシニア・ドクターも、ストライキを行うか否かを6月27日までの投票で決めようとしている。

英国医師会(BMA)コンサルタント委員会委員長のヴィシャール・シャルマ医師によると、生活費が高騰する前の2008〜09年にかけて、すでに手取りの賃金は35パーセントも減少しており、年間4カ月は無休で働いていることに等しい。

2023年4月、4日間のストライキを行ったジュニア・ドクターたち2023年4月、4日間のストライキを行ったジュニア・ドクターたち

NHSにまつわる豆知識

1. NHSは世界で8番目に大きい組織

NHSは世界最古の公的医療制度であるだけでなく、その従業員数も莫大だ。2021年5月のNHSの統計によると、医療スタッフから緊急通報担当者まで、従業員は合計約134万人。これは英国内では最大規模で、世界でも8番目に大きい企業体。アマゾンの全世界の従業員数130万人を上回っている。NHSは米国、インド、中国のような大国の組織と同規模のスタッフを雇用していることになる。

2. NHSのメイン・カラーはパントン300

「the blue lozenge」(青い菱形)のNHSイングランドのロゴは1999年から使用されてきた。公的統計調査によると、NHSのアイデンティティーとして「青と白色」を挙げた人が87パーセントもいたほど定着している。メイン・カラーはNHSブルーと呼ばれるパントン300で、ほかに4種の青の使用が許可されている。ロゴは法律で保護され、保健社会保障担当国務長官が所有する英国の商標である。

3. 外国国籍でも医療費がかからない人がいる

NHSは私たちの税金を使って運営されている。日本人を含む外国国籍の人が英国に合法的に住む場合は基本的にビザ申請時に医療費を支払わなければならないが、イングランドでは移民規則に基づいて保護を認められた難民や亡命希望者とその扶養家族、人身売買の被害者などは追加料金の支払いをせずに利用できる。また、英国軍に所属する軍人、ブリティッシュ・カウンシルの雇用者も無料だ。

4. 処方箋が有料なのはイングランドだけ

イングランドの現在の処方箋料は1枚あたり9.65ポンドで、16歳未満、60歳以上、入院患者など一部の人は支払いが免除されている。NHS創設時、処方箋は無料だったが、1952年に国民医療サービス法(National Health Service Act 1952)が制定され、1枚につき1シリング(現在の約1.85ポンド、約315円)が課されるように。その後引き上げや廃止などを経て1968年に有料になった。

5. 歯科の料金体系は地域ごとに設定

なぜ歯の治療は無料にならないのか……。正確にはNHSがすでにその大部分を負担し、残りを市民が負担する形になっているためだ。1951年にまず義歯が、52年に全ての歯の治療が有料となった。現在イングランドとウェールズでは三つのバンドによる料金体系、スコットランドと北アイルランドは最大384ポンドなど、サービスにより細かく料金が設定されている。

大まかな医療費を計算してみよう!

私たちに直接請求されてはいないものの、GPの予約やA&Eを利用するにはコストがかかる。NHSイングランドは2022/23年度で約1530億ポンドの委託予算をやりくりして医療サービスを提供してくれたが、巨額すぎて実感が湧かないのではないだろうか。金融サービス比較会社Go.Compareが独自に作った計算ツールを使うと、自分が受けた医療サービスのおおよそのコストが分かる。治療にどのくらいの費用がかかっていたかぜひ調べてみてほしい。
www.gocompare.com/health-insurance/the-bill-of-health

NHS75で私たちができること

私たちは地元のNHS組織でボランティアをしたり、献血に参加したり、NHSをサポートする慈善団体に協力するなどして、NHSを支援することができる。詳しくはwww.england.nhs.uk/nhsbirthdayを参照ください。

中山弓子さんインタビュー
NHS現役スタッフの毎日 >
 

オープン・エア・シアターで ドラマチックな夏の夜を

オープン・エア・シアターで
ドラマチックな夏の夜を

国内各地で野外イベントが開かれる英国の短い夏。なかでも、シェイクスピアの時代から人々に親しまれてきたというオープン・エア・シアター(野外劇場)は、気軽に芸術に触れられるイベントの一つとして人気が高い。日中の暑さが静まる宵のころ、夜風に吹かれながらの観劇もまた乙なもの。家族や友人と一緒に、夏の思い出作りに出掛けてみてはいかがだろうか。(文:宮田さち、英国ニュースダイジェスト編集部)

美しい木々に囲まれてRegent’s Park Open Air Theatre
リージェンツ・パーク・オープン・エア・シアター

リージェンツ・パーク・オープン・エア・シアター

緑豊かなロイヤル・パーク内に1932年に設立されたロンドン最大級の劇場の一つで、18週間の上演期間中、毎年14万人以上が訪れる。家族皆で楽しめるインタラクティブなショーも上演。歴史あるイベントにふさわしく、ピクニック・セットから本格的なレストランまで、プレ・シアターの食事サービスも充実している。

2024年9月28日(土)まで
£15~72
Inner Circle, Regent's Park, London NW1 4NU
Tel: 0333 400 3562
Baker Street駅
https://openairtheatre.com

言わずと知れた名劇場Shakespeare's Globe
グローブ座

グローブ座

オリジナルのグローブ座はエリザベス朝の1599年に建てられた野外円形劇場で、1回の公演で3000人もの観客が芝居を楽しむことができたといわれている。このグローブ座をほぼ忠実に再現した現在の劇場で、「マクベス」「真夏の夜の夢」などのシェイクスピア作品を上演する。毎年恒例、23時59分開演の「深夜マチネ」については、サイトを参照のこと。

2024年10月27日(土)まで
£5〜75
21 New Globe Walk, Bankside, London SE1 9DT
Tel: 020 7401 9919
Blackfriars/Mansion House/London Bridge駅
www.shakespearesglobe.com

海に面したドラマチックな劇場Minack Theatre
ミナック・シアター

ミナック・シアター

英最南西端ランズ・エンド近郊の崖にあり、そのユニークなロケーションと建築様式のため、世界的にも有名な劇場。地元住人の女性ロウェナ・ケイドと庭師が、花崗岩の断崖絶壁を切り出して造り、こけら落としは1932年。ステージの背後には大西洋が広がり、石造りの観客席から見下ろす風景は圧巻の一言といえる。

2024年11月2日(土)まで
Porthcurno, Penzance, Cornwall TR19 6JU
Tel: 01736 810181
London Paddington駅からPenzance駅まで列車で約5時間40分、同駅からタクシーで25分、バスで約45分
www.minack.com

リージェンツ・パークに匹敵する北の劇場Grosvenor Park Open Air Theatre
グロブナー・パーク・オープン・エア・シアター

グロブナー・パーク・オープン・エア・シアター

英北西部チェスターのグロブナー・パークに設置される、500人収容できる円形野外劇場で、ステージを四方から囲むすり鉢状の座席が特徴的。2010年スタートの比較的新しい劇場だが、どの席に座ってもステージがよく見えると好評で、クッションやアルコールを含む飲食物の持ち込みも可能だ。前もってピクニック・セットをオーダーすることもできる。

2024年9月1日(日)まで
£6.75〜50
9 The Groves, Chester CH1 1SD
Tel: 01244 409 113
London Euston駅からChester駅まで列車で約2時間10分、同駅から徒歩12分
www.grosvenorparkopenairtheatre.co.uk

小さな島で観劇を楽しもうBrownsea Open Air Theatre
ブランシー・オープン・エア・シアター

ブランシー・オープン・エア・シアター

英西部ボーンマスの西側、プール湾に浮かぶブランシー島は、自然保護地区に指定されている小島。1907年、ボーイスカウトの創始者ロバート・バーデン・パウウェル率いる20人の若者が、実験キャンプをした場所としても知られている。島内の野外劇場では、1964年以来50年以上にわたりシェイクスピア作品を上演し続けている。

2024年度はソールド・アウト。25年の情報がもうすぐ発表される
£30(プールからの往復フェリー料金含む)
Poole, Dorset, BH17 7ZT
Tel: 07845 782924
London Waterloo駅からPoole駅まで列車で約2時間、同駅からフェリーで約20分
www.brownsea-theatre.co.uk

チューダー朝の邸宅を背景にCoughton Court Outdoor Theatre
コートン・コート・アウトドア・シアター

コートン・コート・アウトドア・シアター

ナショナル・トラストが管理するチューダー朝のマナー・ハウス、コートン・コート。建築だけではなく庭園の素晴らしさでも定評があり、ガイ・フォークスなど火薬陰謀事件の首謀者たちが潜んだ邸宅としても知られる。夏の夕べには野外でシェイクスピア作品が上演され、ピクニックをしながら楽しめる。今年の演目は「ハムレット」だ。

2024年7月11日(木)
£18.50
Coughton, Alcester, Warwickshire, B49 5JA
Tel: 01789 762 542
London Marylbone駅からRedditch駅まで列車で約1時間半、同駅からバスで約20分
www.nationaltrust.org.uk/coughton-court

 

見どころいっぱい! - 英国の古城を巡ろう

見どころいっぱい!英国の古城を巡ろう

英国には石造りの堅牢な城が数えきれないほどあり、かつては戦いの場として、また権力者の住居として長年活用されてきた。現在もその多くが残され、一般客が気軽に訪れることができるようになっている。英国の城にはどのような歴史があるのだろうか。今回はイングランド地域を中心に、この夏に訪れてみたい英国の城を紹介する。天色の空の下、悠然とたたずむ姿はきっと心に深く刻まれる良い思い出になるはずだ。(取材・執筆: 英国ニュースダイジェスト)

参考:www.english-heritage.org.ukwww.britannica.com ほか

イングランド南西部ドーセットにあるコーフ城イングランド南西部ドーセットにあるコーフ城

英国の城にまつわる基礎知識

城、マナーハウス、宮殿の違い

英国における「城」は設立された時代やそのスタイルは実にさまざまで、これから解説する定義の中間に位置する建物も多く存在する。混在しがちなこれらの言葉は、「オックスフォード学習者辞典」では以下のような定義になっている。

Castle 過去に国王や女王、そのほかの重要人物が、攻撃から身を守るために建てた分厚く高い壁と塔を持つ大きくて頑丈な建物
マナー・ハウスManor House 所有地の中にある大きなカントリー・ハウス
宮殿Palace 国王、女王、大統領などの公式の住居

「城」は主に「戦闘に備えたもの」として定義され、アングロ・ノルマン語および古北フランス語を起源とする後期古英語で「村」を意味する「カステル」(Castel)に由来する。戦いの少ない平和な時代に村は要塞の外側へ拡張し、その結果元々の中心部のみが要塞化された形で現在まで残っている。その後、英語の変遷により、村そのものや要塞化された部分を表す「Castle」という言葉が誕生した。なお、現代の英国では、地域によってCastleを「カッスル」または「キャッスル」と発音する。

豪華な城、質素な城の違いは?

当初は要塞として建築された城も、戦闘で使用される武器や技術の革新に伴い、防御用の建物が必ずしも必要ではなくなっていった。人々を守るために活躍した城は、18〜19世紀にかけてなるべく豪華絢爛な仕様へと再建や改修が積極的に行われた。つまりそれは本来の歴史をなぞった形ではないものに変えられることもあり、その上関係者たちは引き続き「城」という名前を使いたがった。現在も豪華な城や質素な城など、その見た目にかなりのばらつきがあっても城と呼ぶのはこのためだ。

ちなみに18世紀以前も、一つの城が建設当時の目的とは異なる形で活用されてきた。例えばあるときは城砦として、あるときは邸宅として、またあるときは要人の監禁場所として機能し、王室所有のものになったときもあれば、維持費がかかり過ぎて売り飛ばされることもあった。その都度必要に応じて改修・拡張工事が行われてきたので、そういったいざこざに巻き込まれた城ほど、複雑な造りや歴史を持っている。

現在のドーヴァー城。城が建設されるはるか昔の130年ごろには城砦が完成していたという現在のドーヴァー城。城が建設されるはるか昔の130年ごろには城砦が完成していたという

英国の城の歴史

今でこそ観光地となっている城だが、かつてはたくさんの血が流れた戦の拠点だった。おびたたしい犠牲の上に現在の平和な歴史が成り立っていることを理解しつつ、現在までの城の歴史を簡単に振り返ってみよう。

スコットランドのアバディーンシャーにあるクレイギーヴァー城(Craigievar Castle)。ピンク色のメルヘンな外壁はディズニーの作品作りにも影響を与えたといわれている(2024年春まで改修工事の予定)スコットランドのアバディーンシャーにあるクレイギーヴァー城(Craigievar Castle)。ピンク色のメルヘンな外壁はディズニーの作品作りにも影響を与えたといわれている(2024年春まで改修工事の予定)

敵に打ち勝つための三つの様式

現在の英国の城の基礎は、1066年にノルマンディー公ギヨーム2世(ウィリアム征服王)がウェセックス朝イングランド王国に対して軍事遠征を行ったノルマン・コンクエストによって、英国にもたらされたものだった。同地に住んでいたアングロサクソン人は、ウィリアム征服王、つまりノルマン人によって征服されたことを屈辱的に思い、たびたび反乱を起こすようになる。そこで、征服した領土の特に攻め入られそうな場所に、①モット&ベイリー様式の城を建設。11〜12世紀にかけて約1200の城が次々と建てられていったが、次第により強固な城にするために材料が木材から石材に変わり、②ストーン・キープ様式の城が登場。この時期に、ウェールズ大公サウェリン・アプ・グリフィズが戦いの末屈服し、同地のほぼ全土を征服したエドワード1世(在位1272~1307年)が、カーナーヴォン城、コンウィ城、ハーレック城などを建設した。

中世後期になると、①、②とは異なる同心円状に城壁が広がる③コンセンリック様式が主流に。この形式は昔から存在はしていたが、12〜13世紀を中心に大きく発展した。一方、スコットランドの多くの城は、1286年にスコットランド王アレグザンダー3世の死後、それまでの巨大なものから5~6階建ての四角いタワー・ハウスと呼ばれる独自の様式に移っていった。

発展と衰退を繰り返す城

14世紀ごろまではより洗練された城の建築が盛んに行われていたものの、15世紀には戦闘・防衛目的で維持された城はほんのわずかとなり、一部の状態の良いものは貴族たちの宮殿として活用されるなど、城を持て余す時代に突入する。

しかし14世紀末から15世紀の百年戦争の時代に火薬で砲弾を飛ばす初期のタイプの大砲が登場。15世紀にその改良版が欧州にも紹介されたため、海岸に造られた城の防御を再び固めたが、これも大して行われないままあっさりと終息。そして数々の内戦や、第一、第二次世界大戦に一部の城が利用されたが、次第に軍事的な目的での利用はほとんどなくっていった。

一方、18世紀ごろからそれらを後世に残そうとする文化的な保護活動が活発に。こうして役目を終えたラッキーな城だけが運よく現代まで残ったのだ。

初期の城の基本スタイル

① モット&ベイリー様式Motte and Bailey Castles

モットと呼ばれる土で盛った3〜30メートルほどの丘の上に、天守閣(Wooden Fort)を持つ形式。モットから見下ろす場所にはベイリー(Bailey)と呼ばれる広い中庭があり、厩舎や兵舎、食堂、作業場、マーケットなどが設けられ、周辺地域に経済的な効果をもたらした。このエリアを囲むように木の柵が、その外側には水路または深い堀が設けられていたため、一つの門(Gateway)からしか攻め入ることはできず、そこには跳ね橋がかけられていたため、必要に応じて上げ下げしていた。数カ月あれば建設できるものの、木材のため火に弱いのが欠点だった。

英北部ヨークにあるクリフォーズ・タワー(Clifford's Tower)は、1068年に木造の天守閣が造られ、13世紀に現在の石造りのものになった英北部ヨークにあるクリフォーズ・タワー(Clifford's Tower)は、1068年に木造の天守閣が造られ、13世紀に現在の石造りのものになった

② ストーン・キープ様式Stone Keep Castles

木材を使用する①の様式を石に変換したもので、長方形または貝殻天守(Shell Keeps)と呼ばれる円状の天守があり、寝室やキッチンなどさまざまな部屋を備えていた。石は耐火性と耐久性に優れた素材であったものの、農民の労働力でできた木造の要塞とは異なり熟練した職人を必要としたため建設には数年がかかり、その建設費用も莫大だった。そのため石造りの城は領主や王にとって権力を誇示できる意味合いもあったという。最大7メートルの分厚い外壁を有する城もあり、大砲などの強力な兵器が発明されるまで、突破することはほぼ不可能だった。

現在のイングランド東部のノリッジ城(Norwich Castle)の天守閣は1094〜1121年に建造。近年の調査で、アングロサクソン人の墓の上にベイリーが造られたことが分かった現在のイングランド東部のノリッジ城(Norwich Castle)の天守閣は1094〜1121年に建造。近年の調査で、アングロサクソン人の墓の上にベイリーが造られたことが分かった

③ コンセンリック様式Concentric Castles

要所に塔が付随するカーテン・ウォール(Curtain Wall)と呼ばれる長く分厚い複数の壁に囲まれた城で、①、②よりもはるかに大規模。内側から同心円状に広がるように造られていた。同様式の典型的な城は、天守閣が独立せずに壁の一部に組み込まれ、内側の壁は外側よりも高く造られており、外壁を突破した敵兵を上から撃ち落としたり、その規模から投石器のような大きな兵器を使用したりすることもできた。建設費は②をはるかに凌ぐもので、エドワード1世のような一国の王などごく限られた人物だけが造ることができた鉄壁の城だった。

ウェールズのケルフィリー城(Caerphilly Castle)は、エドワード1世ではなく同地一体の領主であったノルマン人のギルバート・ド・クレアによって築城されたウェールズのケルフィリー城(Caerphilly Castle)は、エドワード1世ではなく同地一体の領主であったノルマン人のギルバート・ド・クレアによって築城された

イングランドで訪れるべき城

イングランドだけでも4000を超える城が残っており、そのどれもが興味深い歴史を持つが、その中で編集部が独断と偏見で、気になる城を選んでみた。実際に訪れる際は、ぜひ各ウェブサイトで歴史を読んでから行ってみてほしい。

現代でいう最新のデザイナー建築だった
Tattershall Castle タターズホール城

1231年、ロバート・デ・テートシェールによって築かれた石造りの城(マナー・ハウス)を、1419年に相続した第3代ラルフ・デ・クロムウェル卿は、後にその城を拡張した。要塞という城本来の機能を捨て、当時はまだ珍しかった高価な赤レンガを使った美観重視の全面的な改修を行うことを決める。フランダース地方からわざわざ職人を呼び寄せ、煙突はゴシック様式など他に類を見ない瀟洒 (しょうしゃ)な外観となった。加えて新しい溝を掘らせ、既存のものと合わせ二重の堀を整備。これは一応城の防衛の役目も果たしていたものの、美しい城を長い時間をかけて見てほしいと、訪問者を必要以上に歩かせるためだったとか。

Sleaford Road, Tattershall, Lincolnshire LN4 4LR
ロンドンのKings Cross駅からPeterborough駅で乗り換え、Ruskington駅まで約1時間55分、同駅からタクシーで約20分。
www.nationaltrust.org.uk/visit/nottinghamshire-lincolnshire/tattershall-castle

雑すぎ怖すぎ捕まえすぎ
Warwick Castle ウォーリック城

914年にはすでに木造の砦が建設されていたイングランドの中でもかなりの歴史のある城。1068年に現在の基となった城を建てる際、敷地面積を拡大した都合で民家4軒を破壊した。刑務所として使われた時期もあったことから幽霊が出ることでも有名で、建物内を大股で歩く音やうめき声、金属製のドアから外を眺める看守の黄色い目が見えたなど、今も目撃証言が絶えない。また、かつて地下牢には第16代ウォーリック伯のリチャード・ネヴィルによってエドワード4世が捕らえられていたが、後に釈放、ネヴィルは4世が率いる軍に押され、バーネットの戦いで亡くなった。恨みを買いそうなことだらけの同城の現在の所有者は、ろう人形館マダム・タッソーを運営するエンターテインメント会社だというから驚きだ。

Warwick, Warwickshire CV34 6AH
ロンドンのMarylebone駅からWarwick駅まで約1時間30分、同駅から徒歩で約15分。
www.warwick-castle.com

家族のために建てた愛あふれる住まい
Bodiam Castle ボディアム城

エドワード3世に仕えたエドワード・ダリングリッジ卿によって百年戦争の最中の1385年に建てられた。ボディアムの邸宅を所有していた富裕層のワルドゥ家の相続人のエリザベスと結婚し、当初は騎士時代に貯めたお金を使って家族のために邸宅を建てる予定だったが、仏軍の侵攻を危惧し急遽城に変更。イングランドの多くの城が異なる所有者によって数世紀かけて築城されたのに対し、ボディアム城はダリングリッジ卿によって一時に建てられたため、城のデザインは細部まで統一されている。庭園もあり大変心地の良い場所で、水のお堀の中にたたずむ姿は他に例を見ない美しさだ。しかしながら、約30の下水が堀に直接放出され、その匂いは相当なものだったそう。

Bodiam, near Robertsbridge, East Sussex TN32 5UA
ロンドンのCharing Cross駅からBattle駅まで約1時間30分、同駅からタクシーで約20分。
www.nationaltrust.org.uk/visit/sussex/bodiam-castle

「イングランドへの鍵」と呼ばれた要塞
Dover Castle ドーヴァー城

かつて「イングランドを制するならドーヴァー城を」といわれたほど鉄壁な城で、海から渡ってくる敵をことごとく打ち落とす要塞として第二次世界大戦まで使われた。その礎は鉄器時代(紀元前500~332年)にも遡る。海岸沿いという立地から、群を抜いて歴戦を経験しており、ナポレオン戦争(1803~15年)では駐屯地となり、崖の頂上から約15メートル下に軍隊を収容するためのトンネルが掘られた。このトンネルはその後1世紀以上放置されるが、第二次世界対戦が始まると、防空壕、軍事病院、また極秘司令センターとして再び機能。ダンケルクの戦いで行われたダイナモ作戦もここから発令された。現在公開されているトンネルは「アネックス」と「ケースメイト」の2本だ。

Castle Hill, Dover, Kent CT16 1HU
ロンドンのSt Pancras駅からDover Priory駅まで約1時間10分。駅からバスか、徒歩で25分。
www.english-heritage.org.uk/visit/places/dover-castle

内戦に巻き込まれた悲劇の城
Corfe Castle コーフ城

モットの上にそびえ立ち、眼下に町を見下ろすコーフ城は、ウィリアム征服王によって1066年ごろに建てられ、刑務所として、また王冠を保管する王城として使われていた。栄華を極めた時代もあったもののイングランド内戦(1642〜51年)で議会派の円頂党(Roundheads)によってその大部分が破壊され、現在はひどく荒れている。地盤を爆破され大きくずれ込んだ南西の門楼もそのままだ。そんな歴史はお構いなしに破壊された石を持ち帰って家を建てた村人も多くいた。城にはレイブンの巣があり、鳥が去れば城は崩壊するといわれている。また、同地は青銅器時代の遺体や装飾品が多く埋葬されているため、敷地内での金属探知機の使用を禁止している。

The Square, Corfe Castle, Wareham, Dorset BH20 5EZ
ロンドンのWaterloo駅からWareham駅まで約2時間20分、同駅からバスで約15分。
www.nationaltrust.org.uk/visit/dorset/corfe-castle

数世紀前からとっくに廃墟だった
Restormel Castle レストーメル城

イングランド南西部のコーンウォールにある廃墟で、12世紀ごろに最初の城が建ち、13世紀後半に現在に見られる円形の城が完成した。このデザインはヘンリー3世の甥のエドマンドによる立案とされており、城を「ミニチュアの宮殿」に変えるべく、狩猟施設や庭園、静寂を求める人のための隠れ家を整備。以降、城主が代わるごとにさまざまな修繕が行われたが、いずれも公園の維持費に多くのお金を使い、引き続き狩猟を楽しんでいたようだ。16世紀にはほぼ廃墟となったが、人々はそれを過去の遺産として朽ち果てていく様子を眺め、18世紀には人為的に緑を増やした。1920年代にようやく保護へ動き出し、部分的に復元され、現在のような姿に生まれ変わった。

Off Restormel Road, Lostwithiel, Cornwall PL22 0EE
ロンドンのPaddington駅からPlymouth駅で乗り換え、Lostwithiel駅まで約4時間、同駅から徒歩で約30分。
www.english-heritage.org.uk/visit/places/restormel-castle

文学オタクが叶えた夢
Tintagel Castle ティンタジェル城

夏になると大変にぎわう、イングランド南西部のコーンウォール北部ティンタジェル半島にある城。初代コーンウォール伯リチャード(1209〜72年)は、所有していた三つの邸宅を同半島を含む小さな土地と交換し、本島側に外郭を、岬側に大広間と部屋のある内郭を造った。リチャードは12世紀に出されたキリスト教聖職者ジェフリー・オブ・モンマスの物語「ブリタニア列王史」(Historiae Regum Britanniae)に出てくるアーサー王の伝説、とりわけ物語の舞台になるティンタジェルに強く心をひかれ、物語の一部を再現してみせたのだ。しかしやはり場所が悪く、建築から数十年と経たないうちに城は荒廃してしまった。

Castle Road, Tintagel PL34 0HE
ロンドンのPaddington駅からBodmin Parkway駅まで約3時間50分、同駅からバスで約1時間30分〜2時間。途中バスを乗り継ぐので、事前に時刻表を確認しよう。
www.english-heritage.org.uk/visit/places/tintagel-castle

匠の意匠で美しく生まれ変わった
Lindisfarne Castle リンディスファーン城

宗教改革によりリンディスファーン修道院が失われたが、現在も巡礼者が絶えないイングランド北部のホーリー島にある城。16世紀に築城、18世紀までは数々の王に管理されてきた。1901年、当時「カントリー・ライフ」誌のオーナーだったエドワード・ハドソンが賃貸物件となっていたこの城を借り、ニューデリーの都市計画を担当した英建築家エドワード・ラッチェンスと、自生植物を生かす女性造園家のガートルード・ジーキルに改修を依頼。内装はアーツ・アンド・クラフト様式に、庭はたくさんの花で埋め尽くされた。

Holy Island, Berwick-upon-Tweed, Northumberland TD15 2SH
ロンドンのKings Cross駅からBerwick-upon-Tweed駅まで約3時間40分、同駅からタクシーかバスで約15分。満潮時にはたどり着けないので、National Trustの開館時間を見つつ、www.tidetimes.org.uk/holy-island-tide-timesを使って潮の満ち引きを確認しよう。
www.nationaltrust.org.uk/visit/north-east/lindisfarne-castle

スコットランド、ウェールズ、北アイルランドで訪れるべき城

英国全土に点在する城も、地域が異なればまたその特徴も少々異なってくる。こちらも独断と偏見で選んでみた。

スコットランド

おとぎ話の世界観
Dunrobin Castle ダンロビン城

13世紀以来、スコットランド貴族のサザーランド伯爵と氏族の本拠地で、インヴァネスから車で北に約1時間の場所にある。城は長い年月をかけて拡張を繰り返し、現在の建物は1835〜50年に建築家チャールズ・バリー卿によって、中世後期~近世初期のスコットランドの建築様式と装飾を復活させたゴシック・リバイバル建築「スコットランド男爵」(Scottish baronial)様式に改修されたもの。円錐形の屋根や小さな塔を指すトゥーレルなど、まるでおとぎ話の世界のような雰囲気を醸し出している。

Golspie, Sutherland KW10 6SF
www.dunrobincastle.co.uk

パノラマ写真で収めたい
Eilean Donan Castle アイリーン・ドナン城

13世紀に建てられ、大自然の中にたたずむハイランド地方特有の雄大さが感じられる城。1719年のジャコバイト蜂起によって英海軍による徹底的な集中砲火にあい、以後200年余り放置され、荒涼とした廃墟になった。現在見られる城は、英陸軍将校のジョン・マクレー・ギルストラップ中佐が1911年にこの島を購入し、再建したもの。現存していた城の初期の平面図に従って、20年以上の歳月を費やした再建工事が1932年7月に終了した。1999年の映画「007 ワールド・イズ・ノット・イナフ」のロケ地にもなっている。

Dornie by Kyle of Lochalsh IV40 8DX
www.eileandonancastle.com/

ウェールズ

世界遺産に登録された
Caernarfon Castle カーナーヴォン城

1283年にウェールズを征服したエドワード1世によって、ウェールズ一帯に造られた城の一つ。ウェールズ人の統制を目的としたこれらの一連の要塞を「鉄の指輪」と呼ぶが、その中でも最強とうたわれ、莫大な建築費がかかった城だ。カーテン・ウォールに組み込まれた12の八角形の塔のデザインは、コンスタンティノープル(現在のトルコのイスタンブール)を想起させるために選ばれたデザインと考えられている。この城はグウィネズのエドワード1世の城郭と市壁として、ユネスコの世界遺産に登録されている。

Castle Ditch, Caernarfon LL55 2AY
https://cadw.gov.wales/visit/places-to-visit/caernarfon-castle

柔らかな赤砂岩の流麗な城
Powis Castle and Garden ポウィス城&ガーデン

13世紀にできた城で、当時エドワード1世がウェールズを支配する目的で次々に築城していたのに対し、ポウィス城はウェールズの王子、グリフィズ・アプ・グウェンウィンによって王朝の本拠地として建てられた。有名なのは庭園で、1680年代に初代ポウィス侯爵ウィリアム・ハーバートが一連のテラスと芝生の斜面を造らせた。以降イタリア、オランダの水庭、自然主義的な様式など、そのときどきの流行によって庭園を変え、現在はバロック様式で落ち着いている。

Powis Castle and Garden, Welshpool SY21 8RF
www.nationaltrust.org.uk/visit/wales/powis-castle-and-garden

北アイルランド

中世にできた石畳を歩こう
Dunluce Castle ダンルース城

玄武岩でできた崖の上にあり、急峻な道に囲まれた城で、1500年ごろにマクキラン家によってアントリム北部の崖に建てられた。その後マクドネル一族によって占有されたが、17世紀にはアントリム伯爵家の本拠地になり、1608年には近隣に町が形成された。近年では、ファンタジー・ドラマ「ゲーム・オブ・スローンズ」に、グレイジョイ家の本拠地パイクとして描かれたことで話題に。城の近くにはマグヘラクロス展望台(Magheracross Viewing Point)があり、車移動では見られない海岸線を望むことができる。

87 Dunluce Road, Bushmills, Antrim BT57 8UY
https://discovernorthernireland.com/things-to-do/dunluce-castle-p675011

同じ名前なのに違う立地!?
Belfast Castle ベルファスト城

現在のヴィクトリアン様式の城は1867〜70年にかけて造られたが、ここに建てられる前にも同じ名前の城が存在していた。一つ目は12世紀後半に、二つ目は1611年にベルファスト男爵アーサー・チチェスター卿によって石と木材で一つ目と同じ場所に築城された。約100年後、火事によって二つ目の城は焼失。三つ目に当たる現在の城は、市内北部の丘(Cavehill Country Park)の斜面にある。以前と全く違う場所なのに同じベルファスト城として、現在はカフェやイベント会場がある複合施設として開放している。

Antrim Road, Belfast BT15 5GR
www.belfastcastle.co.uk

英国の城に関する豆知識

古城ホテルに泊まろう

かつての城をB&Bやホテルとして改修し、宿泊施設として開放している城もたくさんある。贅沢なステイを楽しみたい人へ向けた人気の物件となっており、なかには11世紀に建てられた城もある。もちろん水回りや部屋はきちんと整備されているのでご安心を。13世紀に建築され、エリザベス1世の母、アン・ブーリンが幼少期を過ごした「ヒーバー・キャッスル・ラグジュアリー・ベッド・アンド・ブレックファスト」なら安い時期は豪華な朝食付きで1泊200ポンド(約3万4700円)もかからず、美しい庭園も散策できる優雅な1日が約束される。日常の喧騒から離れたい人にぜひお勧めだ。

Hever Castle Luxury Bed and Breakfast
www.hevercastle.co.uk

城が売り出される英国の不動産

タブロイド紙では、しばしば「この城が〇〇ポンドで売り出し」といった見出しのニュースを見掛けることが多い。英国では城が不動産市場に出ることは珍しいことではなく、むしろ「カントリー・ハウス部門」を設けている不動産会社まであるほどだ。売り出し価格はさておき、サイトを覗けばかなりの確率で城の売り出し広告を見ることができる。売買される城の多くは、たいてい特定の家族の邸宅として建てられているため、城に関する良好な記録が比較的残っており、それを通じて買い手もその城の歴史や価値を知ることができる。維持費が大変なのは確実だが、いわゆる「欧州らしい」城を求めて、国際市場を中心に人気があるようだ。

11ベッドルーム、12バスルームで300万ポンド(約5億2200万円)で売られている城の広告11ベッドルーム、12バスルームで300万ポンド(約5億2200万円)で売られている城の広告

 

TROOPING THE COLOURの基礎知識

TROOPING THE COLOURの基礎知識

5月にチャールズ国王の戴冠式が終わったばかりの英国。次の王室関連の大きなイベントは、Trooping the Colour(トゥルーピング・ザ・カラー)だ。在英の人にとってはすっかりおなじみのイベントかもしれないが、今回は君主が変わって初めてのトゥルーピング・ザ・カラーとなる。改めてその歴史や楽しみ方のポイントなど、基本的な情報をおさらいしよう。

Trooping the Colour

2025年6月14日(土)
バッキンガム宮殿周辺
https://kbp.army.mod.uk/

トゥルーピング・ザ・カラーの起源

トゥルーピング・ザ・カラーは、260年以上にわたって行われてきた英国の君主の公式誕生日を祝う軍事的なパレードだ。毎年6月には、1350人以上の兵士、200頭の馬、300人以上で構成される音楽隊などが、軍隊の規則だった正確な動きや馬術、華やかな合奏を披露する。このパレードは、チャールズ2世の治世(1660~85年)に初めて行われたと考えられている。1748年に、同パレードがジョージ2世の公式誕生日の祝賀行事として決定され、1760年にジョージ3世の即位以降、毎年恒例のイベントとなった。また、参加部隊の近衛歩兵隊は、英陸軍で最も古い連隊の一つだ。イングランドでチャールズ2世が復位し、それまでの共和制から王政に戻った1660年以来、君主の個人的なボディーガードとして任務を果たしている。

「カラー」の意味

「カラー」(Colour)は英陸軍を構成するさまざまな連隊が持つ旗を指す。カラーには各部隊の記章や、その部隊が戦い、健闘した歴史的な場所を記した名誉勲章(Battle Honours)がデザインされており、隊よって色やデザインが大きく異なる。今のように無線通信がない時代、兵士たちは戦場で必死に戦ううちに、方向感覚を失いとんでもないところに行ってしまうことはよくあることだった。カラーは、兵士が遠くから所属部隊を簡単に見つけられるようにするため、また所属兵士を一致団結させるために重要なもので、戦闘前に若い将校が部隊の前をカラーを目立つように動かしながら歩き、兵士たちは自分のカラーがどれかを確認できるようにした。この一連の動きが、今日までトゥルーピング・ザ・カラーとして残っている。

「公式誕生日」とは?

現在の国王チャールズ3世の本当の誕生日は1948年11月14日。しかし、今回の祝賀行事のように6月にもKing's Birthday、Sovereign's Birthdayと呼ばれる「公式誕生日」がある。君主が二つの誕生日をもつ習慣は、ジョージ2世統治下の1748年に始まる。ジョージ2世の誕生日はチャールズ国王と同じ11月だったが、ただでさえ雨が降りやすい英国の気候のなかでも天候が一層悪い秋。最悪のコンディションが危惧され、夏に行われるトゥルーピング・ザ・カラーと祝賀イベントを組み合わせることになった。以降この伝統は今日まで受け継がれており、故エリザベス女王のときは6月の第2木曜日を公式誕生日としていた。チャールズ国王の今年の公式誕生日は6月17日だが、来年はまた少し日付がずれると予想されている。

当日の流れと楽しみ方

一連のパレードは9時ごろから馬車に乗った王室メンバーとともにバッキンガム宮殿を出発し、ザ・マルを通って、セント・ジェームズ・パーク前のホース・ガーズ・パレード(Horse Guards Parade)まで移動。10時からトゥルーピング・ザ・カラーが始まり、12時25分までに終了。その後、チャールズ国王たちはホワイト・ホールを経てバッキンガム宮殿へ戻る。チャールズ国王は軍隊に向かって敬礼し、その後バルコニーに王室メンバーと共に現れ、13時の英空軍のフライパスで終わる。ホース・ガーズ・パレードのスタンド席のチケットは完売してしまったので、パレードのルート沿いに早めに行くか、自宅でBBCの生中継を楽しむのが良い。

 

知っているようで知らない - 英国の紅茶。

知っているようで知らない英国の紅茶。

英国といえば紅茶のイメージだが、確かに英国人たちはよく紅茶を飲む。気分がいいときも悪いときも、そして何でもないときも、なにかといえば「I’ll put the kettle on」と、とりあえずお湯を沸かして紅茶を作ろうとする。今回は、気取らない毎日の1杯から上等な来客用まで、英国でよく飲まれている紅茶のブランドをピックアップした。英国人の間でも意見の分かれる紅茶の入れ方や飲み方、保存方法なども併せてご紹介。さらに、体調を整えるために手軽に入手できるハーブ・ティーについてもお伝えする。(取材・執筆: 英国ニュースダイジェスト)

参考: UK Tea & Infusions Association、www.tea.co.ukwww.kataoka.com ほか

紅茶にまつわる英国史

お茶が飲まれるようになったのは、紀元前の中国が最初。だが欧州へ広まるまで時間がかかり、英国人が紅茶を飲むようになったのは17世紀半ばだった。英国には先にコーヒーが上陸していたため、初めて紅茶が紹介されたのはロンドンのコーヒー・ハウス。最初に紅茶を提供したのはシティに店を構えていたトーマス・ガーウェイ(Thomas Garway)氏だったことが分かっている。同氏は1657年から飲料と茶葉を一般の人々に向けて販売したが、その価格は1ポンド(約450グラム)あたり6~10ポンド(現在の価格にして約630~1050ポンド。約10万~18万円)と驚きの高値だった。広告では、紅茶の利点として「体を活発にし、元気にする」「高齢に至るまで完全な健康を保つ」と宣伝。真っ先に貴族が贅沢の一つとして、アフタヌーン・ティーをはじめとする喫茶の習慣を身に付けた。

高価格にもかかわらず紅茶は急速に人気を得て、1700年までには紅茶のせいでパブでのアルコール類の売り上げが低下する事態が発生。パブのオーナーたちは困惑し、政府も思うように酒税収入が得られず、チャールズ2世は紅茶を販売する店にライセンス取得を義務付けたほか、一時は紅茶に119パーセントの税をかけるなどした。

しかし紅茶人気は衰えることなく、18世紀後半に英国が産業革命に成功すると中流階級にも愛飲されるようになり、やがて東インド会社の独占輸入権が失効したため輸入が自由化。さらに、植民地であったインドで紅茶の栽培に成功したことで、大量の紅茶が安く手に入るようになり、労働階級の人々も気軽に楽しめる飲み物となった。アヘン戦争、ボストン茶会事件など、他国との争いの原因にもなった紅茶。英国人がそうまで紅茶を愛するのは、英国の気候や水質に合うからなのか。誰もはっきりとした答えを出していない。

英国で人気の高い紅茶ブランド10選

昔から飲まれているブランドから最新のものまで、数ある英国ブランドの中からスーパーやオンラインで気軽に購入できる10ブランドを厳選した。飲み比べて自分好みの味を見つけてみてはいかがだろうか。

English Breakfast Loose LeafBrew Tea Co
ブリュー・ティー・カンパニー

2012年に2人の紅茶好きによって英北部リヴァプールで誕生したブリュー・ティー・カンパニー。その後同マンチェスターに移り、以来テイスティング、ブレンド、パッキングそしてティーバッグのバッグ作りまで、全てのプロセスを自分たちで行う。社会や環境に配慮した公益性の高い企業の証である「Bコープ」の認証を受けており、公平で公正な茶葉栽培者とのみ取引。写真の「イングリッシュ・ブレックファスト」は、力強い味わいに麦芽を思わせる芳香で、朝の目覚めの1杯に最適。3年という年月をかけて生み出された同ブランド自慢のブレンドだ。

English Breakfast Loose Leaf
£6 / 113g
www.brewteacompany.co.uk

Yorkshire TeaYorkshire Tea
ヨークシャー・ティー

1977年にベティーズ&テイラーズ・グループから発売されたヨークシャー・ティーは、英北部ヨークシャーで生まれたものの、現在はどこのスーパーでも手頃な価格で購入でき、英国家庭で最も日常的に飲まれている人気ブランド。インド、スリランカ、ケニアの茶葉を厳選してブレンドした、ミルク・ティーにぴったりのバランスの良い味わいと深いコクが特徴だ。どんな水質でもおいしく飲めるよう、硬水用と軟水用が作られているほか、よりリッチな味わいのゴールド、デカフェ、そしてビスケット味やトースト&ジャム味などのフレーバー・ティーもある。

Yorkshire Tea Tea Bags x80
£3.30~
www.yorkshiretea.co.uk

Tetley Original Softpack Tea Bags x160Tetley
テトリー

テトリーは1837年にジョセフ&エドワード・テトリー兄弟により英北部ヨークシャーで創業された。英国とカナダで最大の紅茶ブランドであり、英国で初めてティーバッグの紅茶を販売したブランドでもある。英国人の嗜好に合わせ、1989年には紐の付いていない丸型ティーバッグを発売。2000年にはインドのタタ・グループの子会社となり、タタが所有するインドとスリランカのプランテーションの茶葉を使用している。手軽な価格の巨大ブランド商品だが、グレート・テイスト・アウォーズの星一つを持った実力派だ。

Tetley Original Softpack Tea Bags x160
£3.70~
www.tetley.co.uk

Clipper Organic Everyday Tea Bags x80Clipper
クリッパー

クリッパーは、1984年に英南西部ドーセットの夫婦によって始められた。英国の市場で初めてオーガニックの紅茶を取り入れ、最高品質のアッサム・ティーを地元の健康食品店やカフェで販売。やがて94年には国内初のフェアトレード認証を受け、現在では50カ国以上で150種を超えるお茶を展開している。紅茶以外にも緑茶やハーブ・ティーがあるが、同社の全商品は今もドーセットのビーミンスターにある工場でブレンドされている。なお、ブランド名のクリッパーは19世紀に中国からの紅茶を迅速に運ぶために使われた、快速帆船の名称に由来する。

Clipper Organic Everyday Tea Bags x80
£3.50~
www.clipper-teas.com

Twinings Earl Grey Tea bags x80Twinings
トワイニングス

トワイニングスは、トーマス・トワイニング氏によって設立。1706年、ロンドンのストランドに英国初の茶葉ショップ併設のティー・ルームを開業し、現在でも営業は続いている。また、アール・グレイを最初に販売したブランドでもあるとされる。所説はあるが、1830年代に当時の首相チャールズ・グレイ卿とその使節が中国を訪れた際に、中国の官僚の息子を事故から救ったという。中国は感謝のしるしとして茶葉と、それを再現するレシピを贈った。それが現在世界中で愛されているアール・グレイの元なのだとか。

Twinings Earl Grey Tea bags x80
£4.80~
https://twinings.co.uk

The Original Biodegradable Black Tea Bags x40PG Tips
ピー・ジー・ティップス

1930年代に紅茶メーカーのブルック・ボンドがPG Tipsを「Pre-Gestee」という名で発売(現在はユニリーバ)。これはDigestive Teaの変形で、食事の前に消化を助けるために飲むことを意味していた。食料品店やセールスマンがこれをPGと略していたことから、今の名称に定着したという。意外と知られていないのは、カフェインが0.2パーセントに抑えられていること。胃にも優しく苦みやクセも少ないすっきりした味わいなので、ストレートで飲むことも可能だ。また、茶葉が中で流動しやすいピラミッド型のティーバッグを最初に導入したのはPG Tipsだった。

The Original Biodegradable Black Tea Bags x40
£1.60~
www.pgtips.co.uk

Rare Earl Grey Loose TeaRare Tea Co
レア・ティー・カンパニー

2004年に創業したレア・ティー・カンパニーは、ブローカーではなくお茶農家や茶園から直接茶葉を仕入れるダイレクト・トレードを誇りにするブランド。紅茶には生産者と最終的な買い手との間に多数の業者を介することがあり、その結果生産者はほんのわずかな収入しか得られないというシステムが存在する。レア・ティー・カンパニーはその悪しきサイクルを断ち切ろうと努めている。「フィナンシャル・タイムズ」紙から「世界一の味」とお墨付きをもらったアール・グレイは、クリアで香り高いながらも繊細な味わいで、後味はまろやか。

Rare Earl Grey Loose Tea
£6.99~/50g
https://rareteacompany.com/

Afternoon Blend Loose Leaf CaddyFortnum & Mason
フォートナム・アンド・メイソン

イングランドとスコットランドが連合し、グレート・ブリテン王国が誕生した1707年に創業。王室御用達の店として質の高い商品を販売することで知られ、日本をはじめ各国の人気や信頼も高い。スウィーツやハンパ―などでも知られるF&Mだが、1番人気はやはり紅茶。写真のアフタヌーン・ブレンドは、セイロンの茶葉をブレンドした、さっぱりとしていながらコクのしっかりした紅茶。ミルクを加え、スコーンと合わせることを念頭に置いているが、冷やしても透明度が高いため、同社のブレンドの中で最もアイス・ティーに適している。

Afternoon Blend Loose Leaf Caddy
£15.95/250g
www.fortnumandmason.com

Teapigs Everyday Brew Tea Temples Tea Bags x15teapigs
ティーピッグス

世の中がコーヒー・ブームにあった2006年、リーフ・ティーの魅力を取り戻そうと集まった同志たちによってロンドンで始められたティーピッグス。伝統的で堅苦しい紅茶の世界を打ち壊すべく、ポップなイラストのパッケージとナチュラルで力強いブレンドで勝負を懸けた。現在では英国全土のカフェやデリ、フードホールや食料品店、ホテルやレストランなどで見つけることができるうえ、40カ国以上で販売されている。また、157以上のグレート・テイスト・アウォーズを受賞しているので、心意気だけではなく味の方もお墨付きだ。

Teapigs Everyday Brew Tea Temples Tea Bags x15
£4~
www.teapigs.co.uk

Earl Grey Loose Tea No33Whittard of Chelsea
ウィッタード・オブ・チェルシー

1886年に紅茶商ウォルター・ウィッタード氏によって、ロンドンのフリート・ストリートでショップを開業。以来1973年まで家族経営が続いたが、以降、事業の拡大と縮小を繰り返し今に至る。2016年にはコヴェント・ガーデンのマーケットにティー・ルームを開設。ロンドンを訪れる観光客にもファンを増やしている。コヴェント・ガーデン・ブレンドやピカデリー・ブレンドなど、お土産にはぴったりの商品も展開。写真のアール・グレイには青いコーン・フラワー(矢車菊)がブレンドされ、見た目にも英国らしさを底上げしている。

Earl Grey Loose Tea No33
£8~/100g
www.whittard.co.uk

いまさら聞けない紅茶の6つの基本

まことしやかに語られるアフタヌーン・ティーの際の紅茶の飲み方から、イングリッシュ・ブレックファストの意味、ティーバッグとリーフ・ティーの違いなど、知っておいたら役に立つ紅茶にまつわる6つの豆知識をご紹介。

1. ダウントン・アビー式の紅茶の飲み方

19世紀の英国の貴族たちは紅茶を楽しむためにさまざまなルールを作った。だが、現在そのルールを率先して守ろうとする一般の英国人は多くはないかもしれない。たとえば、スプーンでティーカップの紅茶をかき混ぜるときは、円を描くのではなく、時計でいえば12時と6時の間を往復させる。また、かき混ぜた後のスプーンはカップの手前ではなく向こう側へ置くこと。飲む間は視線は紅茶に向け、きょろきょろしないなど、注意事項はいくらでもある。

ダウントン・アビー式の紅茶の飲み方

2. イングリッシュ・ブレックファスト・ティーとは

イングリッシュ・ブレックファストというと、ベーコンやベイクド・ビーンズの付いた朝食を想像するが、イングリッシュ・ブレックファスト・ティーは、アッサムとセイロンの茶葉をブレンドしたコクのある濃厚な紅茶で、ミルクや砂糖とよく合うのが特徴。イングリッシュ・ブレックファスト(朝食)の消化を助け、これから始まる1日に活力を与える風味豊かな紅茶だといえる。英国で最もよく飲まれているブレンドの一つで、さまざまなブランドから発売されている。

イングリッシュ・ブレックファスト・ティーとは

3. ビルダーズ・ティーって何?

ビルダーズ・ティーはその名の通り、建設労働者や工事現場の人々に愛される紅茶のスタイルのこと。一般的には、アッサムやケニアなどの強い味わいを持つ紅茶のティーバッグをマグカップに入れ、熱湯を注ぎこみ長めに抽出。しっかりと色が出たら牛乳と砂糖を気が済むまで入れ、スプーンや現場の道具など、手に入るものでかき混ぜる。ただこうしたイメージは、1970年ごろに放送されたPG Tipsのテレビ・コマーシャルに負うところが大きいという。

ビルダーズ・ティーって何?

4. 英国で1番高い紅茶

英国で1番高い紅茶は、バッキンガム宮殿にほど近い高級ホテル、リューベンス・アット・ザ・パレスのラウンジで供されるポットの紅茶。カップ3杯分ほどの紅茶が500ポンド(約8万6000円)だという。これは希少価値が高い茶葉を使っているためだ。茶葉は部位によって等級が異なるが、ここでは「ゴールデン・ティップス」と呼ばれる、最高クラスの茶葉の先端部分を使った、PMDティーというスリランカの高級ブランドのものだそう。

英国で1番高い紅茶

5. ティーバッグとリーフ・ティーの違い

手軽で便利なティーバッグ。だが、ティーバッグの紅茶は単にリーフ・ティーが紙の袋に詰められているのではない。ティーバッグ用にはそもそもリーフとは等級の違う茶葉が使われている。一般的に、ティーバッグは粉状の「ダスト」、または「ファニングス」と呼ばれる細かくて「低品質」のものを使う。ここでの低品質は必ずしも味の悪さにつながらず、単に使用される茶葉の部位や形態を示しているそう。対照的に、リーフ・ティーは一般的には茶葉全体を楽しむ。

ティーバッグとリーフ・ティーの違い

6. 専門家はどうやって入れてる

フォートナム&メイソンのバイヤーによると、紅茶を入れる際は、常に新鮮な水を使うこと。再沸騰させると酸素が失われ、それが紅茶の味に影響を与える。リーフ・ティーを使う場合は、1人分がティー・スプーン1杯。人数分に加えポットの分も1杯追加しポットに入れる。沸騰したお湯を注いで待つこと3~4分(濃い目が好きな方は5分)。ミルクが先か紅茶が先か議論があるが、味には関係ないのでお好きな順でカップあるいはマグに注いで召し上がれ。

専門家はどうやって入れてる

番外編ハーブ・ティー12選

英国人が紅茶と並んで愛飲するハーブ・ティー。健康志向も手伝い、多くの紅茶ブランドから独自のブレンドが発売されている。百花繚乱ともいえるハーブ・ティーの中から、気になる商品をピックアップした。

*効果には個人差があります。また、妊娠中の方や疾患を持つ方は購入前に必要に応じて医師にご確認ください。

Inner Peace Sweet Fig and Rooibos Tea with AshwagandaInner Peace Sweet Fig and Rooibos Tea with Ashwaganda

アーユルヴェーダに利用され、ストレスへの適応能力や免疫力を上げる別名スーパーハーブとも呼ばれるアシュワガンダの根が配合された、イチジクとバニラ風味のルイボス・ティー。

Twinings/£3.99

Soulful Blends ResetSoulful Blends Reset

アーユルヴェーダからインスパイアされ生まれた、「トワイニングス」の新商品。桃、オレンジの花、そしてイラクサのバランスの良い香りと甘めの飲み口が、忙しい合間に安らぎのひと時を与えてくれる。

Twinings/£3.49

Cold Infuse 'Vitality' Raspberry & HibiscusCold Infuse 'Vitality' Raspberry & Hibiscus

ラズベリーやハイビスカスの酸味があるすっきりとした味わいの水出しハーブ・ティー。1パックで1日のビタミンCの推奨摂取量75パーセントが補える優れもの。

Twinings/£3.95

Original ChaiOriginal Chai

英西部ブリストルで生まれた「パッカ」のチャイは、カルダモンやシナモンに、抗ウイルス作用のあるリコリスが入ったオリジナルのハーブ・ティー。ミルクや砂糖を入れなくとも十分に甘みを楽しめる。

Pukka/£4.19

Restoring RootsRestoring Roots

発汗を促す生姜、シミ・そばかすの防止となるターメリック、抗酸化作用のある黒コショウ入りのされたスパイシーな風味のハーブ・ティー。体温を上げ、気分を高めてくれる。

Clipper/£2.99

Snore & PeaceSnore & Peace

心身をリラックスさせるカモミールとラベンダーが配合され、レモン・バームの爽やかな味わいが特徴の王道のハーブ・ティー。心安らぐ香りで、就寝前の読書のお供にも最適。

Clipper/£2.99

Chai RelaxChai Relax

ルイボス・ティーを知り尽くした老舗「ティック・トック」のルイボス・ティーは、シナモン、生姜、カルダモンなどの体を温めるスパイスをブレンド。濃厚なバニラの味もポイントだ。

Tick Tock/£2.15

Ginger BoostGinger Boost

抗ウイルス作用や創傷治癒作用など体の免疫機能を高めるエキナセアに、生姜やレモン・ピールを加え、体の芯から温まるルイボス・ティー。心身共に疲れたときの1杯に。

Tick Tock/£2.15

Lazy days lemon & ginger teaLazy days lemon & ginger tea

おしゃれなパッケージがかわいらしい「ティーピッグス」のハーブ・ティーは、生姜、レモングラス、レモン・ピール、リコリスの根をブレンド。レモンの爽やかな香りが楽しめる。

teapigs/£5.20

Mint Garden DigestifMint Garden Digestif

英国の家族経営で知られるブランド「ドラゴンフライ・ティー」のミント・ティー。ペパー・ミントとフェンネル・シードが食後の口内をすっきりとさせ、消化をサポートしてくれる。

Dragonfly Tea/£2.69

Vanilla RooibosVanilla Rooibos

マダガスカル産の優良品質グレードのバニラ・ビーンズで甘い香りのブルボン・バニラが入ったルイボス・ティー。ノンカフェインでリラックス効果や体温上昇が期待できる。

Dragonfly Tea/£2.79

Chamomile, Vanilla & Manuka HoneyChamomile, Vanilla & Manuka Honey

カモミールやバニラに、ビタミンが含まれ高い抗菌作用のあるマヌカ・ハニーを加えたハーブ・ティー。リコリスによる甘い飲み口が心地良く、ゆったりとした気分にさせてくれる。

Pukka/£4.19

 

現代に受け継がれてきた「奇妙な伝統」 - 英国のフォークロア

現代に受け継がれてきた「奇妙な伝統」英国のフォークロア

日本の各地に伝承や祭りがあるように、英国にも一風変わったフォークロアが数多く存在する。目をひくコスチュームが目立つイベントや参加者同士が激しく戦う競技など、一見ミステリアスに思えるそれらも、歴史や参加者の背景を理解すればより面白く感じられることだろう。今回は、現在も開催されているフォークロアのイベント紹介に加え、現代社会で叫ばれている「多様性」が慣習にどのように影響しているかについて調べてみた。この夏以降に開催のイベントもあるので、ぜひ文化的な旅行先の候補として読んでいただけたら幸いだ。(取材・執筆: 英国ニュースダイジェスト)

参考: https://folklore-society.comwww.english-heritage.org.ukhttps://www.edinburghlive.co.ukwww.wales.com ほか

イングランド南部ヘイスティングスのジャック・イン・ザ・グリーン。ダンサーやバンドがパレードに参加し、夏の到来を祝うイングランド南部ヘイスティングスのジャック・イン・ザ・グリーン。ダンサーやバンドがパレードに参加し、夏の到来を祝う

英国のフォークロアとは

古代に作られた英雄伝説やきらびやかな神話とは別に、特定の地域で独自に発展していった民間伝承や慣習がフォークロア(Folklore)だ。その地域に住む人々は、祝祭への参加を通じて土地や人生に誇りを持つことができ、自身のアイデンティティーを定義してきた。英国は、あるときは異国に侵略され、あるときは新しい宗教の影響を受けてきた数千年の長い歴史がある。イングランド、スコットランドなど4つの地域で構成される連合国の英国だが、各地域の特色を色濃く反映してきたフォークロアが、表舞台の陰で静かに、そして脈々と育ってきた。

一般人が楽しむための祝祭

今でこそ「なぜこんな祭りやイベントを行うのか」という疑問も、事が起こった当時の情勢に立ち返ってみると単純明快だ。数世紀前は現在のように医療が充実しているわけでもなく、人々は日々の暮らしに苦労し、常に病気や死と隣り合わせの世界。来年の祝祭のために楽しく生きるというシンプルな動機が、決して裕福とはいえない一般市民の間で明るく共有されてきた結果、フォークロアは生まれるべくして生まれ、世代を超えて人々の希望であり続けた。

こういった民衆の文化は、識字率の低かった時代に著名な作家や国を動かす政治家の目に止まらない限り、完璧な情報が現在まで受け継がれてきたケースはほとんどないに等しい。よって限られた資料を頼りに民俗学者たちが自説を唱え、論争が永遠に終わらないのもこのためだ。正確なルーツ探しも大事だが、一方でまずは自分の目で見て純粋にイベントを楽しむのをお勧めしたい。

奇抜さに注目!衣装で見るフォークロア

英国にいるなら現地で見てみたいフォトジェニックなコスチュームが魅力のイベントを集めてみた。そのほとんどがはっきりとした起源は分かっていないものの、風変わりな見た目は、多くの写真家を魅了している。

「夏の精神」を迎え入れ人々を冬から目覚めさせる Jack in the Greenジャック・イン・ザ・グリーン

ヘイスティングスのジャック・イン・ザ・グリーン。最終日にジャック(写真中央)は群衆の前で殺され、手にすると幸運が訪れるというジャックの葉が観客に向かって投げられるヘイスティングスのジャック・イン・ザ・グリーン。最終日にジャック(写真中央)は群衆の前で殺され、手にすると幸運が訪れるというジャックの葉が観客に向かって投げられる

メーデーを祝い、葉で覆われたピラミッド型または円錐形のフレームに人が入り、街中を行進するイベント。その起源はやや複雑で、17世紀にロンドンで記録された乳搾りをする女性や煙突の掃除人から生まれた説や、似たような慣習が欧州各地に見られることからキリスト教以前の豊穣の精神を表す「グリーン・マン」(Green man)の名残である説などが挙げられる。

18、19世紀にかけて、ジャックに加えモリス・ダンサーや道化師など、多くの人物がパレードに登場。全盛期には英国全土で数百のジャックが行進したが、19世紀半ばには「騒々しく、労働者階級の下品な催し」として社会で否定的な報道が続き、一部地域では上品な趣向に無理やり改変し継続させたものもあったが、その形態は本来のものと大きくかけ離れたものであった。さらに1875年に煙突掃除人法が可決されたことでパレードの重要人物であった掃除人の参加数が激減。その結果、20世紀初頭には、英国中でほとんど見られなくなってしまった。第二次世界大戦後、英国各地でリバイバルの動きが見られるようになり、19世紀の伝統を復活させたり、過去の文献やイラストを参考にして新たに構成を組み直したりと、地域によって特色が出ている。

ヘイスティングスブリストルロチェスター、ロンドンのデプトフォードなどが有名で、毎年5月初頭に全国的に開催。

トナカイの角を使う英国で最も古いダンスの一つ Abbots Bromley Horn Danceアボッツ・ブロムリー・ホーン・ダンス

トナカイの角を支える顔部分は剥製ではなく木製のもの。イベント日以外は聖ニコラス教会で展示されている。教区以外でダンスを披露する際は代替の角を用いて行うそうだトナカイの角を支える顔部分は剥製ではなく木製のもの。イベント日以外は聖ニコラス教会で展示されている。教区以外でダンスを披露する際は代替の角を用いて行うそうだ

アボット・ブロムリーのホーン・ダンスは、数世紀にわたって続く農村の儀式。その起源をアングロサクソン人と結びつける説もあるが、狩猟の権利を認めるものとして、後に森林の管理者としての象徴に位置づけられるなど時代によって意味は変遷していった。6人のディア・マンが同地の聖ニコラス教会からトナカイの角を受け取り、朝8時にはダンスを開始。角をぶつけ合うような激しいものではなく、ダンサーが二列になってシンプルなステップを踏むのが基本。一行は道化師、棒馬(Hobby Horse)と弓を持った少年、ドレスを着た男のメイド・マリアン、ミュージシャンなどで構成され、教区の各地で踊りを披露しながら10マイル(約16キロ)の行程を歩き、角は夕方に教会に戻される。

1226年8月に上演された記録が残されており、英国では最も古い民族舞踊の一つ。使用されるトナカイの角は放射性炭素年代測定によると1000年以上前のものであることが分かったが、当時の英国のトナカイはすでに絶滅していたことから、おそらくバイキングによって持ち込まれた説が有力とされている。イングランドの内戦で、教会に角を隠した時期もあったというが、ダンスは同地に住む家系が引き継ぎ今日まで存続してきた。

2023年9月11日(月)開催。朝8時に教会前で踊った後、村から離れ、午後に戻ってくる。https://abbotsbromley.com/information/horn_dance

跳ねたり戯けたり……愛嬌のある動き Straw Bearストロー・ベア

ストロー・ベアは大人が担当する「ビッグ・ベア」と子どもが担当する「リトル・ベア」の2体が登場し、1人または2人の交代制で街を歩くストロー・ベアは大人が担当する「ビッグ・ベア」と子どもが担当する「リトル・ベア」の2体が登場し、1人または2人の交代制で街を歩く

名前の通り全身にワラをまとい、歩くホウキのような格好が特徴の「ワラのクマ」が登場する。農業従事者にとって、その年の農作業をスタートさせる「鋤の月曜日」(Plough Monday、十二夜の後の最初の月曜)は大切な日。19世紀、英東部ピーターバラ近くのウィットルジーでは、「鋤の月曜日」の翌日にストロー・ベアをパブや民家に立ち寄らせ、いたずらしたり戯けたりして人々を楽しませ、金やビール、タバコ、牛肉といったものをもらう習慣があった。ドイツなど欧州各地の類似の風習が早春を意識した伝統的な祭りであるのに対し、ウィットルジーのものはもっと気軽なイベントだった。農業従事者たちは鋤の月曜日まで一銭も稼がずクリスマスを楽しむため、仕事に戻る日になって人々から小金を巻き上げたが、中には門を解放し家畜を外に逃すという行き過ぎたものもあったとか。ストロー・ベアには厳選された最良のワラが使うことが大事とされており、遊び半分ながら農業従事者としての本気度が窺えるだろう。

これらの風習は警察によって一時厳しく取り締まられたが、1980年に70年ぶりに復活。現在はモリス・ダンサーなどが多数参加し、寒さの厳しい英国の冬を楽しむイベントの一つとなっている。

2024年1月12日(金)〜14日(日)開催。ストロー・ベアは街中を行進後、翌日の日曜には焼かれてしまうので、生き生きとした様子を見るなら土曜がベストだ。https://strawbear.org.uk/

不気味な見た目の吟遊詩人 Mari Lwydマリ・ロイド

マリ・ロイドは夜に民家を訪れ詩のバトルを住民と行った。一度家に入ると、あごを鳴らしながら走り回って子どもたちを怖がらせるなど、楽しいひとときが繰り広げられたマリ・ロイドは夜に民家を訪れ詩のバトルを住民と行った。一度家に入ると、あごを鳴らしながら走り回って子どもたちを怖がらせるなど、楽しいひとときが繰り広げられた

マリ・ロイド(ウェールズ語でY Fari Lwyd)はウェールズ南部に残る民俗習慣で、装飾した馬の頭蓋骨に布をかぶせた棒馬のこと。数人のグループでクリスマスの時期になると民家やパブを訪れ、ウェールズ語の歌を歌い、住人と即興の韻と詩を競い合う「pwnco」と呼ばれる儀式を行った。マリ・ロイドを家に入れると幸運が訪れるとされたことから、マリ・ロイド一行が負けることはほとんどなかったという。19世紀に初めて言及され、以後ウェールズ南部で人気の行事だったが、18世紀に復活したウェーリッシュ・メソジストたちの活動拡大、またウェールズ語を話せない人が増加して、詩を返せなくなったこともあり、20世紀初頭には姿を消してしまったが、1960年代に復活した。

マリ・ロイドはリボンやロゼットで飾られ、本物の馬の頭蓋骨が使用されており、バネで固定された下あごは大きな音を立てながら口の開閉ができる。

毎年クリスマスから十二夜にかけて、ウェールズ南部のスランガヌイド(Llangynwyd)などの一部地域で開催。ほか、毎年1月中旬ごろにチェプストウ(Chepstow)でマリ・ロイドが一堂に会するワッセイル&マリ・ロイド・フェスティバル(Wassail & Mari Lwyd Festival)や、ブレコン地域で活動する団体ブレコン・マリ・ロイド(Brecon Mari Lwyd)、カーリアン(Caerleon)でのイベントが有名だ。

ウイスキーを飲みまくる屈強な男 The Burrymanザ・バリーマン

スコットランドの港町でかつて同じような風習があったが、現在見られるのはサウス・クイーンズフェリーのみ。バリーマンとなる男性は、あまりに過酷なため過去には失神する人もスコットランドの港町でかつて同じような風習があったが、現在見られるのはサウス・クイーンズフェリーのみ。バリーマンとなる男性は、あまりに過酷なため過去には失神する人も

スコットランド、エディンバラ西部の町クイーンズフェリー(Queensferry、South Queensferryとも呼ばれる)で8月の第2週に行われるフェスティバル「フェリー・フェア」に組み込まれているイベント。12世紀ごろから始まった同フェアも十分古いが、バリーマンの起源は、はるか昔の数千年前の収穫を祝うための、異教の死と再生の祭りに関連しているとされている。しかし明確な起源は謎に包まれており、11世紀にマーガレット女王が同地からフォース湾を横断し、エディンバラから対岸のダンファームリンを訪れたことを記念して生まれた説もある。

街を練り歩くバリーマンになれるのは町出身の男性のみで、目と口、手と足の先以外をアザミに似たイガイガのゴボウの実(Burrs)で埋め尽くし、花やシダで飾り付けした独特のいでたちだ。歩く際は足を大きく広げた状態で、伸び切った腕を休めるための杖を常に携帯し、2人のサポーターを伴いながら7マイル(約11キロ)を9時間以上かけて回る。ただでさえタフな状況だが、この格好でたくさんのパブを訪れ、その度にストローでウイスキーを飲む。また、ウイスキーや寄付金をバリーマンに渡すと幸福が訪れるという伝承から、パブ間の住人からウイスキーをもらうこともしばしば。

2023年8月6日(日)〜12日(土)開催で、バリーマンが見られるのは11日(金)。行進ルートの詳細は7月ごろから更新されるウェブサイトで確認を。www.ferryfair.co.uk

黒塗りの馬が激しく踊る Obby Ossオビー・オス

とにかく騒々しい祝祭で、1837年には空中への銃の発砲を禁止。違反すれば罰金を科すと警告のポスターを町中に貼り、住民同士で抑制し合ったとにかく騒々しい祝祭で、1837年には空中への銃の発砲を禁止。違反すれば罰金を科すと警告のポスターを町中に貼り、住民同士で抑制し合った

英南西部コーンウォールのパドストウで行われるメーデーのお祝い。正確な起源は不明だが、古代ケルトの祭りで、夏の始まりを祝うベルテイン(Beltane)に関連したものとされており、同地でのオビー・オスが資料に初めて言及されたのは19世紀初頭ごろ。男性の踊り手が交代制で「オールド」と「ブルー・リボン」の2頭の棒馬になりすまし、オビー・オスをからかうティーザーに導かれ、別ルートを行進する。1919年にはそれまで1頭だったオビー・オスが2頭になり、祝祭の最中に悪酔いする群衆を諌めるために投入されたものの効果はなく、その役割は薄れたまま現在も2頭が存在する。

オビー・オスは、様式化した馬の仮面に光沢のある黒い円状の大きな体が特徴で、円状の木枠を大ぶりに回しながら、群衆で混雑した狭い通りを激しく動き進んでいく。特に若い女性を捕まえようとするが、過去にはこの木枠がオビー・オスに対し背を向けて立っていた女性の首にあたり、事故の原因となったこともあった。オビー・オスはアコーディオンなどのバンドと「デイ・ソング」と呼ばれる特定の歌を歌うサポーターを従えて練り歩き、2頭は夕方ごろに町の中心部に建てられたメイポールで出会い、厩舎に戻って翌年の復活を待つ。

2024年5月1日(水)開催。朝10時にブルー・リボンが、11時にオールド・オビー・オスが街中に現れる。激混み必至なので、荷物には十分注意を。https://padstowobbyoss.wordpress.com

祝祭は体を張って楽しむ競技で見るフォークロア

昔は娯楽が少なかったせいもあるのか、伝統的なお祭りで行われるイベントには、力自慢のような競技系のものが多い。びっくりするほど乱暴なものもあるが、ばかばかしいと片付けるにはあまりにも惜しい、6つのイベントを紹介する。

謎めいた起源を持つ Morris Danceモリス・ダンス

1600年、モリス・ダンスを踊るエリザベス朝の道化師ウィル・ケンプ(右)1600年、モリス・ダンスを踊るエリザベス朝の道化師ウィル・ケンプ(右)

花の冠をかぶり、足首に鈴を付けた男性たちが、ハンカチを振りながら野外で踊る、英国の奇妙なイベントに遭遇した方はいないだろうか。モリス・ダンスと呼ばれるこのダンスは、中世イングランドの農村で発生したといわれる民族舞踊の一つだ。春分の日や夏至などに、特定のフェスティバルやイベントの際に踊られることが多く、イングランド各地で多様なスタイルが存在する。ダンサーたちは通常6人組で、アコーディオンや太鼓などの伴奏に合わせて、リズムを取り足を踏み鳴らして踊る。ウェールズに接する南西部では、ハンカチの代わりに手にステッキや剣を持つ、やや荒々しいスタイルの闘争系ダンスのほか、顔を黒く塗るタイプもあり、これらはボーダー・モリス(Border Morris)と呼ばれている。

モリス・ダンスの起源や歴史については諸説があり、正確な起源は定かではない。ただ、最古の文献は1448年。当時は大道芸の一種のような役割があったと考えられるが、17世紀半ばには教区で演じられる民族舞踊の性質を帯びるようになっていく。モリス・ダンスは宗教と関りはないものの、1970年代のリバイバル時に、当時人気のあった自然崇拝やネオ・ペイガニズムなどと一緒に語られたため、今ではそうした民衆信仰のフォークロアの系譜に組み入れられている。

現在では、ほとんどのイングランドの町や村にモリス・チームやサイド(グループを指す用語)が存在するといわれており、それらのチームはみな振興協会に属している。これらの協会はモリス・ダンスの保存や発展に尽力しており、今では参加者に女性や海外メンバーもいる。

英北部ヨークでハンカチを振って踊る、モリス・ダンス・チームの男性たち英北部ヨークでハンカチを振って踊る、モリス・ダンス・チームの男性たち

モリス・ダンスに興味のある方は協会に問い合わせを。
モリス・リングモリス・フェデレーションオープン・モリス

けが人が続出! The Cooper's Hill Cheese-Rollingチーズ転がし祭り

急な斜面を転がり落ちていく参加者とチーズ。誤って観客がなぎ倒されることもあったという急な斜面を転がり落ちていく参加者とチーズ。誤って観客がなぎ倒されることもあったという

参加者たちが、クーパーズ・ヒルの丘の急斜面を転がる大きな円形のチーズを追いかける、英南西部グロスターシャーで行われるイベント。春の到来を祝うペイガニズムの祭りをルーツに、同地方で少なくとも600年にわたり開催されている。当日計5回行われるレースは1回に20人が参加し、最高時速112キロで丘を転がる重さ約4キロのダブルグロスター・チーズをキャッチしようと急斜面に身を投じる。毎回捻挫や骨折、脳振とうなど一定数のけが人が出ることでも知られており、ふもとには救急チームが待機している。

近年は乾燥した天候が続き地面が固くなっていることに加え、けが人の多さから公式イベントは2010年を最後に中止。それ以降は警察の監視の下、有志によって運営されている。使用されるチーズは地元の伝統的なチーズ・メーカー「スマート社」のもの。振動でバラバラにならないよう、側面を木製ケースで保護されリボンで飾られている。この競技は海外でも知られており、多くの参加希望者と見物人でにぎわう。2013年には初めて日本人男性が優勝した。

毎年5月の第2バンク・ホリデーに開催され、今年は5月29日(月)の12時スタート。
SoGlos 情報局グロスターシャー観光協会

ほかにやることなかったの Gurning contests変顔コンテスト

コンテストのために変顔をする男性コンテストのために変顔をする男性

「変な顔をする」を意味するガーニングと呼ばれるコンテストは、英北部の伝統的な祭りやイベントで見られ、コンテストは通常パブやクラブなどで開催される。起源は13世紀にまでさかのぼるそうで、競技者たちはブラッフィンという馬の首輪を付けたまま、顔をしかめてグロテスクな形を作り出す。特に毎年9月の第3土曜日に開催される、カンブリア地方のエグレモンツ・クラブ・フェア(Egremont's Crab Fair)で開催されるものが有名。同大会主催者によると、ガーニングはかつて村の愚者(フール)に対する地元住民の扱いに由来している。愚者はビールを貰うために、馬の首輪を付けて変な顔をして見せたのだそう。現在の競技者たちは犬のように唸ったり、顔にペイントをしたりして、変顔をしたまま暴れまわる。大会には、幼児から高齢者まで幅広い年代の市民が参加し、子ども、女性、男性の3つの参加カテゴリーがあるという。ただ、変顔をするには歯のない方が適しているようで、入れ歯を外した老人が高得点を挙げることが多いのだとか。

ちなみに、エグレモンツ・クラブ・フェアの起源は1267年。世界で最も古い村祭りの一つであるとされている。ここでは、変顔コンテストのほかにも、油を塗り滑りやすくなったポールを速く登るコンテストなどが開催されている。

コンテスト開催地としては最も有名なエグレモンツ・クラブ・フェアのガーニング
www.egremontcrabfair.com

血沸き肉躍る中世のラグビー The Haxey Hoodハクシー・フード

革の筒を掲げる参加者の男性。華やかな衣装と激しい競技のギャップが大きい革の筒を掲げる参加者の男性。華やかな衣装と激しい競技のギャップが大きい

ハクシー・フードは、英北部リンカンシャーの小さな村、ハクシー(Haxey)で毎年1月6日に行われる伝統的な競技イベント。13人の男たち(フーダーズ)が、村の四つのパブに面した広場で、革製の筒を自分たちのパブに運びこもうと試みる。衣装は華やかだが競技は非常に激しいもので、筒はスクラムを組んだフーダーズたちによって引っ張り合いになる。フーダーズたちは泥まみれになり、観客たちはラグビーの試合観戦のように大いに盛り上がる。最終的に勝者のパブは、1年間その筒を次の年まで保管することになる。ちなみに、競技の際には愚者の扮装をした男性が、「家対家、町対町、男が男に出会ったら、ぶっ倒して、でも傷つけないで」という、大変物騒な古い英語の唄を唱える。この唄は、それでも以前のもっと過激なものから緩和されたバージョンなのだという。

この競技の起源にはいくつかの説があり、最も有名なものは14世紀にさかのぼる。その伝説によれば、地主である地元貴族の夫人が狩りの最中にフード(帽子)を風で飛ばしてしまい、13人の農民たちがフードを追いかけ、最終的に無事に女性の手に戻った。喜んだ夫人は、13エーカー(5万3000 平方メートル)の領地を農民たちに与え、そこで今回の出来事を競技として毎年開催するよう命じたというもの。以来、伝統的な行事として人々に愛されている。

次回は2024年1月6日(土)に開催される。
英国フォークロア博物館

痛い目にあわせた方が勝ち Shin-Kicking World Championshipsすね蹴り選手権

コッツウォルズ・オリンピックのポスター。右上にすねを蹴り合う男性たちの姿が見えるコッツウォルズ・オリンピックのポスター。右上にすねを蹴り合う男性たちの姿が見える

昔のイングランドの面影を残したエリアとして、日本人からも人気の高い英南西部グロスターシャーのコッツウォルズ。ここでは毎年6月にコッツウォルズ・オリンピックという、古代競技を集めたイベントが開かれている。そのなかでも重要な競技が、400年以上の歴史を持つといわれる「すね蹴り」。その名の通り、向かい合った2人の男性が相手の肩をつかみ、すね(Shin)を蹴ることで相手をつまずかせたり、地面に投げたりする一種のレスリングのようなものだ。競技者は深刻なけがを防ぐため、クッションがわりに干し草をズボンの中に詰め込むことが可能。残酷なことに、昔は靴のつま先に金属を取り付けて蹴っていたそうで、相手のすねを傷付けるためにあらゆる工夫がされていたらしい。現在はもちろんそのような行為は禁止になっている。

また、かつては「目をえぐる」「噛む」行為は禁止という注意書きが残っているほどに深刻化する競技だった模様だが、地元の村々から選抜された選手による対抗試合で、村の威信がかかっていたという。「スティックラー」(Stickler)として知られる審判は棒を持っており、「ルールを守る」(Stick to the rules)というイディオムは、この競技に由来すると考えられている。現在は、現地の住人だけではなく誰でも参加のできる気軽なイベントだが、念のため救急チームが待機している。

すね蹴り選手権では羊飼いの白いジャケットを着て戦うのが決まりすね蹴り選手権では羊飼いの白いジャケットを着て戦うのが決まり

2023年は6月2日(金)16時から開催される。
コッツウォルズ・オリンピック

力と技を競い合う Caber Toss丸太投げ

丸太を持ち上げる競技者の男性丸太を持ち上げる競技者の男性

ケーバー・トスは、競技者が「ケーバー」と呼ばれる大きな丸太を、一回転させながら投げることを競い合う、スコットランドの伝統的なスポーツ・イベント。通常、5〜9月に開催される「ハイランド・ゲームズ」と呼ばれる祭りの一部として、スコットランド各地で実施される。参加者は伝統的なスコットランドのキルトを着用し、カラマツの木から作られた長さ約5メートル、重さ約80~130キロの丸太を扱う。この競技の起源は明確ではないが、伝統的な農作業や戦いの訓練の一環として行われていた可能性がある。競技のルールは、選手が1本の丸太を立てて持ち上げ、そのまま走りながら投げる。丸太は、尖った部分が下に来るように、空中で最低でも一回転しなければならない決まりがある。近年では、世界中で行われる競技大会やフェスティバルでも、この競技が取り入れられるようになっている。同様の競技はかつて16世紀のイングランドや北欧にも存在した。

また、ハイランド・ゲームズにはハンマー投げもあるが、これは近代オリンピックの祖、ピエール・ド・クーベルタン男爵がハイランド・ゲームズに感銘を受けたことから、ハンマー投げがオリンピック競技大会の種目に採用されたという経緯がある。男爵が丸太投げを推していたら、今ごろオリンピックの種目にケーバー・トスが入っていたかもしれない。

スコットランド観光局
www.scotland.com/blog/caber-toss-scotland

英国に根付いた4つのフォークロア

私たちが英国で日々暮らすなか、毎年巡って来る季節のイベント。クリスマスやイースターなどの宗教色は少ないものの、普段の英国生活に密着したフォークロアを紹介しよう。

Pancake Race
1. パンケーキ・レース

毎年2月の告解の火曜日(Shrove Tuesday)にパンケーキを食べるところまではキリスト教に基づく伝統だが、フライパンに入ったパンケーキを持ったまま走る「パンケーキ・レース」は、15世紀に端を発する英国の風習。イングランド南東部バッキンガムシャーのオルニーに住む1人の主婦が、礼拝の時間に間に合わないと焼きかけのパンケーキが入ったフライパンを持ち、エプロン姿のまま大慌てで教会へ駆け込んだ。これがレースのきっかけになったという言い伝えがある。

May Day
2. メーデー

春の訪れを祝い、夏の豊穣を願う祭日として、欧州各地でキリスト教伝来以前にさかのぼる起源をもつ。当日5月1日は、野山で摘んできたサンザシを家に飾る。また、メイポール(五月の柱)と呼ばれるモミや白樺といった木を森から切り出し、その下を子どもたちが踊る。さらに、古代ドルイド教における供犠や人身御供の一種として、メーデー前夜には巨大な人形ウィッカーマンが焼かれる。モリス・ダンスが多く踊られるのもこの時期である。

ウィッカーマンは編み細工で出来た人型の構造物ウィッカーマンは編み細工で出来た人型の構造物

Summer Solstice
3. 夏至の祭典

昼の時間が1年で最も長くなる夏至を祝う祭典が、英南西部にある古代遺跡ストーンヘンジで行われる。普段は遺跡保護の観点からストーン・サークルの中に入ることはできないが、毎年6月21日前後となる夏至の日は特別で、日没から日の出までサークル内に入ることが許される。ただえさえパワー・スポットとして人気の場所なため、世界中からこの瞬間を見届けようと多くの人が訪れる。夏至は世界各地で特別な日とされているが、英国ではドルイド教に由来し、男性神、女性神の出会いを祝う。

夏至の日にはさらに神聖な場所になるストーンヘンジ夏至の日にはさらに神聖な場所になるストーンヘンジ

Guy Fawkes Night
4. ガイ・フォークス・ナイト

深刻な宗教対立が続く16世紀の英国で、11月5日の議会開会日に国会議事堂を爆破することを決めたカトリック教徒たち。だがテロの動きを察知したジェームズ1世によって議事堂内に多数の衛兵が送り込まれ、テロは失敗に終わる。このとき、現行犯として逮捕された唯一の男の名前がガイ・フォークスで、以来11月5日はガイ・フォークス・ナイトとして英国中で花火大会が開催される。また、子どもたちはガイ・フォークスの人形を作り「ガイのために1ペニーを」と近所を回って花火を買う。

現在も変わり続けるフォークロア

民間伝承は世代から世代へと受け継がれていくものだが、それと同時に時代と共に変化もしている。昔はOKとされていた慣習が、現代の感覚では人種問題や性差別の観点から問題視される場合もある。

顔を黒く塗ったモリス・ダンサー

いくつかのボーダー・モリスや英北部のココナッツ・ダンスでは、参加者が顔を黒く塗って踊ることに対し、人種差別的であるという議論が起きている。モリス・ダンスの協会は、代替案を探すようダンサーたちにアドバイスしており、英南部ハンプシャーのモリス・ダンサーたちは黒の代わりに青色を顔に塗ることで対処。また、黒く塗っていたこと自体を500年余りも過去にさかのぼって謝罪する必要があるか否か、モリス愛好家の間でも話し合いが続いている。一方で英北部ランカシャーのダンサーたちは、顔を黒く塗るのは同地の伝統であるとしている。これはランカシャーが炭鉱の町であり、顔の黒さは炭鉱夫を表しているからなのだという。議論は続くに違いないが、黒塗りが良くないと安易にダンス自体を廃止する方向へは進まないはずだ。

女性の参加

モリス・ダンスは伝統的に男性のチームとされていたが、1975年には初の女性モリス・ダンス連盟(The Women Morris Federation)が発足。82年にはThe Morris Federationとなり、男女の性差にかかわらずどのダンスのどの役割も受け持てることとなった。現在はこうした伝統的な民間芸能に再度光が当たっていることもあり、新たな女性ダンサーたちが増加している。その結果、これまでのモリス・ダンスとは全く異なる、新しい動きやコスチュームが生まれており、新たなダンスの伝統が作り出されている過渡期にある。2015年に結成された女性ばかりのモリス・ダンス・チーム「ボス・モリス」(Boss Morris)は、現代音楽にインスパイアされた振り付けを披露するなど、狭かったフォーク・ダンスのジャンルに新風を吹き込んでいる。

 

チャールズ国王の戴冠式 現地の新聞と街の様子

チャールズ国王の戴冠式現地の新聞と街の様子

5月6日にロンドン中心部ウェストミンスター寺院で、チャールズ国王の戴冠式が執り行われた。6〜8日は戴冠式とそれに続くイベントで、3日間のコロネーション・ウィークエンドとなり、ロンドンの街中では多くの市民が思い思いの形で国王の戴冠を祝った。

戴冠式当日、翌日の新聞

「デーリー・テレグラフ」紙(2023年5月6日)

「デーリー・テレグラフ」紙(2023年5月6日)

I come not to be served but to serve
私は奉仕されるためでなく、奉仕するためにきた

「タイムズ」紙(2023年5月6日)

「タイムズ」紙(2023年5月6日)

「ガーディアン」紙(2023年5月6日)

「ガーディアン」紙(2023年5月6日)

「デーリー・エクスプレス」紙(2023年5月6日)

「デーリー・エクスプレス」紙(2023年5月6日)

DAY OF DESTINY
運命の日

「デーリー・ミラー」紙(2023年5月6日)

「デーリー・ミラー」紙(2023年5月6日)

He will not only wear the crown, he will bear the weight of history…and the hopes of a nation
チャールズ国王は王冠をかぶるだけでなく、歴史の重み...そして一国の希望を背負うことになる

「ミラー」紙(2023年5月7日)

「ミラー」紙(2023年5月7日)

「オブザーバー」紙(2023年5月7日)

「オブザーバー」紙(2023年5月7日)

King Charles Ⅲ
His crowning moment

チャールズ国王最高の瞬間

「タイムズ」紙(2023年5月7日)

「タイムズ」紙(2023年5月7日)

CORONATION OF
KING CHARLES III

国王チャールズ3世の戴冠式

「サン・オン・サンデー」紙(2023年5月7日)

「サン・オン・サンデー」紙(2023年5月7日)

CROWNING GLORY
戴冠の栄光

「サンデー・テレグラフ」紙(2023年5月7日)

「サンデー・テレグラフ」紙(2023年5月7日)

SOUVENIR EDITION
特別記念版

「サンデー・エクスプレス」紙(2023年5月7日)

「サンデー・エクスプレス」紙(2023年5月7日)

HAPPY AND GLORIOUS
幸福と栄光を

「iウィークエンド」紙(2023年5月6,7日)

「iウィークエンド」紙(2023年5月6,7日)

Charles III in battle to secure future of monarchy
王室の未来を守るチャールズ国王の戦い

戴冠式ウィークエンドのロンドン

7日のストリート・パーティーの様子。近隣の住人が食べ物や飲み物を持ち寄り、和気あいあいとした雰囲気だ7日のストリート・パーティーの様子。近隣の住人が食べ物や飲み物を持ち寄り、和気あいあいとした雰囲気だ

ピムスやケーキ、カップ・ケーキなどデザートがいっぱいピムスやケーキ、カップ・ケーキなどデザートがいっぱい!

パイなど英国らしい料理も並んでいますパイなど英国らしい料理も並んでいます

戴冠式2日前のザ・マルにはもう場所取りをする人の姿が戴冠式2日前のザ・マルにはもう場所取りをする人の姿が

英国旗と戴冠式の記念旗が飾られたピカデリー・サーカス英国旗と戴冠式の記念旗が飾られたピカデリー・サーカス

ロンドン中心部のバーリントン・アーケード。足元には国王のロイヤル・サイファー(紋章)がロンドン中心部のバーリントン・アーケード。足元には国王のロイヤル・サイファー(紋章)が

 
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