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欧州と日本で活躍する12人に聞いた「今私たちが読むべき本」

さまざまなバックグラウンドをもつ12人に聞く世の中が変わるとき読む本

環境、人権、暮らし方など、当たり前と思われていた価値観が世界中でどんどん崩れ去り、特にコロナ禍以降は加速度的に人々の意識が大きく変わっている今、新たな指標となるものはあるのだろうか。2022年の英独新年号特集では、不安や希望を抱えて生きていく私たちのヒントになるような、新たな視点がつかめる本の数々をご紹介。英独を中心に欧州各国と日本、それぞれの空気を知るその道のプロフェッショナルに、「今私たちが読むべき本」を尋ねた。(文・取材: 英国・ドイツ・ニュースダイジェスト編集部)

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世の中が変わるとき読む本

2021年の英独の出版事情は?

コロナ禍で本を読む人が増加

2020年、新型コロナウイルスの感染拡大によって自宅で過ごす時間が増え、世界中で本の需要が増加した。英国も同様で、ロックダウン中は大部分の実店舗が閉鎖されたにもかかわらず、この年には2億冊以上の書籍(紙媒体)が販売された。これは12年以来の最高数だという。20年の英出版社の総売上高は64億ポンド(約9800億円)で、19年より2パーセント高くなった。また、今年は本を耳で楽しむオーディオブックの売り上げが急増し、1~6月は19年比で71パーセント・アップという数字が出た。

一方、ドイツで21年6月に行われたBitkomの調査によると、パンデミック以降ドイツ人の10人に4人(41パーセント)がより頻繁に本を手にするようになったと回答。またロックダウンにより書店が閉鎖された数週間の間に、ドイツでは電子書籍の売り上げが43.5パーセント増加したという。

英国とドイツではどんな本が読まれたか?

2021年になって、英国では相変わらず多くの人が娯楽のために本に目を向け、読書に費やす時間が2倍になった人もいたという。特に、古典文学、犯罪スリラー、セルフヘルプ、料理、趣味などのジャンルに人気が集まった。ドイツでは、「シュピーゲル」紙が20年末に発表した年間ベストセラーで、ノンフィクション部門の2位にコロナ禍における社会を論じた『Trotzdem』(Luchterhand)がランクイン。またホームスクールの影響もあり、子ども向けの本の人気が高まったほか、21年はメルケル首相の後任を決めるドイツ連邦議会選挙があったことから、政治関係の書籍が話題となる傾向も見られた。

出版業界にもサプライチェーンの問題

一方で、コロナ禍によって悪化する深刻なサプライチェーンの問題が、出版業界にも打撃を与えている。英国では、EU離脱(Brexit)も相まって、大手出版社は好調だが、インディペンデント出版社は苦戦という図式が見える。ドイツでも紙不足による印刷遅延が起きており、「シュピーゲル」紙によれば、出版社はこれまで4~5 日で手にできていた印刷物を、6~8週間、場合によってはそれ以上待たなくてはならない状況に陥っているという。

参考: theconversation(2020年10月14日)、thebookseller.com(2021年11月26日)、deutschland.de「Was die Deutschen lesen」(2020年10月9日)、buchreport「Das sind die SPIEGEL-Jahresbestseller」(2020年12月29日)、Spiegel「Buchverleger sorgen sich ums Weihnachtsgeschäft」(2021年10月18日)、zdf「Mehr Menschen greifen zum Buch-Lesend durch die Pandemie」(2021年10月18日)

欧州と日本で活躍する12人に聞いた「今私たちが読むべき本」

明日に希望を持つためのマニュアル4冊鴻上尚史

Shoji Kokami 鴻上尚史

Shoji Kokami 鴻上尚史

演出家・作家。早稲田大学在学中に劇団「第三舞台」を結成。現在はKOKAMI@network、虚構の劇団の二つを運営する。ラジオやTV司会、映画監督としても活躍。留学や舞台上演など英国とも縁が深い。

狂暴化した「世間」と闘う

まず僕の『同調圧力』について。日本に住み同調圧力に苦労してない人はいないでしょう。欧州にいると分かるでしょうが、日本には「社会」と反対のものとして「世間」があると思います。社会には見知らぬ他人がおり、世間は学校や会社など自分が属しているところ。日本人はこれまでは世間の中で暮らしていれば良かったのが、価値観の多様化や外国人の増加で、世間という物差しだけでは成立しなくなってきています。一方、コロナ禍で人々に寛容の心がなくなり、自粛警察のような形で世間の同調圧力がむき出しになりました。世間が新型コロナによって狂暴化したのです。SNSでの誹ひぼう謗中傷やライブハウスへの張り紙など、この状況は戦前戦中に住民同士が監視し合う隣組のシステムによく似ています。この本では人々を苦しめる世間の正体を明らかにし、同調圧力とどう闘うかを示したつもりです。

フェイク・ニュースを見極めよう

『歴史修正主義』は、フェイク・ニュースが世間に広がり、何が本当なのか分からなくなってしまった人に向け、歴史の専門家がアプローチ方法を分かりやすく教えてくれる本です。ホロコーストを題材にしていますが、従軍慰安婦などの問題を相似で考えられると思います。ホロコーストは年月がたって関係者が亡くなったこともあり、その存在を否定する人が出てきました。あれだけ記録フィルムや証言が残っている物事を否定するなどばかげていると、専門家たちは相手にしていませんでした。ところがこれが原因で、否定派は一般レベルでじわじわ浸透していき、気が付けば仏「ル・モンド」紙のような高級紙でも、「ホロコーストはあった派」と「なかった派」を両論併記で特集する事態になりました。特に今は、インターネットで自分の読みたい情報しか読まずに済ませることが可能で、フェイク・ニュースを信じやすい土壌が整っています。そんななか、あきらめず実証的に粘り強く検証していくことの重要性が説かれています。

明るい未来

『学校の「当たり前」をやめた。』は、ユニークな学校改革についてです。千代田区立麹町中学校の校長だった工藤さんは、服装検査から宿題に至るまで全てを廃しました。このような人が日本にもいるという事実に僕は大変驚き、対談もさせてもらいました。中学生に大事なのは勉強や社会に出る準備をすることで、規則を盲目的に守ることではありません。現在、ダイバーシティという社会的価値観から一番遠いところにあり、「世間」が最も色濃く残るシステムは学校と役所でしょう。学校は「社会」とシームレスにつながらなくてはいけないという工藤さんの考えは、日本の学校教育における希望の光です。最後に、『ザリガニの鳴くところ』は2020年のベストセラーですが、これは僕がコロナ禍で非常にしんどかったときに救われた本。作者が動物学者なので自然描写がきめ細かく素晴らしい。読んだ後に幸せな気持ちになること間違いなしの、おすすめの小説です。僕が選んだ4冊は、どれも希望が根底にあると思いますよ。

鴻上尚史さんおすすめの4冊

同調圧力 日本社会はなぜ息苦しいのか

同調圧力 日本社会はなぜ息苦しいのか

鴻上尚史、佐藤直樹 著
講談社現代新書

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新型コロナウイルスがあぶり出したのは、日本独自の「世間」だった。長年この問題と格闘してきた二人が、自粛、自己責任、忖度などの背後に潜む日本社会の「闇」を暴く。

学校の「当たり前」をやめた。― 生徒も教師も変わる!公立名門中学校長の改革 ―

学校の「当たり前」をやめた。― 生徒も教師も変わる!公立名門中学校長の改革 ―

工藤勇一 著
時事通信社

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次世代を担う子どもたちにとって必要な学校の形を追求した、区立麹町中学校の工藤勇一元校長による学校改革の理念とその全貌を追う。学校関連でアマゾン・ベストセラー第1位。

歴史修正主義 - ヒトラー賛美、ホロコースト否定論から法規制まで

歴史修正主義 - ヒトラー賛美、ホロコースト否定論から法規制まで

武井彩佳 著
中公新書

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1980年代以降に世界各地で噴出したホロコースト否定論をもとに、本書ではその主張がどのように生まれたかを検証。欧米の歴史修正主義の実態を追い、歴史とは何か、事実とは何かを問う。

ザリガニの鳴くところ

ザリガニの鳴くところ

ディーリア・オーエンズ 著、友廣純 訳、しらこ 挿画、早川書房デザイン室 装丁
早川書房

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2021年本屋大賞翻訳小説部門で第1位に輝いた作品。人種差別やジェンダー、環境など重層的なテーマをミステリーかつ少女の成長物語に落とし込んだ名作。原題は『Where the Crawdads Sing』。

「職業: ドイツ人」が選ぶドイツと日本の4冊マライ・メントライン

Marei Mentlein マライ・メントライン

Marei Mentlein マライ・メントライン

独北部キール出身で、日本在住14年目。ドイツにまつわる仕事なら何でもこなす「職業:ドイツ人」を自称し、翻訳・通訳や執筆、テレビ局プロデューサーなど、幅広い活動を展開している。

読書はドイツ語or日本語?

自分が楽しむ目的なら、ドイツ語の小説か、日本のマンガをよく読みます。日本語の本だとネイティブの3分の1くらいのスピードになりますが、一行一行丁寧に読むからこそ、じっくり内容が頭に入ってくる感じがします。また日本の出版社からドイツのミステリーを紹介する仕事をいただいたのがきっかけで、ミステリー小説を読むことが多いです。

新しい視点をくれる日独の4冊

『14歳、ぼくらの疾走』の主人公マイクとチックは、子どものピュアさが残りつつ、大人の社会に対して疑問を抱き始める14歳という年齢。旧東ドイツのエリアを車で走る二人の目を通して、さまざまな矛盾を抱える大人の社会が見事に描かれていて、大人が読んでも満足できる作品ですね。

社会実験的な演劇の戯曲として書かれた『テロ』では、ハイジャックされた飛行機を撃ち落とした独空軍少佐の裁判が展開されます。演劇のラストでは、観客自身が有罪か無罪に投票。その結果によってエンディングが変わるのですが、この作品がすごいのは、どちらでも納得のいく説明がされるところ。法律は絶対的なものではなく、グレーゾーンも存在する。法哲学とは何かを考えさせられます。

地球温暖化が進み人類末期なのに、ものすごく穏やかな世界を描いた『ヨコハマ買い出し紀行』。主人公はロボットだけど誰よりも人間的ですし、人が少ないからこその温かい人付き合いがあったり。実際、先進国では人口が減少しており、いずれ人類によって地球環境が破壊されてしまうかもしれません。もしそうなったら、私たちは「最後」とどう向き合うのか、どのようにソフトランディングできるのか。こんな世界の終わり方もあるのだと思わせてくれる、不思議で美しい物語です。

『超空気支配社会』の著者である辻田さんは、日本語でいうところの「是々非々」な方で、落ち着いた視点をお持ちです。この本は辻田さんのコラムなどを1冊にまとめたもので、メディアのあり方や、オリンピック、コロナなど、最近の社会的なテーマが出てきます。特に昨今のネット上の議論では、右がこう左がこう、といった極論のバトル状態になっていますが、そんななかで冷静なスタンスとは何かを分からせてくれる本だと思います。

日独をつなぐバランス感覚

私自身が発信するときは、日本とドイツそれぞれの良いところと悪いところについて、どちらかに偏らずにバランス良く紹介することを大切にしています。あと「ドイツ人は真面目」というイメージを持つ日本人が多いですが、実はおちゃめな人もたくさんいるし、ゆるいところもあるので、そういった面を積極的に伝えたい(笑)。また今はドイツのことを日本に紹介する仕事が多いですが、昨年の東京オリンピックの際にはドイツの公共放送で開会式のコメンテーターを務めました。ドイツの視聴者に向けて日本の社会や文化について解説するなかで、ドイツにもっと日本の面白いところなどを伝えたい、と改めて思い出して。今後はそういう機会も増やせればうれしいです。

マライ・メントラインさんおすすめの4冊

14歳、ぼくらの疾走: マイクとチック

14歳、ぼくらの疾走: マイクとチック

ヴォルフガング・ヘルンドルフ 著、木本栄 訳
小峰書店

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退屈な日々を過ごす、ギムナジウム8年生のマイク。破天荒な転校生のチックと出会ったことで、刺激的な一夏が幕を開ける。オンボロ車を無断で拝借し、二人は自由な旅に出るのだった。

テロ

テロ

フェルディナント・フォン・シーラッハ 著、酒寄 進一 訳
東京創元社

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ドイツ上空でハイジャックされた旅客機を独断で狙撃し、164人の乗客を殺して市民7万人を救った空軍少佐。彼は英雄か、殺人者か? 有罪と無罪、二通りの結末が用意された法廷劇。

ヨコハマ買い出し紀行(1)

ヨコハマ買い出し紀行(1)

芦奈野ひとし 著
講談社コミックス

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舞台は近未来の日本。地球温暖化によって水没しつつあるこの世界で、カフェを営むロボット・アルファさんを中心に、滅びゆく時代を緩やかに生きる人々の暮らしが描かれる。

超空気支配社会

超空気支配社会

辻田真佐憲 著
文藝春秋

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SNSの炎上やコロナ禍、オリンピックなど、「空気」の圧力が覆う現代日本を読み解く。何かと右と左に分類されがちな世の中で、どちらにも行き過ぎない筆者の冷静な立ち位置に注目。

リチャード・ロイド・パリー

Richard Lloyd-Parry リチャード・ロイド・パリー

Richard Lloyd-Parry リチャード・ロイド・パリー

英「タイムズ」紙のアジア編集長・東京支局長。1995年より東京在住。著書に東日本大震災被災者の内面に迫った『津波の霊たち: 3・11 死と生の物語』ほかがある。

本の新旧にかかわらず、今の時代に呼応する3冊を選びました。まず、冷戦時代に書かれたジョージ・オーウェルの『Nineteen Eighty-Four』は、全ての時代に当てはまる偉大な本です。この本に描かれた権力者が言語を駆使して現在と過去を操作するやり口は、グローバルな規模で新たな分裂が起きている現代にはとりわけ意味があり、世に警鐘を鳴らすものだと思います。

次に、テッド・ヒューズは英国で「自然の詩人」と呼ばれていますが、牧歌的なイメージとは程遠く、動物、鳥、自然界に関する強烈なイメージを持った作品です。それらが伝えるエネルギーは、自然自体が脅威にさらされている今こそ参考にすべきだといっていいでしょう。

最後に、南アフリカのノーベル賞作家J. M.クッツェーによる『Disgrace』は、現在の「文化的対立」が勃発するずっと以前に発表されました。ある女子学生と関係を持った白人の男性教授にもたらされる破滅を描いたこの小説は、権力、特権、搾取、人種など、今日議論されている多くの主題に正面から取り組んでいます。

リチャード・ロイド・パリーさんおすすめの3冊

Nineteen Eighty-Four

Nineteen Eighty-Four

George Orwell 著
Penguin Classics

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New and Selected Poems 1957-1994

New and Selected Poems 1957-1994

Ted Hughes 著
Faber and Faber Ltd.

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Disgrace

Disgrace

J. M. Coetzee 著
Vintage/Penguin

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石沢麻依

Mai Ishizawa 石沢麻依

Mai Ishizawa 石沢麻依

1980年、宮城県生まれ。東北大学大学院文学研究科修士課程修了。ドイツ美術史の研究のため、2015年からドイツ在住。昨年『貝に続く場所にて』(講談社)で第165回芥川賞を受賞した。

「越境」という言葉は空間だけではなく時間にも及び、常に断絶や連続の感覚と切り離せないのかもしれません。この主題を真摯に扱ってきた作家に、W・G・ゼーバルトがいます。『移民たち 四つの長い物語』は、移民もしくは亡命者の四人の人生を通して、土地と結びつく過去が描かれています。四人は異郷にあっても置き去りにされた過去が追いついてきて、記憶の中ではそこに戻ってしまうのです。

それとは逆に、ヴァージニア・ウルフの『自分ひとりの部屋』で探し求められるのは、故郷や失われた土地ではなく、自分が自分らしく生きてゆける場所。その空間を得られなかった女性たちの生の姿、ウルフの生きた時代、さらに遠い先の社会へと連続性を紡ぎ、「共通の生」について扱っている本です。

そして、トーベ・ヤンソンの『ムーミン谷の冬』は、例年より早く冬眠から目覚めたムーミンが、冬という見知らぬ世界を巡る物語。見慣れた土地の見知らぬ姿に孤独にさいなまれますが、やがて世界が断絶しているのではなく、連続していることに気付きます。そのとき、彼は恐ろしく美しいものを見いだした越境者となるのです。

石沢麻依さんおすすめの3冊

移民たち 四つの長い物語

移民たち 四つの長い物語

W・G・ゼーバルト 著 鈴木仁子 訳
白水社

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自分ひとりの部屋

自分ひとりの部屋

ヴァージニア・ウルフ 著 片山亜紀 訳
平凡社

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ムーミン谷の冬

ムーミン谷の冬

トーベ・ヤンソン 著、山室静 訳
講談社

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中村真人

Masato Nakamura 中村真人

Masato Nakamura 中村真人

ライター。神奈川県横須賀市出身。早稲田大学第一文学部を卒業後、2000年よりベルリン在住。著書に『ベルリンガイドブック』(学研プラス)など。 http://berlinhbf.com

なかなか旅行ができないこのご時世、旅をテーマに選んでみました。『旅の終りは個室寝台車』は、私が小学3年のときに初めて親に買ってもらった鉄道紀行文。写真が1枚も使われていないにもかかわらず、ひなびた鈍行列車の車内から冬の北海道の荘厳な風景までもが脳裏に浮かんできます。宮脇さんの簡素な文体と味わい深い描写は今も私のお手本です。

『忘れられた日本人』は、著名な民俗学者の代表作。戦前の日本各地に住む老人や女性の声を丹念に拾い上げています。「単なる懐古としてではなく、現在につながる問題として、老人たちのはたして来た役割を考えて見たくなった」(あとがきより)という姿勢からは多くを学びました。

『転がる香港に苔は生えない』は、1997年の香港返還前夜の2年間を描いた記録。人への好奇心と洞察力がすごく、20世紀末に一度だけ旅したことのある自分には懐かしくもあり、同時に現在の香港への複雑な思いもよぎります。コロナ禍の最初の夏に電子書籍リーダーを購入して以来、読書時間が飛躍的に増えました。古典から最新刊、再読したい本までが一つに収まる電子書籍は私にとって革命的でした。

中村真人さんおすすめの3冊

旅の終りは個室寝台車

旅の終りは個室寝台車

宮脇俊三 著
河出文庫

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忘れられた日本人

忘れられた日本人

宮本常一 著
岩波文庫

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転がる香港に苔は生えない

転がる香港に苔は生えない

星野博美 著
文春文庫

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グレアム・ロレンス

Graeme Lawrence グレアム・ロレンス

Graeme Lawrence グレアム・ロレンス

複数の日系企業勤務、異文化コンサルタントを経て、現在社内通訳者・翻訳者。静岡県立大学国際関係学部卒。2019年のSOASビジネス日本語スピーチ・コンテスト優勝。

元FBI交渉人が書いた『Never Split the Difference』は、銀行強盗や誘拐事件で磨いた交渉術のトリセツ。学問的なアプローチではなく、著者の実体験に基づいた技を学べます。ビジネスと私生活の両方に役立つ内容です。

次の『The Culture Map』は、異文化理解のための素晴らしいマニュアル。私が日本留学時代から携わっている分野なので、うなずきながら読んでいたビジネス書です。世界中の人々とコミュニケーションを取る人におすすめです。

最後は『カーネギー名言集』。対人スキルを上げるプログラムを開発したデール・カーネギーのリーダシップ育成コースを受講したばかりなので、最近同氏の名作を数冊読み直しました。80年前に書かれた本ですが、不安が募っているコロナ時代の今だからこそ必要かもしれません。戦前の人々の知恵が満載の作品です。パンデミックになってから、電子書籍を以前よりたくさん読むようになりましたが、最近「紙」の良さを再発見しました。理由の一つは、電子書籍だと内容があまり記憶に残らないから。先日、1年半ぶりに本屋に入ったら「この空間がいいな」とつくづく感じました。

グレアム・ロレンスさんおすすめの3冊

Never Split the Difference: Negotiating as if Your Life Depended on It

Never Split the Difference: Negotiating as if Your Life Depended on It

Chris Voss、Tahl Raz 著
Random House Business/Penguin

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The Culture Map

The Culture Map

Erin Meyer 著
PublicAffairs

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新装版 カーネギー名言集

新装版 カーネギー名言集

ドロシー・カーネギー 編、神島 康 訳
創元社

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原サチコ

Sachiko Hara 原サチコ

Sachiko Hara 原サチコ

2001年ドイツに移住。04年東洋人として初めてウィーン・ブルク劇場の専属俳優に。以後、日本人唯一のドイツ語圏公立劇場専属女優として活躍中。現在ハンブルク・ドイツ劇場に所属。

ロックダウン中、私はスイスに住んでいて、『『ハイジ』の生まれた世界』を夢中になって読みました。この本では『アルプスの少女ハイジ』の作者、ヨハンナ・シュピーリの波乱万丈な人生、またハイジが生きた時代背景を掘り下げて解説しています。ドイツにまた戻ろうと決心した後にロックダウンが始まったので、この本を読んでまた違う角度からスイスを見ることができました。

身体的には野口晴哉先生の『整体入門』が役立ちました。実は幼い頃病弱だったのですが、野口整体のおかげで丈夫になった経験があります。特別な道具もいらず、自己治療力を高め、体も心も整えられるイメージですね。先生の考え方は今でも私の助けになっています。

お守り的な本としては、ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)が2017年にノーベル平和賞を受賞したときにスピーチをしたサーロー節子さんの『光に向かって這っていけ』。それ以前から私は広島原爆の記憶を伝える活動「ヒロシマ・サロン」を行っていますが、この本を読むと私の活動の意義を再確認することができ、勇気を与えてくれます。

原サチコさんおすすめの3冊

ハイジ』の生まれた世界: ヨハンナ・シュピーリと近代スイス

ハイジ』の生まれた世界: ヨハンナ・シュピーリと近代スイス

森田安一 著
教文館

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整体入門

整体入門

野口晴哉 著
ちくま文庫

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光に向かって這っていけ: 核なき世界を追い求めて

光に向かって這っていけ: 核なき世界を追い求めて

サーロー節子、金崎由美 著
岩波書店

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川合亮平

Ryohei Kawai 川合亮平

Ryohei Kawai 川合亮平

通訳者・翻訳者。著書に『なんでやねんを英語で言えますか?』(KADOKAWA)をはじめ、翻訳書などを多数出版。東京五輪のビジネス会議、俳優へのインタビューなど多岐にわたる通訳に携わる。

新型コロナの流行により、物語に現実逃避する重要性というのが増しました。なんだかよく分からないパンデミックな現実の傍らで、何もかも忘れて本の中のストーリーに没頭するのが、これまでにも増して個人的にとても重要な時間になりました。僕のおすすめは、アンソニー・ホロヴィッツの『The Word Is Murder』です。洋書ミステリーってこんなに面白いものなのかと衝撃を受けました。「洋書ミステリーを読む」という趣味以上の楽しみが増えるきっかけになった一冊です。

また村上春樹の「職業としての小説家」から、働くことに関してとても良い影響を受けました。それは僕が長らくフリーランスとして仕事をしており、人の仕事に対する姿勢、特にクリエイティブな仕事をしている方の仕事に対する日々のDiscipline(規律)に興味があるからです。

おなじみの人気シリーズより『Harry Potter and the Goblet of Fire』は、「血湧き肉躍る読書体験」というものを初めて味わった一冊です。それまで「そんなことホントにあるのかな?」と半信半疑でしたが、クライマックスまで本を置けませんでした。

川合亮平さんおすすめの3冊

The Word Is Murder

The Word Is Murder

Anthony Horowitz 著
Arrow/Penguin

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職業としての小説家

職業としての小説家

村上春樹 著
新潮社

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Harry Potter and the Goblet of Fire

Harry Potter and the Goblet of Fire

J.K. Rowling 著
Bloomsbury Publishing

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村上敦

Atsushi Murakami 村上敦

Atsushi Murakami 村上敦

ドイツ在住ジャーナリスト、環境コンサルタント。日本で土木工学部、ゼネコン勤務を経て、環境問題を意識し、フライブルクに留学。ドイツの環境・都市・エネルギー政策などを日本に紹介している。

伝説的な起業家であるピーター・ティールが母校スタンフォード大学で行った講義をまとめた『ゼロ・トゥ・ワン 君はゼロから何を生み出せるか』。そして、メルケル前独首相のアドバイザーとしても知られる文明評論家のジェレミー・リフキンによる『限界費用ゼロ社会』。この2冊は、気候変動・温暖化対策を推進する国際社会や、人口縮小社会に突入した日本において、過去に社会システムがどのような形で変革されてきたのかを考える際に参考になる本でした。今後の見通しについて、自身の意見を持ちやすくするための良書といえると思います。

また、1972年に地球の限界に警鐘を鳴らしたことで話題となった『成長の限界』は、私自身が環境・工学・科学系のジャーナリストとして活動していく際に、何度も初心に立ち返って読み返している本。未来のことは誰も正確には予測できませんが、確からしい情報を提供するという生業においては、バイブルのような存在です。

村上敦さんおすすめの3冊

ゼロ・トゥ・ワン 君はゼロから何を生み出せるか

ゼロ・トゥ・ワン 君はゼロから何を生み出せるか

ピーター・ティール、ブレイク・マスターズ 著瀧本哲史 序文、関美和 訳
NHK出版

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限界費用ゼロ社会〈モノのインターネット〉と共有型経済の台頭

限界費用ゼロ社会〈モノのインターネット〉と共有型経済の台頭

ジェレミー・リフキン 著、柴田裕之 訳
NHK出版

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成長の限界 - ローマ・クラブ「人類の危機」レポート

成長の限界 - ローマ・クラブ「人類の危機」レポート

D・H・メドウズほか 著、大来佐武郎 監訳
ダイヤモンド社

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関口涼子

Ryoko Sekiguchi 関口涼子

Ryoko Sekiguchi 関口涼子

1989年、第26回現代詩手帖賞受賞。1997年に渡仏し、自作のフランス語訳や日本文学書、マンガ作品の仏語訳も数多く手掛けている。2012年フランス政府から芸術文化勲章シュヴァリエを受章。

『料理と利他』はコロナ禍にオンラインで行われた、料理研究家と政治学者の対談。人とのつながりについて誰もが考え直す機会になった今だからこそ、人のために食べ物を作るとはどういうことかなど、日常に結びつく大事なテーマが掘り下げられています。

『最後の挨拶』は、シャーロック・ホームズの翻訳者だった父をもつ小林エリカが自らの家族をモデルに紡いだ物語です。コナン・ドイルと第一次世界大戦、広島の原爆投下、東日本大震災などがデリケートな線でつながれ、歴史における人々の死、そして個人にとっての死において、文学にできることが語られます。

『離れがたき二人』はシモーヌ・ド・ボーヴォワールの自伝的小説で、若き日に結んだ女性同士の友愛、自由への渇望、そして、女性が自分らしく生きようとすることの難しさが、みずみずしい筆致で描かれています。今から100年ほど前の物語ですが、現在でも女性が自分自身の人生を選び取ることがどれほど難しいかを考えると、この本は今なお、いや今だからこそ読まれる意義をもつと思います。

関口涼子さんおすすめの3冊

料理と利他

料理と利他

土井善晴、中島岳志 著
ミシマ社

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最後の挨拶

最後の挨拶

小林エリカ 著
講談社

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離れがたき二人

離れがたき二人

シモーヌ・ド・ボーヴォワール 著、関口涼子 訳、名久井直子 装丁
早川書房

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ペトル・ホリー

Petr Holy ペトル・ホリー

Petr Holy ペトル・ホリー

1997年カレル大学日本学科卒業後、国費留学生として日本へ。駐日チェコ共和国大使館一等書記官兼チェコセンター東京初代所長を経て、チェコ文化発信サイト「チェコ蔵」をオープン。

『シブヤで目覚めて』はチェコ文学新人賞を総なめした小説家アンナ・ツィマの鮮烈なデビュー作。自分の「想い」があらゆる場所に同時に存在し、プラハと東京が重なり合います。欧州と日本の両方を知って、住んでいる皆さんだからこそ読んでいただきたい新世代幻想ジャパネスク小説です。

『火の鳥ときつねのリシカ』は子どもの頃、祖父や母親によく読み聞かせてもらったチェコの童話や民話など24話が1冊になっている本。それに加えてチェコで活躍するイラストレーター、出久根育さんの挿絵もとってもすてきです。昔話は民族の知恵と勇気が詰まっているのでおすすめします。

そしてプラハで1920年代のプラハ美術の最先端の舞台美術を手がけていたチェコの建築家・美術家フォイエルシュタインについて書かれている『ベドジフ・フォイエルシュタインと日本』。彼は日本のモダニズム建築への貢献を果たし、チェコではジャポニスムの実践など、国際交流を通して驚くべき偉業を成し遂げました。このような交流が生み出す大切さを改めて感じることができる本です。

ペトル・ホリーさんおすすめの3冊

シブヤで目覚めて

シブヤで目覚めて

アンナ・ツィマ 著、阿部賢一、須藤輝彦 訳
河出書房新社

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火の鳥ときつねのリシカ

火の鳥ときつねのリシカ

出久根育 著・イラスト、木村有子 編集・訳
岩波書店

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ベドジフ・フォイエルシュタインと日本

ベドジフ・フォイエルシュタインと日本

ヘレナ・チャプコヴァー 著、阿部賢一 訳
成文社

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ふたりぱぱ みっつん

FutariPapa Mittsun ふたりぱぱ みっつん

FutariPapa Mittsun ふたりぱぱ みっつん

ブロガー、YouTuber、翻訳家。スウェーデン人の夫と同国の法律の下結婚し、その後、代理母出産により男児を授かる。スウェーデンの文化やLGBTQ、育児などについて発信している。

『チャックより愛をこめて』は、黒柳徹子さんが30代で全ての仕事をキャンセルし、1970年代の米ニューヨークへと1年間留学した時のエッセイです。当時の文化が爆発しているような独特なニューヨークの雰囲気が、徹子さんの純粋な目を通して生き生きと描かれます。

『深夜特急』は、著者の沢木耕太郎さんが香港からロンドンまで寄り合いバスで旅をするお話。1996〜98年に大沢たかおさん主演で制作されたドラマに、当時15歳くらいだった僕はぐいぐい引き込まれ、原作も一気に読みました。本の中では「また一つ自由になれた気がした」といった表現がよく出てくるのですが、30代でインドを旅した時はまさにそれを体感しましたね。若い頃は、これらの本を通して海外に憧れつつも、まさか自分が移住するとは思ってもみなかったので、今となっては不思議な感じです。

そして『RESPECT』は、10代の男の子向けに書かれた愛と性、性的同意についてのスウェーデンの本で、今回初めて邦訳を手掛けました。タイトルに「リスペクト」とあるように、相手の存在自体をリスペクトすることで、セックスの相手だけでなく、他者と共存していくために必要なスキルや考え方を改めて学ぶことができる一冊です。

ふたりぱぱ みっつんさんおすすめの3冊

チャックより愛をこめて

チャックより愛をこめて

黒柳徹子 著
文藝春秋

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深夜特急1 ―香港・マカオ―

深夜特急1 ―香港・マカオ―

沢木耕太郎 著
新潮社

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RESPECT 男の子が知っておきたいセックスのすべて

RESPECT 男の子が知っておきたいセックスのすべて

インティ・シャベス・ペレス 著、みっつん 訳
現代書館

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フォトコンテスト2021 受賞者発表!

ニュースダイジェスト主催 フォトコンテスト2021 受賞者発表!

毎回多くの力作が届くニュースダイジェスト主催のフォトコンテスト。第10回となる今年は新型コロナウイルスの影響で、これまでの生活が一変したり、何気ない日常のなかに新しい喜びを見いだしたりと、いつもとは違う思いで過ごした方々の作品が集まりました。その中から選び抜かれた、今年の受賞作を早速見ていきましょう! 

テーマ「コロナ禍の小さな幸せ」

大賞マチュア部門大賞

「早くコロナが収まりますように」 石川 佳里奈さん(英国)

「早くコロナが収まりますように」石川 佳里奈さん

コロナ禍で大学の卒業式もなくすぐに就職のため、レジデンスで過ごしていたあるとき、大雨の後に突然ロンドン市内に半円の大きな虹が出現。消える前に夢中で撮りました。英国では多くの人が「虹」の絵を描いて、NHS への感謝と希望の思いを窓に飾っていたことを思い出し、見ていると幸運が舞い込んで来るようでした。

審査員コメント

この作者のような機動力は大切ですね。美しい一瞬に出会ったとき、躊躇(ちゅうちょ)していればすぐに消えてしまうこともしばしばです。また、この写真は美しいだけではなく、自由に外に出られない状況で、ここに写っている窓の一つひとつに住民が住んでおり、大きく円を描く虹を皆がどこかで見ているという、人とつながっている希望も感じられる素晴らしい写真です。
by Canon Europe
Canon Europe

大賞 キッズ部門大賞

「白ウサギ捕まえたよ!」 渡辺 澪(みお)さん(4歳・英国)

「白ウサギ捕まえたよ!」渡辺 澪さん(4歳)

新型コロナの影響で海外に行きにくくなった分、英国内のいろいろな場所を巡った1年でした。この写真はロンドンの南西部にあるギルフォードで撮ったもので、アリスが捕まえ逃した白ウサギを捕まえて! と言うママの言葉を合図に、皆がポーズを取りました。

審査員コメント

2人の表情と対照的な銅像の少女2人をきちんと画面に入れているのがすごいです。「不思議の国のアリス」を想起させる女の子の服装にウサギの銅像。ルイス・キャロルの物語の世界にこのまま入っていきそうですね。
by Canon Europe
Canon Europe

マチュア部門入賞

「Bliss」 マッキー ぱぴさん(英国)

「Bliss」マッキー ぱぴさん

この写真は、コロナの影響で5カ月間、日本とスコットランドで離ればなれになってしまった私たち5人家族が、やっとまた一緒に生活を始めた最初の休みで行ったビーチでの1枚です。娘の躍動感がそのうれしさを体現しているようで家族の大好きな1枚です。その写真が気に入っていただけて、とてもうれしく思っています。

審査員コメント

真ん中に位置したスコットランドの遠景を境に、夢の世界を思わせる真っ白の雲と青い空が上半分、その雲と空の映った光沢感のある海が下半分と、絶妙に配置された芸術性の高い作品です。地球の表面にも見える海に浮かぶ女の子の軽やかな姿から、彼女の喜びと未来への希望が強く感じられます。
by Takara Shuzo
宝酒造

マチュア部門入賞

「電車鑑賞」 高山 美紀さん(英国)

「電車鑑賞」高山 美紀さん

なかなか遠出もできないなか、久しぶりのお出掛けをした帰りに駅のホームで撮った1枚です。黙って後ろに手を組み、大好きな電車を飽きることなく眺め続ける息子を見て、美術鑑賞をしているみたいだなぁと思い撮影しました。これからも、ささやかな日常の一コマを子どもの成長と共に撮っていきたいと思います。

審査員コメント

手を後ろに組んで、体をやや傾けながら、熱心に電車を見ている男の子の後ろ姿、本当にかわいらしい。皆マスクを着け、乗客もまばらですが、電車を間近に見られて、なによりの1日だったことがよく表現されています。まさにテーマの「コロナ禍の小さな幸せ」ですね。
by JSTV
JSTV

キッズ部門入賞

「手作りお菓子でちょっぴり幸せ」 橋本 衿香(えりか)さん(12歳・英国)

「手作りお菓子でちょっぴり幸せ」 橋本 衿香(えりか)さん(12歳)

賞をいただけると聞いて、とても喜んでいます。私はお菓子作りが趣味で、出来上がったお菓子を携帯電話のカメラで毎回記録しています。この日は天気が良かったので、焼いて丸めたばかりのラングドシャを庭で撮影することにしました。庭の緑を背景に、お菓子に夕日があたっているところが気に入っています。

審査員コメント

コロナ禍で在宅時間が増え、いつもと違う自宅での楽しみ方を見つけた方は多いですが、もともと好きなお菓子作りの腕もさぞ上がったことでしょう。自分の作ったお菓子を早く食べたい気持ちを抑えて撮ってくれた写真に感動しました。
by SAKAI Transeuro Ltd.
SAKAI Transeuro LTD.

審査員総評

今年も素晴らしい作品が勢ぞろいし、大変審査の難しいコンテストでした。コロナ禍にあって、例年より家族を題材にした作品が多く集まったのが今回の特徴ではないでしょうか。また、携帯電話のカメラの性能が向上したことも実感しました。瞬間を捉えるチャンスが増え、今後「写真」というイメージはますます進化していくのでしょう。

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英国 マチュア部門 次点作品

「小ちゃいのみーつけた!」サミュエル 菊美さん「小ちゃいのみーつけた!」サミュエル 菊美さん

「イギリスの夏」石崎 晴美さん「イギリスの夏」石崎 晴美さん

「我が家のペンキ職人」ミサ・ミードさん「我が家のペンキ職人」ミサ・ミードさん

 

英国のアール・デコ(ART DECO)建築と今 - 誰もが秀麗な建物を共有できた時代

誰もが秀麗な建物を共有できた時代
英国のアール・デコ建築と今

1920〜40年代にかけて建設され、1955年に完成したバタシー・パワー・ステーション。アール・デコの豪華な内装、外部の堅牢なデザインは「temple of power」(電力の聖堂)と賞賛された1920〜40年代にかけて建設され、1955年に完成したバタシー・パワー・ステーション。アール・デコの豪華な内装、外部の堅牢なデザインは「temple of power」(電力の聖堂)と賞賛された

英国における建物の価値は、古ければ古いほど上がるとされており、新しい建物が良しとされる日本とは正反対だ。短期間で花開いたアール・デコ建築はエリアを問わず新旧さまざまな建物が立ち並ぶロンドンの街に、今もひっそりと息づいている。今回は、ロンドンを中心に英国におけるアール・デコ建築の歴史と現存する建物、その保存法について調べてみた。(文: 英国ニュースダイジェスト編集部)

参考: www.english-heritage.org.uk, www-purcelluk-com, historicengland.org.uk, www.telegraph.co.uk, www.theguardian.com ほか

多様なデザインのアール・デコ

「アール・デコ」という言葉は頻繁に聞かれるワードだが、歴史の表舞台に登場し、世間をにぎわせたのは1910~30年代の30年余りと意外にも短い。しかしながら、これほどまでに知られているのは、いくつかの理由がある。まず、アール・デコが当時の米国、欧州地域の建築分野における新しい時代の象徴だったこと、アール・デコという単一のデザインは存在せず、異彩を放つさまざまなスタイルの総称だったため、我々が思うはるかに広い定義で人々に知れ渡っていたこと、そして建築のみならず家具やジュエリー、ファッション、自動車、公共交通機関など日常のあらゆるものに同様式が使われていたことが挙げられる。

19世紀末から20世紀初頭にかけて流行したアール・ヌーヴォー様式の建築から、よりモダンなデザインのアール・デコ様式へ移行が始まったのが第一次世界大戦ごろ。アール・デコは、1925年に開催されたパリ万国装飾美術博覧会「Exposition Internationale des Arts Décoratifs et Industriels modernes」の名称にちなんで「Art Déco」と呼ばれるようになり、米国や欧州を中心に広がっていった。「装飾美術」という意味の略語の通り、そのデザインは大まかに直線的、幾何学的、合理的なデザインが特徴。植物をモチーフにした、曲線的なアール・ヌーヴォーから離れ、当時の最新の土木時術を駆使し、鉄筋コンクリートを使った大規模な建物が作られていった。代表的な作品は、米ニューヨークのクライスラー・ビルディグやエンパイア・ステート・ビルディング、仏パリのシャンゼリゼ劇場などがある。

1930年に完成した米ニューヨークのクライスラー・ビルディング1930年に完成した米ニューヨークのクライスラー・ビルディング

未来を象徴する海辺の建築の盛衰

英国でのアール・デコ建築は1920~30年代にかけて、全土に広がりをみせた。アール・デコの基本コンセプトである「体積の大きさ、スペースの広さ」は特に海辺の商業施設に反映され、大きく開いたエントランス、開放的なルーフ・テラス、大きなガラス窓など、それまでの建築物になかった外部との広い接点を持つモダニズム建築として、実に多くの施設が誕生した。このときの英国は、第一次世界大戦が終結し、戦争には勝利したものの時代のムードとしては「再編」のとき。また、中産階級という新たな社会階級が生まれ、勢いを伸ばしていた時代でもあった。

ヴィクトリア朝時代の建物が多く残るなか、1930年代には、ライド(屋外プール)、パヴィリオン、ホテルなど娯楽にまつわる施設が続々と建設される。市井の人々は建物を通じて来たる明るい未来を想像し、そして高揚感をもってこれらの建物を歓迎した。

しかしながら、アール・デコのかじ取り役であった米国で世界恐慌が起こり、アール・デコの象徴であったモダニズムが1930年代から第二次世界大戦勃発前に衰退。一方英国ではそのような風潮に加え、観光施設でもあった海辺の施設が後に経営難に陥ったり、飛び込み台の高さや強度、プールの水深など時代によって厳しくなる安全上の都合から、改修工事または取り壊しを余儀なくされたりなどで、じりじりと姿を消していくことになる。

かつて英東部スカボローにあったノース・ベイ・バスィング・プール。2007年に閉鎖された後、住宅地用の道路を作るために取り壊されてしまったかつて英東部スカボローにあったノース・ベイ・バスィング・プール。2007年に閉鎖された後、住宅地用の道路を作るために取り壊されてしまった

コミュニティーに欠かせないデザイン

同時期のロンドンでも、商業施設や工場のデザイン、地下鉄、などさまざまなタイプの建物に同デザインが利用された。現在アール・デコ建築のGrade II* に指定されている1933年に作られたフーヴァー・ビルディング(Hoover Building)や、Grade IIに指定の1936年ごろに完成したリポールツ・ファクトリー(Ripaults Factory)、Grade II* のバタシー・パワー・ステーション(Battersea Power Station)など、当初の使い方ではなくなったり、オーナーが変わったりしても、何かしらの形で利用され、現存する建物は非常に多い。

前述のライドもそうだが、アール・デコ建築の大きな特徴は誰もが利用できる施設に多用されたデザインであったこと。映画館やシアターなど娯楽施設にデザイン性が加わることで、建物があるエリアの文化的要素もまた深めていき、人々に広く愛された。

ここではロンドン北部を中心にいくつかの有名な建物をみてみよう。

リポールツ・ファクトリーは現在工務店の店舗として使われているリポールツ・ファクトリーは現在工務店の店舗として使われている

映画館

PHOENIX CINEMA

Grade IIに指定されている、イースト・フィンチリーにある現役のコミュニティー・シネマ。1910年に建てられ、30年代にアール・デコ様式に再建された貴重な建物だ。外観のバルコニー、内装の装飾パネルなど美しいパーツが数多く残されている。

52 High Road N2 9PJ
地下鉄East Finchley駅

PHOENIX CINEMA

PHOENIX CINEMA

映画館

Everyman Barnet

現役の「エブリマン」系列の映画館で、Grade IIに指定されている。1930年代オープン当時はオデオン・シネマとして営業されていた。小規模ながら大理石の柱とバルコニー付きの豪奢なデザインで、かつてのチケット売り場など、当時の面影が残されている。

Great North Road EN5 1AB
地下鉄High Barnet駅

Everyman Barnet

Everyman Barnet

地下鉄駅

OAKWOOD UNDERGROUND STATION

1933年に開業したピカデリー線の駅。ロンドン地下鉄の駅舎デザインを担当したチャールズ・ホールデンによるもので、ホールは2階分の高さをもつ立方体を二つ横に並べた「ダブル・キューブ」と呼ばれる古典的なデザインが採用されている。

London N14 4UT
地下鉄Oakwood駅

OAKWOOD UNDERGROUND STATION

OAKWOOD UNDERGROUND STATIONでに

映画館

GAUMONT STATE CINEMA

1937年にオープンした映画館。建設当時、英国で最大の映画館であり、4004席の収容人数を誇った。120フィート(約36メートル)の高層タワーが特徴で、現在は建物の一部が宗教施設、コミュニティー・センターとして使用されている。

197 Kilburn High Road NW6 7HY
オーバーグラウンドKilburn High Road/Brondesbury駅

GAUMONT STATE CINEMA

住居

THE WHITE HOUSE

保健省(the Ministry of Health)の建築部門で働いていたチャールズ・エヴェリン・シモンズによって設計された6ベッドルームの住居。Grade II指定の建物は、カーブを描く窓が特徴。1930年代当時に作られた一般住居にしてはかなり大きかった。

72 Downage NW4 1HP
地下鉄Colindale/Mill Hill East駅

THE WHITE HOUSE

企業

DAILY TELEGRAPH BUILDING

1928年完成のビルで、現在はゴールドマンサックス銀行が所有している元デーリー・テレグラフの社屋。ポートランド・ストーンで作られた8階建ての建物は、アール・デコと崇高美を備えた新古典主義建築のデザインで、中央の大きな時計が印象的。

141 Fleet Street EC4A 2BJ
ナショナル・レールCity Thameslink駅

DAILY TELEGRAPH BUILDING

建築を守る仕組み

幸運にも現代まで生き残った建物が見られるロンドンだが、建物が本来の役目を終えてもその土地に残していきたい場合、近隣住民からの熱い声援だけでは到底不可能だ。英国には国にとって重要だと見なされた場合、建物を法律で守る「Listed Building」(指定建造物)という仕組みがある。これはモニュメント、橋などにも適応され、建物に限らない。

イングランド地域では政府の後援で活動している団体、ヒストリック・イングランド(Historic England、公式名はイングランド歴史的建造物・記念物委員会Historic Buildings and Monuments Commission for England)が、政府から地区のカウンシルに助言することにより、歴史的景観を守っている。現在の包括的なシステムは第二次世界大戦後に整えられたため、これ以前の貴重な遺産は残念ながら失われてしまっているケースも多い。登録方法はヒストリック・イングランドを通じて膨大な情報を書き込む必要書類をオンラインで提出し、審議されたのちデジタル・文化・メディア・スポーツ省の閣僚によって右記のように分けられる。

これらのプロセスを担当するのは、ヒストリック・イングランドだが、実際の管理は地方自治体に委ねられている。建物の申請には「1948年以前に建てられている」「現役で使用されていなければならない」「指定された建物は建物の解体、拡張、改修、また備品一つにいたるまで一切の変更は許されない」「勝手に工事を行った場合刑事犯罪扱いになる」など厳しい条件があり、リスト化されてもその後の管理は大変だ。

Grade I

buildings of exceptional interest(非常に重要性の高い建物)

Grade II*

particularly important buildings of more than special interest(特別重要度のあるもの以上の特に重要な建物)

Grade II

buildings that are of special interest, warranting every effort to preserve them.
(特別重要な建物で、それらを保存するためのあらゆる努力が必要)

アール・デコと親和したエジプトのデザイン
EGYPTIAN REVIVAL ARCHITECTURE(エジプトの復活建築)の秘密

アール・デコ建築の用と美を追求した幾何学的なデザインは、キュビズム、セルゲイ・ディアギレフの舞台芸術など、国・形を問わずあらゆる芸術の一端が多層的に合わさってできたとされている。少々捉えにくいアール・デコの概念だが、ここではそのなから古代エジプトのイメージを建築デザインに落とし込んだエジプトの復活建築について紹介してみたい。

リバイバルの「リバイバル」

「利益の100パーセントをホームレス減少のための事業に充てる」と明言しているコーヒーエジプトの復活建築はその名の通り、古代エジプトの建物やイメージからインスパイアされた建築デザインのこと。このリバイバルは、アール・デコ様式が生まれる以前の18世紀、ナポレオンのエジプト遠征によって正確な建物や遺産の記録が入手できるようになったことからすでに一度欧州地域で流行し、墓地や記念碑に使われたデザインだった。その後19世紀を境にエジプト・ブームは去り、表舞台に出てこなかったが、1922年にツタンカーメンの墓が発見されたことで、発掘された数多くの装飾品が世間の目に触れることになる。その美しさはもちろん神秘性からも、古代エジプトをモチーフにしたデザインは再び世間から脚光を浴びることになった。

ロンドン北部イズリントンのエセックス・ロードにあるカールトン・シネマ(1930年オープン)。外装、ロビーはエジプト風の装飾が施されているロンドン北部イズリントンのエセックス・ロードにあるカールトン・シネマ(1930年オープン)。外装、ロビーはエジプト風の装飾が施されている

エジプトの装飾美術とアール・デコの相性の良さ

建物や作品のスペースに何らかの装飾を敷き詰める、というエジプトの装飾芸術は、アール・デコの「一定のパターンを繰り返す」という技法と親和性が高く、そのデザインは建築に限らず家具や宝飾品など、さまざまなものに使われていった。また、古代エジプトという過去のデザインとモダニズムの組み合わせは、アール・デコに見られる特徴であり、ツタンカーメン王というかつて巨大な国を統治した「人類の頂点」という印象もまた、新たな建築物を作り出すにあたってのコンセプトとしては最適なイメージであった。

このリバイバルはあくまでもアール・デコのほんの一部の様式に過ぎないが、特に芸術分野に強いロンドンや米ニューヨークの劇場などの娯楽施設は、この影響を強く受けたといわれている。

ロンドンにある黒猫づくしの建物

ロンドンに数あるリバイバル建築のなかでも有名なのが、かつて「ブラック・キャット・シガレット」という愛称で親しまれていたたばこブランド、カレラス社の旧たばこ工場(Carreras Cigarette Factory)だ。北部モーニントン・クレセント近くにある同工場の外壁にはカラフルな装飾とたくさんの黒猫の顔が並び、正面エントランスには2匹の黒猫の彫像が見られる。もともと1928年に建てられたこの建物は、59年に工場が別の場所へ移転後、60年代に「時代遅れだから」という理由でこれらの装飾が取り外され、改装されてしまった。やがて1990年代に一度大きな修繕工事を経た際に、当初のデザインのディテールから少々変更があったものの、ほぼほぼ復原された。

現在はオフィスとなっている旧カレラス社のたばこ工場の正面エントランス。猫の彫像は1990年代の修繕工事の際に復活した現在はオフィスとなっている旧カレラス社のたばこ工場の正面エントランス。猫の彫像は1990年代の修繕工事の際に復活した

カレラス社と黒猫との関係は、実はこの建物が誕生する前からあったという。かつてタバコ・ショップがレスター・スクエアのそばにあったときに売られていたタバコの外装には黒猫が描かれており、猫好きのオーナーが大好きな飼い猫をモデルにしたそうだ。エジプトの復活建築が流行する前からすでに黒猫はブランドの一部だったので、気を利かせた建築家たちは猫モチーフを採用するのに抵抗はなかった。

現在はオフィスとして利用されており、中へ入ることはできないが、外からでも十分にその独創性を感じられるはずだ。

建物の上部に並ぶ黒猫の顔建物の上部に並ぶ黒猫の顔

Carreras Cigarette Factory

180 Hampstead Road NW1 7AW
地下鉄Mornington Crescent駅

 

死を悼むモーニング・ジュエリーの秘密 - 現代の人々に語りかけるアンティーク Mourning Jewellery

現代の人々に語りかけるアンティーク
死を悼むモーニング・ジュエリーの秘密

死を悼むモーニング・ジュエリー1828年に亡くなった人物のモーニング・リング。外側にある小さなボタンを押すと隠された遺髪が見られる仕掛けになっている

2019年12月に突如出現した新型コロナウイルスにより、日々の活動に制限が生まれ、「人はいつか死ぬ」という周知の事実を頭の片隅に留める生活が続いている。このウイルスで愛する人を亡くしても、感染の懸念から最後の瞬間まで相手に触れることができず、過去これほどまでに死や愛について考える機会はなかったのではないだろうか。かつて英国には故人を偲ぶ方法の一つとして、故人の遺髪を使用した「モーニング・ジュエリー」(mourning jewellery)と呼ばれる、喪に服すときに身に着ける装飾品があった。ジュエリーが生まれた経緯をたどってみると、重く辛いイメージが付きまとう死に対して別の解釈があるように感じられる。今回は英国のモーニング・ジュエリーの歴史を紐解きつつ、さまざまな経路で現在のアンティーク市場に出回るそれらとの出会い方について紹介する。(文: 英国ニュースダイジェスト編集部)

参考:「 The Art Of Death: Visual Culture In The English Death Ritual C.1500 - C.1800」Nigel Llewellyn Reaktion Books、www.famsf.org、www.tate.org.uk、www.thehistorypress.co.uk、www.thepracticalgemologist.com ほか

モーニング・ジュエリーとは?

服喪中に着ける、故人の死を悼むためのジュエリーのこと。黒を基調とし、編み込んだ遺髪をブローチやバングル、指輪などに埋め込む。特に指輪が知られており、現在もアンティーク市場に出回る。英国でモーニング・ジュエリーが本格的に流行したのはヴィクトリア朝時代だが、この習慣が生まれる前から「メメント・モリ」に代表される死を思う文化は存在しており、そこから派生してできたとされている。

死と生を同時に実感する「メメント・モリ」

モーニング・ジュエリーの歴史を語る前に、まずは西洋における死生観について整理しておきたい。「メメント・モリ」(memento mori)というラテン語のフレーズを耳にしたことはあるだろうか。「死ぬことを忘れてはならない、死を想え」という意味を持つこの言葉は、主に人間の脆さ、命の短さを表し、死が身近にあることを思い出させる事象をテーマにした、芸術活動全般をさす用語として使われている。この言葉が誕生したのははるか昔の古代ローマ時代。凱旋パレードで将軍に仕える兵士が、勝利の味に溺れ、過度のプライドを持って傲慢になるのを防ごうと、軍の統制のために使われた。戦場で命を落とした自分たちの指揮官のことを決して忘れるな、という戒めの言葉は「今日は生きているが、明日は分からない」「永遠に続くものなどない」という命のはかなさを喚起させつつも、同時に今この瞬間に生きていることを改めて実感させるポジティブな意味合いも含まれていた。

また、同時代の政治に携わるようなエリートたちは、金の指輪をすることが認められていた。喪に服すときは、金の指輪の代わりに鉄の指輪をはめていたことが分かっている。

死をモチーフに作られた数々の作品

やがてメメント・モリは、カトリック教会の文脈においてより道徳的な解釈へと変化していく。疫病や紛争が蔓延し、死について考えざるを得ない日々が続いた中世の欧州で、現世における一時の贅沢よりも、天国で至福のときを過ごすために、生きている間に罪を悔い改めることが教徒たちにとって最も重要な課題となった。メメント・モリは、魂の不滅や来世へ備えることに意識を集中させるという、よりストイックな考えが主な意味合いとなり、それと同時に多くの宗教芸術家たちがこの哲学に魅了され、数多くの作品を世に残していった。ルネサンス、バロック期にこのモチーフとして最も取り上げられたのは骸骨で、そのほかにも砂時計、時計、消えかけたロウソク、果物、花などがあった。また、オランダではメメント・モリとは別に人生の虚しさをテーマにした「ヴァニタス」(vanitas)と呼ばれる静物画が生まれ、特に16~17世紀にかけて人気を博した。

バロック期のフランス派画家、フィリップ・ド・シャンパーニュによる「ヴァニタス」(1671年ごろ)。生、死、時間は当時頻繁に用いられたモチーフだったバロック期のフランス派画家、フィリップ・ド・シャンパーニュによる「ヴァニタス」(1671年ごろ)。生、死、時間は当時頻繁に用いられたモチーフだった

ミニマライズされた宗教観

話の舞台を英国に戻そう。前章から少しさかのぼった15世紀のチューダー朝も欧州大陸の状況と同じく、イングランドも赤痢や天然痘など多数の病気が流行し、市民は死と隣り合わせの生活を送っていた。16世紀中ごろに宗教改革が起こる前まで、カトリックが主流だったイングランドでは、すでにメメント・モリにまつわる作品の制作は始まっていた。数あるメメント・モリ作品のなかでも特に貴重なものとして知られているのが、1546年に金とエナメルで作られたと推定される骸骨のジュエリー(写真下)。

英南西部デヴォンで見つかった骸骨のジュエリー英南西部デヴォンで見つかった骸骨のジュエリー

骸骨が棺の中に横たえられた毒々しいデザインで、おそらく金製チェーンのペンダントのオーナメントに使用されていたとされている。蓋の部分は取り外しできる仕組みになっており、中には「THROUGH THE RESURRECTION OF CHRISTE WE BE ALL SANCTIFIED」(キリストの復活を通じて私たちは神聖化される)と碑文が彫られている。裕福だった上流階級の人々は生前からトランジ(一種の記念碑で、遺体や骸骨などのレリーフのこと)を作って自身の信心深さを示していた。

英南部オックスフォードシャーのフィフィールドにある聖ニコラス教区教会内のトランジ英南部オックスフォードシャーのフィフィールドにある聖ニコラス教区教会内のトランジ

金銭の余裕はないもののこの考え方は次第に中流・労働階級へと広がっていき、大きなトランジから日常で身に着けられる小さな芸術品、装飾品へと軽量化していった。「メメント・モリ・ジュエリー」もその流れを汲んだもので、骸骨、頭蓋骨、棺などをモチーフにして作られ、アイテムのどこかに自身の宗教に関する考えや記憶をしるし、必要に応じてそれを読むことで、日常的に死について思い出すことができるようにしていたようだ。

1620~50年、オランダ北部で作られたとされるメメント・モリ・リング1620~50年、オランダ北部で作られたとされるメメント・モリ・リング

モーニング・ジュエリーへの転換

「死を忘れない」という宗教色の強いジュエリーから、特定の故人を偲ぶ「モーニング・ジュエリー」への転換は16世紀ごろからあったようだが、明確に認識されるようになったのは17世紀ごろ。1649年、当時イングランド国王だったチャールズ1世が処刑されたとき、その1年後に国王の肖像をあしらった指輪やその遺髪を入れた指輪が作られ、直接故人を偲ぶジュエリーが生まれた。これをきっかけに、イングランドでは哀悼するための指輪であるモーニング・リングの習慣が世間に広まっていくことになる。デザインはメメント・モリ・ジュエリーのように骸骨のものや、パールをあしらったシンプルなものまでさまざまだったようで、リングの内側に精巧な仕掛けを取り付けたり、宝石の下などに遺髪を入れ、故人の名前や没年を刻み、死を悼むものとして遺族によって所持されるようになった。大抵がブラック・エナメルやジェット(黒玉)など黒色をベースに作られ、未婚の女性や子どもが亡くなったときには白いエナメルが使われた。いずれにしても比較的安価な素材が使用されていたようだ。

モーニング・リングの一大ブームが巻き起こったのは、ヴィクトリア朝時代。この時代の平均寿命は40~45歳で、人々は常に戦争や疫病に脅かされる毎日を送っていた。ヴィクトリア女王は最愛の夫であるアルバート公を1861年に亡くし、悲しみのあまりその後約40年間のほとんどを黒いクレープ・ドレスとモーニング・ジュエリーを身に着けて生活した。多くの市民から慕われていたヴィクトリア女王のこの姿は世間に大きな影響を与え、巷ではモーニング・ジュエリーを日常的に身に着けることが大流行。また、当時の服喪に関するルールは現在よりも厳格で、女性の場合喪服を2~3年も着なければならなかった。これらのことを踏まえると、街中に黒色があふれていたのは想像に難くないだろう。自ら重い口を開かずとも、大切な人が亡くなったことをジュエリーだけで伝えられた時代があったのだ。モーニング・ジュエリーは指輪に始まり、ロケット、ブレスレット、ネックレスなどさまざまなスタイルが出回った。またそのモチーフも、メメント・モリのときのような宗教色は薄れ、柳や天使、雲、イニシャルなど、より穏やかなイメージが多く採用された。

喪服を着るヴィクトリア女王。1867年撮影喪服を着るヴィクトリア女王。1867年撮影

廃れていった黒の魅力と日本への影響

ロンドンのオールド・ベイリー刑事裁判所の記録によると、1730年から1908年の間にモーニング・リングの盗難事件が190件あり、流刑地に飛ばされたり、死刑判決を受けた者もいた。このようにイングランド全土で大流行したモーニング・リングだったが、1887年にヴィクトリア女王が即位50周年を迎え、喪服の緩和令が施行されると、ベゼル(指輪の枠部分)にダイヤモンドやアクアマリンなど宝石を取り付ける大量生産タイプの指輪に流行が移っていく。英王室が牽引したといっても過言ではないモーニング・リングのブームは、突如終焉を迎えることになった。

ちなみに日本の「服喪中に黒い服を着る」という習慣は明治以降に英王室から輸入された文化。日本の皇室では服喪中、世間一般に見られるパールではなく、ジェットなど黒いジュエリーをモーニング・ジュエリーとして身に着けている。

葬儀では伝統的に黒いジュエリーを身に着けていた英国だが、現在ではパールも認められている葬儀では伝統的に黒いジュエリーを身に着けていた英国だが、現在ではパールも認められている

所有していた指輪を近親者に配ったサミュエル・ピープス

日々の細やかな出来事を日記に残したことで知られる政治家サミュエル・ピープス(1633~1703年)も、自身が亡くなるときに所持していた123個の指輪を手放した。指輪は友人関係、社会的に地位の高い人に向け3つの階級に分類され、配られたという。「自分のことを忘れないで」というこの意志は、かの文豪ウィリアム・シェイクスピアも同じだった。1616年に亡くなるときに、「私の記憶を愛して」という意味の指輪を持つように自分の妻と娘に伝えていたそうだ。

どうやったら見つけられる?
アンティーク・ディーラーに聞くモーニング・ジュエリーの探し方

指輪をはじめとするモーニング・ジュエリーは、現在もアンティーク市場で取引されている。遺髪が組み込まれているので生理的にダメな人にはお勧めできないが、一見するだけでも大変価値があるもの。一度見てみたい、という方々のために、探し方のコツを現役のアンティーク・ディーラーに聞いてみた。

まず、モーニング・ジュエリーの市場価値について教えてください。ほかのアンティークに比べると価値が高いように思うのですが。

そうだとも、そうでないともいえます。モーニング・ジュエリーに限らずどのアンティークも値段をつけるのは難しいところですが、モーニング・ジュエリーの場合、価格が高くなる条件を備えています。優れた職人の技で高品質に作られていることに加え、アイテムそのものが特定の人物の思い出や歴史と結びついている点などです。ひとえにモーニング・ジュエリーといっても、英王室に関係するものなら、莫大な価値があるということになります。コンディションの良いモーニング・リングであればだいたい500ポンドくらいでしょうか。これらが市場に流れるルートは、指輪の継承者が興味を持たず自ら売却したり、生活困窮のためやむを得ず手放したりなどです。また、一時の流行が終わり多くのモーニング・リングが新しい指輪を作るために溶かされてしまったという時代背景もありますので、現在アンティーク市場に出回るものはそれだけで希少性があるといえます。

モーニング・ジュエリーはだいたい黒色が基本ですよね?

黒色が基本ですが、故人との間柄によって異なる場合があります。以前深い青いエナメルで作られたブローチを扱ったことがありましたが、この色の場合は故人との関係が父、母、夫や妻といった密接なものでなく、いとこなど間柄が離れていた人々が着けていました。

どうすればコンディションの良いモーニング・ジュエリーを見つけられるのでしょう。

全てのアンティークにいえることですが、まずは自分が気になっているジャンルについて知ることが大事です。基本的な知識があれば、実際にアイテムを目にしたときにそのコンディションが良いかどうか、その希少性も分かりますよね。また、評判の良い、信頼できるディーラーから買うことはとても大事なことです。買い手として常に覚えておいていただきたいのが、売り手はアイテムを売ってビジネスをしているということ。例えば売り手に「これはルビーですよ」と伝えられたとき、「あ、天然の良いルビーなのだな」と思うかもしれませんが、同じルビーでも加工があるかによってその価値は大きく変動します。私の考えとして、良いアンティーク・ディーラーというのは買い手に知識を与えることができ、またそのアイテムについて情熱を持って説明できること。結果その場で売れなかったとしても、良い話ができ、また別の機会に会いにきてくれる方が個人的にうれしいので、ぜひたくさん話しかけてほしいです。

また、ご存知の通りアンティークは常にこの世に一点しか存在しません。どの場所にいっても常にお目当のものが手に入る保証はなく、あってもクオリティーが良いとは限りません。大事なことはベストなタイミングで、良い場所ないし売り手から購入すること。手に入れるまで時間はかかると思いますが、美術館などで良いものを見たりして審美眼を鍛えておくことは、自分が最も欲しいと思うアイテムに出会うために大事なことだといえます。

1850年製のバングル、指輪、イヤリング、ブローチ、懐中時計付きペンダントのモーニング・ジュエリー。15カラットゴールドにブラック・エナメル、ダイヤモンドと大変豪華な仕様だ1850年製のバングル、指輪、イヤリング、ブローチ、懐中時計付きペンダントのモーニング・ジュエリー。15カラットゴールドにブラック・エナメル、ダイヤモンドと大変豪華な仕様だ

インタビューした人

Paul Coakley-Webb ポール・コックリー=ウェッブさん

ロンドン北部のカムデン・パッセージ(後述)で販売するアンティーク・ディーラー。一家でアンティーク業を営んでおり、英国のシルバーを中心に、金、ガラス、ジュエリーなどさまざまなアンティークを販売している。

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モーニング・ジュエリーに出会えるかも?
ロンドン&ロンドン近郊のアンティーク・マーケット

ディーラーが買い付けにくる本場
Sunbury Antiques Market

Sunbury Antiques Market

ロンドン郊外サリー州のケンプトン競馬場で行われる大規模なアンティーク・マーケット。より良い商品を求め、朝6時30分の開場前からディーラーたちが列をなすプロ御用達の場所だ。お目当のアイテムがあるなら、朝早くに訪れること。カードを受け付けない店もあるので、現金を持っていくのが安心だ。

毎月第2、最終週の火曜日6:30-14:00
入場料£10(8:00まで。以降は無料)
ナショナル・レールKempton Park駅
www.sunburyantiques.com/kempton

ショップからカフェまで何でもそろう
Camden Passage

Camden Passage

アンティークやセカンドハンド、ヴィンテージの洋服までいろいろな商品が並ぶ、小さいがフレンドリーな雰囲気のマーケット。ほかにもチーズやチョコレートの店、カフェなども連なっているので、半日以上滞在できるのもうれしい。インタビューしたポールさんの店はCharton Place通り前の区画にある。

水・土 9:00-16:00
地下鉄Angel駅
www.camdenpassageislington.co.uk

高値だが良質ぞろいのセンター
Grays Antique Centre

Grays Antique Centre

インドア型のアンティーク・センターで、100を超えるディーラーたちが各々ブースを構えている。ジュエリーからシルバーまでどれもお高めの価格設定だが、それに見合った高品質のアイテムがそろう。

月〜金 10:00-18:00 
地下鉄Bond Street駅
www.graysantiques.com

 

英国文化のルーツにあるもの マザーグースの秘密

英国文化のルーツにあるもの
マザーグースの秘密

英国では庶民から貴族まで隔てなく親しまれ、聖書やシェイクスピアと並ぶ教養の基礎となっているといわれている、伝承童謡のマザーグース。現代においてもマザーグースからの引用や言及は頻繁に利用され、新聞記事、小説、映画にそうしたフレーズがしばしば登場する。本誌では、英国人の言語感覚に関わるマザーグースの歴史や、英国文化を知るうえで便利なマザーグースのフレーズなどを紹介する。(文: 英国ニュースダイジェスト編集部)

参考:「 マザーグースの唄」 平野敬一著 中公新書、「もっと知りたいマザーグース」 鳥山淳子 スクリーンプレイ、BBC、pookpress.co.uk、通訳品質協議会 ほか

マザーグースの秘密がちょうに乗って空を飛ぶおばあさんが描かれた、マザーグース絵本の表紙

マザーグースとは

植民地化政策とともに世界中に広まっていった英国の伝承童謡の数々を指すが、「マザーグース」という言葉が定着したのは18世紀半ば以降。もともとは1697年にフランスで出版されたシャルル・ペローの童話集「昔ばなし」の口絵に「contes de ma mère l'oye」(がちょう母さんのお話)と書かれていたことから、1729年の英訳本ではこの部分を「mother goose's tales」と変えて同書の副題にした。これが後年独り歩きした形で、特定の作者がいない英国の伝承童謡や昔ばなし全体を指すようになった。また、米国や一部地域ではマザーグースを「グース家のお母さん」とし、童謡の作者として考えることもある。その場合、マザーグースはがちょうに乗って空を飛ぶおばあさんの姿をしている。

フランス版「昔ばなし」の口絵フランス版「昔ばなし」の口絵

英語版「昔ばなし」の口絵英語版「昔ばなし」の口絵

マザーグースの唄

無邪気に口ずさみたくなるものの、毒を内包した作品が多いマザーグースの唄。ここでは特に昔から英国人に愛されている作品を選んでご紹介する。

Song of sixpence

Sing a song of sixpence,
A pocket full of rye;
Four and twenty blackbirds,
Baked in a pie,

When the pie was opened,
The birds began to sing;
Was not that dainty dish,
To set before the king?

The king was in his counting-house,
Counting his money;
The Queen was in the parlour,
Eating bread and honey,

The maid was in the garden,
Hanging out the clothes;
When down came a blackbird
And pecked off her nose.

6ペンスのうた

6ペンスの うたをうたおう
ポケットは むぎでいっぱい
24はのくろつぐみ
パイにやかれて

パイをあけたら
うたいだす ことりたち
おうさまに さしあげる
しゃれた おりょうり?

おうさまは おくらで
おかねかんじょう
おきさきは おへやで
はちみつと パンをもぐもぐ

じょちゅうは にわで
ほしものを ほしてる
そこへつぐみが やってきて
はなを ぱちんと ついばんだ

Song of sixpence

Lady Bird, Lady Bird

Lady Bird, Lady Bird,
Fly away home,
Your house is on fire,
Your children will burn.

テントウ虫、テントウ虫

テントウ虫、テントウ虫、
家へ飛んで帰れ、
お前の家は火事だ、
子供たちが焼け死ぬぞ。

Doctor Fell

I do not like thee, Doctor Fell,
The reason why I cannot tell;
But this I know, and know full well,
I do not like thee, Doctor Fell.

ドクター・フェル

フェルせんせい 
ぼくはあなたがきらいです
どういうわけかきらいです
でもたしかです まったくたしか
フェルせんせい 
ぼくはあなたがきらいです

London Bridge

London Bridge is falling down
Falling down, falling down
London Bridge is falling down
My fair lady

ロンドン・ブリッジ

ロンドン・ブリッジがこわれた、
こわれた、こわれた、
ロンドン・ブリッジがこわれた、
マイ・フェア・レイディー。

Goosey, Goosey, Gander

Goosey, goosey, gander,
Where dost thou wander?
Up stairs and down stairs,
And in my lady’s chamber.

There I met an old man
Who would not say his prayers,
I took him by the hind legs
And threw him down stairs.

がぁー、がぁー、鵞鳥さん

がぁー、がぁー、鵞鳥さん
わしはどこへ行こう。
上がったり、下りたり、
奥さんのお部屋へ。

そこに爺いがいたが、
お祈りをしようとしないんだ。
それでやつの左足をつかんで
階段の下にほうり投げた。

Humpty Dumpty

Humpty Dumpty sat on a wall,
Humpty Dumpty had a great fall;
All the king’s horses and
all the king’s men
Couldn’t put Humpty
together again.

ハンプティー・ダンプティー

ハンプティー・ダンプティーは
壁の上に座った、
ハンプティー・ダンプティーは
勢いよく落ちた。
王さまの馬を総動員しても、
王さまの部下を総動員しても、
ハンプティー君をもとに
返すことはできなかった。

Jack and Jill

Jack and Jill
Went up the hill,
To fetch a pail of water;
Jack fell down,
And broke his crown,
And Jill came tumbling after.

ジャックとジル

ジャックとジルは
山を登っていった。
バケツに水を汲むために。
ジャックはころび、
あたまに大けが、
ジルも続いてころころりん。

Song of sixpence

以上「マザーグースの唄」 平野敬一著より引用

マザーグースの歴史と魅力

身に付く読み聞かせのリズム

身に付く読み聞かせのリズム

親が歌い読んで聞かせるそのリズムを聞いて子どもは育つ。英語の抑揚はまだその言葉の意味が分かる以前の幼少期に刷り込まれ、言語感覚が育っていくのだ。現代の子どもたちを取り巻く環境が昔と変わったとはいうものの、英国では幼少期の読み聞かせが重視されており、マザーグースの童謡は今でも人気が高い。

多くの関連絵本が出版されていて、ナーサリー・リズムとして保育園や幼稚園などでも歌い習う。韻を踏んだメロディーや詩が自然と身に付くうえ、古くは中世のものといわれる伝統童謡の文化を、子どもたちはそうと知らずに継承していることになる。その数800篇以上という、ほかの欧州の国に比べ異様に多くの童謡を抱えた英国は、文学、演劇、そして楽曲といった言葉のリズムに関し敏感という特徴を持つ国でもある。人々の中に生きるマザーグースゆえの文化、といっても良いかもしれない。私たち外国人にとっても、マザーグースは英国の文化や歴史、英国人の思考回路を知るための格好の教材になるはずだ。

権力を笑いナンセンスを愛する

マザーグースが長く愛され、何世紀にもわたり命を保っている理由の一つには、これまでの編者や解説者が「ナンセンスなものに常識や論理をあてはめてはいけない」、という暗黙の約束を守り、大事に育んできたからだといわれている。まず、世界初の児童書専門出版者であり、1765年に伝承童謡を編纂したジョン・ニューベリーは、マザーグースの捉えどころのないナンセンスな部分を無理に説明せず、とぼけて真面目くさって受け入れるという、英国人の笑いのセンスにも通じる態度で童謡に接し、当時の子ども用に内容を変えることなく52篇を編んだ。次の編者は文献学者のジェームズ・ウォーチャード・ハリウェル。古文書や稿本が大好きなハリウェルは、弱冠20歳で600以上の童謡を編纂し、1842年に「イングランドの童謡」、49年に「イングランドの俗謡と童話」を編んだ。

民間に没したままになっている伝承の発掘に取り組んだハリウェルはまた、マザーグースには当時のヴィクトリア朝の浅薄な道徳主義を伴った学校教育や合理主義に屈しない、でたらめでのびやかな、たくましい魅力があり、子どもたちには絶対気に入ってもらえるだろうと考えたのだった。そこにはズルをする王さまや、奥さんを二束三文で売り飛ばす僧侶がおり、牛が月を飛び越え、ネズミに食べられてしまう小人がいる世界があった。マザーグースは窮屈な学校生活をする子どもたちへの応援歌だった。

意外と不気味で危ない内容も

意外と不気味で危ない内容も

マザーグースは道徳に準じていない唄が多いと述べたが、今の時代ではタブーになりそうなものも多い。現に1952年に道徳的に好ましくない唄のリストが作られた。それによると、人間や動物に対する残酷な取り扱いが12件、盗みや嘘が14件、身障者への言及が15件、暴力23件、人種偏見2件、そのほか諸々で計200件にもなるという。当時ですらそれほどあるのだから、ウォーク・カルチャーの現代はもっと数が増えているだろう。全てをきれいに書き直してしまったら伝承童話の生命は絶たれてしまうが、出版社はやはり社会通念を無視したものは出しにくいという事情もあるようで、現在マザーグースとして出版されているものは、極端にガラが悪いものは掲載しないなどの体裁を取っている。

また、童謡という形で残ることの不思議さを禁じ得ないものもある。例えば「ガイ・フォークス・デー」の唄は、「覚えておいて 覚えておいて 11月5日のことを 火薬 陰謀事件のことを あの反逆事件を 忘れていい訳がない ガイ・フォークス ガイ・フォークス 彼の目的は 王と議事堂を吹き飛ばすこと」である。

日本ではいつも詩人が訳した

日本で初期のマザーグースは、文学者の鈴木三重吉が創刊した児童雑誌「赤い鳥」に、詩人の北原白秋による訳で、大正9年(1920年)に掲載された。「There was a little green house」(「胡桃」)と「Hickory, dickory, dock」(「柱時計」)の2篇だった。白秋はその後も情熱を傾けて訳出紹介に励み、翌年末までに132篇を訳して「まざあ・ぐうす」として発表。「不思議で、美しくて、おかしくて、馬鹿馬鹿しくて、面白くて、怒りたくて、笑いたくて、歌いたくなる」と自ら広告文も書いている。しかし、当時の日本では「子どもの童謡なんて」、という風潮があったようで、あまり話題にもならず、英国のマザーグースの文化も伝わらなかった。次に挑戦したのは同じく詩人で英文学者の竹友藻風で、「英国童謡集」として昭和4年(1929年)に87篇を発表した。だがこちらも話題にはならずじまいだった。

しかしようやく昭和45年(1970年)に詩人の谷川俊太郎が訳した「マザー・グースのうた」が大ヒットする。短く簡潔で日本語の言葉のリズムを大事にし、本来のマザーグース同様に唄いたくなるような117篇が訳出された。グラフィック・デザイナーの堀内誠一が挿絵を手掛け、日本でマザーグース・ブームが巻き起こった。それ以後も、劇作家の寺山修司、イラストレーターの和田誠などが一部翻訳。英語より言葉の流行り廃りが激しい日本では、すぐにまた新たな翻訳版が刊行されるかもしれない。

これもあれもマザーグースだった

マザーグースのフレーズは新聞記事、小説、映画などでもしばしば登場する。ここでは、わずかではあるがいくつかその例を紹介しよう。

映画

Birds of a Feather = 類は友を呼ぶ

Birds of a feather flock togetherを略したもの。同じ羽の鳥たちは群れる、つまり似た者同士の意。

シェイクスピアの「ヘンリー6世」やルイス・キャロルの「不思議の国のアリス」に出てくるほか、格言として日本語の「類は友を呼ぶ」のような使われ方をしている。また、ハリウッド映画「ダイ・ハード3」では、犯人役のジェレミー・アイアンが刑事を挑発して下記の一節を電話口でささやく場面も。

Birds of a feather f lock together,
And so will pigs and swine;
Rats and mice will have their choice,
And so will I have mine.

同じ羽毛の鳥は 群れつどう
豚だって 同じ
ドブネズミやハツカネズミすら
つれをえらぶ
わたしだって 同じ

All the king’s men = どうにもならない

欧州には古くから卵のようにいったん壊れたら元へ戻らないことを擬人化した唄が各地にあったそうで、英国ではハンプティー・ダンプティーがこれにあたる。壁の上から落ちて壊れたハンプティー・ダンプティーは、王様の家来を動員してももう元には戻せない。米国の政治スキャンダル、ウォーターゲート事件を扱った1976年の米映画「大統領の陰謀」の原題は「All the President’ s Men」。マザーグースを知っている人ならタイトルを見ただけで、大統領の側近たちがどう頑張っても、ニクソン大統領を救うことはできず、大統領がその座から転がり落ちていく様子を連想できる。

新聞

Who killed Cock Robin? = 誰が犯人だと思う?

新聞の見出しに使われる「Who killed ~」はたいていマザーグースのこの一篇から来ていると考えて差し支えない。英国の国鳥でもある胸の赤い小さな駒鳥は被害者を指し、スズメが犯人という構図。2017年に北朝鮮の金正男氏がマレーシアの空港で殺害されたとき、BBC、米CNNやABCの見出しはどれも申し合わせたように「Who killed Kim Jong-nam?」だったとか。

Who killed Cock Robin?
I, said the Sparrow,
with my bow and arrow,
I killed Cock Robin.

誰が駒鳥 殺したの
それは私 とスズメが言った
私の弓で 私の矢羽で
私が殺した 駒鳥を

また、殺人事件だけではなく、社会的に葬られた場合にも使われる。かつて詩人のジョン・キーツが「クォータリー」誌に酷評されたのち25歳の若さで結核で死去した際、友人のバイロンがキーツを悼んだマザーグース風の1篇を作っている。

Who kill'd John Keats?
"I" says the Quarterly,
So savage and Tartarly,
"Twas one of my feats."

誰がキーツを殺したか?
自分だと クォータリーがいう
手荒に 容赦なく
見事な手柄ぶりだったと

さらに、英政府が1948年に表明したインフレ対策のように、マザーグースのスタイルのみ引用した一文もある。ちなみにジョン・ブルとは英国を指す。

Who’ll kill inf lation?
I, says John Bull,
I speak for the nation –
We’ll work with a will.
And we’ll thus kill inf lation.

誰がインフレを止めるだろう?
私、とジョン・ブル
私が国を代表してこう表明します
我々は強い意志を持って奮闘し
そうやってインフレを止めます

小説

Oranges and Lemons = 古き良き昔

ジョージ・オーウェルのディストピア小説「1984年」には「Oranges and Lemons」が効果的に使われる。主人公は極端な監視社会に生きながら、正気を保つためお守りのようにこの唄の一節を唱え続ける。ロンドンの教会の鐘がたくさん登場し、英国で特に愛される一篇で、2人がアーチを作り、その下をほかの子どもがくぐり抜ける遊び唄として知られる。

Oranges and lemons,
Say the bells of St. Clement's.
You owe me five farthing,
Say the bells of St. Martin's.
When will you pay me?
Say the bells of Old Bailey.
When I grow rich,
Say the bells of Shoreditch.
When will that be?
Say the bells of Stepney.
I do not know,
Say the great bell of Bow.
Here comes a candle to
light you to bed,
And here comes a chopper to
chop off your head.

「オレンジとレモン」と
聖クレメントの鐘が言う
「おまえに5ファージング貸しがあるぞ」と聖マーチンの鐘が言う
「いつ支払ってくれる?」と
オールド・ベイリーの鐘が言う
「お金持ちになったらね」と
ショーディッチの鐘が言う
「いつなるの?」と
ステプニーの鐘が言う
「知らないよ」と
ボウの大鐘が言う
お前をベッドへ案内するろうそくが来たぞ
お前の首を切り離す首切り役人が来たぞ

「ゴールデン・スランバー」はアルバム「アビイ・ロード」に収録「ゴールデン・スランバー」はアルバム「アビイ・ロード」に収録

ビートルズの曲の歌詞が「不思議の国のアリス」やマザーグースに似ているとはよく言われていることだが、その世界観が同じだったり、韻の踏み方や言葉の繰り返し方が似ているだけで、あからさまに引用された曲は少ない。そのなかで例外的に、ほぼ丸々フレーズが使われているのが、アルバム「アビイ・ロード」(1969年)に収録された「ゴールデン・スランバー」だ。この曲はポール・マッカートニーが異母妹の家で絵本を読み、すぐその場でピアノに向かいメロディーを付けたのだとか。その際ピックアップされたのが「黄金の眠り」のこの部分だ。

Golden slumbers kiss your eyes
Smiles await you when you rise
Sleep pretty darling, do not cry
And I will sing a lullaby

黄金の眠りが おまえのまぶたに
キスをする
朝には ほほえみが 起こしてくれる
おやすみ いたずらっ子 泣かないで
子守唄を 歌ってあげよう

訳詩は右記以外は「マザーグースの唄」 平野敬一著より引用。「誰がキーツを殺したか」English Poetry and Literature、「誰がインフレを止めるだろう」通訳品質協議会

 

マニアックな勝負の世界 - 英国の鳩レース

マニアックな勝負の世界
英国の鳩レース

鳩の深い魅力にはまるファンシーズたち鳩の深い魅力にはまるファンシーズたち

訓練された鳩を飛ばし、レースごとに指定された距離内の移動速度で優勝を決める「鳩レース」は、世界各地で盛んに行われているスポーツの一つだ。英国内では衰退してきているものの、今もなお英語でファンシーズfanciersと呼ばれる約6万人の愛鳩家と4万2000羽のレース鳩がおり、一定数の熱烈なファン層に支えられ今日に至っている。英国のレースの大きな特徴は、王室がレースに参加しているということ、そして大々的な品評会があるということ。独自の愛鳩文化が育つマニアックな世界を、少しだけのぞいてみよう。(文: 英国ニュースダイジェスト編集部)

参考: www.rpra.org、www.pigeonracinguk.co.uk、https://racingpigeon.co.uk、www.britannica.co、www.theguardian.com、www.jrpa.or.jp/index.html ほか

鳩レースの発展は伝書鳩から

品種改良され、飛翔能力を大幅にアップさせたレース鳩が生まれる前から、人間と鳩には非常に深い関係がある。諸説あるものの、鳩を飛ばして遠方地にメッセージを伝えたことが歴史に記されたのは古代エジプトのファラオ、ラムセス3世が名を轟かせた紀元前1200年ごろ。ナイル川の氾濫の様子を各都市に知らせたとされ、以降ローマ帝国時代にはオリンピックの試合結果、船の帰港をいち早く知らせる通信手段として広く使用されていた。また、中東では情報を運んでくる鳩たちは「The Kings Angels」(キングス・エンジェルス)と呼ばれてかわいがられており、中世には十字軍によって欧州中にも同文化がもたらされ、鳩は国を超えてさまざまな地域で使われていた。1000キロメートル(東京から小笠原諸島あたり)も移動できる現在のレース鳩とは違い、伝書鳩は200キロメートルほどの距離を飛んでいた。

19世紀のフランスでは、鳩を公式の郵便サービスとして利用し、1870年にはロンドン-パリ間の国際郵便サービスが開始。当時のフランスでは普仏戦争の最中で、パリは独軍によって包囲されており、郵便物を運べるのは空路のみ。気球を使って鳩をパリの外へ運び、そこからより安全にメッセージを届けたようだ。機密事項を運ぶ鳩を攻撃しようと、独軍では鳩を撃ち落とすためにタカが動員されるなど、空と言えども安全の保証があるわけではなかった。のちに無線通信やラジオの登場により、1910年ごろには伝書鳩は次の文明の利器にとってかわったものの、その後も欧州各国で第1次、第2次世界大戦中に軍事目的で使用されたり、インドでは2000年代まで伝書鳩による郵便サービスがあったりと、必要に応じて用いられた。

第1次世界大戦中、仏軍で使われた伝書鳩第1次世界大戦中、仏軍で使われた伝書鳩

スポーツとしての鳩レースと王室との関係

戦争や個人の利用など多目的に使用されていた鳩だったが、1818年にはベルギーで初めて約100マイル(160キロメートル)を飛ぶ鳩レースが行われた。続く1820年にはベルギーのリエージュ-パリ間で、1823年にはロンドン-ベルギー間でレースが開催。英国内初のレースは1881年で、エクセター、プリマス、ペンザンス各地からロンドンまでを競った。英王室は1886年から鳩レースに参加している。

英王室が参加したきっかけは、同年にベルギーのレオポルド2世からレース鳩を贈られたから。これをきっかけに、王室メンバーは別邸、サンドリンガム・ハウスに王室専用の鳩舎(ロイヤル・ロフト)を構え、現在も約160羽の成熟した鳩と若い80羽のレース鳩を飼っている。エリザベス女王はレース鳩好きで知られており、ロイヤル・ピジョン・レーシング・アソシエーション(The Royal Pigeon Racing Association)とナショナル・フライング・クラブ(National Flying Club)のパトロンにもなっており、1990年の大会では優勝したことも。ロイヤル・ロフトは毎シーズン大会に参加し、何年にもわたって勝ち続けたこともある強豪の鳩舎となっている。ちなみにかつてロイヤル・ロフトの鳩は二つの大戦で伝書鳩として戦場に駆り出されており、そのうちの1羽はその優秀さから戦争への献身を評価された動物に授与されるディッキン・メダル(the Dickin Medal)を与えられた栄光を持つ。名実ともに名のある鳩舎というわけだ。

地方のショーに出展するロイヤル・ピジョン・レーシング・アソシエーションのトレード・ブース地方のショーに出展するロイヤル・ピジョン・レーシング・アソシエーションのトレード・ブース

鳩レースを管理する団体

英国にはイングランド、ウェールズが参加できる総合クラブ、ナショナル・フライング・クラブと、英国全土に六つの組織がある。

● Royal Pigeon Racing Association (RPRA)

1896年の会合をきっかけにできた組織で、英王室が所属している。参加には約2500のレーシング・クラブがある。

● Irish Homing Union (IHU)

1896年設立の北アイルランドを含むアイルランド地域をまとめる組織。32県のうち19県にある、121のレーシング・クラブと計3318人のメンバーが所属。

● North of England Homing Union (NEHU)
● North West Homing Union (NWHU)
● Scottish Homing Union (SHU)
● Welsh Homing Union (WPHU)

各組織には地域ごとのレーシング・クラブが多数所属している。参加したい場合はまず組織に連絡して書類をもらい、その後組織から地元のクラブに連絡がいく、というシステムだ。

レースの仕組み

組織ごとにレースの仕組みは若干異なるが、RPRAの場合、クラブ・レースとロフト・レースの二つがある。クラブ・レースはファンシーズ(鳩の飼い主)が鳩舎(ロフト)を持っていなければならず、管理費、予防接種、飼育代、初期費用などがかかる玄人向け。

ロフト・レースは、ロフト・マネージャーと呼ばれる特定のロフトの管理人が持つロフトをレースのときだけ間借りし(有料)、1羽から複数の鳩を入れて参加するレースのこと。適切な費用を払えば鳩だけ持ち込めば参加OK。同じ条件で入場した全てのハトが一つのロフトに収容される仕組みで、試合会場へほかの鳩たちと同時に向かい、そのホーム・ロフトに向かって鳩が戻るまでのタイムを競う。

基本的にクラブ内でレースを行うが、2クラブ以上で開催することもある。

19世紀ごろのレースは飛翔時間・距離を正確に記録する機材が整っていなかったため、当時は、鳩は駅の警備員によって放たれ、ロフトに到着次第人間の手によって足首につけられたレース・リングを取り外し、ファンシーズは最寄りの郵便局に駆け込み、郵便局長に記録を取ってもらうという人的要素も順位に大きく関わってくるお粗末なシステムだった。

後にさまざまなルール改正、機器の発達を経て、現在は片足に特定の番号が付いた電子テクノロジーを採用した金属製、またはゴム製のレース・リングが採用されている。ホーム・ロフトに戻ると金属製は電子で、ゴム製は専用ボックスに収めることで結果を記録できるようになっており、飛行距離と所要時間で平均速度を割り出し、その早い順で勝利を決める。このシステムにより、初心者でも参加しやすくなった。

レース・リングを付けた鳩の右足レース・リングを付けた鳩の右足

どのように訓練するのか

レース鳩は、繰り返しロフトに戻る練習をすることで、異なる距離から解放されても対応できるよう、ロフトの出入り口、トラップ・ドア(外から中へ一方通行のドア)から入るように訓練される。ドアを完全に通過しないと記録にならないので、とにかく練習あるのみ。ファンシーズは、シーズンが本格的に始まる2~3週間前に訓練を開始し、ロフトの周りで最低でも毎日1時間運動させる。毎日同じ時間に行うほうがよく覚えるので、ファンシーズにもそれなりの根気が求められる。また、給餌は水場のあるロフトで行われる。水にアクセスできるのはロフトのみなので、水浴び好きのレース鳩はこの場所を記憶する。ロフトへ戻るための訓練は水を通しても行われるのだ。飛翔トレーニングは、ロフトから20~30マイル(32~48メートル)離れた場所に鳩を連れて行く個人練習のほか、クラブのメンバーが集まって訓練することも。

もちろん初心者にはどのように訓練したらいいのか分からないので、所属する地元クラブの先輩に聞いて上達する方式。意外と縦のつながりも求められる。

ファンシーズがホーム・ロフトから愛鳩を解き放つファンシーズがホーム・ロフトから愛鳩を解き放つ

鳩レースの勝利の決め手は名鳩を手に入れられるかどうか

レースは成熟しきった鳩が対象の「オールド・バード・シーズン」(3月下旬~7月中旬)と、若い鳩が対象の「ヤング・バード・シーズン」(7月中旬~9月下旬)の2シーズンがある。別名「空のアスリート」とも呼ばれるレース鳩はカワラバトを祖先に持つ鳩で、基本的には街中にいるものと同じ種類だが、レース鳩はより骨格がよく、長距離飛翔に耐えられる強靭な羽と立派な脚を持っているのが特徴だ。街中で見られる鳩の寿命が3~4年であるのに対し、レース鳩はきちんと世話をすれば20年以上生きるといわれている。また、普通のレース鳩であれば50~150ポンド程度で購入でき、これに予防接種など初期費用が上乗せされる。レース鳩の価格はまちまちで、500ポンド以上する場合も多い。優勝経験のある強いレース鳩にいたっては22万ポンド(約340万円)と驚きの値が付けられたことも。高値ではあるが、再び優勝するチャンスは高く、先の投資として大金をはたく熱烈な愛鳩家もいるのだとか。

「美しく強いレース鳩」を楽しむ品評会がある

鳩レース・ファンも多いが、鳩の美しさそのものを競う品評会「ブリティッシュ・ホーミング・ワールド・ショー・オブ・ザ・イヤー」(The British Homing World Show of the Year)も見逃せない。2021年は新型コロナの影響でオンラインでの開催となったが、通常は英北西部ブラックプールで2日にわたり行われる。同イベントでは、鳩の品評会のほかにもこれまでレースで勝利を重ねてきた2500羽ほどの選ばれし鳩の展示、レース鳩に関するグッズ販売、鳩のトレード・ブース、講演会、映画上映などさまざまな催しものが開催され、街をあげてのお祭りとなる。1972年に始まって以来、英国内やアイルランドからの客がほとんどだったが、近年は世界各国のファンシーズが訪れている。

審査員によって入念にチェックされる鳩たち審査員によって入念にチェックされる鳩たち

特筆すべきは、その売り上げの全てが慈善団体やホスピスなどに寄付されること。ファンシーズたちは常に鳩たちと触れ合っていることから、寄付先にはファンシーズたちの肺に問題がないかアドバイスする団体も含まれているそうだ。過去15年間で計25万ポンド(約3866万円)を寄付してきた同イベントは、鳩を愛する人たちだけでなく、英国社会にも広く貢献している。

会場一面、鳩でいっぱいになる会場一面、鳩でいっぱいになる

レース中、鳩が消えた……

鳩レースは鳩の帰巣本能を利用したスポーツだが、近年の研究では、人間と同じように優れた時間、空間把握能力を持っていることが証明されている。また、鳩は愛情を持って育てるほど飼い主を認識するようになり、ファンシーズにとってはいわば家族のような存在。よって鳩レースにどっぷりはまるファンシーズが多く、レース参加者のそのほとんどが、自分の鳩が無事に戻ってくることを願ってやまない。

レースの間1~3日ほど、ファンシーズたちは自分の鳩を待つことになるが、鳩レースでは高確率で鳩が「消える」ことがある。2021年6月19日、国内で50カ所でレースが行われたが、鳩が全く戻ってこない現象が各地で起き、現在も数千羽が行方不明のままだという。遠くはオランダやマヨルカ島で見つかった鳩もいたのだとか。その場合、各組織では「タグの付いた迷い鳩を見つけたら即連絡を」とサイトで知らせてはいるものの、一般人にはなかなか共有されず、そのまま所在が分からなくてしまうことも多々あるようだ。

ブレグジットが影響? 鳩レースの未来

熱狂的なファンシーズが一定数いるものの、英国では鳩レースの競技人口は減少傾向にある。動物愛護団体などからの訴えも影響しているが、ほかの大きな問題は英国のEU離脱(ブレグジット)だ。

英国-フランス間での鳩レースが行われる場合、鳩たちも人間と同じように、自由に欧州に旅行ができなくなる。検疫や健康証明の提出など、必要な事務処理を行わない限り、鳩であっても渡航は認められない、ということらしい。これはブレグジットによって鳩が輸入品扱いとなるためだが、ファンシーズたちの言い分は「厳密には連れてきてすぐ解き放つのだから厳密には輸入品ではない」。この問題は未だ解決しておらず、しばらくの間は論争が続くとみられている。

異常気象などの問題もあり、鳩レースの開催は今後苦労を強いられることになりそうだ異常気象などの問題もあり、鳩レースの開催は今後苦労を強いられることになりそうだ

鳩に魅せられた人たち

鳩が好きなのはファンシーズだけではない。エリザベス女王を筆頭にエドワード7世、ジョージ5世、ジョージ6世など英王室メンバーが鳩に魅せられていた。世界各地にいる、鳩を愛する人たちを紹介したい。

英画家のウィリアム・アンドリュー・ビアー(William Andrew Beer、1862~1954年)はレース鳩をこよなく愛した人物の一人。ビアーは英西部ブリストルにスタジオを構え、日々列車で輸送されるレース鳩を油彩で描いていた。絵画は大抵同じ作風で、自然を背景に、1羽または数羽をほぼ等身大に細密に描いた。作品は国内の博物館や美術館にコレクションされているが、ごくたまにアンティーク市場に出回ることがある。

アンドリュー・ビアー作「'スマッシャー' ザ・ピジョン」アンドリュー・ビアー作「'スマッシャー' ザ・ピジョン」

生物学的な観点から鳩を好んだのは、自然科学者のチャールズ・ロバート・ダーウィン(Charles Robert Darwin、1809~1882年)だ。ダーウィンはロンドンの鳩クラブのメンバーで、自身の研究ではあらゆる種類の鳩を飼育し、全ての品種が野生のカワラバト(学名コルンバリビア)にさかのぼることができると明らかにした。また、品種改良を行い、さまざまな仮説やその証明実験に使う、多種多様な鳩を管理するロフトを所有していたという。

チャールズ・ダーウィン著「The Variation of Animals and Plants under Domestication」内の鳩の先祖の挿絵チャールズ・ダーウィン著「The Variation of Animals and Plants under Domestication」内の鳩の先祖の挿絵

鳩を愛した人物は海を渡って世界各国にも数多くいた。ウォルト・ディズニーのロフトは現在も米南カルフォルニアに存在し、米ジャズ・プレーヤーのジョニー・オーティスは、鳩を飼育しつつ、鳩ブリーダーとも強い友人関係を築いていた。ほかにも、パブロ・ピカソ、クリント・イーストウッド米監督、米元プロボクサーのマイク・タイソン、伊ファッション・デザイナーのマウリッツィオ・グッチ……など挙げればきりがない。

 

創刊30周年 THE BIG ISSUE(ザ・ビッグイシュー)の挑戦

創刊30周年
THE BIG ISSUE(ザ・ビッグイシュー)の挑戦

THE BIG ISSUE(ザ・ビッグイシュー)の挑戦

そろいの赤いジャケットを着て、雑誌を片手に街角に立つ人々の姿はロンドンでは見慣れた光景だろう。この人たちが販売している雑誌がビッグイシューだ。ホームレスの人の仕事を作り、社会的自立を応援するためにロンドンで1991年に立ち上げられた。今年は同誌が誕生してちょうど30年。現在では日本を含む世界各国にも活動が広がるビッグイシューがどのように誕生したのか、また、これまでの経緯や発展、そしてコロナ禍に立ち向かう様子を紹介する。(文: 英国ニュースダイジェスト編集部)

ビッグイシューとは? www.bigissue.com

1991年9月11日に創刊の、路上で販売されている週刊ストリート・ペーパー。販売員(Vendor)はホームレスや生活困窮者で、販売価格1部3ポンドのうち半額が販売員の収入となる。当初はロンドンのみだったが、次第に販売地域を拡大。ロンドン版のほか、英北部版「Big Issue North」、英南西部版「Big Issue South West」、ウェールズ版「Big Issue Cymru」、スコットランド版「Big Issue Scotland」などの地方版がある。現在は全国で毎週約19万5000部*を販売している(定期購読も含む)。2020年には、新型コロナウイルスの蔓延によるロックダウンで街頭での販売が制限されたことから、同年4月に専用アプリを使ったデジタル版も生まれた。

*2020年12月~2021年2月調べ

THE BIG ISSUE ビッグイシュー

そもそもの始まりは2人の飲み友達

1990年、動物愛護などの社会活動にも力を入れる化粧品メーカー「ザ・ボディ・ショップ」の経営者の1人ゴードン・ロディック氏が米ニューヨークを訪れた際、ホームレスによるストリート・ペーパー「ストリート・ニュース」の存在を知り感動したのが始まり。もともと英国のホームレス増加に危機感を抱いていた同氏は、30年来の飲み友達で、自身もホームレスの経験があったジョン・バード氏に声を掛けた。バード氏はロンドン出身で、かつてはヘンリー・ミラーやチャールズ・ブコウスキーといった破天荒で放浪を愛する米国の作家・詩人たちに傾倒したこともある人物。さまざまな仕事を転々とした後、70年代に印刷業を始めたことから出版業も手掛けるようになっていたため、それがビッグイシューの発行へとつながった。

ただ、前例はあるものの、「ホームレスの自立と社会復帰を手助けするため、作った雑誌をホームレスに売ってもらう」という方法が斬新であることには違いなかった。ロディック氏やバード氏の周囲の人々は、この事業が成功するとは思えないと口々に言い、バード氏自身も成功する自信は全くなかったようだ。2人は路上にいるホームレスに声を掛けたり、慈善団体に協力してもらうなどして販売員を募ったが、そもそもホームレス当人になかなかこの事業の意図を理解してもらえず、あるホームレスから「お前たちに飢えや貧しさの苦しみが分かるもんか。どうせ金持ちの慈善事業だろ」と怒鳴られたこともあったという。それでも約30人の販売員が集まり、ビッグイシューは1991年9月11日に船出。

当初はロンドンのみのA3月刊誌で、内容も社会問題のみならず、著名人のインタビューなどエンターテインメントの側面も重視した総合雑誌というスタイルを取った。ホームレスがお金を得ることが第1の目的であるため、一部の人しか読まないような前衛的な誌面にするのではなく、より多くの人々に受け入れられる必要があったからだ。ビッグイシューは口コミで評判がどんどん広がり、創刊後3年を超えるころにはザ・ボディ・ショップからの援助も必要としなくなった。

ゴードン・ロディック氏(写真右)。ザ・ボディ・ショップの経営者で妻のアニータ・ロディック氏と共にゴードン・ロディック氏(写真右)。ザ・ボディ・ショップの経営者で妻のアニータ・ロディック氏と共に

2021年4月、ロックダウンを経て販売員たちが街角に戻ったことを喜ぶジョン・バード氏2021年4月、ロックダウンを経て販売員たちが街角に戻ったことを喜ぶジョン・バード氏

ジョン・バード John Bird

1946年ロンドン西部ノッティング・ヒルの貧しい家庭生まれ。5歳でホームレス、7歳で養護施設に預けられる。10歳から万引、強盗、放火などさまざまな犯罪に手を染め、少年院生活を繰り返す。1970代後半以降、印刷・出版業を手がけ成功。1991年、45歳のときにゴードン・ロディック氏とともに欧州初のストリート・ペーパー「ザ・ビッグイシュー」を創刊、編集長に。1995年にホームレスへの支援活動を評価され、名誉大英勲章第5位(MBE)を受勲した。2012年には「How to change your life in 7 steps」(「ホームレスから社長になった男の逆転法則」、徳間書店)を発表。

エネルギッシュな活躍は75歳になった今も変わらず、2015年に上院議員として政治の世界へ。ホームレスを救うのはもちろん、ホームレスを生み出してしまう現状の社会システムから変革しようと模索している。

従来とは異なる画期的な販売方法

初期のビッグイシューは、販売者が1冊10ペンスで雑誌を仕入れ、50ペンスでこれを販売、その差額が販売者のものになるシステムだった(現在は仕入れ額が1.50ポンド、販売額が3ポンド)。最初の10冊は無料で提供されるのでそれを元手にするわけだが、売れるかどうか分からない雑誌に貴重な所持金を投資するのは、販売者にとって大きな賭けでもある。「working, not begging」というキャッチフレーズの通り、販売者は「物乞いではなく、働いている」ということだ。

ビッグイシュー販売の利点は、定まった住所や連絡先がないなどの理由から、一般の仕事が探せない人でもすぐ始められることにある。年齢不問、販売経験不要、履歴書不要で、ノルマなどもない。路上での売り方や客への話し方など研修を受けて、契約書にサインをすれば販売場所をもらってスタートできる。ビッグイシュー販売で一定のお金をためて住まいを確保し、誇りをもって次のステップを踏み出すチャンスを自分で作り出すことができるのだ。

1991年以来

1991年以来

2016年までに

2016年までに

会社としてのビッグイシュー

ビッグイシューの誌面はニュース、特集、カルチャーの3本柱で構成されている。毎号、ホームレス問題はもちろん、移民・人種にまつわる人権問題や環境問題など、厳しい社会の現実に迫るルポや、それに対するキャンペーンを紹介する。その一方で、映画やコンサートなどのイベント情報もあれば、大物セレブへのインタビュー、ビッグイシュー販売員の横顔紹介など多岐に渡り、読みごたえのある記事が満載。記事執筆と編集はプロのライターや編集者だが、取材、執筆しウェブ上でブログ形式の記事を発表している販売員もいるようだ。

「利益の100パーセントをホームレス減少のための事業に充てる」と明言しているコーヒーまた、ビッグイシューは株式会社として雑誌「ビッグイシュー」を発行・販売するほか、これと別に慈善財団「Big Issue Foundation」や「Big Issue Invest」「Big Issue Shop」があり、さまざまな規模の社会支援事業に対する資金援助や支援を展開している。ビッグイシュー・ショップでは、販売者や商品の作り手をサポートするだけではなく、サステナブルな商品を販売。T シャツ、セーターなどの衣類のほか、小物やアクセサリー、食器類が並ぶ。食品もあり、写真右のコーヒーは「利益の100パーセントをホームレス減少のための事業に充てる」と明言している。

ロンドン中心部ヴォクソールにあった初期のロンドン・オフィスロンドン中心部ヴォクソールにあった初期のロンドン・オフィス

コロナ禍で売り上げが激減

2020年、新型コロナウイルスの感染拡大でビッグイシューは大きな打撃を受けた。「Stay Home」が呼び掛けられ英国各地では3月から、リモート・ワークの開始や外出自粛で街中から人通りが激減。繁華街やオフィス街で雑誌販売をしていた人々は、以前は1日で10~20冊、多い人は40冊ほど販売していたというが、皆この時期は10分の1にまで売り上げが落ちた。多くの販売者にとっては、雑誌販売が命をつなぐ大切な収入源。ジョン・バード氏が、「ビッグイシュー創刊以来の危機」と呼ぶ事態が発生した。そして3月半ばに完全なロックダウンとなると同時に、雑誌販売者たちにも「Stay Home」が命じられた。だが、このとき英国は自宅待機といってもそもそもステイする家もないホームレスが全国に50万人いる状況でもあった。

地区のカウンシルやチャリティー団体などがホームレスの一時滞在先を何とか確保し、路上生活者たちがホテル、ベッド& ブレックファスト、鉄道駅などさまざまなタイプの滞在先へ散っていくなか、ビッグイシューが始めたのが、38.99ポンドで当面3カ月の間毎週郵送で雑誌を読者に届ける緊急販売だった。サブスクリプション制度はこれまでもあったものの、「ロックダウンのため街角で販売できない人々を助ける」とダイレクトにうたったものは初めて。4月にはデジタル版が読める専用アプリも生まれた。

また、誌面上で読者と販売員をつなぐ告知板を掲載。読者からは「ファーリントン駅前で雑誌を売っていたピエールによろしく。元気でいるといいけれど。私は2月から自宅待機になってしまい、さよならも言えませんでした。定期購読を始めたと伝えてください」など、特定の販売員に向けたメッセージが掲載され、販売員たちも、「いつも私から購入してくださっていた皆さんが、ご無事であることを祈っています。僕は元気でおります。またレスター駅でお会いできることを楽しみにしています」などの言葉を残すなどした。ロックダウンによって絶たれてしまったコミュニケーションを、シンプルな形でつなぐ場としても活用されたのだ。

2003年に大阪デビューした日本版

英国での創刊の後、ビッグイシューはオーストラリア、南アフリカ、台湾、韓国、フランス、米国など世界に広がった。「ビッグイシュー日本版」も2003年に発行。これは大阪にベースを置く市民団体「シチズンワークス」の水越洋子さんが、「ビッグイシュー・スコットランド」の代表メル・ヤングさんが書いたホームレスに関する記事を読んだことが始まりだった。記事に感動した水越さんは2002年9月、ヤングさんに会うためスコットランドに飛び、これが日本版発行につながった。当初は月刊誌で大阪のみの販売だったが、すぐに東京でも販売を開始。現在は都市周辺 地区まで販売地域が拡大している。

現在、販売員数は106人。記事は他言語版の翻訳と独自取材した記事を組み合わせて発行されており、社会問題のほか、国内外の俳優や音楽家、芸術家などへのインタビュー、健康、文化などについての記事が並ぶ。草間彌生からリリー・フランキー、ポール・マッカートニーからベネディクト・カンバーバッチまでが表紙を飾ることも。読者からは、「ホームレスに対する考えが変わった」「自分のなかの偏見に気づいた」などの声が寄せられているそう。

http://bigissue.jp

413号は俳優のベン・ウィショーが表紙。新作映画について語るほか、ゲイであることをカミングアウトした時期を振り返ったショート・インタビューが掲載413号は俳優のベン・ウィショーが表紙。新作映画について語るほか、ゲイであることをカミングアウトした時期を振り返ったショート・インタビューが掲載

絵本「だるまちゃんとかみなりちゃん」が表紙の412号は、同絵本の作者で2018年に死去したかこさとしさんをフィーチャー。かこさんの親族へのインタビューだった絵本「だるまちゃんとかみなりちゃん」が表紙の412号は、同絵本の作者で2018年に死去したかこさとしさんをフィーチャー。かこさんの親族へのインタビューだった

世界にビッグイシューの名を広めた野良猫ボブ

ロンドン北部エンジェル駅近くでビッグイシューを販売していたジェームズ・ボウエンさんは、いつも肩に茶トラの猫を乗せていた。ハイタッチもできる物おじしない賢い猫、ボブのおかげで駅前の人気者になったボウエンさんは、やがて1冊の本を書く。それは、荒れた家庭環境や人間関係から薬物依存症となり路上生活を送っていた青年が、1匹の野良猫と出会ったことから幸せをつかんでいくという、自らの体験を描いたもの。2012年発表の「A Street Cat Named Bob: And How He Saved My Life」(「ボブという名のストリート・キャット」、辰巳出版)は驚きのベストセラーとなり、ボウエンさんは作家に転身、5作のシリーズを出版した。2016年には映画化もされて、ボブ自身が出演。同名映画(「ボブという名の猫 幸せのハイタッチ」)は日本でもビッグイシューの知名度が上がるきっかけとなった。

ボウエンさんがボブと出会ったのは2007年。迷い込んできた野良猫がけがをしていたので世話をしたところ、ボウエンさんの元を離れなくなった。以来、ボブとボウエンさんは一心同体。映画のプロモーション時には日本へも行ったボブだが、残念ながら2020年6月に死去。推定年齢は14歳だった。今年の7月11日、1人の人間を更生させ、多くの人々に勇気と希望を与えたボブの等身大の彫像がイズリントン・グリーンに設置された。

在りし日のボブとボウエンさん在りし日のボブとボウエンさん

イズリントン・グリーンにあるボブの彫像イズリントン・グリーンにあるボブの彫像

   

知っているようで知らない、英国のチーズ。

知っているようで知らない
英国のチーズ。

英国のチーズ。

オランダ、フランスとチーズの有名な国はあるが、英国にも優れたチーズがたくさんあることをご存知だろうか。英国内でチーズが製造されるようになったのはさかのぼること2000年以上前。当時は修道院など局所的に作られていたチーズだが、現在はオンラインで英国各地の名産チーズを身近に楽しめる良い時代になった。今回は英国を代表するチーズとそのエピソードを紹介する。(文: 英国ニュースダイジェスト編集部)

参考: www.gourmetcheesedetective.com、www.petersyard.com、www.theguardian.com、www.bbc.co.uk、https://cheese-store.com ほか

あなたに合うのはどのチーズ?
英国の有名なチーズ

英国には750種以上も国産チーズがある。その中からスーパーマーケットで買えるものから変わり種までを厳選してみた。あなたの好みに合うのはどのチーズ?

 

スーパーで買える 王道チーズ

Double Gloucester ダブル・グロスター

Double Gloucester
ダブル・グロスター

15世紀から英西部グロスターで製造されているハード・タイプのチーズ。さっぱりとした酸味が感じられる「シングル」と、まろやかで濃厚な「ダブル」の2種があり、どちらもグロスター牛の乳から作られている。丘の上からチーズを転がすクーパーズ・ヒルのチーズ転がし祭りで使われる品種だ。

Stilton スティルトン

Stilton
スティルトン

ロックフォール、ゴルゴンゾーラに続く世界三大ブルーチーズの一つで、ダービーシャー、ノッティンガムシャー、レスターシャーの3地方のみで生産されている。外皮も食べられ、塩気のあるクリーミーな味わいが特徴で、強い香りがあるものの比較的食べやすい品種。王室の食卓にもよく上るのだとか。

Cheddar チェダー

Cheddar
チェダー

英南西部サマセットにあるチェダー村発祥のチーズ。名前が法律で保護されていないため世界各地で同名のチーズがあるが実は英国発のもの。牛乳から作られ、ポロポロと崩れるものからなめらかなものまで、チーズの成熟度によって異なる食感が楽しめる。英国人が好きなチーズの上位によくランクインする。

Red Leicester レッド・レスター

Red Leicester
レッド・レスター

牛乳から作られているハード・タイプのチーズ。熟成が進むにつれ味が強くなり、少し甘めで、キャラメルのような旨味を感じられる頃合いが良いとされている。特徴であるチーズのオレンジ色は植物由来の色素、アナトーで着色。チェダーに似ているが、こちらの方がよりマイルドな味わいだ。

Cornish Brie コーニッシュ・ブリー

Cornish Brie
コーニッシュ・ブリー

フランス産が有名だが、英西部コーンウォール発のクリーミーで柔らかなブリーも負けていない。現在はコーニッシュ・カントリー・ラダーなど、特定の業者によって製造されている。サラダやサンドイッチ、パスタなどあらゆる料理に合わせやすく、大変使い勝手の良いチーズだ。

Cheshire チェシャー

Cheshire
チェシャー

英国の最も古いチーズの一つ。長時間の輸送に耐えられるようハードに作られており、かつ簡単に製造できるため、現代では工場での大量生産と小規模の生産者によるより濃厚な味わいの2種に大きく分けられる。ピリッとした後味のアップルビーズ・チェシャーなど、数多くの種類がある。

 

特定のドリンクに合わせて 〇〇に合うチーズ

Wensleydale ウェンズリーデール

Wensleydale
ウェンズリーデール

12世紀に修道院で作られ始めた歴史あるしっとりタイプのチーズ。ヨーグルトのような程良い酸味があり、デザート感覚で食べられる。クランベリーやアプリコット、ルバーブなどの果物や野菜が練り込まれた商品も人気。クランブル、フルーツ・ケーキやリンゴなどに添えて、紅茶と共に食べるのがお勧め。

Sage Derby セージ・ダービー

Sage Derby
セージ・ダービー

緑色の大理石模様で見た目もインパクトがあるチーズ。緑色の要因はセージで、元々はクリスマスなど特別なときに食べられていた。味はチェダーのようなマイルドな食感で、クリーミーな味わいの中にハーブの香りが感じられる。果物や鶏肉料理、白ワインに合わせれば、より爽やかな味が堪能できる。

Lancashire ランカシャー

Lancashire
ランカシャー

クリーミー、クランブリーなどさまざまなタイプがあり、バターのような濃厚な風味が美味。同味のクリスプスも販売されているほど、ビールのおつまみとして最高の組み合わせだ。トーストに載せたり、サンドイッチにしても◎。黒いワックスでコーティングされたランカシャー・ボムも有名だ。

 

一度は食べてみたい 変わり種チーズ

Stinking Bishop スティンキング・ビショップ

Stinking Bishop
スティンキング・ビショップ

「臭い司教」という不名誉な名前の通り、独特で鼻をつく強い香りがする。この特徴的な香りは同名の梨の果汁を発酵させた液体で外皮を洗い、熟成させたため。スライスしたパンやクラッカーに付けて食べると、もったりとした濃厚な味が楽しめる。保存の際はラップやタッパーで密閉するのが安心だ。

Cornish Yarg コーニッシュ・ヤーグ

Cornish Yarg
コーニッシュ・ヤーグ

牛乳から作られたセミ・ハードタイプで、イラクサの葉で包まれたキノコのような味のチーズ。17世紀のレシピを偶然見つけたアラン・グレイという人物によって1980年代に製造されたもので、グレイの名前を逆さにし、ヤーグと名付けられた。イラクサの代わりにニンニクの葉で包んだガーリック味も人気。

Hereford Hop ヘレフォード・ホップ

Hereford Hop
ヘレフォード・ホップ

チーズ製造会社のチャールズ・マーテルが作った比較的新しいチーズ。牛乳から作られたチーズを焼いたホップでコーティング。外側はカリカリ、内側はわずかな苦味とレモンのような柑橘系の味が感じられる複雑な味わいが特徴で、ビールはもちろん、トーストに載せても良い。

ここで買える! ロンドンにあるチーズ専門店

pistachio & pickle

6 Camden Passage, London N1 8ED
Tel: 020 7354 0656
火~日 10:30-17:00
www.pistachioandpickle.com

Cheese Hub

52 Broadgate Link, North Mall, London EC2M 7PY
Tel: 020 7628 6637
月~木 10:00-17:00 金 11:00-19:00
https://cheesehub.com

Neal's Yard Dairy

Covent Garden Shop, 17 Shorts Gardens,
London WC2H 9AT
水~土 10:00-18:00
www.nealsyarddairy.co.uk

英国人はどう付き合っている?
チーズにまつわるエトセトラ

英国人はチーズをどのように楽しんでいるのだろうか。英国産チーズとの付き合い方から、チーズにまつわるエピソードまでを集めてみた。

英国チーズの歴史

欧州の北部に位置し、温暖な気候と頻繁に降る雨によって牧草が育つ自然条件に恵まれている英国。牛乳を長期間保存するために生まれた同国のチーズづくりは、古代ローマ時代以前にさかのぼる。初期の製造元は農民や修道院などに限定的されていたが、時代の荒波に揉まれた結果、その生産方法などは著しく変化を遂げていった。

16世紀前半にヘンリー8世がアン・ブーリンと結婚するためにローマ・カトリック教会から分離し、修道院を閉鎖したことにより、同国のチーズ製造は大々的にストップしてしまい、英国のチーズ製造業は衰退の一途をたどる。17世紀ごろ、町の発展と人口増加に合わせた大規規生産を可能とした近代的なチーズづくりが復活したが、一方で職人たちによる小規模なチーズづくりは減少。20世紀に入ってからも第一次、第
二次世界大戦の被害を受け、再び安定して生産が始まったのは今からたった50年あまり前のこと。現在目にできる元祖英国チーズのチェシャーとランカシャーは、そんな負の圧力に耐えながらこの数世紀で洗練されていったものなのだ。

英国には現在750種を超えるチーズがあり、これはフランス産約400種のほぼ2倍にあたる。英国内のスーパーマーケットの棚に並ぶもの、日本に輸入されるものはこれらのほんの一部でしかない。チーズ専門店はもちろん、オンライン・ショップもたくさんあるので、ぜひお気に入りの一品を探してほしい。

第一次世界大戦中、仏人店主に「ミサのためにパンとバターとチーズをください」と尋ねる英准大尉第一次世界大戦中、仏人店主に「ミサのためにパンとバターとチーズをください」と尋ねる英准大尉

チーズは食後にいただくもの

日本や米国のレストランでは、前菜にチーズの盛り合わせが提供されることがあるが、フランスなど欧州の国ではデザート前、英国ではデザート後にチーズがサーブされることが普通。デザートを食べた後にチーズ、というのは数世紀前からの伝統で、英作家チャールズ・ディケンズの小説「マーティン・チャズルウィット」(1843年)でも食事の最後にセロリと一緒にチーズが提供されているくだりがある。昨今では「デザートの後に赤ワインを飲みたくない」と、チーズが出される順番に疑問を感じている英国人もおり、しばしば新聞のネタに上がるほど。ちなみに科学的にはチーズを食事の最後に食べることは良いとされており、人間は食事をすると口の中が中性から酸性に変わるので、チーズを食べることでアルカリ性に保ち、歯の酸化を防ぐのに活躍してくれるそう。

英国チーズは、ポート・ワイン、ブドウ、リンゴ、洋ナシ、セロリ、ピクルス、チャツネ、クラッカーなどを合わせて食べるのが定番だ。

ウイスキーとのペアリングも人気があるウイスキーとのペアリングも人気がある

スティルトンを食べると変な夢を見る

チャールズ・ディケンズの有名な小説「クリスマス・キャロル」のなかに、スクルージがチーズひとかけで知覚が狂ってしまう、と表現するシーンがある。そのエピソードから「寝る前にチーズを食べると悪夢を見る」という説が定着し、特に英国が誇るブルーチーズ、スティルトンを就寝前に食べると変な夢を見る、というまことしやかな説が有名だ。スティルトンを含む英国産のチーズを食べると良い夢、悪い夢を意図的に見ることができるのか、という夢の研究が2005年になされた。一言断っておくと、この研究は英国でチーズを宣伝する団体ブリティッシュ・チーズ・ボード(British Cheese Board)によるもので、巧妙なマーケティング手法の一つであったようだが、興味深い結果が出た。男女200人、7日間に渡る調査により、「スティルトンを食べると奇妙な夢、レッド・レスターでは学生時代などの過去、ブリティッシュ・ブリーを食べる女性はリラックスした情景、男性は謎めいた夢、ランカシャーは未来、チェダーは有名人のことを夢に見る割合が上がった」のだそう。就寝前のチーズがさまざまな夢を誘発し、より現実離れした面白い光景を見せてくれるということは事実のようだ。

寝る前のスティルトンで不思議な冒険に出てみ
てはいかがだろうか寝る前のスティルトンで不思議な冒険に出てみてはいかがだろうか

 

チーズを使った表現

英語にはチーズという言葉を応用した表現やことわざがある。その一部を紹介しよう。

To Cheese (someone) Off
誰かを怒らせたり、イライラさせたりすること

Cheese it!
やめろ! よせ! 相手に何かをやめるか、逃げるかを言うこと。19世紀に泥棒たちの間で使われていたスラング

Chalk and Cheese
見た目が似ているが、中身は全く異なる性質のもの

Tough/Hard/Stiff Cheese
苦難を受けている人に同情していない、相手のためにできることが何もないことを示すために投げかける言葉

Cheesy
安っぽい

Cheesy romance
感情的で安っぽくロマンティックすぎる、安っぽいラブソングにも使える。また、公共の場での過度なイチャつきや愛情表現など安っぽい男女間のやりとりを表す

Cheeze
お金。またはヴィーガン用チーズのこと

Cheeseparing
お金を使いたくない人、ケチケチした、しみったれた様子

 

大聖堂の街、Ely(イーリー)の歴史を知る - ロンドンから電車で1時15分

ロンドンから電車で1時15分
大聖堂の街、Ely(イーリー)の歴史を知る

ケンブリッジから北東約25キロメートルに位置するイーリー(Ely)。週末でも静かな雰囲気がただよう街だが、イングランドの長い歴史のなかでは大変重要な意味を持つ場所だ。今回はそんなイーリーの興味深いエピソードや街にまつわるストーリーを紹介し、実際に訪れることのできる観光スポットや食事処を併せて紹介。ロックダウンの規制がほぼ全面的に解除となった今、まるで中世にタイムスリップしたかのような気分が味わえるこの街へ出掛けてみてはいかがだろうか。(文: 英国ニュースダイジェスト編集部)

ロンドンからのアクセス:キングス・クロス駅、リヴァプール・ストリート駅、チャリング・クロス駅などからナショナル・レールで1時間15〜45分

参考:「Interpreting Ely Cathedral」Lynne Mary Broughton Ely Cathedral Publications、「The Stained Glass Museum: Highlights from the Collection」Jasmine Allen Scala Arts & Heritage Publishers Ltd、www.visitely.org.uk、www.elystandard.co.ukwww.britannica.com、www.historic-uk.com、https://univ.swu.ac.jp ほか

大聖堂の街、Ely(イーリー)の歴史を知る街のシンボル的存在のイーリー大聖堂。1342年に完成した高さ52メートルのオクタゴンと呼ばれる8角形の塔(写真)の美しさは必見だ

魅力たっぷりのElyってどんな街?

長い歴史を持つ街だけに、その魅力は計り知れないものがある。ここでは4つのキーワードを元にその一部を紹介する。

 

ここ無くしてイーリーは成り立たない
イーリー大聖堂
Ely Cathedral

数奇な運命をたどった創立者、エセルスリス

創立者のエセルスリス(Æthelthryth、英: Etheldreda、636〜689年)はイースト・アングリア王アンナの娘で、イングランド東部サフォーク州のエクスニングで生まれたアングロ・サクソン人と伝えられている。未亡人となったエセルリスは、655年ごろからイーリー島で隠居生活をスタート。現在は内陸部のイーリーだが、当時は沼地に囲まれた島で、ボートや土手道を使ってのアクセスに限定されていた地域であった。660年、エセルスリスはノーサンブリア王国のエグフリスと二度目の結婚。12年後、エセルスリスはエグフリスの元を去り、修道女として生きることを決め、673年に現在の大聖堂の元となる、男性、女性のどちらもが同じ規則に従う修道院、ダブル・モナステリ(double monastery)をイーリーに設立した。

ノルマン人によって作られたネイヴ(Nave)と呼ばれる身廊。天井はヴィクトリア時代にペイントされたノルマン人によって作られたネイヴ(Nave)と呼ばれる身廊。天井はヴィクトリア時代にペイントされた

エセルスリスは疫病で680年に亡くなったが、死後数多くの伝説が残されている。①亡くなって17年後に石棺を開けたところ、遺体は腐敗しておらず体を包んでいた布もきれいなままだった、②エセルスリスは一般的に聖オードリー(Saint Audrey)と呼ばれており、崇拝者の一人がこの名前で見本市を開いた。シルクとレースのネックレスを販売したが、品質はとても良いものではなかったため、Audreyからtawdry(安っぽい)という言葉の語源になった、③生前、高貴な身分でありながら、温かい湯船に浸かることもなく、修道院での生活は徹底して質素であった。エセルスリスの生涯は中世の作家の研究テーマとして頻繁に取り上げられた、などがある。

イーリー大聖堂の礎を築いたエセルスリスイーリー大聖堂の礎を築いたエセルスリス

何度滅ぼされても復活してきた結果……

673年に建てられ、970年に再建された当初の修道院は、1066年のノルマン征服、ヘリワード・ザ・ウェイクの反乱などで荒廃し、修繕に着手したのが1079年以降。ノルマン人に征服されたことで、再建に対する罰金、材料費用の捻出など、莫大な費用がかかり、当時の修道院長シオメンは頭を悩ませることになる。最終的にシオメンは当時のウィンチェスター大聖堂の司教であった実の兄弟をあたり、設計のスケジュールや資金繰りに奔走した。13世紀末には大聖堂がほぼ完成し、大聖堂の中央にあるオクタゴン・タワーや聖母礼拝堂など数々の建物の再建を進め、14世紀末にはほぼ現在に見られるような壮大な建物が復活。300年にわたる気の遠くなるような事業だった。ところが16世紀、ヘンリー8世の宗教改革によって再び困難な時代に突入する。現在見られる大聖堂はかろうじて残されたものの、「使う目的がない」と判断された聖職者用の食堂や寝泊まりに使っていた場所は再び破壊されてしまった。

復興の道すじが見えたのは、チャールズ2世が在位した17世紀。しかし過去の破壊行為で、建設にまつわる重要な記録が残っておらず、修繕には再び莫大な時間を費やすことになり、19世紀中ごろにようやく大方の修繕が終わった。何世紀にもわたって破壊と修繕が繰り返された一連の建物は、イングランド・ゴシック様式、ロマネスク様式など、さまざまな時代の様式が詰まった見ごたえのある建物群となった。

近付いてみるとその大きさに圧倒される近付いてみるとその大きさに圧倒される

Ely Cathedral

Chapter House, The College, Ely CB7 4DL 
Tel: 01353 667735
月〜土 10:00-16:00 
日 12:30-15:30 
£8(+ステンドグラス博物館 £12.50)
www.elycathedral.org

大聖堂内でインスタレーション「ガイア」が開催中(7月31日まで)

イーリー大聖堂にて、英国を代表するアーティストの一人、ルーク・ジェラム氏のインスタレーション「ガイア」が期間限定で展示されている。空中に浮かぶ地球を模した直径7メートルの球体は圧巻。チケットは大聖堂の入場料に含まれるので、機会があればぜひ訪れてみてほしい。2021年7月31日(土)まで。

Luke Jerram

大聖堂に併設する隠れた名所
ステンドグラス博物館
The Stained Glass Museum

大聖堂に入って右手に、中世から現代にかけてステンドグラスがたどってきた歴史やその技術を伝えるステンドグラス博物館がある。同大聖堂にかつてはめ込まれていたステンドグラス、ウィンチェスター大聖堂のものなど、約800年以上に渡るコレクションが並び、技術の発展や最新アーティストの作品紹介など、ステンドグラスにまつわるエトセトラを知ることができる。ステンドグラス=宗教建築のデコレーションの一つ、というイメージが一般的だが、材料や光の引き込み方などは今もなお研究されており、実は発展途上のアートなのだ。小さな博物館ながら国内外でも非常に有名で、訪れる価値がある。

フレデリック・アシュウィン作「最終日の夜明け」フレデリック・アシュウィン作「最終日の夜明け」

The Stained Glass Museum

Ely Cathedral, Ely CB7 4DL 
Tel: 01353 660347 
火〜土 10:00-15:30
£4.50(+イーリー大聖堂 £12.50) 
https://stainedglassmuseum.com

 

実は「良い人」? イーリーに住んでいた
オリヴァー・クロムウェル
Oliver Cromwell

イングランドの政治家、軍事指導者のオリヴァー・クロムウェルはイーリーに住んでいた時期があった。現在観光案内所となっている場所がそこで、1636年から約10年間、自身の母親、妻のエリザベスと子どもたちと暮らしていた。クロムウェルはイングランドの歴史において重要な人物だが、その評価は賛否両論で評価が分かれる。イーリーに住む住民にとっては概ね「良い人」だという。

オリヴァー・クロムウェルの家。チケットは1階の観光案内所で購入しようオリヴァー・クロムウェルの家。チケットは1階の観光案内所で購入しよう

イングランド内戦が起こった17世紀半ば、クロムウェル率いるコモンウェルスは当時、教会を破壊し、その資源を売却して病人や飢餓に苦しむ子どもたちを助ける資金に充てていた。当然大聖堂もその運命をたどるはずだったが、約100年前の宗教革命の折にすでに破壊されていたため、それ以上の制裁は加えず放置した。この決定はクロムウェル自身の宗教建築に対するある程度の無関心さが要因とされているが、いずれにせよ大聖堂は致命的な損傷を受けることなく、ほかの地域で重要文化財が多く取り壊されていたこの残酷な時期を乗り切ることができた。

クロムウェル家のキッチンの様子クロムウェル家のキッチンの様子

現在この建物はオリヴァー・クロムウェルの家として一般公開されている。クロムウェル夫人が使ったキッチンや家庭生活の様子が再現され、政治家としてではなく父親であり夫である一人の男性としての側面を強調した展示となっている。展示の最後の部屋は不気味なほど真っ暗で、幽霊が出るという噂もあるらしい。

Oliver Cromwell's House

29 St Mary's Street, Ely CB7 4HF
Tel: 01353 662062
10:00-17:00(11〜3月 11:00-16:00) 
£5.20
www.olivercromwellshouse.co.uk

 

貨幣にもなった重要な特産品
ウナギ
Eel

棒の先頭にこの道具を付け、水中のウナギを地上から狙った(イーリー博物館蔵)棒の先頭にこの道具を付け、水中のウナギを地上から狙った(イーリー博物館蔵)

かつて沼地に浮かぶ島であったイーリーは、17世紀に排水事業が行われるまでウナギがよく獲れる場所としても有名で、ウナギを捕獲するイール・キャッチャーという職業が存在し、各々の仕掛けでウナギを取っていた。捕まえたウナギは食用のほか、通貨、税の支払いなどさまざまな目的に使われ、イーリー大聖堂の修繕に必要だった大量の石材も、1年で8000匹というウナギ取引で賄ったという。また、オリヴァー・クロムウェルの妻エリザベスもウナギを捌き、シチューの具材やイールとオイスターのパイなどを作っていたそうだ。Ely Museumちなみに、街名のイーリー(Ely)とウナギ(Eel)の発音が似ているため、ウナギが命名に絡んでいるという説もあるが、定かではない。

毎年5月には「イーリー・イール・デイ」(Ely Eel Day)と呼ばれるイベントが開催されており、ウナギ投げ大会やウナギ料理が食べられる1日になっている。ウナギが常時楽しめるレストランは少ないが、ザ・オールド・ファイアー・エンジン・ハウスでは燻製のウナギを提供。また、観光案内所ではイーリーズ・イール・ブリュー(2.99ポンド)というエール・ビールを販売している。

Ely Museum Ely Museum

The Old Gaol, Market Street, Ely CB7 4LS
Tel: 01353 666655
火〜土 10:30-17:00 日 12:00-17:00 
£5.50
www.elymuseum.org.uk

The Old Fire Engine House The Old Fire Engine House

25 St Mary's Street, Ely CB7 4ER
Tel: 01353 662582
営業時間はサイトを参照
www.theoldfireenginehouse.co.uk

 

伝統の一戦、ケンブリッジ大学の練習場
ボート
Boat

毎年ロンドンのテムズ川で開催される、名門校オックスフォード大学とケンブリッジ大学のボート・レース。ケンブリッジの学生が、本格的にボートの練習ができる場所として活動拠点を置いているのがイーリーだ。

2021年4月4日に開催された第166回男子ボート・レースと第75回女子ボート・レースは、新型コロナウイルスによるアマチュア・イベント開催の制限と、現在工事中のハマースミス橋の安全性を考慮し、イーリーのグレート・ウーズ川で開催されることに。これは1944年にイーリーで同レースが開催されて以来のことで、当日はテレビ中継でファンたちを楽しませ、男女ともにケンブリッジ大学が勝利した。

4月にイーリーで行われた伝統の一戦4月にイーリーで行われた伝統の一戦

グレート・ウーズ川は昔から人や荷物の移動に使われ、周辺地域の排水を引き込む主要な川としても重要な河川だった。先史時代は海までまっすぐに流れていたものの、人間が生活するようになってからは洪水が起こるたびに流水量が変動し、定期的にルートを変更する動的な河川だったという。また、この川はカム川の一部が合流しており、イーリーとケンブリッジ間の荷物や人の移動に使われていた。今でこそ電車で20分程度だが、ボートでの移動は約6時間と長旅だった。

建物がかわいすぎる!
歴史的な雰囲気たっぷりのイーリーを散策

駅から歩いて数分で街の中心部に到着する。イーリー大聖堂のそばには緑豊かな公園が広がり、草を食む牛ののんびりした姿が見える。こぢんまりとした街の朝はとてもスロー。都会の喧騒から離れるためにこの地を訪れ、夜には恋しくなって戻る、そんな週末旅にぴったりの場所だ。

ローカルの気分を味わうならココ
The Prince Albert

小径にひっそりとたたずむ、白と緑のレトロな外観が印象的なパブ。室内は昔ながらのパブの雰囲気がただよう。屋外にはテントのような屋根つきの庭があり、風を感じながらビールのジョッキを傾けるのは、さながらビア・ガーデンのよう。定期的に入れ替わるカスク・エールを味わいに、地元の家族連れや熟年夫婦などがひっきりなしに訪れる。

62 Silver Street, Ely CB7 4JF 
Tel: 01353 663494 
月~土 11:00-23:00 日 12:00-22:30 
www.facebook.com/PrinceAlbertEly

The Prince Albert

ロマンティックなティー・ルーム
Peacocks Tearoom and A Fine B&B

おとぎ話から飛び出してきたかのようにかわいらしいティー・ルーム。紅茶の品ぞろえは豊富で、ブラック・ティーだけでも50種を超える。軽食やアフタヌーン・ティーが楽しめる。室内は外観から想像できないほど入り組んだ構造になっており、カントリー風の装飾が施されている。中庭もあり、つい長居したくなってしまうほど居心地の良い場所だ。2階にはB&Bもある。

65 Waterside, Ely CB7 4AU 
Tel: 01353 661100 
火~日 10:30-17:00(9~6月は火定休) 
www.peacockstearoom.co.uk

The Prince Albert

The Prince Albert

パン好きは早朝に訪れて!
Grain Culture

焼きたてのパンやコーヒー、地元で採れた野菜や卵、世界各国の選りすぐりの輸入食品を扱うショップのあるパン屋で、健康意識の高い若い世代御用達の人気店。自慢はイースト発酵させた自家製ヴィエノワズリーで、昼前には売り切れになってしまうほど人気なのだとか。店内は2名ほどが利用できる飲食スペースがあるが、目の前に公園があるのでテイクアウェイでピクニック気分を味わうのもいい。

30 St Mary's Street, Ely CB7 4ES 
火~土 8:00-17:00
www.grainculture.co.uk

Grain Culture

川のそばで夕涼みを楽しめるパブ
The Cutter Inn

街の南側を流れるグレート・ウーズ川のほとりにたたずむパブ。フィッシュ&チップス、ソーセージ&マッシュなどのメインから、デザートのホームメイドのレモン・ポセットまで、英国らしい定番のメニューがそろう。日曜のサンデー・ローストも人気。テラス席が豊富にあるので、短い夏の夕暮れどきにぜひ利用してみたい。

42 Annesdale, Ely CB7 4BN
Tel: 01353 662713
月~木 12:00-22:00 金・土 12:00-23:00 
日 12:00-20:00
www.thecutterinn.co.uk/coming-soon

The Cutter Inn

出会って心がときめいたら迷わず購入!
Ely Markets

11世紀に始まった由緒正しき屋外マーケット。新鮮な野菜やペストリーなどフード・ストールもあるが、1番の魅力はヴィンテージ品やここでしか購入できない手作りのアイテム。特にヴィンテージはレコード、家具、装飾品、食器などさまざまなものがあり、時間を忘れてつい物色してしまう。朝から活気にあふれ、見ているだけで元気がもらえる場所だ。

Market Place, Ely CB7 4NT
木~土 8:30-15:30
(ファーマーズ・マーケット 第2・4の土曜)
日 10:00-16:00
www.elymarkets.co.uk

Ely Markets

優しいスタッフがお出迎え
観光案内所

オリヴァー・クロムウェル博物館併設の観光案内所の一角でお土産が購入できる。ウナギの項目で紹介した観光案内所限定のビール、地元で作られたお菓子やジャム、オリヴァー・クロムウェルにちなんだグッズなど、一風変わったイーリー限定の商品が見つかる。

Oliver Cromwell's House,
29 St Mary's Street, Ely CB7 4HF
Tel: 01353 662062
10:00-17:00(11~3月 11:00-16:00)
www.olivercromwellshouse.co.uk

Ely Markets

秘密の倉庫感で大人もワクワク
Waterside Antiques

1760年代後半の建物を利用した巨大なアンティーク・センター。65を超えるブースがあり、フィギュアや食器、ジュエリー、家具などさまざまなものが販売されている。各店のオーナーたちがセンター内を徘徊しているので、気になる商品があれば気軽に声をかけてみよう。雑多に置かれた商品の中から掘り出し物が見つかるかもしれない。

55a - 55b Waterside, Ely, CB7 4AU
Tel: 01353 667066
月〜土 9:30-17:30 日 11:00-17:00
www.watersideantiques.co.uk

Waterside Antiques

 
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