女は三歩下がって夫を立てる……、そんなイメージの強い日本の政治家の妻たち。しかし、ここ英国は彼女たちの存在こそが、どんな優れた政策よりも世にアピールすることがある。「英国の女たち」シリーズ第2回となる今回は、時にその美貌で、時にその聡明さで、政界の一翼を担う個性的な「政治家の妻たち」をピックアップ。自らが表舞台に立つ女性政治家たちも合わせてご紹介します。
(本誌編集部: 村上祥子)

「カーラ・ブルーニ、ファッション外交で英国を魅了」……。今年3月、サルコジ仏大統領が英国を訪問した際、世間の注目を集めたのはブラウン首相でもサルコジ大統領でも、はたまた外交政策でもなく、有名ブランドに身を固めたカーラ・ブルーニ新仏大統領夫人の華麗な姿だった。いまや妻によって夫の政治家生命が左右される時代になったのかもしれない!?
1963年生まれ バッキンガムシャー出身
夫: ゴードン・ブラウン (英国首相)
よく見るとなかなか整った顔なのに、旦那さま同様、イマイチ「地味」なイメージが抜けきれないサラ・ブラウンさん。しかし、サラさんの「政治家の妻」としての強みは、外見以外のところにある。
結婚と同時に経営していたPR会社を辞め、夫のサポートに専念。チャリティー活動に熱心なところといい、おしとやかなイメージが強いサラさんだが、ブリストル大学在籍中には、「ザ・トレンディーズ」という「過激派」集団の中心人物として活躍。パーティーでは自身の体を金色に塗りたくったというから、そのおとなしい外見の内には燃えたぎる情熱が隠されているに違いない。
結婚に至るまでの道程は一筋縄ではいかなかった。30歳を過ぎてから仕事を介してブラウン首相と知り合い、お付き合いをすることになったサラさん。しかし何事にも慎重なブラウン首相は、付き合いは極秘、結婚を決意するまでにも数年を要したという。
結婚した後も苦難の道は続く。念願かなって生まれた女児、ジェニファー・ジェーンちゃんは生後わずか10日で早世。2003年には長男のジョン君、06年には次男のジェームズ・フレイザー君が誕生するが、次男は遺伝性疾患の嚢胞性線維症(のうほうせいせんいしょう)であることが判明。サラさんは喜びと悲しみを行ったり来たりの人生を送ることになる。
しかし、ここでめげないのがサラさんの強いところ。耐えの人生で培った根性で、夫が首相の座に付くまでの10年間を静かに乗り切り、いまや首相夫人の座に収まった。
外見の美しさだけでは、飽きられるのも早いもの。数年後、誰より強く、したたかに政界を生き抜いているのは、ひょっとしたらサラさんのような女性なのかもしれない。
1971年生まれ ノース・リンカーンシャー出身
夫:デービッド・キャメロン(保守党党首)
エレガントながらカジュアルさを忘れないファッションに身を包み、高級文具店スマイソン、ボンド・ストリート店のクリエイティブ・ディレクターでありながら良妻賢母の雰囲気を程よく漂わせている、バランス感覚に優れたサマンサさん。2007年10月に行われた保守党の年次党大会では、夫の姿をつぶらな瞳で見つめる、少女マンガの主人公のような姿がメディアに注目された。
夫同様、良いところ出のお嬢さまで、父は大地主のレジナルド・シェフィールド卿。英北東部のリンカーンシャーに位置する約120万平方メートルもの広大な屋敷で育った。キャメロン氏と出会ったのは、10代のとき。キャメロン氏の妹が親友なのがきっかけだったとか。良家同士が脈々とつながっていく典型的パターンである。
その一方で、ブリストル・ポリテクニック在学中にはヒップ・ホップ・シンガーのTrickyとビリヤードに興じ、足首にはイルカの刺青を施すというワイルドな一面も。夜な夜なナイトクラブに通いまくっている割りには清潔なイメージのあるウィリアム王子のガールフレンド、ケイト・ミドルトンさんに通じるものがあると言えなくもないかも。
以前、「私はデイヴ(デービッド)に『何をどう言え』とは言わないわ。ただ彼のためにここにいたい、それだけなの」などと殊勝なことを言ったことがあるが、ある意味、夫のやることに積極的に口を出していたブレア元首相夫人、シェリーさんに対する強烈な嫌味ととれないこともない。あまり敵には回したくないタイプだ。
ちなみに彼女の曾曾曾曾曾曾曾曾祖母はスチュアート朝時代の英国国王、チャールズ2世を魅了した寵姫、ネル・グウィンとも言われている。やっぱり手強そう……。
Miriam Gonzalez Durantez
生年月日不明(39歳)スペイン出身
夫: ニック・クレッグ (自由民主党党首)
昨年12月、40歳という史上最年少で政党党首となったニック・クレッグ自由民主党党首。キャメロン保守党党首とヒュー・グラントを足して2で割ったような爽やかな風貌のクレッグ氏の妻、ミリアム・ゴンザレス・デュランテスさんは、これまた漆黒の髪にエキゾチックな雰囲気が魅力的なスペイン出身の国際弁護士だ。
外務省で中東和平問題の専門家として活躍、現在は多国籍法律事務所ディーエルエー・パイパーで国際貿易部門の責任者として活躍している才媛。第一子をもうけた際には、長めの育児休暇を取ったクレッグ氏よりも早く職場に復帰したとかしないとか。弁護士という職業、夫婦別姓で通す姿勢、どことなくトニー・ブレア元首相の妻、シェリーさんを彷彿とさせるバイタリティ溢れる女性だ。
一流のキャリアウーマンにして2人の子持ち、しかも美人。すべてを兼ね備えているように思えるミリアムさん。唯一の心配事は、クレッグ氏が3月、「GQ」誌のインタビューに語った「これまでに寝たことのある女性の数は、たったの30人」発言か。浮気をしたことはあるかと聞かれ、「もちろん、そうでないことを願っているよ」とヌケヌケと答えたクレッグ氏。どんな才媛でも、夫の浮気ばかりはどうにもならない!?
1969年生まれ スコットランド出身
夫: エド・ボールズ(児童・学校・家庭相)役職: 財務相主席担当官

美人とは言えないかもしれないが、真ん丸の顔に愛嬌のある笑顔がキュートなイベット・クーパー。しかしその外見にだまされてはいけない。彼女こそ女性初の財務省主席担当官にして、ブラウン首相の右腕であるエド・ボールズ児童・学校・家庭相の妻という、「政治家の妻」兼「女性政治家」、いわばバリバリの「政界の女」なのである。
名門オックスフォード大学でPPE(哲学・政治学、経済学)を学んだイベットさん。学位取得後は、ケネディ奨学金を得て米ハーバード大学へ。最終的にはロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)で経済学の修士号(MSc)を取得したという、まさに「一つくらい分けてくれ」と言いたくなるようなご立派な学歴の持ち主である。
「ウェストミンスターのゴールデン・カップル」とも言われるボールズ・クーパー夫妻。結婚は1998年、現在は1男2女のお母さんでもある。出身大学、専攻、留学先が一緒、ともにジャーナリスト出身(イベットさんは「インディペンデント」紙、エド氏は「フィナンシャル・タイムズ」紙)、そして選挙区はウェスト・ヨークシャー州内のお隣同士。ソックリな経歴に加えて、これまた夫婦揃っていつでも楽しそうなえびす顔。似たもの同士のエリート・カップル、このままどこまでも仲良く政界を突っ走っていってもらいたいものである。
1954年生まれ グレート・マンチェスター出身
(仕事時には旧姓シェリー・ブースを使用)
夫: トニー・ブレア(元英国首相)
勅撰弁護士にして、政治にも積極的に口を出す、トニー・ブレア元首相夫人のシェリーさん。普通ならちょっと敬遠したくなるタイプだが、どうも憎めないのは、その天然ぶりゆえであろう。
シェリーさんのオトボケ列伝は、1997年、労働党が総選挙で勝利を収めた翌日から始まる。自宅に送られた花束を受け取りに、ボサボサ髪にパジャマ姿でご登場。張っていた報道陣を喜ばせた。その数年後には、ロンドン地下鉄で移動時にチケット不所持で御用。トドメは2006年9月、ブレア首相の進退問題が話題になっていた最中に、次期首相候補ブラウン財務相(当時)が行った首相称賛のスピーチを聞いて一言、「嘘つき」……。
長年、首相夫人の座にいたにもかかわらず、褪せることのなかったこの天真爛漫さ。「女は愛嬌」を体現している女性だ。
Clementine Churchill
1885~1977年 ロンドン出身
Credit: IWM

強烈な個性と圧倒的な指導力で、戦時中の英国を率いた名首相、ウィンストン・チャーチル。そんな夫を影で支え続けた妻、クレメンタインさんには、古き良き英国人女性のしなやかな強さがあった。
伯爵家ゆかりのお嬢様と、名門宰相のカップル。順調満帆の人生のようにも思えるが、毒舌家で躁うつ病の気があったチャーチル、そんな夫とともにあった彼女の日々は、時に波乱に満ちたものであったろう。しかし彼女の人生が幸せなものであったことは、結婚30周年目にチャーチルが語った言葉から覗える。いわく、妻には2つの欠点がある。「プロポーズをすぐに了承した軽率さ」と「30年間、こんな私に黙ってついてきた愚かさ」だ、と。ひねくれものの英国人らしい、妻への感謝と愛情に満ちた言葉から、彼がいかにクレメンタインの変わらぬ献身に救われていたかがよく分かる。
1915~2003年 ロンドン出身

どんな妻よりも妻らしく、英国初の女性首相を温かく包み込んだ「ファースト・ジェントルマン」。
ジン・トニックをこよなく愛し、メディアの前では妻を「ボス」と呼ぶ。サッチャー家では誰がズボンを履くのかと聞かれた時には「僕さ。そして僕が洗って僕がアイロンをかける」と答えた、英国的ユーモアに溢れた人柄は人々に愛され、サッチャー元首相のイメージアップにもつながった。
デニスさんが亡くなったとき、元首相はこう言ったという。「首相とは孤独なもの。でもデニスがいれば、私は決して一人ではなかった。なんという男性、なんという夫、なんという友だったのでしょう」。表舞台にはほとんど出ることのなかったデニスさん。しかし元首相にとって彼は、光に寄り添う影として、かけがえのない存在だったのだろう。

「9対8」。この比率が何を示しているか、お分かりだろうか。実はこの数字、つい先日発表された、スペイン内閣における女男比の割合なのである。このほか、フィンランドが12対8、ノルウェーが10対8と、欧州における女性政治家の躍進には目覚ましいものがある。ここでは過去・現在・未来における英国政治の舞台で活躍する、女性政治家たちの姿を追ってみよう。
1946年生まれ バーミンガム出身

英国のイラク戦争参戦に徹底反対、政府が国連で盗聴している事実を暴露して話題になった「情熱の女闘士」。真一文字に結ばれた唇からも、その意志の強さがうかがえる。
なにしろこの人の信念の貫き方は半端じゃない。17歳のときに未婚の母となり、翌年に結婚するもすぐに離婚。生まれた子どもは養子に出した。1983年に労働党員として下院議員に当選以来、初代国際開発相に任命されるなど出世街道をひた走ったが、その間も2度、影の内閣時代に党の方針に反対して職を辞している。
2003年には、政府が国連決議を経ずにイラク戦争に参戦したことに対し、閣僚を辞任すると息巻くも、このときにはなぜか態度を保留。しかし、いつまでも煮え切らないブレア首相(当時)に業を煮やし、結局は内閣を去る。
そして極めつけがこれ。04年2月、クレアさんはBBCのラジオ番組内で、英国のスパイがコフィ・アナン国連事務総長(当時)の会話を盗聴していると暴露した。「売国奴」などと批判する声が各方面から聞かれたが、当の彼女はどこ吹く風。どこまでも肝の据わった女性である。
そんな女闘士も06年には次期選挙への不出馬を表明。これで静かな余生を……と思ったら大間違い。何と元同僚、故モー・モーラム議員の夫、ジョン・ノートン氏との交際が発覚したのだ。某雑誌のインタビューで「恋に落ちた」事実を認め、「人生って美しい」とその喜びを語ったクレアさん。生涯現役、仕事にも恋にも全力投球。これぞ情熱の女闘士の生きる姿なのだ。
1925年生まれ リンカーンシャー出身

「鉄の女」「牛乳泥棒」「英国で最も不人気な女性」……。サッチャーほど、英国政治史においてその評価が分かれる人物もいない。一つ確かなことは、82歳を過ぎた今もなお、凛とした美しさを保つこの英国初の女性首相が、人並み外れた決断力と統率力で戦後英国をまとめあげたピカイチの「政界の女」であるということだろう。
1959年にフィンチリー区の下院議員に選出され、政界入り。そして79年総選挙で保守党を勝利に導き、女性初の英国首相の座に就く。後に「サッチャリズム」と呼ばれる新自由主義を掲げ、国有企業の民営化や、大規模な教育改革を断行。教育分野では、高等教育の大衆化に尽力し、自らの出身校、オックスフォード大学の特権意識をも打ち砕き、同校が歴代首相に贈る名誉博士号も、彼女にだけは授与されなかった。
そんな女傑サッチャーも、やはり人の子、完璧な人間ではなかった。国を厳しく育て上げた彼女も、自らの子どもには甘かったのだ。溺愛していた双子の長男マークが20代の頃、カーレースに出場中にサハラ砂漠で行方不明になった際には初めてメディアの前で涙し、2億円もの費用を投じて多国籍捜索部隊を結成、居場所を突き止めた。また彼が2004年、赤道ギニアのクーデター支援の容疑で南アフリカで逮捕された際には、約3400万円をさくっと支払って保釈手続き。翌年には同地の裁判所と司法取引をして執行猶予つきの判決をもぎとった。
英国政治史に燦然と輝く女性首相の親バカな一面。意外な人間らしさにホッとする一方で、どこまでも鉄の女であり続けて欲しいと思うのは、勝手な願いだろうか……。
1950年生まれ ロンドン出身
王璽尚書、労働党幹事長、労働党副党首

日本の大企業のサラリーマン並に肩書きがズラズラ長いハリエット・ハーマン。2007年6月、労働党副党首選で予想外の勝利を収めたはいいが、同年11月、同選がらみで不動産開発業者から他人名義で5000ポンドの献金を受け取ったことが発覚。また今年4月初旬には、ガッチガチの防弾チョッキを着て地元ペッカム地区を視察している姿を各紙が報道。「ウチの近辺はそんなに危険な場所なのかい」と地元民からの嘲笑を受け、一時はすわ、政治家生命の危機かと思われた。しかしここで彼女は起死回生の一打を放つ。
下院のクエスチョン・タイムでウィリアム・ハーグ保守党議員に「(視察に防弾チョッキなら)閣僚会議に行くときは道化師の格好をするのかな」と皮肉られた際に、以前、同議員が自身の名前を刺繍した野球帽を被っていたネタを引っ張り出し、「服装を相談するとしたら、野球帽を被った男にだけは勘弁だわ」と切り返し、一気に形勢逆転を成し遂げた。
生真面目なハーマンが、土壇場にきて芽生えさせた鋭いユーモアのセンス。これなら皮肉王国、英国の政界で、まだまだ生き残れるかもしれない。
1989年生まれ ロンドン出身

まだ「女性政治家」ではないが、将来有望な「女性政治家」の卵を一人。彼女の名はエミリー・ベン。そう、昨年秋に総選挙が囁かれていたときに17歳で労働党の下院選立候補者に選ばれ、世間の注目を集めた女子高生である。
エミリーは1989年、元下院議員トニー・ベンの長男、スティーブンの長女として生まれた。ちなみに叔父はヒラリー・ベン環境・食糧・農村問題相。過去4代にわたって政治家を輩出してきた、名門ベン家、期待のホープなのだ。
エミリーいわく、政治の世界に初めて足を踏み入れたのは2歳のとき。祖父の選挙運動に加わったのが最初だったとか。その後、14歳で労働党員に。昨年秋には結局、総選挙は行われなかったが、現在も2010年6月までに予定されている総選挙への参加の意志はマンマン。この選挙で当選を果たせば、最年少記録(21歳170日)を更新することになる。
ちなみに最近、オックスフォード大学への入学が決まった。専攻は歴史と政治。祖父や叔父の背中を幼い頃から見つめ続けてきた彼女の純粋な瞳は、どこまでもまっすぐ、女性政治家である将来の自分の姿を追っている。



在留届は提出しましたか?












視覚に訴えるものは、心にも訴える──ビジュアルを重視した舞台デザインに定評のあるシアター・カンパニー「Fevered Sleep」による、「光」に焦点を当てた3、4歳向けの劇。この作品は、いうなればこれまでの作品群の「いいとこ取り」だ。生演奏の音楽に合わせて、美しい照明やちびっ子たちの想像をかきたてる舞台装置や演出が惜しみなく披露される。さあ、柔らかくって温かい、光で作られた空間に飛びこんでみよう。
1軒のレストランを舞台に、父親、息子、孫という親子3代にわたる男たちの物語を描いたダーク・コメディー。そしてこの物語が演じられるのは元ピザ屋という、なんともストーリーにぴったりの空間だ。自分のルーツは何なのか。自分は今、住んでいる場所に馴染んでいるのか。なぜ皆そんなに不安そうに生きているのか。なぜ、皆はじっとしていられずに移動し続けるのか……。笑いの裏に潜む、現代社会に生きる男たちの生の声と疑問に耳を傾けよう。
デジタル映像が織り成すバーチャル世界で、官能的に、グロテスクに、非現実的な突然変異を繰り返す1人の人間。ダンスとインスタレーションが見事に溶け合ったこの作品は、ダンス・カンパニー「Chunky Monkey」と、ビデオ・トラッキング・システムの開発者とのコラボレーションによって実現した。体の動きを光や模様に変えるシステムの手にかかれば、ダンサーは瞬く間に異生物に変身。幻覚を見ているような錯覚さえ起こすこの視覚効果に備わった、現実世界からの束縛を解く力を体験しよう。
アンドリュー・デイビス(写真)による指揮のもと、フィルハーモニア管弦楽団が死、誕生、愛、そして救いという普遍のテーマを音に託し、人間であるがゆえの疑問を考察する。演目はエレクトロ・アコースティックな作品を多く発表する前衛的な作曲家、ジョナサン・ハーヴィーの「Tranquil Abiding」と、死者へ向けた哀歌と復活をテーマにしたマーラーの交響曲第2番 「Resurrection Symphony」。
約70年前ブライトン・ドームでは、1936にも及ぶ手作りのパイプから成るパイプオルガンが目玉であった。そしてそれを再現しようと考えたのが、ベルリン出身のロバート・リポックだ。エレクトロニカの第一人者として活躍する彼は、なんと3000ものパイプを使用したオルガンに挑戦。さらに、 オーストラリアで前衛的な音楽を発信するトリオ「The Necks」も参加、リポックと共にオルガンで「まさか」の冒険に出る。
フランス人劇作家のカロン・ド・ボーマルシェによる風刺的な戯曲にモーツァルトが作曲したオペラ「フィガロの結婚」を、クラシカルな作品を大胆に改作することで有名な「アルモニコ・コンソート」が上演する。封建貴族に仕える家臣フィガロの結婚式をめぐる事件を描く、というのがオリジナルのストーリー。貴族を痛烈に批判したスキャンダラスな内容のため、当時は上演禁止になることも度々あったというこの物語が、今回は舞台が18世紀から1950年代に移されて展開するという。
フェスティバルの初日を飾るのは、英国の小学校70校と地域コミュニティーたちがそれぞれ1年間かけて計画したという、キッズが主役のパレード。今年で開催18年目を迎えるこの行進では、毎年4000人もの子どもや保護者たちが参加し、思い思いのクリエイティビティーを発揮している。
英国のデジタルアート・グループ「ブラスト・セオリー」による、観客に現実とバーチャル世界で同時進行するゲームに参加してもらうという、一風変わったパフォーマンス。モバイル機能を使用したハイテクなワイヤレス・ゲームを、なんと自転車で町を走りながら体験できるという。自慢の愛チャリを持参するも良し、会場で借りるも良し、ゲーム機とヘッドセットを着用したら、それが物語の幕開けだ。



正式にはNational Identity Management Systemと呼ばれる、通称「IDカード計画」。従来の身分証明書とは違い、個人情報を電子化しコンピューターに登録、政府が管理するシステムと連結させるというもの。NIRには住所氏名はもちろん、警察との接触歴など50カテゴリーもの個人データが保存され、常にアップデートされる。カードには指紋・顔写真などの生体認証が付けられ、身元確認とともに、NIRに保管されている個人データの照会が可能に。建物の出入りや交通機関の利用など、生活のあらゆる場面で対応スキャナーが導入され、エントリー記録がデータベースに保管されることも考えられる。NIRはさらに、内務省に許可された外部機関とのデータシェアが認められており、運転記録や診察記録といった他データへのアクセスも、当人の許可なしで行うことが可能になる。
最低限のコストとして、政府は5.8兆ポンド(約1300兆円)を算出。一方、ロンドン・スクール・オブ・エコノミックス(LSE)が出した見積もり額は、それを遥かに上回る28兆ポンド(約5300兆円)であった。これはカード解析ソフトに対応するコンピューター・システムを、政府の各部署に導入するコストを見据えた結果だ。結果的に加算される税金は、現在、国民一人当たり200ポンドと見積もられている。
英国の人口は約6000万人。この莫大な人数からデータを収集するのは並大抵ではない。まずは登録を促すシステムと、登録所の確保が必要だ。そこで、アイデンティティ・アンド・パスポート・サービスの管轄下、身元偽造を防止する目的で、パスポート申請の際に質問と指紋採取などを行う、通称「Interrogation Centre」の設置が開始された。イングランド東部に位置する街、ノーウィッチを皮切りに全国69カ所に設置予定で、運転免許証を取得する場合にも同じようなシステムを導入することが検討されている。
ガタカ(1997年)
ドラマ「The Last Enemy」
プロフィール 





Mottisfont Abbey
Nymans Garden


Montacute House




英国ナショナル・トラスト(The National Trust)は、1895年に設立された民間のチャリティー組織です。イングランド、ウェールズ、北アイルランドに270平方キロを超える美しい田園地帯と、960キロもの長さを誇る、自然のありのままの姿を残す海岸線、300カ所以上の歴史的建造物と230以上の庭園といったプロパティ(保存地)を保有・公開しています。これらはすべて会員や市民の手によるボランティアによって守られています。
ティー・ルームと並んで、ナショナル・トラストの大きなプロパティには必ずショップがあります。店内には、その地方独自の工芸品や、ファームの羊毛で作ったピクニック用のカーペット、センスの良いナショナル・トラストのブランド製品などが並んでいます。それらの商品はどれも観光地の定番土産品とは全く一線を画するもの。その証拠に、地元の人々はバースデーやクリスマスのプレゼントとして、ナショナル・トラストの商品を選ぶ光景がよく見られます。
英国ナショナル・トラスト日本人会とは













味、ボリューム、店の雰囲気。どれをとっても大満足のベジタリアン・レストラン
ティー・タイムもお薦めな、ブライトン生まれのベジタリアン・レストラン
海辺の街で本格的なシーフードを味わいたいならここ!
動物皮革不使用が自慢のシューズ・ ショップ。値段も50~80ポンドとお手頃
まずはここで情報収集を。電話でブライトン行きの格安列車チケットも購入可能。







赤タスキが目印、シャンパンの 代名詞
藤田嗣治が設計のかわいらしいチャペル
ドンペリで有名なモエ・シャンドン社
フランス最高職人のチョコ!

中央には温泉水を飲める噴泉がふたつあり、旅行者や地元っ子を癒す憩いの場となっている。コップを忘れたので手ですくって飲もうとしたが、水温はなんと52.8度。かなり熱いので、すくうのにひと苦労である。1ユーロ払えば、同じ建物内にある観光案内所でコップを入手出来ると聞いたので行ってみると、残念ながら売り切れとのことだった。
エリーゼンブルンネン
創業1890年の老舗カフェ。さまざまな形のプリンテンが楽しめる

ドイツで初めて世界遺産に登録された大聖堂
グラヌス(Granus)


The Beatles ビートルズ 


White Riot (1977)

04年には約20年の時を経てDVD化された。ダイアナ妃(当時)やフレディ・マーキュリーなど、今はなき人々の姿も記録されている




スミス京子
エスペン・クルカグ 
異なる試験にはそれぞれの傾向と対策があるが、どの試験を受けるにしても共通して覚えておきたい大事なことがある。この点について、ロンドンの語学学校 「ブルームズベリー・イン ターナショナル」のイアンウィッチ・ビンセント校長からのアドバイスを伺った。

16世紀後半から17世紀を生きた戦国大名。征夷大将軍として江戸幕府を開いた。関ヶ原の戦いを制して天下を取り、その後は武家諸法度、禁中並公家諸法度を制定するなどして国の制度を改め、天下統一を成し遂げた。後に264年にわたる「太平の世」と呼ばれる時代を築いた武将として歴史に名を残している。1616年没。
作家・劇作家。本名は平岡公威。東京帝国大学法学部卒業後、大蔵省銀行局を9カ月で退職し作家としての道を歩み出す。「仮面の告白」「金閣寺」「豊饒の海」など数々の名作を残し、ノーベル文学賞候補にもしばしば名が挙がった。過激な行動でも知られ、「楯の会」と呼ばれる武装組織を結成。1970年に陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地にて割腹自殺を遂げる。
小説家、英文学者。「吾輩は猫である」「坊ちゃん」「倫敦塔」などの現代でも読み継がれる作品の執筆とともに、「私の個人主義」などに代表される講演活動などを通して19世紀後半に活躍した。また彼の自宅で開かれた「木曜会」からは、芥川龍之介や阿部次郎などの文化人が生まれている。1900年には英文学研究を目的にロンドンへ留学。1916年没。
映画監督。1943年に「姿三四郎」で監督デビュー。「羅生門」でヴェネツィア国際映画祭金獅子賞受賞。ほかに「用心棒」「七人の侍」「八月の狂詩曲」などの作品を世に送り出して世界の脚光を浴びた。ジョージ・ルーカスやスティーブン・スピルバーグといったハリウッド界の関係者からも尊敬を集め、「世界のクロサワ」と呼ばれる。1998年に死去した。
明治時代の天皇。父の孝明天皇の崩御に伴い14歳で天皇に即位する。江戸幕府第15代将軍の徳川慶喜より大政奉還を受け、王政復古の大号令をもって天皇親政を開始。版籍奉還や廃藩置県といった明治維新と呼ばれる当時の日本の大改革を見守り、その後も日清戦争、日露戦争と続いた激動の時代を生きた。乗馬と和歌を愛する教養人としても知られた。1912年没。
戦国時代を生きた大名。桶狭間の戦いや長篠の戦いで勝利を収めて、天下統一の下地を整えた。比叡山延暦寺の焼き討ちなどの過激な政策で恐れられる一方で、キリスト教を保護したり、楽市・楽座などの全国的な経済政策を施行したりするなどの試みが評価されている。家臣の明智光秀に謀反を起こされ、1582年に本能寺で自害した。
武士、水墨画家、工芸家。江戸時代初期に「二天一流」と名付けられた二刀流などを含む独自の兵法を完成させた。佐々木小次郎との決闘が行われた「巌流島の戦い」のエピソードは有名で、歌舞伎や浄瑠璃、小説などの世界でも繰り返し描かれてきた。彼が著した兵法書である「五輪書」は現代でも愛読されている。1645年没。
軍人、政治家。戊辰戦争の指揮、そして勝海舟と共に江戸城の無血開城を実現させるなど明治維新において大きな役割を果たした。以後は参議として新政府に入るも、大久保利通らと政治的な対立を起こし下野。西南戦争の指導者となるが、この戦争に敗れて1877年に自害を遂げる。東京の上野恩賜公園にある、犬を連れた銅像が有名。
お笑いタレント、映画監督、俳優。浅草フランス座のエレベーター・ボーイとして働いた後に、お笑いコンビ「ツービート」を結成して1980年代の漫才ブームを席巻。1997年「HANA-BI」でヴェネツィア国際映画祭金獅子賞を受賞するなど、近年では映画監督としても活躍し、文化人として認知される。東京都足立区出身。61歳。
元首相。郵政大臣、厚生大臣、農林水産大臣を歴任し、2001年に内閣総理大臣に就任。「聖域なき構造改革」をスローガンに、郵政民営化を推し進めるなどの強力なリーダーシップを発揮した。そのほか、金正日書記との初の日朝首脳会談や靖国神社参拝を行うなどして話題に。マスコミを巻き込む政治劇は「小泉劇場」と表現された。神奈川県横須賀市出身。66歳。
お笑いコンビ「ダウンタウン」の芸人。吉本興業所属。漫才やコント、フリートークなど幅広いジャンルで活躍する。1984年にABCお笑い新人グランプリ受賞。エッセイ集「遺書」で250万部の売上を記録し、1994年度の高額納税者番付1位に。2007年には「大日本人」で映画監督デビューし、カンヌ国際映画祭に出展した。兵庫県尼崎市出身。44歳。
作家。1979年のデビュー作「風の歌を聴け」で群像新人文学賞受賞。1987年に発表した「ノルウェイの森」が計780万部を超す大ベストセラーとなり、「ハルキスト」と呼ばれる熱烈なファンを生んだ。2006年にはフランツ・カフカ賞受賞。長編小説、短編小説、随筆、ノンフィクション、翻訳と多彩な分野で才能を発揮する。京都府京都市出身。59歳。
ジャニーズ事務所所属のアイドル・グループ。1991年にデビュー。中居正広、木村拓哉(写真)、稲垣吾郎、草なぎ剛、香取慎吾の5人のメンバーで構成され、ドラマ、テレビCM、歌番組、バラエティ番組など日本の様々なメディアに登場し、一世を風靡している。2003年に発表した「世界に一つだけの花」はCD売上250万枚を超えるヒットとなった。
シンガーソングライター。「ヒッキー」との愛称で親しまれる。15歳で本格的な音楽活動を開始。1999年に発売された1stアルバム「First Love」が800万枚以上の売上となり、国内アルバム史上売上1位となる。2004年に全米デビュー、2005年には全英デビューを飾った。作詞作曲に加え、近年では編曲も手掛ける。米国ニューヨーク出身。25歳。
サッカー選手。スコットランド・プレミア・リーグの強豪、セルティックFCに所属。フリーキックの名手として知られる。2000年JリーグMVP。2002年日韓W杯本大会の代表メンバー落選を経験し、2005年よりセルティックFCに移籍。2007年にはサッカー記者協会とプロ選手協会の両方から年間最優秀選手として表彰された。神奈川県横浜市出身。29歳。
元サッカー日本代表選手。1995年にJリーグのベルマーレ平塚に入団。1998年イタリア・セリエAのペルージャに移籍。ASローマ、パルマ、ボローニャ、フィオレンティーナと渡り歩き、2005年よりイングランド・プレミア・リーグのボルトン・ワンダラーズに所属。2006年に引退。ワールド・カップ3 大会連続出場。山梨県甲府市出身。31歳。
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「頑張って」
「あいまい」

とある劇場の舞台上。老弁護士キップスが、若い俳優相手につたない口調で自らの経験を語っている。キップスは若い頃、誰にも語ることのできない恐怖の体験をし、それ故に悪夢に悩まされる日々を送っていた。彼は家族らにすべてを語ることで、そんな記憶から解放されようと決意する。その練習を行うため、若い俳優を雇ったのだが、話のあまりの長さとキップスの語りのつたなさに、俳優はある提案をする。俳優が若き日のキップス(ヤング・キップス)を演じ、その時にキップスが出会った人々をキップスが演じるという舞台の形で、この話を語ろうというのだ。かくしてキップスの恐怖の体験が上演されることになった……。
「この籠だからこそ想像できる馬車や列車がある。400以上の机や汽車や馬車が、お客様それぞれには見えていると思うんです。それはどんなに精緻につくられたハリウッドのCGにも負けていないと思うんですね。そのお客様が頭に描かれたものは、たぶん現実の何よりも豊かなんです。その豊かさ故に、自分自身の今の状況すら浮き彫りしてくれるキャパシティをも持ち得るんでしょうし、そこがお芝居の原点に肉薄しているような感もあって、やる度に楽しいのもそのためなんでしょう」。
役者として20年のキャリアを誇る上川。その間、演じた役は実に幅広い。時代劇では華麗な殺陣を披露、シリアスな社会ドラマでは世の中の矛盾と戦う役を真摯に演じ、コメディ・ドラマではゲイの役も飄々とこなす。あらゆる役柄を自然に演じきる上川の演技力に、役者としての力量を見ると同時に、彼の作品選びの基準とは何なのか、役者上川隆也としてのこだわりとは何なのかを問いたくなってくる。
もともとは、クリスマスにゴースト・ストーリーを上演しようと考えたのがきっかけでした。新作でも小説の戯曲化でも良かったのですが、予算が1000ポンドしかなかったんです(笑)。スティーブン(・マラトレット。脚色担当)が持ってきたこの小説は素晴らしかったけれど、何と言ってもこの低予算で抑えるには登場人物が多すぎた(笑)。そこでスーザン(・ヒル。原作者)に戯曲化の了承を得た後、登場人物を2人にまで削ることにしたんです。









