ベアトリクス・ポターの生涯を描いた映画 「Miss Potter」のロケ地を訪ねる
「ピーター・ラビットのおはなし」などで日本でも有名な絵本作家ベアトリクス・ポターの生涯を描いた映画「Miss Potter」が1月初旬に英国で公開された。日本人の間で特に根強い人気があるピーター・ラビットの作者だけに、今年9月に予定されている日本での同映画公開後には、彼女が生活の拠点とした湖水地方への旅行が日本でブームになるとも言われている。そこで今回は一足お先に、映画のロケ地と合わせてポター縁の地をご紹介。多彩な経歴を持つ彼女の魅力もたっぷりとお伝えします。(本誌編集部: 長野雅俊)
映画「Miss Potter」(邦題:ミス・ポター)
「ピーター・ラビット」で有名な絵本作家ベアトリクス・ポターの半生を追った物語。ポターを米女優レニー・ゼルウェガーが、その婚約者を英俳優ユアン・マクレガーが演じる。ポターが実際に過ごした湖水地方の各名所をロケ地として使用し、またピーター・ラビットを始めとするキャラクターがCG映像で描かれるなど、家族全員で映像美を楽しめるファミリー映画。
1スクリーン全体に映し出される絶景
ターン・ハウズ
Coniston and Tarn Hows
「Miss Potter」では、湖水地方ならではの美しい風景のカットがストーリーの合い間で効果的に使われている。その1つが、1929年にポターが購入したターン・ハウズと呼ばれる小さな湖と、その周りを囲う広大な敷地。遠景には山々が連なっており、その他の観光スポットとは一線を画した険しいぐらいの野性味溢れる景色が広がっている。この辺りまで来ると観光客の数もぐんと減るので、湖水地方のまた違った顔を発見することができるかもしれない。特にターン・ハウズを取り巻く周囲約2.5キロの散歩道はのどかで美しい。
Coniston and Tarn Hows
Tel: 015394 41533(ツーリスト・オフィス)
www.conistontic.org
2未来の夫の事務所
ザ・ラム・ストーリー
The Rum Story
後にポターの夫となる事務弁護士ウィリアム・ヒーリス氏の事務所として撮影に使用されたのは、ちょっと意外な場所。ここはかつてラム酒貿易で栄えたホワイトヘブン地区の歴史をテーマとしたエンターテイメント施設なのだ。施設内にはこのラム酒貿易で莫大な資産を築いたジェファーソン一家のオフィスがあるのだが、「Miss Potter」撮影のためにわざわざ改築が施されたという。かつては貿易に関わる作業について細かい指示を出し、また労働者たちの監視を行ったといういわば司令塔が持つ独特の気高い雰囲気が、当時の事務弁護士が働いた事務所の再現に一役買っている。
The Rum Story
Lowther Street, Whitehaven, Cumbria CA28 7DN
Tel: 01946 592933
www.rumstory.co.uk
3ポターが庭を耕す場面を撮影
ユー・トゥリー・ファーム
Yew Tree Farm
ロンドンの実家を離れて湖水地方に住まいを移したポターが、ヒル・トップと呼ばれる自宅の庭で楽しそうに農作業を行うシーンがある。その撮影が行われたのがこのユー・トゥリー・ファーム。実際ここは、地元の再開発計画から守るためにポターが購入した農場の1つであった。さらにはこの敷地を使って当時はまだ珍しかったB&Bの経営に乗り出し、アフタヌーン・ティーがたしなめる喫茶室まで作ったという。当時の面影はそのまま残っており、敷地の狭さから撮影が見送られた本物のヒル・トップに代わってロケ地としての役割を見事果たした。
Yew Tree Farm
Coniston, Cumbria LA21 8DP
Tel: 015394 41433
www.yewtree-farm.com
4ポターが1人佇む湖
ダーウェント湖
Keswick & Derwentwater
「Miss Potter」のストーリー後半で、レニー・ゼルウィガー演じるポターが湖畔で佇む姿を捉えたシーンが度々出てくる。このロケ地に多く使われたのが、湖水地方の巨大な国立公園の一部となっているダーウェント湖。実際この界隈には、ポター自身が41歳になるまで家族と一緒に休暇を過ごした別荘があった。ポターはこの地において目にした木々や庭、その他の風景を描いた多数のデッサンを残しており、特に「ベンジャミン・バニーのおはなし」や「ティギーおばさんのおはなし」などの物語の舞台として知られている。
Keswick & Derwentwater
Tel: 01768 772645(ツーリスト・オフィス)
www.keswick.org
5ロンドンと湖水地方をつなぐ高架橋
セトル・カーライル・レイルウェイ
Settle-Carlisle Railway
ロンドンに住んでいた幼き頃のポターが湖水地方へと家族旅行に出掛ける時、また大人になったポターが両地間を移動する際と、2回にわたって大きく映し出されるのが高架橋。英国北部の田園地帯という見晴らしの良い風景の中を、蒸気機関車が走っていく姿は圧巻だ。ロケ地として使われたのは、今でも運行を続けるセトル・カーライル・レイルウェイの線路上。イングランド中央部のリーズからスコットランド近郊カーライルまで北上しながら、英国の田舎に残る美しい風景を車窓に次々と映し出す、希少な路線である。
Settle-Carlisle Railway
Tel: 0845 748 4950
www.settle-carlisle.co.uk
6ポターの代名詞
ヒル・トップ
Hill Top
こちらはポターが湖水地方での生活の拠点とした本物のヒル・トップ。家の庭には、彼女が描いた物語の場面そのままの光景が残っている。
Hill Top
Near Sawrey, Hawkshead, Ambleside,
Cumbria LA22 0LF
Tel: 015394 36269
www.nationaltrust.org.uk
7物語の世界を再現
ベアトリクス・ポターの世界
World of Beatrix Potter
絵本に登場するキャラクターの展示するなど、絵本の中の世界をできるだけ忠実に再現した博物館。小さなお子さんなどは、ここに来ればまず間違いなく喜ぶはず。
World of Beatrix Potter
Bowness on Windermere,
Cumbria LA23 3BX
Tel: 015394 88444
8貴重な資料を保存
ベアトリクス・ポター・ギャラリー
The Beatrix Potter Gallery
小さい頃に受けた英才教育のお陰で、風景画の教養と技術も持ち合わせていたポター。ここでは絵本の世界とはまた一味趣の違った水彩画などが展示されている。
The Beatrix Potter Gallery
Main Street, Hawkshead, Cumbria LA22 0NS
Tel: 015394 36355
www.nationaltrust.org.uk
9ポターがこよなく愛した別荘
リンデス・ハウ・カントリー・ハウス
Lindeth Howe Country House
当時ヒル・トップに住んでいたポターが購入した別荘。ここで「カルアシ・チミーのおはなし」や「こぶたのピグリン・ブランドのおはなし」を描いたとされる。
Lindeth Howe Country House Hotel
& Restaurant
Lindeth Hill, Longtail Hill, Windermere LA23 3JF Windermere
Tel: 015394 45759
www.lindeth-howe.co.uk
ロンドンのロケ地
40歳を過ぎてから湖水地方に引っ越すまでは、ロンドンの実家を生活の拠点としていたポター。このため「Miss Potter」のストーリー前半では、ロンドンで撮影されたシーンも多い。
ポターが通った印刷所
ザ・タイプ・ミュージアム
The Type Museum
まだコンピューターが存在しない時代。当時そのままの状況を保存したこの博物館において、印刷所を訪れたポターが厳しく注文を付けるシーンが撮影された。
The Type Museum
100 Hackford Road SW9 0QU
Tel: 020 7735 0055
www.typemuseum.org
親友との出会い
オスターレイ・ハウス
Osterley House
ロンドン郊外にあるチューダー朝建築の別荘。後に婚約するウォーンの姉ミリーと絵を観賞しながら、「女性は結婚するべきではない」と誓い合う場面のロケ地として使用された。
Osterley House
Jersey Road, Isleworth, Middlesex TW7 4RB
Tel: 020 8232 5050
初版本が並んだ本屋
ナイジェル・ウィリアムズ
Nigel Williams
ポターが自作の絵本が陳列されているのを発見し、興奮するシーンが撮影された古本屋。この通りには、古本屋が多く軒を連ねている。
Nigel Williams
25 Cecil Court, Charing Cross Road
WC2N 4EZ
Tel: 020 7836 7757
www.nigelwilliams.com
馬車が駆け抜ける道
ハイド・パーク
Hyde Park
19世紀の英国を舞台とした「Miss Potter」では、上流階級出身のポターが馬車を使って移動する場面が多く見られる。これらの撮影の大半が行われたのが、ご存知ハイド・パーク。
Hyde Park
Ranger Lodge, Hyde Park W2 2UH
Tel: 020 7298 2100
www.royalparks.gov.uk/parks/hyde_park

湖水地方への行き方
ロンドンのユーストン駅からオクスンホルム・レイク・ディストリクト駅まで約3時間30分。現地には公共の交通機関が少ないので、車がなければツアーを申し込むのが無難。
湖水地方で高まる「日本熱」
撮影のため、2006年に湖水地方を訪れた際のレニー・ゼルウィガー
2006年12月4日付の「ガーディアン」紙は、日本市場をめぐってコッツウォルズ地方と激しい競争を繰り広げている湖水地方が、まさに千載一遇の機会として日本人旅行者の受け入れ準備を進めていると報じた。同紙によると、現地を訪れる旅行者の約6%が日本人であり、その数は年々増大しているだけに期待は大きいようだ。
また同年8月6日付の「デーリー・テレグラフ」紙は「日本人の侵略に備えるピーターラビットの里」との見出しを掲げて、各旅行関係者たちが、日本語での挨拶とお辞儀の仕方についての勉強が奨励されていると報道。さらに日本独特の過剰包装、「芸術的」とまで呼べるほど整然とした列を成して順番待ちする慣習について学ぶセミナーも開かれているという。
「ベアトリクス・ポターの世界」館長であるリチャード・フォスター氏は「今年は、改めてベアトリクス・ポターの偉大さと湖水地方の固有性とを再認識してもらうには絶好の機会。日本で映画が公開される2007年後半から2008年にかけては、さらに大忙しとなりそう」と喜びを隠せない。彼を始めとする多くの旅行関係者が、映画効果に期待をかけているようだ。
取材協力: 英国湖水地方ジャパン・フォーラム www.kosuichihou.com
カンブリア観光局、Momentum Pictures



在留届は提出しましたか?

「そもそもマドンナの家で働くようになったきっかけは、まだ赤ん坊だった彼女の長男の離乳食作りだったんです。普段の住み込みシェフが10日間、休暇を取る際の代理を探していて。私は当時クシ・インスティテュート(米国にあるマクロの教育機関)で料理講師をしていたので、ほんの短期出張のつもりで」。
マクロの学校に入るにはまず英語が必要とボストン大学の語学コースをとったはいいが、貯金が底を尽き始め、途方に暮れていた頃、久司道夫氏の書生と親しくなった夫に付いて久司家に遊びに行ったのを機に、一家の住み込み料理人の座を得る。
マクロと出逢い、その道を進むと決めて以来、西邨さんが目指してきたものはただ1つ、「マクロを世界に広げて、人類の平和を実現させる!」。マクロの父、桜沢如一の夢をそのまま継いでいる。途方もなく大きな夢に思えるが、西邨さんは、着実に一歩ずつ前進している。マクロを勉強し、今度はそれを教える立場になり、我が子の通う学校でマクロ・ランチを販売する、ということもやってのけた。マドンナのシェフになったのは「有名人に実践してもらうことで、マクロが一層広まることを期待して」。2005年末には初の著書を出版。次のステップは、と聞くと「そうね、マドンナのおかげで私も少しメディアに注目してもらえるようになったので、便乗して(笑)あと数冊本を出したいです。それから、今まで食が専門だったけれど、マクロのもっと根本的な『宇宙の法則』について、英語で講義してみたい。そうそう、自然農法も普及させたいので、指導できる人たちと1年ごとに、必要とされる国を移動していくのもいいわね」……とプランは尽きない。







「野菜、魚などその度に買うナマモノは、あまりローカル栽培やオーガニックにこだわりすぎなくていいけれど、料理の基本となる調味料、主食の穀物、乾物などは、必ず『いいもの』を使ってほしいですね」。毎日使うものだけれども1度買えば長期保存できるから、買える時に買っておけばOK。





英国人男性の憧れと言えば、ジェームズ・ボンド。そして、そのボンドの愛車として有名なのがアストン・マーチンだ。映画007シリーズ「ゴールドフィンガー(1964年)」ではアストン・マーチン社(1913年設立)の「DB5(1963-65)」が、主人公ジェームズ・ボンドの駆る「ボンド・カー」として初登場している。同ブランドは、当時から高出力スポーツカーとして名高く、「DB5」には直列6気筒・排気量4リッターのエンジンを搭載、282馬力を発生した。その後も「リビング・デイ・ライツ(1987年)」に、英国発のスーパーカーといわれる「V8-Vantage(1977-89)」(V型8気筒、5.3リッター、315馬力)が、「ダイ・アナザー・デイ(2002年)」では「V12-Vanquish(2001-)」(V型12気筒、5.9リッター、430馬力)が登場している。このような速くてかっこいいアストン・マーチンは、サッカー選手のデービッド・ベッカムを始めとする多くのセレブリティが所有していることでも有名だ。
オースティン社の「A30(1951-56)」を見てみよう(写真右上)。日産自動車が1963年に発売を開始した「初代ブルーバード310型」(写真右中央)との関係がわかるだろうか。日産自動車は戦後、技術的な遅れを取り戻すため、オースティン社と技術提携を結び、1953年から「A40」、1955年からは「A50」を生産した。そして10年後の1963年に満を持して登場したのが「初代ブルーバード310型」だった。このほか、いすゞ自動車は英国のヒルマン社(1907-76)から「ミンクス(1932-66)」の提供を受け、その名も「いすゞヒルマンミンクス」(写真右下)として販売していたが、これはすでに忘却の彼方の出来事となってしまった。その後、日本車メーカー各社は、高度成長期(1950〜70年代初頭)を通じて独自の道を歩んでいくため、古き良き時代の英国車の面影は無くなってしまうが、「A30」のようなルーツがあったことは記憶にとどめておきたい。
世界3大レースのひとつ「ル・マン24時間耐久レース(1926-現在)」は、戦後間も無く再開された。英国車では、ジャガー「Dタイプ(1954-57)」などが活躍し、戦後10年間で6勝を挙げている。しかし、1959年の勝利を最後に英国車メーカーは勝利から遠ざかり、1988年に再びジャガーが勝利するまでに30年もかかった。こうした記録からも、英国自動車業界の戦後の浮き沈みを窺い知ることが出来るだろう。

ロンドン北方にあるシルバーストーン・サーキットでは、ロータス・イクシージでトレーニングを受けることが出来る(半日コースで155ポンド〜)。しかも、半日集中トレーニング・コース(275ポンド)なら日本人インストラクターがいるので、言葉の心配いらず。爽快で質の高いアドバイスを受けながらのドライビング体験ができること確実(事前に、インストラクターの中納さんに直接予約要)。その他、ケントにあるブランズハッチ・サーキットでもフォーミュラ車などのドライブ体験ができる。
ソールズベリーの西に位置する英国最大の自動車博物館。外見的にはビューリーにやや劣り寂れた感じもするが、一度館内へ立ち入れば、その品揃えには圧倒されること間違いなしだ。ヨーロッパの赤いクルマばかりを一堂に集めたコーナーでは、英国とイタリアの名車を堪能できる。敷地内にはショート・サーキットを併設しており、イベントの無い日には、自分のクルマを走らせることも可能だ。
マナーハウスと併設されるビューリー自動車博物館は、サウスコースト「サザンプトン」近郊にあるテーマ性の高い施設だ。1890年代の車から最近のレース・カーまで幅広く取り揃え、映画007に登場した様々な自動車を展示するコーナーもある。施設内には、モノレールやラジコン・コーナーなどもあり、奥様やお子様連れにも優しい。また、春から夏にかけては「オート・ジャンブル」や「ボート・ジャンブル」と呼ばれる催し物が定例となっており、大陸からの出展者もいる賑やかな雰囲気を楽しむことも可能だ。今すぐ、ホームページをチェックしてみよう。

英国の「あったか料理を愛する人」代表は、14世紀のイングランドを支配したリチャード2世。彼は下層階級から莫大な税金を徴収する一方、自身は華麗な服装に身を包み道化師と戯れながら、毎晩のように1万人に及ぶゲストを招待して宴を催す、中世における典型的なお祭り好きの王として知られていた。当時英国で一番のグルメでもあった彼は、宮殿内に2000人もの料理人を雇用。後の歴史家からは「キリスト教圏にある王の中では、歴史上一番の大食漢」と呼ばれるほどだった。
1671年4月、太陽王ルイ14 世が隆盛を極めるフランス。重職から外された年老いた英雄コンデ大公は、国王に再び取り入ろうとシャンテ ィイ城において後世に伝わる 3日3晩の饗宴を開いた。この時ヴァテールは、料理人としてコンデ公に仕えていた。
ドイツ代表は19世紀に統一ドイツ初代の首相であり、鉄血宰相として世界史の教科書などでもすっかりお馴染みのオットー・フォン・ビスマルク。いかめしい顔付きからはなかなか想像がつきにくいが、かなりの美食家だったようだ。朝夕食はそれぞれ5品のフルコース・メニューで、朝食には卵16個、夕食には生牡蠣を一度に175個も食べ、「軽い」昼食でもキャビアや燻製うなぎをメインに食べていたというから、64歳で体重124キロを超え、医者から厳しいダイエット を申し渡されたというのも無理はなかろう。






















































「辞めろ」コールが頂点に達し、ついに「辞めます」と言わされたブレア首相。今年は全然いいことなかったね。まずは5月の地方選でボロ負け。「責任取れ」の声が響く中、速攻で内閣大改造を実施、世間の目をくらましてたっけ。でも、謀反が起きても造反議員の要求に逆らって辞任時期を明確にしなかったのには首相歴9年半の意地を見た気がしたな(ブラウン財相の項も参照)。シェリー夫人は、ブラウン財相が党大会の演説で「過去最も成功した労働党党首・首相と仕事できて光栄」と言ったのを耳にして「嘘つき」とポロリ、期せずしてトップ・ニュースに。「言ってないわよ!」って反論してたけど、まあ夫は立場上、「ゴードンの馬鹿」とか言えないしね。
党首1年生の今年は、受け狙いのギミックばかり目立った印象。「地球温暖化の実態を見る」とやらでノルウェーの氷河に行ったかと思えば、トーク・ショー出演や米国人ラッパーとの会談(?)、「ビデオ・ブログ」の発信と、「クールでヒップで地球に優しい」新生保守党を売り込もうとあの手この手。肝心の政策はアレ?ってな感じで、ブレア路線を真似し過ぎの「ブラメロン(Blameron)」なんて言われる始末だからしょうがない。党内右派からは非難轟々だってさ。
公私で幸不幸入り混じった1年。9月に若手議員数人がブレア首相の辞任を要求して政務次官職などを辞任、首相が「1年以内に辞める」と言う羽目になったのは記憶に新しいけど、これ噂によるとブラウン財相の企みによるクーデター。長年の夢、首相の座がいよいよ近付いてしてやったり……と思いきや、実は7月に生まれた二男が遺伝性の病気「嚢胞性繊維症のうほうせいせんしょう」を発症してた。これで首相への野望がついえるってことはないだろうけど。来年こそは要注目か!?
2006年はベッカムにとって大きな転機の年だった。W杯で負傷退場しベンチで顔を紅潮させ、勝敗が決する前から涙する姿は雄弁だった。ベッカムはサッカー人生の集大成が終わったことを知っていた。もともとスタミナがある選手とはいえ高齢化による体力の衰えは隠せない。デッド・ボールでは依然、右に出る者はいないが、セット・プレーという極めて限定された分野に人員を割くほど、サッカーは優雅ではない。90分戦い抜く力のない者は容赦なく切り捨てられる。今後は米国のサッカー・リーグに移籍しハリウッド・デビューする話もある。そもそも、甘いマスクとセレブ妻というピッチ外の要素で大ブレークした選手だけに、これからが貴公子の本領発揮といったところか。
大会直前に骨折するも奇跡的にW杯に間に合ったルーニーだが、準々決勝で一発退場、1998年W杯でのベッカム同様の非国民に。その後も素行は悪化するばかりで、パブで婚約者を中傷したブラックバーンの選手を殴打。激しい闘争本能を持つが、一瞬にして頭が沸騰する危険もはらむ。能力には非の打ち所がなく、どのポジションでも超一流。その怪童の唯一の弱点に相手がつけこむのは当然。もう大人なのだから、自己分析をして自制心を身に付けて欲しい。
ルーニーより酷かった。W杯中、厳粛な生活を送る選手たちと反対に、日中は衝動買いツアー、夜はドンちゃん騒ぎ。誰が主役なのかまったくわきまえておらず、それを追っかけるメディアも節操がない。ベッカム夫人ビクトリアは士気高揚のためと称し、毎晩酒宴を開催。泥酔した歌手シェリル・トゥイーディは深夜就寝中のアシュリー・コールに電話する規律違反を犯す始末。マクラーレン新監督が今後のWAG出入り禁止の方針を打ち出したのも当然だ。
10月にマドンナ夫婦がマラウイの孤児院を訪れて以来、メディアはハチの巣をつついた状態だったけど、デービッド君の養子縁組に関して賛3否7くらいの割合かしら。印象に残ったのは、BBC「ニューズナイト」のインタビュー。あちこちにろうそくが灯されたNYのスタジオに、黒いドレスの厚化粧マドンナが鎮座。ピリピリした空気が伝わってきて、やっぱり映像のインパクトは大きかった。「飢えや病気で死んでいる子供たちを無視できる?」、「何をしても物議を醸すのは承知の上。今後養子に関する議論がされるのは大いに結構」って、高飛車よね。すでにカバラの赤い糸を腕にしたデービッド君だけど、この先独裁ママに何から何まで縛られそうで、とっても不憫。
前のブロスナンが男前だっただけに、この38歳の丸顔丸鼻に44年続く「007」6代目ボンド役が決まった時、世間の評判はイマイチで、「craignotbond.com」なるサイトもできたほど。でも、蓋を開ければ「007/カジノ・ロワイヤル」は超ヒット。これでジュード・ロウを完抜きしたわね。長すぎる鼻の下が妙に気になるけど、鍛え抜かれた超マッチョな身体は歴代ボンドの中で一番セクシー。かつてはシエナ・ミラーやケイト・モスと噂になったけど、今の彼女は日本人ハーフの模様。
11月の「ワールド・ミュージック・アワード」に、アルバム売上げ1億枚以上の功績を讃えられて出演し、英国では約10年ぶりのパフォーマンスを見せたけど、結果は散々。「ウィ・アー・ザ・ワールド」で歌が聞こえたのはわずか2小節、しかも高音部が出ず。当のマイケルはNOBUで食事後、Topshopで深夜のお買い物。翌日「メリー・ポピンズ」の観劇に出掛け、押し寄せるファンにマスカラ流して感涙。その顔はまるで「スリラー」だったわ。
高値堅調を更新しているカップルね。ケイトはますます売れっ子だし、ピートはライブはいつも完売、BBC2ドキュメンタリー「アリーナ」の常連(2年で3回)で、「ガーディアン」紙など高級紙からの評価も高い。チャブからインディー、インテリ層まで幅広くアピールできるのが彼らの強みでしょう。偽巨根芸人、R・ブランドとの浮気や劇場版「リトル・ブリテン」のゲスト出演、ピートの数度にわたる薬物所持逮捕・出頭、リハビリ、カメラマン暴行、浮気と相変わらずネタにも尽きなかったし。次の山は結婚・妊娠・出産の三寿。ただ、ビクトリア& デービッド、ジュード& シエナのように、誰でも必ず凪が来る。ヤク中ロッカーの厄年27歳を無事終え、薬絶ちで太ったピートにもうその兆候が出ているわ。
5月の破局公表後、それぞれチャールズ皇太子と故ダイアナ元妃の離婚弁護士を雇って戦いの火蓋が切られたけど、序盤でここまで激闘になるとは。ポール側の銀行口座凍結、家の鍵換え、洗剤3本を持ち出した抗議文、ヘザーのポルノ・モデルの過去、高級娼婦疑惑、ポールの暴力行為を綴った陳述書の草稿スクープ、前妻故リンダの心中告白テープの存在発覚って、まだ訴訟始まってませんけど。結婚4年で慰謝料の最高額が450億円とは、オノ・ヨーコ以来の悪女伝説誕生だわ。
7回続く「ビッグ・ブラザー」でもインパクト一番だったピート。トゥレット症候群のパンクスってそういないでしょ。病気の認知度も全国区になって、誰ももう「トイレット? ああトゥレット」とは言わない。相方ニッキーは10代の大半を拒食症で入院、強迫神経症でかんしゃく持ちの精神年齢5歳。キャラ的に日本のバラドルと大差なく、衝撃度は中。数週間でピートが振ったというが、ヤラセか打算ね。既に過去の人々で、本当、テレビのスピードって怖い。

ミレニアム・ドームを設計した建築家、リチャード・ロジャースが手掛けた巨大なテントが目印のアウトレット。広大な敷地に約80店以上が軒を連ねる。ギャップ、リーバイス、トミー・ヒルフィガーなどの親しみやすいファッション・ブランドの他に電化製品、日常雑貨、CD、玩具なども販売しているので家族みんなで楽しめるのがポイント。年間を通じて割引率は定価の50%、年に2回のクリアランス・セール時期には70%オフの商品もあるので、セール情報はくまなくチェックしたい。
スコットランド観光の際には是非立ち寄りたいアウトレット・ビレッジ。LKベネット、エピソード、ポロ・ラルフ・ローレンなど50以上のブランドが常時最大50%引きとお得感タップリ。昨年は、ツーリスト向けのショッピング・モールとして5ツ星の評価を受けている。湖水地方や世界遺産に指定されているローマ帝国時代の遺跡ハドリアヌスの壁などは、ビレッジから約1時間以内で行ける。
パリから東へ160キロ。16世紀の街並みを残した古都トロワは、アウトレットのお店がたくさん集まったショッピング・パラダイスとして有名。北には高級ブランドが揃う「マカルチュール・グレン」、南には少しカジュアルなラインナップの「マルク・アベニュー」がどっしりと構え、他にも個別アウトレット店などが総計264店舗、軒を並べている。買い物ついでに、フランスの田舎町の雰囲気も味わえるお得な場所だ。北と南の2大センターは公共バスで結ばれているので、移動も便利。

中世の美しい街並を残すヴェルトハイム。その郊外に2004年オープンした「ヴェルトハイム・ヴィレッジ」は中世の趣を残したアウトレット・ショッピング・センターだ。敷地内には、アルマーニ、バリー、ヴェルサーチ、トミー・ヒルフィガー、ナイキなどのブランドのみならず、シュタイフのテディ・ベアなどの多彩な店舗が約80店並び、観光客のみならず、地元民も足繁く通うスポットとなっている。幻想的な雰囲気を醸し出すニュルンベルクのクリスマス・マーケットも近くなので、足を伸ばしてみては?
今スペインでは、マドリッド郊外のベッドタウンなどに続々とショッピング・モールがオープンしている。中でも人気の「ラス・ロサス・ビレッジ」は、世界各国の主要都市の目抜き通りをイメージして建築された街並みが素敵。バーバリーやヴェルサーチなどの高級ブランドのほかにも、アクセサリー、スポーツ用品、インテリア・グッズなど50以上のブランドの前シーズン品が、30~60%引きの価格で販売されていて、お土産探しにも最適。

あらすじ:
あらすじ:
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あらすじ:
ロイヤル・バレエ団のプリマ
Royal Opera House
「バレエを観てみたいけど、楽しめるのか不安。それにまず何から観たらいいの?」という皆様。この特集では、ビギナーから玄人ファンまで大満足間違いなしの2つの「白鳥の湖」を取り上げ、ご紹介いたします。左頁は年齢を問わず楽しめる英国バレエ界最高峰のロイヤル・バレエ版。右はトレンドに敏感な若者から舞台芸術にうるさい熟年層をうならせる鬼才振付・演出家マシュー・ボーン版。それぞれのあらすじと見所をまとめたこのマニュアルを手に、是非一度劇場に足をお運びください。(茉莉・あんじぇりか)
あらすじ:
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あらすじ:
マシュー・ボーン版主役
Sadler's Wells Theatre

バレリーナの1日は、通常10時30分頃から1時間半行われる朝の団員クラスから始まる。ダンサーたちは思い思いのレッスン着で、男女に分かれてスタジオに集合。指導者の指示の下、バーを手にしながら膝や股関節、足、爪先のウォームアップをする「バー・レッスン」から始まり、続いてバーから離れ、旋回技や跳躍、踊りのステップを練習する「センター」と呼ばれるお稽古が行われる。11時30分、フレンド・オヴ・コベント・ガーデン(バレエやオペラ愛好家による友の会組織)のメンバーを観客に、公開リハーサルが始まった。タマラは入団2年目にして注目を浴びる大型新人のマクラエを相手役に27分の抽象作品を踊り抜き、観客から温かい拍手をもらった。
主役バレリーナが舞台を務め終えるのは夜22時30分頃。メイクを落とし、シャワーを浴び楽屋口を後にするのは23時を回る。さらに楽屋口で待っていてくれている熱心なファンにサインをするなどしていると、家に帰り着くのは深夜。心身ともに舞台の興奮から冷めやらぬため、就寝時間は1〜2時になることが多い。だが、どんなに遅く眠りにつこうとも、日曜日以外は翌朝10時半からレッスンに出なければならない。本誌編集部が取材した日は、「現代バレエの夕べ」世界初演の前日。朝11時30分から同作品の最終調整である公開リハーサルが行われるとあって、団員クラスも通常より早く行われた。ちなみにロイヤル・バレエに所属するバレリーナたちは、コベント・ガーデンのロイヤル・オペラ・ハウスの最上階にある3つのダンス・スタジオで練習を行っている。ここでバレエ団の団員たちが男女に分かれてウォーム・アップを行う団員クラスや、作品の振付を習うスタジオ・リハーサルに励むのだ。
13時になると、茶色のレオタード、お稽古用チュチュ、レッグ・ウォーマーに着替え再び最上階へ。この階に設置された大きなスタジオには、タマラと彼女が師事するアレクサンダー・アガチャノフ先生、相手役のカルロス・アコスタとピアニストの4人が集まっていた。ロイヤル・バレエに所属するバレリーナの中で最も大きなスター性を持つタマラは、バレエ団きっての男性スター、カルロスとの共演が多い。女性的魅力あふれるタマラを、その大きな包容力で受け止めるカルロス。ウルトラC級美技の掛け合いも、2人を観に行く大きな楽しみの一つだ。そんなスター同士でありながら、おごったところのない2人によるリハーサルは、始終和やかに進む。動物的な勘と身体能力を備えるカルロスは、リフトや女性のサポートにも優れ、先生はダメ出しする必要がないほど。
朝早くからの団員クラス、直後に身体能力を極限までふるって挑戦した新作の公開リハーサル、その後に続いたマンツーマンの練習。汗をぬぐい、息を切らせ、時に水分を補給しながらも1分たりとも休むことなく、限られた時間に完全燃焼しようとするタマラ。小さな頃から日々レッスンをして手に入れたスターの座は、汗と努力、食事制限などの節制なしには守れないという厳しい現実。心底踊りが好きで、様々なことを犠牲にできる覚悟ある者だけが極められるプリマ・バレリーナという職業。ステージの上で可憐に微笑むバレリーナの毎日が、こんなにも激しいものだったとは。
14時30分にリハーサルを終えると、楽屋でインタビュー。1日のうちのほとんどを劇場で過ごすバレリーナにとって、楽屋はとてもプライベートな空間だ。タマラは楽屋を先輩プリマのリアン・ベンジャミンとシェア。と言っても、2人が同じ日に舞台に立つことはまずないから、夜はほとんど1人で過ごせる。取材当日の午後も楽屋に先輩の姿はなく、タマラは窓際の自分のコーナーでリラックス。壁には大好きな有名闘牛士エル・フリから貰ったサイン入り写真や、北斎の浮世絵絵葉書などカラフルな写真がたくさん貼られている。
◇控え室で語ったタマラの言葉




サッパリとした甘い桃の風味
世界中の女性に捧げる
シンプルだけど奥が深い
「ティー」とは名ばかりのツワモノ
物悲しさを秘めた大人の味
ミントの風味でサッパリと
ロック・スターも惚れ込んだ













ランカシャー・ホットポット Lancashire Hotpot
ホットポットとは、身近な具を何でもかんでも入れた「ごった煮」のこと。ランカシャー地方のそれは、地元産のラム肉や羊の内臓、玉ねぎ、にんじんを材料ごとに層になるように入れ、スライスしたじゃがいもで表面を覆ってスープを注ぎ、オーブンに入れて低温で1日中「焼煮」にするスタイルが伝統。古くから綿工業や羊毛工業が盛んで誰もが家族ぐるみで忙しかったこの地方で、材料を切ったらあとはオーブンに放り込むだけ、しかも一皿でボリュームたっぷり、大量に作れるから大家族でもOKのホットポットがよく作られたのはうなずける。英国のご長寿テレビ・ドラマ「コロネーション・ストリート」にもたびたび登場する料理だ。
アイリッシュ・シチュー Irish Stew
ハギス Haggis
スコットランドの名物料理と言えば誰もが思い浮かべる「ハギス」(他に思い浮かべるものがない?)。羊の肉と内臓、血、脂にオートミールと野菜、スパイスを加え羊の胃袋に詰めたソーセージ状のもの。スコットランドの主要な栄養源であった羊を余すところなく食べ尽くそうということで考え出された経済的な料理だが、現代では家庭で一から手作りされることは少なく、缶詰が出回っている。スコッチ・ウイスキーをかけて食べることも。ちなみにスコットランドには「ハギス」と呼ばれる伝説上の動物もいて、食べ物のハギスはその特殊な味とグロテスクな形から「ハギスの肉だ」と信じている子供も多いとか。
ベークウェル・タルト Bakewell Pudding
ウェルシュ・レアビット Welsh Rarebit
コーニッシュ・パスティ Cornish Pasty
Cornish(=コーンウォール地方の)の名の通り、この地方出身のコーニッシュ・パスティは、炭鉱で働く人たちのお昼ごはんとして19世紀初頭に生まれた。小さく切った肉と野菜がたっぷり入ったパイ料理だ。通常のパイより脂分が少なくベトつかないこと、そしてこれまた通常のパイのように大きく作って切り分けるのでなく、具をパイ皮で完全に包んで1食分ずつ独立した形になっているのは、お昼休みもなかなか現場から外に出られない炭鉱夫たちが、ポケットに入れて持ち運べるよう工夫されたからだそう。現在ではその手軽さとボリュームから全国的にポピュラーになり、コーニッシュ・パスティ専門のチェーン店も各地に点在している。
日本で節分に海苔巻き、端午の節句には柏餅を食べるように、英国にも行事と食べ物にはつながりがある。例えば「Shrove Tuesday」(懺悔の火曜。今年は2月28日)。キリスト教ではその翌日(Ash Wednesday=聖灰の水曜)から栄養のある食事を慎む習慣があり、火曜日に家にある卵や牛乳、バターなどを整理するためパンケーキを焼いたのが始まりで、今では「パンケーキ・デー」としてポピュラーに。



Prince Charles Cinema
Book Market Festival Pier
BBC Television Centre


まずは、観劇前のディナーへ。奮発しているように見えても実は、事前にイン ターネットで調べて予約した、シアターとのパッケージ・ディスカウント・ディナ ー!この日は、舞台「ブルー・マン・グループ」のチケットとマックスウェル・レストランのパッケージを選択。通常なら劇場のチケットだけで£25かかるが、2コースのディナーを付けて1人£19.95~£22.5という格安価格。
Blue Man Group 



まずはポートベロー・マーケットに向かう。アンティークで有名なこの界隈は、ファッションの町でもある。野菜や果物の露天を過ぎ、ラドブローク・グローブ駅の高架下まで来れば、洋服やアクセサリーなど様々な店が出ている。










