昨年、大勢のバレエ・ファンに惜しまれつつ、ロイヤル・バレエ団を去った元プリンシパル、吉田都が20日、再び同団の本拠地、ロイヤル・オペラ・ハウスの舞台に立った。東日本大震災の被災者救済のためのチャリティー公演。前半はロンドンの音楽学校に通う日本人/日系の生徒による演奏、そして後半は吉田都を始め、同団の日本人ダンサーが総出演したこの公演の会場が決定したのは、何と18日。正味2日もない準備期間で公演を実現させたその裏には、ダンサーや同団オフィス、そして生徒の母親らボランティアの存在があった。公演翌日、吉田さんに公演当日までの道程を語ってもらった。 (本誌編集部: 村上 祥子)
吉田都
1965年生まれ。東京都出身。83年、ローザンヌ国際バレエ・コンクールでスカラシップ賞受賞後、ロイヤル・バレエ・スクールに留学。84年にサドラーズ・ウェルズ・ロイヤル・バレエ団 (現バーミンガム・ロイヤル・バレエ団)に入団、4年後には最高位のプリンシパルに。95年にロイヤル・バレエ団移籍後は英国でも有数の実力派として人気を集めたが、2010年、惜しまれつつ同団を退団した。
地震発生時には、英国にいらっしゃったのですね。
ちょうどバーミンガムにいました。バーミンガム・ロイヤル・バレエの日本公演が5月にあるので、リハーサルでたまたまこちらに来ていたんです。
震災のニュースを聞いたときにはどう感じましたか。
何と言っていいのか……。震えがくるというか、本当に嫌な感覚でしたね。体全体がふわっときて、軽いパニック状態でした。
チャリティー公演を行う決意をされるまでの経緯をお聞かせください。
月曜日(14日)にロンドンに戻りまして、皆すごい心配してくださって。「家族は大丈夫か」など声を掛けてくれた中で、昨日も出演してくれたエドワード *1エドワード・ワトソン: ロイヤル・バレエ団プリンシパルがまず私の顔を見て最初に言った言葉が、「You must do something」だったんです。「何かやらなくちゃ。チャリティーをやろう」と言ってくれて、せっかく私もいるし、という感じになったので色々調べ出して。そうしたら、オペラ・ハウスのメイン・ステージはどの日曜日も使われていたのですが、昨日、1日だけリンブリー(中劇場)が空いているということが分かったんです。でも、1日だけしか公演がないということは、ステージ・リハーサルや照明のリハーサルなどがきちんとできないということで、オフィスのマネージメントと話していて、無理だね、という話になったんです。そうしたら、私の友人で、昨日もコンサートに出演していた子のお母さんから、募金を集めるためにミニ・コンサートを行いたいのだけれども、どこか人通りの多い良い場所を知らないかという話がきて。で、「ミニ・コンサート、子供たち……」と考えたときに、あ、できるかもしれない、と思って、そこからまたロイヤル・バレエ団に交渉に行って、リンブリーを押さえてもらって。そこから始まったんですよ。その時点でもう金曜日になっていました。
でも金曜日に決まったにしては、当日はすべてがスムーズに進んでいましたね。
色々ありましたけれどね。だめってなって、えーって言うようなことも2度ほどありましたけれど(笑)、スタッフの方が交渉してくださって。私も長い間、オペラ・ハウスで仕事をしていますけれども、バレエ・サイドしか知らないわけです。でも手伝ってくれる友人がオフィスにいたので。昨日も一人、表で手伝ってくれた人なのですが、チケットの件だったり、セキュリティーだったりそれぞれ話を進めてくれて。本当にたくさんの人がかかわっているんだなって今回、実感しました。昨日もチケットの手配をしてくれたのは、事務局長のケビンで、あんな偉い人がって、知っている人はびっくりしたと思いますよ(笑)。皆オファーしてくれるという感じでした。ピアニストも土曜日になって、「チャリティーやるって聞いたけど、ピアニスト必要じゃないの?」って。それで即答で「Yes, please」と(笑)。
公演は、前半が音楽学校に通う子供たちのミニ・コンサート、後半がバレエという構成になっていましたね。
コンサートがメインでしたからね。バレエだけだったら多分、公演をすることは難しかったです。お母様方は「ロイヤル・バレエ団のダンサーの方たちと一緒の舞台に立てるような子供たちじゃないんですけれど……」と驚かれていましたが。
ダンサーの方々も、練習する間もなかったと思いますが。
そうですね。しかもtba(出演未定)になっていた健太君 *2蔵健太: ロイヤル・バレエ団ソリストと茜ちゃん *3高田茜: ロイヤル・バレエ団ファースト・アーティストは、足に痛みがあったりして万全じゃなかったんです。これからも公演が続くし、私としては、「もう出ちゃだめ!体を休ませなくちゃ」って感じだったんですけれども、本人たちは出る気満々だし。モニカ *4モニカ・メイソン: ロイヤル・バレエ団芸術監督はきっと心配だったと思いますけれども、あまりにも2人がどうしてもという感じだったので、その気持ちを酌んで、出てもいいよと言ってくださったのもありがたかったです。モニカは「私、行くから」ってまずチケットを買ってくれましたね。こういうのはすごく励みになるというか、うれしかったです。皆、本当に何かしたいと思っていたんですよね。私はダンサーとしてできることとして、踊りでということになりましたが、皆さんそれぞれできることで頑張っている、その気持ちが伝わればいいですよね。
日本人ダンサーのほかに、現プリンシパルのエドワードさんとマーラさん *5マーラ・ガレアッツィ: ロイヤル・バレエ団プリンシパルも出演されていましたね。
はい。しかも、(2人の作品の振付をした)ウェイン *6ウェイン・マクレガー: ロイヤル・バレエ団常任振付家が、作品を上演していいという許可をくれただけでなく、当日リハーサルまでしてくれて。しかももうチケットがないということで、立ち見でご覧になっていたんですよ。もう「えっ」てなっちゃって。そういうところがイギリスは凄いですね。こちらはやはり、チャリティーに慣れていますよね。
まもなく帰国されるということですが、今後どうやって震災とかかわっていこうと考えていらっしゃいますか。
私にできることを続けていきたいと思っています。昨日、私の髪を担当してくださった方が関西の方で、阪神・淡路大震災の話を聞いたのですけれども、やはり物事が起きているときは皆注目しているし、お金もわっと集まるし、でもそれが何年も経ってしまうと、忘れるわけではないけれども、日々新しいニュースが入ってくるし、どんどん遠い話になってしまうというか……。そのときだけというのではなくて、継続的にサポートするというのが大切だなということを、彼女と話していて感じましたね。表面的に町が元通りになったように見えても、元の生活に戻れなかった人が多かったみたいで。そうはならないように、地道に続けていけたらいいなということを実感しました。
公演当日。ロビーでは子供たちが募金してくれた観客に折り鶴を渡し、オペラ・ハウスの職員たちが笑顔で手際良く、チケットをさばいていた。突然の大舞台に緊張しつつも、一人ひとり立派に演奏し、観客からの温かい拍手を受けた子供たち、そして本番では舞台裏の混乱を全く感じさせることなく煌びやかな世界をみせるダンサーたち。プロフェッショナルの凄みと人々の素朴な温かみが交錯する1日となった。翌日、吉田さんはロイヤル・オペラ・ハウスのオフィスで、昨日協力してくれた各方面への礼状をしたためていた。長時間にわたったというその作業こそが、いかに多くの人々がその1日を支えていたかを物語っているのかもしれない。



在留届は提出しましたか?

















亡くなられた方々に謹んでお悔やみ申し上げます。地震被災者の方々に、海外から何らかの形で少しでも、お役に立てることができるとうれしいです。17日にバイオリニストの葉加瀬太郎さんがフォートナム・アンド・メイソンで行った緊急チャリティー・ライブ(第2弾)を途中から聴くことができました。(場所の提供その他の手配にも、様々な良い協力がありました)。店内の壁には日本国旗も吊るされ、日本語や英語のほか、スペイン語やタイ語、ハングルなど様々な言語で激励が寄せられていたのが印象的でした。




サントゥーアン(別名クリニャンクールのみの市)には美術骨董品からガラクタまで様々な物が並ぶ。どんな代物と出会えるか。物と同時に出会うのは、骨董品の陰からぬっと現れる店主。楽しみは尽きない。







美しい物や人、奇妙な物や人を見た後には、うまいものが食べた くなる。カフェやレストランが多いサントゥーアンで、質、量と価 格のバランスがいいのがレバノン料理屋Elissar。Formule Elissar 

サントゥーアンには音楽の伝統が生きている。ジャズ・マヌーシュ とガンゲット(キャバレー音楽)だ。 創業50年以上のカフェ・レ ストランLa Chope des Puces(ロジエ通り122番地)はジャズ・ マヌーシュの殿堂。ジャズにロマ音楽を取り入れたマヌーシュ・ス ウィングの生みの親ジャンゴ・ラインハルトゆかりの場所でもある。親子3代、こ の店でジャズ・マヌーシュを演奏するガルシアさん


かなり上級者の歩き方を挙げよう。まず、週末の早起きは必須。 3時、4時に活動を開始する。 サントゥーアンならばジャン=アンリ・ ファーブル通りからスタート。数件あるDebarras(納戸一掃の店) には相続の品や引っ越し、物置一掃などで回収された中古の品が無 造作に置かれてあり、とんでもない宝が出ることもあるという。ファーブル通りで 28年間スタンドを開くババさん



「腐った小道」と訳すことのできる「Rotten Row」は、ロンドン中心部にある巨大な王立公園ハイド・パークの中にある。Hyde Park Corner駅を出てすぐに見える、公園内の各所に敷かれた乗馬用の土道の一つがそれ。

直訳すると「心臓が血を流している庭」になる、何とも恐ろしい通りが、「Bleeding Heart Yard」。ホラー映画もびっくりのこのおぞましい名前が付けられた経緯については諸説ある。一つは、17世紀前半にこの地区で起こったある貴族女性の殺人事件が関連しているというもの。
英国王室メンバーの結婚式や葬儀の式場になることの多いセント・ポール大聖堂の近くにあるのが「Amen Court」。中世においては、祭礼などの際に教会へと向かう行列が、「アーメン」と言って祈りを捧げた場所だという。
テムズ河の南岸でシェイクスピア劇を演じるグローブ座近くにあるのが「Bear Gardens」。夏になると屋外でビールを提供する「ビア・ガーデン」と、ちょっと響きが似ている。
毎週金曜日に魚市場が開かれていたからという理由で、「Friday Street」と名付けられたというこの通り。カトリック教会においては、イエス・キリストが受難を受けたという聖金曜日に鳥獣の肉を食べてはいけないという戒律がある。そこで英国のカトリック信者たちは、聖金曜日を迎えると、代わって魚を買いにこぞって出掛けたものだった。この習慣を反映してか、英国内には金曜日に魚市場が開かれる場所が数多いという。「Friday Street」と名付けられた通りは、ロンドン郊外サリー州、イングランド東部サフォーク州、同南部のサセックス州にもある。
速足で歩かなければいけない通りなのかな、と思わせる通り名。実は、ジョン・クイック(John Quick)という名の喜劇役者の名前から取られている。産業革命の真っ只中にあった英国を統治し、アメリカ独立戦争に敗れた英国王として知られるジョージ3世の大のお気に入りだったというクイック氏は、18~19世紀にかけて主にロンドンのコベント・ガーデンの劇場に登場する舞台俳優として人気を博した。引退後は、イズリントン地区に構えた家で老後を静かに過ごしたという。近所のパブにもよく顔を出したという彼は、同地区の名士として地元民に記憶されている。


ロンドン南部ワンズワース地区のトゥーティングにある通り。同地区のカウンシルの広報課にその名前の由来を問い合わせても、「さっぱり分からない」との答えが返ってくるのみ。誰がいつどんな理由で付けたのか分からない、そんな地名もある。


シロップがミックスされ、仕上げにフレッシュ・ミントが飾られた、すっきりとした一品。確かに、庭仕事の合間のリフレッシュに最適だ。時折、手作りのお菓子もバーに並ぶのだとか。週末にはDJが入り多くの客で込み合うので、このバーの良さをじっくり楽しむのなら、平日または週末の早い時間に訪れるのがお勧めだ。
ップル・ジュースをステアした、香りの良い、さわやかなカクテルだ。仕上げにライムの上に載せた角砂糖に火を点けると、青い炎に包まれた甘いライム・ジュースがゆっくりとグラスの中へと落ちていき、一段と洗練された味を楽しむことができる。メニューにはフレーバー・マップなるものが添付されており、軽いものからリッチなもの、またフルーティーからフル・ボディまで細かく分布されている。カクテル初心者にも、気分に合った一杯を選んでもらおうという気配りだ。
み通りにカクテルを完成させる楽しさがあり、さらに独特の重量感で手になじむクリスタル・カット・グラスなどの小物が、ラグジュアリーな気分を盛り上げる。フードのオーダーが必須ではあるが、意外にも、バーガーとバーボンの組み合わせが人気なのだそう。
テアする。まろやかな甘みにスパイスと葉巻の風味が絡み合う、大人のための逸品の完成だ。メニューのユニークさもさることながら、その媚びないスタンスにも注目したい。電話予約必須/スーツ着用不可/10人以上のグループお断り。すべては、訪れた客に心ゆくまでくつろいでもらいたいからこそのこだわり。いつもと違う、粋な夜遊びに、ぜひ。
香りを、十分にシェイクされた卵白が程よく和らげる。隠し味はもちろんルバーブだ。クラシカルな絨毯とモダンな家具、そこにさりげなく置かれたダミアン・ハーストやサラ・ルーカスなど、著名なアーティストたちの作品。ソーホーらしい、一分の隙もないスタイリッシュで豪奢な空間は、背伸びをしてでも一度は訪れてみたい。
物が飾られ、そばに置かれた箱には、誰でも自由に試着できるファンシー・ドレスがいっぱいに詰まっている。お勧めドリンクを頼むと、出てきたのは大きなティー・ポットにカップ & ソーサー。ポットから注がれるのは、ウォッカ・ベースのオリジナル・カクテルだ。ユニークなバーで、秘密の時間を楽しもう。
ティーニ。マティーニ専用のトロリーが客席を回り、リクエストに合わせて調合してくれる。ベースとなるお酒と、風味を付けるビターとの組み合わせで、何種類ものオリジナル・マティーニができあがるという。ビターは自家製、氷は通常の10分の1の速さでゆっくりと溶ける特殊なものを使用している。特別な夜に、最高級の時間を過ごしてみたい。
のラム&コークも、ただのラム&コークとは大違い。「ロンサカパ23」という種のラムに、自家製のコーラ、そこにオレンジ・ビターが加わって、深い味わいのカクテルであるのはもちろんのこと、なんとガラスのフラスコに入り、もくもくとあふれ出すドライアイスの煙とともに頂くという洒落た演出付きだ。日曜にはジャズ・ピアノの生演奏も。
の美しいカクテルは、リンゴの蒸留酒カルバドスとアプリコット・ブランデーのほどよい甘さが女性に好評。ビーカーにフレッシュ・フルーツを次々と搾り、ビフィータ・ジンやソーダとステアする「サマー・ジン・パンチ」は、ドライ・ジンとさわやかなフルーツの爽快感が絶妙で、季節を問わず人気がある。ゆったりとしたロマンティックな店内で、恋人たちの時間を過ごすのはいかが。






世界最古の楽器の一つとされる笙。日本の宮廷音楽、雅楽の中で脈々と受け継がれてきたこの楽器を世界に知らしめた第一人者、宮田まゆみ。ヨーロッパの前衛音楽シーンでも注目を集める宮田が、「ロンドン・シンフォニエッタ」とともに、伝統的な雅楽に加え、武満徹など著名な現代作曲家の作品を演奏する。
Tradition & Exploration:


1949年生まれ。イングランド北東部ノーサンバーランド在住。同北西部リバプールで薬局を営む父親の下に生まれる。ダラム大学でビジネスを学んだ後、検眼士として働き始める。同北東部タインサイドでメガネ屋のチェーン店を展開。その後、店舗を売却して不動産開発業者となる。主に同北部、北東部でオフィス・ビルの開発を行っていたが、1999年、ロンドンのキングス・クロス地域の倉庫ビルを購入。2008年、同地にオフィスとアートの複合施設、キングス・プレイスをオープンさせた。





















1939年3月29日、ロンドン西部生まれ。10歳で柔道を始める。15歳で学校教育を終えた後、電気技師として働く。18歳から2年間、軍隊に入隊。20歳で結婚。26歳のときにロンドン最古の剣道道場「念力道場」に通い始め、68年にミドルセックスで新たな道場(後の「無名士」道場)を設立する。これまで数多くの国際大会に出場。74年には欧州剣道選手権で団体1位、79年の世界剣道選手権では団体5位に入賞している。99年、7段位を取得。









